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 富士見市の水子貝塚公園です。
 このあたりは貝塚だったということで縄文時代前期の光景が再現されています。

水子貝塚公園・入口 

 園内のあちこちに建てられている竪穴住居。
 当時の資料をもとにして復元されたものです。

あちこちに竪穴住居が… 

 竪穴住居の一部では当時の人々の暮らしが再現されていますが、それよりも今の見どころは紅葉の見事さ。

園内樹林の紅葉 

 ただの公園の紅葉にすぎないって?

右は展望台 

 そういわれればそうですが、やはり竪穴住居と紅葉の取り合わせが妙というもので。

竪穴住居と紅葉 

 我われが寺社の紅葉を愛でるのは、紅葉+アルファがあるからでしょう。

ヤマモミジ越しに見る水子貝塚公園 

 そう思って見ると、ここの公園の紅葉も一興。
 園内の資料館では当時の貝塚の様子が見られます。

      

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 イチョウ並木をあとにして青山通り(246)を渋谷方向にもどり、表参道にやってきました。
 「なんやここの紅葉は。汚らしいな」と所沢の女性。
 「台風による塩害かなあ」と武蔵野の男。

表参道① 

 たしかに紅葉というよりは茶褐色で枯れた感じ。
 私が直近でここへきたのは4年前。そのときはもっときれいに思ったけど。

4年前の表参道 

 このときは2014年の11月13日。時刻は昼前で日差しも強かった。
 紅葉の美しさは日差しに左右されるから。
 それに先ほどまで外苑の見事な黄葉を見てきたため、どうしても見劣りがするのかな。
    

 「これが元の同潤会アパートや。今は表参道ヒルズに変わったけど、ここだけこうして残している」
 とふたりに説明したけど、あまり関心のない様子。
 かなり歩いたため、疲れがピークに達していた?

元同潤会アパート跡 

 ティータイムに関しては、渋谷でもイチョウ並木でも取らなかった。とくにイチョウ並木はどこも満員。ただし青山通りで一軒大きな喫茶店があったけど、表参道まで行けば何軒かあるだろう、と思ってずるずるきたのが不正解だった?
      

 「あかん、ここもいっぱいや」
 表参道ヒルズの喫茶店はおろか、そのとなりにある洋風建築のしゃれた喫茶店も満員。
 しまったなあ。

洋風建築の喫茶店 

 「以前はもっと喫茶店があったけど、最近は少なくなったなあ」
 といい訳しながら先へ進みます。
 私はいつもこれで失敗する。30年前、家族と横浜へ行ったとき……。
 いやいや、あのときのことは思い出すのも忌々しい。
       

 それでも途中、今回参加できなかった取手の友や名古屋に引っ越した友から電話があって、
 「表参道にいるのか、ええなあ」
 「うん、外苑前のイチョウはなかなかよかったよ」
 などの会話で気がまぎれ、ようやく神宮前の交差点にあるビルの喫茶店に入ることができました。

表参道②

 一服してからは、最近同窓生がバタバタと逝ったことや具合が悪くなったことなどが話題になったけど、これは我われの年齢からすればしょうがない。
  私としてはティータイムの取り方に反省しきり。ふたりともとくに不機嫌な様子は示さなかったけど、次回から気をつけなければ。


 次に我われが訪れたところは外苑・絵画館前のイチョウ並木。
 「おう、すごいな、これは」
 イチョウ並木は見事な黄色に色づいていました。

外苑前イチョウ並木① 

 この銀杏の木は新宿御苑の在来種から採集されたものとのことで、大正12年(1923)この道路に植えられました。その数146本。
 しかもここの並木は歩道の両側(内側と車道側)にイチョウが植えられているので、歩道そのものが黄色のトンネル。これが壮観です。

外苑前イチョウ並木・歩道① 

 「ここのイチョウの樹は先端に行くほど細くなっているけど、わざわざこんな形にするのはやりすぎやと思うな」とは武蔵野の友。
 さすが趣味で絵を描いているだけあって、鋭い(?)指摘。
 考えてみたら、私の好きな横浜海岸通りのイチョウはこんな風に剪定されてないもの。
 まあここはハイカラな東京青山の景観ということで。

外苑前イチョウ並木② 

 思えばここへきたのは、直近では6年前。
 当時は車の通行止がなかったので、車の通行量は多く(車で見物していたフシもあり?)、歩行者が車道に出るのは禁止されてました。

6年前のイチョウ並木 

 今は歩行者天国になってよかったよかった。
 向こう側に行って小さなアイドルも見られたし。

アイドル? 

 「ここのイチョウ並木、ええなあ」
 初めてきたという所沢の女性は感嘆しきり。

外苑前イチョウ並木・歩道① 

 そして、「ああ、ここやここや、この景色や」
 何かと思ったら、「キムタクのドラマに出てたところや」

外苑前イチョウ並木・歩道③ 

 キムタクなんか知らんわい。

      

2018.11.27 渋谷の変遷

 昨日(11/26)は約5年ぶりに渋谷にやってきました。
 それもハチ公前。
 なぜここにきたのかというと、京都時代の同窓生ふたりと待ち合わせをしたからです。
     

 「おや?」
 銅像の前に数人の列。それも外国人が多い。
 自分たちの番がきたら銅像とともに記念写真を撮っている。

ハチ公前の風景 

 ふーむ、ハチ公前は今や待ち合わせというより、記念撮影の場所となっているのか。
 それにしても誰に指示されたわけでもないのに、みんな行儀よく並んでいるのにはおどろきました。
     

 ほどなくして同窓生がきたので、次の場所へ。
 それはこの秋オープンした「渋谷ストリーム」
 学生時代から5年前まで、お世話になった東横線の旧渋谷駅がどのように変わったのか、見ておきたかったからです。
     

 「悪いな、こっちの趣味につき合わせて」
 「いや、いいんだよ」
 このふたり(所沢の女性と武蔵野の男)は東横線とはまったく縁がなかったようで、どのように変わったのかもわからない。

旧渋谷駅跡① 

 ふーむ、ホームの跡がこんなに……。絶句。

 それでもレールの跡らしきものは残されています。
 代官山方向に進むと、洒落た飲食店が並ぶ通路。

旧渋谷駅跡② 

 この飲食店街は3階にもあるようですが、そのまま線路跡を追いました。
 外へ出ると高架デッキになっていて、並木橋まで続くのかと思ったら途中で終わり。

旧渋谷駅跡③ 

 下へ降りると、目の前を渋谷川が流れていました。
 「ほら、きれいになったやろ。以前は汚いどぶ川やったんや」
 「へえ、そうか」
 このふたりは以前の渋谷川の様子も知らない様子。

渋谷川護岸 

 この渋谷川の源流は代々木公園近くで、唱歌「春の小川」のモデルとされていた(諸説あり)のですが、このあたりは臭いがするほど汚いどぶ川でした。それがこんなにきれいになったとは。

金王橋から見る渋谷川 

 先日(11/24)放映の「アド街ック天国」(テレ東)によれば、ここ渋谷南の変貌ぶりはもっと広範囲でディープなようで、探るには1日かかりそう。
 我われは先を急ぐので早々に切り上げました。

     

 志木市役所の向かいにある旧村山快哉堂。
 新河岸川と柳瀬川の合流点の三角地帯にあり、以前は本町通にあった薬店をここに移築復元されたもので、今は市の歴史建造物になっています。
 その裏は雑木林で、バードウォッチングができるようになっています。

村山快哉堂(裏側) 

 面白くないって?
 では、いろは橋のたもとに植えられたイロハモミジの紅葉の見事さは?

いろは橋のたもとのイロハモミジ 

 ただのごろ合わせ(いろは)ではないか、と。これは手厳しい。
 それなら宝幢寺。
 境内の紅葉はなかなかのものですよ。

宝幢寺・境内の紅葉 

 とくに十三仏の背後の紅葉は風情が感じられます。

宝幢寺・十三仏と紅葉 

 旧村山快哉堂とか宝幢寺など月並みである。志木市といえば今話題のものがあるだろう、それを取り上げろ。
 そうくると思ってました。例のゆるキャラでしょ。グランプリ獲得した「カパル君」

グランプリ獲得の展示 

 市民会館のロビーに展示されてました。
 「みんなのちからでてっぺんとったぞー」との表示。

投票の呼びかけ 

 どういうことかというと、投票期間(08/01~11/10)は市民に「1日1回♪投票だぉ」と呼び掛けていたのが功を奏したらしい。これは組織票には当たらないそうで、やれめでたや。

裏で談笑するお年寄り 

 ちなみに裏で談笑するお年寄りに聞いてみると、「よかった、よかった」とよろぶものの、投票にはまったく参加しなかったとか。
 大方そんなものだろうと思ったよ。

       

 昨日(11/24)は志木市の富士、田子山富士塚に登ってきました。
 田子山富士塚は敷島神社の境内にある高さ9m(標高23.4m)、麓(ふもと)の円周約125mの堂々たる富士塚。

田子山富士塚・全景 

 普段は閉山ですが、この日は入山日。
 これまで何度か訪れているのに閉まっていたのは平日だったから?
 (入山日の予定表を見ると土、日、祝が多い)

田子山富士・登山口  

 入山は無料ですが、入口の神社に賽銭を納めました。
 見上げるとけっこう急傾斜です。

かなりの急傾斜

 五号目あたりから山頂が見えます。
 パンフレットには「斜度39度」とのことですが、それ以上のところもあるのでは。
 むろん参道は斜めに切ってあります。

山頂が見える 

 ふーッ、やっと着いた。登ること約4分。山頂に着きました。
 祠があります。(これは富士塚としての6要件のひとつ)

山頂の祠 

 先に登っていた夫婦から「こんにちわ」のあいさつ。もう富士登山者の仲間?
 「意外に見晴らしがいいものですね」と感嘆しきり。
 しばし眺望を楽しみました。これぞ富士登山の醍醐味?

山頂から見る市街地 

 ここから富士山(本物)が見えるのも6要件のひとつですが、生憎この日は見えず。
 仕方なく麓の景色を。これもなかなかのもの。

山頂から見る麓の景色(手前の岩は陰陽石) 

 この田子山富士塚は、明治のはじめ引又(現在の志木市本町)に住む高須庄吉(醤油醸造業)によってつくられたとのこと。
 地元の人々の間では、「おらが富士塚はそんじょそこらの富士塚とはちがう」という自負があるらしい。

下山時に見た黄葉 

 下山に見る紅葉もなかなかのものでした。

     

 多福寺、多門院を訪れた際、地蔵街道を通りました。
 「おや?」
 前に長い車列ができて進めない。
 どうやら片側相互通行の様子。

片側交互通行のため一時ストップ 

 片側相互通行に関しては、GWの期間ここを通ったとき、「歩道整備工事のため、3月22日~6月29日は片側交互通行になります」と看板に書かれていたので、もう終わったものと思っていたのに。

通り終わってから振り返ると 

 待つこと5分。ようやくこちらの番になって進みましたが、切り替えにけっこう手間がかかるみたい。
 というのも、反対側からくる車をストップして方向指示なども替え、完全な無通過状態を確認する必要があるようです。

両側通行の区間 

 片側交互通行の区間はそれほど長くはないのですが、まだ所どころ歩道の工事が続いています。
 歩道ができるのは、歩行者にとっても車にとってもありがたいことなのだろうけど、道幅が広がることによって両側の木々が伐採され、「緑のトンネル」観は失われていく。
 どんな景色になるのやら。

まだ工事中 

 工事はまだ全然終わってないので、この様子なら来年のGWぐらいかかるだろと思われるのですが。

     

 多門院に隣接して神明系の鳥居をつけた神社があります。「富の神明社」です。

神明系の鳥居  

 元禄9年(1696)川越城主柳沢出羽守が上富村、中富村、下富村の三ヶ村を開いた折、鎮守のお宮として毘沙門社と多聞院を創立、のちに伊勢系の神明社を勧請しました。

富の神明社・拝殿 

 しかし明治2年の神仏分離令によって、境界線のないまま多門院と神明社とに分かれるようになりました。所沢市には他にも「所澤神明社」があるため、ここを「富(とめ)の神明社」と呼んでいます。御祭神は御祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)。

境内の黄葉   

 ここはイチョウの黄葉が見事です。とくに拝殿の背後。

拝殿背後の黄葉 

 地味だって? 
 まあね。でも初詣は長蛇の列。おとなりの多門院の比ではありません。
     
 さらにここには甘藷社(いも神社)という境内社があって、甘藷之神(いも神様)が祀られています。

甘藷社(いも神社)  

 由緒によると、この三富地区はやせた土地で夏の干ばつによる農作物育ちにくい土地でしたが、寛延4年(1751)名主・吉田弥右衛門はそんな土地でも丈夫に育つサツマイモの試作を始め、周辺の村にも広まりました。その後江戸に焼き芋ブームにが起こるとサツマイモの需要が増え、農家が潤うようになりました。
 その吉田弥右衛門の功績を称え、平成18年11月23日、甘藷先生と合わせて「甘藷乃神(いものかみ)」として祀られるようになったそうです。

いもの銅像 

 祠の前にイモの銅像が置かれています。
 「撫でいも」といって、撫でると健康・家内安全・子孫繁栄・開運などのご利益があるそうです。

      

2018.11.22 多聞院の紅葉

 多福寺から600m ほど南西寄りの多門院(所沢市)。
 吉保は元禄9年(1696)このあたりを開村した際、村民のためにふたつの寺を創建しました。
 そのひとつが昨日UPした多福寺。もうひとつがここ毘沙門社(多聞院)です。

多門院・毘沙門堂 

 毘沙門堂には武田信玄の守護神である金の毘沙門天(高さ4cm)が祀られているとのことです。

多門院・境内の紅葉① 

 ここも紅葉が見事です。

多門院・境内の紅葉② 

 同寺院は真言宗豊山派の寺で、山号は宝塔山、寺号は吉祥寺。本尊は大日如来。

多門院・境内の紅葉③ 

 色とりどりの紅葉もいいけど、たまには単色もいいかな。
 これは紅一色。

紅一色  

 こちらは黄(?)一色。

黄(?)一色 

 たわわに実った柿の木。今回は毘沙門堂脇の柿の木を。

柿の実と毘沙門堂 

 多分渋柿でしょう。(推測のヒントはイソップ童話にあります)

    

2018.11.21 多福寺の紅葉

 ということで、一昨日(11/19)は多福寺に行ってきました。
 多福寺は三芳町上富にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は三富山。

多福寺・入口 

 創建は元禄9年(1696)。
 当時の川越藩主・柳沢吉保により、開拓農民の精神的安住の拠り所として建立されました。

多福寺(境内と本堂) 

 山門は「呑天閣」といって立派なものですが、紅葉越しに見るのもなかなかの風情です。

多福寺・呑天閣 

 曇天閣が紅葉の隙間から見えるこちらのほうがいい?

紅葉越しに見る呑天閣 

 埼玉県指定有形文化財なのに……。
    

 阿弥陀堂の周囲も風情があります。

阿弥陀堂 

 多福寺はいつも庭の手入れがされており、静かな佇まいを感じさせます。

阿弥陀堂(右は墓地) 

 このような寺院が近くにあるのはありがたい。
 福も多いというし。

     

2018.11.20 蓮光寺の紅葉

 一昨日(11/18)は新河岸川沿いにある蓮光寺に寄りました。
 意外なことにここも川越市。

蓮光寺(石仏・鐘楼・本堂) 

 曹洞宗のお寺で、山名は鷲嶽山。
 山門はなかなか立派です。

蓮光寺・山門 

 HPによると同寺は下野国足利郡山川村の長林寺の末寺で、創建の年代は不詳なれど、室町時代中期。当時は広大な田園が広がり、農業を中心とした比較的穏やかな土地柄であったと想定されるとのこと。

境内(参道と総門) 

 紅葉はまだ少し早かったかな。(昨年訪れたのは12/03)

参道(逆から見た光景) 

 それにどうも紅葉の写りがよくない。

庭の紅葉 

 この日は曇天。晴天のほうが紅葉は美しく見えるのではないか。

掃除小僧と黄葉 

 しまったなあ、昨日(11/19)の徘徊も曇天だった。
 紅葉を撮るには天気にも気をつけないと。
 当方の腕の拙劣さは棚上げしています。悪いね。
      

 修景池の紅葉はメタセコイアが中心ですが、イチョウの黄葉も素晴らしい。
 まずプールの近く。
 ここのグリーンベルトには大きなイチョウの木が植えられていて、黄葉が見事です。

プール近くの黄葉 

 さらに南西寄り、関越自動車道と駐車場に挟まれた道はイチョウ並木になっていて、この時季はなかなかの見応えです。

水上公園・イチョウ並木 

 昨年きたときはもっと黄葉が進んでおり、一部散りはじめていたけど、この日(一昨日)はまだ早く、青い葉も見かけました。
 黄葉は奥へ行くほど進んでいます。

奥へ行くほど黄葉が…… 

 逆から見た黄葉です。

逆から見た黄葉 

 落ちた銀杏の実を拾う老夫婦の姿も見られました。
 東京都では一部の都民から、「銀杏の実が臭い。イチョウの木を何とかしろ」との苦情が寄せられているそうですが、何たる身勝手。
 イチョウ並木は風除けや日除けに大いに役立っているというのに。
 (防火帯にもなっているとか)
 けっしていい臭いとはいえないけど、これも秋の風物詩と思うしかないのでは。

    

 昨日(11/17)は天気がよかったので、川越水上公園に行ってきました。
 ここは川越の市街地から西へ約2km。

修景池① 

 中央のボート池(修景池)は入間川の調整池にもなっていますが、湖畔にはメタセコイアが植えられ、自然と一体化して景観が素晴らしい。

修景池② 

 しかし、紅葉としては今ひとつ。

湖畔の情景① 

 昨年きたのは19日だったけど、もっと紅葉が進んでいた。
 でもこの中途半端な紅葉(?)ぶりもなかなかの味わいではないか。

湖畔の情景② 

 メタセコイアは真っ直ぐに伸びてるし。(スギ科だから当然か)

湖畔の情景③ 

 この日は土曜日ということもあって、ボートに乗る人も多かった。
 「おやッ、この乗り方は?」
 この母娘、明らかに変な乗り方。

このボートの乗り方は…… 

 母親は若いころ、彼氏とボートに乗った体験がなかったのか。あるいはその記憶がないのか。
 老婆心ならぬ老爺心(?)からですが、楽しけりゃ何だっていいわけで。

     

 山崎公園にやってきました。
 すぐ横を流れる富士見江川のキバナコスモスがまだ咲いている。ということは……?

富士見江川沿いのキバナコスモス 

 入口のメタセコイアの紅葉は今ひとつ。やっぱりなあ。

入口のメタセコイア 

 むしろその奥のブナの ほうが紅葉が見事です。

ブナの紅葉

 これはその木を反対側から撮ったもの。
 逆光になりますが、こちらのほうが陽光を透かして美しく見えます。

逆光で見る紅葉 

 かといって完全な逆光だとハレーションを起こしたり、逆に真っ暗になったりするので、難しい。
 これは順光でも逆光でもなく横から撮ったもの。(陽光は左から右へ)無難というか……。

横から見たブナの木 

 築山の向こうのモミジはまだまだ。
 それでも逆光によって青々としたモミジが輝いて見えます。

青々としたモミジ 

 ここのモミジの紅葉はまだ先のようです。
 昨年紅葉を撮ったのは12月過ぎでした。もう一度くるかな。

   

 黄葉の次は紅葉。
 園内の紅葉はかなり進んでいるように見えますが、実は今イチ。そこで部分的に紅くなっているところだけ重点的に取り上げました。
 こうしてみると全体的に紅葉しているように見えるから不思議。

紅葉した木々    

 これは子ども広場。水たまりが見えますが、これは「むさしの川」。

子ども広場の紅葉 

 遊具の向こうに紅葉。
 なかなかの風情です。

遊具の向こうに紅葉 

 部分紅葉は池の周囲で見かけます。

池の周囲の紅葉① 

 もっとも池の周囲には常緑樹もあるので、全部紅葉とはならないのですが。

池の周囲の紅葉② 

 日本庭園の前もなかなかのものです。

日本庭園の前 

 これは日本庭園のなか、茶室の前の紅葉です。

茶室前の紅葉 

 この時期、外せないのは放送塔前の花壇のサルビア。

放送塔とサルビア 

 これは一種のお約束事ですから。

     

 所沢航空公園に行ってきました。
 いつものように北入口から入りましたが、ここから時計塔に続く道がイチョウ並木。

イチョウ並木① 

 これがなかなか見事です。

イチョウ並木② 

 イチョウの紅葉は公園のあちこちでも見かけられました。
 圧巻はこども広場近くのイチョウ。

斜面のイチョウ 

 小高い丘の斜面に数本植えられています。

斜面のイチョウ(裏側) 

 イチョウの黄葉。

イチョウの木 

 イチョウ落葉。

イチョウ落葉 

 イチョウ以外の黄葉も見られました。

イチョウ以外の黄葉① 

 木の名前は、ワカリマセーン。

イチョウ以外の黄葉② 

 でも見事なのでお許しを。

      


2018.11.14 中院の石

 中院にも寄りました。
 ここの紅葉は一部のみで、見ごろはまだまだ。

境内の紅葉 

 そこでこの境内の石に注目してみました。
 なんといっても見事なのは境内中央の石庭。

境内中央の石庭 

 奥のほうには燈籠もあって、なかなかの風情です。

庭石と燈籠 

 これは藤村ゆかりの「不染亭」前の石庭。白砂と石のバランスが見事です。

不染亭前の石庭 

 本堂前にも石庭らしきものがありますが、これはただ石が置かれているだけ。

本堂前の石庭 

 これは石より右の敷石にご注目あれ。

本堂前の石・右の敷石は瓦 

 瓦が敷き詰められています。
 瓦といえば、アジサイの小径の敷石がそう。

アジサイの小径 

 先月訪れた近江八幡市の「かわらミュージアム」を思い出しました。
     

 休憩用のテーブルと椅子も石でできています。
 なんだか冷たそうで、この時期は坐りたくない。

休憩用のテーブルと椅子 

 中院の石を取り上げたのは今回が初めてだけど、ちょっと地味だったかな。

       

 蓮馨寺に見切りをつけて喜多院へ。
 この時期は菊花展をやっているはず、と思って行ってみたらやっぱりやっていました。
 正式名は「小江戸川越菊まつり」で、川越菊花会と市内中学校の作品400点以上の菊が展示されています。

川越菊まつり・入口 

 菊に関しては先日、竹間沢(三芳町)の畑で見ましたが、これは種類も違うし、丹精してつくられた菊。

川越菊まつり・会場① 川越菊まつり・会場②

 これは菊の懸崖。
 懸崖とは断崖絶壁のことで、根よりも花が下に咲いている様子をいいます
 私はこのことばを耳にするたび卑猥な想像をしてしまいます。(理由は省略)

菊の懸崖 

 それよりもこれを利用した顔出し懸崖。
 これで写真を撮っている夫婦がいました。

顔出し懸崖で写真を撮る夫婦 

 仲良きことは美しきかな。
    

 菊で造られた富士山。いよッ、日本一!

菊の富士山 

 同展示会では川柳の展示もやってました。
 しかし、どうも当たり前でつまらん。

川柳の展示も 

 言い訳がやたらに目立つたらとれば
   
 
看護婦の笑顔とちがう注射針
    
 
すぐ詫びる癖がついてる護身術
   
 
錆びた脳オール電化で迷う指
   
 
どれもこれも今イチだなあ。
          

 菊に関しては販売用の菊花のほうが落ち着いて見られます。(鑑賞もヘチマもないから?)

菊花の販売 

 見通しの甘さをゴールがあざ笑う
      

 身につまされます。

    

 昨日(11/11)久しぶりに(1ヵ月半)川越を訪れたところ、いつになく人が多い。それどころか警察官があちこちで交通規制をしている。
 そうか、今日は「唐人揃い」の日だ。
     

 唐人揃いとは唐人(外国人)のパレード(仮装行列)のことですが、ほとんど終わっていて、見られたのは最後の埼玉エイサーだけ。

埼玉エイサー    

 そこで蓮馨寺に向かいました。蓮馨寺はパレードの終着点。
 しかしそこでもパレードの一行はバラバラ。ほとんど解散していました。
 残っているのは閉会式の使節団の方々のみ。

使節団の御一行① 

 唐人の主役は江戸時代、李氏朝鮮からの使節団「朝鮮通信使」。
 当時幕府は鎖国していましたが、朝鮮だけは別で両国間には篤い交流があり、将軍襲名などの折には、この使節団が派遣されました。

 そのコースは釜山→下関→大阪→京都→彦根→名古屋→静岡→箱根→小田原→江戸(さらに日光)というもので、川越にきたことはないのですが、川越の豪商・榎本弥左衛門が江戸でその行列を見て感激し、地元に伝えたのが始まりとされています。

使節団の御一行② 

 当時の朝鮮の衣装をつけた歌舞音曲が中心ですが、タイやベトナム、チベット、ブータン、さらにアラブの民族衣装を着た人たちの歌と踊りがくり広げられます。

民族衣装の方々 

 6年前は金順子(キム・スンジャ)韓舞楽芸術団による七面太鼓、釜山市の韓国伝統打楽器演奏チーム「南山ノリマダン」の演奏と踊りがあって、これが圧巻でしたが、最近はショボくなっている。やはり両国間の国情が反映しているのか。
   

 蓮馨寺にきて手ぶらで帰るのも口惜しいので、民族衣装の女性たちの写真撮影に便乗させてもらいました。

民族衣装の女性たち 

 悪いね。

   

2018.11.11 竹間沢の菊

 柳瀬川流域(清瀬市)の帰り、いつもなら甲州街道を通るところを、県道254(浦和所沢バイパス)から三芳の竹間沢に入りました。
 この竹間沢地区は254とは大きな段差になっていて、急な坂を上がります。
   

 このあたりは住宅地ではありますが、空き地や畑も多く、のどかなものです。
 「おや?」
 道路沿いの畑に黄色い小さな花が密集しています。

竹間沢の住宅地 

 この畑は道路の上にあり、道路から見ると目の高さに花が迫ります。
 黄色だけではなく、白あり、ピンクあり、色とりどりです。

目の前に花が迫る 

 通りすがりの老夫婦に聞くと、「菊です」
 やっぱりなあ。聞く(菊?)だけ野暮だったか。
    

 誰もいなかったので、無断で畑に上がって写真を撮りました。(畑には踏み入らず)
 菊というと葬式や菊花展などで見かける大きな玉状になった花を思い浮かべるけど、この小さな花でも菊は菊。
 壮観です。

菊の群生① 

 空き地の向こう側にマンションなどが建ち並んでいますが、あれはみずほ台の駅前通り。つまり建物は道路沿いに建てられているだけで、その裏側は広大な空き地というわけ。いかに未開の地(?)であることか。

菊の群生② 

 いいんだよ、のどかな情景で。

     

 柳瀬川は埼玉県(所沢市=北岸)と東京都(清瀬市=南岸)の県境の川であるが、金山緑地公園は北岸にありながら清瀬市の土地である、と昨日述べました。
 実はその下流側も清瀬市です。

柳瀬川左岸の土手(右岸も清瀬市) 

 振り返ると金山橋。なかなか味わいのある橋ですが、これも清瀬市の管轄。

金山橋 

 土手の下(北側)は石畳の河川敷になっています。この左(北側)は

石畳の河川敷 

 金山調整池です。ここも清瀬市の管轄。

金山調整池 

 大型カメラを構えている人たちはバードウォッチャー。カワセミを追っているとか。
   

 しばらく進むと護岸が不規則なところに出ました。
 ここまでくるともう所沢市。対岸は清瀬市です。木々の向こうに見えるのは台田団地の建物。

護岸が不規則なところ 

 川の浅瀬に立っている鳥はシラサギかな。
 カワセミと違って、サギなどバードウォッチャーからは見向きもされない。

浅瀬に立つシラサギ 

 さらに進むと橋に出ました。城前橋(しろまえばし)です。
 どこに城があるのか、って?
 これは所沢側にある滝の城(別名。本郷城)のこと。今は滝の城址公園になっています。

城前橋 

 この橋はどちらの管轄かな。
 地図で見ると境界線は橋の真ん中に引かれているんだけど。

      

 一昨日(11/07)清瀬の金山緑地公園に行ってきました。
 清瀬市はわが家からチャリで約35分、最も近い東京都です。
金山緑地公園   
 清瀬市と所沢市(埼玉県)の間を柳瀬川が流れていますが、金山緑地公園だけ川向うの所沢側にあります。清瀬市では最も広い公園で、広さ19,943㎡とか。昭和61年(1986)開園。
金山緑地公園・池   
 公園のテーマは「武蔵野の風と光」とのことで、園内にはケヤキ、クスノキ、コナラ、エゴノキなどの樹木が植えられています。
 今の時季、紅葉が見られるのではないか、と思ったのですが。
クヌギの紅葉 
 一部紅葉が見られますが、全体的には今イチかな。
左は柳瀬川 
 上流側(公園の奥)は築山になっていて、そこに向かうと、
奥へ進むと 
 ちょっと開けた場所で、そこにベンチが置かれています。
 この波打ったカーブがしゃれている。人が坐るところを提示されている?
波打ったベンチ   
 下は湿地帯になっています。木道を歩いたのですが、周囲は枯れた葦のみ。
 かなり殺風景です。
湿地帯と木道 
 ふーむ、これが「武蔵野の風と光」か。
 わびさびの境地? つくづく味わい深い。

 一次会では偶然にもテーブルに親しい人間が多く、また他のテーブルにも寄ってしゃべりすぎ、少し疲れました。
 そこで親しい人間からなるべく離れようと、奥のテーブルに座りました。(二次会の席は自由)
    
 その直後、周囲の席に座ってきたのはほとんど知らない人間ばかり。
 右隣の女性と何気ない話を交わしているうち、この人が学生時代は横浜に住んでいて、東京の大学に通っていたとがわかりました。
 しかし港方面にはあまり行かなかったそうで(勿体ない)、当時はほとんど東京に顔が向いていたといいます。大学は飯田橋のほうにあったというのですが、大学名は教えてくれなかった。
 現在は高槻市の民間の研究館にいて蝶の研究をしているそうです。
 ふーむ、そんな方が同窓生におられたとは。
       

 左隣はラグビー部主将だった男。一見コワモテで態度が大きいけど、話してみると意外に(?)読書家。話題は司馬遼太郎の「坂の上の雲」に及びました。
 するとこのテーブルには、これを読んだという人間が数人いて、
 「あれはおどろいたな。ロシア軍の勢力を弱めるために、日本の外交官がヨーロッパでレーニンと会って革命資金を渡していたというんやから」
 「するとロシア革命の裏には日本もひと役買っていたわけか」
 「そうや、敵の敵は味方という論理や」
   
 あとは乃木大将が軍人としていかに無能であったかということ。
 「これを義父母に話したら烈火のごとく怒られた。『乃木さんはそんな人やないッ!』と」
 という人もいたりして、しばしこの話題で盛り上がりました。
 「なんや、みんな読んどるやんけ」とラグビー部の主将。

同窓会・会場④(友人のスマホ撮影) 

 そのうちこの男が左隣の男(当時は軽音楽をやっていて今は獣医)と話すようになり、「あいつは、しらこいやっちゃ」ということばが出ました。
 初めて聞いたことばだったので、「『しらこい』って何や」と聞いたところ、
 「えッ、『しらこい』知らんのか。キミはほんまに京都の人間か」
 「一応、出身は京都やけど、初めて聞いた」
 これには右隣の女性も、「私も初めて聞きました」
       

「うーん、シラこいというのは、小ずるいというか……」
 とラグビー部主将がいいよどんでいたところ、獣医が「白々しい、というのが近いんやないか」
 「そうやな、いずれにしてもあんまりいい意味では使わん」
            

 あとで調べてみると、「シラこい」は一部の関西で使われていることばで、やはり「白々しい」という意味らしい。
 この齢になって初めて知りました。
 蝶の話や「坂の上の雲」談議もあって、二次会も非常に面白かった。
 同窓会はやはり若返りの薬?

      

 会が始まる前、ロビーで和服姿の小柄な女性を見かけたので、声をかけました。「おう、きてたか」
 「あ、どうも、その節は」
 この人は3年前、小学校の同窓会にきてくれた元脚本家(?)女子。
 小中学校の同窓生名簿では消息不明で、一部では死亡説もささやかれるほどでしたが、なぜか高校の名簿では把握されており、そこから連絡がつきました。
       

 私が勝手に脚本家女子と呼んでいるのは、小4のときクラスの学芸会で彼女が書いた脚本で演劇をやり、大受けしたからです。
 ところが彼女はまったく覚えてない。「ええッ、私、そんなん書いたん?」というばかり。
 「なんや、書いた当人が覚えとらんのか。あの『ちえの王様』、あれはよかった」
 「どんな話やった?」
 そこでストーリーを話しました。
       

 要約すると、某国の王様がある日わずかな家来とともに城から離れ、山歩きを楽しんでしたところ、山賊に捕まり身ぐるみ剥がされてしまう。腰にさしていた笛まで取られそうになったので、「待て、これはお前たちが手にしても意味はない。私が吹けば美しい音色で気分がよくなる。一曲吹いて進ぜよう」と♪ピ~ヒャララ~。ところがそれは王様の危機を伝える合図の曲で、それを聞きつけた親衛隊が駆けつけ、王様が助かるという話でした。
 私はこの話が面白く、わが子が小さいころ、絵本の読み聞かせのついでに話してやったこともあります。息子は「ちえのおおさま」といってよろこんでおりました。

同窓会・会場③(友人のスマホ撮影)    

 それでも当人は「そんなん書いたんか、私」と半信半疑。
 「それどころかキミは消息不明で、死亡説も出てたんやで」
 「そうやてなあ、びっくりしたわ」
     

 小学校の同窓会ではスピーチした際、「私、長い間、行方不明者にされておりました」といって笑いを誘いました。
 そのときの録画を見ると、別の席から「よう調べはったな」との声。
 幹事の私の労をねぎらうことば(?)だと思われますが、「調べた」というほどのものではないので片腹痛い。
         

 それいらい彼女は同窓会好きになったのか、昨年の中学の同窓会にも出席しました。
 そのときは2年ぶりにKと再会し、抱き合わんばかりのよろこびようでした。
 「近所やったんや。しょうちゃん(Kのこと)のお母さんからお菓子、ようもろた」
 彼の家は菓子屋でした。
 Kと私は長年の友人ですが、そんな話は一度も聞いたことはなかった。
      

 「今日はしょうちゃんは?」と聞くので、
 「あいつは府立の電気工業科へ行ったから、高校は違うぞ」
 「ええッ、そうやったん」
 がっかりした様子でした。
 そんなに仲がよかったとは。
     

 Kは学力も高かったけど乱暴なところもあって、男子には人気があったけど、女子には……?と思っていたけど、近所だったこともあって、けっこう仲がよかったのだ。
 友人の別の面を見た気がしました。



 ふーむ、この人も亡くなったのか……などと同窓生の近況報告欄を見ていると、「おッ、久しぶり。元気やったか」と声をかけてきた人物。E君です。
 この人物とはそれほど親しくはなかったけど、控えめで、穏やかな性格でした。年を取るとこうもフレンドリーになるのか。
    

 彼は冊子の出席者リストを見ながら、「あれッ、これは誰や。キミ知ってるか」
 彼がチェックしているのは女子ばかり。
「一応知ってるけど」と答えると、「それなら紹介せえ」
     

 仕方なく女性に声をかけて、「E君があなたとお話ししたいといっております」と仲を取り持ちました。
 彼は上機嫌で、「Eです。多分ぼくのことは覚えてないと思いますけど、たしか〇〇先生のクラスでしたよね」とテキトーな(?)ことをペラペラ。相手は呆気に取られながらも話を合わせてました。それでも笑顔が見られたのは、面白かったから?
    

 こちらも面白くなって、懇親会が始まってからも他のテーブルで談笑していたAさんにも声をかけました。
 彼女は1年のとき同じクラスで可愛い子だなと思っていた(今でも)女性。E君とは出身中学も違うし、クラスも違い、接点はない。
 そのため「Aさんですか、ぼくEです」と話しかけられた当初は明らかに当惑気味。
 しかし彼が同窓生の名前をいろいろと列挙しているうち、「その人知ってる」ときっかけができると、「ぼく、その人と親しかったんや」と話がつながり、盛り上がっていく。
 そのうち彼女も笑い出し、E君をぶつ仕草をするほどの打ち解けぶり。

同窓会・会場②(友人のスマホ撮影)      

 その後も6~7人の女性に声をかけ、そのたび女性から笑いが洩れました。
 なんというヤツだ。E君のあまりの調子の良さに呆れました。典型的なお調子者。
 彼とは中2のとき同じクラスでしたが、当時は(人柄はよかったものの)おとなしくて目立たない人物でした。それが年取ってこんな男(ジジイ?)に変身するとは。
    

 しかし彼と女性とのやり取りを観察していると、これは単なるお調子者ではない。
 人をそらさない話術を心得ていて、当意即妙のユーモアで笑わせる。しかも自分が褒められているような気がして、楽しくなってくる。これぞ会話のファンタジスタ?
     

 あとで別の友人に、「あいつ、あんな性格やったか」と聞くと、「いや、若いころはあんなヤツではなかった」と首を傾げました。
 若いころはおとなしくて控えめだった男が、何のきっかけであんな風に変わったのか。
 営業職で鍛えられた?
 しかし「いや、ワシも営業やったけど、あんな風にはならんぞ」という人もいて、はっきりしたことはわからない。
   

 E君のナンパ行動(?)は懇親会でも目立ったようで、会の終わりになってとうとう次期幹事に祭り上げられました。
 彼は快く引き受けたけど、副幹事に私を指名。女性たちを仲介した労に報いたつもり(?)かも知らんけど、関東在住だから幹事会などには動けないぞ。
 「まあ、いろんな人間がフォローする必要があるな」と同じく副幹事に指名されたN氏(滋賀県の郷土史家)はいうのですが。

      

 先月の5~7日の間、関西へ行っていたのは6日(土)同窓会があったからです。
 同窓会には関西に住んでいる友人と会う楽しみもありますが、この齢になるとばたばたと同窓生が亡くなっていくので、残された者同士の生存確認と互いに励まし合う意味があります。
   

 さらにいうと、同窓会は「若返りの妙薬」です。
 懐かしい人と再会し、昔を思い出すことによって失われた回路が復活し、脳が活性化する。このことはアメリカの心理学者の臨床実験によって立証されています。(デイパック・チョプラ「エイジレス革命」講談社)
 したがって同窓会は、会費、交通費を支払ってでも行く価値はあります。
     

 私の場合は関東からの出席で、ちょっとした旅行になりますが、どうせ行くなら他の場所にも行ってやろうと、5日は近江八幡、7日は大津に寄ってきたというわけです。
      

 今回出席したのは高校の同窓会で、場所は御所・蛤御門向かいの「ガーデンパレス」。
 出席者は60名。前回(2年前)より5名少ない。年々少なくなっていくのか?
 私の母校は男女共学の公立校で一学年600名だから、出席率は10分の1。70過ぎともなればまあまあの数字ではないか。

同窓会・会場①    

 受付をすませて、もらった同窓会の冊子に何気なく目を通しました。同窓生の近況報告です。
     

 京都の北白川で画廊を経営していたM君。
 この人は奥さんとブログをやっており、展示会の案内や感想などを発表していましたが、今年3月に他界しました。これは奥さんのブログで知っていました。
     

 大阪市在住のT君。
 2年前の同窓会の二次会で同席しました。在校生のときは接点がなく、話したのはほとんど初めてでしたが、家は意外に近く、共通の友人もいて話が弾みました。
 ところが奥さんから電話があって、「昨年8月に癌が発見され、闘病わずか3ヶ月、11月に他界しました。幹事をお受けしていたのにお役に立てず、大変申しわけなく思っています。本人も残念だったと思います」とのこと。
 2年前はあんなに元気で明るかったのに。
       

 横浜市在住I君。
 今年の2月17日、御茶ノ水「ガーデンパレス」で行われた関東部会に出席した際、スピーチで「3ヶ月前、胃癌の手術をしたばっかりです」といった人。
     

 そのときはわからなかったのですが、後日送られてきたフォトブックを見ているうち、「あのI君ではないか?」という思いが沸き起こってきました。
 名前を確認し、卒業アルバムを見るとまさしくぴったり。
 彼は1年のとき同じクラスで、親しくはなかったけど、なかなかの好人物で責任感もあり、学級委員を務めていました。
 その年の12月、私の父が他界したとき、クラスを代表して担任と一緒に葬儀にきてくれたのも彼でした。あのI君だ。全然気が付かなかった。
 なんたる迂闊。今度会ったらあのときの礼をいおう、と思っていたのですが……。
   

 近況報告欄。「現在闘病中ですが、ケセラセラ、なるようになるです。皆様によろしく」とのご返事をいただきましたが、9月12日にご逝去されました(幹事)とのこと。
     

 愕然としました。
 2月に会ったときは杖をついてはいたけど、表情も明るくて元気だったのに。
 これでお礼をいうことはできなくなった。
 この齢になると、「今度」はない。このことを改めて痛感させられました。

      

2018.11.04 未知なる鎌倉

 源頼朝の墓は荏柄天神社の西隣にあります。
 これが墓の入口。頼朝の墓はこの石段を登ったところにあります。

頼朝の墓・入口 

 ちなみに右の歌碑には、
   

 君出でて民もしづまり九重の 塵もおさまる世とはなりけり
   

 との歌が刻まれています。これは国学者・大森金五郎の作。
    

 このあたりは昔「法華堂」という頼朝の墓所があったのですが、明治政府の神仏分離令によって法華堂は取り壊され、今は「白幡神社」になっています。
 これが白幡神社の境内。(上の写真の左側)

白幡神社 

 石段を登ったところに頼朝の墓があります。
 この石塔は安永8年(1779)、薩摩藩主・島津重豪が建てたものだそうです。
 鎌倉幕府を開いた初代将軍の割には意外にひっそりした印象を受けました。

頼朝の墓 

 歴史のことはよくわからないけど、これは頼朝の死(諸説あり)、その後執権となった北条氏との関係性によるものではないか。
    

 歴史には謎が多く、未だに解明されないことが多いけど、今回鎌倉へきて、まだまだわからないことが多いと思いました。
    

 鎌倉といえば「紫陽花の寺」として、有名どころを何度も訪れています。
 鶴岡八幡宮、鎌倉大仏などの歴史遺産、七里が浜、由比ヶ浜、材木座海岸などの海岸線、天園、葛原ヶ丘などのハイキングコースも歩きました。
 ある程度鎌倉のことは知っているつもりでした。
    

 しかし今回、天園から瑞泉寺に下り鎌倉の東地区を歩いてみて、初めて知ったところもありました。永福寺跡や報国寺がそうです。(報国寺は有名なので笑われるかもしれませんが)

金沢街道     

 報国寺に関しては鎌倉宮参道の食堂の女性店主に教えてもらったものであり、またここで雑談に加わってきた常連らしき老人から「源氏山ハイキングコースというのもあるよ。ここの展望台もなかなか眺めがいい」と教わりました。
 地図でいうと金沢街道の南側、鎌倉市の東南部はまだまだ未知なる地域です。
鎌倉はまだまだ奥が深い。

若宮大路・段葛 

 鎌倉といえば若宮大路や小町通り、何度も訪れていますが、ここへは何度訪れても「鎌倉を知ったことにはならない」と改めて感じました。

     

 荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)にも寄りました。
 ここは学問の神様である菅原道真公が祀られていて、太宰府天満宮、北野天満宮とともにに三天神社とされる神社です。
 荏柄天神社に向かうには、この2本の木の間をくぐっていくのが本道らしい。

先ずは木の間をくぐる 

 一の鳥居。

荏柄天神社・一の鳥居 

 長い石段を登ると、

長い石段 

 荏柄天神の本殿です。
 ここは長治元年(1104)源頼朝が鎌倉幕府を開く際、鬼門の方向の守護社として社殿を造営したのが始まりとか。

荏柄天神社・本殿 

 境内には横山隆一などの漫画家が建立した絵筆塚があります。
 これには清水崑をはじめ154人の漫画家によるカッパのレリーフが付けられています。

絵筆塚 カッパのレリーフ

 この奥に鳥居があるので、石段を登ってみると小さな祠に突き当たりました。熊野権現社です。
 祠は2ヶ所あって内部でつながって通り抜けできたそうですが、今は立ち入り禁止。

熊野権現社 

 この荏柄天神に関しては浅からぬ因縁があって、30年ほど前、瑞泉寺から天園を登って建長寺へ下りようとしたところ、道を間違えて下りたところがこの荏柄天神でした。
 今はハイキングコースの入口はなく、なぜ塞がれたのかは不明です。
   

 このように荏柄天神社は謎の多い神社です。

     

2018.11.02 報国寺の竹林

  杉本寺を出て、その南にある報国寺に向かいました。
 先ほど寄った食堂で、「報国寺の竹林は素晴らしいですよ」と勧められたからです。

報国寺・山門  

 報国寺は臨済宗建長寺派の寺院。山号は功臣山。本尊は釈迦三尊。
 同寺は建武元年(1334)天岸慧広の開山によって創建されたと伝えられ、開基は足利尊氏の祖父足利家時とも上杉重兼ともいわれています。

報国寺・枯山水   

 山門を入ったところに枯山水の庭があり、これがなかなかの風情。
 境内・本堂までは無料ですが、その奥は有料(200円)。

報国寺・本堂    

 この奥こそが鬱蒼たる竹林。その数約2000本とのことで、「竹の寺」といわれるだけのことはあります。

鬱蒼たる竹林   

 この竹林には茶室があり、ここで茶を飲む(有料)のもよし、

竹林の茶室    

 通り抜けるのもよし。(当方は通り抜けました)

竹林の向こうには…   

 通り抜けたところに、横穴墳墓(崖に彫られた墓)が見えます。
 これは永享の乱(永享10年=1438)で敗れた足利氏の墓で、この寺で自刃した義久(10歳)の墓もあるそうです。

横穴墳墓   

 こうしてみると、ここは関東に於ける足利氏終焉の地でもあります。
 単に竹を愛でるだけの寺ではなかった?

   

 食堂をあとにして、杉本寺に向かいました。
 同寺はバス通り(金沢街道)に出て、東の方向(金沢八景)に少し歩いたところにあります。
 石段を上ります。

杉本寺・入口の石段 

 途中、「大蔵辨財天」があります。
 これは社(やしろ)ですが……。

大蔵辨財天・社 

 弁天堂は洞窟のなか。ありがたや、ありがたや。

大蔵辨財天・弁天堂 

 杉本寺はさらに急な石段を登ります。

さらに急な石段を登る 

 ここは8世紀(奈良時代)に、奈良の大仏造営に貢献し、貧民救済にも身を尽くした行基によって建立された、鎌倉最古の寺。(同寺の説明書き)
    

 HPによると、ご本尊は734年・行基作、851年・慈覚大師円仁作、985年・恵心僧都源心作の三体の十一面観音であるとのこと。
 しかも火災が起こったとき、ご本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けたので、「杉の本の観音」と呼ばれた、と「吾妻鏡」に伝えられているそうです。
    

 杉の本の寺だから杉本寺(すぎもとでら)。そのまんまやないか。
 私の敬愛する滋賀県の郷土史家N氏によると、
 「原則としてお寺は音読み、神社は訓読みや。浅草寺は『せんそうじ』と読み、浅草神社は『あさくさじんじゃ』と読むやろ。ただし物事には例外がある」
 ということで、ここはその例外らしい。(「さんほんじ」とは読まない)

杉本寺・本堂 

 ちなみにこの杉本寺、無礼で、信心なき者がこの前を馬で通ると、必ず落馬するというので、建長寺開山の大覚禅師が祈願し、自らの袈裟で十一面観音覆ったところ、落馬する者がなくなったといいます。ありがたや。
 これより御本尊は秘仏とされたとか。
     

 それかあらぬか、ここのお堂のなかはすべて撮禁。
 仕方なく、ここから見る鎌倉市内の景色を撮りました。

杉本寺境内から見る鎌倉の市街地 

 実はここも6年前にきて、由緒は仰々しいけど景観的にはつまらない寺だ、と思ったのですが、今回は大蔵辨財天を観たことが収穫だったかな。