アジサイはそろそろ終わりなので、見納めの意味もあって先日(06/23)彩翔亭に行ってきました。
  

 彩翔亭とは所沢・航空公園のなかにある和風庭園で、築山、池、滝、竹林……が配されて、なかなかの風情があります。

茶室横のアジサイ   

 アジサイは茶室の周辺と、

茶室手前のガクアジサイ   

 四阿の周辺。

四阿とアジサイ  

 とくに四阿の上から見る景色はなかなかのもの。

四阿の上から   

 あとは築山周辺。

築山に上る石段 

 ここは名所というほどのものではないけど、知る人ぞ知るで、数人の人が訪れます。
  

 今年は鎌倉へは行けなかったけど、このアジサイでよしとするかな。
     

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 昨日のレトロビルのすぐそばに水上署があり、その裏は西岩壁です。
 ここにマーメイド像があります。

マーメイド象   

 実物の5分の4の大きさで、デンマークのコペンハーゲン港と大阪港の文化交流のしるしとして平成7年(1995)に寄贈されたものだそうです。
     
 その北には遊覧船の船着き場などがあって、その先は北2号岩壁。

北2号岩壁   

 このあたりは「サンセット広場」と呼ばれる夕陽の名所。

サンセット広場    

 ちょうどサンタマリア号(観光クルーズ船)が入ってくるところでした。

 サンタマリア号の入港(サンセット広場より)   

 時刻は夕暮れどき。夕陽を受けてサンタマリア号の帆柱がシルエットになって見え(?)ます。

サンタマリア号  

 これなら人の姿もシルエットになって見えるのではないか。
 当方には3年前の11月、ここより南西のATC海岸で撮った夕暮れの思い出があります。

ATC海岸にて(3年前の11月)       

 しかしここは若い男女が岸壁にいるわけではなく、年配のオッちゃんが釣り糸を垂れているのみ。
なにが釣れるんですか? と聞いたら、「タコじゃよ。わっはっは」
(ホンマかいな)

釣りをするおじさん   

 この日はきれいな夕焼けが撮れずに終わったけど、こんなこともあるよ。

貨物船    

 でも横浜や横須賀の海岸では見られない光景を撮れたことでよしとするか。
      

 「おや、このビルは?」
 壁に蔦が絡まって独特の風格がある建物。
 昭和8年(1933)に建てられた商船三井築港ビル(旧大阪商船ビル)です。

商船三井築港ビル   

 船会社の施設として建てられとのことで、外観はどこか船を思わせるとのことです。
  

 そして商船三井築港ビルと背中合わせに建っている天満屋ビル(天満屋回漕店)。
 角に丸みがあり、ガラス戸が大きくとられているのが特徴です。
 建てられたのが2年後の昭和10年(1935)。

天満屋ビル 

 当時はともに3階建てのビルでしたが、その後道路そのものが嵩上げされ、当時の1階部分は半地下になり、中2階から入る構造になりました。
  

 その中2階には喫茶店。
 ちょうど喉が渇いていたので、上がって珈琲を頼みました。

喫茶店に上がる階段 

 店内の窓からは通りが見えます。先ほど当方が撮っていたあたりが目の前に。
 おッ、こっちを撮っている人がいる。「おーい」
 手を振ってやりました。

喫茶店から外を見る 

 珈琲が運ばれてきました。
 ン? カップには取っ手がない。茶の湯のようにカップを両手で持って飲みました。
 柄にもなく(?)風流人になった気分。味もよかった。

運ばれてきた珈琲 

 店内も木を主体としたレトロな雰囲気。なかなかの風情です。

木を主体とした店内 

 戦前に建てられたふたつのビルがこのように現存しているのは、大阪では珍しいことだそうですが、この喫茶店はいつまでも残ってほしいと思いました。
  

 梅雨に入るコーヒー美味き店ありて

 赤レンガ倉庫といえば、ふつうは横浜を思い浮かべますが、大阪にもあります。
 築港赤レンガ倉庫といって、築港の南東部(住所は大阪市港区海岸通2丁目)。
 横浜と同じ2棟の倉庫で、大正12年(1923)、住友倉庫によって建設されました。2棟の間と両脇には大阪臨港線が走っていたそうです。

赤レンガ倉庫の裏側   

 その赤レンガ倉庫も平成11年(1999)に倉庫としての役目を終え、管理も住友倉庫から大阪市に移管され、閉鎖されました。3年前(2014年11月)通りがかったときは工事中でした。

3年前の赤レンガ倉庫    

 「あの赤レンガ倉庫はどうなったのだろう」
 先日(06/10)天保山のついでに寄ったところ、倉庫の周囲に外車が並んでました。
 なにか新しい商業施設になったのかな、と入口付近を撮っていたところ、係の人がすっ飛んできて、
 「ここは有料施設なので、これ以上は困ります」
 「有料施設って、いくら?」
 「800円です」

赤レンガ倉庫・入口 

 ここは「GLION MUSEUM」といってクラシックカーが展示されているとのこと。
 入場料800円は、これでも安くなったそうで、以前は1500円だったとか。
 車に関してはそれほど興味がない(800円に見合うか?)のでやめました。
 横浜は無料だぞ。クラシックカーの展示はないけど。

外から見た赤レンガ倉庫 

 その裏側は岩壁。第一岩壁(築港の南東部)
 ここは築港再開発地区といって、プロムナードと階段状の親水護岸。

階段状の親水護岸 

 向こうには赤い橋梁の長い橋が見えますが、これは湾岸線・港大橋。
 なかなかの見ごたえです。

湾岸線・港大橋   

 当方にとって築港赤レンガ倉庫はどうでもいいかな。
    

 はっきりした境界線はないのですが、葵庭苑までくると、東照宮というより喜多院の敷地。
 しかし喜多院がアジサイの名所であるとは聞いたことがない。
  

 とはいえ、ひと通り境内を見回してみると、多宝塔の裏に色とりどりのアジサイが咲いていました。

多宝塔裏   

 アジサイに限らず花の名所とは、花+αの魅力あってこそ。
 その意味では多宝塔が背景だと、シチュエーション的には申し分ない。

多宝塔裏のアジサイ   

 この奥には茶店があって、その奥は五百羅漢。隠れたアジサイの名所?

多宝塔裏(向こうは茶店) 

 喜多院を取り上げたからには中院も。
 というより中院は昔からカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)が有名。

中院・アジサイ   

 カシワバアジサイは球状に咲くふつうのアジサイと違って円錐状(花の構造はアジサイ)。葉っぱが柏の葉に似ているところからこの名がつけられました。
        

 その柏葉紫陽花は境内の一隅「アジサイの小径」(?)にちょろり。
 初めてここを訪れたのは6年前ですが、年々ショボくなっています。

中院のカシワバアジサイ 

 これには中院なりの事情があるのかもしれないけど、部外者にとっては知りようもない。
   

 踏み入れば白きあじさゐ老ゐの庭
   

 あちこちでアジサイが咲いていますが、川越でアジサイの名所といえば仙波東照宮ぐらいしかない。

仙波東照宮・参道のアジサイ 

 ここは随身門から入った参道沿いにアジサイが咲いており、これがなかなかの圧巻。

仙波東照宮・随身門  

 アジサイの向こうに鳥居が見えるという光景が気に入りました。

鳥居前①  

 場所によってはいろんな色のアジサイが見られます。

鳥居前② 

 しかし観光客は少ない。平日の所為なのかパラパラ。
 茶店も閉まっているし。

鳥居前③   

 茶店の前を通って葵庭苑へ。
 ここも色とりどりのアジサイが見られるのですが、今年は咲きが悪い。
 去年はもっと咲いていたのに。

葵庭苑のアジサイ  

 今年の5月は雨が少なかったから?
 ふーむ。
     

 山崎公園の花菖蒲にはがっかりしたので、昨日は狭山環状有料道路を通って智光山公園に行ってきました。
 ここには花菖蒲園があり、6月には150種、2600株の菖蒲が咲くそうです。

智光山公園・花菖蒲園①  

 行ってみると、なるほど菖蒲田にはたくさんの花菖蒲が咲いている。

智光山公園・花菖蒲園②   

 ここは先日(05/30)バラを見に行ったついでに寄ったのですが、このときは二、三輪フライング気味なのが咲いているだけで、大半はまだでした。

 ここは山崎公園と違って背が高く、種類別に並んでいるわけではない。かなりワイルドな植えられ方。ふーむ、これもありか。

花菖蒲 

 ざっと見た限りでは山崎公園よりこちらのほうが規模が大きいと思うけど、発表されている数で比較する限り山崎公園は60種、5000株。ほんとかなァ。

智光山公園・花菖蒲園③ 

 ちなみに智光山公園にはこの花菖蒲園の他に、南東の駐車場脇にも菖蒲田があり、そこでも数種類の花菖蒲がワイルドに咲き誇っていました。

九頭竜池近くの菖蒲田  

 花菖蒲の見せ方としてこれでいいのか。
 5年前の山崎公園の菖蒲田を見ているだけに、気になります。

 このところ大阪が続いたので、たまには地元の話題を。
 ということで、先日(06/17)富士見市の山崎公園に行ってきました。
  

 ここは別名「せせらぎ菖蒲園」といわれるほど花菖蒲で知られた公園で、6月になると菖蒲田一面に色とりどりの花菖蒲が咲きます。

山崎公園・菖蒲田①   

 その菖蒲は江戸系、肥後系、伊勢系、外国系など約60種、5000株もの花菖蒲が植えられているそうです。
  

 私は毎年この時期になるとここを訪れていますが、年々ショボくなっている気がします。
 最初に訪れたのが5年前(2012)
 このときは数多くの花が各列整然と咲いていて、「肥後系・蘆生の夢」というように名札がつけられていました。

花菖蒲の列   

 しかし2年後、俳句の仲間ときたとき、名札はなく、列も乱れていました。
 友人は初めて見たので「見事だねえ」と感心していましたが、当方には「2年前はもっとよかったのに」という口惜しい思いでいっぱい。

山崎公園・菖蒲田② 

 今年は菖蒲の列が乱れているだけではなく、花の数もショボい。
 明らかに富士見市は手を抜いている。
 むろん、これだけでも手入れは大変なのでしょう。
 しかしいいときを知っている者にとっては年々失望感を拭いきれない。

花菖蒲  

 来年もこんな感じなのでしょうか。

 天保山の南西は天保山マーケットプレイスという商業施設ですが、ふだんひっそりしている岸壁には大勢の人。
 なにかイベントでもやっているのかな、と思ったら、停泊している軍用(?)鑑を見学できるらしい。

 その船とは海上自衛隊の護衛艦しまかぜ。

間近で見る護衛艦しまかぜ

 さっきからあちこちで自衛官の姿を見かけたのはそのためか。

乗船タラップ  

 列は順序良く進んでいくのですが、途中手荷物検査などのチェックを受けました。
 手持ちのペットボトルの水もひと口飲まされました。

しまかぜ操舵室   

 日ごろ厳しい訓練を受けていると、上司以外の人に対してはどうしても態度が荒っぽくなりがちだけど、みんな丁寧で人当たりがいい。

しまかぜから見る天保山マーケットプレイス   

 タラップから甲板に上がり、さらに上に昇るとほとんど兵装部分。
 なにしろ護衛艦だからね。横浜で見る氷川丸や日本丸とは大違い。

ミサイルランチャー  

 ミサイルや速射砲の説明も受けました。

5インチ単装速射砲(実際には発射されなかった) 

  具体的な敵国名は出なかったけど、戦闘的な某国からいきなり攻撃を受けたら、このような兵器で防衛するのもやむを得ないのではないか、そんな気になりました。

護衛艦しまかぜ・全景 

 大坂のウォーターフロント・築港(ちっこう)にやってきました。
 この北側に天保山公園という小高い丘があるのですが、実はこれ、天保山というれっきとした山、しかも日本一低い山だそうです。

天保山公園 

 公園の北に「天保山々頂」の表示。

山頂の表示(向こうは天保山渡船場)  

 さらに「日本一低い山」「大阪・天保山山頂/4.53m」とあります。

標高の表示  

 そして手前の敷石のなかにある×印。これが山頂の三角点です。
 3年前ここへきたとき、公園整備のおじさんに教えてもらいました。

敷石のなかに山頂の三角点が 

 天保山は天保2年(1831)安治川の川浚(さら)いをした際、その土砂を河口に積み上げてできた築山のことで、当時は20mほどの高さがあったのですが、幕末には砲台が築かれ、さらに戦後になって地下水のくみ上げで地盤沈下が起こり、現在では標高4.53m。「日本一低い山」になりました。(実際は2位)
 

 この天保山はできた当初、夜間航行の便をはかって高灯籠を設けるなど、船舶入港の目印とともに遊興地としても整備され……冬の雪見、夏の遊船や和歌俳諧の会合など遊覧船で賑ったそうです。

昔の天保山風景図 

 公園入口にはその解説とともに「浪花天保山風景」の絵が掲げられています。

 中之島公園といえば中央公会堂。
   

 レンガ造りのネオ・ルネッサンス様式で、地上3階・地下1階建て。

正面   

 大正7年(1918)、実業家・岩本栄之助の私財寄付(100万円=現在の貨幣価値にしておよそ数10億円)により建設されました。
 しかし岩本栄之助は株の取引きで失敗し、建物の完成を見ることなく、39歳で自らの命を絶ちました。

東入口  

 「展示室」には岩本栄之助の銅像があり、その生涯が解説されています。

展示室   

 同公会堂は平成11年から約4年にわたって耐震と保存・再生のための改修工事が行われ、創建時の意匠に復元され、平成14年(2002)11月リニューアルオープンしました。

煙道   

 余談ですが、初めてこの中央公会堂を訪れたのが6年前。
 ひと通り観終わって御堂筋に出たとき、「あのう、中央公会堂はどこですか?」
 女子高生に道を聞かれました。

3階の中集会室  

 もちろん親切に教えてあげたけど、選りにも選って初めて行ったヤツに聞くなんて。
 根っからの大阪人と思われたかな。
 思わず笑いがこみ上げました。
     

 大阪市北区の堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島公園。
 東西約3km、面積723,266㎡の細長い中洲です。

市役所前のプロムナード   

 大阪市役所から東へ行くと大きなバラ園があるのですが、(初夏のバラは)もう終わっていました。残念。

バラ園 

 その代わり、所どころにアジサイが咲いていました。
 これはこれで風情があります。

アジサイ(背景は天神橋)  

 東端は天神橋。
 その北詰から東側の沿岸沿いに南天満公園があります。

南天満公園 

 「おや?」
 小さな子どもを背負った少女の像。
 これは「天満の子守歌歌碑」とのことで、
      
 ♪ねんねころいち 天満の市よ
 大根揃へて舟に積む 
 舟に積んだら どこまで行きゃる……
      

 という歌詞が書かれています。
 なつかしい浪速の歌として今も伝えられている子守歌だそうですが、当方はまったく知らなかった。

子守歌の碑

 横浜の山下公園には「赤い靴はいてた女の子像」があるけど、ここは子守歌の像。
 もの悲しいということでは共通点があるのかな?

 所沢の観光案内に、アジサイの名所として所澤神明社が記載されているので早速行ってきました。
 うーん、アジサイは境内のあちこちに咲いているけど、鎌倉のアジサイ寺のように境内一面に咲いている光景ではなかった。
   
 例えば鳥居の脇に。

鳥居の脇に    

 拝殿に向かう石段の脇に。

拝殿への石段の脇に    

 これを角度を変えて見るとこうなります。

石段の脇のアジサイ    

 ちなみに拝殿はこんな感じ。

拝殿   

 人形殿の手前にも。

人形殿の前にも   

 人形殿とは供養された人形が納められているところ。(廃棄所ではない!)

供養された人形    

 トイレの傍にもガクアジサイが。念の入ったことで。

トイレの傍にもガクアジサイが   

 ご利益の篤き厠の濃紫陽花

 大宮公園にも足を延ばしました。
 ここの第二公園、梅林の裏にアジサイ園があります。
 その数、なんと800株とか。

大宮公園・アジサイ園①   

 ここのアジサイは丈が長い(背が高い)のが特徴。

背が高いのが特徴   

 ときにはアジサイから見下ろされているような格好に。

大宮公園・アジサイ園②  

 それもまたよし。

大宮公園・アジサイ園③  

 アジサイが咲いていればいいのです。

ガクアジサイ 

 老師きて紫陽花に身を潜めをり
  

 やつれた姿と会いたくなかったもので。
         
 ※本日(06/10)より関西旅行しているため、これは予約投稿です。もどってくるのは6月14日(水)の予定です。


 私の住まいから治水橋(荒川)を渡って大宮に向かう途中に足立神社があります。

足立神社・鳥居   

 この神社は平安時代からあったそうですが、ここの魅力はなんといってもアジサイ。
  

 シーズンになると境内(アジサイ園)には色とりどりのアジサイが咲きほころびますが、まだ早い(06/09)のか、白いアジサイが多い。

あじさい園①   

 白いアジサイでは円錐型のカシワバアジサイ。あるいはアナベル。
 あとはブルー、紫、ピンク。

あじさい園② 

 この色に関しては土のpH(ペーハー)度によって変わるものらしく、アルカリ性だと青、賛成だと赤、まるでリトマス試験紙のよう。

あじさい   

 しかし一株でブルーの花もピンクの花も咲いているアジサイを見たことがあります。
 あれはどうなんだ?
      

 アジサイの話はそれぐらいにして、ちゃんと拝殿にもお参りしてきました。

足立神社・拝殿 

 紫陽花に病後の老師よろめきぬ
          
 とんだところで老師の姿を見たのですが……。

     

 菓子屋横丁の南に長喜院という寺があります。

長喜院・山門   

 曹洞宗のお寺で天文19年(1550)に創建され、山号は冷月山。

長喜院・本堂   

 地味な寺ですが、本堂の正面左、沙羅の木の下にある像にはちょっと驚かされます。

長喜院・境内   

 これは「苦行の釈迦像」といって、悟りを開くために精進する姿だそうです。
 目は落ち窪み、骨と皮になって、あばら骨が浮き出るほどの凄まじい姿です。
 のちに苦行から離れた釈迦は菩提樹の下で座禅して悟りを開いたとのこと。

苦行の釈迦像   

 「開悟の後、人の幸せの道を説く」(立て札)
 ふーむ、人に幸せを説くにはここまで苦行しなければならんのか。
   
 この像はスリランカの彫刻家ソーマ・パーラーの作で、本物はインドのラホール美術館にあり、ここにあるのはレプリカ。とはいえなかなか迫力があり、見るものを圧倒します。
   
 涅槃の夜静かに開く沙羅の花
   
 
私の句ではありませんよ。
 沙羅樹にかかっていたもので、「ああ、そうですか」という句です。悪いネ。
 
   

 菓子屋横丁の西北、高沢橋のたもとに公衆トイレがありますが、その上にあるのが六塚稲荷神社。

六塚稲荷神社・鳥居と拝殿   

 
 解説によると、ここは室町時代、太田道真(太田道灌の息子)がここにあった6つの塚を壊して稲荷神社を建てたところから六塚稲荷神社と呼ばれるようになったとのこと。
  

 しかし境内には四塚稲荷の祠があり、

こちらは四塚稲荷神社   

 他にも琴平神社、三峰神社、八幡神社の祠もあるのだから、わけがわからん。

左から琴平神社、三峰神社、八幡神社 

 本殿は拝殿の裏側にあります。
 なるほど、両側を狐が守っている。

拝殿の裏にある本殿  

 本殿の建立は文政2年(1819)
 現存する祠としてはかなり古いもので川越市の有形文化財に指定されています。
  

 昔はここが新河岸川(当時は赤間川)からのランドマークだったとか。
 なるほど、境内から新河岸川が見下ろせます。

境内から新河岸川を見る   

 この本堂、野ざらし状態でかなり風蝕が進んでいるとのこと。
 川越市の有形文化財とはいっても、保存に関してはどうでもいい?
  

 阿弥陀堂野ざらしのまま梅雨に入る
  

 川越の菓子屋横丁は誰でも知っている観光地ですが、その周囲にはあまり知られてない寺社がたくさんあります。
  

 菓子屋横丁の西にある見立寺(けんりゅうじ)川越七福神の布袋様の寺院です。
 境内に入ると我われを迎えてくれるのが「旅立ちの法然さま」

見立寺・入口   

 美作国(岡山県)の武家に生まれた勢至丸は9歳のとき、土地争いで夜襲を受け父を失いますが、父の遺言「決して敵を討つなかれ。出家して悟りの道に進め」を守り、4年間岡山で修業し、京の比叡山へ旅立ちました。そのときのお姿だそうです。
 聡明で凛々しいそのお姿は当方の13歳当時にそっくり。(誰だ、遊び呆けてヘラヘラしてた、というヤツは)

法然さま・13歳当時のお姿   

 同寺の由緒はちょっとややこしいのでざっくり説明すると、建立は永禄1年(1558)。当初は建立寺と名づけられたが、のちに見立寺と改めた。
 その後、蓮馨寺が門前に移ってきて、存貞和尚が両寺を兼務した時代もあったが、その後、見立寺がここに移転してきた(年代、経緯は不詳)とのこと。
 何度も火災に遭い、そのたび再建され、現本堂は明治14年(1881)に建立されたもの。

見立寺・本堂 

 ふーむ、昔は蓮馨寺の門前にあったのか。
  

 ここは布袋様のお寺であり、お堂には布袋孫が祀られています。

布袋様 

 またここには赤穂浪士の一員・矢頭右衛門七(やとう・えもしち)の妹の墓があります。
 妹はのちに白川藩(福島県)の多賀谷家に嫁ぎ、藩主の国替えに伴い上州厩橋(群馬県)→川越に移住し、翌年死去。推定70代。

多加谷家の墓 「矢頭右衛門七の妹ここに眠る」の説明碑

 矢頭右衛門七は討ち入り当時17歳、その妹までがのちにこんなに脚光を浴びようとは。
 当人はおそらくひっそりと暮らしていたけど、後世の人が戸籍などから世に出したのではないか。
 忠臣蔵マニアにとっては欠かせないところなのか。

 昨日(06/04)は富士見市の難波田城公園(05/25投稿)でまつりが開催されました。
 イベント会場では、「さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉すだれ……」

南京玉すだれ 

 と南京玉すだれの実演。
 大道芸ではよくみるパフォーマンスですな。
  

 「昔あそび」のコーナーでは羽根つきやさかなつりに興じる子どもたち。
 興味を引いたのはわりばし鉄砲づくり。

わりばし鉄砲づくり  

 当方も子どものとき、つくったことがあります。
 これで輪ゴムを飛ばし、チームに分かれて当て合いをやったところ、輪ゴムをピシッと当てられた口惜しさに「やりやがったな」と感情的になり、最後はケンカになりました。

 

 ここではそんなことはせずにわりばし鉄砲を使っての射的。

わりばし鉄砲で射的

 外れ。惜しかったねえ。
   

 竹馬にトライする人。そうそう、その調子。

竹馬にトライ 

 まつりよりもこの日の収穫は、田んぼ前に自生している八重のドクダミ。
 ドクダミは十字状の一重のものが一般的(十薬というのもそのため)だけど、八重は珍しい。

八重のドクダミ   

 お濠には赤い睡蓮が咲いていました。

睡蓮 

 十薬や祭さわぎを忘れをり

 川越街道と463浦和所沢線が交差する英インターの近くに柳瀬荘という古民家があります。
 これは実業家・松永安左衞門の別荘だったところで、昭和23年(1948年)、東京国立博物館に寄贈されたものです。
 したがってここの管轄は所在地の所沢ではなく、東京国立博物館。これは意外。
  

 ここへ行くには川越街道から跡見学園の下の道を入って行けばいいのですが、463号から入り、山道を上るほうが風情があります。

細い山道   

 上り切ったところが裏門。

裏門   

 目の前に見えるのが「黄林閣」。
 これは天保15年(1844)、現在の東京都東久留米市に庄屋の住宅を、昭和5年(1930)松永が譲り受け、現在地に移築したものだそうです。

黄林閣   

 新しいものを建てるより、古いものを移築する。
 ふーむ、この精神には少し脱帽。
 ひょっとしたら新築するより費用がかかるんじゃないの?

黄林閣・座敷 

 むろん各部は改修されているだろうけど、様式はそのまま。
      

 私は昔、某夕刊紙で「性豪列伝」というコラムを書いていたことがあり、そのなかに松永安左衞門(1875~1971)も入っていました。
 電力事業で財をなし、「電力王」といわれた実業家ですが、当時の富豪の例にならって艶福家で、あちこちに妾宅がありました。ここもそのひとつ?
        

 一方松永は茶をたしなみ(茶号=耳庵)、東大寺や東麻寺などの古材で「斜月亭」なる数寄屋風の離れをつくり、

斜月亭 

 さらに越後の武士の茶室を移築して「久木(きゅうぼく)庵」をつくりました。
 なるほど、外観は古色蒼然とした風情。

久木庵 

 なかの茶室はきちんと手入れされています。

久木庵・内部  

 ふーむ、こうしてみると松永安左衞門は単なる漁色家ではなかったのか。
    

 漁色家の面影もなし庭若葉

 私の住んでいるところから狭山市の智光山公園に行くには、入間川を渡る必要があります。
 ふつうなら新富士見橋を渡るのですが、それよりも狭山大橋を渡ったほうが近いのではないかと気づきました。

狭山大橋  

 この狭山大橋は狭山環状有料道路に含まれています。
 調べてみると、乗用車150円、自転車20円、歩行者無料となっています。
 これは去年通った「新見沼大橋有料道路」と同じ。
      

 この日(05/30)は所沢方面から126号所沢堀兼狭山線を北西に進みました。
 狭山交番を過ぎ、西武新宿線のガード下をくぐったあたりから、有料道路の看板。「自転車も有料です」

「自転車も有料」の看板  

 この橋がオープンしたのは昭和57年(1982)。
 それまで狭山市には入間川に架かる橋が4本しかなかったため、渋滞することがしばしばあり、「料金を払ってでも渋滞を回避したい」という地元住民の要望があり、狭山市が国や民間から資金を借り入れてつくられました。
 そのため借金を完済する(2021年予定)まで有料とのこと。

 狭山大橋から見る入間川

 入間川を眼下に見て、狭山大橋をほとんど渡ったところに料金所。

料金所  

 車両の側は通行料を徴収するおじさんがいるけど、自転車の場合は自分で金を入れる。

硬貨投入口 

 ごくふつうの橋だけど、料金所の近くにはトイレもあったりして、それなりにサービスしているらしい。
  

 しかし橋を通過して並木道に入ると、これがなかなかの景色。
 厳密にいうとこの並木道は無料ゾーンなのですが、ここを通って帰るにはやはり狭山大橋を渡らなければならない。ふーむ、これが有料道路の陰謀なのか。

並木道 

 並木路ペダル休めて若葉風
  

 智光山公園の近くに天岑寺(てんしんじ)という曹洞宗のお寺があります。
 まず入口の惣門。
 総門ともいいますが、とくに禅寺の表門のことを惣門というそうです。

天岑寺・惣門   

 説明によると、同寺は明治3年(1870)火災に遭い、本堂などが焼失したが、惣門だけは離れた場所に建っていたため、難を免れたそうです。
 扁額に書かれた「通霄関」(つうしょうかん)の文字は、天に通じる門という意味だそうです。

金毘羅神社 ←境内にある金毘羅神社

 同寺は文禄3年(1594)天海盛呑(てんかいせいどん)により開山されたといわれており、本尊は釈迦如来。

本堂 

 
 ご本尊?

本堂内のご本尊 

 境内には金毘羅神社や観音堂もありますが、当方の印象に残ったのは険しい顔をした石の羅漢像。

厳しい顔の羅漢像 

 その周囲には十薬(ドクダミ)が咲いていました。

十薬 

 十薬の蒸す廃寺や雨上る
         

 智光山公園のバラ園の近くに温室があります。
 ここには洋ランや約70品種の熱帯植物が展示されています。

温室   

 入口近くには南国でよく見られるブーゲンビレア。
 オシロイバナ科の植物で原産はブラジルだそうです。

ブーゲンビレア 

 温室の外には白いアツバキミガヨランが咲いてました。
 これはリュウゼツラン科、ユッカ属の植物だそうです。

アツバキミガヨラン 

 他には花菖蒲園があって、6月には2600株(150種類)の花菖蒲が咲くそうですが、この日(05/30)はまだ。

菖蒲田 

 それでもフライング気味なのがちらほらと。

花菖蒲 

 これは説明図によると舞扇(?)

花菖蒲(舞扇) 

 緑園に早咲き菖蒲の二三輪