ソメイヨシノの開花宣言はなされたけど、満開にはまだまだ。
 ならば、しだれ(枝垂)のほうが早いだろう、と小手指(所沢市)砂川堀にやってきました(03/30)。
       
 「おッ、咲いている」
 細い用水路(砂川堀)の両岸に植えられたしだれ桜が白、ピンク、赤、思い思いの色で咲いています。

砂川堀  

 このしだれ桜は小手指公園から南西方向に約500mの砂川堀の両側に植えられたもので、その数119本とか。

しだれ桜   

 全部しだれ桜というのは珍しい。
 川幅も道幅も狭いので(横に張り出さない)しだれ桜にしたのでしょう。
 ふだんはお世辞にもきれいとはいえないドブ川が、このときばかりは桜の名所になる。よかった、よかった。

桜の簾    

 例によって老人ホームの介護者がゆっくりゆっくり通り過ぎる。
 「今年も見られてよかったのう。ナンマイダブ……」
 車内ではお年寄りのよろこぶまいことか。

介護車   

 来年は見られるかどうかわからんから(当方も)、とっくり見といてや。

 砂川堀沿いのしだれ桜  

 オマケは近くの西友の前にあるポトマック桜。
 この桜の木は、友好のシンボルとして日本から米国ワシントンDCのポトマック川に贈られた桜の木の子孫を里帰りさせた記念の桜で、花びらがぽってり(八重?)しているのが特徴。
 この近辺ではちょっとした名物だそうです。

ポトマック桜   

 介護車のそろりそろりと桜みち

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 先日(03/17)山崎公園の早咲き桜(オカメ桜、寒緋桜、八重寒緋桜、熱海寒桜)をUPしましたが、その第二弾。
  

 目を引いたのが、ピンクも鮮やかなプリンセス雅。

プリンセス雅①   

 名前からして高貴です。

プリンセス雅②   

 小彼岸桜も満開。別名・高遠桜。

小彼岸桜(高遠桜)①   

 これは淡いピンクですが、風情があります。

小彼岸桜(高遠桜)②   

 陽光桜。これはあちこちで見られます。先日は築地でも見られました。

陽光桜   

 敬翁桜。年寄りを大切に。

敬翁桜   

 彼岸枝垂は五分咲き。
 山下公園(ニューグランド前)のしだれ桜も、そろそろかな。

彼岸枝垂   

 気になるのは横浜緋桜ですが、うーん、まだまだ。
 これなら本牧山頂公園の桜もまだのよう。

横浜緋桜の現状   

 宴前彼岸桜のひっそりと

 昨日は「関連力」に触れましたが、その具体例について述べてみます。
  

 4年前(2013)の夏、私はロフトから落ちて右上腕骨を剥離骨折し、それをつなぐため骨の内側に金属の支柱を入れる手術を受け、その際全身麻酔を施されました。
   

 気がついたら手術は終ったあと。傷口は縫われ、金属の棒が入っています。その間私は無意識状態だったわけです。
  

 これは睡眠とはまったく違う。
 肩の皮と肉をざっくり切られ、骨を出されてその内部に金属の支柱を入れ、数ヵ所ボルトで固定し、それを元にもどし、傷口を縫いつける……ふつうなら激痛のはず。
 しかしこれがまったく感じてない。
 無意識というのは痛みもなければ、何もない。

 このとき思ったのは、泉鏡花の「外科室」はうそっぱちである。
 これは、ある高貴な夫人が手術の際、麻酔をかけられたら、自分の秘密をうわごとで喋ることを恐れて麻酔拒否。主治医も(わけありで)麻酔なしで執刀。夫人は痛みのあまり絶命するという内容の小説ですが、そんなことはあり得ない。
 全身麻酔なら、意識がないので秘密など口走るわけがない。だいいち喉の筋肉が動かないのだから、うわごとなど喋れない。執刀医ならそれぐらいのことはわかっているから、夫人に説得するはず。

 さらにいうと、施術中の「〇〇京一郎」という生命体の心肺が動いていたとしても、無意識状態であれば、「私はそこにいない」ことになります。つまり「我思わざれば、我なし」
 ということで、デカルトの「我思う、故に我あり」は正しかった。
  

 これについて深夜のラジオ放送で某老作家が、
 「本当は『我あり、故に我思う』なんだけど、そこはデカルト一流のレトリック(修辞法)でわざとひっくり返してみせたんだよねえ」
 と得意げに語っていたけど、この作家、なにもわかっとらん。
 デカルトは詩人とは違って哲学者。レトリックなど弄するものか。
 ことば通り「我思う、故に我あり」だよ。

 では「私」とは何か。
 これは「認識する私」のことです。生命体のことではありません。
 生命体は親が産んだ。しかし認識までは産んでない。
     
 世間には、「何で私を産んだ」と親に問い詰める子どもがいるそうですが、その子はこの道理がわかってない。(答えられなくておろおろする親も情けない)
 親は「問い詰める私」を産んでない。赤ん坊(生命体)を産んだだけ。
 認識はその子のもの。つまり私を産んだのは私、ということになります。
  

 余談ですが、「なぜ私を産んだ」と子に問われたら、「だったらなぜ親を産んだのだ。祖父母に聞いてくれ」と答える手もあります。そうなると問いは先祖代々に遡ることになり、愚問であると思い知らされるでしょう。

 聖書のヨハネ伝福音書第一章に、
 「初めにことばありき。ことばは神とともにありき。ことばは神なりき」
 と記されています。キリスト教の基本中の基本です。
       
 これは「認識が先にある」といっています。つまり「我思う、故に我あり」です。
 ゲーテは「ファウスト」のなかで「初めに行為ありき」ではないか、と主張していますが、やはり認識が先なのです。

 このことは般若心経も同じです。
 「色即是空 空即是色」とありますが、これは実体には何もなく、何もないところから実体(生命ある肉体)が生まれると説いています。
 この「何もないところ」とは認識のことではないかと思うのです。
 

 維摩経の序章にも「生命の由来」が書かれ、それによると「行為」などは序の口で、そのエネルギーとなるも遡っていくと、触(=気配のようなもの)にたどり着きます。
 では蝕とは何か。これは「生まれようとする意志」ではないか。やはり認識が先なのだ。

 これらの解釈が正しいかどうかはわかりません。
     
 しかし無意識状態から生還したとき、泉鏡花「外科室」、デカルト「我思う、故に我あり」、某老作家の「レトリックなんだよね」、「なぜ私を産んだ」、聖書の「初めにことばありき」、般若心経「空即是色」、維摩経のことば……が次々と浮かんできたのは事実です。
 これは私にとっての関連力の一例です。
  

 我思ふ故に我あり春光

    

 先日(03/24)は小学校の同窓生3人と、銀座の某ギャラリーで「京大写真部ОB展」を観てきました。高校時代の友人が出展しています。
  

 小さな画廊に36作品が展示。例によって友人が案内してくれました。
 「これはテーマが決まってるの?」
 「いや別に。それぞれが思い思いで撮ってます」

写真展・会場①   

 彼の作品は「静寂」といって雪の那須高原の樹氷の景色。
 濃紺の空との対比が見事でした。
  

 「おや?」
 「あらッ」
 高校時代の同窓生だった女性と遭遇しました。
 当時は口をきいたこともなかったのに、同窓生の消息からはじまって、故郷(京都)の話に。

写真展・会場②   

 「この年になって、やっと京都のよさがわかってきたわ」
 「そうかな、オレなんか京都を捨ててるから」
 「あかんえ、そんなん。京都は奥が深いえ」
 「そうかなあ」

同窓生と   

 そのあと3人の仲間とも合流して、近くの喫茶店へ。
 話題は互いの近況話から老人論まで。
 「年取ると記憶力、計算力、判断力などほとんどの能力は若いものに負ける」
 「そら、そうや」
 「しかし負けんものがある。それは関連力や」
 「関連力って?」
 「これまで身につけたいろんな知識を結びつける力や。それができない年寄りはただの年寄りや」
 「ワシがそれや」
 (関連力の具体例は省略)

銀座   

 「最近みんなバタバタとあの世へ急ぎよるな」
 「ほんまや。ワシもそろそろや」
 「オレは覚悟はできてるよ。むろん孤独死や」
 「私、孤独死もひとつの死に方やと思うわ」
 「その通りや」
  

 小一時間、こんな会話で盛り上がって散会しました。
  

 絵画展出でて目に入る春の色

 聖路加国際大学より海岸側は聖路加国際病院ですが、立ち入るのは遠慮して、その先の聖路加ガーデンに入りました。

聖路加タワー   

 聖路加ガーデンは1994年に開業した複合施設で、2棟の超高層ビルで構成されています。
 「たしかここに展望台があったはずだが……」
 ホールにいたガードマンに聞いてみると、今は閉鎖され、レストランになっているとか。
 なるほど、そういうことか。

聖路加ガーデン(ホール)   

 展望室はなくてもオフィス棟とホテル・レジデンス棟を結ぶブリッジから展望できるとのことですが、どうしても見たいわけでもないので外のテラスに出ました。

聖路加ガーデンのテラス   

 目の前を隅田川が流れています。
  

 水上バスも。

隅田川の水上バス  

 ♪春のうららの 隅田川 
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしづくも 花と散る
 ながめを何に たとふべき
  

 上流側の橋は佃大橋。その向こうに建っている高層ビルは大川端リバーシティ21。
 その左に見える斜張橋は中央大橋です。

隅田川と佃大橋   

 ♪錦おりなす 長堤に
 暮るれば昇る おぼろ月
 げに一刻も 千金の
 ながめを何に たとふべき
 (歌詞と今の景色とは雲泥の差があります)
  

 冥府より我にこと問ふ初ざくら
  

 楽しみにしていた桜を観ずに逝った知人もいたなあ。

 明石小学校の南側は聖路加(ルカ)国際大学の敷地。

聖路加国際大学   

 ここは明治8年(1875)~23年(1890)の間アメリカ公使館が置かれたところで、その前まで元麻布の善福寺に置かれていたのを、この外国人居留地内に新築され、初めて公使館らしい形容が整えられました。
 公使館は明治23年(1890)赤坂の現在地に移転され、現在の大使館に至っていますが、その跡地であることを示すため、星、白頭鷲、星条旗の3個の石標が残されました。

星   

 白頭鷲はアメリカの国鳥。星条旗に彫られた13の星は米国初期の13州のことです。

白頭鷲 星条旗   

 その奥に山小屋風の洋館が建っていますが、これはトイスラー記念館。 
 トイスラーとは聖路加病院の創立者ルドルフ・ボリング・トイスラー(1876~1934)博士のこと。
 彼は明治33年(1900)25歳のとき、米国聖公会宣教医師として来日。
 翌年、日本初の近代型医療施設の聖路加病院 (聖路加国際病院の前身) を開設し、初代院長を務めました。
  
 また、明治37年(1904)には聖路加看護婦学校発足を発足させ、専門技術と知見を備えた看護職の育成に務め、日本の近代医療に大きく貢献しました。
 聖路加看護婦学校はのちに聖路加国際大学になり、今日に至っています。
 そのトイスラー院長は昭和9年(1934)聖路加国際病院で死去。享年58。

トイスラー記念館   

 この記念館は、昭和8年(1933)聖路加国際病院の宣教師館として建設されたものを解体し、平成10年(1998)に移築復元されたものです。非公開。
  

 トイスラー博士、初めて知りました。日本の近代医療発展の陰にこんな人がいたとは。
 もし長生きされていたら、後の太平洋戦争をどのように思われたでしょうか。

キャンパスの早咲き桜   

 キャンパスにまだ若木の早咲き桜が咲いていました。(03/24現在)
  

 医の道を託して彼岸桜かな

2017.03.25 明石町を歩く

 おッ、咲いてる、咲いてる。
 といってもソメイヨシノではありません。これは陽光桜。
 天城吉野と寒緋桜との交配で作出された品種だそうです。
 なるほど、だからピンクが鮮やかで、咲く時期が早いのか(03/24)。

陽光(築地川公園)    

 この場所は、なにを隠そう、築地川公園。昔は川だったところを公園にした。
 町名でいえば、東京都中央区明石町。ほとんど聖路加国際病院の敷地です。
 そしてこのあたりは「歴史の道」ということで、いろんな碑が立てられています。

聖路加病院   

 まず「芥川龍之介生誕地」の碑。(といっても解説の看板のみ)
 「えッ、こんなところで生まれたの?」と思われるかもしれませんが、この付近に牧場があって、その経営者・新原敏三の長男として生まれたのが龍之介。しかし家庭の事情で生後7ヶ月にして母方の親戚・芥川家に引き取られ、養子になりました。
 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、「地獄変」「羅生門」「或阿呆の一生」など、多くの名作を残しました。横須賀・吉倉公園の「蜜柑」も。

芥川龍之介の生誕地   

 さらに行くと「浅野内匠頭邸跡」の石碑があります。
 ご存じ「忠臣蔵」の原因となった殿様ですが、江戸城中で刃傷沙汰を起こし、即日切腹。江戸屋敷、領地は取り上げられ、浅野家は断絶しました。

浅野内匠頭邸跡   

 またここは明治になって外国人居留地が設置されたところであり、明石小学校の角にはレンガ塀とガス灯の遺構が保存展示されています。

築地外国人居留地跡とガス灯   

 外国人居留地でも、商館が多かった横浜や神戸と異なり、公使館や領事館、宣教師・医師・教師などの知識人が多かったそうです。

居留地時代のレンガ塀遺構 

 文明開化の場所といっても、ここは横浜とはまた違った趣があります。
  

 新入りの宣教師も見し江戸彼岸

 仙波東照宮の石段の脇に桜が咲いているのを見つけました(03/22現在)。
 ソメイヨシノ? まさか。

仙波東照宮   

 この木は特別らしく、柵で囲ってありました。
 幹につけられた名札を見ると、「エドヒガン桜・樹齢?百年」とあります。

伊豆守お手植えの江戸彼岸   

 川越の観光情報によると、これは川越城主「松平伊豆守信綱」が植えたとされる桜だそうです。
 「本当かね?」と疑うのは野暮。栗東の歴史研究家にいわせると、そういう言い伝えがあることが大事なのだそうです。
  

 その北にある「喜多院」。
 ここも桜の名所で、満開時には多くの花見客で賑わい、屋台も出ますが、ソメイヨシノはまだまだ。

ソメイヨシノはまだまだ   

 しかし、しだれ桜は咲いていました。
 ここのしだれは見事。とくにしだれ越しに見る多宝塔はなかなかのもの。

喜多院のしだれ桜   

 これも由緒あるしだれ桜かもしれないけど、当方の知ったことではないわい。

しだれ越しの多宝塔   

 名刹を隠して枝垂桜かな

 昨日(03/22)の午後、川越の中院に行ってきました。
 東京ではソメイヨシノの開花宣言。
 ならばこちらのしだれ桜なら、もっと咲いているだろう、と。

中院・境内   

 おッ、咲いてる咲いてる。本堂の近くではしだれ桜が満開に近い状態。
 当院のしだれ桜は有名で、毎年この時期になると大勢の人が訪れます。

しだれ桜   

 さらに境内ではエドヒガン(江戸彼岸)が咲いていました。
 これも彼岸といわれるようにソメイヨシノよりは早い。

エドヒガン   

 まだあります。
 観音堂の脇の寒緋桜。エドヒガンより早く咲いたと思われます。

地蔵のうしろに寒緋桜と竹林   

 竹林の緑を背景に鮮やかなピンクが見事です。(どぎつい感じもありますが)

寒緋桜   

 珍しいところでは墓場の隅に咲いている白い十月桜。
 これは秋と春、二度咲くそうです。

十月桜   

 オマケはしだれ桜の脇に咲いていたミモザの花。鮮やかな黄色はなかなかのインパクト。

ミモザ   

 茶室「不染亭」の脇に咲いている白木蓮。これも見事。

白木蓮   

 ミモザも白木蓮も本来なら主役級なのに、ここでは桜に譲って脇役に。
  

 黙然と庭に身も座す桜かな

 
今回は駄洒落句で悪いネ。


 川越街道の三芳町藤久保地区は街道のなかでも最も風光明媚なところです。
 歩道と中央分離帯が広くとられ、けやき並木が続いています。

歩道も中央分離帯も広い   

 「川越街道」と書かれた石の標識が建てられています。

川越街道の石の標識   

 それでも所どころ中央分離帯もなく、歩道も狭い個所もあります。
 明治、大正になって新河岸川の舟運が下火になると、車の通行を見越して川越往還(街道)の道幅を拡張したけど、立ち退きなどが上手く行かなかったところもあるようです。
  

 そんな事情もあって川越街道は渋滞が激しく、とくに資料館入口とみずほ台入口の交差点付近はしょっちゅう滞っています。

渋滞ポイントのみずほ台入口   

 白木蓮が咲いています。

白木蓮   

 そして脇道にはヤマザクラが。
 東京では昨日(03/21)ソメイヨシノの開花宣言がなされたけど、それよりやや早く咲いたヤマザクラが何ともマヌケ(フライイング?)に思えてきます。

ヤマザクラ   

 おおッと、一本の木に紅白の梅。「思いのまま」がここにも。
 今さらって気もするけど。

思いのまま   

 渋滞の窓より見ゆる山桜

 4月になれば川越の友と跡見学園女子大学で観桜会をすることになったので、その下調べに行ってきました。
   

 同大学では毎年03/01~05/15の間、桜鑑賞のためにキャンパスを開放しています。
 「この時期なら早咲きの桜が見られるかも」と期待したのですが……。

跡見学園女子大学・正門    

 例によって正門で名前を記入し、「跡見学園女子大学の桜」というパンフレットをもらってキャンパスに入りました。
  

 このパンフレットにはキャンパス内の桜の見取り図。木の一本一本に番号がつけられ、どこにどんな桜が植わっているのかわかります。
 そしてなかを開くと数種類の桜の写真と名称と解説。ちょっとした桜図鑑です。

跡見学園女子大学・キャンパス    

 しかし咲いているのは……。
 山崎公園で咲いていたオカメ(誰のこと?)

オカメ   

 グランド沿いの並木にヤマザクラが咲いていました。
 これは日本古来のサクラで、古典に出てくる桜とはこれのこと。
 もっともグランドでは女子学生が野球の練習をやっていました。

ヤマザクラ(山桜)   

 2号館の裏では白っぽいカラミザクラ(唐実桜)が咲いていました。
 これは中国原産の野生種で、果実は小ぶりながら甘酸っぱく、これが本来の桜桃だそうです。

カラミザクラ(唐実桜)   

 河津桜、カンザクラ(寒桜)は終わり、ソメイヨシノはまだ、という状態でした。
 やっぱり4月にくるしかないのかにゃー。

ソメイヨシノはまだ…   

 歴女より野球女子見る山桜

 ふじみ野市の地蔵院(真言宗智山派)は鎌倉末期の古刹。
 ここのしだれ桜は樹齢390年近くの古木で、ふじみ野市指定文化財・天然記念物とされています。

地蔵院・山門    

 しだれ桜(糸桜)は江戸彼岸桜の変種なのでソメイヨシノよりは早い。
 そこで昨日(03/19)行ってきました。
  

 「おッ、咲いている」
 満開ではないので華やかな感じはありませんが、しっかりと(七分咲き?)咲いています。

地蔵院のしだれ桜①   

 しだれ桜の樹齢は300年程度といわれているので、この桜はとっくに寿命オーバー。そのため枝が重力に抗し切れず、あっちこっちに突っかい棒が施されています。
 それでも高さ6.3m、根回り周囲が3.9m、枝張りは最大17.5mは堂々たるもの。
  

 花を咲かせるのが植物にとっての生殖活動の一環とすると、このしだれ桜は足腰立たなくてもアッチのほうはお盛んということ?

地蔵院のしだれ桜②   

 境内にはいろんな地蔵があるけど、身につまされるのは「ぼけ封じ地蔵」
 観音様にすがりつき、頭を撫でられているジジイはとても他人とは思えない。

ボケ封じ観音   

 今日も無事徘徊できますように。
   

 老いぬれば抜け駆けもよし糸桜

 川越の友は、「最近政治のニュースが面白い」といいます。
  

 「籠池なんて一切知らない」といっていた防衛大臣が実は10年前には籠池某の顧問弁護士をやっていた。その事実を突きつけられても、「記憶になかったから」と突っぱねた。
 そのくせ籠池某については「失礼なことをされた」とか、籠池夫人については「あの人らしい」とよく覚えている。幼稚なのか、図々しいのか。(恥知らず?)
 私の印象に残っているのは、公務で靖国参拝ができなかったことを(辻元議員に)指摘されて涙ぐんだ光景。泣くことはなにもない。「公務で行けなかった」と堂々といえばいいこと。こんなつまらんことでベーベー泣く大臣も珍しい。
  

 そのためなのか、「PKOの日誌は破棄した」と防衛省(と自衛隊)にトボけられている。なめられているといってもいい。
「こんな大臣で国が守れるのか」と友はいう。
  

 「籠池の証人喚問も面白い。アイツはなにをいうかわからん」と友はいいます。
 籠池某に関しては妄言が多いと思っているけど、「安倍晋三から寄付を受け取った」とすでにいっている。今さら引っ込みはつかない。
 それに、今まで隠されていたことがボロボロ出るのではないか。
  

 さらに、「愛国教育が浸透してきてるよ。教育勅語は小学館で発行され、じわじわ売れている」といいます。
 私は、恋愛と同じで、「国家の側が国民に愛国を強要したらもう終わり」と思っているので、行く末はかなり不安です。
  

 私の覚えている限りでは、愛国を強要していた代表は石原元都知事。
 あんなに偉そうにやっていたのに、いまのザマはなんだ。年取っただけでは済まされない。
 百条委員会では何をしゃべるか、興味を持たれているけど、「覚えてない」「知らなかった」でトボけ通すと思います。結局、偉そうにやっていた人間は責任を取らない。
 それは戦前・戦中の日本の指導者も同じ。
  

 さらにいうと、今のアメリカ大統領。
 このKKKの流れをくむ連中はこれまでアメリカ南部で臥薪嘗胆し、国力が弱まっているときに「今こそ!」と出てきたわけですが、かえって集中砲火を浴び、やがてはボシャるでしょう。
  

 同じことは日本の愛国教育にもいえるのではないか。
 地味にじわじわ浸透していればよかったものを、籠池某のようなオッチョコチョイが出現したことによって、集中砲火を浴び、廃れていくのではないか。そんな気がします。
  

 その籠池某の証人喚問は今月の23日(木)。
 「面白いことになったけど、この日は生憎WBCともぶつかるんだよねェ。さらにいとう選抜甲子園の早実vs.明徳もこの日だ。どれを観るかなァ」
  

 私はこの日は歯医者なので、リアルタイムでは観られない。いいけど。
     
 啓蟄や怪しい虫の這い出づる
  
  

 所沢の東川に早咲きの桜が咲いていると聞いて、昨日(03/17)行ってきました。
 小さな川ですが、春になると川沿いにソメイヨシノが開花し、ちょっとした桜の名所です。
 しかし、今の時期は……?

東川  

 おッ、一部分ひっそりと桜の咲いているところがあります。
 早咲き桜といってもいろいろあるけど、これは淡いピンクだから、寒桜(あるいは大寒桜)かな。

東川と桜①   

 昨日、返コメを書いたついでに、跡見学園女子大学でもらった「構内サクラガイド」(サクラ図鑑)を改めて開きました。
 この図鑑には約40種類の桜が記載されていますが、山崎公園に植えられているプリンセス雅、コヒガン桜(高遠桜)、マメ桜、陽光桜、敬翁桜、横浜緋桜はない。
 ということは、跡見学園の桜がすべてではない?

東川と桜②   

 さらにこの図鑑によると、いわゆる「八重桜」というのは通称で、そんな品種はなく、カンザン(関山)などのサトザクラグループだそうです。
  

 そういえば関内桜通りの八重桜はカンザンだったような……。
 私はこの桜が好きで4月中旬にはよく行ったものです。(今年も行けるかな)

桜越しに見る対岸   

 というわけで、東川の早咲き桜はまァそれなりに。
  

 寒桜いろ控へ目に抜け駆けむ
  
  

 河津桜もそろそろ終わり。
 そこで昨日(03/16)山崎公園で、早咲きの桜を観てきました。
 ここは桜園があって、数種類の桜が植えられています。

園内にはまだ咲いてない桜のほうが…   

 ということは早咲きの桜も咲いているはず。
  

 おおーッ、寂しきなかにもぽつぽつと。
 薄いピンクのオカメ桜と、濃いピンクの寒緋桜。

左・オカメ桜、右・寒緋桜   

 熱海寒桜は薄いピンク。熱海は暖かいところだから、咲くのは早い。

熱海寒桜   

 そして八重寒緋桜。緋桜というだけあってピンクが濃い。

八重寒緋桜   

 咲いてるか否か、どうしても確かめたかった桜があります。それは横浜緋桜。
 しかし、まだ、咲いてない。ガックリ。

横浜緋桜     

 横浜緋桜というのは横浜ブランドの桜で、寒緋桜を父方に、兼六園熊谷桜を母方にして交配された新品種。原木は本牧山頂公園にあるそうです。
 ソメイヨシノより早いので、「あるいは」と思ったのですが……。
 こんなことなら、本場(横浜)もまだだろうな。
          

 去年は(3月の)20日過ぎに咲いたから、もう少し待つか。
 そのころになるとプリンセス雅、コヒガン桜(高遠桜)、陽光桜、敬翁桜……なども咲くだろうから。
  

 端座してチビリチビリと寒桜
  

 寒桜には熱燗がよろしいようで。
    

 近辺の徘徊には寺社仏閣に寄ることが多いのですが、ときとして民俗資料館のようなところに寄ることもあります。
 ふじみ野市にある上福岡歴史民俗資料館もそのひとつ。
上福岡歴史民俗資料館     
 ここは上福岡地区の歴史、民俗を中心に展示されています。
 昭和30年代の団地の風景や、当時の家電製品などが展示されています。
昭和30年代の家電製品      
 メンコ、野球カードなど、当時の子どもたちの遊具も展示されています。
昭和30年代の遊び道具     
 2階の研修室では数人のグループが伝統的な機織りを実演していました。
 聞いてみると、これは裂(さき)織りというのだそうです。
機織り風景   
 「裂織り?」
 「ええ、布を裂いて撚り合わせて糸にするのです」
 「すると端切れを利用するのですか」
 「端切れを利用することもありますが、新しい生地を裂いて撚ることもあります」
 裂いた布を撚り合わせて糸にする     
 「それをこの機織り機で織るのですね」
 「そうです」
 「大変な作業ですね」
 「でも楽しいですよ」
機織り機     
 機織りの原理は縦糸と横糸の組み合わせですが、模様をつくるにはそれぞれの色の糸を表に出したり裏に隠したりする。
 その理屈はわかるけど、表に出す数多くのポイントをよく正確に把握しているものだなー。
 うーん、説明されてもわからない。
作品     
 また草木染めをやっているグループもあり、その糸を使って織ることもあるといいます。
草木染め       
 「今年の11月、ここで作品展をやりますので、よろしかったら見にきてください」
   
 作品展の知らせを目にしたら行くと思うけど。
    
 誰がために機を織るのか花衣


 昨日はサウジ御一行を取り上げましたが、他にアホらしい国といえば、司法が世論に押されて(?)大統領を罷免したおとなりの国、さらにそのおとなりの、チンピラ君主が兄を毒殺する国。この国はアホらしいというより恐ろしい。
 幼い子に「将軍様の礼賛文」を暗唱させる。
  

 幼い子に暗唱といえば、「安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです」と園児にいわせた幼稚園。これでは北朝鮮(いっちゃった!)と同じじゃないか。
 ついでにいうと、園児が暗唱していた「教育勅語」の「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國~」の「朕」(チン)とは天皇のこと。
   

 現在の天皇は象徴として政治的な発言はできないので、それをいいことに子どもに暗唱させている。そもそもこの「教育勅語」は若者を戦地に向かわせるために利用されたとして戦後憲法のもとでは否定されたもの。
     
 今の天皇は平成の世になったとき、「これからも憲法を守ってゆきたい」と宣言された。
 また園遊会で、ある棋士が「子どもたちに日の丸・君が代を徹底させております」といったとき、「強制でないのが望ましい」ともいわれた。
 勅語を園児に暗唱させるのは、このような考えの天皇に最も反する行為ではないのか。
   

 ところがこれを「素晴らしい教育だ!」と称賛したのが鴻池某であり、首相夫人(首相も?)であり、防衛大臣であり、大阪維新の面々。
 そこを籠池某に付け込まれため、土地買収→小学校建設がトントン拍子に運んだ。
 あとで鴻池某は「無礼者!」といってコンニャク(?)をたたきつけたといったけど、同じ穴のムジナじゃないのか。
  

 籠池某の顧問弁護士だった防衛大臣は「教育勅語の精神は大切にすべき」といってるようだけど、そりゃ「親に孝行、夫婦仲よく、友を信じ」「自己の言動を慎み」「人に慈愛を尽くす」とか、いいことは書かれているよ。(別に教育勅語じゃなくてもいい)
 問題は最後の「国に危機が迫ったら、国のため力を尽くし、皇国を支えよう」の文言で若者は戦争に駆り立てられた。だから戦後否定されました。
  

 そんな文言を何も判断のつかない園児に暗唱させるという神経、それを称賛している防衛大臣、首相を含めた今の閣僚の神経がしれない。そんなに戦前の状況にもどしたいのか。
 故野坂昭如氏はこんなことをいっていた。
 「今の北朝鮮が恐ろしい国だというのは、戦前の日本と同じだからだ」と。
    

 こうしてみると、「アホらしい国家」とは、とつ国のことだけではないらしい。
    

 つくしんぼ「朕惟フニ」をすらすらと
 

 園児は可哀相だけど、子どもは立ち直るのも早いから。


 このところ豊洲問題、森友学園、自衛隊南スーダン撤退、天皇退位問題、北朝鮮毒殺&ミサイル、韓国大統領罷免……など、突っ込みどころはいっぱいあるけど、今回は視点を変えて、このたび来日したサウジアラビアの国王御一行について少し述べてみたい。
   

 この御一行の外遊はいつも豪勢で、今回も1,000人を超える王族や企業幹部らが同行したため都内の高級ホテルの客室は予約で埋まり、高級ハイヤーの確保に東京だけではなく名古屋まで抑えられ、さらに国王用のエスカレーター式のタラップまで用意されたといいます。
  

 今回国王来日の理由というのが、石油依存を脱して経済を多角化する改革を進めているので、日本からノウハウを学びたい、というから笑わせる。
 だったら王族たちの豪勢な金の遣い方はやめろよ。
 「隗より始めよ」(ものごとを始めるときは、自分の考えを部下に求めるよりも、自ら率先して着手せよ)というではないか。
  

 私から見れば漫画です。
 日本の政財界もマスコミもこのバカバカしい御一行を(内心では笑っていても)うやうやしく迎えるのは、ひとえに経済効果。中国の爆買いが下火になったから、サウジ御一行に期待しているだけ。さらにいえば、日本は石油の供給を安定させたい狙いもあります。
 (サウジは本当に石油依存から脱却できるのか?)
   

 日本だって幕末~明治初期に何度か欧米へ使節団を派遣したけど、明治4年(1872)の岩倉使節団でも107名、けっして豪遊ではなかった。金がなかったという事情もあります。
 でもハングリーだからこそ、使節団の連中は欧米諸国から近代経済の仕組みやインフラ設備などを貪欲に吸収し、明治日本の近代化に活かした。これが視察の役目です。
  

 このあとサウジ御一行は中国へも行き、日本と両天秤に掛けると思われるけど、したたかな習近平に取り込まれるのではないか。
 そうなると中国の労働者が大挙してサウジに押し寄せるようになり、現地と軋轢を起こす。そんな光景が目に見えます。
   

 お国事情や国民性の違いはあるかもしれないけど、サウジのような国がこのままで今後も繁栄するとはとても思えない。
 私のようなひねくれ者は、御一行の爆浪費には何の恩恵にもあずかってないので、遠慮なく笑わせてもらいます。
  

 タラップも国も地震で揺れ動く
  

 Webの季語別俳句によると、「地震」「津波」はこの時期の季語だそうです。
 もっともサウジあたりには地震はないのか。

 このところ富士山について考察することが多くなり、川越の友からは「富士山博士ですか?」といわれるようになりました。
 前にもいったように、埼玉県南部は道路が東西南北に沿わず、斜めに走っているため、道が開けていれば南西方向に富士が見えやすいのです。
  

 わが家にはロフトがあり、その天窓は南西に向いている。
 この窓からは外をまじまじと見たことはなかったけど、ひょっとしたらここから見えるのではないか。
 そう思って覗いてみると、なんと、前の家と家の間に真っ白い山の稜線が……。

 これは富士山ではないのか?
 間違いない。
 富士山の右側の部分がはっきりと見えます。
 たとえ一部でも富士は富士。これでも「おらが富士」だ。

天窓から見る景色   

 実はこれに気づいたのは1ヵ月ほど前のことで、いらい毎朝富士を見るのが日課になりました。
 一日に何度もロフトに上がって、富士を見ます。
 「今まで7年間なにをしてたのか」
 ここに引っ越してきた当初は、ここから富士が見えるなんて思いもしなかった。
  

 晴れている日には何度もロフトに上がって富士を拝んだものですが、最近はそれほど珍しくもなくなり、朝見えなければもうロフトに上がらなくなりました。
 というのも朝がいちばんよく見えるから。

 それにこのところ、朝でも見えなくなっている。
 やはり春になると空が霞んでくるのかな。
  

 甲斐もなく霞みゆく日々おらが富士

 一昨日(03/10)は約1ヵ月ぶりにエーキドー工場に向かいました。徳用食パン(3斤=150円也)がそろそろなくなるから。
   

 工場の直営店を見ると誰もきてない。時刻は10時。開店(10:15)にはまだ時間がある。
 そこでちょっと足を延ばしてアスクルに向かいました。
 ニュースでも散々報じられたように、アスクルの倉庫火災は先月16日(木)に発生し、12日間燃え続け、ようやく28日(火)に鎮火。その間、アスクルの前の県道さいたま・ふじみ野・所沢線は通行止めでした。

上富の交差点   

 上富の交差点に着くとお巡りさんの姿はなく、通常に通れました。
 そこでアスクルの前まで。
 倉庫近辺には出入りの車はなく、警備員が2~3人いる程度で、ここでは営業してない様子。

アスクル① 

 何枚か写真を撮ったとき、エーキドーのことがふと頭をよぎりました。
 「いかん!」
 本当は反対方向も撮って、聞き込みをしてやろうと思っていたけど、当方にとってはそれよりパンが大事。(パンのみに生きる人間なので)
 あわてて引き返しました。

アスクル②   

 エーキドーに着いたのは10:16。
 店はすでに開いており、4人の客がパンを買い漁っていました。
 徳用パンは……?
 2本残っていて、辛くもゲット。危なかった。(ひとりで2本抱えた人もいた)
 なめてはいかんなー。

3斤分  

 ちなみに当方が買うのはこれのみで、他のクロワッサン、ロールパン、カレーパン、アンパンなどは目もくれず。
 店にとってはありがたくない客かもしれないけど、当方にとってはありがたい店。なぜなら当方はこの麺麭(パン)のみで生きているから。
  

 目的のパンが買えたので気をよくして大井方面(ふじみ野市)に足を延ばすと、弁天池の近くではしだれ梅とミモザの花が咲いていました。

しだれ梅とミモザ    

 梅便り明日来るよりも今日の麺麭

 あの日のことは未だに覚えています。
 自宅でPCに向っていたら、いきなりグラグラ、グラグラッ!
  「おや、地震だな?」
        
  しかしその揺れは次第にユッサユッサと大きく、激しくなる。
 「大変だ!」
  食器棚の上に大きな電子レンジが乗っているので、それが落ちないように抑えに行きました。
  揺れはさらにグラグラグラッと激しくなり、しかも時間が長い。
 ドサドサッと音がしました。棚の上の資料の箱が落ちました。
       
 5分ぐらい揺れていたでしょうか。
 こんなに激しく、長い地震は初めて。
     
 ラジオを点けると、「震源地は宮城県沖、マグニチュード7.6、宮城県の震度7」
 その後マグニチュードは8.4に変わり、8.8と訂正されました。
 南関東でも震度5強。こちらでも最大級の地震でした。
      
 夜のTVニュースを観ると、東北地方の被害が甚大であることがわかりました。
 とくに津波が沢山の車を押し流し、河をさかのぼって人家や畑を飲み込んで行く様子にことばを失いました。
 これが「1911.3.11東日本大震災」の日でした。

  *

 翌日被災地の惨状をTVニュースで見て、胸がふさがりました。
 しかも津波による障害で救助隊の動きもままならないようでした。
        

 「あんた、無事だったか」
 朝霞市に住む年上の友人から電話がきました。
 彼はこちらの携帯に何度も電話したけど、繋がらなかったそうです。
 「こちらの被害はTVの裏に収納したビデオがバラバラ落ちた程度だよ」
    

 その後も続々と友人・知人から、「生きてたか」と命の確認電話。
 そして異口同音に「こんな大きな地震、初めてだ」 

 *

 その後は被災地の悲しい報道が多く、首都圏でも計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 そのため買いだめに走った人も続出し、その大半は我われ年配者。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに。
 我われ世代は、オイルショックのとき上の世代がトイレットペーパーを買い漁る姿を見て、「あんな年寄りにはなりたくない」と思ったはずなのに、その年齢になればそうなるのか。情けない。
    

 友人との会話も変わりました。
 「東北のニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙が出るよ」
 「みんな純朴でいい人たちばっかりじゃないか。なんでこんな目に遭うのか」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるよ」
 当時はニュースを見るたび自分の無力さを思い知らされました。
   

 そのときがきたらどうするか、ということを真面目に語り合いました。
 避難しているときに救助のヘリがきて、ひとりしか運べないという究極の選択です。
 「オレはもういいかな。子どもや若い人に譲るよ」
 「わからんぞ。そんなことをいうヤツに限って、われ先にロープにすがりつくんだから」
 「そうかなあ」
 「いや、キミかそうだということではないけど、そのときにならないとわからない」
    

 関西の友からも心配されました。「そっちは大丈夫か。心配したぞ」
 大丈夫もなにも、(東北に比べると)心配されるのが申しわけないぐらい。
 ときおり余震もあるけど、慣れてくると揺れ具合で「今のは震度2」とか「1かな」と判断できます。TVで表示を見ると大体当たっている。
 「震度3ぐらいではもうおどろかないよ。秋に会おう。生きていたらな、はははは」

 あれから6年。
 被災地東北の復興はまだまだです。
 その最大の理由は、日本が「東京五輪」に舵を切ったから。
 首相は「Under Control」と世界をだまし、「Tokyo」と決まってアスリートたちは大はしゃぎしました。
 これは世界に対する日本の国家ぐるみの犯罪であり、東北を見限った転換点でもあります。
 建設事業の大半は首都圏の会場建設にシフトされ、巨大な利権が生じました。
 これが被災地の復興を大幅に遅らせているのです。
         

 はしゃげども復興遅れ春寒し

 「なんだこれは。けっこう混んでるじゃないか」
 一昨日(03/08)12週間ぶりに病院へ行ったら、けっこうな混み具合。午後とはまるで違う。
  

 午後は院長先生がいないことが多いというので、前回の医師が11:00に予約してくれました。
 診察の前に尿検査があるので10:30に入り、採尿も10:45に済ませました。
 「混んでるとはいえ、予約優先だろう」
 そう思って診療室の前で待ったのですが、表示では受付番号順。11:00を過ぎても一向に自分の番がやってこない。変だな。

中央通路   

 「この前は自宅で転んで、腰の骨を折ってねェ」
 「それは大変でしたねェ」
 「まったく、年取るとロクなことはことはないよ」
 そんな老人たちの埒もない話を聞きながら、12:20になってやっと自分の番。予約優先ではないみたい。
  

 院長先生は私の尿検査の結果を見ながら、「まったく問題はないみたいだねえ」
 こちらも、「以前のような排尿時の重苦しさがなくなって、調子はいいと思います」
 「この薬が効いてるんだねェ」
 「そうだと思います。ただし、排尿前にチビることがよくあるのです」
 「排尿前に?」
 「それまで尿意を我慢できたのに、いざトイレに駆け込もうとすると、油断なのか直前にチビるんです。これって精神的なものですか」
 「精神的なものというより、加齢によって括約筋が弱っているから、ギュッと閉められないんだよ。括約筋は肛門を締める訓練によって鍛えられるから、断続的でもいいから一日15分でもやりなさい。すぐには効果は出ないけど、半年ぐらいで改善できるはず」
 「やってみます」
 ということでいつものように最も軽い薬を処方されて終わり。診察自体は短いのです。
  

 その後薬局でも(混んでたため)待たされて、薬局を出たのが13:50。
 次回からは駅前の薬局に変えるつもり。

病院   

 しかし川越の友にいわせると、これでも待たないほうらしい。
 彼の地元の病院(泌尿器科では有名な先生)では午前中行ったら200人ぐらい並んでいて、自分の番がくるまで夕方までかかるとか。
 これぐらい我慢しなきゃならんのかなァ。次回も10:00に予約を入れられたけど。
  

 診断の経過良好水温む

 ワールドポーターズを下りると、右側に宮殿のような豪奢な建物。
 これは「アニヴェルセルみなとみらい」という結婚式場。
 内部には入ってないのでわからないけど、立派な大聖堂があり、荘厳なパイプオルガンと聖歌隊の演奏で盛り上げてくれるのだそうな。

アニヴェルセルみなとみらい   

 当方にはもう関係ない。息子は結婚したし。
 あとは孫の結婚だけど、それまで命があるかどうか。
  

 それはともかく、ここからの夜景はなかなかのものです。
 対岸にはランドマークタワー。(右手前はアニヴェルセルみなとみらい)

ランドマークタワー(中央)   

 ♪Now I know lonely nights
 For all the while my heart is whispering
 Some other harbor lights
 Will steal your love from me
  

 国際橋のあたりから見たコスモクロック。
 ライトアップされた屋形船。船のなかから夜景を見るのも乙なもの?

屋形船    

 そこからヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル側に進むと、見えてくるのはぷかりさん橋。

ぷかりさん橋   

 実はこれ、「さん橋」といいながら、桟橋にあらず。多くの浮袋で支えられているので、構造的には船(係留船)。正式な船名は「海上旅客ターミナル」
 船なので、年一回の船舶検査も受けているそうです。
  

 振り返りランドマークに春の月
  
   

 ワールドポーターズの屋上から見る夜景が素晴らしいと聞き、上ってみました。

屋上の植え込み   

 なるほど、左にランドマークタワー、正面にコスモクロック(観覧車)、右にヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルが見えます。

左からランドマークタワー、横浜ロイヤルパークホテル、コスモクロック   

 ただしここから見えるのは北側の景色のみ。西や南の市街地の景色は見えない。

ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル   

 例によってウィリー・ネルソンの歌声で、
 ♪I saw the harbor lights
 They only told me we were parting
 The same old harbor lights that once brought you to me
 I watch'd the harbor lights
 How could I help if tears were starting
 Goodbye to tender nights beside the silvery sea

コスモクロック①   

 圧巻はコスモクロックのネオンの変化。
 いろんな色に変わり、最後は風車のように回る。見ていて飽きない。

コスモクロック②   

 もっともこの変化はここじゃなくても見られるけど、ここは身近に見られるのが肝。
 それだけでもここ(ルーフガーデン)に上がる意味はじゅうぶんあります。

コスモクロック③   

 ザンギリの街を求めて春の月
  

 ザンギリ頭を叩いてみれば文明開花の音がする。
   
  

 昨年末より続いたハーバーライト・シリーズ、今回の初めは横浜三搭。
  

 まず日本大通りにあるキングの塔・神奈川県庁本庁舎。
 どっしりしてキングの風格がありますが、実際は屋上に建てられた搭。ちょっとガックリ。

キング(神奈川県庁) 

 この塔は傷みやすくしょっちゅう修復を余儀なくされるので、文化財として認定されにくいのだとか。
 完成は昭和3年(1928)、塔の高さ…約49m。

 次は海岸通りにあるクイーンの塔・横浜税関本庁舎。
 完成は昭和9年(1934)、塔の高さ…約51m。

クィーン(横浜税関)   

 三搭のなかではいちばん高い塔。
 船が横浜港に着くとき船乗りが真っ先に目にし、出航するときは最後まで見送ってくれるのがこのクイーンの塔だそうです。

 最後は本町通にあるジャックの塔・横浜市開港記念会館。
 完成は大正6年(1917)、塔の高さ…約36m

ジャック(開港記念館)    

 三塔のなかではいちばん古い。レンガ造りで風格のある建物です。
 内部も公開されていて、ステンドグラスや薔薇窓など、見るべきものも数多くあります。

 来たる3月10日(金)は「横浜三塔の日」で、いろんなイベントが開催されるそうです。
  

 塔の灯や送り送られ春の宵
   

2017.03.06 元町の夕暮れ

 私のような地方の者が元町にくるのは大てい夕方。
 みなとみらいや山下公園、山手などを回って下りてくるからです。
   

 元町では、昔はジャケットやシャツを買ったものですが、加齢とともにファッションに興味が薄れ、まったく買わなくなりました。それでも街並みは好きで、歩くだけで楽しくなります。

元町①    

 4年前俳句会の先輩方を引率したとき、「帰りの電車には早めに乗りたいので、4時頃には中華街に入れるようにしてくださいね」と要望されたので、山手通りをのろのろ歩くお婆さんたちをせかせて4時前に元町に入ったのですが、「あら、これいいわね」「エプロンも可愛いわ」と、あっちでつっかえ、こっちでつっかえ。中華街に入ったのはとっくに5時を過ぎてました。

元町②    

 そのとき思ったのは、
 「元町というのは若者だけではなく、年取った女性にとっても魅力のある街なのだ」ということ。
 さすがにジイサンたち(少数派)は所在なげでしたが。

元町③   

 元町で私が印象に残っているのは、ブティックの2階にある喫茶店。
 客は少なく、友人と入ったときは我われだけ。珈琲の料金は高めでしたが、お代わりは自由。
 しかしお代わりを頼もうにも、女主人がなかなか2階に上がってこない。
 「なんだ、我われはないがしろか」
 「下のブティックが忙しいんだろうよ」
  

 女主人がきれいな人だったので、文句をいうのはやめました。
 この喫茶店は放置プレーを楽しむところ?

元町④    

 この通りは概ね東西に走っているので、夕暮れになると石川町側に夕陽が沈む。
 これが何とも味わいがあります。

元町⑤   

 夜になればライトアップされて煌びやかですが、まだネオンも瞬かないうちの、夕陽を浴びたこの通りには独特の風情を感じます。
  

 珈琲に時を預けて春夕焼

 梅のシーズンにちなんで有名な梅林をUPするのは、いかにも平凡。
 へそ曲がりな当方としては、近所の名もなき梅林に注目してみたい。
  

 というわけで、まずはふじみ野市新駒林で見つけた梅林。
 エコパの帰り、県道東久保大井線の北側に40本ほどの白梅が整然と咲いています。

ふじみ野市新駒林(北側)   

 道路を挟んだ反対側(南側)にも白梅の林がありますが、こちらのほうはあまり手入れがされてないのか(ゴミも多かった)、枝ぶりといい、咲き方といい、かなりワイルドです。

ふじみ野市新駒林(南側)   

 なかには蔦に絡みつかれた白梅も。梅にとってはかなり苦しいのではないか。
 幹や枝を締め付けられて成長が妨げられるし、地中の養分なども獲られるのでは。

蔦に絡みつかれた白梅   

 それでも何輪か懸命に咲いています。(来年も頑張って咲いてくれ)
  

 ふじみ野市大井の梅林。
 ここも約30本ほどの白梅。もう散りはじめていました。(03/03撮影)

ふじみ野市大井にて    

 富士見市には梅林というほどのものはありません。
  

 これは渡戸の農家に植えられていた白梅。
 数も少ないし、木も若いため、背丈も低い。それでもなかなかの枝ぶりです。

富士見市渡戸にて   

 同じ富士見市でも水子にある梅林。ここは紅梅も咲いています。

富士見市貝塚にて   

 梅林ではないけど、個人宅の庭先(鶴間氷川神社の近く)にこんな梅を見つけました。
 なんと一本の梅の木に、白梅と紅梅が。

思いのまま(?)   

 たしかこれ、「思いのまま」という名の梅でしたよね。
 「これはどうして作られたのですか?」
 通りに出てきた老人に聞くと、「盆栽じゃよ」
 「盆栽?」
 「そう、盆栽」
 さらに聞いてみると、盆栽で白梅の木に紅梅の枝を接木して、大きくなったものを庭に植え直したといいます。
 ふーむ、そのようにしてつくるのか。
  

 ご近所の梅林は埒もなかったけど、これだけが救い(厳しきなかにも一面子?)か。
  
 紅白梅おもひのままの宇宙かな

 最後の写真をとっくりご覧あれ。
  
  

2017.03.04 仙波浅間神社

 富士山ついでにいうと、全国各地にある浅間神社というのは富士山信仰の社。
 ここ川越市富士見町の仙波浅間神社は神明系の鳥居ですが、富士山を信仰しています。

浅間神社・鳥居    

 境内にある小高い塚は、仙波地区に点在している古墳群のひとつで、富士山を模していて、その上に拝殿があります。御祭神は木花咲耶姫命。

浅間神社古墳    

 同社の説明板にはこう記されています。
 「康平年間(1058~1065/平安時代)源頼義が奥州征伐の途次に分霊したのが始まりで、長禄元年(1457)太田道灌が再営、永禄9年(1566)北条氏の臣・中山角四良左衛門が再興……」
 そして、
 「天井には江野楳雪による百人一首歌仙像の絵が組み込まれている」

拝殿   

 なるほど。天井には百人一首の絵?(千社札が貼られていた)

拝殿の天井   

 拝殿の裏には溶岩を積み上げた富士塚。
 そのなかに本殿があり、両端には神の使いである猿が守っています。

神の使いの猿    

 下には富士山の噴火口を表した岩穴。
 石で固められたもっともらしい穴だけど、開運と安産にご利益があるそうな。

溶岩を積み上げた富士塚

 誰だ、タバコの吸い殻を捨てたヤツは。バチが当たるぞ。

噴火口(?)   

 啓蟄や火口に鬼のざわめきて

 1月中旬から2月にかけて、埼玉県南西部の各地から富士山をウォッチングしました。
 府中市(東京都)に住んでいたときは、ほとんど関心がなかったのに、こちらへきて市街地から見る富士山に関心を持つようなりました。

254バイパスから①    

 これにはいくつかの理由があります。
 ①埼玉県南部には「富士見市」「ふじみ野市」があり、いずれも富士山が見えることに由来している。
 ②道路が東西南北に沿わず、斜めに走っている。
 ③高い建物が少ない。
 ④これといった名物がない。
   

 ②については、主要道路である川越街道(254バイパスも)が南東から西北に走っているので、それに交差するほとんどの道路が北東から南西に走っている。したがって道が広く、高い建物がなければ南西方向に富士山が見える。
 ③駅の近辺は高い建物が建っているけど、駅から離れると田畑が多く、遮るものがない。
 ④は言い過ぎ?(しかし事実です)

254バイパスから②   

 富士見市、ふじみ野市、いずれも市で発行しているガイドマップに「富士山ビューポイント」(既に当欄でUP)が記されていますが、他にもいろんなところから見られます。
   

 254バイパスは南東から西北に向かう道路ですが、南西側が広く開いていればどこからでも見ることができます。

三芳町、病院近くの交差点    

 三芳町のはなみずき通り、病院近くの交差点から富士が見えるのは以前も取り上げました(02/20)が、意外だったのはふじみ野市・市沢の市街地。ここは大井弁天の森の近くで、よく通るところ。こんなところで見られるとは。

ふじみ野市・市沢の市街地から   

 また富士見市羽沢の市街地。ここもエコパの行き帰りでよく通るし、この近くの「COOP羽沢」には珈琲などを買うのにときどき寄るところです。
 いずれも道路が北東から南西に走っているので、南西が開いていれば見えるのです。

富士見市羽沢より①   

 ただし近づけば見えるというものではない。
 むしろ近づいたほうが、手前の建物に遮られてかえって見えなくなることが多い。
 三芳町藤久保のベルク近くでは、「ベルクの屋上からのほうがよく見えるのではないか」と屋上(駐車場)に上がったのですが、前のケーヨーD2の建物に邪魔されて、ほとんど見えなかった。
  

 富士山の写真を撮っていると、地元の人に話しかけられることがあります。
 「富士山撮ってますね。よく見えるでしょう。夕方なんか黒富士(夕日をバックにしたシルエット)が見えることもありますよ」
 これはいわゆる「おらが富士」ではないか。

富士見市羽沢より②    

 そんな(彼ら自慢の)富士ですが、撮った写真をPCに取り込んで大きな画像で見ると、電柱や電線に邪魔されて、それほどいい景観ではない。
 変だな、撮るときはいい富士だと思ったのに……。
  

 同じ富士でも、肉眼で見るのと写真では大きな違いがあります。
 なぜか。
 肉眼で見ているときは、電線など邪魔なものはほとんど見えず、見たいものだけしっかり見えている。肉眼に勝るものはないのです。
  

 写真を撮ることに没頭するあまり肉眼で見ることを忘れは、大事なものを見失うのではないか。
 いらい肉眼で見た景色こそ最上で、写真は二次的なものとして捉えるようになりました。
 景色の保存はあくまでも心のなかに。
   

 春隣かすかに見ゆるおらが富士
       
    

2017.03.02 河津桜、再び

 先日の記事(02/24)を見た川越の友が「私も河津桜に酔ってみたい」というので、一昨日(02/28)富士見江川に連れて行きました。

富士見江川の土手    

 「おおッ、満開じゃないですか」
 「先日は七分咲きだったけど、ちょうど見ごろだ」
 「今日は天気もよくて暖かいし」
 (誰の心がけがよかったのかな?)

満開の河津桜     

 「ここの河津桜はまだ若いんだね。背も低いし」
 「オーナー制度というもので、最近植えられたというから」
 「道理で」
 「しかし去年、三浦海岸のを見てからは、どうも見劣りする感じで」
 「まァ、そういわないで。埼玉で見られるだけでもありがたい」
 そういいながら、友は携帯電話で河津桜をカシャカシャ。
 彼が写真を撮るなんて珍しい。

家族連れ    

 「おや?」
 満開の桜の小枝に一羽の鳥がとまり、嘴で蜜を吸っています。
 カメラを向けるのですが、花びらに隠れ、あちこち動き回るので、上手く撮れない。
 それでも何枚か撮っているうちに、多少それらしき光景が撮れました。(下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?)
 「いいものを見ましたね。あれはヒヨドリ(鵯)ですよ」
 「なるほど、これがヒヨドリか」
 これで私もいっぱしのバードウォッチャー?

蜜を吸うヒヨドリ 

 「河津桜はピンクが濃くて、ソメイヨシノとはまた違った味わいがありますねェ」
 「そう、だから私も最近は河津桜を追いかけている。三浦海岸はあらかた終わったそうだよ」
 「あっちは暖かいから早いんでしょう。ここは遅いから今の時期が満開。ここで見られてよかった」
 私も師が河津桜を楽しんでくれて本当によかった。
   

 見納めぞ河津の桜この地にて
  
 誰のこと?