金蔵院をさらに上ると旧東海道は東神奈川駅入口の広い道に遮られ、いったん第一京浜に出で、再び細い道に入ります。
 閉鎖中の東光寺を過ぎると、左手には古ぼけた白い塀。
 神奈川小学校の塀です。校舎はなんとなくクラシックなつくり。

 小学校の塀   

 それもそのはず、この横浜市立神奈川小学校は創立が明治8年6月。(神奈川県最古?)
 大正12年(1923)9月の関東大震災では校舎の大半が倒壊(5名死亡)したものの、昭和3年(1928)10月に鉄筋コンクリ-ト造り、3階建て、教室数31の校舎に建て替えられました。

 神奈川小学校・校舎    

 それよりも私が注目したのは、塀に描かれた絵図と解説。
 まず「上無川」の絵図と説明。
 「神奈川は鎌倉幕府の文書のなかにも記されている古い地名であるが、その由来のひとつに、神奈川本宿を横切って流れる小さな川があったが、水量が少なく水源が定かでないため、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。それが略されてカナガワ(神奈川)とというようになった、というもの。上無川は現在の神奈川小学校東脇にあったとされているが、関東大震災後の復興計画により埋め立てられ、今はない」とのこと。

 神奈川駅中図絵   

 また「東海道分間延絵図・神奈川宿部分」というのもあります。
 これは、江戸幕府が東海道の状況を把握するために道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図。
 東海道だけで全13巻に及ぶとか。

 東海道分間延絵図・神奈川宿部分  

 これがこんなところで見られるとはね。

 神奈川小学校からさらに東に進むと、良泉寺という小さな寺があります。
 真宗大谷派で、山号は海岸山。

良泉寺・山門    

 解説によると、同寺は開港当時、諸外国の領事館に充てられるのを快しとせず、本堂の屋根をはがし、修理中であるとの理由で幕府の命令を断ったそうです。
   

 それだけ聞くと気骨のある住職のように思いますが、私から見れば料簡が狭い。

 良泉寺・境内   

 例えば成仏寺はアメリカ人宣教師の宿舎に割り当てられ、そこからヘボン博士によるヘボン式ローマ字が生まれ、さらに庫裡に住んだブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力しました。 

 良泉寺・本堂   

 これには成仏寺の僧侶の協力もあったと思われます。
 原語・風習もちがい、ときには論争もあったでしょうが、お互い信仰に使える身、相手の教派を尊重し合うような、心の交流があったのではないか。
  

 こういう姿勢こそ宗教者の「あらまほしき」姿でしょう。
 その意味で良泉寺は好感が持てません。

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