政治の話は社会人になっても、同僚や上司とふつうにしました。
 エロ出版社といえども編集者には右も左もいて、いろんな「思想」が飛び交いました。それでも激しく論争するまでには至らず、呉越同舟で仲良く飲むこともありました。
 仕事に支障がなければ、なにをいっても許されたのです。(私などは「全共闘崩れ」と思われていました)

 フリーになって新聞社や出版社に出入りするようになり、編集者やライター、カメラマン、イラストレーター、さらに風俗業者と関わるようになると、いろんな「思想」の持ち主と出会うようになりました。
 過激な左翼もいれば、右翼の親玉もいます。
 マスコミというところは、それを互いに知りつつ、ケンカもせず、仲よくやっているので、私も自説を述べることもありましたが、とくに険悪になることはなかった。
 昨年暮れ、郷里の友数人で忘年会をしたことがあります。
 このとき珍しく現代史の話になり、友人が「連合国の経済封鎖を打開するのと、植民地支配からアジアを解放するために日本は戦争を起こしたのだ」といい出しました。
 これには私も看過できず、「違う、あれは侵略戦争だ」と反論。
 「いや、そうじゃない」
 彼は穏やかな顔をしても譲らない。

 ふたりとも虎の尾を踏んだ?
 彼とは小さいときから一緒に遊んだ仲。今さらこんなことでケンカしたくない。
 おそらく彼もそうだったと思います。この話はそれで打ち切りました。

 学生時代、友と論争することは相手を論破して、自分の意見に従わせることに意味がありました。(それができなければ決裂)
 しかし年老いた身で相手を論破しても、今さらなんの意味がある。
 むしろ不快さと虚しさが残るだけ。
 それよりも残された時間を、友と仲良く過ごすほうが賢明ではないか。
 高校生のとき、一風変わった(?)友人がいました。
 神社の前を通ると深々とお辞儀をする。
 京都の女流画家の話では、朝ひとり黙々と教室を掃除していたそうです。
 しかし私とは気が合い、帰りは一緒で、何度か彼の家に遊びに行ったこともあります。
 写真マニアで自室に暗室を持つほどでした。

 しかし政治的なことになると激しく対立しました。
 当時はふたりとも未熟で、自分の意見をいい募るだけでしたが、それでも仲違いすることはなかった。
 彼をよく知る栗東の歴史研究家によると、
 「あいつは右翼や。気難しい面もあったけど、情に厚い男やった。激しく論争しても決裂しなかったのは、気に入られてたんやろな」

 その彼は数年前に他界しました。
 再会は叶わなかったけど、激しく論争しても仲良くしてくれた彼の姿を思い浮かべました。
 そうか、あれが彼のメッセージだったのか。

 このメッセージは今の私のなかに活かされているような気がします。
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