私は京都出身でありながら、京都がきらい。
 そのくせ関東の人間から「京の茶漬け」のことをいわれると、
 「当方は20年間京都で過ごしたけど、そんなことは一度もなかった」
 と色をなして否定します。
      
 以前このことで抗議のFAXを「悠々ワイド」(TBSラジオ)の大沢悠里さんに送ったことがあります。「実際にそのような仕打ちを受けたのならともかく、伝聞でいうのはやめていただきたい」と。

 そんな私が興味を持って読んだのが同じ「京都」出身の井上章一「京都ぎらい」(朝日新書)
 私の京都ぎらいの原因解明の手がかりになれば、と期待したのですが……。

  「京都ぎらい」

 著者にいわせると、「ぼくの出身は嵯峨で、在住は宇治市。洛中の人間からは嵯峨も宇治も京都とみなされない。そやからぼくは京都人扱いされることを拒否する」とのこと。
  

 学生時代、下京区の町家で博物館にもなっている古民家を取材したとき、そこの九代目当主(著述家)からこういわれた。
 「君は嵯峨の子か。懐かしいな。昔、あのあたりのお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」
 著者の説では、これは「嵯峨なんか田舎や。京都とはちがうで」というあてこすり(いけず)である。ここでいう京都とは洛中(市の中心地。中京区・下京区)のこと。
  

 それに追い打ちをかけたのが、国立民族博物館顧問(当時)の梅棹忠夫氏(故人)。
 「あのへん(嵯峨)は言葉づかいがおかしかったから、ぼくらが中学生のときは、まねをしてよう笑いおうたもんや。じかにからこうたりもしたな」
    

 公正であるべき学者でもそうか。そんなこともあって、著者はますます卑屈になり、京都ぎらいになっていく。
   

 洛中のエリート意識(優越感)は、それを持ち上げる東京のマスコミにある、と著者はいう。
 それで国の内外から人が押し寄せるものだから、それが実力と錯覚して、ふんぞり返っている。千年の歴史にアグラをかいた卑しい姿だ。
  

 その典型が寺院である。高い拝観料を徴収しているくせに、それらの収入は宗教法人へのお布施扱いにして無税。さらに雑誌などで撮影するときは「撮影料」をふんだくる。その額は小さい寺で3万、「金銀苔石」(金閣寺、銀閣寺、西芳寺、竜安寺)となると20万とか。
   

 これでは坊主丸儲けやないか。しかもその金で、衣を着たまま祇園のキャバレーで女の子とうつつを抜かす。京都は生臭坊主ばっかりや。(私ではなく、井上氏がいっている)

 *

 おどろきました。嵯峨が洛中からバカにされ続けてきたとは。
 ただし疑問も残ります。嵯峨出身の人がみんな同じように「京都ぎらい」なのか。
   

 私の出身地は左京区吉田(吉田山の麓)。嵯峨とは正反対の東方に位置しますが、京都流の分類では洛外です。
 しかし洛中の人たちから、「いけず」を受けた覚えは一度もない。
 これは私が鈍感だったから?
 あるいは単に「いけず」をいう人に出会わなかっただけ?
  

 地理的環境でいうと、私の地域は京都大学の近くで、いわば学問の街。
 洛中からすれば、「田舎者」扱いしにくいところかもしれない。
 だから、井上氏のような体験がなかった?
  

 井上氏が洛中の人たちから受けた「いけず」は事実だと思います。
 洛中の人は洛外に対してある種の「優越意識」を持っている。これはあり得ること。東京だって千葉や埼玉を田舎扱いしているから。
 そのことで京都ぎらいになっていったのは、わからないでもない。
  

 しかし、これでは私の京都ぎらいの理由とはちがうし、原因解明の手がかりとなると、はなはだおぼつかない。
 共通点があるとすれば、個人的に受けた仕打ちから、「京都人」気質を一般化していったこと。
   

 私が京都人をきらう理由は、「公の場に立ちたがらない」こと。この一点です。

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