正月は帆船日本丸にも入りました。

 日本丸は昭和5年(1930)に建造された、船員を養成する練習帆船。
 昭和59年(1984)に引退するまでの54年間に11,500名もの実習生を育て、地球を45.4周する距離(延べ183万km)を航海してきました。
 引退後は造船所跡に保存され、昭和60年(1985)年4月より一般公開されています。(パンフレットより)
甲板 
 この日本丸には一度小学生の息子と入ったことがありますが、当時の息子の学年を考えると、昭和60年の天皇誕生日。オープンして間もないときでした。
 おそらく話題になっていたのと、当時夕刊紙のコラムで首都圏の話題をレポートしていたので、その取材も兼ねていたのだろうと思われます。折しも総帆展帆の日でした。
船首甲板  
 ということで30年ぶり。
 頭のなかでは「氷川丸」とゴッチャになっています。
説明係の人 
 船首甲板では元船長(?)らしき人が見学客を相手に錨(アンカー)の説明。
 「アンカーで船を固定すると思うでしょ。さにあらず、実際はチェーン(鎖)なんです。長さがあるからチェーンのほうが重いんです。ではなぜアンカーが必要なのか。それはチェーンがユラユラしないようにするためです」
 そうだったのか。(勉強になります)
錨とチェーンを説明 
 この元船長は粋な人(?)らしく、外国女生とのデートの作法にも蘊蓄を述べておられました。

 実習生室にも入りました。
 ひと部屋8人で生活する狭い部屋。ベッドは長さ185cm、幅65cm。
実習生室 
 「そうだそうだ、私はここに寝てたんだ。懐かしいなあ」
 同じく見学していたおじさんがつぶやきました。
二段ベッド 
 「懐かしいって、ここに乗船しておられたんですか」
 「そうです。私も数10年前はこの実習生だったんです。いやあ、狭いところに寝てたんだなあ」
 そして丸窓を指さして、
 「この窓がね、密閉性が悪いものだから、船が揺れるたびに海水が入ってくるんですよ。こっちはそのたびに雑巾で拭いて大わらわ。あのときは大変でした」
 えーッ、窓から水が浸水してよく船が沈まなかったな。(無事だったからこそ、このおじさんは今こうして生きているのですが)
窓 
 このあと、おじさんに講義室や、通信室、看護長の部屋などを案内してもらって別れました。
講義室 
 偶然とはいえ、こんな人と同行するとは。
通信室 
 30年前とはまた違った面白さがありました。
船長公室 
 この帆船日本丸、おとなりの「横浜みなと博物館」と抱き合わせで、シルバー300円。さらにこの日は正月料金ということで200円。安かった。
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