喜多院の次は中院。(天台宗/山号は星野山/寺号は無量寿寺/院号は中院)
 何度もUPしているので由緒などは省略しますが、しだれ桜が有名で、大勢の人で賑わいます。

鐘楼門    

 もっとも賑わうのはこの時期だけで、ふだんはひっそり。
   

 しかしここは島崎藤村ゆかりの地でもあり、狭山茶発祥の地碑もあって見どころ満載。

境内 

 したがって真の川越通は喜多院より中院を好むとか。
 境内は静かで落ち着きがあります。

 手水鉢   

 喜多院、菓子屋横丁、一番街などで見かけた「川越観光サポート隊」もここにはいなかった。
 (団子屋もないし)

 松の木  

 「おや?」
 境内にキンモクセイの香り。
 うーん、いい香りだ。

キンモクセイの花   

 私はこの香りが好きで、中華街へ行ったらキンモクセイの香りのする桂花茶を買うほど。
 以前このお茶が中華街から消えた、と述べたことがありますが、先月行ったら店頭にありました。ただし値上がりしてた。
  

 話が逸れましたが、キンモクセイは意外にも本堂の近くに。
 しかも木は意外に大きい。これはキンモクセイの木だったのだ。

キンモクセイ    

 ふだんは全然気がつかなかった。何の木かも知らなかったし、関心もなかった。
 それがこの時期だけ面目を発揮する。
 私もかくありたい。

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2016.09.29 喜多院の初秋

 喜多院にやってきました。ここは天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)。
 元三大師を祀り川越大師としても知られています。

 川越大師   

 1月3日のだるま市、節分、七五三、菊祭りなどの行事があり、春は桜、秋は紅葉、四季折々の行楽客で賑わいます。
   

 季節的にはもう初秋のはずだけど、この日(09/27)は蒸し暑かった。
 「おや?」
 川越大師の標識の下で中学生がたむろしている。川越観光サポート隊?
 これは地元の中学生が観光案内をしているとのこと。「ぼくたちがガイドします」
 可愛いねえ。

 中学生が観光案内?   

 お堂のふもとでは数人のグループが絵を描いておられる。
 やっぱり芸術の秋か。

芸術の秋?   

 喜多院の庭に入り、裏側から彼らを見ると、その視線は……。
 どうやら多宝塔を描いているらしい。

描いているのは?    

 この多宝塔、もとは山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されたものの、老朽化が進んだため、昭和48年(1973)ここに移ったそうです。総高13m。
 当方はあまり目にとめなかったけど、さすが芸術家、目のつけどころが違う。
 力作を期待しておりますぞ。

 多宝塔   

 さらに境内をうろうろしていると、茶店の看板が目についた。「厄除けだんご」
 串に刺した醤油味の焼き団子です。
 食べる気はないので食レポはしないけど、川越を含め、所沢、行田など、埼玉県西部は粉モノが名物。したがって不味くはないはず。(悪いネ、無難な報告で)

食欲の秋? 

 茶店では年配者が談笑しながら何やら食っていた。食欲の秋?
 勝手に食え。

 久しぶりの川越徘徊です。
 先ずは16号線沿いにある仙波氷川神社。
 川越氷川神社の南に約2kmにある末社で、規模は小さくひっそり閑としています。
   

 しかしこの神社が面目躍如するのはこの時期だけ。
 入口から道路沿いにかけて一面の彼岸花。これがなかなか壮観。

神社入り口   

 それもただきれいに咲いているというだけではない。
 ここは神々のおわすところ。
 彼岸花には毒性があり、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)といわれているだけに、どこかの公園で漫然と咲いているのとはわけが違う。

 道路側  

 そういわれれば、つくづく生と死を感じさせる(なーんちゃって)。
 この一面の彼岸花、なかに白い彼岸花が少し見られる。これはお約束事?

白一点   

 この仙波氷川神社、他には古墳があるけど、正確な記録はなく、ただ土が盛られているだけで面白くもなんともない。
 だからこの神社は「彼岸花の神社」と断定していいかな。

2016.09.27 ライムライト

 「ライムライト」( 1952年/アメリカ)はチャップリン晩年の映画です。
    

 初老の道化師カルヴェロ(チャーリー・チャップリン)はある日、自殺を図ったテリー(クレア・ブルーム)というバレリーナを助け、彼女を励ましバレエ界に復帰させるが、自らは落ち目になり、彼女の元を離れて辻音楽師になっていく。

ライムライト①   

 テリーは次第にスターの階段に上り、若き音楽家(実は再会)にプロポーズされるが、カルヴェロのことが忘れられない。

ライムライト②    

 そんな折、偶然カルヴェロに再会し、もう一度彼を舞台に立たせるように手筈を調える。 再起の舞台でカルヴェロは熱演し、観客から大受けしたが、熱演のあまり舞台から転げ落ち、ドラムにはまり込んで脊髄を損傷し、致命傷になる。

ライムライト③   

 駆けつけたテリーに「私は大丈夫。さあ、キミの出番だ」
 促されて舞台で踊るテリー。その姿を見てカルヴェロは息を引取った。

ライムライト④    

 この映画を最初に観たのは小2のときです。
 冬休みの絵日記に、「ライムライトという映画をみました……チャップリンはたいこ(太鼓)にはまって死にました」と書いたところ、
 「むずかしかったでしょう。わかりましたか」という担任の赤ペンが入っていました。
 担任から見れば「いい映画だけど、子どもには難しい」と思ったのでしょう。

ライムライト⑤    

 たしかに映画の内容まで理解していたわけではないけど、彼女が踊るラストシーンはよく覚えています。
 このときのテリーの美しかったこと。いらい私の憧れの女性になりました。
 また「エタナリー」の曲も好きで、木箱に納められたオルゴールをしょっちゅう開いては聴き入っていました。

ライムライト⑥    

 リバイバルで観たとき(19歳)は、幼いころから恋焦がれていた女性に再会した気分でした。
 彼女が勤める文具店にいつも買いにくる若き音楽家に五線紙をおまけするシーンでは、「あった、あった」
 子どもながら、意外に細かいところまで覚えているものです。

 ライムライト⑦  

 30代後半でこの映画を観たときは、気持ちは老喜劇役者カルヴェロ(チャップリン)に沿っていました。そして一抹の侘しさを感じました。
 「もう、私の時代は終わった。これからは若い者同士でやりなさい」
 と若いふたり(テリーと音楽家)に譲ります。これがなんとも切ない。

ライムライト⑧     

 実際チャップリンはこの映画で「もう、私の時代は終わった」というメッセージを託したそうです。
 最後に老喜劇役者がドラムにはまって死ぬのはこれ以上ない終わり方でした。

ライムライト⑨   

 余談ですが、息子は小学生のときからチャップリンのファンでした。
 「モダンタイムズ」「街の灯」「独裁者」「黄金狂持代」「ライムライト」……NHKで放映された作品すべてをビデオに録画して、よく観ていました。
 「モダンタイムズ」「ライムライト」は私が小学生のときに観て印象に残った作品です。
 そんなこと話したことはなかったのに、いわなくても伝わるのか。不思議な気がします。

ライムライト⑩    

 ※この項は旧ブログに投稿したものを大幅に加筆してリメークしたものです。

 大相撲秋場所は大関豪栄道の優勝で終わりました。しかも、かど番からの15戦全勝は史上初。

千秋楽・○豪栄道―●琴奨菊    

 序盤は隠岐の海が2横綱3大関を破って快進撃、相撲内容もよかったので期待が持たれたけど、7日目全勝同士の豪栄道に負けてからガタガタと崩れ、14日目にやっと勝ち越し。最終的には9勝6敗で殊勲賞を受賞したけど、後半の失速は情けない。
   

 その点豪栄道は全身気合が漲り、内容も充実していたけど、他の大関、横綱もだらしなかった。
 白鵬が休場していただけに大関稀勢の里には綱取りのチャンスといわれたけど、いざフタを開けると勝負弱さが目立ちました。

豪栄道優勝で湧く場内(14日目)    

 横綱日馬富士は勢いよく攻めるのはいいけど、詰めの甘さと軽量の哀しさ、土俵際で逆転されることがよくありました。
 11日目の高安戦では土俵際まで追い込んでいるのに突き落としを食らって背中から落ち、13日目の豪栄道戦ではいい態勢になって寄りながらも(苦しまぎれの)首投げを食らいました。
 いずれも相手がかわす方向へ寄っている。これでは相手の思うツボ。かわされないよう、逆の方向へ攻めることはできなかったのか。(もっともこれは傍目だからいえること)

13日目・○豪栄道ー●日馬富士    

 豪栄道に関してはその日馬富士に首投げで勝ったことがすべて。
 これで豪栄道優勝と確信しました。

14日目・○豪栄道ー●玉鷲    

 もうひとりの横綱鶴竜はまったく精彩がなかった。
 休場明けということがあったのかもしれないけど、突っ張り合いしていても、ちょっと不利だと思うとすぐ引いてしまい、そこを付け込まれて押し出されるのが目につきました。
 この横綱から引きぐせがなくならない限り、これから先はない。

 14日目・○遠藤ー●高安  

 頑張ったのは遠藤。
 怪我で復調もままならず、長い間下位に低迷してたけど、今場所ようやく体調を取り戻したか、13勝2敗の好成績。前へ出る正攻法で内容もよかったと思います。

豪栄道   

 豪栄道に対して、「これで次回は綱取り」とマスコミは騒ぐけど、琴奨菊、稀勢の里、いずれも連続優勝したためしがない。
 豪栄道もそうだけど、琴奨菊、稀勢の里、いずれもそのときの勢いで優勝(稀勢の里は準優勝)しただけで、まだ横綱の実力は備わってない。
 それに「綱取り」と騒ぐことがプレッシャーになって勝てなくなる。
 いい加減こんな報道(バカ騒ぎ)はやめたらどうか。

 このところ人のブログを見ると、やたら彼岸花が出ている。
 こちらも負けじと10日前、山崎公園(富士見市)を訪れたのですが、彼岸花はまだ咲かず。
 ところがその後、台風と秋雨前線で連日の雨。徘徊もままならない。

山崎公園    

 昨日(09/24)になってやっと雨が上がったので、早速行ってきました。
 「おッ、咲いてる、咲いてる」
 キバナコスモスの奥の花壇に真っ赤な彼岸花。なかに白いのがポツリと。

 彼岸花の群生①   

 「まあ、きれいねえ」
 と、散歩で通りがかった老婦人。
 「これ、一週間前には咲いてなかったんですよ」
 「本当? やっぱりこの時期にしか咲かないのねえ」
 お彼岸(秋分の日)の時期に咲くから彼岸花。

白い彼岸花も    

 お墓によく見られるので、お墓参りとは切っても切れない花ですが、墓にこの花が植えられているのは、この花の毒性故にネズミやモグラなどから土中の遺骸を(食い荒らされないよう)守るためとか。

彼岸花の群生②    

 事実彼岸花はアルカロイド系の有毒植物で、間違って食べると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合は中枢神経が麻痺して死ぬこともあるそうです。
 そのため死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)などの異名があり、彼岸花の由来には「これを食べたらあの世(彼岸)行き」という説もあるとか。
 墓だけではなく、虫やネズミなどから作物を守るため、田畑に植えられているところもあるそうです。(Wikipedia)

 彼岸花   

 そう思ってみると、彼岸花の赤さはきれいというより毒々しい。
 そんな花でも日本人はきらわずに愛でる。つくづく懐が深い。

 夏の終わりの山下公園。
 山下公園といえば氷川丸ですが、この日はなぜか氷川丸には目もくれず、沖のほうにカメラを向ける一行が。
 「なんだよ。モデルの撮影でもしてるのか」
 しかし円形護岸にはチンケな若者がうずくまっているだけ。まさか、こんなヤツを撮ってるわけじゃないだろうな。

何を撮っている?    

 位置を変えて見ると、理由がわかりました。
 沖のほうには大さん橋に停泊している大きな客船。聞いてみるとダイヤモンド・プリンセス号だって。
 ダイヤモンド・プリンセス号は北海道とか、九州、四国あたりを周航している豪華客船。
 横浜港には8日毎に停泊。朝大さん橋に入港して、夕方5時(17:00)に出向するようです。

彼らの先には    

 この客船をバックに記念写真を撮る人や、自撮りする人もいたけど、そんなに珍しいか。
 明日(25日)になれば見られるぞ。
 もっとも船旅など当方には縁がないから、やっかみ半分でいっているわけで。

客船を背景に記念撮影    

 取手の友によると、しょっちゅう夫婦で船旅を楽しんでいる友人がいるらしい。
 「豪勢なもんやな」
 「うん。金持っとるからな」

こちらは自撮り    

 しかし夫婦が船旅をするようになった理由というのが振るっている。
 「ヤツはな、4~5年前、大病して入院しよったんや。それで人生観が変わったというのや」
 「どう変わったんや」
 「金はあるけど、子どもに残してもしゃあない。自分たちのために遣おうという気になったというのや」
 「なんや、そんな変化か」
 急に鼻白みました。
 当方は3年前骨折で2ヵ月入院したとき、人生観が変り(?)「これまで自分本位に生きていたけど、これからは人によろこばれることをしよう」と思うようになったのに。
 当方と真逆ではないか。
    

 もっともこれは金のない人間のやっかみ。
 人生観の変化は人それぞれです。

 氷川丸   

 当方はやはり氷川丸を見学するのが身の丈に合っているのかな。

2016.09.23 第三の男

 このところの長雨で徘徊は断念しておりますが、こんなときこそ映画のことを語りたい。
 といっても当欄は映画の紹介ではなく、その映画を観てどう思ったか、どんな影響を受けたかなど、個人的な関わりを述べるもので、とくに推奨はしません。結末も明かします。
    

 結末を明かすことを業界では「ネタバレ」といって避ける傾向にありますが、「結末は…(点点点)」とか「観てのお楽しみ…」では感想(評論)にならないし、表現として卑しい。
 昔の映画紹介は結末まで明かしてたけど、映画への期待が失せることは少しもなかった。

*     

 そんなことを踏まえて最初は「第三の男」(1949/イギリス)
 舞台は第二次世界大戦直後のウィーン。
 アメリカの作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は旧友ハリー・ライムを訪ねてきたものの、ハリーは自動車事故で死亡したと知らされる。墓場で知り合った英国のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)の情報をもとに宿の管理人を訪ねると、事故の目撃者が三人いると知らされた。二人は判明したけど、三番目の男とは誰か。
 一方ハリーの元恋人で女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)は旅券の問題で苦境に陥っていた。
 ホリーは何とか彼女の力になろうとするが、どうにもならない。途方に暮れたホリーが外に出ると、街角に怪しい人影が。車のライトに照らされたその顔を見てマーチンスはおどろく。「ハリー!」

ウィーンの夜の路地      

 しかしそのハリーは忽然と姿を消した。
 キャロウェイから、ハリーは粗悪ペニシリンを扱う闇商人で被害者は幼い子どもたちであることを知らされ、逮捕の協力を要請される。証拠を見せられ、病院を視察したマーチンスはハリーの罪状を目の当たりにし、旅券違反でソ連に捕まったアンナの釈放を取引に逮捕に協力した。
 地下の下水道を逃げるハリー。追いかけるキャロウェイ、警察、そしてマーチンス。
 追いつめられたハリーはついにマーチンスの銃弾に倒れた。
 そして今度こそ本当のハリー・ライムの埋葬が行われた日、マーチンスは「彼女の力になりたい」とアンナを墓地で待ったが、彼女は彼を無視して通り過ぎていった。

アンナ    

 あらすじを説明すると入り組んでいますが、これが短い時間に展開されていきます。
 すじだけではなく映像も鮮烈で、専門家にいわせると、光と影を効果的に使い、カメラアングルにも凝っているそうですが、私はハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の存在感とアントン・カラスのツィター演奏に負うところが大きいと思います。
   

 とくに暗闇からハリーの顔が浮かび上がる場面は最高で、あのはにかんだ、悪戯っぽい表情がたまりません。この映画の魅力はそこに尽きます。
 しかもハリーが登場するのは物語の半ばごろ。「いい役者はあとから出てくる」の典型です。

暗闇から現れたのは     

 この映画を初めて観たのは京都の浪人時代(リバイバル上映)でしたが、その後何度も観ました。息子が小6のとき、NHKの「名作劇場」で放映される前、「この映画がいかに素晴らしいか」を逐一解説したことがあります。息子はどのような思いで観ていたのか。

地下道   

 ハリーが観覧車でマーチンスに語る名セリフがあります。
 「眼下に小さな灯りがポツポツと見えるだろ。あれがひとつふたつ消えようと、金になるのなら、どうってことはない」
 「チェーザレ・ボルジアの圧政のおかげで、ルネッサンスの輝かしい文化が花開いた。一方スイスの同胞愛、平和運動はなにをもたらした? 鳩時計だよ」

観覧車にて    

 すごいセリフです。まさに悪の哲学。
 このセリフによってこの映画は単なるフィルム・ノアール(暗黒映画=日本ではギャング映画と訳されている)を超え、映画史上に残る名作になりました。
 このセリフは脚本にはなく、オーソン・ウェルズのアドリブだそうです。
 このことからしても、オーソン・ウェルズという役者はただ者ではない。
 (これも息子にいった覚えがあります)
    

 ハリーに比べるとマーチンスの何と間抜けで軽いことか。むろん彼は敢えて「狂言回し」を引き受けているのですが。

 ラストシーン    

 そして有名なラストシーン。
 並木道で待っているマーチンスをまったく無視して通り過ぎるアンナ。
 最後になってはじめてマーチンスの存在感が発揮されました。観終わっても長い間余韻の残る映画でした。
   

 ※この項は旧ブログに投稿したものを大幅に加筆してリメークしたものです。

 昨日(09/21)は前立腺肥大の診察と治療で近くの総合病院へ行ってきました。
 前立腺肥大といっても、私の場合はごく軽いもので、初歩的な薬を処方してもらっています。
   

 これは担当の院長先生の診断によるものですが、その院長先生は今年の1月の大雪で(転んで骨折)当病院に入院され、1月、3月、5月は代わりの医師の診察を受けました。
 院長先生は3月に退院され、5月ごろから午前中の診察をされていると知りましたが、私は午後のほうが都合がいいので、院長先生にはかからずじまい。
   

 ところが前回(7月)「今日も代わりの先生だろうな」と思っていたら、意外にも院長先生。
 私を見るなり、「やあ」
 「午後も復帰されたんですか」
 「うん。いつまでも人に任せるわけにはいかんからね。これであんたを診られるようになったし」
 「私も院長先生に会えてうれしいです」

 病院 

 再会したら骨折や9階の整形外科病棟、リハビリ室のことなど話してやろうと思っていたのですが、そんな話をすることもなく、症状のことに。
 「数値はいいですね。オシッコも問題ない」
 「そうですか。オシッコに関しては、夏は調子いいんです。夜中にトイレ行くこともないし」
 「汗に出るからね。ところで毎年春にやっていた血液検査とエコー検査、今年はやらなかったから、次回(9月に)やりましょう」

 ということで、昨日はいつもの尿検査と診察だけではなく、血液検査とエコー検査もやりました。

 エコーはやたら時間がかかりました。
 最初は若い女性の技師に診てもらったのですが、次に先輩格の女性技師が診にきて首を傾げる。
 こんなことは初めてなので、「怪しいところがあるのですか?」
 「そんなことはありません。ただ膀胱のところにガスがかぶさって見にくいのです」
 「ガス? そんなものが膀胱にあるのですか」
 「膀胱ではなくて腸のガスです。膀胱と腸が重なっているので」
 「それは私の特異な体質なのですか?」
 「そんなことはありません。誰にでもよくあることです」
 「ガスがかぶることも?」
 「ええ」
              

 その直後、採尿室で尿を採り、再びエコー検査。
 このときはちゃんと見えた。(ガスが出たから?)
 排尿後も診るのは残尿確認らしい。

 検査後、30分ほど経ってやっと院長先生の診察を受けました。
 「結果はいいよ。癌の心配はない」
 「えッ、もうわかるのですか?」
 血液検査の結果は、以前だと次回の診察で知らされてたけど、今は30分ほどでわかるらしい。
 「数値的には血色素量が低い(同時に赤血球の数値が低い)けど、これは齢だからねえ。それほど心配することはない」
     

 エコーの写真も見せられました。
 「残尿はほんの少しあるけど、問題はない。前立腺だけどね、以前とそう変わってない。ということは大きくもなってないから、いいんだろうね。オシッコもきれいだし、何の問題もない。この薬が効いているのかもしれないな」
 ということでいつもの薬を処方。
 ただし今回は12週分。次回診察は12週間後に延ばされました。
 これまでは8週間ごとだったのに。ひょっとして疎遠にされている?
   

 このことを薬局の人に聞いてみると、
 「経過がいいからですよ。そう頻繁にこなくていいと先生が判断されたんでしょ。よかったじゃないですか」
 それを聞いて安心しました。見限られたわけではなさそうだし。

 昨日(09/20)は一日中雨が降り続いたため、(友のいいつけを守って)出かけることもなく、家におりました。
 夕方の「デイキャッチ」(TBSラジオ)でDeNAの三浦大輔投手(42)が引退するとの報を聞きました。
 

 「8年前のFAで阪神からオファーがあったとき、よく横浜にとどまってくれた。今は感謝するのみ」
 三浦投手と親交のあったキャスターの荒川強啓氏は感涙にむせぶ。
 彼は根っからのベイスターズファンだっただけに、思いもひとしおなのでしょう。

三浦大輔投手・引退の記者会見    

 実は私も「隠れ横浜ファン」なのですが、最近はまったく希薄で、プロ野球そのものに関心がなくなり、せいぜい日本シリーズを観る程度。楽天が優勝した3年前は観たけど、それ以降はさっぱり。
 今年は広島カープがセ・リーグ優勝したこと、横浜DeNAベイスターズが3位を確保し、初めてクライマックス・シリーズ(CS)に出られることは知っています。
 いずれも「よかったな」と思う程度で、これでは「横浜ファン」と名乗るのもおこがましい。
    

 横浜ベイスターズに関しては18年前がピークでした。あのときは権藤監督で、大魔神が活躍し、マシンガン打線が爆発しました。
 ちょうど日本シリーズのとき友人と横浜へ行き、東口の「大魔神社」にお参りしたことがあります。ただし試合は西武球場で行われていました。
   

 その後チームは低迷し、下位をうろうろ。
 親会社も大洋水産が身を引きTBSに引き継がれましたが、TBSはラジオの情報番組で三浦大輔投手をキャスターに使うものの、実況放送では相変わらず巨人中心という、何ともチグハグな扱いでした。

 マークイズみなとみらいのフラッグ ←マークイズみなとみらいにて  

 それでも三浦投手はこのキャスターの仕事を楽しんでいたようです。
 この人は関西(奈良県)出身だけど、横浜の空気が合っているのではないか。阪神なんかに行かないほうがいい、と思いました。それだけに残留は賢明な選択でした。
   

 2012年に親会社がDeNAに譲渡されたとき、横浜ファンのやくみつる氏や荒川強啓氏などが「ゲーム会社が球団を買収して何をする気だ」と批判的でしたが、DeNAになってから、スタッフがいろんなアイデアを出し、こまめに働いてファンを増やしていきました。薄情なTBSよりはるかによかったじゃないか。
 今でも試合前に横浜スタジアムへ行くと、センターのフェンスが開放され、両チームの練習風景を観ることができます。これは「少しでも野球に関心を持ってもらいたい」という球団の企業努力の一環です。DeNAで大正解。

センターから見た横浜スタジアム    

 チームもラミレス監督に代わってから明るくなり、しかも非常に辛抱強く選手を起用するので、選手のやる気が芽生え、チーム力が上がったとのことです。
  

 そんなことを知った矢先の今回の三浦投手の引退会見。
 忸怩たる思いで聞きました。これまで無関心でいて悪かった。
  

 将来は横浜の監督になってもらいたい。
 そして強くなれば、一度ぐらいはスタジアムに行ってもいいかな。

 台風16号は本日(09/20)未明、宮崎県日南市付近から東北東へ進んでいるそうで、秋雨前線と相まって南関東でも激しい雨が降り続いています。

 濡れた路面(今朝)    

 先ほど、ゴミを捨てに行ったついでに、茶畑のほうに出てみました。
 細かい雨が降り続いています。今日は一日中雨が降り続き、夜から激しくなるそうです。

駅へ向かう人(今朝)    

 昨日(09/19)も当地では断続的に雨が降り続きました。
 午後になって少し小止みになったので、外に出てみました。「久しぶりにエコパへ行ってやれ」

砂川堀用水路   

 回り道して砂川堀に寄りました。やはり水位が気になります。
 「なんだ、いつもと変わりないじゃないか」
 (変わりなくていいのです)

川沿いの道      

 そこからエコパに向かったのですが、川沿いの細い道(獣道?)をチャリで突っ切ったものだから、両側から垂れ下がったススキの穂が顔や胸に当たり、しかもたっぷり水を含んでいるので、顔もシャツもびっしょり。しまった。
 途中で引き返しました。

 このなかを突っ切った    

 シャツはずぶ濡れに加えておびただしいススキの種子が。
 しょうがないな。
 タオルで種子をていねいに払い取り、何食わぬ顔してエコパへ。

ススキに遮られ    

 濡れたシャツは洗面所のドライヤーで乾かしました。(生活の知恵?)
   

 「おや?」
 「あら」
 集会室で見たことのある女性と顔を合わせました。以前の俳句会で一緒でした。
 この人は私より早く辞めたのですが、句会の連中と横浜へ行ったときは、ちゃっかり参加していました。
 「横浜は楽しかったね」
 「あのときはお世話になりました」
 しかし一緒に参加した印刷会社の社長さんが亡くなられたことを知ってしんみり。
 いい人だったのに。

 エコパ(集会室)   

 外に出るとまだ雨。
 止みそうもないので、そのままチャリで帰途。再びずぶ濡れに。
     
 「こんな雨の日は徘徊したらあかんで」
 またしても取手の友の忠告が聞こえてきました。
 当方は何度いわれても懲りない愚か者だよ。

2016.09.19 破滅への道

 やっぱりなあ、という思いです。
 豊洲市場の建物下に盛り土がなされてなかった理由は、都幹部によると、「土壌汚染が再び見つかった場合に備え、パワーショベルが作業できる場所を確保したかった」とのこと。(毎日新聞)
   

 これ、考えようによっては「万が一に備えて」というリスクヘッジ(危険回避)に乗っ取っているといえるけど、だったらこれは公開すべきじゃないの。「万全を期しております」と。
 もっとも、それをいうと「やっぱり危険なところなんだ」と思われる。それはなんとしても避けたい、と秘密にした。
   

 都自体も「汚染問題が再び浮上してくるのではないか」とビクビクしていた。
 そんなところに、よく移転話を進めるよ。
 市場関係者はペテンにかかったようなもの。
 これでは北海道の「原野商法」をやった不動産屋と変わらんぞ。
   

 専門家の話では、「地下に空洞(地下室)がつくられた今となっては、盛り土はもう不可能。このまま空気を浄化して進めるしかない」とのことです。
 それなら「万が一に備えて」とは何だったんだ。パワーショベルが入れても、盛り土はできないんだぞ。
    

 仮に空気を浄化して、危険物質を基準以下に抑えたとしても、「あそこは怪しいのではないか」という風評被害は拭いきれない。せっかく築き上げた「築地の信用」(築地ブランド)も豊洲でパーだ。(豊洲ブランドなど、誰が信用するものか)
   

 つくづくアホなことをやったと思います。
 しかしこれには何かの勢力が築地を移転させて、そこに(オリンピック)道路をつくるという構想を打ち立てたのではないか。すべてはこれのため。移転費用もやたらかかった。
   

 それかあらぬか、オリンピックのドンといわれるオッサンが都知事に「オリンピックに間に合うよう、道路工事を着工してくれ」と要請しおった。利権が見え見え。
 内心の焦りが表情に出て、非常に面白かった。欲の皮の突っ張った人間の顔は醜い。
  

 しかし共同通信の調査によると、「食の安全が第一。オリンピックの工事の遅れはやむを得ない」という声が75%に上ったという。
 都知事はこの世論を背景に、道路工事など「ゆっくりと」あとまわしすればいい。オリンピックのドンが泣こうが喚こうが知ったことか。
   

 そもそもをいえば3年前、2020年オリンピックが「Tokyo」に決まってから、歯車が狂い始めた。
  

 取手の友にいわせると、「破滅の道へまっしぐら」だそうです。
  

 彼は以前から「官僚が支配する国は必ず崩壊する。この国も、あの国も」といっていた。
 その予想は的中しているように思います。
 むろん彼も私もそんな予想は的中してほしくないのですが。

 アメリカ東海岸に住む従姉から健康食品が送られてきました。
 今回は香辛料が入っていました。
 イタリアンシーズニング(Italian Seasoning)とブラックペッパー(Black Pepper)がついていました。

 送られてきた食品  

 イタリアンシーズニングとはパスタなどに使う香辛料(スパイス)のこと。
 成分を見ると、オレガノ、セイジ、ローズマリー、タイム……と書かれています。
 「♪Are you going to scarborough fair Parsley, sage, rosemary and thyme……」
 サイモン&ガーファンクルの「スカボローフェア」を思い出しました。

スパイス類    

 ブラックペッパー(黒胡椒)は粒状のものでした。
 早速ペッパーミルですりつぶし、ベーコンエッグにパラパラ。
 ツーンと鼻に抜ける独特の香りです。いつものベーコンエッグとはひと味違う。
  

 パスタソースは10日に一度5食分つくるので、イタリアンシーズニングとブラックペッパーを使うつもりです。

オメガトレックミックス    

 オメガトレックミックス(Omega Trek Mix)
 ドライフルーツとナッツをミックスしたもの。
 アーモンドやレーズン、カボチャの種……などコーヒーのつまみには格好の食べ物。
 これらには「オメガ3」という不飽和脂肪酸が含まれているそうです。
 具体的には、魚油に含まれているDHAやEPA、エゴマや亜麻種子などの植物油に含まれているα-リノレン酸などの脂肪酸の総称。血流改善やコレステロール値の低下、免疫力を高める効果があるとされています。

クランベリー    

 クランベリー(Cranberry)
 疲れをとるにはクランベリージュースが最適だそうですが、非常に酸っぱい・
 しかしドライフルーツにすると、酸っぱさのなかにも甘さが。これが非常に食べやすく、こちらは紅茶のつまみに適していると思われます。

チアシード    

 そしてチアシード(Chia Seed)
 健康食品として最近脚光を浴びているのがこのチアシード。
 これは南米で栽培されているシソ科の植物「チア」の種。これは体内でつくることのできないオメガ3やオメガ6(リノール酸)が含まれ、さらにミネラルや食物繊維が含まれているといいます。
 「ヨーグルトや牛乳に浸すとふくらんで、便通にもいいのですよ」と添え書きがされていました。

 ヨーグルトに混ぜて一夜置くと   

 なるほどヨーグルトに浸してひと晩冷蔵庫に入れて置いたら、少しふくらんでいた。
   

 これらのおかげで朝食が華やかなものになった。しかも健康にいい。
 やはり持つべきものはやさしい従姉ですね。

 このところ取手の友人と話題になるのは、同窓生があの世へ逝ったとか、身体の不調を訴えている、という話ばかり。
    

 彼自身も、「今年の夏はホンマにこたえたわ。疲れがなかなか取れん。こんなん初めてや。これが老化っちゅうもんか」というので、
 「当たり前や。個人差はあるけど、誰にだって老化は等しく訪れる。それが生きとし生けるものの宿命や」
 「そうか、知らんかった。自分は永遠に齢とらんと思うてた」
 むろん彼一流のジョークですが。

 ある友人は前立腺癌の全摘手術を受け、排尿障害になりました。
 これは排尿がままならず、「当人の許可なく出る」状態。そのため日常的に紙襁褓を使用しています。当人は明るい性格ゆえ、あっけらかんとしていますが、内心はいかばかりか。
 排泄問題は人間の自尊心に関わってくることで、これがままならないと人によっては生きる気力をなくす、というぐらいですから。

 直通電車      

 これに関しては私も多少身につまされることがあって、例えば横浜へ行くのに東武東上線・鶴瀬から乗り換えなしだと、朝は90分間(尿意の)我慢ができず、中目黒か自由が丘で下車するようになりました。せっかく直通で行けるようになったというのに。(帰りは大丈夫なのです)

  *

 あとは喉の衰え。
 2~3年前から、喉に痰が絡んでいるような気がして、そのたび大きな咳ばらいをするけど、痰は絡んでない。しかし喉が何かに塞がっているような感じで大きな声が出せない。
 以前はもっとドスの効いた低い声が出せたけど、今は声が細くて高く、迫力がない。
    

 2ヵ月前、句会の当番で披講(みんなの選句を読み上げる係)をやったとき、自分の声が全然通ってないのに愕然としました。
 コーラスをやっている武蔵野の元女子高教師に相談したら、「腹筋を鍛えて、母音をはっきり発音するよう心掛けるべし。あとはなるべく大きな声を出すこと」とのアドバイス。
   

 腹筋運動はときどき昼飯前に行っているけど、母音をはっきり発音とは「あ、い、う、え、お、あ、お……」と鏡を見て発音するのかな。
 大きな声は自転車に乗ったとき、なるべく大声で歌うようにしています。
 よく歌うのはエンニオ・モリコーネ「ウェスタン」のコーラス部分。「♪アーアー、アアアアー……」と声を張り上げると気分もゆったりして、信号が点滅しても慌てて突っ切ることはなく、次の信号を待つようになりました。
 すぐに改善するとは思えないけど、これで老化が遅れるのならいいかな。

 さらに7月の初旬、横浜で激しい足の硬直に襲われました。
 これは日本大通にある横浜開発記念館で「山下公園」の展示を見ているとき、急にふくらはぎから足首にかけてギューッと絞られるような痛みが走り、攣ってきました。
 「いかん……」
 これまで足の攣りは何度か経験していますが、その都度ゆっくりストレッチし、水を飲めば大てい治まりました。しかし今度は治まらない。痛みはますます激しくなり、足は硬直したまま。
 このままでは坐ることもできない。これで命運は尽きた。
   

 一瞬救急車で運ばれる姿がよぎりました。
 そんなカッコ悪いことはしたくない。坐れないならゆっくり歩くまで。
 記念館を出て、ゆっくりと裏庭を歩きました。不思議なことにモニュメントの説明を読んでいるときや、写真を撮っているときは、痛みは忘れました。

 山下公園   

 その後山下公園に出て、駅のエレベーターでアメリカ山公園→外人墓地からイタリア庭園まで山手通りを歩きました。
 女子高生に追い抜かれました。彼女はとくに早足ではないので、いつもなら抜き返すところですが、足が動かない。みるみる彼女が遠ざかっていく。
 情けない。これでは本当の高齢者(?)の歩みだ。とはいえ今できることは足を交互に踏み出すこと。
 外交官の家→ブラフ18番館を経て大丸谷坂を下り、元町へ。そして元町中華街駅。
 時間はいつもの倍かかったものの、なんとか自力で歩けた。
 それはそれでよかったけど、もう無理はできないなァ。
 しみじみ身体の衰えを感じました。

 7月の中旬、横須賀の鷹取山へは医療用ストッキングを穿いて臨みました。
 鷹取山自体はそれほど高い山ではありませんが、ゴツゴツした岩山で、アップダウンが激しく、しかも神武寺へのハイキングコースは鎖を伝って歩くほどの難所。

神武寺ハイキングコース 

 それでも無事下山し、さらに逗子に出て郷土資料館から逗子海岸、浪子不動まで歩いたけど、足が攣ることはなかった。(攣りそうな瞬間もあったけど)
 これはひとえにストッキングのおかげ?
 いらい、遠出には医療用ストッキングが欠かせなくなりました。
     

 これからはいろんなものの助けを借りて、老化と折り合いをつけながら生きていくしかないようです。

 傲慢のツケは大きいということか。
 豊洲市場の汚染対策に盛り土をしなかったのは、「当時の石原都知事の指示によるもの」という意見が浮上してきた。
   

 これは2008年の定例会議で、石原都知事が海洋工学の専門家がインターネットで「もっと違う発想でものを考えたらどうだ」と述べている、と紹介し、
 「土を全部さらっちゃった後、地下2階ぐらいですかね、3m、2m、1mか、コンクリートの箱を埋め込むことで、その上に市場としてのインフラを支える。その方がずっと安くて早く終わるんじゃないかということでしたね」といっている。
   

 コンクリート箱の案は盛り土より高くつくということで廃案になったそうだが、役人としては都知事の「コンクリート」の言質をとって、地下にコンクリートで埋める案に傾いていったのではないか。
 なにしろ相手は強圧的な都知事である。
     

 ところが昨日(09/15)自宅前(東京都内)の取材では、
 「自分は部下から聞いたので、記者会見の場で報告しただけだ。工法は設計事務所が考えたのではないか。それで方針が変わり、その結果を報告した」といっている。
   

 さらに、「自分は素人だから建築について話す立場ではないし、見識もない。だから人任せにしてきた。プレッシャーも与えてない」とも。
   

 だったら当時からもっと謙虚になれよ。
 見識も何もない人間が、何を偉そうに反対意見をこき下ろし、マスコミに対して威圧的な態度をとる。
 「プレッシャーも与えてない」とは大うそ。
 それに最後っ屁の「東京都は伏魔殿だね」とは笑わせる。
 まるで他人事。
 東京都の長としての責任は大ありだし、その責任を果たすのが長としてのプライドだろう。
    

 結局若いころ傲慢だった人間は、そのツケが回って支払わされる番になっても、支払わないことがわかる。傲慢の果ての老醜とはあまりに無残。見たくなかった。
   

 しかしこの人間を責めたところで、豊洲問題は何ひとつ解決しない。
 やはりこの男のいうように、東京都には大きな闇が横たわっているのだろうか。

 政務活動費の不正受給していたことで富山市議会の議員が続々と辞任しました。
 不正受給の大半は領収書の偽造。
 TVのニュースで見たのは、金額が「¥2,2△△」と表示されているところ、頭に2を書き入れて、「¥22,2△△」と2万円水増ししていた。内訳には「茶菓子代50名分」。
    

 何ともセコイやり方だけど、これはまだ可愛い。(それでもダメだよ)
 同じ茶菓子代の領収書でも、市内の商店が発行した領収書を見本にして、自らPCで領収書をつくって、20万円を請求。内訳には「お茶・お菓子代400×500円」。
   

 白紙の領収書に自分で金額を書き入れるとか、多少の金額の改ざんは「サラリーマンの知恵?」(ダメだよ)だけど、PCで領収書をつくるとは何とも可愛げがない。

 今だから白状しますが、私は30年近く前、ある業者の領収書偽造に手を貸したことがあります。
 その業者とは美容食品の通販会社。
 私は当時その食品の広告(女性誌やチラシ)を制作していたのですが、あるとき担当の営業部長から、「5万円支払うから、モデル代ということで100万円の領収書をつくってくれないか」と頼まれました。
      

 私はその部長にはけっこう可愛がられ、支払いもよかったので、引き受けました。
 モデルへの支払いはエロ雑誌の編集時代、何度もやったことがあります。
 撮影が終わったとき、ギャラを渡して領収書に住所・指名を書いてもらうのですが、その住所が本当なのかはわかるはずもなく、また経理のほうもそれで通っていました。
 この種の支払いは経費でも「穴」のような分野です。
       

 私は妻に5万円渡し、「男の筆跡では上手くない。女の筆跡で領収書をつくってほしい」
 「いいわよ」
 住所・指名はこちらが勝手につくり上げた女性7人のリストを渡し、まず妻が2枚書いて(筆跡を変え、収入印紙に割り印のサインを入れて)、あとは大森に住む妹の家族へ。
 ここにはふたりの中学生の娘(姪)がいるので、それに協力してもらい、さらに遊びにきた友だちの女の子にも書いてもらって(それぞれ駄賃に1000円ずつ渡した)、筆跡のちがう7名の領収書を集めました。
    
  私はこれらの領収書の金額欄にチェックライターで「¥150,000」の数字を打ち、営業部長に差し出しました。
 「おう、ありがとう」。部長のよろこぶまいことか。
   

 それはそれで終わったのですが、その翌年、「今度は500万円の領収書をつくってくれ」と15万円渡されました。
 これは明らかに犯罪だな、と思ったけど、こちらとしては断るわけにもいかず、(15万円に目が眩んで?)引き受けました。
   

 とはいえモデル代だけで500万では、いくら何でも無理がある。
 そこで私は近くの判子屋に頼んで、「□□企画」「××工房」「△△工芸」など架空の制作会社のゴム印をつくってもらい、1社につき10~30万程度支払ったような領収書を数枚つくり、数枚はモデルの領収書も混ぜて、なんとか500万円の領収書をつくり上げました。
 このときは、さすがに(金額が大きかったこともあってか)にっこりとすることもなく、事務的な取り扱いでした。
   

 その後数日間、私は「悪事に手を貸した」「バレたら大変なことになる」と戦々恐々とした思いでした。
 しかし心のどこかには「バレなかったら、濡れ手に粟でいい仕事だな」という思いも。
  

 この会社、翌年は金が余らなかったのか、この手の話はなく、仕事も徐々に減って、つき合いもなくなりました。
   

 女性誌を見ると、その後もこの会社の広告が掲載されていましたが、10年ほど前、誇大広告で公取委の摘発を受け、新聞にも載りました。「やっぱりなあ」
 この種のインチキは私が手掛けていたときも平気で行われていました。
 体験談なんてデッチ上げばかりです。
     

 しかしこんなのは私にとっては大したことではない。最大の不正は領収書偽造。
 30年ほど前のことだから、もう時効ですよね。バレなくて胸を撫で下ろしています。

 これはもう犯罪ではないのか。
 豊洲の土壌問題。
 専門家から「汚染対策には4.5mの盛り土が必要」と提言されて、いかにもそれに従った風を装いながら、実際はそれを行わず、薄いコンクリートを塗っただけで施設を建設していた。
 しかもHPには「土壌汚染の専門家の指導のもと、盛り土を行い、対策には万全を期しております」などと宣わっていた。
   

 たしか土壌汚染対策に858億円かかったと報告されていました。
 むろんこれには盛り土の費用も含まれている。
 しかし盛り土はなされてない。ではその差額はどうなった(どこへ消えた)。
 これだけとっても、これは詐欺(あるいは着服)ではないのか。
   

 誰が、どう指示してこんな風になっていったのか。
 小池都知事は調査チームを立ち上げて経緯を検証するというけど、本当にできるのか。
 担当者はのらりくらりといい逃れ、責任をたらい回しするのではないか。
  

 聞くところによると、石原元都知事は「オレはだまされてたんだ。小池クンにはしっかり頑張ってほしい」と被害者面してるけど、当時から豊洲移転には反対する意見や、危惧する声は多かった。にも関わらず反対意見を無視して豊洲に踏み切ったのはテメエじゃないか。自らの責任大ありだよ。
 今ごろになってこんなことをいうとは、何とも情けない。
     

 これに関しては豊洲移転推進派の都議会議員さえも「だまされていた」といっている。
 被害者面している場合じゃないだろう。自ら率先して責任の所在を追求すべきではないか。
 しかしこんな連中に当事者能力があるのかどうか。
   

 思うに、担当職員たちのだましの手口は相当巧妙で、役人特有の構造的なものだから、解明といっても一筋縄にはいかない。
 こうなったら刑事告訴して、捜査権を警察に委ねたほうがいいのではないか。
 そして裁判。有罪ならブタ箱に入ってもらう。
   

 都知事にしてみれば「泣いて馬謖を斬る」ということになるのだろうけど、これは仕方がない。
 これまで都民を欺いてきた罪はあまりに大きいのだから。
  

 では豊洲移転はどうなるのか。
 新聞報道では「大幅ずれ込み」といってるけど、ずれ込みでは済まないのではないか。
 豊洲は食品を扱う場所として本当に安全なのか。
   

 仮に数値が基準以下だったとしても、そんな気味の悪いところに買い手が行きたがるか。
 スーパーなどで、「これ、豊洲経由の魚なの? だったら買うのやめようかな」てなことにならないとも限らない。
 私は3年前、郷里の同窓生たちと築地の場外市場を歩き、魚料理を食べて、築地散策を満喫したけど、豊洲に行こうとは思わない。
    

 ということで最善策は豊洲市場そのものを断念。
 築地市場は営業しながら建て替えられる。現に東横線渋谷駅はそれをやっている。
 日本にはこういうハイテクがあるのだから、できないことではない。
 オリンピック道路? 優先順位を考えたら、それどころではないだろう。
      

 ではせっかく建てた豊洲の建物は?
 これは食品に関係のない倉庫が妥当だけど、カジノ案もある。
 港に近いから工場でもいいし、なんなら廃炉作業中の福島原発に代わってここに建てればいい。
 だって、100%近く「安全」なんでしょ。

 大山鳴動してネズミ一匹、とはこのことか。
 ある有名女優の息子(俳優)、前橋市内で女性に乱暴したとして、先月23日に強姦致傷容疑で逮捕されたときは、「名代の悪ガキ」「性獣」「親が甘い」……と散々こき下ろしていたのに、被害女性と示談が成立して不起訴・釈放となってからマスコミは手のひら返したように「さん」づけ扱い。
   

 不起訴なのだから、無罪放免。まったくお咎めなしとなれば「さん」づけはやむを得ないのかもしれないけど、本当にこれでいいのか。
 裁判になったらこの俳優は「合意だと認識していた」と主張するだろうとは弁護士の説明。つまり「犯罪性はなかった」と。
 被害に遭った女性にしてみれば、この発言は非常に屈辱的なはず。
   

 以前「内柴裁判」(柔道の金メダリスト内柴正人が教え子の大学女子柔道部員に乱暴した事件)にも述べたように(参照)、加害者側が「合意だった」と主張すれば、被害女性は「冗談じゃない」と硬化して裁判沙汰になるのは必至。そうなると加害者に勝ち目はない。
   

 しかし今回は示談が成立して被害女性が告訴を取り下げた。
 おそらく示談金が払われたのだろうけど、金で無罪を勝ち取るという下品な手法である。
 それなのにこの弁護士(女性)の発言は、相手女性の人格を無視した、デリカシーに欠けるものではないか。
   

 私としては、被害女性はこれに怒って示談金を叩き返し、裁判に持ち込んでほしい。
 そのほうがこの俳優の将来のためにもなると思うけど。

 一方、ネズミ一匹にしてほしくないのは、「豊洲問題」
 なんと、建物床下で汚染対策の盛り土をせず 、都のHPでは「盛り土しました」と報告していた。
 私は最初、施工業者が手抜きして盛り土せず、職員が騙されたのかと思っていたけど、そうではなく、担当職員が「盛り土しなくていい」と勝手に判断したらしい。それならそれで「盛り土はしませんでした」と報告するべきところ、HPに「盛り土しました」と報告。
   

 なぜこんなうそをつく。まさか、盛り土の工事代をネコババしたんじゃないだろうね。
 この盛り土工事の費用に関しても精査してほしい。
  

 担当の職員は今になって「認識が甘かった」といっているそうだが、これまで豊洲移転にかかった膨大な費用はこの職員の虚偽で一切がパーになった。この損失をどうする。
  

 オリンピックもそうだけど、豊洲移転、やたら費用が掛かりすぎ。
 そもそもこれまで東京の台所として食を預かってきた歴史ある築地市場を閉じて、交通も不便で有害物質の充満していた豊洲(ガス工場跡)に移転するという土台無茶な計画が浮上し、ガス工場側からは「病院や学校、食品を扱うところには不適ですよ」といわれながらも敢行した。
 これは湘南出身のエラソーなオッサンが都知事の時代らしいけど、そんなマイナス要因だらけのところへヒッチャキになって移転するには、何か裏がある?
  

 金が潤沢にある東京都だから取りっばぐれはない。どんどん経費を水増しして膨大な費用に膨らんでいく。これ、業者だけではなく、役人とどこかつるんでいるんじゃないの。
 江戸時代からあった「越後屋、お主も悪よのう。ふっふっふ」の伝統は今なお引き継いでいる?

 この伝でいえばオリンピックもそう。
 オリンピックのドンといわれるオッサンが小池都知事に「豊洲移転を延ばされるのは困るねえ」とぼやいていたけど、自分の関連企業が着手できないので焦っているのが見え見え。
   

 そもそもこの国は、国民がワーッと一方向に狂奔して莫大な金が動くとき、それに乗じて莫大なネコババが生じる仕組みになっている。
 前の大戦でも、「鉄砲の玉に」と鉄や銅などの金属類を国民から供出させたが、同時に金、銀、ダイヤモンドなどの貴金属類も供出させた。しかしそれらは移動するたびなくなっていった。
 戦後GHQがこれを押さえにかかったけど、大半がなくなっているのにガックリした。
 ネコババしたのは軍の中枢にいた人物で、戦後ほとぼりが冷めたころ潤沢な資金で政治団体を立ち上げたり、こっそりと贅沢な暮らしをしていた。
 昨日も富山の議員が活動費をネコババして辞めたけど、こんなのはまだまだ小者。この国のエライ人は利権に貪欲だよ。

 もっともアメリカだって人のことはいえないぞ。押収した貴金属をネコババして本国に帰国した軍人も数人いたというから。
   

 話が脱線したけど、小池都知事がオリンピックのドンから「豊洲移転を延ばされるのは困るねえ」といわれて、「それは間に合わすようにします」と答えたとき、やはり「ネズミ一匹」に終わるのかと危惧しました。
 しかしこうなってみると、パンドラの箱を開けたようなもの。ただでは済まないぞ。
   

 私は5年前東京(府中市)から脱出して部外者ではあるけど、都知事に小池さんがなってくれて本当によかった。
 これまでの石原、猪瀬、舛添と続いた男の都知事は都の役人のいいなりだった。それに引きかえ、小池さんの骨のあること。(立候補されたとき、反対してたことを反省しております)
       

 こうなったら徹底的にやってほしい。
 そして豊洲移転やオリンピックに掛る費用のからくりを暴いていただきたい。
 それをやってくれたら、名代の政治家として認めます。将来の総理大臣にも推薦したいぐらい。
 ただし妙な手打ちして「ネズミ一匹」に終わるなら、愛想尽かすよ。

 飯田橋ではありませんよ、飯田町です。
 この駅は貨物の駅舎でJR飯田橋駅から急カーブで内側に曲がり、高速道路に平行する形で、貨物駅としては珍しい高架式でした。
 貨物駅なので関係者以外は入れなかったのですが、外観は今でも覚えています。

40年前の飯田橋界隈の銅板図    

 20代半ば、新宿の出版社に勤めていたころ、この近くにあった「T印刷」という活版印刷の工場へ出張校正でよく行きました。
 工場・事務所は歩くとミシミシ揺れるバラック建築で、印刷機や膨大な活字(棒)の重量に耐えられるのか、いつも不安に駆られたものです。
   

 この印刷所はその名の示すように官公庁の「〇〇白書」印刷が主な仕事でしたが、他方では週刊ベースボールや、わが社のようなエロ雑誌の印刷も手がけており、校正室はまさに呉越同舟でした。
 彼らとはあいさつする程度のつき合いでしたが、官公庁、野球雑誌、エロ雑誌…とジャンルは違い、校正のやり方も違ってましたが、お互い編集に携わる者としての気概を共有することができました。

 アイガーデンエア   

 私が出版社を離れ、フリーのライターになってからもこの印刷工場はしばらく続いていましたが、数年後取り壊されたと聞きました。

 2年前この近くを通ったとき、飯田町駅がなくなったことを知りました。
 飯田橋駅から九段に抜ける目白通りに「甲武鉄道飯田町駅」の石碑があります。

飯田町駅の石碑    

 それによると「飯田町」は旅客用の駅だったとのことで、こう解説されています。
 「明治22年(1889)、新宿-八王子間に甲武鉄道が開業し、同28年(1895)には市街線として延長され、飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となりました。
 同37年(1904)わが国で初めて飯田町-中野間で電車が運転され円板型自動信号機が設置されました。その後甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長されました。
 同39年(1906)、甲武鉄道は国有化され、昭和8年(1933)に飯田町駅は貨物専用駅となりました。この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川橋側にありました。」

 その飯田町の駅舎は、今は完全になくなり、商業施設やオフィスビル、高層住宅などが入った「アイガーデンエア」なる都市空間に生まれ変わりました。

 レールが…  

 当方にしてみれば、浦島太郎のような心境で、懐かしさも何もない。
 敷地には一部レールが敷かれているけど、うそ臭い。
 だって貨物線は高架式だったんじゃないの。

印刷所のビル   

 そして例のT印刷。
 ここは「シティタワー九●下」というオフィス、住宅、駐車場の入った30階建てのビルに変り、1階の壁には大きく「T印刷工業株式会社」の表示。(ビルの施工主でもある)

印刷所の表記が   

 あのバラック小屋の印刷所が……。
 もう、笑うしかありません。

 明治通りを挟んで抜弁天の反対側に稲荷鬼王(いなりきおう)神社があります。
 この神社は大久保村の氏神であった稲荷神と、熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀して、稲荷鬼王神社となった(天保2年=1831)とのこと。
 熊野の鬼王権現は現存していないため、「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社となっているそうです。

稲荷鬼王神社・鳥居    

 祭神は稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命、そして大久保村が祀っていた神々。

拝殿    

 当社の鳥居の近くにある石造の水鉢はしゃがんだ鬼の頭に、鬼より大きな手水鉢を乗せた姿をしている珍しいもの。(新宿区指定有形文化財)
 伝承によると、毎晩この水鉢から水を浴びるような音がするため、持ち主が切りつけたところ病気や災難に見舞われ、神社に奉納したものであるといわれています。

鬼の水鉢① 鬼の水鉢②    

 他には富士塚があったり、三島神社(恵比寿)や水琴窟などがあって見どころ満載ですが、「おや?」と思ったのは境内に展示された「赤い鳥」の表紙と本文ページの写真。

富士塚   

 雑誌「赤い鳥」とは大正7年(1918)に創刊された童謡、童話の総合雑誌で、執筆陣として芥川龍之介、泉鏡花、北原白秋、島崎藤村、西條八十らが協力しました。

「赤い鳥」の展示①    

 ではなぜこんなものが展示されているのか、不思議に思ったのですが、その理由も描かれていました。
 「『赤い鳥』の執筆、編集に携わった鈴木三重吉は当地の人で、その業績を知ってもらうため、このたび当社所蔵の『赤い鳥』(全196冊)を展示いたしました。稲荷鬼王神社 第16代宮司 大久保直倫」

「赤い鳥」の展示②    

 なるほど、そういうことか。
 ここは歌舞伎町から少し北へ行ったところ。
 風俗の取材をしていたころは歌舞伎町なんて知り尽くしているつもりだったけど、こんな神社があったとは。
 改めて歩いてみると、また違う発見があるものです。

 何の脈絡もなく新宿(余丁町)の抜(ぬけ)弁天にやってきました。
   

 私が若いころ勤めた出版社が明治通りを挟んで花園神社の向かい側にあったので、この抜弁天の名はよく耳にしました。
 「飯田橋からくると、抜弁天から斜めの道(文化センター通り)に入るとウチだよ」
 という具合です。
 そのため、「会社から北東の方向に抜弁天と呼ばれる神社があるのだな」という漠然とした認識はありました。
 しかし、実際に抜弁天に行ったことは一度もなかった。

抜弁天    

 それが昨日(09/09)所用があって新宿へきたとき、ついでに寄ってみました。
 抜弁天は抜弁天通と曙橋からくる302号とが交差する三角地帯(副都心線東新宿駅から東へ約600mほど)にあります。
 思ったより小さい。

 北側の鳥居   

 上から見ると、三角形の北角と南角に鳥居があって、西角に祠があるという感じです。
 そして北の鳥居と南の鳥居を結ぶ参道は通り抜けられるようになっている。
 「だから抜弁天か」(それも一説)

南側の鳥居    

 この抜弁天、正しくは厳島神社といって、由来にはこうあります。
 白河天皇の御代・応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家公が奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み、安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。

中の鳥居と祠    

 何と、昨日の美女神社(朝霞市)と同じではないか。
 あそこにも「いちきしま」→「いつくしま」と記されていた。
   

 その厳島神社も江戸時代になると、南北に通り抜けできることと、苦難を切り抜けた由来から抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天のひとつに数えられている。
  

 私の推測ですが、昔はもっと大きかったのではないか。
 それが新宿の開発によって建物がどんどんできて、神社の敷地が狭められて行った。

 手水場の龍   

 印象に残ったのは、手水の注ぎ口の龍。
 これは迫力ありました。
   

 会社勤めをしていたときは一度も行ったことなかったけど、今回初めてきて本当によかった。

 柊塚古墳から北へ約1kmのところに美女神社があります。美女?
 といっても当方にはおよそ縁がないのでどうでもいいのですが、取手と川越の友から「そんなところは即行ってこんかい」といわれそうで、行ってきました。

美女神社・鳥居    

 その神社は通りを入ったところにひっそりと。うっかり通りすぎるところだった。
 それにしてもショボい。
   

 由緒書きにはこうあります。
 当神社は古くより「うつくしさま」と親しまれ、子どもの病気を治したり、健康を守る神様として信仰されてきた。徳川時代の地誌「新編武蔵風土記稿」(1830)には、「美宮は村の北にあり。宇津久志の宮と云う」と記されている。

 社   

 では「うつくしさま」とは何か。
 これは御祭神「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)のことで、古事記・日本書紀にも載っている宗像(むなかた)三女神のひとりで九州の宗像神社・広島の厳島神社の御祭神である。
 その「いちきしま」が「いつくしま」→「うつくしさま」に転化して美女神社になったともいわれる。
   

 ふーむ、そんなものかね。

鈴    

 それよりもここをお参りして思ったことは、美女とは案外ひっそりしたものではないか。
 これからはひっそりしたところに美を見出していきたい……。
 悪いネ、ふたりの友の要望に応えられなくて。

 朝霞市にある柊塚(ひいらぎづか)古墳(推定築造年代は6世紀前半)は県南部で唯一墳丘が現存する前方後円墳だそうです。
 

 平成14年(2002)に県指定史跡の指定を受け、市が整備して二年後、柊塚古墳歴史広場(面積5400㎡)を公開しました。

 馬形埴輪  

 前方後円形の古墳というのは仁徳天皇陵など阪南や奈良などの古墳が有名ですが、写真や映像で観ただけで、実際の古墳に足を踏み入れたことはなかったと思います。
 そのため、どんなにチャチな古墳でも胸が高鳴ります。
 しかし……。

周豪     

 古墳といっても周りの草原(周豪)から柵で仕切られた墳丘を見上げるだけ。なかには入れないようになっている。
 「うーん、これではなあ」(草木の生えたボタ山?)

墳丘    

 解説と模型によると、同古墳は全長72m、後円部径48m、高さ8m、前方部幅24m。
 後円部は残っているものの、前方部は大幅に削られています。案内図でいうと、墳丘の左側(西側)。

古墳の復元模型    

 発掘調査によると、後円部では木炭槨と粘土槨が確認されており、木炭槨の上からはほぼ完形の家形埴輪と土師器が出土しているそう。
 また、周濠中からは人物埴輪、円筒埴輪、馬形埴輪などの埴輪が出土していて、朝霞市博物館で保管されているとか。

 柊塚古墳案内図   

 期待しただけにガックリ。
 せめて後円墳内の一部でも見たかった。


 ドライアイの治療で3ヵ月に一度の割合で近所の病院の眼科に通っています。
 治療といっても目を洗って点眼薬を処方してくれる程度ですが、視力検査や眼底検査などもやってくれるので、ローテーションは守っています。

病院    

 視力検査は自分のメガネではなく、片方ずつ補正レンズを入れたメガネをかけて、指された輪っかの上下左右どこが開いているかを当てるのですが、これはとくに問題はなさそうです。
 ただしこれで見るのと、自分のメガネで見るのとでは大違い。自分のメガネでは合わなくなっている?
   

 このことを担当医に相談すると、「今かけてるメガネは何時つくりました?」
 「このメガネ自体は5年前ですが、度を変えたのは20年ほど前です」
 「すると度が進んでいることが考えられます。小さい文字は見えますか?」
 「それが非常に見づらくて、むしろ外したほうが見やすいです」
 「老眼も入ってますね。メガネの相談は別の日に設けているので、その日にきてください」
   

 ということで指定された日に行って見ると、眼鏡屋さんがきていました。
 なるほど、タイアップしてるのか。
 20年ほど前は都心のJ医大病院で検査してもらい、その処方箋を持ってどの眼鏡店に行ってもよかったのですが。
  

 眼鏡屋さんがいろいろレンズを変えて、「これで見えますか?」
 「よく見えます」
 「この文章の小さい文字は?」
 「少し見づらいです」
 「やはり近眼と老眼ですね。これ、両方ともクリアに見ようとすると、遠近違うレンズを使う必要があります。こうなると費用がかかるので、どちらもほどよく見える、という度数にしたほうがいいのではありませんか?」
 「それでお願いします」
 ということで、レンズの度を決め、フレームは新しい形のものを選びました。

 そして先日、眼科へ行ったところ、「メガネ、できてますよ」
 顔にかけてみてフレームを調整してもらい、改めて病院内の廊下を見わたしたところ、「おッ、よく見える!」
 10mほど離れたおじさんの鼻の上のホクロまで見える。
  

 やたら目についたのは女性のシワ。
 さっきまできれいに見えていた年配女性ですが、目尻のシワの一本一本に丹念に白粉が塗り込められているのがわかってガックリ。
 担当の看護婦さんも、「こんな年配だったのか」(悪いネ)

新しいメガネ   

 試みに文庫本を開いてみたら、メガネ外さなくても見える。
 今年は自転車に次ぐ出費(金額もほぼ同じ)だけど、これはしょうがない。
 これまでが見えないメガネで不自由な思いをしてきたのだから。
   

 ただし新しいメガネをかけた自分の顔は未だになじめない。
 もっとも元がよくないのだから、似合うもヘチマもないのだけど。

2016.09.06 本牧市民公園

 三溪園の見晴台(松風閣)から海側を眺めると、その下は断崖になっていることがわかります。
   

 昔ここ(根岸湾)は海から切り立った断崖でした。
 嘉永6年(1853)ペリー艦隊が来航し、ここを通ったとき、船員たちがミシシッピーの故郷を思い出し、「ミシシッピ・ベイ」と名づけました。

ミシシッピ・ベイ    

 その後、横浜が開港されて外国人居留地が設けられ、多くの外国人が住むようになりましたが、彼らも根岸湾のことを「ミシシッピ・ベイ」と呼んで、海からの景色を楽しんだそうです。
 もっとも地元の人はほとんど知らず、教えてあげたら、「えーッ、初めて聞きました」とおどろいていました。(4年前のことです)

本牧市民公園    

 「ミシシッピ・ベイ」の一部は砂浜で、潮干狩りもできたそうですが、産業道路の整備とともに埋め立てられ、プールやテニスコート、運動広場公園がつくられました。これが本牧市民公園です。(昭和44年公開)

 上海横浜友好園(玉蘭庁)   

 ここにはまた平成元年に横浜市と上海市の友好都市締結15周年を記念してつくられた「上海横浜友好園」があります。
 池に浮かぶ六角形の二重屋根の四阿(湖心亭)は日本庭園とはまた違った趣きです。

湖心亭(四阿)    

 ただし老朽化で危険とのことで現在は入れないのが残念。

上海横浜友好園入口(現在は閉鎖)    

 さらにここには蒸気機関車(D51)が保存展示されています。
 機関車の方向を変える転車台もあって本格的なものです。

転車台    

 機関室に入れるというので、入ってみました。
 運転台のうしろに石炭庫があり、そこから前の火室(石炭を燃やすところ)に石炭をくべる作業がリアルにわかります。

蒸気機関車    

 想像するだけで熱い。
 しかもこの残暑で、汗びっしょりになりました。

機関室 

 ワシン坂下から本牧へ出ました。
 ここには昔「マイカル本牧」というショッピングタウンがありました。
 オープンしたのは1989年4月30日。(それまでは米軍跡地)

イオン本牧    

 当時夕刊紙のコラムで首都圏の社会現象を書いていた私は5月のある日、取材に行きました。
 「おおッ、なんとシャレたショッピングタウンだ」
   

 投じ私が受け取った案内図には1~7番街まであり、いずれも外国風のオシャレな建物でした。初夏の陽気もあって人では多く、活気に満ちていました。

横断デッキ    

 1番街と5番街をつなぐデッキにも人がいっぱい。
 しかも頭上から、「♪Why does the sun go on shining……」
 スキーター・デイビスの「The End of The World」が流れてきたとき、「ここはアメリカだ!」と思ったものです。(建物のコンセプトはスペイン風だったらしい)

ベイタウン本牧5    

 私が気に入ったのは5番街。
 回遊式で中央が吹き抜け。下は小ジャレたカフェになっていて、どこから見てもいい景色でした。
  

 その後、息子を連れてきたこともありますが、コーヒーを飲む程度で買い物はしなかった。
 アクセサリーなど縁がなかったし、衣服にしても高かったし、センスが合わなかった。

 1階の中華レストランで昼食   

 ところが4年前、訪れたときは「ベイタウン本牧」に変り、人影もまばらで「あれッ?」と思ったものです。
 5番街には吹き抜け空間はあったけど、様子が変り、下は安っぽい休憩所風に。
 うーん、これではなあ。
 実はこの5番街は2005年秋に閉鎖し、2011年に「ベイタウン本牧」として生まれ変わったそうです。
 まさに諸行無常。

4年前のベイタウン内部   

 マイカル本牧が廃れた原因はいろいろありますが、いちばん大きいのは鉄道の駅がなかったこと。地下鉄みなとみらい線が計画されたとき、本牧まで延ばす案もあったけど、地元住民が反対したといいます。
   

 そして先日(08/31)思いも新たに「ベイタウン本牧5」(旧5番街)に入ってみたのですが、吹き抜けはなくなり、1~5階まで電化製品や百円ショップなどの売り場がぎっしり。
 これだったら、どこにでもあるじゃないか。

噴水は健在だった    

 ただし1番館(現イオン本牧)の広場の前にあった噴水は残っていて、それだけが救いでした。

 いつもなら霧笛橋を下りてローズガーデンを上がるのですが、今回は神奈川近代文学館の脇を通って表にでました。となりは韓国領事館。
 その前を小港方面に下りる坂がワシン坂。
 夏の終わりのこの時期、どうしてもこの坂を下りたかった。

韓国領事館   

 というのは……。
 森山良子「さよならの夏」に出てくる、
 「♪ゆるい坂を おりてゆけば 夏色の風に あえるかしら~」
 の坂はワシン坂ではないかと思ったからです。

 瀟洒な住宅街   

 たしかに歌のようなゆるい坂。しかも瀟洒な住宅街。
 少し歩くと右に急な下り坂がありますが、これは聖坂。この坂は下の見晴通に直通しているので急勾配です。しかしここを下りると(もどるのが)面倒なので、予定通りワシン坂を直進。

右は聖坂    

 この通りは静かで、山手通りとはまた違った風情があります。
 所どころ建物のない箇所(崖?)があってフェンス越しにベイブリッジが見られるのも楽しい。

ベイブリッジが見える   

 ワシン坂の由来は諸説あって、①和親条約のワシンからきた。②鷲見坂がなまってワシン坂となった。③ワシン(ウシン)という外国人がこの付近に住んでいた。④坂下に清水が湧き出る所から「ワキシミズザカ」が外国人たちの口によって「ワシン坂」となった、など。
      

 右手に教会(横浜山手ヘレン記念協会)が見えてきました。
 「さよならの夏」の二番に「♪古いチャペル 風見の鶏 夏色の町は 見えるかしら~」
 とあるので、「この教会のことかな?」と思ったりして。

 横浜山手ヘレン記念協会  

 それを過ぎたあたりから急な下り坂になります。とくにワシン坂病院あたりになると、急勾配。
 病院に通う人は大変だ。もっともほとんどがタクシー利用だったけど。

 ワシン坂病院から急勾配になる  

 そこから先も急な坂。
 これ、上りだったら、きついだろうな。

急な下り坂   

 坂を下りたところの崖下に湧水口があります。
 説明書きにはこうあります。
 「ここは古くから市民の生活用水として広く利用されてきたもので、夏冷たく、冬暖かい。近年では都市化の影響で、清浄な水質を保てなくなってきており、災害等には飲用以外の生活用水としての利用が可能」(中区地域振興課・中福祉保健センター生活衛生課) 
 ということは飲めないの?

湧水口    

 水を汲みにきたおじさん(?)に聞いてみると、「飲めますよ、ほら」と手酌でゴクリ。
 ならば、とこちらも手酌でゴクリ。すっきりしてクセのない味だ。
 「これはね、殺菌してないから自治体としてはこう書くしかないんです。でも近所の人はみんな飲んでますよ。軟水だから軽いでしょ。ただし放っておくと苔が生えるの」

水を汲むおじさん    

 このおじさんのしゃべること、しゃべること。
 「横浜の湧水といえば他には岸根、獅子頭、随流院、白滝不動……とあるけど、ここの水はいいのよ。今まで涸れたことはなかった。関東大震災のときは、水を求めてここに長蛇の列ができたっていうじゃない」
   

 また「今の若者はなってない」とか、「オヤジもダメ。いつまでも昔の栄光なんて通用しないわよ」とキツイお小言も。
 こちらは「はあ、はあ」と神妙に聞くばかり。

 振り返って見るワシン坂  

 このおじさんの話を聞いているうち、ワシン坂の由来はどうやら④の「坂下に清水が湧き出る……」説だな、と思いました。
 この日(08/31)は残暑厳しかったけど、ここだけはちょっぴり涼しかった、かな。

 港の見える丘公園にある大佛次郎記念館。
 大佛次郎といえば「鞍馬天狗」が有名ですが、「霧笛」「花火の街」「幻燈」など開化期の横浜を描いた小説も多く、なかなかの出色で、私の横浜好きはこれらの作品によるものです。

大佛次郎記念館     

 記念館の脇に猫の銅像があります。
 これは氏が猫をこよなく愛したからだそうです。

猫の銅像    

 ここからも港(ベイブリッジ)を眺めることができますが、目についたのは唱歌「港」の歌碑。

港の風景  

 「♪空も港も夜は晴れて~」
 この歌は小学生のとき唄ったことがありますが、実はこれ日本初のワルツ曲(明治29年・吉田慎太作曲)だそうです。
知らなかった。

 「港」の歌碑    

 この先には神奈川近代文学館がありますが、それを結ぶのは霧笛橋。
 この橋(長さ51m)は昭和61年(1986)につくられ、かながわの橋100選に選定されています。なんとも洒落た橋名ですが、これは大佛次郎の「霧笛」からつけられたもの。

 霧笛橋    

 「霧笛」は氏の開花モノの先駆けとなった作品ですが、主人公(千代吉)の内面を掘り下げるという意味では今ひとつ物足りない。
 それよりも博打に明け暮れる元旗本の若者を描いた「花火の街」のほうが主人公(是枝金四郎)の内面を深く掘り下げていて味わいが深い。これは私の愛読書で、何度読んでも飽きない。

神奈川近代文学館    

 10年ほど前、友人にこれを貸したところ、「霧笛はよかったけど、花火の街はちょっとね。今ひとつピンとこなかったな」といわれ、改めて「人の趣味は様ざまだな」と思ったものです。
 今では「あいつの読み方は浅い」と思っていますが。

 「おや、あれは?」
 旧横浜港駅プラットホーム跡から赤レンガ倉庫の間に広がる謎の緑地。
 近くに寄って見ると、所どころ剥き出しのレンガが見えます。ははァ、これは何かの遺構だな。
 しかし柵が施されていてなかには入れない。

 謎の緑地    

 ぐるっと周囲を回ると、赤レンガ倉庫側に入口があって、一部降りられるようになっています。
 その説明書きを詠むと、ここはもと税関事務所のあったところ。 
 建設は大正3年(1914)、レンガ造りスレートぶき、3階建てのゴシック様式の建物で、1階にはガラス張り天井のホールと受付カウンター、2、3階には事務室や応接室、外国船や荷役のための貸事務所もあり、ガス暖房、電気照明、給水管など当時としては最新のの設備が備えられていたそうです。

遺構への入口   

 しかしその建物は大正12年(1923)9月1日の関東大震災によって屋根が焼失したため、復旧されないまま埋め戻されて、荷さばき用地なりました。

レンガの基礎    

 その後、平成6年(1994)に赤レンガパークの整備に際して地中より事務所の煉瓦基礎が発見され、「旧税関事務所遺構」として保存されるとともに花壇として利用されているとのこと。
   

 なるほど、こういう花壇もあるのか。
 とはいえ花壇にありがちな赤や黄色の華やかな花ではなく、低い緑の草木が植えられていて、これが逆に遺構の風情を醸し出しています。

植物が植えられている    

 考えてみれば、貨物船の着く埠頭→倉庫→管理事務所→貨物列車のプラットホームと、すべて一体だったことがわかります。

池?もある    

 この緑地については、何回もここを通り、目にしているはずだったけど、今回じっくり見て、この遺構のことを知りました。(今ごろ気づくとは情けない)
   

 つくづく横浜の残暑は厳しい。

 惜夏風景を見ようと思って横浜にやってきたけど、台風(10号)一過の晴天。
 惜夏どころか夏のぶり返しだ。
 仕方がないので、あちこちの残暑風景を取り上げます。

錨のモニュメント    

 まずは臨港パーク。
 おなじみの光景ですが、あまりの暑さのため、人は少ない。
 元気そうに歩き回っている女性グループ。

女性グループ①    

 一カ所に立ち止まったと思ったら、ベイブリッジのほうにカメラを向けている。
 「ここからのアングルがいいわね」といっているのか。
 写真が趣味のグルーブ?

 女性グループ②  

 かと思えば石段に坐って本を読んでいるおじさん。パンツ一丁だ。
 こんな直射日光の下で、おそらく肌を焼きたいのだろうけど、本を読むなんて目に悪いぞ。
もちろん肌にも悪い。

読書する人① 読書する人②

 運河を挟んだ東南側にある新港パーク。
 ここはカップヌードルミュージアムの裏手で、なにもないところですが、松林から港が見られるので気に入っています。

松林から見る港   

 「おや、あれは?」
 波の上をバスが走る。水陸両用バス?
 初めて見ました。

水陸両用バス   

 余計なことだけど、車体の下はどうなっているのだろう。
 むろんタイヤは引っ込んで水が入らないようになっているのだろうけど、だったら船底はどのような形で安定が保たれているのか。気になります。
   

 そんなことを考えながら振り向いたら、石台に寝転がったお兄さん。
 ここにも肌を焼いている人間がいる。

寝ころぶ人 

 まさか北欧のようなビタミンD接種目的じゃないよね。
 おそらくこの夏日焼けしなかったのは恥ずかしいから、せめて今の時期に焼いてやれと思っているのだろうけど、やめたほうがいい。
 医学的には百害あって一利なしだってよ。