もう2ヶ月ほど前のことになりますが、郷里で行われた小学校の同窓会の三次会で数人とカラオケルームに入ったときのこと。

 となりに座った同窓生と日ごろたしなんでいる趣味の話になりました。
 私は俳句、彼は剣道。そこまではよかった。

 彼はさかんに武道のよさを力説し、私もそれには賛同しました。日本古来の伝統文化を我われは引き継いでいる。
 しかしそこから派生して、「我々はこの国土を守らなければならない」というようになりました。

 こうなると、守るとは何を守るのか、またどういう方法で守るのか、という議論になってきます。弱ったな、と思っていると、彼は「現政府の提唱した集団的自衛権は正しい」ということをいい始めました。

 私は仕方なくこういいました。
 「集団的自衛権はすべてアメリカの指示(命令)によるものだ。日本はアメリカの隷属国家になっている以上、従わざるを得ない。ただしこれによって日本の自衛隊員の血が流れる」

 「それは国土を守るためには仕方がない」
 「集団的自衛権は国土を守るということではなく、他国の戦争にも参加することだ」
 「しかし、それは大きな意味(同盟国?)でやっぱり国土だ」

 「本音をいえば、私はいやだな。そんな勇ましい戦争肯定論に与したくない」
 「そうはいっても、攻めてこられたらどうする。武力で戦うしかないだろう」
 酔いもあったのか、話はいきなり極論になりました。

 これが行きつくとどうなるか。
 『戦わないのは国民として卑怯で無責任だ』
 『しかし戦うといっても、あんたじゃないだろう。若い人に戦わせるわけだろう』
 剣呑な論争になります。
 他の連中は大音量でカラオケに興じ、しゃべったりしているので、こっちの会話はまったく聞こえない。したがって仲裁する人もいない。

 私は小用で席を外し、もどってからこういいました。
 「お互い政治の話はやめよう。仲良くしよう」
 これには彼も同意しました。

 学生時代ならとことんまでやり合いました。
 そして決裂し、もうつき合わない。みんなそうでした。
 当時は同じような「思想」を共有することが友人の必須条件でした。
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