浄滝寺から滝野川を渡って上流方向に進み、京浜急行のガードをくぐると、右に大きな寺があります。これが慶運寺。 宗派は浄土宗。江戸末期にはフランス領事館として供用されました。
 それよりもここは「浦島太郎伝説」の寺として知られています。
慶運寺・山門
 その由来は非常に複雑なので、私がまたざっくり解説いたします。
 昔相模の国三浦の里(三浦市あたり?)の浦島太郎は助けた亀に連れられて竜宮城へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。3年の月日が流れ、父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。
   
 故郷に帰った太郎ですが、すべて見知らぬ景色。そこで玉手箱を開くと、なかからぱっと白煙、太郎はたちまちお爺さん(歌のまんまや)。3年と思ったのが300年経っていました。
 ここまでは従来の浦島太郎の話。
フランス領事館跡の石碑 
 太郎の両親はすでにこの世になく、武蔵の国白幡の峰(神奈川区白幡?)に葬られていると聞いてたずねてみると、ふたつの墓石が並んでいました。
     
 太郎は墓のそばに小さな家を建て、(乙姫様からもらった)菩薩像を安置し、両親の菩提を弔いました。この家がのち観福寿寺となり、「うらしまでら」と呼ばれました。
 明治5年観福寿寺は廃寺になり、聖観世音菩薩像は慶運寺に移されました。(神奈川区歴史あらかると) 
  浦島観世音菩薩の石碑
 なるほど、浦島寺の石碑の台座は亀、手水鉢も亀が設えられていて、それらしい風情です。
 考えてみれば神奈川区には浦島町や浦島丘、亀住町、白幡××町など、浦島太郎にちなんだ地名が多く、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があり、大口通には浦島太郎が足を洗った川の碑があるそうで、あたり一帯が浦島伝説の地のようです。 わが国には数多くの昔話があるけど、「浦島太郎」ほど不可解な話はない。昔話にはなんらかの教訓があるものですが、この話の教訓は……?
浄滝寺・境内
 息子が小学生のとき、「浦島太郎の教訓とはなにか?」を、よく父子で話し合ったものです。
 まず乙姫悪女説。「けっして開けてはなりません」というなら、最初から玉手箱など渡すなよ。(息子の意見)
 しかしこれは現実に目覚めさせるための乙姫の親切心? だとすると悪女ではないか。
手水鉢も亀の形 
 ならば「遊び呆けていればツケが回ってくる」→しかしそれは太郎の望んだことではなく、可哀相な気もする。
 →では亀を助けなければよかったのか→そうではなくて「助けても、お礼の竜宮城行きは拒否すればよかった」
 →「人に親切しても、報酬を求めてはならない」という結論に達しました。
 皆さんはどんな結論?

 浦島や父子の会話を深めをり

 桃太郎ではありませんぞ。
 悪いネ。取手君。 
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