一昨日(12/09)作家の野坂昭如さんが亡くなられました。享年85。

 野坂さんは私の若いころ、かなり影響を受けた作家でした。
 学生時代は友人に「(雰囲気が)野坂昭如に似てる」といわれ、最初は「こんなヤツに……」と思いました。サングラスをかけて、キザな野郎だ。無頼派を気取りやがって。

 しかしなんとなく気になる存在でした。
 小説では「エロ事師たち」(1966)「火垂るの墓」「アメリカひじき」(1968)など代表作は読みました。
 西武線桜台に住んでいたころ、友人と酒飲んで深夜近所をほっつき歩いたことがあります。
 「駅の向こうに野坂昭如の家があるんだよ」
 「行ってみよう」
 「ここだ、ここだ。野坂くーん、出てらっしゃーい」
 「呼んだって出てこないよ」
 「しょうがないな、せっかくきたのだから、あいさつぐらいしておこう」
 シャーッ……。
 野坂さん、ゴメンネ。桜台当時のお宅の門柱に放尿したのは私たちです。
* 
 エロ本の編集者になってからは「エロ事師たち」は我われのバイブル的存在でした。
 これについてゴールデン街で飲んでいるとき、先輩編集者がこういいました。
 「主人公(スブやん)はなぜああまで自己主張するのか。どうせ金儲けでやってるのだから、黙ってればいいのに」
       
 これに対して私は「いや、多分彼は金儲けというより、『世のため人のため』という気持ちがあるのではないか。だからどうしても自分を正当化しようとする」
 先輩は「なるほど」とナットク。
 学生運動上がりの青臭い意見です。むしろ先輩の心の広さを感じました。
 「火垂るの墓」は戦時中栄養失調の妹を看取るという哀しい話ですが、学生時代熱中して読んだ高橋和巳「憂鬱なる党派」(1965)のラストの回想のくだり(西村恒一が原爆で死んだ妹を焼くところ)と混同しました。
 比べてみると、野坂作品のほうが感傷に流れたように思います。
 評論で印象に残っているのは、三島由紀夫のことを書いた「赫奕たる逆光」(1987)。
 三島由紀夫とは国家観などまるで違いましたが、「金閣寺」が好きで、三島文学に惹かれていました。
 そのため「なんでこんなつまらない死に方をする」と残念でならなかったのですが、「仮面の告白」「禁色」などを読むと、「国を憂う」というより、自らの同性愛志向の行き詰まりからではないか、と思うようになりました。
 それを野坂さん自身が見聞きした実例をあげて、スパッといい切ったのが「赫奕たる逆光」でした。
 野坂さんの文体は独特でした。
 句点ではつながるのですが、なかなか切れない流麗な谷崎調(?)。長い文章だけど一気に読ませる力があります。
 これはとても真似できない。
 三島さんでもそうですが、流麗な文章表現は「才能」だと思います。それは野坂さんにも感じました。

 私にはそうした才能はないので、書いては読み返しの訓練を重ねましたが、名文、美文を書くことはあきらめました。
 それでもひとつ真似てやろうとしたのは体言止め。(←これがそうです)
 野坂さんはこれを効果的に使う。
 私は?
 やたら頻繁に使って、スローガンのようになって文章にならなくなり、相変わらず下手クソです。
 その野坂さんは2003年に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けながら新聞、雑誌、ラジオに寄稿されていました。
 主旨の大半は「あの愚かな戦争を二度と繰り返してはならない」というものでした。

 それらを含め、野坂さんからはいろんなことを教わりました。
 いわば人生の恩師。
 ご冥福をお祈りいたします。
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