岩屋洞窟や山ふたつなど、名所を徘徊しての帰りのこと。
 右手に「児玉神社」とあります。
 明治の軍人・児玉源太郎(1852~1906)が祀られた神社です。

山県有朋歌碑    

 入口に明治の元勲・山縣有朋の歌碑
   

 越えはまた里やあらむと頼みてし 杖さへ折れぬ老いの坂道
        

 「まだ越えねばならぬ里があって、老いの坂道に頼りにしていた杖が折れた」と児玉の逝去を悼んで詠まれた歌です。
   

 「これは参らねば……」
 そう思って参道を進みました。意外に長い。それに険しい上り坂。
 さすが軍神。参拝者にも過酷な行軍(?)を強いるわい。

参道    

 児玉源太郎といえば、すぐ思い浮かぶのが司馬遼太郎の「坂の上の雲」
 この小説は日露戦争のことを克明に描いていますが、なかでも印象深かったのは、大将・乃木希典(1849~1912)の軍人としての無能ぶり。
    
 司馬はいう。
 「乃木は兵士の身だしなみや規則には厳格だった。しかしこれらは末梢的なことで、無能な軍人のやること。本当に有能な軍人は敵を倒す軍略に長けていることだ。乃木にはそれが欠けていた」

一之鳥居   

 その具体例が旅順のロシアの要塞「203高地」の攻略。
 乃木は自軍の陣地と司令部を前線のはるか後方に置いた。これは乃木の臆病な体質の現れともいえるが、実質的にも兵士の突撃距離が長く、敵陣に迫る前に疲弊してしまう。しかも突撃するのに兵を小出しにした。
 敵にとってみればこれほど楽なことはない。待ち構えていて、ヘトヘトになってやってきた少数の敵に集中砲火を浴びせられるから。
 この愚かな作戦のおかげで何万人という若い命が無駄死にした。
 「これが203高地が難攻不落の要塞といわれた真相である」

境内    

 それを見かねた児玉源太郎が乃木に代わって指揮をとり、陣地と司令部を敵陣の近いところに置き、突撃の際は多量の兵を投入して一気に攻め落とした。
   

 児玉はその手柄をすべて乃木に譲り、自らは旅順をあとにした。(カッコいい!)
   

 ではなぜ児玉はそんなことをしたのか。
 それが児玉の性格ともいえるけど、主な理由は乃木が天皇に愛された軍人だったから。
   
      

 司馬はなおも書いています。
 天皇の軍隊のパレードのとき、ある少年の飼っていた小犬が飼い主から離れ、隊列を横切った。そのとき、小犬の横っ腹を銃剣でグサリと突き刺したのは乃木の指令を受けた兵士だった。

 二之鳥居    

 今から30年ほど前、これらのことを義父母に話すと、途端に不機嫌になりました。
 私は「坂の上の雲」が大好きです。
 それは我われの親の世代が「軍神」と崇め奉っていた乃木大将が完膚なきまでに「無能な軍人であった」と喝破されているから。
 
司馬にいわせると、乃木希典の無能ぶりは当時の陸軍でも「暗黙の了解事項」だったとか。(それでいて国民には一切知らされなかった)
            
 ではなぜ人々は彼を「軍神」として崇め奉り、立派な神社(京都にもあり)まで建てたのか。
 それは明治天皇崩御のとき、あとを追って殉死したからです。(国際的にも有名になった)

拝殿    

 話がすっかり脱線しましたが、そんなわけでどうしても児玉源太郎に肩入れしてしまう。
 この地に児玉神社が建てられたのは、江の島をこよなく愛していたからだそうです。
   

 今回この神社を発見したのは偶然だったけど、私にとっては大きな収穫でした。

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