有料道路を下りた用水路の近くに「氷川女體神社」の表示を目にしました。
 当方は「今さら女体でもあるまい」との思いですが、取手や川越のヤツから「バカモノ、そんな大事なところ素通りするヤツがあるか!」と大喝されそうで、やむなく(?)その方向に進みました。
   

 「女體神社」と聞いたら、ふつうは「女体が祀られている」と想像しますわな。女体盛り(?)バカなことを……。

参道の石段     

 用水路沿いに進んでいくと、鳥居の下に着きました。石段を上ると静かな境内。緑に覆われていますが、とくにエロい雰囲気は、ない。拍子抜けしました。

鳥居    

 看板の「御縁起(歴史)」を読むと、
 「当社は旧見沼を一望できる台地の突端『三室』に鎮座する。見沼は神沼として古代から存在した沼で……ここに坐す神は女體神、すなわち女神であった……」

拝殿    

 他にもいろいろ書かれていますが、ざっくりいうと、大宮の氷川神社、見沼区中川にある中山神社の三社を合わせて氷川神社として祭られたとのこと。
 そして御祭神は奇稲田姫命、大己貴命、三穂津姫命であることから、大宮の氷川神社男神に対し、女神を祀る神社となったらしい。

巫女人形     

 そういえば拝殿は、どことなく華やかな雰囲気で、社務所には「巫女人形納処」があり、「お願い事が叶ったら、着物をきせてお礼参りをいたしましょう」と書かれています。
 その下には数多くのお人形が。全員着物を着ておられるので、最初はハダカだった?

この奥に磐船祭祀遺跡が    

 石段を下りた神社の反対側には「磐船祭祭祀遺跡」があります。
 これは見沼で行われていた「御船祭」が、享保12年(1727)に見沼が干拓されたことによって行えなくなり、池の中に丸い島を築いて祭祀場を設け、そこで御船祭の代わりとなる「磐(いわ)船祭」を行うこととなった、その跡地であるそうな。

さらに進む     

 そこを入ると両側を鬱蒼とした木々に覆われた細い道。
 さらに進むと小さな橋。それを渡ると木々に囲まれた円形の広場があり、石碑が……。。
 どうやらここが「磐船祭遺跡」らしい。

磐船祭祀遺跡の石碑    

 見取り図を見ると、ここは沼に囲まれた小さな島。
 となると弁天島と考えられ、なるほど女体神。
 さらにいうと、これは女性の子宮のなかと考えられなくもない。
 そう思うと「女體神社」の謎が解けたような……。
   

 もう一度いうけど、当方はどうでもよかったんだよ。
 取手と川越のヤツにうるさくいわれたくなかったから……。

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