先日の「句づくり」に対して、川越の友(俳句&短歌の達人)から「名句が生れる過程がよくわかりました。勉強になります」との皮肉メール。
 とくに「金冷法」はいたく気に入ったらしく、
 「金冷法採り入れたよとメールあり男やもめの友は○○」(○○は年齢)
 という短歌をしたためました。
         
 これについてはふだん「俳句なんて高尚な趣味に関心はない」といっていた取手の政治経済事情通が「なんや、俳句に金冷法なんか使いやがって」と珍しく食いついてきました。
 「いかんのか。誰も使わんような題材を句にするのがオレのやり方や。例えば一昨年の冬につくった『マフラーを刎ね上げ臨む尿検査』は宗匠がよろこんで並選をくれよった」
 「わかった。キミは奇を衒った句をつくりたいのやな」
 「奇を衒ったとは心外な……」
 とはいったものの、彼のいうことに一理あるような気がする。
 ふーむ、部外者のほうが客観的に見えるのかもしれない。
         
 その彼がいうには、
 「子規の『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』は、それがどないしたんや、という句やな」
 「たしかに、あれは子規だから名句なのであって、我われがつくっても『それがどうした』といわれるだけやろな」
 意外に鋭いところを衝いとる、と感心していると、
 「あれはリンゴやバナナではあかんのやろな」
 「リンゴやバナナでは字余りになるし、それに柿が季語やからな」
         
 「わかった。あれは法隆寺と子規のタイアップや。法隆寺の前に売店があって、そこで売ってる柿を食わんと、鐘が鳴らんようになっとる」
 「柿を食ったら、坊主が鐘を撞きよるんか」
 「そうや。」
 「ええ加減な」
 やっぱり俳句の本質からずれたことをいっとる。
 俳句を客観的に見てると思ったのは、買いかぶりだったか。
           
 それはともかく、「金冷法」は句会では変えようかな。
 女性票が獲れそうもないから。
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