大宮氷川神社に隣接する大宮公園にも寄りました。
 面積が67.8haもある広い公園ですが、そのなかに小動物園があります。
  

 この動物園は戦後、埼玉県知事が北海道へ出張した際、開拓団の村「秩父峡」で見た子熊が、帰郷後北海道より知事公館に送られてきたのがきっかけで、公園に小さな檻をつくったのが始まりです。解説は1953年。(説明板)
  

 ざっと見たところ、鳥類の展示が充実しているように思われました。
 先ずは北海道で見られるタンチョウ。国の天然記念物。

タンチョウ   

 アフリカや中南米に分布するフラミンゴ。
 ツルに似ているけどツル目ではなく、フラミンゴ目フラミンゴ科の鳥。

フラミンゴ   

 オオバタン。オウム目オウム科。インドネシアのセーラム島に棲息。
 この鳥に向かって「コンニチワ、コンニチワ」とことばを教えているオジサンがいた。

オオバタン   

 ギンガサイチョウ。ブッポウソウ目サイチョウ科。エチオピア、ケニア~南アフリカ東部に分布。
 くちばしの上の突起物がサイの角のようなのでサイチョウというとか。

ギンガオサイチョウ   

 それにしてもこの鳥がブッポウソウ(仏法僧)の仲間とは。
 もっともブッポウソウは「ぶっぽうそう」とは鳴かないのが今や定説。
   

 シロフクロウ。フクロウ目フクロウ科。北極圏のツンドラ地帯に分布。
 他のフクロウと違い、日中でも活動し、小型のネズミ類を食べる。

シロフクロウ   

 フライングバードケージ(鳥館)を出たところにツキノワグマの檻があります。
 当園開設のきっかけになった動物ですが、大人気。この人たちをかき分けて前列で撮る勇気はなかったのであきらめました。

ツキノワグマの檻   

 熊の檻ひとだかりして園薄暑
     

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 久しぶりの大宮氷川神社です。
 ここは関東近辺の氷川神社(約280社)の総本社。

氷川神社・三の鳥居  

 そもそもこの大宮という地名(かつては市名=今はさいたま市に併合)は「大いなる宮」があったことに由来するそうです。 
 社伝によると、2000年以上の歴史をもつといわれているから、西暦でいうとB.C.?

神池  

 同社の境内は江戸時代中期までは見沼(当時は広大だった)の畔にあって、もとは見沼の水神を祀っていたそうで、現在の神池 は見沼の名残とか。

参拝する人 

 末社には稲荷神社、宗像神社、松尾神社、御嶽神社……と有名どころがズラリ。

朱塗りの橋の向こうが楼門  

 ご利益は様ざまで、家内安全、無病息災、開運招福……などデパートのごとく、車のお祓いまであります。

車のお祓い 

 赤ちゃんの初参りもあれば、

初宮参の家族 

 婚礼の御一行も。

婚礼の御一行  

 かと思えば、境内の大きな木に手を当てて黙想している人。
 神のパワーが得られるのかな?

神木(?)に手を当てる人 

 今回の発見は境内の裏手にある蛇の池。
 これは見沼の水源のひとつで、ここが氷川神社発祥の地といわれる、とのこと。
 ふーむ、奥が深い。

蛇の池 

 ちなみに横浜の山下公園に係留されている氷川丸はこの氷川神社から名づけられ、船内(操舵室)の神棚には氷川神社の御祭神が祀られています。
    
 神泉の元に辿りて若葉風
      

 今年もきました川島町の「平成の森公園」。
 ここには「日本一長いバラのトンネル」といわれているバラ苑があります。

   

 これは自称ではなく、平成18年(2006)に「日本一の長いバラのトンネル」(日本一ネット)にとして認定されました。(入口に認定証)
 バラは約60品種、474本、全長340.5m。

 バラのトンネル  

 赤、ピンク、白、黄色……数種類のバラがあちこちに。
 昨年は「日本一長い」ことに感激(?)し、浮ついた気分で写真を撮りましたが、今年は落ち着いてバラのトンネルを見回ることができました。

バラの下  

 ふーむ、よく見るとバラの密集しているところや、葉っぱばかりのところ、なにもないところ……無原則である。まさにバラバラ(?)。

まだまだ続くバラのトンネル    

 バラの密集しているところには人が集まり、写真を撮っている人も多い。

バラを撮る女性  

 こちらも写真を撮っていると、後ろで待っている方もおられ、恐縮しました。
 「どうぞ、どうぞ」
 むしろ人が写ったほうがいい。
 花なんて人に見られてなんぼのもの。花だけの写真のなんと殺風景なことか。

しばしバラに見惚れる   

 このトンネルは8の字型になっていて、ふたつの中庭から見る景色も素晴らしい。
 外側から見るバラのトンネルも見事です。

外から見たバラのトンネル   

 バラ越しに見る中庭の四阿も風情があります。

バラ越しに見る四阿 

 この「バラの小径」は、かわじま合併50周年記念事業として平成18年1月に完成しました。
 バラの見せ方としては、横浜の「イングリッシュガーデン」に及ばないけど、こちらは無料で見られるのがありがたい。
    

 薔薇の咲く長きトンネル黄泉の路
       

 よろこべ、ゴールが見えてきたぞ。

 大應寺の横手にある水宮神社。
 先ず、鳥居の前の顔出しパネルにびっくり。なんじゃ、これは?

顔出しパネル 

 なかに入ると、クイズや四柱推命・厄年の解説パネルがあちこちに。(境内にも顔出しパネルあり)
 クイズは漢字の読み方テストで、
 ①「を返す」、②「自然の」……太字の漢字は何と読むか(答えは最後に)
  

 おみくじや占いなどはゲーム感覚。
 勝負運・恋愛運・金運・健康運……を占う輪投げというのもあるぞ。

輪投げ占い   

 これには「心・技・知」が必要で、心…心を落ち着かせて、技…指先まで神経を行き渡らせて、知…成功を思い描いて、と説かれている。なるほど。
  

 お参りしようと本殿前に立つと、なんと、ここも金ピカ。

水宮神社・本殿   

 しかも両側には狛犬ならぬ狛蛙。これは?
 近くにはその由来が解説されていますが、蛙は神の使いとして人を導くとされ、さらに「無事かえる」「栄える」「迎える」「活きかえる」というめでたいことばにあやかったものらしい。

狛犬ならぬ狛蛙  

 そういえば手水場にも蛙が置かれていました。
 ここは常に水が流れているのではなく、カランをひねれば出る。節水のため。

蛙の手水場 

 当社の由来を調べると、正式名称は摩訶山般若院水宮神社。
 これは室町時代、京都聖護院を本山とする修験寺摩訶山般若院として創建されたものの、明治になって神仏が分離され、このような神社になったとのこと。

金ピカの本殿 

 境内のパネルは他にも十二支、干支、四柱推命、厄年などが解説され、読みごたえはあるけど、面倒くさいので省略します。
  

 これらのゲームやパネルはおそらく、神道を気軽に学んでもらおうという配慮で設置されたのではないか、そんな気がしました。
     
 漢字の答え、①「てのひら」、②「ことわり」
 やさしかった?
   

 境内の由緒に倦みし薄暑かな
  

 貝塚公園の向かいにある大應寺。
 真言宗智山派(総本山は京都智積院)に属し、山号は水光山。
 三門(山門)は鐘楼になっており、なかなか立派。

大應寺・鐘楼門   

 創建は不詳ですが、室町時代にはあったとされ、その後何度か大火に遭い、近年には平成21年(2009)に本堂が建て替えられました。金ピカで立派なもの。

大應寺・本堂 

 ご本尊は不動明王。

不動明王 

 境内は広く、薬師堂や観音堂もあります。

大應寺・境内と薬師堂 

 観音堂には十一面観音。
 ガラス越しに撮っているのでわかりにくいけど、観音様の王冠(?)には十体の小さな観音様がついています。

十一面観音 

 境内には弘法大師の像があります。
 これを拝んだらお遍路と同じご利益が?(それは甘い)

弘法大師 

 やすらぎ地蔵。

やすらぎ地蔵 

 おそうじ小僧。
 これはお釈迦様の弟子のひとり周梨槃特(チューラ・パンタカ)をモデルにしたもので、他の弟子と違って、学業よりも毎日掃除をすることによって釈迦の教えを会得し、羅漢にまでなったそうで、「なにごとも専念することが大事である」との教えだとか。

おそうじ小僧 

 ははーッ、ありがたきおことば。
    

 弘法と市内遍路や薄暑光
     

 富士見市は貝塚の多いところで、14ヵ所も発見されているそうですが、なかでも水子貝塚は縄文時代前期を代表する遺跡として、戦前から知られていたそうです。

水子貝塚公園にある竪穴住居 

 静かな森林に囲まれた公園のあちこちに竪穴住居が建てられています。
 竪穴住居の近くに4本の棒が立てられていますが、これは高床式住居(倉庫)の柱?

高床式住居の柱? 

 これらは遺跡が発掘されたところで、縄文時代前期(5500~6500年前)のものと推定され、出土されたものや、当時の資料をもとにして復元されたものです。

 なかでも15号住居は当時の人々の暮らしが再現されています。
 ふーむ、お父さんは逞しく、お母さんは働き者で、いい家庭だ。

復元した竪穴住居の内部 

 公園の一角には、市内から出土したものを中心に展示している「水子貝塚資料館」があります。
 それによると昔は海が内陸深くまであり、このあたりは岸辺に近いとのことで、多くの貝殻が出土されました。

水子貝塚資料館 

 復元された竪穴住居に入ってみたら、ひんやりと涼しかった。
 夏はここで過ごそうかな。

出土した土器類 

 なお、ここは昭和44年(1969)国の史跡に指定されています。
        

 縄文の暮し髣髴せむ薄暑
      

 「老化現象は<目、歯、〇〇>に現れる」とはよくいったもので、私の場合、目はドライアイ(+老眼)、歯は歯周病、○○は前立腺肥大(軽度)で、それぞれ医者にかかっております。
 目と前立腺肥大に関しては何度もUPしているので、今回は歯。
   

 老化というのは思わぬことが起こるもので、4年前、昔(40年ほど前)中目黒の歯医者(勤務先の近く)で嵌めてもらった金属がぼろりと外れたことによって、近所の歯医者に通うようになりました。
   

 「金属のカバーといっても永久のものではありませんよ。年とともに虫歯が進行して隙間ができたり、歯茎が痩せてくるので、歯がぐらついたりしますからねえ」と歯医者にいわれました。

 このときは結局、新たに型を取って金属を嵌め直してもらいましたが、問題は歯周病。
 歯と歯茎の間に隙間が数ヵ所あり、放置しておくと歯周病がどんどん進み、歯槽膿漏になるとのこと。
 これは、これ以上回復することはなく、悪化するのを遅らせるしかないそうです。
 そのためには、ていねいに歯を磨くこと。
 歯の間に挟まった食べ物のカスは糸楊枝で除去すること、と糸楊枝の使い方と、鏡で歯ブラシの使い方を歯科助手から指導されました。
  

 たしかに年取る歯に食べ物(繊維が多い)が挟まりやすくなるけど、これは歯茎が痩せて下がることによって歯と歯の隙間がむき出しになるからだそうです。
 

 いらい4カ月ごとに歯の検診(と掃除)を受けるようになりましたが、その際、必ず行われるのが「歯の磨き残し検査」
 これは歯に赤い薬を塗られ、うがいで流したあとも磨き残した部分(プラーク=歯垢)には赤く染まっているので、すぐ判別できるのです。
  

 最初のころは約60%ほどが磨き残し。
 「ダメですねえ。鏡を見てていねいに磨いてください」
 歯科助手の女性に何度も注意されました。
  

 こちらはていねいに磨いているつもりなのに、あまりにいわれるので「この人はとくに厳しいのかな。行くのはやめようか……」と思ったものの、歯医者に行かないともっとひどいことになるとの思いで、通院を続けました。

磨き残しの状況   

 そして先月の11日。
 「おや、今回はちゃんと磨いてますね。以前よりずっとよくなりました」
 歯科助士の女性のよろこぶまいことか。
 わたされた「磨き残し状況のお知らせ」によると、今回の磨き残しは全体の23%で、前回より大幅に向上したようで、こちらもほっとしました。
  

 ある程度、磨き方は心得たつもりだけど、こちとら調子に乗ると、また元の木阿弥になるからね。
 

 歯の治療終へ吸い込みし若葉風

2017.05.16 新緑の伊佐沼

 久しぶりの伊佐沼です。
 川越の市街地より東に約2.5kmの位置にあり、南北800m東西が200mほどの細長い沼で、関東では千葉県の印旛沼に次ぐ広さの自然沼。

伊佐沼   

 4月初旬は桜、6~7月は蓮、9月は向日葵の花が咲き、大勢の人で賑わいますが、今は桜も終わり、人影もまばら。
  

 しかし新緑のシーズンは歩くのも気持ちがいい。

湖畔のプロムナード①   

 この伊佐沼、戦前は今の2倍以上の面積がありましたが、第二次大戦のとき北半分を食料増産のために干拓したとのことで、今でもこのあたりは畑になっています。
  

 沖のほうを見ると、カモがいました。

杭にとまるカモ   

 バードウォッチングの方が大きなカメラを持って待機していますが、カモなんかには目もくれない。カイツブリ、ゴイサギ?

湖畔のプロムナード②   

 伊佐沼の西側は公園になっています。
 小高いところに四阿があるのですが、これがなんと藤棚。
 しかしこの程度の藤棚では、川越の友は満足しないだろうな。

公園の藤棚   

 さらに南に行くと新伊佐沼橋。
 この三日月のシンボルマークはなに?

新伊佐沼橋   

 戦国時代これを兜のシンボルマークにしていた武将がいたけど(伊達政宗?)、それとは関係ないのか。
 よくわからないけど、風情のある景色です。
  

 新緑や鳥追ひ人の満を持す
       

2017.05.15 川越のツツジ

 ツツジがあちこちの道端で咲いているけど、我われは「おう、咲いとるな」と思うだけで、さしたる感激はない。
 私の知っている「ツツジの名所」は、根津神社(東京都文京区)と五大尊つつじ公園(埼玉県越生町)ぐらい。
 ともにツツジの群生。(根津神社は+鳥居の魅力)
      

 川越でツツジの群生を求めても無理なので、+αの魅力ということで探ってみると……。
 先ずは喜多院。それも参道の石段横の句碑や歌碑が立っているあたり。

歌碑の周囲のツツジ   

 「名月や池をめぐりて夜もすがら」
 有名な芭蕉の句ですが、この周囲にツツジが咲いており、なんとも風情があります。
  

 大正浪漫通りの突き当りにある茶陶苑。
 網走刑務所と見紛うような(?)厳かな煉瓦構えの門ですが、これは和菓子・茶の老舗の蔵を喫茶室に改造したもの。

茶陶苑・入口   

 喫茶室ではなく、奥の日本庭園にちらほらとツツジが咲いていて、なんとも風情があります。

茶陶苑の庭 

 旧川越街道の烏頭(うとう)坂にある岸町熊野神社。
 上り口の植え込みににちらほらとツツジが咲いているので、「境内にも咲いてるのかな」と期待して上ったのですが……。

熊野神社の登り口   

 境内には二の鳥居の両側に赤・白のツツジが咲いていました。

境内には赤・白のツツジが 

 川越の躑躅としてはこんなもの
  

 八重洲北口から神田方向に進むと「しはくこちい」の親柱が見えます。これが日本橋川に架かる一石橋。
一石橋(橋を横切るのは首都高速)   
 橋そのものは新しく架け替えられた(平成12年=2000竣工)ものですが、古い親柱(大正11年=1922竣工)が渡ったところ(神田側)に残されています。
古い親柱   
 この界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようで、ここに「迷子しらせ石標」(告知板)がありました。これは湯島天神の境内にも見られます。
     
 一石橋を渡るとすぐ左に常盤橋があります。
 これは日本橋川がカーブしているため。
常盤橋 
 常盤橋から一石橋が見えます。
常盤橋から見る一石橋 
 その向かい側の西詰には渋沢栄一の銅像が立っています。
 渋沢 栄一(1840~1931)は元幕臣。明治になって様々な企業の設立・経営に携わり、「日本資本主義の父」ともいわれた人。青淵は雅号。
渋沢栄一像 
 渋沢は政財界で活躍したものの、財閥をつくらなかった。「私利を追わず公益を図る」との信念を貫き通しました。
        
 常盤橋はもともと江戸城防御のための橋でしたが、明治10 年(1877)に洋式2連の石造アーチ橋(通称 眼鏡橋)に架け替えられました。現存する東京最古の石橋です。
   
 とはいうもののこのすぐ近くで大掛かりな工事をやっています。
 説明書きを見ると常盤橋の復旧工事。あれッ、今の橋は常盤橋じゃないの?
工事中の常盤橋   
 このあたりは日本橋川の上を首都高速都心環状線が走っていて、歴史との位置関係がよくわからない。
 常盤橋の復旧工事は平成29年度完成予定というから、それを見れば少しは納得できるのかな。
  
 ちなみにこの向かいは日本銀行本店本館の裏側です。
日銀本店 

 ここは何度もきているので、それほどの感慨はありませんが、この丸の内駅舎が復元営業された当時(5年前)は、「こんなに立派になったのか!」と感激したものです。
  

 復元営業されたのは2012年の10月1日。
 私が訪れたのはその4日後でしたが、大勢の人であふれかえりました。
 「きれいになったのう」
 「目の黒いうちに見られてよかった」
 お年寄りのよろこぶまいことか。

行幸通りから見た東京駅丸の内駅舎   

 友人で京都に住む写真家は、「復元東京駅いいね。京都にはこんな発想はないからなあ」といいました。
 たしかに京都駅は(リニューアルされた当時は)斬新だったけど、月日が経つと陳腐なものになっていく。
 その点、古典は時代がどう移ろうと普遍的な存在感を保持します。
 ただしそのためにはレンガひとつにも極力当時に近いもの特注したりで莫大な費用がかかりました。

南側から見た駅舎   

 この東京駅、実は太平洋戦争の戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失し、戦後、3階建ての駅舎を2階建てにして復興しました。
     

 そんな経緯はつゆ知らず、私は上京以来「こんなものだ」と思って見てきました。
 事実を知ったのは、「東京駅の復元工事が進められています」とニュースで知ってから。これは当方だけ?

南ドームの下   

 したがって今見ている(南北のドームと3階建ての)駅舎が創建当時(大正3年=1914)の駅舎に限りなく近いことになります。
 それにしても、全長335mは長い。(撮影泣かせ?)

ドームの天井   

 ところで、これは(↘)4年前(2013年)の4月25日、近くのKITTE館から撮った駅舎です。

KITTE館から見た丸の内駅舎   

 オープンしてから半年なので、しっとりときれいなものです。
 それに対して今の駅舎は幾分色褪せて見えます。
 もちろん気象条件によって写り方の違いはあるけど、「これが4年の歳月か」というのが当方の実感です。
 

 ※今回のシメ句は割愛します。
   

 昨日(05/11)は所用で東京都内へ。
 まずは丸の内仲通り。

 日比谷通りに平行し、大手町~有楽町を結ぶ全長1.2kmの通りです。
 道幅は21mですが、歩道が広く(片側7m)、所どころにベンチが設置され、両側には街路樹が植えられ、あちこちに銅像やオブジェが。ここは道路というよりちょっとした公園。

丸の内仲通り① 

 さらに11~15時は「アーバンテラス」といって、車は通行禁止。
 「丸の内仲通りは、テラス空間に。自由にお過ごしください」
 とのことで完全に歩行者天国。
 2年前は12~13時だったのに大幅に増えた。けっこうなこと。

丸の内仲通り②   

 この日は、数人の係員が小さな舞台をつくったり、撮影や音声の機材を設置していたので、「なにかイベントでもやるのかな?」と思っていたところ、夕方のニュースを観るとラジオ体操でした。

ラジオ体操の準備?   

 この通りから少し有楽町寄りに「丸の内ブリックスクウェア」という広場があります。
 ここは明治27年(1894)に建てられた丸の内初のオフィスビル三菱一号館のあったところで、7年前(2010)に三菱一号館美術館としてリニューアルされた際にできた空間を利用した広場です。

丸の内ブリックスクウェア①   

 噴水と水のせせらぎ、芝生と花壇、それらをつなぐ遊歩道。これらが上手く融合して都会のオアシスになっています。

丸の内ブリックスクウェア②   

 都会のど真ん中、しかもオフィス街にこんな緑があったのか。
 ここへくるたび、「東京も捨てたものではない」と実感します。

丸の内ブリックスクウェア③   

 ハンバーガー食すベンチに若葉風
      
 ここで食べるハンバーガーはまた格別。
   

 氷川神社にやってきました。
 鳥居が大きい。高さ約15m。木製の鳥居では日本一大きいそうです。
 これは平成のご大典奉祝行事として建立されたもので、扁額の文字は勝海舟の筆によるものだとか。(川越氷川神社HPより)

氷川神社の鳥居  

 意外に若い人の参拝が多い。
 というのも同社は縁結びの神様として昔から信仰を集めてきたとか。

参拝に並ぶ若者   

 和服姿の若者も見られますが(?)、男子はいかにもぞろっぺいで見苦しい。こんな着方なら、和服なんか着るなよ。
   

 境内で若者に人気があるのは「鯛釣り」のおみくじ。
 「一年安鯛」と「良縁あい鯛」の二種類あるけど、人気はやっぱり「良縁あい鯛」
 狙った鯛を釣り上げて、「なにが書いてある?」なんて熱心に読んでいる。

「良縁あい鯛」を釣るギャル 

 川越氷川神社は今から約1500年前、古墳時代の欽明天皇二年に創建されたとのことで、室町時代の長禄元年(1457)、太田道真・道灌父子によって川越城が築城されて以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬されてきたそうです。(川越氷川神社HP)
   

 同社は縁結びの他には家庭円満にもご利益ありとのことで、「縁結び・家庭円満」の祈願絵馬が奉納されています。これが有名な絵馬のトンネル。

絵馬のトンネル 

 トンネルの向こうは御神木のケヤキ。樹齢600年を超えているそうです。

御神木 

 絵馬のトンネルに平行して細い通路がありますが、そこにはガラスの風鈴が飾り付けられていました。「縁結び風鈴」というのだそうです。

「縁結び風鈴」 

 ここまで縁結びに力を入れられると、若者に人気があるのもむべなるかな。

「縁結び風鈴」の飾りつけ 

 風薫る問はず語りの神木に
      

 縁結びとはなんの関係もない、愚痴話の問わず語りで……。
      

 五百羅漢を見たついでに(?)喜多院の客殿・書院にも入りました。
 客殿には「家光誕生の間」(江戸城より移築)があり、書院には「春日局化粧の間」(江戸城より移築)があります。

庫裏(入口)   

 ただし建物の内部や展示物については撮禁。庭の撮影はOK。
 「なんだ、庭だけか」とはいわぬこと。この庭が素晴らしい。
      

 先ずは客殿の北側にある遠州流庭園。
 枯山水「曲水の庭」といいます。枯山水とは池のない庭のことですが、遠州流というのが今ひとつわからない。造園家で茶人の小堀遠州のことだと思いますが、これがそうなのか。
 関東好みとのことですが、造園の好みに東西の違いがあるの?

遠州流庭園   

 客殿の南側は紅葉山庭園。
 ここもまた遠州流庭園。紅葉が多いから紅葉山なのか。
 この庭園は広いので、いろんな場所から楽しめます。

客殿から見る紅葉山庭園 

 これは庫裏から見た紅葉山庭園。右に見えるのは客殿です。

庫裏から見る紅葉山庭園(右は客殿) 

 紅葉山の中央に三代将軍お手植桜があります。
 家光公がお手植えされたしだれ桜とのこと。(二代目)
 外で見られるしだれ桜よりはるかに大きい。中院のしだれ桜より立派かも。

家光お手植えの桜 

 庫裏から南に向かうと慈恵堂(大師堂)に通じる渡り廊下があります。

渡り廊下 

 その渡り廊下の南端から紅葉山庭園を見ると、その向こうに客殿が見えます。
 なんとも風情があります。

渡り廊下から見る紅葉山庭園と客殿 

 その南端からは大師堂の内部に入ることができ、ご本尊を目の当たりにできます。
 背後は大きな賽銭箱のある向拝所で、参拝の人々がこちらに向かってうやうやしく手を合わせている。(マジックミラー?)これは愉快。しっかり拝めよ。

外から見た川越大師向拝所(別の日に撮ったもの)        

 ここからは(撮禁なので)撮れませんが、参拝客の可愛いこと(不謹慎?)。
 いろんな意味で楽しめます。
     

 ご利益のあるなし超ゆる若葉風
      

 ご利益あるぞ。
     

 昨日(05/08)藤棚の列挙で取り上げた五百羅漢前。
 取り上げたからには羅漢様にお目もじせにゃ義理を欠くというもの。

羅漢巡り①    

 羅漢(阿羅漢)とは悟りを開いた仏教の修行者のことで、天明2年(1782)~文政8年(1825)の間に建立されました。

「まずは、一献」「これはかたじけない」   

 羅漢様は533体。
 これに中央高座の大仏(おおぼとけ)、釈迦如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせて、全部で538体。(喜多院のパンフレットより)

「いつまでもめそめそ泣くでない」「だって…」   

 笑い顔、泣き顔、怒り顔、困惑顔、すまし顔……といろんな顔があり、さらに顔の表情だけではなく、筆を持ったり、動物を従えたり、ひそひそ話をしたり、寝転んでいる羅漢もあったりして、形態も様ざま。

「しっかり揉めよ」「はい」  

 「この像のなかには知り合いがいるっていうよ」
 「そういえばこの像、おとなりの○○さんそっくり」
 「なるほど、そういえば似てるなあ」
 これは老夫婦の会話。

 「つまらねえ、太鼓なんか叩きやがって」「そういうな」

 「これは、あいつか」
 私も学生時代の友人を思い出しました。
 あいつには世話になったな。どうしていることか。

 「実は、あいつ…」「えッ、ほんと?」

 説明書きによると、深夜こっそりと羅漢様の頭をなでると、ひとつだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているとのこと。
 真偽は定かではないけど、夜は閉まっているのに、妙なことを勧めるなよ。

羅漢巡り②   

 ※羅漢様のキャプションは当方が勝手につけました。
 

 風薫る笑ふ羅漢に泣く羅漢
 

 お粗末。
   

 文化の杜(富士見市)の藤については先日(05/05)述べましたが、川越の友が「あれ以外に目ぼしい藤棚はないのですか」と訊くので、「そんなものはねえよ」と答えました。
 ちょっと連れなかったかな。
 ということで、近所の藤棚を探しまわりました。
        

 同じ富士見市では近所の江川プロムナード。
 これは河津桜でもUPした富士見江川の上流で、所どころ暗渠になっていますが、そこに小さな藤棚がありました。
 花壇の向こう側にあるアーチ状の鉄柵は江川のカバー。

江川プロムナードの藤棚①    

 反対側から見るとこうなります。(↘)
 この藤の木の幹はいちばん奥の端。したがってこれは一本藤。

江川プロムナードの藤棚② 

 そこから600mほど南東にある北通公園。
 ここにも藤棚がありました。これは二本藤かな。

北通公園の藤棚① 北通公園の藤棚②

 所沢・航空公園にはけっこう大きな藤棚があります。
 この藤棚は近所の人も知っているようで、シーズンになると多くの人が訪れます。
 なかにはこの下で読書する人も。

航空公園の藤棚①  

 藤棚の下。
 強い香りがしますが、それがなんとも心地よい。

航空公園の藤棚② 航空公園の藤棚③

 川越に行くとき、通る途中のふじみ野市・西公園。
 ここの藤棚は小さいけど、なかなか見事です。(ツツジもいいけど)

ふじみ野市・西公園にて 

 手入れも行き届いています。このときは満開でちょうど見ごろ。
 天気もよくすべていいとこ撮り(?)で、ラッキーでした。

西公園の藤棚 

 友の地元、川越にも藤棚はあります。
 まずは喜多院・五百羅漢入口の藤棚。

五百羅漢入口の藤棚 

 そして蔵造り一番街に面した公園の藤棚。
 この日は川越春まつりの真っ最中で、ぴ~ひゃら、ぴ~ひゃらとお囃子をやっていたけど、知ったことか。藤棚を撮るのが優先だい。

お囃子会場の藤棚 

 以上、目ぼしき藤棚を列挙したけど、これで友は気をよくしてくれるかな。
  

 気にかかる書読む佳人や藤棚で
      

 そういう時代もあったなあ。

2017.05.07 中院のツツジ

 1ヵ月以上前、しだれ桜で取り上げた川越の中院。
 今はヤマツツジが満開です。
 中院は天台宗。山号は星野山。寺号は無量寿寺。

鐘楼門から観音堂に向かう参道 

 ヤマツツジは鐘楼門をくぐって観音堂への参道に密集しています。

参道のツツジ   

 ふつうのツツジと違って背が高いのがヤマツツジの特徴。
 したがってここではツツジ棚というのも存在します。

鐘楼門側を見る   

 ここは島崎藤村ゆかりの地でもあり、狭山茶発祥の地でもあります。

本堂へ向かう途中のツツジ棚 

 観音堂から本堂に向かう途中に不染亭(ふせんてい)という茶室があります。
 これは島崎藤村が義母の加藤みきに贈った茶室で、以前は新富町にあったものを、マンションが建設されることによって、藤村ゆかりの中院に移築されました。
 今では茶会などに利用されています。

不染亭前にも   

 この前にもピンクのツツジが。
 なかなかの風情です。
     

 痴れ者を茶室へ誘ふ山躑躅

 志木市役所のいろは橋をはさんだ向かい側に中州があり、ここに旧村山快哉堂があります。

いろは橋(志木大通り) 

 旧村山快哉堂とは、明治初期から本町通りで「中風根切薬」などの家傳薬を製造・販売してきた薬店ですが、平成5年に閉店し、歴史建造物としてここに移築復元されました。

旧村山快哉堂 

 今(~05/07)ここで展示しているのが「端午のつるし飾り」
 武者の兜が上段に置かれた五月人形の周囲に、いろんな形の飾りが吊るされています。

つるし飾り(中央は五月人形) 

 1本のひもに鯉や風車、桃太郎、アヤメなどをモチーフにした飾りが結ばれ、その数約300個。
 ここの管理をしているボランティアの女性スタッフが昨年7月ごろから月に2度ほど集まってつくり続けてきたとか。

横から見たつるし飾り 

 これは三番叟(さんばそう)とのこと。
 三番叟って翁(おきな)のことかと思っていたけど、他にもいろいろあるらしい。
 (これは色っぽいお婆さん?)

三番叟(?) 

 制作に当たられたスタッフのみなさま方、ご苦労様です。
  

 いろは橋からは新河岸川に架かる鯉のぼりも見られました。

新河岸川に架かる鯉のぼり① 

 これは横から見た鯉のぼり。

新河岸川に架かる鯉のぼり② 

 横並び遡上夢見し鯉のぼり
    

 

 富士見市図書館の脇の藤棚が見ごろです。
 昨年は川越の友人と観に行ったのですが、今年はひとりで。
  

 藤棚は400mもあり、このあたりでは長いほうでしょう。
 (栃木の藤棚とは比べるべくもありませんが)

長く続く藤棚 

 藤の下に入ると独特の香りが。
 この香り、妙に心が安らぎます。

下から見た藤棚 

 藤の花は白、薄紫、濃い紫とあるけど、やはり濃い紫がいい。

藤の花   

 所どころ藤のアーチがあります。
 これもなかなかの風情。

藤のアーチ① 

 下から見た富士のアーチ。

藤のアーチ② 

 横から見た富士のアーチです。(↘)
 これは別の日に撮りました。近くなので、何回もきています。

横から見た富士のアーチ 

 少し離れたところに一本藤があります。(↓)
 左が根元で斜め上に伸び、その先は水平に伸びています。これが本来の姿。

一本藤 

 昨年、川越の友がこれを見て、
 「なるほど。これが『あらまほしき』処遇を受けた藤なのでしょうねえ」
 と感心しきりでした。

下から見た一本藤 

 その一本藤を下からみたところ。なかなか迫力があります。(↖)
         

 トンネルにしたりアーチにしたり、藤は棚のデザインによってどうにでもなるようです。
 ただし建造物の一部に枝が絡みつくと、それを壊してしまうほどの力があるので、藤を個人の庭で栽培するのは不向きといわれています。
  

 歩くごと黄泉に近づく藤の下
     
 
徘徊老人(私?)の最終目的はこれです。
   

 3月25日から長々と続いた「川越・春まつり」もいよいよこの連休(03~05日)がフィナーレ。昨日(05/03)はあちこちでお囃子が演奏されました。
  

 まず蓮馨寺。
 ここはいつもイベントが行われていますが、この日はステージで歌舞音曲がくり広げられました。

蓮馨寺にて   

 ぴ~ひゃら、ぴ~ひゃら、テンテケ、テンテケ……
 お囃子とともに子どもたちが舞っているのですが、これはコミカルな踊り。会場からは笑い声が。

蓮馨寺のステージ  

 当方は途中から見たのでよくわからなかったけど、子どもたちの戸惑ったような踊りが、演技なのか、あるいは本当に戸惑っているのか。えッ、演技?
 お見それしました。
  

 蔵造り一番街は歩行者天国となり、大勢の人で賑わいました。

蔵造り一番街は歩行者天国 

 通りのあちこちではお囃子の演奏。

お囃子 

 獅子舞も出ました。
 前のカメラが邪魔ですが、当方も後ろの人の邪魔になっているのかもしれず、お互い様。

獅子舞  

 圧巻は通りで行われたよさこい鳴子踊り。
 このお姐さんたちは始まる前は沿道のお友だちとにこやかに談笑していたのですが、いざ曲が流れると、動きがピシッと決まり、軽やかに舞う。鳴子もカチカチとリズミカル。
 ときおり「アラ、エッサッサー」という掛け声も。(こんな掛け声じゃなかった?)

よさこい鳴子踊り 

 大漁旗も出ました。
 この旗が当方の頭上で振られたとき、強烈な風圧を受けました。

大漁旗   

 これはすごい。振るのにもかなりの力が要るだろうな。
     

 春まつり紅引く少女の艶めきて
     
 写真掲載は控えます。
    

 一昨日(05/01)所沢市の多聞院で「寅まつり」が行われました。
 多聞院の毘沙門堂には、武田信玄の守り本尊である毘沙門天がまつられていますが、その毘沙門天の化身が寅。
  

 毘沙門堂の前には狛犬ならぬ二匹の狛寅が見守っています。
 この寅(虎)は細身でしなやかそう。虎よりも猫という感じだけど、縞模様で虎を表現しているらしい。制作は慶応2年(1866=寅年)

毘沙門堂、手前は狛犬ならぬ狛寅   

 その虎に因んだまつりが「寅まつり」で、身に降りかかる災いを「身代わり寅」に託して奉納するというもの。
 毘沙門堂の前で人々がサインペンで何やら書いているでしょう。これは「身代わり寅」(指でつまめるほど小さい)の裏に願いを書いているところ。

身代わり寅に願いを込めて   

 書かれた虎は回り縁の手すりの下に並べられます。

奉納された身代わり寅①   

 ずらりと並んだ「身代わり寅」は圧巻です。

奉納された身代わり寅②   

 同時にこの時期、境内には300本ものぼたんの花が咲き誇ります。
 ここは「ぼたんの寺」としても有名です。

境内の牡丹①   

 ぼってりと大きな花。色も鮮やかです。

境内の牡丹②   

 老僧を惑わす牡丹紅の濃し

 盆栽美術館だけではなく、盆栽村にはあちこちに(個人の)盆栽園があり、盆栽の販売や、盆栽教室が行われています。
 盆栽の展示も自由に見ることもできます。(有料のところもあり)。ただし、ほとんど撮禁。
   

 ところが通りのあちこちに盆栽が無造作に置かれている。
 撮禁ではないので、外国人観光客がやたら記念撮影。それもしつこくて、なかなかどこうとしない。(どこの国かはいわないけど)

通りのあちこちに盆栽が   

 これなんかかなりできのいい盆栽なのに、撮影はOK。
 おそらく著作権の問題だろうけど、撮禁の盆栽とどう違うのか、素人である当方にはさっぱりわからない。
  

 盆栽四季の家もなかなか風情あるところ。
 ここは氷川神社宮司の居宅の一部を移築模写復元(とはなんだ?)してつくられた和風建築。
 当方は四阿がいいなあ。ここで読書するのもいいんでないかい。

盆栽四季の家   

 かえで通りに出ました。
 いかにも盆栽村の街並らしい風情です。

かえで通り 

 個人の邸宅で庭を開放しているところがあったので入らせていただきました。
 黄色いモッコウバラ(木香薔薇)が見事でした。

個人宅の庭   

 この通りで見逃せないのは「さいたま市立漫画会館」。
 ここは漫画家・北沢楽天の旧居を改築し、その功績を記念して建てられた会館です。

漫画会館   

 北沢楽天は明治9年(1876)に大宮宿(現在の大宮区)で生まれ、本名は保次(やすじ)。
 外国人向けの英字新聞社で西洋漫画の手法を学び、「時事漫画」や日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊し、庶民の生活や世相をユーモラスな漫画で表現し、日本の職業漫画家第1号として活躍しました。

漫画会館展示室   

 戦後、楽天は疎開先の仙台から郷里の大宮市に戻り、新しい自宅を「楽天居」と称し、ここで日本画を描く日々を送りました。昭和30年(1955)没。

北沢楽天之像   

 行く末を若葉の風に託しをり

 

 いよいよWBCです。
 といっても野球のWBC(今回日本は準決勝敗退)ではなく、盆栽のWBC。
 これはWorld Bonsai Conventionといって、4年に一度開催される世界盆栽大会のこと。

盆栽美術館・入口   

 1回目は1989年に埼玉で開催されており、野球のWBCよりも歴史は古い。以後、
 2回大会(1993年)アメリカ・オーランド
 3回大会(1997年)韓国・ソウル
 4回大会(2001年)ドイツ・ミュンヘン
 5回大会(2005年)アメリカ・ワシントンD.C.
 6回大会(2009年)プエルトリコ・サンフアン
 7回大会(2013年)中国・ジンタン
     

 そして今年2017年、8回大会が28年ぶりに日本・さいたまで開催されました。
 期間は(04/28~30)、場所はさいたまスーパーアリーナ。

ロビー 

 当方はこのWBCには行かなかったけど、先日(04/27)大宮公園の北にある盆栽村に行ってきました。
 まず入ったのが大宮盆栽美術館。
 けっこう外国人観光客が多いように感じられました。(写真にはあまり出てないけど)

展示庭① 

 当美術館には盆栽の名品や盆器、鑑賞石をはじめ、盆栽が描かれた浮世絵、さらに盆栽の歴史・資料などが展示されています。開設は2010年。

展示庭② 

 大宮盆栽村ができたのは大正14年(1925)。
 もともとは江戸の団子坂(文京区千駄木)周辺には植木職人が多く住んでおり、明治になってからは盆栽専門の職人も多くなり、盆栽町が形成されていました。
 しかし大正12年(1923)関東大震災で大きな被害を受け、業者たちは盆栽育成に適した土壌を求めてこの地に移り住み、2年後に盆栽村を形成しました。

藤の盆栽   

 昭和10年(1935)年ころには約30の盆栽園があったそうですが、その後10軒程度になり、衰退の一途をたどりましたが、近年の海外人気の影響(?)でわが国でも「盆栽女子」が増え、「盆栽甲子園」も行われるとか。

真柏   

 そういえばニュースでも、若者が「五葉松の枝ぶりがいいね」といえば、小学生が「この真柏は葉つきがいい」などといってました。若いのに、年寄りを差し置いて、風流すぎるぞ。

上から見た展示庭  

 盆栽の鑑賞の仕方は、根の張り具合、次に幹の立ち上がり。そして枝ぶり。さらに葉のつき具合、を見るのだとか。うーん、当方にはまだ遠いなあ。
      

 若葉萌ゆ卓に置かれし五葉松