横浜市の地図を見ると、旧東海道が横浜駅の北側で東西に走っています。
 4年前、その旧東海道を川崎方面に歩いたことがあります(前ブログに掲載)が、今回は逆方向、保土ヶ谷方面に歩きました。

 まず横浜駅きた西口から鶴屋橋(工事中のため迂回)を渡り、北上すると大きな道に突き当たりました。これが青木浅間線(83号)。
 さらに北上しますが、突き当り。
 そこで東に大きく迂回して、さらに北へ進むとマンションに挟まれた細い上り階段。
この石段を上る 
 ここを上ると、両側にマンションがびっしり並んだ細い一本の道。「神奈川宿歴史の道」の標識があります。ここが旧東海道。
神奈川宿歴史の道の道標 
 横浜駅のある市街地とはかなり段差があります。
 昔の東海道はこんな高台にあった?
今の旧東海道 
 目の前に看板があり、昔の東海道(神奈川)の図と解説が。
 「神奈川宿は日本橋を出て三番目の宿場町です。現在の台町あたりは、かつて神奈川湊を見下ろす継承の地でした」
 図は神奈川宿(保土ヶ谷方向)。左側は海。
 ということは、横浜駅のあるところは昔は海だったわけ。
昔の東海道の図 
 しかし両側のマンションに阻まれて、旧東海道の風情はまったくなし。どこが景勝地だ。

 看板にはなおも料亭「田中屋」の説明。
 「ここは文久3年(1863)創業。高杉晋作やハリスなども訪れたそうで、明治になってからは坂本龍馬の妻おりょう(注1)がここで働いていた。英語が話せ、月琴を弾くことができた彼女は外国人の接待に重宝された」とあります。
昔の田中屋 
 この「田中屋」は今でも営業しています。
今の田中屋 
 ここから保土ヶ谷方向に歩いたところに「神奈川台の関門跡」があります。
 開港後、外国人がしばしば攘夷浪人たちに襲われたので、幕府は東海道の随所に関門や番所を設けて警備を強化しました。
神奈川台の関門跡 
 またここは「袖ヶ浦」といわれ、海が見える景勝地だったそうですが、マンションに阻まれてその面影はまったくありません。
当時の神奈川台関門 
 その先の上台橋。
 当時の東海道はどうなっていたのかわからないけど、これが東海道の一部だとすると、この下は海だったわけで、横浜市街地(西区、中区)の大半は埋め立て地だったことがわかります。
この下は海だった?(上台橋より) 

(注1)おりょうはその後再婚して横須賀で暮らし、明治39年に他界しました。享年66。
お墓は横須賀市大津の信楽寺にあり、3年前行ってきました。


※昔の写真は看板のものを使わせていただきました。
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