2017.02.28 大宮公園の梅

 近所の梅ということで、先日(02/25)大宮第二公園に行ってきました。
 ときあたかも梅まつり(02/18~03/12)の真っ最中。

梅園①    

 同公園にある梅林(広さ5000㎡)は昭和57~59年にかけて造成されたもので、45品種、約520本の梅が植えられているそうで、内訳は紅梅150本、白梅350本、枝垂れ梅20本とか。(解説板)

梅園②    

 
 開花は、紅梅→白梅→枝垂れ……の順で、今年は例年より早いそうです。
  

 4年前にもきたことがありますが、このときは強風で砂ぼこりがひどく参りました。
 この日はそれほど風もなく、観梅にはいい日よりでした。ときどき梅の香りがふわッと漂ってきたりして。

 梅園③  

 小学生の集団が「梅マップ」を手に、一本一本確認していましたが、当方は名前を確認することもなく、景観重視で撮りました。
 梅なんてものは白梅、紅梅、しだれ……の区別がつけばいいんでないかい。
 (ジジイになると、こうも横着になる?)

 しだれ梅   

 これは鹿児島紅(かごしまこう)。紅梅だよ。(当たり前だ)

鹿児島紅    

 梅林とは別に「松籟庵」という茶室があります。その庭にある梅の景色もなかなかのもの。
 名前は知りませんが、白梅、紅梅、しだれ、全部あります。

茶室「松籟庵」    

 同じ梅でも、子どもは子どもの楽しみ(探求心も含めて)があり、ジジイにはジジイの楽しみがある。
  

 老ひてなを艶めく梅と戯れり
   
 私もかくありたい。 
  

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 山手イタリア山からさらに西に行くと、山手通りに沿った段差のある坂と出会います。これが地蔵坂。
 坂の上部を山手通りに沿わせたのは、急峻で真っすぐ延ばせなかったからです。

左・地蔵坂、右・山手通り   

 坂名の由来は坂の中腹に地蔵尊があったとのことですが、今は坂下の亀の橋の脇に移され、「濡れ地蔵」として地元の人々に祀られているそうです。

地蔵坂を下る   

 坂は蓮光寺のあたりから比較的緩やかな下りになりました。

中腹にある蓮光寺   

 蓮光寺をすぎたところに、「乙女坂」なる看板が……。

乙女坂の看板   

 乙女坂? 
 なるほど、坂上に女子高があり、女生徒がそこを通るからその名がついたのか。
 (昔は西坂といったらしい)
  

 乙女坂を登りました。
 石段が多く、けっこう急です。

乙女坂    

 このときは放課後ということもあって女子高生の姿はなく、坂を象徴する風景は撮れなかったけど、逆に女子高生がいたら、「怪しいジジイ」と思われかねない。結果的にはよかったような。
  

 ふうッ、彼女たちは毎日ここを上り下りしているのか。
 足腰が鍛えられ、丈夫な女性になるわけだ。これも教育の一環らしい。
  

 そんなことを考えながら、ようやく坂の上へ。
 坂の上に着くと、そこに待機していた女性から、「これ、解けます?」とプリントを渡されました。

坂上には…   

 「ン?」
 見ると、幾何の問題。三角形の底辺は……。
 思わず昔を思い出して、「どう解くんだっけ?」と考えたものの、なぜ? 
 まさか老化の調査?
  

 そこで、「どうして私がこの問題を解かねばならないのでしょうか」
 と真面目に聞いたところ、女性は私の顔を見て、「し、失礼しましたッ」
 慌ててプリントを取り上げました。 

 どうやら予備校の勧誘員らしく、受験生の親と思われた?
 「ジジイになにをさせるんだ」(捨てゼリフ)

坂の上の某女子高   

 こんなことがあるから山手通りの徘徊は面白い。
  

 ときめいて昇り降りする春の坂

  


 地元の人からは「お上りさんコースじゃないか」といわれそうですが、地方の私にとっては定番中の定番。横浜へくれば、どうしても寄りたくなるところです。

公園のテラス    

 このテラスも40年ほど前からすると、少しずつ変わっています。

逆から見る   

 航海の安全を祈る国際通信旗が掲げられています。これもここ最近のこと。アニメ映画?

国際通信旗 

 4年前、句会の婆さん連中を引率してここへきたとき、そのひとりから、「歌とこの公園とでは、どちらが先ですか?」と聞かれました。
 不意を突かれましたが、「歌のほうが先のはずです。この公園名は歌からとったと聞いたので」と答えました。
 歌謡曲「港が見える丘」(歌・平野愛子)がリリースされたのは昭和23年(1948)で、横浜の「港の見える丘公園」開園は昭和37年(1962)。
 年代まではわからなかったけど、一応正解でした。
  

 当時の港が見えた景色とはずいぶん違うでしょうねェ。

テラスから見た景色    

 海を見に君と来た丘さくら散り
  

 「相変わらず安易につくっとるのう」と川越の友にいわれるかな。
  

 余談ですが、昨夏きたとき、フランス山側の崖下のウッドデッキを見て「こんなところに個人の家が建つのかな」と思ったのですが、これはNHK・Eテレ「趣味の園芸」の撮影場所(遊ガーデン)でした。

謎のウッドデッキ   

 表札に「柴田」とあるのは、お母さん役の柴田理恵さんのこと? 
 このような利用のされ方も「港の見える公園」ではありのようです。

遊ガーデン 

 いらい「趣味の園芸」も観るようになりました。いつも観る「日曜美術館」の前なので。
 今日は東京マラソンがありますが、「趣味の園芸」→「日曜美術館」を観て、そのあとで東京マラソンを観るつもりです。

    

 アメリカ山公園と外国人墓地の間にある横浜地方気象台。
 アールデコ調の建物はなかなか立派です。

第二庁舎(左)と本庁舎(右)    

 この横浜地方気象台、前身は神奈川県測候所といって海岸通りにあったのですが、大正12年(1923)の関東大震災で庁舎が倒壊し、昭和2年(1927)に現在地に再建されました。
 これがアールデコ調の本庁舎。

エントランス    

 本庁舎のエントランスを入ると、館内の至るところに、気象台の役割と仕事を説明したものが展示されています。

旧所長室    

 昭和14年(1939)、気象官署が国へ移管されて「横浜測候所」と名称を変更し、昭和32年(1957)に現名称になりました。(見学のしおり)
    
 平成19年(2007)に第二庁舎完成。設計は表参道ヒルズを手掛けた安藤忠雄氏。
 本庁舎からは渡り廊下から行くことができます。

渡り廊下     

 第二庁舎にある観測予報作業室では神奈川県の気象を監視し、予報や注意報などを発信しています。

第二庁舎・観測予報作業室     

 本庁舎3階展示室では過去に使われていた観測機器が展示されています。
 「おや? 飛行機のプロペラ?」
 これは風車型風向風速計。

風車型風向風速計     

 髪の毛を利用した毛髪湿度計。
 うーん、当方の白髪ではダメかな。(若いころは黒くて太い剛毛だったのに)

毛髪自記湿度計     

 坂上の風速計や春夕焼
       
    

 河津桜のシーズンですが、昨年三浦海岸で満開の河津桜を堪能してからは、多少の河津桜では満足しなくなりました。
  

 とはいえ今年も富士見江川の土手沿いには河津桜が咲いています。
 近所のよしみ、見てきてやるか(偉そうに!)。

富士見江川の土手    

 河津桜が咲いているのは山崎公園の脇。
 この河津桜は富士見市が地域活性化事業の一環として桜のオーナーを募り、36本が植樹されたそうです。

山崎公園の脇の道    

 なかなか見事に咲いています。
 前にもいったように桜の名所とは、①その桜自体に由緒がある、②背景が古刹であること、③群生(桜並木)、④人(動物)との関わり、があることです。
 ここの場合は③の群生でしょう。
 三浦海岸に比べるとかなり見劣りするけど、これはこれで健気です。

反対方向を見る   

 まだ蕾もあって、七分咲きぐらいかな。(02/22現在)

七分咲き?   

 三浦海岸の河津桜はそろそろ終わりのようですが、こちらはこれから。
 それでも今年は早いようです。

山崎公園    

 それにしても河津桜はあでやかです。
 ソメイヨシノがうら若き乙女なら、河津桜は大人の女の魅力。
 こんな色っぽい花が桜の先頭を切って咲こうとは。

向こうは寿橋のアーチ   

 古希過ぎて河津桜の色に酔ひ
  

 さすがの芭蕉翁も河津桜の色香にクラクラッときた?

 航空公園のなかに彩翔亭という和風庭園があります。
 池あり、築山あり、滝あり……と変化に富んでいて、なかなか風情のある庭園です。
  

 ここでは椿や梅、躑躅(ツツジ)、紫陽花、花菖蒲、睡蓮、椿など四季折々の花が咲きます。
 私も昨夏、この池の睡蓮を見て、名句(?)をひねり出しました。
    

 さて、今は梅ですが、なんと一ヵ所から松竹梅を見ることができます。
 それがこの写真。左に梅、奥に竹、右手前に松。これはめでたい!

松竹梅①    

 松竹梅(しょうちくばい)は、慶事・吉祥のシンボルとして松・竹・梅の三点を組み合わせたもので、日本では祝い事の席で謡われたり、引出物などの意匠にも使われてきた。もともとは中国の「歳寒三友」が日本に伝わったものである。(Wikipedia)

松    

 また松・竹・梅を三種類の等級名として使うことがある。 松を最上とし、次いで竹、梅とする場合が多いが、梅を最上とする場合もある、とのこと。
 うーん、梅はどっちなんだ。

竹    

 どっちでもいいか。

梅   

 松竹を従へ梅の凛と咲く
  

 このところ川越の友(短歌・俳句の達人)からは句よりも写真をほめられております。
 これが口惜しい。

松竹梅②   

 春隣句より写真を褒められて
  

 こうなったら写真家に転身しようかな。今からでは遅い? 

 所沢航空公園の梅が見ごろと聞いて、先日行ってきました。
 ここは日本で最初に飛行場ができたところで、園内のあちこちに飛行機が展示されています。

展示されている飛行機   

 梅は梅園に咲いています。 さほど広くはなく、梅の木も30本ぐらい。

梅園   

 全体的にはショボい感じですが、一本一本を見るとなかなか立派。
 この白梅などは枝ぶりがよく、力強さが感じられます。

白梅   

 小枝もピッと上に向き、びっしりとついた花びらは生命力そのもの。

白梅(クローズアップ)   

 こちらは紅梅。これはこれで華やかさが感じられます。貴婦人?

紅梅(クローズアップ)   

 紅白の梅。

紅白の梅   

 ピンクの梅。こちらはうら若き乙女?

ピンクの梅   

 規模は大きくないし、人も少ない。
 地味にやっているところがこの梅園の持ち味ではないか。
     

 埒もなく梅の向こうにプロペラ機
     

 昨日(02/20)はアスクルの火事を少し取り上げましたが、ネタ元は伝聞と1ヵ月前の写真。現場にも行かずに述べるのは本意ではないので、午後出かけてきました。

県道さいたま・ふじみ野・所沢線   

 アスクルの物流倉庫は県道さいたま・ふじみ野・所沢線の上富地区にあります。
 ところが……。
 けやき並木(いも街道)と交差する上富交差点には数台の消防車が待機しており、お巡りさんが見張っていて、直進する車をチェック。

上富交差点  

 郵便局の車でもチェックを受けてました。結果的には入れ ましたが。
 しかし関係のない車は直進はまかりならぬと迂回を余儀なくされている。
 やっぱりなァ。
 「上富~多門院入り口間は封鎖されている」とニュースでいわれていた通りでした。

待機する消防車   

 それを見て私もけやき並木を南下しました。
 大きく迂回して多門院入口へ。
 ここも関係のない車は通行止。

多門院入り口   

 しかし通りの奥に数台の消防車が見え、しかも茶色い煙がふわふわと漂っています。
 まだ燃えている。(午後1時現在)
   

 とはいえ、お巡りさんのいるところを突破するわけにもいかず北上(多門院の方向へ)。
 すると……。
 10mほど進んだところに細い道。
 ここからアスクルの近くまで行けるのではないか。
 そう思って進んでみると、ふたりのおじさんに止められました。
 「もしもし。それ以上は行けませんよ」
 こちらも、
 「まだ、鎮火しないんだね」
 「御迷惑をおかけしております」
 どうやらアスクルの関係者らしい。

裏の道から倉庫を見る    

 当方はおとなしく引き下がって、近くにいたおばさんに聞き込み調査。
 「これでも今日はおさまっているほうだよ。昨日は夜中にボンッボンッて爆発して、もっとすごかった。ここにポンプ車がずらーっと停まってね。スプレー缶が爆発したんだって」
 「スプレー缶が?」
 「そう。他にも紙やセルロイドなど燃えやすいものもあるし、薬品や衣料品もあるんだって」
 「なるほど」
 「女性のパートさんも多かったらしいね。無事だったそうだけど」
 「それがなによりだよ」
     

 川越の菓子屋横丁でもそうだったけど、現場では必ずしゃべりたがる人がいる。
 もっともこちらは現役時代と違って、取材がかなり甘くなっているけど。
     

 焼跡をそっと見守る寒の月
      

 復興を期して。
     

 埼玉県三芳町といえば、今も(今朝07:00現在)なお燃え続けている上富(かみとめ)にある物流会社「アスクル」の倉庫火災。
 昨日も商店街ではこの話もちきりで、「まだ燃えてるよ」
 エコパでも話題はこの話題で、「まだ煙が上がってたよ」
 かと思えば友人から、「大丈夫? そっちに煙が流れてくることはないのか」と心配されたりして。わが家とは直線距離で4kmぐらい離れているので、大丈夫なはずですが。

県道さいたま・ふじみ野・所沢線   

 上の写真はちょうど1ヵ月前に撮った県道さいたま・ふじみ野・所沢線の上富地区。「アスクル」はこの通りの先の右側にあります。まさかこんなことになろうとは。
 火災は明日来る?(ふざけてる場合ではないッ)
  

 その流れで富士山を取り上げるのはまことに恐縮ですが、これは一連の富士山巡りなのでご容赦を。
 先ずは鶴瀬駅西口から真っすぐ南西にのびる広い道(鶴瀬西口通り)
 「しまむら」の近くから見えます。

鶴瀬西口通り   

 次は藤久保の花みずき通り。
 ここは食料品の買い出しでよく通るところ。こんなところから見えるとは思わなかった。

 花みずき通り  

 花みずき通りをさらに進んで、病院を過ぎたあたり。(浄水場入口)

浄水場入口   

 こんなところからでも見えるのですが、みんな知らん顔。見慣れているから、別に珍しくもないのか。
    

 しかし以上のところは単に「見える」というだけで、それほど風情はないのかも。
 (よろこんでいるのは当方だけ?)
 そこでビューポイントらしきところをと、あちこち徘徊していたら、ようやくそれらしきところを見つけました。
     

 場所は関越自動車道にかかる陸橋「東草橋」から。

 東草橋より①  

 ここはしかし、見づらいぞ。

 東草橋より②  

 橋の向こう側から撮ろうとすると、木の枝に邪魔されますが、それも風情ということで。

東草橋より③ 

 社屋燃え二月の空に仰ぐ富士
    

 心中は如何ばかりか。
      

 ふじみ野市は富士見市とともに「富士が見える市」にちなんで名づけられました。
 富士見市については、これまで砂塚橋、羽倉橋、荒川土手、柳瀬川と、取り上げてきたので、ふじみ野市の各地から見える富士を取り上げてみます。
   

 先ずは上福岡駅西口から見る富士。
 東武東上線は斜め(南東⇔北西)に走っているので、西口といっても南側。
 ここから南西方向(所沢方面?)を見ると道の奥に富士山が見えます。

上福岡駅西口より見る富士①   

 ここはふじみ野市民ならほとんど知っているビューポイントです。

上福岡駅西口より見る富士②   

 次は南西部の大井総合体育館の近く。
 「たしかこのあたりから見えるはず」と南西方向を見ながらうろうろと徘徊していると、目の前、ゲートボール場の向こうに富士が見えたので、カメラを向けていると、「なにか、用ですか」とオジサンに聞かれました。
 思わず気色ばんで、「富士山撮ってんだよ!」と怒鳴ってしまいました。(大人げない)

大井体育館近くから見る富士    

 よほど怪しげなオヤジに思われたのか。
 しかも写真を見ると、白い雲がかかってぼやけたように見える。どこまでケチがついたんだ。
 まァ、これも当方の不徳の致すところか。
 

 新河岸川の土手からも見えるとのことですが、福岡橋からは見えず、
 少し上流の運動公園野球場(ネット)越しに見えました。

土手から見る富士   

 土手の背後(福岡地区)は畑が広がっているので、降りたところからでも見えるのではないか。
 そう思って降りてみたら、やはり見えました。
 しかもこちらのほうが大きく見える。(気のせいか)

福岡の畑から見る富士   

 ちなみに福岡橋の近くでは、254バイパス側の上福岡総合病院近くの道路から見えました。

上福岡総合病院近くの歩道より   

 他にもこのあたりのビューポイントを探ったのですが、他には見当たらず、結局エコパの近くの陸橋「鷺森高架橋」に落ち着きました。

高架橋から見る富士①   

 ふじみ野市のビューポイントをいろいろ見てきたけど、意外にここがいいのではないか。
 こんな近くに絶好のビューポイントがあったとは。

高架橋から見る富士②    

 春近し散歩道より見ゆる富士
  

 幸せの青い鳥は身近にいるということか。

 昨日(02/17)は春一番が吹いたので、それに相応しいところをと、ふじみ野市にある長宮氷川神社を取り上げます。

長宮氷川神社・鳥居   

 鳥居は神明社(伊勢系)で、縁起(解説板)によると、
 「創立は長徳元年(995)、祭神は三神で建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、櫛稲姫(くしなだひめ)、大己貴命(おおなむちのみこと)。参道が465m程と長かったので『長宮さま』と呼ばれるようになった」とか。

拝殿    

 「おや、これは?」
 境内の一画に男と女のブロンズ像。
 それも長い石台の両端に向かい合っている。

出会いの泉    

 説明書きを読むと、これは「出会いの泉」というのだそうです。
 「須佐之男命は川のほとりで上流から流れてきた箸見て、川上に人が住んでいることを知り、上っていくと美しい櫛稲田姫に出会った。
 折しも姫が八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄にされようとしていたのを、須佐之男命が退治し、姫を救い、妻に迎えた。その神話をもとに創作されたのがこの出会いの泉である」

ふたりの出会い?   

 須佐之男命はガッシリして男らしい。
 左手を差し出しているのは、水を汲もうとしているようだけど、そこに五円玉が数枚乗せられているので、「これっぽっちか」と顔をしかめていると見えなくもない。立派な男なのに。

須佐之男命    

 それに対して上流の姫の姿はなんとも色っぽい。
 上体をひねり、流し目で須佐之男命を見ている。これではどんな男もコロリと参るよ。

奇稲田姫   

 実はこれ、手水舎になっていて、上流から八雲神社、諏訪神社、愛宕神社、日之宮神社、天神社、八幡神社、稲荷神社の各水溜まりがあって、それぞれの御利益が受けられるとのこと。
  

 拝殿の裏に回れば、ご神木の夫婦欅(めおとけやき)。
 ストーリーがよくできている。

夫婦欅   

 ところでふたりの後方でへらへら笑っている無粋なオッサン(石像)は何者?
 誰あろう、このお方こそ第三の御祭神・大己貴命(おおなむちのみこと)であられるぞ。

大国主命大神   

 またの名を大国主命(おおくにぬしのみこと)、通称大黒さまであーる。
 ははーッ、恐れ入りました。

 天神社 

 境内には天神社をはじめそれぞれの末社が祀られているけど、そんなものはどうでもいい。
 神々のラブストーリーこそ当社の肝である。 
     
 神々の恋蠢めくや春一番

 象の鼻パークにきたら次は大さん橋にくるしかない。
 大さん橋の歴史は古く、1894年に建てられた鉄製の桟橋がはじまりで、その後何回か改修され、名称も税関桟橋→横浜桟橋→山下町桟橋と変わり(メリケン波止場と呼ばれたこともあり)、2002年に大改装され、現在に至っています。

大さん橋    

 ではなぜ大桟橋ではなく、大さん橋なのか。
 「桟」という字が難しいから?
 そうではなくて、桟橋は橋脚によって支えられているけど、新しくできた(ウッドデッキの)大さん橋は土台があるので、正確にいうと(人工の)半島。そのため「大さん橋」と表記するようになったというのですが……。

以前の大さん橋(パンフレットより)    

 上の写真は一代前の大さん橋で、構造的には橋脚に支えられた桟橋ですが、当時から表記は「大さん橋」でした。うーん、わからん。
   

 理屈っぽいことはそれぐらいにして、ここから見る景色は素晴らしい。
 すぐ目の前にベイブリッジ。

ベイブリッジ   

 大さん橋から見る市街地も絶景です。
 ジャック、クイーン、キングの三搭が見えるポイントもあり。

大さん橋より市街地を見る   

 それよりも、赤レンガの向こうに見えるのは、Mt.Fuji
 そう、富士山。

大さん橋から見える富士   

 これが見られれば、いうことなし。

赤レンガの向こうに   

 大さん橋が桟橋でなかろうと、半島であろうと、どうだっていいや。
     

 波止場より富士を望みて春隣

2017.02.16 象の鼻パーク

 神奈川県庁の屋上から見た象の鼻パークにやってきました。

象の鼻パーク   

 この象の鼻は元もと荷の上げ下ろしするための突堤でしたが、強い波を避けるため先端を湾曲させたため、その形から「象の鼻」と呼ばれるようになりました。   

 その後、大桟橋や新港埠頭などが完成してからは、荷の上げ下ろしよりも船だまりとして利用され、倉庫の役割を果たしました。

明治40年代の象の鼻

 戦後は封鎖され、一般人は立ち入ることはできなくなりましたが、対岸の波止場とともに整備され、2009年6月2日、横浜開港150周年の日に公園としてオープンしました。
  

 実際に「象の鼻」のなかを歩いてみると、これがなかなかの風情。
 明治時代を再現したというだけあって、当時のガス灯が復元されてタイムスリップしたような感じです。

象の鼻プロムナード   

  
 両サイドが海。
 左に横浜税関(クイーンの塔)

横浜税関(クイーンの塔)   

 正面はランドマークタワーやクイーンズスクエア、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルなどが見えます。
 とくに先端のところはなんとも味わいがあります。
 中央は神奈川県警、右はランドマークタワーです。

 象の鼻の先端   

 先端から見る客船ターミナル。

先端から見る客船ターミナル   

 ただそれだけのことで、「象の鼻」突堤そのものはいささか拍子抜け。    

 結局ここは遊覧船(シーバス)の発着所であり、赤レンガと大さん橋を結ぶ公園(空間?)である、ということか。

赤レンガパーク 先端から見る大さん橋   

 桟橋の舟の軋みや東風来たり

 以前にも述べたように、我は「麺麭(パン)のみに生くる」人間なので、昨日(02/14)はエーキドー工場直営店に開店(10:15)前に待機し、徳用ブレッド(3斤=150円也)をゲットいたしました。
   

 しかしそのために約10分あまりチャリを飛ばしてきたというのは、いかにも業腹である。(さもしい人間には違いないが)
 そこで車輪を西に伸ばして多福寺に寄りました。

多福寺・本堂    

 三富山多福寺は臨済宗(禅宗)京都妙心寺派の寺で、元禄9年(1696)川越藩主柳沢吉保によって、開拓農民の菩提寺として上富地蔵林のなかに建立されました。
 風情のある寺院なので、梅ぐらい咲いているだろう、と思ったのです。

紅梅    

 梅は少ないけれど、いいところで咲いていました。
 紅梅が山門の近く。この山門は「呑天閣」といって、埼玉県指定有形文化財になっています。

山門を背に   

 白梅は、まあそれなりに。

白梅    

 花というのはどれも同じだから、花びらそのものを(アップで)撮ってもあまり意味はない。
 (植物図鑑に載せるというなら別ですが)
 花そのものに由緒があるか、背景に風情があるか、人(動物)と上手く絡んでいるか、群生しているか、いずれかです。
 梅にせよ桜にせよ、名所といわれるところはそういうものでしょう。
 その意味では山門をバックにした紅梅はなかなか見事ではないか。(と自画自賛)
     

 紅梅や名跡を背に従わす
     

 「おや?」
 境内の奥におびただしい竹の群生。
 京都の嵐山とはいわないけど、こんなところに大きな竹林があったのか。

竹林    

 そして帰りは広い杉林のなかを通り抜けてきました。
 杉に、竹に、梅……。杉竹梅なんてあったっけ?

杉林    

 松竹梅とは違うけど、この寺院はめでたい植物が揃っている。だから多福寺というのかな。
  

 多福寺に福多かりき梅の花

 お粗末。

2017.02.14 朝日天神の梅

 このところ地元の徘徊は富士山のビューポイント探しが多いのですが、それはいずれUPすることにして、そろそろ梅のシーズンなので、ふじみ野市の朝日天神神社へ。

朝日天神神社・一の鳥居   

 「天神様なら梅がいっぱいあるだろう」と思ったのですが……。
 境内には紅梅と白梅が咲いてはいますが、天神様の割にはいささかショボい。
 (そういえば昨年も同じことを書いたような)

紅梅と白梅 

 境内の「御由緒略記」によると、御祭神は、
 「天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、伊邪那岐神(イザナギノカミ)、伊邪那美(イザナミノカミ)、以上の五柱を総称して『朝日天神大神』と申し上げております」
 とのこと。

 古事記によると、イザナギ、イザナミは天照大御神の両親で、日本の国土を造った神様(日本版アダムとイブ?)とされている。

境内   

 「御神徳は多方面に渡り、国土守護、家内安全、身体健康、病気平癒、交通安全、学業成就など諸願成就をお守りくださいます」と神社によくあるご利益のデパート広報。
  

 鳥居の形からすると、これは神明社系(伊勢系)。

二の鳥居と拝殿 

 そして
 「この御宮は、有栖川宮熾仁親王を総裁に戴いた神道事務局の……略……」と、皇室にゆかりがあるとの由緒書き。やはり神明社系であったか。

白梅 

 天神様というのはふつう菅原道真公が祀られているけど、そうではない天神様もあるらしい。
 牛もいないし。

 梅が今ひとつというのも仕方がないのかな。
       

 菅公のなき天神や梅虚し

 海岸通りと大さん橋通りが交差するところにある開港広場。
 ここは安政元年(1854)幕府とアメリカ(マシュー・ガルブレイス・ペリー提督)との間で日米和親条約が締結された地として有名な場所です。

開港資料館・入口   

 当時の絵によると、日本の武士とアメリカの水兵が整列して警護に当たっている中央で、両代表が会談しています。
 今はその当時の面影はなく、地面は石畳で、広場の中央部には噴水(今は工事中)があり、それを囲むようにステンレスの鏡の柱が設置され、不思議な空間をかもし出しています。
 この日は数人の画家(?)が熱心に絵筆を走らせていました。

開港広場   

 塀際に置かれている大砲は、外国人居留地90番地にあったスイスの商社が扱っていたもので、1959年に同社社屋の基礎工事中に発見されたもの。

旧居留地90番地の大砲   

 開港資料館の中庭にあるある玉楠(たまくす)の木は、和親条約締結の絵画に描かれていた木の二代目(当時の木は関東大震災で焼失)。今では横浜開港のシンボルになっています。

玉楠の木   

 記念館のホール(無料)には幕末の横浜市街の地図が展示されています。
 それによると、この開港資料館の前身は異人コンシェル(外国領事館)。のちに英国領事館になります。

記念ホール   

 また中庭には日本最初の近代水道となった横浜水道の共有栓の遺構が展示されています。
 当時は家庭内に蛇口を引く例は少なく、路頭の共有栓から水を引くのが一般的的だったそうです。

獅子頭共有栓とブラフ溝    

 開港広場のとなりには日本初のプロテスタント教会「横浜海岸教会」があります。
 この教会は以前「聖書を読んだサムライたち」でも取り上げましたが、元京都見回り組の剣の遣い手で坂本龍馬を暗殺した(?)今井信郎が明治になってクリスチャンに改宗するきっかけになった教会とされています。

横浜海岸教会   

 こうしてみると、この開港広場は否が応でも横浜開港の歴史を感じさせるところです。
  
 春どなり玉楠に陽の溜まりをり
         

 神奈川県庁の屋上。
 ここからは横浜湾の景色が手に取るように見えます。

屋上から見る海   

 まずは象の鼻パーク。
 大さん橋の付け根から左手方向へ延びている防波堤のことで、上から見ると象の鼻に似ていることから、そう呼ばれました。ここから見ると、まさにそれを実感できます。

象の鼻    

 象の鼻パークから目を右に移すと、後方に見えるのが大さん橋。
 この大さん橋は国内でも有数の桟橋で、クイーン・エリザベス2世号級の船が2隻泊められる規模の大きさ。屋上は「くじらのせなか」と呼ばれるフリースペースとなっており、大型客船の出港時には、多くの見物客や見送り客で一杯になります。

大さん橋    

 市街地を見ると、本町通りの向こうにマリンタワーが見えます。
 もっともこの景色は高いビルが林立していて、あまり面白くない。

本町通り(向こうに見えるのはマリンタワー)   

 象の鼻から左に目を転じると、正面に赤レンガ倉庫。
 そして左は横浜税関。クイーンの塔です。

正面は赤レンガ倉庫、左は横浜税関(クイーン)   

 別のエリアから見た横浜開港記念館。ジャックの塔。
 これは県庁屋上の立ち入り禁止区域から撮りましたが、職員の方の許可を得て入らせていただきました。

開港記念館(ジャック)   

 クイーン、ジャックとくればキングの塔。
 キングは、ここ、神奈川県庁の屋上にヌッと建っています。これがいささか拍子抜け。
 ジャックの塔は1階から塔の形態を成しているのに。

キングの塔   

 それでも正面から見ると立派な塔に見えるから不思議。
 どっしりしてキングの風格がありますが、実際は傷みが激しく、しょっちゅう修復を余儀なくされるので、ジャックの塔のような重要文化財にはならないのだそうです。

正面から見た神奈川県庁(上がキングの塔) 

 春近しジャック・クイン・キングの塔
   
  

 伊勢佐木町にやってきました。
 ここは横浜ではローカルな商店街扱いされているようですが、昔は「横浜最大の歓楽街」として栄華を極めていたのです。それに私にとっては何ともいえぬ愛着があります。

伊勢佐木町①   

 風俗ライターをやっていたころ、親不孝通りにある風俗店の取材でよくここを訪れました。
 なかでも某チェーン店は完全な会社組織になっていて、経理、広報、人事などを統括していました。

親不孝通りの風俗街 

 取材はスタジオで各店(10店舗ほど)の接客嬢が順ぐりにやってきてインタビューと写真撮影に応じるというやり方で、こちらにとっては各店を回る手間が省け、非常に効率的でした。
 彼女たちはみんな明るくて受け答えに誠実さが感じられました。なかにはシングル・マザーや、男のDVから逃げてきた女性もいます。
 寮や育児施設もあり、福利厚生が行き届いていました。
 このチェーン店は風俗界の模範ともいえるところで、「ガールズ・プアの救世主」として5~6年前の「クローズアップ現代」(NHK)で取り上げられたこともあります。

伊勢佐木町②   

 晩秋の季節でした。取材でスタジオ入りしたときは激しい雨風が吹いていたのですが、3時間ほど経って出てきたときは日も暮れて雨もすっかり止んでいました。
 「どこかで食事でもするか」
 雨上がりの伊勢佐木町を歩いていたとき、どこからともなく流れてきた、哀愁を帯びたギターの音曲。ロス・インディオス・タバハラスの「マリア・エレーナ」です。
    

    

 商店街の有線で流れていたのです。これが妙に身に沁みました。
 いらいこの曲が「マイ・ラストミュージック」(人生最後のときに聴きたい曲。他に3曲あり)のひとつになりました。

伊勢佐木町③   

 伊勢佐木町の音楽といえば、青江三奈(1941~ 2000)の「伊勢佐木町ブルース」(1968)
  

 ♪あなた知ってる 港ヨコハマ
 街の並木に 潮風吹けば
 花散る夜を 惜しむよに
 伊勢佐木あたりに灯(あかり)がともる
 恋と情けの
 ドゥドゥビ ドゥビ ドゥビ
 ドゥビ ドゥバー 灯(ひ)がともる

看板   

 伊勢佐木町4丁目駐車場前に青江三奈の看板と記念碑があります。
 この記念碑は彼女が他界した翌年につくられました。
 台座のボタンを押すと、「あっはん」とともに「♪あなた知ってる 港ヨコハマ~」の歌が1分間流れるのですが、先日(02/02)は何度押しても流れなかった。4年前は流れたのに。

記念碑  

 いいんだよ。好きな曲でもないから、聴けなくてけっこう。
 青江三奈の曲では「池袋の夜」が断然いい。
 それに私にとっての伊勢佐木町ブルースといえば、なんといってもタバハラスの「マリア・エレーナ」だもの。
  

 街角にギターの音色や春近し

 私は軽度の前立腺肥大のため、12週間ごとに近くの病院(泌尿器科)に通院していますが、川越の友人が「そちらの病院にかかりたい」というので、先日案内しました。
  

 まず鶴瀬の駅で待ち合わせ、そこから無料の送迎バスに乗ります。
 このバスは鶴瀬の西口通りをしょっちゅう通るので知ってるし、4年前骨折で入院したとき、毎日病室の窓から病院前を発着するバスを見ていました。「一度はあれに乗りたいものだ」
 それがこんなところで実現しようとは。

無料送迎バス   

 病院に着いて彼の第一声。「なんだ、空いているじゃないか。これなら楽勝だ」
 彼の地元の病院では泌尿器科だけで200人ぐらい並ぶ、といいます。
 「泌尿器科では名医だから、どうしても患者が殺到するので、長時間待たされる。下手したら一日がかりだ。それがストレスになって、かえって病気が重くなる」
 そこでこちらの病院に移ることを考えた。私の担当医は院長先生なので、それなりに信頼できるのではないか、と。

受付と待合所  

 受付をすませ、まずは採血。「検査は2階だよ」と私が案内。
 採血ではかなり手こずった様子。
 「ナースが不慣れで針が上手く刺さらないんだ。痛かったよ」
  

 次にエコー検査。
 その途中、採尿カップを持って廊下に出てきたので、「膀胱がカラカラになるまで、絞り出すんだぞ」とアドバイスしてやりました。
 残尿はエコー検査でわかるので、出し切っておく必要があります。

病院の中央通路   

 検査が終わり、1時間ほど経って担当医の診察。
 生憎この日は院長先生が休みで代わりの医師。(ガックリした?)
 20分ほどして出てきました。
 「いやあ、よかった。血液検査で前立腺にも膀胱にも腎臓にも癌はない、といわれたよ」
 先ずはひと安心。
  

 ただし、「前立腺は肥大してますね」といわれ、
 「それは自覚してますが、その先っちょは大丈夫でしょうか」
 「その先っちょ? ああ、それね。それは大丈夫です。子どももつくれますよ」
 「そうですか、よかった、よかった。これで生きる希望が湧いてきました」
 そんなやり取りを交わしたとか。(バカなヤツ、初対面なのに)
  

 この医師に当院を選んだ理由を説明すると、「なるほど」と理解してくれ、次回は院長先生に診てもらえるように予約してくれたとのこと。これもよかった。

病院   

 彼は「どこにも癌はない」とのご託宣がよほどうれしかったのか、帰宅してから、
 「おかげで、もう少し生きていけそうです」
 と感謝のメールを送ってきました。(本当は先っちょの無事がうれしかったのではないか)
  

 私としては、念願のバスに乗れたので満足です。
 もっとも、ごくふつうの中型バスでしたが。
  

 春を待つ倅の無事を寿ぎて
  

 説明は不要。

 昨日(02/08)エコパへ行ったら、「祝入館50万人達成」の紅白幕が張られてました。開館(2014年6月)いらい述べ入場者数が午前中に50万人に達したそうです。
 50万人目とその前後(?)、いずれも女性で花束をもらってました。

50万人達成の紅白幕    

 「このなかにはオレも入っているんだよな」
 「そう、オレなんか毎日きてるから、表彰されてもいいぐらいだよ」
 「あんたはダメだよ。女湯覗いたり、尻触ったり、悪さばっかりしてるから」
 「してねーよ。婆さんばっかりじゃ面白くもなんともない」
 「それはいえるなァ」
 常連のオヤジ(ジジイ)たちは湯舟のなかで勝手なことばかりいっています。
   

 「しかし、ここができてから、家の風呂に入らなくなったなァ」
 「ガス代も助かるし」
 「それもあるけど、ここは広いから身体が休まるよ」

エコパ    

 私も広い湯舟を利用して手足のストレッチをやっています。
 私の上腕骨には金属が入っているのですが、これをやると痛みが和らぎ、曲げ伸ばしが楽になります。
  

 「よおッ、しばらくぶりじゃないか。ずい分会わなかったなァ」
 顔なじみのオヤジに声をかけられました。
 「しばらくったって10日ほどじゃないの。こられないときもあるよ」
 「ここでは3日こなかったら、死んだことにされちゃうんだよ」
 「ひでェなそれは」
                     
 大広間ではかなりショッキングな会話が交わされていました。
 「あの、ここでいつも坐っていたサングラスのおじいさん、あの人、このところ全然見ないと思ったら、亡くなっていたんだって」
 「えーッ」

大広間にて     

 「そういえば、いつもここでオセロやっていたオジサンも亡くなったし」
 「カラオケルームで常連の女性、ダンスやってた人、あの人も亡くなったって」
 「えーッ、この前まで元気だったじゃない」
 「そういう人がポックリ逝くのよ」
 「あんたもしばらくこなかったから、死んだと思ってたよ」
 「えーッ、いやだあ」
 人が死んだ話なのにみんな屈託がない。
  

 埒もなく死者を数へし浅き春
  

 50万人のなかには物故者もいるけど、みんな淡々とそれを受け止めている。
 「明日は我が身」と思っているから。

 野毛山遊園地の南端から赤門町に下りました。
 ここに東福寺というお寺があります。高野山真言宗、光明山遍照院。
 山門が朱塗りであることから、地元では「赤門さん」で親しまれています。

朱塗りの山門    

 創建は不詳ですが、寛元年間(1243~1247)に元心が開山、室町時代の1480年ごろ太田道灌が中興した、と伝えられています。

境内   

 境内のあちこちに梅が咲いていました。
 白梅、紅梅、しだれ梅も咲いています。

境内のしだれ梅   

 同寺は盗賊などの放火によって何度も火災に遭いましたが、高さ約90cmの聖観世音菩薩像(ご本尊)だけは住職の尽力によって無事、大震災も戦災をもくぐり抜けてきました。

本堂   

 朱塗りのお堂には閻魔大王が祀られています。
 これは寺を襲った盗賊を懲らしめるため?

閻魔大王   

 よく「来年のことをいうと鬼が笑う」というけど、鬼とは閻魔大王のこと。
 閻魔様が下界を覗くと、ある富豪が「来年になったら〇〇や△△へ行くんだ」と楽しそうに旅行の話をしているので、「おや? こいつは来年こっち(冥府)へくることになっているのに、バカなヤツ」と笑ったことからきているそうです。
  

 私は来年もこの世にいられるのでしょうか。
 聞いてもおそらく「お前の心がけ次第じゃ」といわれるに違いない。

しだれ梅   

 閻魔より梅に言問ふ命かな
   
 閻魔様に聞くのはこわいので……。

 野毛山公園をさらに上ると動物園があり、道路を挟んで児童遊園(展望地区)。
 その両者をつなぐのが野毛のつり橋。

野毛のつり橋   

 名前は「つり橋」で、しかも橋桁部分がケーブルで支えられているため、吊り橋のように見えますが、橋全体は橋脚で支えられているので吊り橋ではありません。これを斜張橋といいます。
 つくられたのは1970年。当時は歩道橋としては斬新なデザイン(柳宗理氏による)だったそうです。

橋をわたる    

 この橋は横浜市民の間では「富士山のビューポイント」とのことで、早速上ってみました。
 なるほど、野毛山動物園の向こうに富士山が見えます。

動物園の向こうに…    

 それもこの橋のどこからでも見えるという格好の場所。

富士山が…   

 橋を渡ったところに野毛山配水池があります。
 ここは明治20年(1887)に日本最初の浄水場がつくられたところで、現在は西区全域と中区・南区の一部の地域に水が送られているそうです。(西区HP)
 水道創設者ヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像があります。

野毛山配水池   

 庭園には展望台があり、そこからも富士山は見えますが、木に隠れて今ひとつ。

展望台から見る富士    

 それよりも海側の景色がいい。ランドマークタワーやコスモクロック(大観覧車)が見えます。

展望台から見るみなとみらい   

 左の建物は神奈川県警本部庁舎。向こうに見えるのはベイブリッジ。奇しくも「野毛のつり橋」と同じ斜張橋。しかも斜張ケーブルの姿が富士山に見えないでもない。ということで、

 神奈川県警本庁舎とベイブリッジ   

 つり橋に潮風抜けて春隣
  
 おあとがよろしいようで。

 昨日はTVで「第66回別大マラソン」を観ました。
  

 レースの中盤まではトップグループは10人以上いたのに、徐々に脱落していって35kmすぎからデレジェ・デベレ(30・エチオピア)と中本健太郎(34・安川電機)の一騎打ち。
 39kmあたりから中本がスパートをかけました。デベレとの差は開く一方。

中本とデブレの一騎打ち   

 中本といえば4年前、川内優輝(埼玉県庁)とデッドヒートの末競り負けた苦い思いがある。
 彼はそれが常に心にあり、「今回はなにが何でも優勝」という意気に燃えていました。
  

 結果は中本が1位でゴールし、優勝。2時間9分32秒.
 2位はデペレ。

中本優勝   

 しかし今回は盛り上がりに欠けました。
 中本選手の臥薪嘗胆が報われたというのは、けっこうなことだけど、有力な外国選手は出場していたのか。
 女子マラソンでもそうだったけど、有力な選手がいないところで勝ってもそう単純によろこべない。こんなことで世界に勝てるのか。
 マスコミはそんなことを一切突っ込まず、ただただ日本選手をほめそやす。

*    

 話は変わるけど、スキージャンプW杯でまた日本の女の子が優勝しました。「最多優勝に迫る」とマスコミは騒ぐけど、オリンピックでは入賞すらできなかった。
  

 本人は「調子が悪かった」と言い訳していたけど、とてもそんなレベルじゃない。
 世界には彼女以上に強い選手がごろごろいることがわかりました。
     
 欧米の有力選手はW杯をさほど重視しておらず、出場しても小手調べ程度。
 しかしオリンピックとなると、目の色変えて挑んでくる。それが実情です。
    

 マスコミはそんなこと百も承知のくせに、この女の子をやたら持ち上げる。そうとでもしないと、マスコミ自体が立ち行かないから?
 欧米では考えられないことで、スポーツマスコミはもっと厳しい。
       
 当方は、この女の子が称賛されるたびに「オリンピックで優勝してくれ」とつぶやいている。
 へそ曲がりジジイで悪かったね。W杯、何度でも勝ってくれェ。
           

 紅葉坂をさらに進むと横浜駅根岸道路に出ます。通称・横浜道。
  

 横浜港が開港した当時、港へ行くには神奈川から船に乗って行くか、陸路なら程ヶ谷宿→井土ヶ谷を迂回するしかなかったので、幕府は神奈川と横浜を最短距離で結ぶ道の必要性に迫られ、芝生村(浅間町)→元平沼橋→戸部村から野毛山を切り通し、太田橋(吉田橋)から関内に入る道をつくりました。これが横浜道です。

横浜道   

 20年ほど前、戸部から野毛坂交差点まで歩いたことがありますが、何の特徴もない道で車がビュンビュン行き交い、しかも急な上り坂(野毛あたりで下り)、足がヘロヘロになりました。
 そのとき「たしかにここは山だった」と実感しました。
 両側の切り通しがそれを物語っています。

野毛山住宅・亀甲積擁壁   

 横浜道の切り通しの側面は石垣によって支えられていますが、これは鎌倉をはじめどこの切り通しも同じ。
 なかでも野毛坂交差点の「野毛山住宅・亀甲積擁壁」は六角形の石が整然と積み上げられ、見た目に美しい。これは市認定歴史的建造物になっています。なるほど。

野毛山公園道   

 その角を曲がって坂を上ると野毛山公園。
 この一帯はかつて原善三郎や茂木惣兵衛などの豪商の邸宅がありましたが、関東大震災によって壊滅、その後の復興事業として公園が整備されました。

野毛山公園   

 ここに中村汀女の句碑があります。
  

 蕗のたうおもひおもひの夕汽笛

中村汀女・句碑    

 中村汀女(1900~1988)は、夫が大蔵省官吏だった関係で昭和5年(1930)から西戸部町の税関官舎に住んでいて、横浜にはなじみのある俳人とのこと。
 なるほど。「おもひおもひの夕汽笛」というのがいかにも横浜らしい。
  

 ここにはいろんな記念碑があり、他にはラジオの聴取契約者が100万人を越えた記念に建てられたラジオ塔(昭和7年=1932)や、明治維新の陰の立役者で横浜にもなじみの深い佐久間象山の顕彰碑もあります。

ラジオ塔 佐久間象山・顕彰碑   

 野毛山公園は戦後米軍に接収されましたが、米軍撤収後は動物園や児童遊園がつくられました。
 ここを歩くだけでも横浜の歴史がわかる。うーん、深い。

 なんの脈絡もなく紅葉坂です。
 紅葉坂は国道16号線から野毛山に上る坂で全長は約300m。
 幕末には神奈川奉行所が置かれ、その際周辺に楓が植えられたので紅葉坂と呼ばれるようになりました。

紅葉坂(上り)   

 昔は坂の上から海が見わたせたそうですが、今はランドマークタワーなど高層ビルに遮られて、その景観は望むべくもありません。

紅葉坂(下り)   

 またここは桜並木になっていて、当時の写真には人々が桜を見ながらそぞろ歩きする様子が見られます。なかには人力車でくり出す芸者さんの姿も。
 残念ながら桜は関東大震災で倒壊し、花見の名所ではなくなりました。

昔の紅葉坂   

 当時の写真には「諸車下坂ヲ禁ズ」の立て札が道の真ん中にあり、人力車、大八車、荷馬車などの車は、下りは禁止されていました。
 急坂のため危険だったからですが、坂を上れば下るのは道理。別の(なだらかな)下る坂があったのか。よくわかりません。
 この坂は今でもキツい。自転車で上る人、ご苦労様です。
  

 神奈川奉行所は今の青少年センターのところにあったようです。(石碑あり)
 ここは開港直後の安政6年(1859)に設置され、港の管理、運営に当たりました。

神奈川奉行所跡の石碑   

 その先を右に(車の止まっている道)入ると……。

青少年センターを右に入る   

 おおッ、西の方向に雪を頂いた富士山が。
      
 「今日はよく見えるねえ」
 とは犬を連れた散歩中の老人。

富士山①   

 「そのちょっと先でも見えるよ。そのマンションの右側に」
 なるほど、よく見えます。
 富士山は埼玉からでも見られますが、こちらのほうが間近に見えます。

富士山②   

 冥加なり急坂登りて雪の富士
  

 ここから奥に抜けると掃部山公園に出ます。
 以前にも述べましたが、井伊掃部頭はご先祖の藩主。銅像の前で手を合わせました。

掃部山公園   

 この日(02/02)は音楽堂で高校の合唱コンクールがあり、大勢の高校生が本番前の練習をしていました。
 心なしか掃部頭(かもんのかみ)が微笑んでいるように見えました。

 エコパの湯で顔なじみのひとりがこんなことをいいました。
 「この前、都心に出かけたんだけど、電車が柳瀬川をわたったとき、富士山が見えたよ」
  

 やっぱりそうか、電車から見えるのか。
 実は線路(東武東上線)から少し下流側(北東)にある富士見橋は、富士見市の「富士絶景ポイント」のひとつに挙げられている(他は砂塚橋、羽倉橋、荒川土手)のですが、何度行っても見えなかったので諦めていたのです。

富士見橋  

 「時期やタイミングが悪かったのかな」
 そう思い直して、先日行ってきました。
   

 なるほど、見える。
 川のカーブの関係で橋から西に下りた道路からのほうが見えやすい。
 せっかくなので電車が鉄橋をわたるタイミングで撮ったのですが、如何せん電線がウザい。

富士見橋から見る富士   

 「電車のなかからだと電線は見えないはず」
 そう思って土手に上りました。鉄橋の向こうに富士の頭が見えます。

土手に上ってみた   

 線路際まで近づきました。ここからだとはっきり見えます。
 しかしこれを「富士のビューポイント」に挙げるのはどうか。

線路際まで近づく  

 そこで鉄橋をくぐって向こう側に出ました。
 やはり電線などがあってウザい気がします。

線路の反対側へ  

 クローズアップしてみたものの、景色としては今ひとつ。

反対側から見る富士 

 おそらく電車から見たご仁は、「おおッ、富士山だ!」と感激の気持ちがあったから、電線など気にならなかったのでしょう。それに一瞬だしね。
  

 結論。柳瀬川の富士は車窓から見るに限る。

 富士ついでに川越城本丸御殿近くの富士見櫓(やぐら)跡に寄りました。
 かつて川越城の櫓が建てられていたところです。

富士見櫓の全景   

 解説板にはこう書かれています。
 「天守閣のなかった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱(ひし)櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣(てんしゅかく)の代わりとなっていたと思われる」

頂上   

 上に登ってみたものの、櫓らしきものはなにもない。ただの広場があるのみ。
 櫓は明治になって取り壊されたそうです。
 おそらく昔は富士が見えたと思われますが、その眺望は望むべくもない。

頂上からの眺め   

 ここは御嶽(おんたけ)神社が祀られているのだそうで、山頂の奥には御嶽神社、浅間神社、さらに富士見稲荷が祀られています。

御嶽神社 浅間神社   

 ふーむ、浅間神社は富士信仰の神社だから、わからぬでもないけど、ここは神々の御座(おわ)すところであったか。

富士見稲荷   

 しかし当方のような「信心浅き者」にとっては、当時の様子もわからなければ富士も見えないという、「泣きっ面にハチ」(比喩が間違っている?)のようなところでありました。

 昨日(01/31)三度(たび)初雁橋にやってきました。
 今年になって三回目。(実は昨年暮も訪れている)
 目的は富士山ですが、正月明けの4日はまったく見えず、10日は薄っすらと。
 こうなれば空気の澄んだ日にくるしかない。

初雁橋   

 一昨日(01/30)が暖かかっただけに、昨日は寒かった。
 しかし当方の意志が通じたのか(?)、はっきりと富士が見えるではないか。
 三度目の正直。
 川の上流方向に見える富士の姿はなんともいえない味わいがあります。
 惜しむらくは電線。

初雁橋の上流側に   

 仕方なくクローズアップして、富士山の上にかかった電線をトリミングしました。

富士のクローズアップ   

 空をカットすると、場合によっては息苦しくなることがありますが、これはまあまあ。
 寒いのを我慢してきた甲斐があったというもの。
  
 水上公園の土手にも行きました。
 こちらは道の奥に。これもなかなかいい富士です。

水上公園の土手から見る富士   

 電線がないから、こっちのほうがいいような気がします。
 当方としてはこれで満足。当分(富士を見に)こちらへくることはないかな。
  
 余談ですが、富士山は水上公園通り(郵便局の近く)からも見られます。

水上公園通りの富士   

 しかしここから見るのはどうも有難みがない。(偏見?)