昨日(08/30)午前中は豪雨に見舞われました。
 しかしこれは想定していたこと。雨雨降れ降れもっと降れ。こちとら読書三昧だい。
   

 午後になって雨がやみ、ようやく出かけられることに。
 ぶらっと近所を徘徊してみると、所どころ畑が水浸しに。「やっぱりなあ」
 あんな激しく降れば、水たまりもできるよ。

水浸しになった畑    

 「こうなったら、近くの河川を見に行くか」
 わが家から最も近い河川は砂川堀用水路。
 春は川沿いの桜が咲き、この時期だけ賑わいます。

砂川堀(桜並木)   

 その砂川堀。「なんだこれは」
 川の水は多少濁っているものの、水位はまったく変わりなし。拍子抜けしました。

砂川堀・下流    

 そこから254バイパスを渡って下流へ。
 そこも水位は上がることなく、ふだん通りちょろちょろと。
 もっともこの脇には蛇島調整池という巨大な窪地があり、大水の時は砂川堀が氾濫しないようそこへ水を貯めるようになっているので、何の心配もない(?)のですが。

調整池への出入り口   

 仕方がないので新河岸川にも足を延ばしました。
 ここなら多少水位が上がっているかもしれない。
 しかし……。
 ここも水は濁っているものの、水位はふだんと同じ。「なんだ」

 新河岸川  

 いいんだよ。何ごともなかったということで。
 しかし何だか面白くない。被害がない程度に、水位が上がってくれたほうが……。
 いやいや、そんな不埒なことを考えてはいけません。
   

 このあとエコパに入り、外の湯舟で一緒になった連中と、
 「いやあ、大したことにならなくてよかったね」
 「東北が心配だけど、大事ないことを願うばかりだよ」

 エコパ   

 そんなことを話して帰り、途中から大雨(午後4時前後)
 聞いてないぞ。
 ずぶ濡れになって帰宅。脱いだ衣服を吊るしながら、「やっぱりあいつの忠告を聞いておくべきだったかな」
     
 冷酒と友の忠告はあとで効く?

スポンサーサイト

 昨夜(08/29)のニュースでは、
 「台風10号は今日(08/30)の明け方から午前中にかけて東北に上陸し……南関東では強い風雨への警戒が必要ですが、午後からは晴れます」
 とのこと。

 台風情報①    

 たしかに午前2時すぎから強い雨。いよいよきたか。
 しかしその強い雨も、6時ごろはかなり小雨に。
 TVのニュースを見ると、上陸は昼ごろとのこと。えらくゆっくりしてるじゃないか。

台風情報②    

 こちらとしては午前中じっとしてれば、午後からは出かけられると思ったのに。
  

 これについては先週、取手の友から、「あかんぞ。川の水位を見に行ったら」といわれている。
 それはこちらも心得ているつもりだけど、あまりいわれると(天邪鬼だから)行って見たい気もする。
 「あなたはいい友をお持ちですなあ。そのように身を案じてくださる」とは川越の友。
 「バカな。あいつはただからかっているだけだよ」
 「いやいや、からかっているようでも、あなたの性格を見通した適切な忠告です。それに人間はからかわれているうちが華。私なんか鼻も引っかけられない」
 そんなものかね。

裏の畑    

 ゴミを捨てに行ったついでに、近所を徘徊しました。
 裏の畑と、表の茶畑。
 今朝の激しい雨の痕跡はまったくなし。
 「なんだ、大したことないじゃないか」
 これなら先週の9号のときのほうがひどかったぞ。

近所の茶畑    

 とはいえ、本格的な暴風雨はこれかららしい。
 埼玉でも秩父地方は土砂災害のおそれがあるし、先週河川が氾濫した入間市では避難勧告が出ているとか。
 やはり午前中は蟄居生活になるのかな。

 朝霞市岡にある東圓寺(真言宗智山派・松光山)は大きなお寺です。
 境内は広いし、本堂も立派。

東圓寺・山門     

 
 創建年代は不詳なれど、古来より薬師堂があり、その薬師堂が廃れたのを惜しんだ法印永慶が寛弘年間(985~1011)に再建し中興高祖となったとのこと。

本堂と石仏    

 いつも思うのですが、寺社仏閣というのは地理的条件のいいところに建てられている。
 とくに夏はどこからともなく涼しい風が吹いてくる。同寺も然り。

竹林     

 ここには大きな竹林があり、それを抜けると石仏群。
 童子石仏というらしい。

石仏群   

 その下に不動堂。

不動堂 

 その手前にちょろちょろと水が流れています。これが「不動の滝」
 弘法大師が杖を建てたらたちまち湧き出たといわれているけど、いささかショボい。
 しかしまあ、(伝説なんて)そんなものだろう。

不動の滝   

 不動堂の下は弁天池。
 なにやら涼しげですが、ちょっと不気味な感じもするので、早々に引き上げました。

弁天池   

 なるほど、気持ちを涼しくさせてくれるわけか。

 朝霞市の旧高橋家住宅は江戸中期、18世紀前半に建てられたそうで、木造平屋の主屋は国の重要文化財に指定(平成13年11月14日)されています。

入口    

 なるほど主屋を中心に、納屋・倉・木小屋・井戸小屋・祠などがあり、裏の畑には野菜が栽培されている。ふーむ、当時の農家がまるごと再現されているというわけか。

裏の畑と雑木林     

 井戸にはポンプが設置され、ビニールのホースがつけられているけど、それは今なおここから水が出るということ。

井戸小屋    

 主屋は茅葺屋根でいかにも古い建物ですが、詳細なデータによって建築当初の姿に復元されたそうです。
 どっしりして重厚な造りです。

主屋    

 「ここは山の中腹で、畑と雑木林に囲まれた土地。比較的裕福な農家だったとされています」
 とは案内の人。

濡れ縁 

 たしかに、この日は暑かったけど、この敷地に入るとどこからともなく涼しい風が入ってくる。当時から立地条件のいいところだったと思われます。

室内    

 主屋を出て裏庭に回ってみました。
 燃料にする薪を収納した木小屋の裏に淡いオレンジ色の花。

キツネノカミソリ 

 これはキツネノカミソリといってヒガンバナの一種、葉の形がカミソリにたとえられて名づけられたらしい。
 花の見ごろ7月下旬~8月中旬とのこと。そういえば萎れかかっていました。
 もう夏も終りってことか。

 久しぶりの伊佐沼です
 伊佐沼といえば蓮。しかし今年は近くの「難波田城公園」でお茶を濁して、ここはこなかった。
 しかしひまわり(向日葵)ぐらいは見ておかないと。

 ひまわり    

 というわけでやってきたのですが、もう終わり。大半はしおれていました。
 表から見ると元気そうですが、裏から見ると何とも無残。うーん、くるのではなかったか。

裏から見たひまわり    

 2年前は9月のなかごろがピークだったのに。
 開花の時期はひまわり栽培者の都合でコロコロ変わるらしい。

舟    

 舟なんか撮ってもしょうがないし……。
   

 蓮を見る木道へ行って見たら、黒山の人だかり。
 バードウォッチングをされている様子。
 なるほど、カモか。
 と思って撮ったけど、みんな眼中になし。

カモ    

 なんなんだよ、何を狙ってんだよ。
 大きなカメラを抱えたおじさんに聞いてみたら、「レンカクだよ」
 「レンカク?」
 「そう、レンカク」
 なんだ、それは。何科の何目の鳥だ。
 聞いても、「レンカクはレンカクだよ」

鳥見男たち   

 レンカク(蓮鶴)とは鳥綱チドリ目レンカク科に分類される鳥類の一種で、ユーラシア大陸南東部(インドから中国まで)、スリランカ、台湾、フィリピンで繁殖し、北方の個体はインドネシア、マレーシア等に渡って越冬する。
 日本では迷鳥として本州や四国、九州、南西諸島で数回観察されただけだったが、その後記録が増え南西諸島ではほぼ毎年記録されている。夏から秋にかけての記録が多い。(Wikipedia)
 とのこと。

鳥見銀座?    

 うーん、そんなに珍しい鳥だったのか。
 カモなんかに目もくれなかったわけだ。

 では、淵田美津雄(日本)とジェイコブ・ディシェイザー(アメリカ)が出会った聖書のことばとはなにか。
 それはルカの福音書23:34に出てくる
   

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
   

 ということばです。
    

 これはイエスが捕らわれ、ピラト総督(ローマ支配下のユダヤの統治者)の前に引き出されたくだりです。
 ピラトにしてみれば、イエスの罪状はまったく見当たらない。しかし民衆は「イエスを磔にせよ!」と叫ぶ。その声に押されてピラトはイエスを処刑しようとする。そのときイエスが発したのがこの「父よ…………」ということばです。
   

 イエスが「彼ら」というのはユダヤの民衆。
 イエス一行は当時のユダヤの民衆のなかではほんの少数派で、とくにユダヤ教の掟(モーゼの十戒)を頑なに守ろうとする神官たちからは目の敵にされていました。民衆はその神官たちにそそのかされて、イエスの処刑を求めたとも考えられます。

 それにしても、このくだりを読んで啓発されるとは、よほどこのふたり(淵田とディシェイザー)には渇望していたものがあったのか。
   

 私も一応聖書は読み、このくだりも読んだはずですが、とくに何の触発も受けなかった。
 このあたりの感想としては、「ユダヤの民衆は愚かだなあ。それにしても何でこんなことになるのか。当時の社会状況はよくわからん」というものでした。いかに漫然と読んでいたか。
   

 そこでもう一度、「彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ということばを考えてみました。
   

 このことばだけでは、(私は)すぐに憎しみを克服できるものではない。しかし、こう考えてみてはどうだろう。(これから先は私独自の解釈です)
 「こんなヤツ、何もわかってないんだ。こんなヤツを憎むのはバカバカしい」
 こう考えると、憎しみが半減できそうな気がします。
    

 しかしこれは傲慢であり、鼻持ちならない「上から目線」ですが、相手を憎むよりはましだと考えます。
 憎しみに捉われるのはストレスにもなり、精神的によくない。
 上から目線の気持ちは態度に出さなければいいのだから。
   

 私はまだまだ未熟者。
 当分は「上から目線」で憎しみを半減するよう努力します。

 仕事関係や親戚関係などは、いやだからといってそう簡単に断ち切れない。
    

 街の風景を記事とイラストで描く欄を某夕刊紙で受け持ったことがあります。
 あるとき編集部から、「いつも記事が遅いそうじゃないか」と編集部にいわれ、びっくりしました。
 聞いてみると、いつも絵が届くのが遅いので、イラストレーターに注意すると、「記事がこちらに届くのが遅いからだ」といったそうです。
 「あの野郎!」
 一緒に取材に行ったときは、けっこう和やかにやっていたのに。あれはただ調子合わせていただけで、編集部には平気でうそをいってました。
 腹が立ったけど我慢しました。仕事自体は面白く、原稿料もよかったから。
 ただしそれいらい私が単独で取材し、記事は編集部経由でイラストレーターに渡るようにしました。手間はかかるけどしょうがない。それによって憎しみは半減しました。
   

 その後、川崎の大衆演劇をテーマにしたとき、ある年配女性から編集部にクレームがきました。
 「あの絵に描かれた女は私だッ」というのです。この女性は夫がこの夕刊紙の愛読者で、イラストを見て、「これはキミのことだろ」といわれたそうです。
 どんな絵かというと、舞台に上がった年配の女性が歌っている役者に札束のレイをかけるところで、女性は眼鏡をかけていて化粧はケバく、笑いながら役者の股間に手を這わせている。
   

 それを見て愕然としました。
 こんな絵は取材先の劇場関係者に申しわけがない。もし下絵の段階で見せられたら、「こんな下品な絵はやめてくれ」といったでしょう。そもそも記事には女性の卑猥な行状など何も書いていないのに。
 それにしても何たる偶然。その女性はよく川崎の劇場に通っていたそうで、描かれた女性の風貌はこの女性によく似ていたそうです。
 それを機に、このイラストレーターは降ろされました。

 長々と昔話を述べましたが、仕事上でのトラブルは成り行きに任せるしかなく、そのたび憎しみを抱いてもしょうがない、ということです。
   

 親戚関係でいえば、身近に「こんなヤツ、この世から消えればいい」と思うほど憎い人間がいました。
 しかし「末期癌で苦しんでいる」と聞かされたとき、居ても立ってもいられず病床に駆けつけました。彼は私を見るなり、カッと目を見開き、いきなり握手を求めてきました。
 それからは堰を切ったように語り合い、完全に和解しました。
   

 しかしその一か月後、彼は他界しました。
 そのときの喪失感の大きかったこと。あれほど憎んでいたのに。

 こうしてみると、憎しみというのはいつまでも続くものではなく、何らかの「帳尻合わせ」によって薄れていくのではないか、と思うようになりました。
   

 とはいえ、未熟な私は今でも「こいつ、いやだな」と思うことがあります。
 直近でいえば、関東の人間に幹事を丸投げした郷里の小学校の同窓生と、こちらの頼みをケンもほろろに断った京女(同窓生)。
  

 しかしそれも関東の同窓生の「二度の打ち合わせの交通費と宿泊費は自腹を切ってはいけない」との計らいによって解消しました。
   

 丸投げした同窓生に対しては、「ありがとうよ。おかげで二度の京都見物を楽しめた」
 京女に対しては、「ありがとうよ。キミが出席してくれたおかげで、赤字にならずに済んだ」
   

 セコイと思われるかもしれませんが、こうした「帳尻合わせ」を心のなかでやることによって、憎しみは解消されるのではないか。

 しかしそんな帳尻合わせもできず、ひたすら憎しみを我慢するしかない、という状況もあろうかと思います。
  

 それが淵田美津雄(日本)とジェイコブ・ディシェイザー(アメリカ)が出会った聖書のことばです。

 先日(08/15)NHKスペシャル「ふたりの贖罪~日本とアメリカ・憎しみを越えて」を観ました。
    

 ふたりとは、真珠湾攻撃を指揮した淵田美津雄(日本)と、真珠湾への復讐に燃え名古屋に300発近くの焼夷弾を投下した陸軍の爆撃手ジェイコブ・ディシェイザー(アメリカ)。
   

 淵田は真珠湾攻撃直後、天皇から「よくやった」と褒められ、ラバウル、ミッドウェーを戦い、戦場の修羅場をくぐります。それでも「なるべく多くのアメリカ人を殺す」という意気は軒高でした。
    

 一方、ディシェイザーの乗った爆撃機は撃墜され、日本軍の捕虜となり、過酷な扱いを受け、日本人に対する憎悪はますます強くなります。
    

 しかしそのディシェイザーの心が変わったのは、差し入れられた聖書に書かれた、あることば。
 これによって彼は日本人に対する憎しみを克服し、戦後は宣教師となって日本を回ります。
   

 戦後になって日本の風潮はガラリと変わり、かつて英雄扱いされていた淵田は「軍人が日本を滅ぼした」と、社会から白い目で見られるようになります。
 その不条理に苦しんでいるとき、淵田は渋谷の街頭で伝道活動をしていたディシェイザーと出会います。かつての敵国の軍人がなぜ宣教師となって日本に布教する?
 その問いにディシェイザーは淵田に聖書を与えます。
   

 淵田はその聖書を貪るように読み、聖書に書かれたあることばに強く打たれます。
 それは奇しくもディシェイザーが影響を受けたのと同じことばでした。
 これによって淵田は憎しみを克服し、宣教師になってかつての敵国アメリカ全土に伝道して廻ります。

 話は変わりますが、今は亡き淀川長治さん(映画評論家)はこんなことをいってました。
 「私は今まできらいな人に会ったことがない」
    

 しかしこれには裏があって、おすぎとピーコにいわせると、
 「淀川さんだってきらいな人はいたのよ。でもそういう人とは避けていたから、会わなかっただけ」とのこと。
   

 私もこれと同じようなことをしています。
 いやなら関係を断てばいい。そうすると憎しみは半減する。
   

 前にもいいましたが、友人や趣味の集まりは自由意思で選んでいるのだから、いやなのを無理してつき合うことはない。
 「いやだいやだ」と思いながらつき合ってもストレスは募るばかりで、何の益もありません。
   

 しかしそれは自由意思で選べる人間関係。
 仕事関係や親戚関係など、いやだからといってそう簡単に断ち切れない関係もあります。

 昨日(08/22)昼過ぎ台風9号関東に上陸しました。
 昨日は朝から断続的な大雨。

自室の窓から外を見る  

 TVのニュースを見ると、神奈川県のほうで被害が多そう。
 こちらは大したことはないだろう。
 なにしろ埼玉は全国で最も晴天の多い県。ということは雨量は少ない。それほどの被害はないはず。
 そう思っていたのですが……。

台風上陸のニュース

 御前8時すぎ、取手の友から電話がかかってきました。
 「近所の川の増水が気になるやろ。キミはすぐ見に行くからな。行ったらあかんで」
 「そうか。見に行ったらあかんか」

 「当たり前や。そんなオッサンがよう流されとる。せやから絶対行ったらあかんで」
 「うん」
 友のありがたい忠告(?)です。
   

 近くの川といえば、小さいけど富士見江川か砂川堀用水路。しかしわが家からは1kmほど離れているので、雨のなかを行くのは面倒。
 もっと大きな川は柳瀬川か新河岸川だけど、これは2km以上離れているしなあ。荒川はもっと遠い。
 というわけで川の増水を見に行くのはやめました。

裏の畑

 昼すぎになって、少し小降りになったので外に出ました。
 例によって裏の畑。水浸しです。
 表の茶畑もまた水浸し。まあ、それほどの被害でもない。

茶畑

 しかしニュースを見ていると、埼玉でも大雨の被害が続々。
 所沢では東川が氾濫し、川沿いの道路は冠水、民家に浸水。
 東川の流域は桜の名所。私も何度か行ったことがあります。あんな小さい川が……。
  

 また入間市では不老川が氾濫してやはり道路が冠水しました。映像で見ると、道路と川の区別がつかなくなり、「これは危ない」と思いました。

 不老川の氾濫  

 近くでは志木市の柏一、二丁目に避難勧告が出たとか。
 地図を見ると、柳瀬川流域。ここも桜の名所で、この春行ってきました。「桜は川沿いが素晴らしい」と思ったものです。(当ブログにもUP)
  

 さらに西武多摩湖線は電柱が倒れ、レールに土砂が流れて電車が動かなくなりました。ここは東村山市(東京都)ですが、狭山丘陵地帯で埼玉(所沢市)に隣接しています。

多摩湖線が動かなくなった

 「今度の台風は埼玉にも多くの被害を与えたのだなあ。とりわけ狭山丘陵地帯と川の流域。入間川も水位が上がって川越の一部にも避難勧告が出たというし」
 そんなことを思いながら、また外へ出ました。

西の空は夕焼け   

 雨は止んで西の空には夕焼けが。うーん、日中の暴風雨がうそのようです。
 明日(08/23)は晴れるかな。

 甲子園(第98回全国高校野球選手権大会)の決勝戦は作新学院(栃木)vs.北海(南北海道)。
 当方は北海を応援。
 このチームは前評判は高くなく、北海道の代表になっても全国的には通用しないだろう、と思われていました。
 ところがどうして、一回戦、二回戦、準々決勝は強豪相手にしぶとく粘り勝ち、準決勝では秀岳館をやぶるという番狂わせ(?)。こうなったら番狂わせもう一丁、と期待。

 二回、北海が先取点  

 二回裏、北海が先制して、「おおッ」と思ったのですが……。
 四回表に北海のエース・大西が作新打線につかまり、大量5点も挙げられてしまった。(大西投手は降板)。
 うーん、これは厳しい。
 大西投手は連投で疲労はピークに達していたと思われます。

 四回、作新の反撃 今井も巧打   

 その後も加点され、七回を終えた時点では7-1。
 それでも北海は意気消沈することなく、懸命に食い下がったと思います。随所に好守備が光ったし。

今井の力投    

 一方、作新のエース・今井も手を抜くことなく、力いっぱい投げました。
 彼も疲労はピークに達していたと思うけど、三回には自己最速タイの152kmを投げ、八回相手エースの大西(強打者でもある)に対しては149㌔の速球で見逃し三振に仕留めました。
 これは彼なりの「礼儀」だったと思います。

九回、二塁走者が三塁でタッチアウト    

 北海の気力は最後まで衰えなかったけど、九回裏2死一、二塁から果敢に三塁を狙った走者がタッチアウトになって試合終了。
 呆気ない幕切れになったけど、次の塁を奪おうとした走者は責められない。よくやりました。
   

 作 新 000510100=7
 北 海 010000000=1

試合終了のあいさつ    

 今大会は、履正社の寺島、横浜の藤平、花咲徳栄の高橋など、地方大会で活躍した投手が注目されましたが、早々と姿を消しました。
 どのチームも先発した二番手投手が序盤に大量点を取られ、エースが出てきたときはおも手遅れ状態でした。
 むろんチームそれぞれの方針はあるし、エースの疲労具合も考慮されてのことだと思うけど、「最初からエースを出していれば」という悔いはなかったか。

優勝旗は作新に    

 その点作新学院も北海も全試合エースが先発しました。
 作新のエース・今井は最後まで投げ抜きました。これは立派。
   

 北海の大西も四回で後輩の多間(2年)にマウンドを譲りましたが、よくやったと思います。
 この大西はエースで四番(途中から八番に)、主将を務め、チームを上手くまとめました。

準優勝の大西主将   

 私が印象に残っているのは、準々決勝の聖光学院(福島)戦で打者大西が捕手へのフライを打ち上げてしまい、それを捕られてアウトになったとき、相手捕手が捕球するためにマスクを外して地面に落ちたのを拾い上げ、自分のユニホームで丁寧に拭い、それを捕手に渡していた光景でした。
 自分の打球を捕った憎っくき相手に対して、そこまでやるとは。
 さらに校歌が終わって、みんな自軍の応援団の前に行くときも、相手チームに一礼していました。
  

 こういう光景が見られると、やはり高校野球はいいな、と思います。


 昨日(08/20)関東は大雨ということもあって外へは出ず、専ら甲子園大会を観ていました。
 第一試合は
 作新学院(栃木)10-2明徳義塾(高知)
 これはある程度予想してました。

第一試合の結果     

 注目は第二試合の北海(南北海道)vs.秀岳館(熊本)
 私は、甲子園大会では応援する地域順位がほぼ決まっていて、①北海道・東北>②関東・甲信越>③九州>④四国・中国>⑤東海>⑥近畿……の順です。
 つまり近畿は最後まで応援しない地域(悪いネ)。滋賀県はちょっと微妙ですが。
    

 今年は思いのほか、北日本勢が元気だったようで、私としては気分がいい。
 なかでも目を引いたのが北海の活躍。
 一回戦は2x-1で松山聖陵(愛媛)を破り、二回戦は日南学振を4-1で破っている。
   

 準々決勝の聖光学院(福島)選では、初回にいきなり3点を取られ、
 「この先、何点取られるのだろう。ワンサイドゲームになって、北海の夏は終わった」
 と思ったら、徐々に盛り返し、最終的には7-3で勝ちました
    。

 しかし相手は秀岳館。これは強いだろうなあ。
 監督の鍛治舎巧さんは、解説者もやり、社会人野球の監督経験も豊富、海千山千の試合巧者、とても勝ち目はない、と思いました。
      

 案の定、一回表は無死一、三塁の大ピンチ。「何点入ることやら」と思いました。
 しかし一塁走者が二盗失敗、三塁走者も投手の冒頭で本塁を突くもタッチアウト。
 その後も死球などもあって走者が出、打者の当たりはレフトへのライナー。これは長打になる、と思ったら、左翼手が好捕。助かりました。

 ヒット性のあたりを左翼手好捕

 三回裏、北海は二死二、三塁で大西が右中間への三塁打で二点先取。次打者のボテボテの三塁ゴロが内野安打になり、大西も生還。3点をもぎとりました。

大西、右中間の三塁打 

 さらに五回にも追加点。スコアは4-0。しかし、このままではないだろう。

 4点目が入る   

 七回ごろから大西投手の球が走らなくなり、高めに上ずる。
 案の定、走者が出て暴投。三塁走者が帰り、1点を返されてしまった。1点ですんでよかった。
   

 しかし八回表は二死二塁。九鬼の当たりは右前安打。これをライトが後逸して球はフェンス際まで。打者までが帰り、4-3。いよいよきた、秀岳館の反撃。「これでいよいよダメか」

 打者走者も生還   

 その不安は最後まで残り、二死走者なしから、最後の打者がし遊撃手のエラーで出塁。盛り上がる秀岳館ベンチ。ヤバいぞ、これは。
 てっきり同点に追いつかれる、と思ったのですが、次打者がショートゴロでゲームセット。
 最後までハラハラさせやがって。

ゲームセット     

 それでも勝ってよかった。
 聞けば北海は出場これで37回目とか。しかし雪国チームの悲しさ、北海道では強くても、甲子園では初戦敗退が多かった。これまでの最高は戦前に4強入りしたことだそう。

試合後の挨拶   

 秀岳館 000000120=3
 北 海 00301000 x =4

大西投手    

 決勝は本日、作新学院(栃木)と。うーん、手ごわい。北海には頑張ってほしい。

PCの不具合で更新を休んでいましたが、先ほど復旧したので、本格的な記事の更新は明日からになります。

今日の関東は一日中雨が降り、ときおり激しい雨に見舞われ、「徘徊」もできずじまいに終わりました。

 今回私が選んだ句は、
    

 ④ゆきあひの空に浮雲秋の蝉
 ⑤川制し碑の立つ村や稲の花
……○
 ⑥寝転びて時代小説秋暑し
 ⑦くちなはの惑うてゐたり村の寺
 ⑧かなかなや夕映え長く松並木
  

 の五句です(○は特選)。
   

 ⑤これは、治水事業に成功した村の功績とともに、秋の収穫が期待される晴れやかな姿が句から表れています。
 
⑥おそらく時代小説が好きなんだろうけど、こう暑くてはなかなか進まない。わかります。
    

 各句の結果と作者。
   

 ④(4)○……女性A
 ⑤(2)○……同郷のおじさん
 ⑥(3)……女性B
 ⑦(3)……宗匠
 ⑧(2)……女性A
   

 気になったけど採らなかった句がありました。
    

 ⑨きちかうや紙のやうなる人の縁(2)……助手の先生
   

 「紙のやうなる人の縁」が強引でいいなと思ったのですが、「きちかう」がわからなかったので採らなかった。「きちかう」とは桔梗の花のことだって。


 私としてまったく不可解だったのは、
      

 ⑩君が代は美しきうた稲の花(4)○○○
  

 私以外は全員入れている。しかも特選で。(宗匠は例によって並選←すべての句に)
   

 信じられない。あまりにベタな句。句というよりも、これは標語。それに「稲の花」をくっつけただけ。
 さらにいうと「美しい」ということば。
 文章表現では「この花は美しい」といっても美しさは伝わらない。俳句だって同じはず。
   

 そこでこう発言しました。
 「この『美しい』という以外に他の表現はなかったのでしょうか。これじゃ言葉での『美しい』という共通認識に乗っかっているだけで、本当の意味での美しさは伝わってこない。安易な表現だと思います」
   

 これに対して、みんな「はア?」
 このオジサン、なにいってるの? という表情。
 なかには「美しいと思います。素直に受け取ればいいんじゃないかしら」という人も。
   

 これには私も気色ばんで、
 「私はひねくれてるからね。それにこれは標語であって、句になってない。森某のような人が推奨するようなことをわざわざ俳句にすることはない」
  

 すると進行していた助手の先生が、
 「これ、実は私の作ですけど、私だってふだんは『君が代』なんて題材にしないけど、今はオリンピックの時期。日本の選手が活躍して、『君が代』が流れたことに感動してつくったんです……」
 滔々と述べたけど、最後まで「美しい」には触れずじまい。
 多分みんなと同様、わかってないだろうな。
   

 この句もさることながら、この人たちとの関わりを根底的に見直す必要がありそうです。

 一昨日(08/15)八月の句会がありました。
 私の投句は、
   

 ①塾帰り二人乗りして稲の花
 ②小さき子の絵文字流すや土用浪
 ③マドロスの腕生白く夏終わる
   

 実は直前まで「①畦道を二人乗りして稲の花」で行くつもりだったのですが、川越の友からこんなメールがきました。
 「今朝のブログは、句が生まれる過程がよくわかって面白い……でも畦道での二人乗りは危険だから気を付けましょうね」
    

 「ははァ、これは彼一流のアドバイスだな」
 そう読み取った私は、「畦道」のほうを外しました。

田んぼ     

 句会での得票と評価は、
   

 ①塾帰り二人乗りして稲の花……(2)宗匠の並選、○←助手の先生の特選
 ②小さき子の絵文字流すや土用浪……(1)宗匠の並選
 ③マドロスの腕生白く夏終わる……(1)◎←宗匠の特選
 (数字は得票数。○は特選)

 ①に関して助手の先生が、「高校時代を思い出しました。しかも二人が見たのは稲の花。秋になって、この二人がどうなるのか、微笑ましくなるような一句です」
 宗匠は「塾帰り、というのがいい。しかし三段切れでぎくしゃくしてるのが難。ここは上五と下五をひっくり返してみたらどうか」と、修正句は、
   

 稲の花二人乗りして塾帰り
   

 ひっくり返しても三段切れは変わらんと思うけど。
 それよりも「季語が動くのではないか」という懸念はまったく問題にならなかった。さすが川越の友、達人だけのことはあります。

 ②に関して宗匠は、「これは人形(ひとがた)流しのことですか? えッ、パット・ブーンの歌? それだと<流すや>がどうかねえ。ここは<消しゆく>にしたほうがいい」ということで修正句は、
   

 小さき子の絵文字消しゆく土用浪
   

 「ほら、俄然よくなったでしょう」といわれては、もう笑うしかない。

 ③「マドロスというのはふつう真っ黒になるのに、このマドロスは甲板の仕事をさぼったのかな。それともこの夏の日差しが弱くて、生焼けのままで夏が終わったのか。目のつけどころが変わっていて面白い句です。えッ、美空ひばりの歌? なるほどねえ。今月は歌ばかりでまとめたのですか。うーん」(宗匠)
    

 宗匠のような解釈もありかな、と思ったけど、好意的に解釈してくれてるわけで、だからといってみんなの票が集まるわけじゃなし。
 それなら歌で遊ぶしかないじゃないか。

2016.08.16 八月の出句

 以前「振り向けば人影消えて土用浪」という句をつくったのですが、評価はよくなかった。気に入ってたのに。
    

 そこで、「振り向けばサーファーひとり土用浪」はどうだろう。
 ところが「サーファー」は夏の季語ではないか、という疑念が生じ、危ないのでやめました。
 考えてみれば、「振り向けば」にこだわることはない。

土用波    

 そこで頭をよぎったのはパット・ブーンの「砂に書いたラブレター」
 彼女あてに砂に書いたラブレター、それを波が流してしまい、青春は終わった、という意味です。そこで、
  

 青春の誓いを流す土用浪
         

 にしたけど、「青春」というのが今では歯が浮く。
 むしろ子どもにして、
   

 小さき子の絵文字流すや土用浪……②

 この時期、往く夏を惜しむ句をつくりたい。
 そこで浮かんだのが森山良子「さよならの夏」と、ワイルドワンズ「想い出の渚」
 しかし、
   

 さよならの汽笛残して夏終わる
 小麦肌もう帰らない夏の日よ
  

 ではあまりにベタだしなあ。(安易でもある)
 かといって、
  

 まだら焼け湘南ギャルの夏終わる
   

 これは「湘南ギャル」のところに何を持ってきてもパッとしなかったのですが、ふと港町の情景が浮かんできました。港町といえば、美空ひばり「港町十三番地」
 ということで、    

 マドロスのタトゥ半焼け夏終わる
  

 タトゥではイメージが悪いので腕に直し「生白く」にしました。
 マドロスといえば、「港港に女あり」ですが、この夏は女とのつき合いもままならず、海で遊べなかった無念さを「生白く」で表しました。
    

 マドロスの腕生白く夏終わる……③

 *

 他にも盆踊りと舟木一夫「高校三年生」(♪ぼくら フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ黒髪が)をかけて、
   

 輪に入らば黒髪匂ふ盆踊り……④
       
 
という句をつくりましたが、これはいかにもクサい。
 
したがって、今月の出句は①②③
  

 いつもは「身の丈」から出てきた句をつくっているのですが、今回は内外の歌をヒントに想像で詠んだ句ばかり。こんなのも、たまにはいいかな。

 今月の兼題は「稲の花」
 しかし稲の花なんて見たことない。
 8月の半ばごろに咲くということなので、今月の10日、富士見市にある田んぼを見たところ、「????」
 すでに実がなっている。遅かったか。
   
     

 調べてみると、稲の花は品種によって咲く時期が違い、早いもの(早稲)だと8月初旬、しかも開花時期は非常に短いとのこと。
 写真では白っぽい(黄色?)、小さな花であまり目立たない。(こんなのを兼題にするのか)

稲穂     

 現物を見るのは諦めて、例句を見ました。
   

 「豊かなる国土の日かな稲の花」(麦南)
 「稲の花大の男の隠れけり」(一茶) 
 「此上に年を積むべし稲の花」(梅室)
 「馬買ひてつなぐまがきや稲の花」(才麿)
     

 こうしてみると、稲の花というのは秋の収穫を予兆する「よろこばしき」ものらしい。
 そこで、
    
 畦道を歩き疲れて稲の花
 退院し娑婆の空気に稲の花
    

 いずれもつまらないけど、「畦道を二人乗りして稲の花」はどうだろう。なんとなく、スコットランド民謡の「♪誰かさんと誰かさんが麦畑……」を思わせる句ではないか。
 (自転車に)二人乗りするのは若い男女に決まっている。それも高校生。
    

 しかし、「畦道」-「稲の花」は意味が重複するのではないか。
 それよりも二人の立場を明らかにするほうがいいのではないか。
    

 放課後を二人乗りして稲の花
    

 しかし今は夏休み。放課後よりも「塾帰り」(夏期講習)にしたほうが、秋になって二人の成績向上が期待できるのではないか、
    

 塾帰り二人乗りして稲の花……①a
    

 しかし、ここで重大な誤謬に気づきました。
 これだと「稲の花」の季語が動くのではないか。「稲の花」でなくても、「梅の花」や「桃の花」など他の季節の花でも成立する。
 その点、上五が「畦道」だと、季語離れは避けられる。
 というわけで、
    

 畦道を二人乗りして稲の花……①b
   

 にもどしました。二人乗りするのは熟年カップルではないだろう、と。
 しかし①a「塾帰り……」も捨てがたい。うーん、どうするか。

 逗子海水浴場はいわば逗子湾の海岸線(約1km)。
 それを「太●族の記念碑」から北上していくと、その終点が浪子不動(高養寺)。
   

 浪子不動のいわれについては、
 今から600年以上も昔、披露山(ひろやま)から不思議な光が差すようになり、魚が獲れなくなったのを、鎌倉・補陀落寺(ふだらくじ)の頼基法印(らいきほういん)があたりを調べると、岩の洞穴に石の不動尊を発見した。村人が大切に祭ったところ、また魚が獲れるようになったという話があり、当初は「浪切不動」とか、「白滝不動」と呼ばれていました。

 蘆花ゆかりの板碑   

 それが「浪子不動」といわれるようになったのは、徳富蘆花の小説「不如帰(ほととぎす)」がここを舞台にしており、主人公の「浪子」にあやかったとか。
   

 昭和8年(1933)、お堂の前に海中に徳富蘇峯(蘆花の兄)の筆による「不如帰」の碑が建てられました。

海中のの浪子不動   

 この碑に使われた石材は大崎の先にころがっていた鍋島石(なべしまいし)です。江戸城を築くために九州鍋島藩が伊豆から運んできた石垣用の石が、船の難破で大崎の海に落ちたと言い伝えられていたものです。
  

 ふーむ、そんないわれがあったとは。
 当方、恥ずかしながら「不如帰」を読んでないので、浪子なんて知らなかった。

公園   

 この一帯は公園になっていて、ベンチなどが設えてあります。
おや、これは?
 「さくら貝の歌」の歌碑。これなら知ってるぞ、歌っているのは倍賞千恵子さん。

さくら貝の歌碑(対岸は桜山)    

 ♪うるわしきさくら貝ひとつ
 去りゆける君に捧げん
 この貝はこぞの浜辺に
 われひとり拾いし貝よ……
  

 これを作詞した土屋清(花情)は、元逗子役場の職員。成就しなかった初恋の思い出を胸に、砂浜を散歩するなかでこの詩が生まれたそうです。つくられたのは昭和14年(1939)
   

 こうしてみると、ここは文学的には宝庫のようなところ。
   

 ちなみにここを管轄するのは崖の中腹にある高養寺(白滝山)。

高養寺    

 その名の由来は、寺の建物を作るのを援助した政治家、高橋是清の「高」と、犬養毅の名「養」をとってつけられたとか。(ちょっと白ける?)
   

 聞けば、この右手中腹に都知事をされた作家大先生の邸宅があったとか。
 対岸は南の桜山。
 つくづく、いいところに邸宅を構えたものだなあ。

2016.08.13 逗子海水浴場

 渚橋を渡ると逗子海水浴場です。

渚橋 

 海水浴は身体に悪いのでやらなくなったけど、この海水浴場は胸が騒ぎます。
 海岸線は長く、U字状の湾(逗子湾)になっていて対岸を見ることができ、しかも遠浅。まさに海水浴にうってつけの海岸。若者が多いのもナットクです。

 逗子海水浴場(対岸は披露山)   

 それに、なんといってもここは、太●族発祥の地。
 某作家の記念碑がここにあります。(デザインは岡本太郎氏)
   

 学生時代、この作家の「太●の季節」に衝撃を受けた私は、湘南に憧れ、夏になると鎌倉から逗子一帯を徘徊しました。
 しかし後に葉山の森戸海岸や一色海岸を知ると、「こちらのほうが海の風情がある。逗子は初心者向き」と思うに至りました。
 そしてこのころから「限りなく湘南ボーイに近い男」(?)を自認するようになったのですが……。

記念碑    

 しかし、私にとっては青春のバイブルともいえる「太●の季節」を7年前読み直してみると、ただのチンピラの話にガックリ。
   

 しかも逗子強度資料館の係の人にいわせると、
 「あれは亡くなった弟さん(俳優)の大学のボクシング部にいた伝説的な不良の話を聞いて、ほとんど想像で書かれた話。湘南の若者の実像ではありません」とのこと。
 なーんだ。
 当時の選考委員はそんな与太話を真に受けて賞をやったのかい。

桜山側を見る    

 まあ長年生きていると、こういうこともあるよ。(長生きはするものである?)
   

 「限りなく湘南ボーイに近い男」を自認していた当方にとっては、はなはだ片腹痛いものがあります。

 「24号線の田越橋から富士見橋の間は歴史的モニュメントがありますよ」
 逗子郷土資料館でそういわれて、田越橋にやってきました。

 田越橋交差点  

 ここは逗子銀座通りと24号線が交差するところで、逗子では最も交通量が多いとか。
 この橋は欄干が石造りでどっしりとして、なかなかの風格です。

田越橋    

 逗子銀座の先は葉山に通じる桜山トンネルですが、田越川に沿っているのが県道24号線。
なかなかの風情です。

田越川と24号線    

 少し行ったところに「六代御前の墓」があります。
 六代御前とは、平家物語に出てくる悲劇の女性。
 平維盛の娘で、文治元年(1185)壇ノ浦の戦いで捕らえられ(当時12歳とか)、文覚上人の頼朝への嘆願によって助けられたものの、頼朝の死後に上人が反逆罪で流刑になると、六代御前も田越川のほとりで首を切られたと伝えられています。(享年26とか)
 平家物語は高校の古典でやったけど、六代御前なんて習った記憶はない(不覚?)
    
 入口に記念碑があって、お墓はその先の山の中腹だそうですが……。

 六代御前の石碑  

 天気は悪く、その前からポツポツと雨粒が降っていたのですが、ここへきてザーッと強い雨。
これはいかん。
     

 山へ行くのはやめて、急いで24号線沿いを河口に向かいました。
   

 「おや?」
 田越川に架かった大きな朱塗りの橋。富士見橋です。
 この橋は京都の五条大橋を模してつくられたとか。 橋長35m。

 富士見橋①   

 最初にかけられたのは明治時代で、当時はこれが「田越橋」と呼ばれていた。
 その後昭和30年(1955)に架け替えられ、橋名も「富士見橋」に変り、今の橋に架け替えられたのは昭和63年(1988)。
 ここから見る富士山の眺めが素晴らしいから、この名がつけられたのでしょう。(かながわの橋100選)
 京都の橋を模したといわれても、何の感慨もありませんが。(いうなって)

富士見橋②    

 そこからほど近く、徳富蘆花と国木田独歩の「ゆかりの地碑」があります。
 資料館の方がいってたのはこれだったのか。

蘆花・独歩ゆかりの地碑     

 雨がザーザー降るなか、写真に収めました。
 地元の人にいわせると、「こんな雨、1時間ほどで止みますよ」
        
 こういう雨は、この海岸地域ではよくあることらしい。
 実際、近くの食堂で昼食をとり、しばらく休んでいると、うそのように晴れました。

 逗子海水浴場の東に「蘆花記念公園」があります。
 徳富蘆花ゆかりの公園?
 私は以前京王線沿線に住んでいた(府中)ことがあるので、どうしても気になります。というのは、この沿線に「芦花公園」があり、何度が行ったことがあるからです。

 蘆花記念公園    

 海水浴場の東は小高い山(桜山)になっていて、その麓一帯が公園になっています。
 この公園は昭和59年(1984)4月、市制施行30周年を記念して、逗子の名を広く知らしめた徳冨蘆花ゆかりの地につくられたそうです。
 今の季節、海水浴場は大混雑するのに、こっちはさっぱり。せいぜい犬を連れた老人が歩く程度。
 「ふーむ、こんな山の麓では気軽にこれないな。まして海水浴客なんぞ」

細い山道    

 公園の奥「郷土資料館」の標識があり、細い山道になっているので、そのまま上りました。
 歩くこと10分。冠木門の向こうに木造の建物。これが「逗子市郷土資料館」

郷土資料館入口    

 この建物は横浜の豪商の別邸として建築されたものを、大正6年(1918)から徳川宗家第16代当主家達の別邸として使われました。

資料館内部    

 なかなか風情のある建物です。円窓もさることながら、庭の眺めもいい。
 
離れも茅葺きの屋根で由緒ある建物だそうです。

離れ     

 館内の展示物は徳富蘆花をはじめ、逗子ゆかりの文学者のものが多い。
 「こうしてみると、逗子というのは多くの文学者とのつながりが強いのですねえ」
 と係の人にいったら、「でも、鎌倉には負けます」
 なるほど。

不如帰の掛け軸

 しかし逗子出身の文学者といえば、都知事をやられたあのお方。
 「あのお方は、さぞかし郷土の誇りなのでしょうねえ」
 といったら、苦笑されておりました。

展示物   

 ここは山の中腹にあるので、海の眺めが素晴らしい。
 「あの向こうが披露山。その右手にあの方の邸宅があったのですよ」
 「えッ、あのお方の」
 「山の中腹にね。当時は開発されてなかったので、自費で道路をつくらせたそうです」
 金のあるヤツはちがうなァ、としかいいようがない。

郷土資料館からの眺め    

 しかし私にとっては、あの方の「太●の季節」は青春のバイブルのような作品。
 あの作品によって湘南に憧れ、かの地を徘徊し、ようやく「限りなく湘南ボーイに近い男」といわれるようになった(笑うな)けど、7年前読み直してみたら、「なんだ、これは」
 ただのチンピラの話じゃないか。
   

 そのことを係の人にいうと、「あの小説は真面目に読んではいけないのです」
 湘南の若者の実像を描いたというより、一種の「おとぎ話」として読むべきである、と。
 おとぎ話、だと?
  

 ふーむ、そんな読み方があったのか。
 目からウロコの思いでした。この資料館は含蓄深いぞ。

 先週、川越の友から暑中見舞いのメールが届きました。
 「今日(08/04)は風天忌、渥美さんの亡くなった日(1996年没)です。彼は風天と号して俳句をたしなんでおり、つくった句が200句くらい残っているそうです。そのなかから私がまとめたものを送ります」
    

 送ってきたのは50句ほど。
 何気なく読んでみたのですが、「????」
    

 蟹悪さしたように生き

 ポトリと言ったような気がする毛虫かな
   

 これが俳句か。
 まったく他からの影響を受けてないし、句会での批評など寄せ付けないマイペース句。

寅さんの銅像 

 それでも、
   

 赤とんぼじっとしたまま明日どうする
   

 という句に接して、彼は動物の気持ちと同化しようとしていることがわかります。これまで俳人が踏み入れなかった分野です。

 それに、
    

 乱歩読む窓のガラスの蝸牛
   

 なんかは面白い。カタツムリが乱歩を読むなど、シュールな感覚。
 ロートレアモンの「ミシンとコウモリ傘との出会い」を思い出しました。
   

 動物の句と傾向は違うけど、私が好きなのは、
   

 村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
       

 4年前、天園ハイキングコース(鎌倉)で、地元(?)の子どもたちが「どんぐり獲ったんだよー」と泥だらけの手を通りすがりの私に差し出しました。
 それを彷彿させた句です。

どんぐりを差し出した子    

 天園での出来事はいつまでも心に残り、後の句会で
   

 どんぐりを挨拶代わりに差し出す子……(京一郎・作)
    

 という句を出したのですが、いい評価は得られなかった。
 説明的な句だったかな。
   

 川越の友の結びのことばとして、
 「渥美さんは自由律の俳人・尾崎放哉に憧れ、演じてみたかったらしく、句も影響を受けています。私はこれから放哉の作品を読み直してみます。熱中症に気をつけて下さい」
   

 私にとっては、なによりの暑中見舞い(お中元?)。
 涼しくなったら、彼の「放哉論」をぜひ拝聴したく思います。

 先週の金曜日(08/05)川越アトレ7階のレストランで俳句仲間との食事会に参加しました。
 この句会に入って6ヶ月ですが、こんなに早くから食事会に誘われたのは初めて。よほどフレンドリーな人たちなのか。
    

 仲間は4人。食事はバイキング式でした。
 野菜が多く、肉系のものは意外に少なかったけど、私としてはそのほうがいいのかな。

 料理    

 「今月の句、つくった?」
 「まだ。今月の兼題は<稲の花>なんでしょ。全然出てこない」
 「今ごろの季節、咲いているらしいんだけど」
 「あんまり実感ないわねえ」
 「毎回、句づくりは大変なのよ」
   

 ここで私が「こんな方法もあるぞ」とつくり方を披露。
 例えば「睡蓮やクラリネットを吹く少女」という句があったとする。これをヒントにして「睡蓮やテナーサックス吹く男」とつくっても、本歌取りといってパクリにはならない。
    

 「えーッ、盗作にはならないの」
 「ならないよ。ただし句の良し悪しは別。これでいえば、テナーサックスよりはクラリネットのほうが睡蓮には合ってると思うけど」
 「でも例題を見て、そんな簡単につくれるのかしら」
 「それにはたくさん例題を読まなきゃね。私なんか季語ひとつにつき100~300句読んでるよ。ほとんど響いてこない句ばっかりだけど」
 「ヘエーッ」
 この人たち、例句をたくさん読んでるのかな、他人事ながら気になりました。
    

 彼らが(私について)気になったのは、「なぜ以前の句会を辞めたのか」
 これについては、「最初の俳句会は、私の入院中にバアさんたちが勝手に会場を変えたことに抗議して、二度目の俳句会は宗匠が下衆なヤツで何度か不愉快な思いをしたこと」と具体的に説明しました。非はこちらにはない、と。
   

 「その点今度の老先生は、人柄はいいので安心できる。ただし口下手で大甘なのが難点」
 といったら、みんなびっくり。
 「他はもっと厳しい。私なんかボロクソにいわれ続けた」
 これに対してはみんな口々に「そんなのいやだ」「だったら辞める」など、ヘタレなことをいう。(勝手にしろ)
 彼らは句歴は私より長いようだけど、今の宗匠だけで、しかも大甘だから、あまり上達してない。(これはいわなかった)

食後の表情     

 趣味の会というのは、自分の自由意思で選ぶのだから、いやだと思ったら辞めればいい。
 仕事の関係や親戚関係だと、いやだと思っても我慢しなきゃならないけど、趣味の集まりは別。
 むろん上達するためには努力しなきゃならないし、ダメなところをボロクソにけなされても耐えて努力しなければならない。
 しかし努力してもどうにもならないストレスは我慢することはない、そんな風に私は思います。
   

 私にとって、今の老先生は大甘で不満はあるけど、これは我慢しなければならないのかも。
 もう少し様子を見るかな。

 昨日(08/07)から甲子園大会が始まりました。
 リオ五輪も始まったけど、観るのは当然甲子園。しかも開会式から。

選手宣誓   

 印象に残ったのは市尼崎・前田大輝主将の選手宣誓。
 「宣誓。私たち高校球児は不撓不屈の精神を胸に、前だけを見て進んできました。……(略)……今年は熊本で大きな地震が起こり、様々な苦しみや悲しみの中におられる方も大勢見て下さっていると思います。私たちのプレーに共感と新たな希望、そして生きる力を感じて下されば、本当に幸せです。……(略)……これからの100年も、高校野球が皆様に愛される存在であり続けるよう、未来への架け橋として、ここ甲子園で一生懸命、最後までプレーすることを誓います」

選手宣誓    

 異例に長い。宣誓というよりスピーチだ。
 内容は、感謝とともに熊本の被災地に思いを寄せるなど、配慮の行き届いた文章で合格点。
 (所どころ、入れ込んだ余計なことばもあったけど)
   

 これまで印象に残った選手宣誓といえば、昭和59年夏の第66回大会で、福井県立福井商業高校の坪井久晃主将の、
 「我われ、選手一同は第66回全国高等学校野球選手権大会に臨み、若人の夢を炎と燃やし力強く逞しく、 甲子園から大いなる未来に向かって正々堂々と闘い抜くことを誓います」
 しかもこれまでの絶叫調ではなく、落ち着いた口調。
   

 「若人の夢を炎と燃やし……」「 甲子園から大いなる未来に向かって」に痺れました。
 こんな名文、私には書けない。
   

 今回の選手宣誓は、福井の坪井君には敵わないけど、それに次ぐ出来栄えだったのではないか。
 感心したのはこれをよどみなくいえたこと。長いだけに。
 おそらく何回も練習したんだろうけど、トチることなく、抑揚もはっきりしていた。
   

 私は昨年、郷里の小学校の同窓会幹事をやることになり、「幹事のあいさつ」をやったけど、しどろもどろになって上手くいえなかった。爪のアカでも煎じて飲みたいぐらい。

第三試合

 試合は第三試合、盛岡大付属(岩手)vs. 九州国際大付属(福岡)は。序盤から点の取り合い、
 1点リードしたら、追いつく。逆転したと思ったら、また追いつく……といったシーソーゲームで八回を終わった時点で6-6。
   

 九回表、盛岡大付の攻撃で、菅原が放った大きなレフトフライ。瞬間「入った」と思いました。
 この打者に限らず、盛岡大付の各打者は甘い(高めの)球は逃さず長打にしている。
 さらに二死三塁で、伊藤が三塁線を抜いてだめ押し。
 盛岡大付の打線は振りが鋭かったけど、九国大付の藤本投手にも疲れが見えた。

出た!ホームラン    

 その裏、九国大付の先頭打者安永が三振振り逃げで一塁セーフ。
 「これはわからんぞ。こういうエラーが出ると、得てして点に結びつく」
 走者が送られ、二死二、三塁になったのですが、次打者がショートゴロに終わりゲームセット。

試合終了    

 盛岡大付 201101012=8
 九国大付 301000110=6
  

 どちらが勝つかわからない、面白い試合でしたが、結果的には盛岡大付の打線が勝っていました。九国大付の藤本投手はよく頑張ったと思います。

終了後のあいさつ 

 その藤本投手の健闘を称えるように、盛岡大付の選手数人がハグしていた。これも感動的でした。

 代官水から東武東上線をはさんだ反対側の「滝の根公園」も水にゆかりのある公園です。
    

 崖だったところを上手く利用してつくられた公園(昭和62年開設)で。上の段には吊り橋があり、下の段には小さな池と滝があります。

 吊り橋   

 滝といってもちょろちょろとしたものですが。

ちょろちょろ滝   

 上の段と下の段を結ぶ山道は木道とアスレチック遊具が設えられて、大人も子どもも飽きないようになっています。
   

 しかし私が気になったのは、このちょろちょろと流れてくる水の湧水点。

水の流れ    

 そうじのおじさんに聞いてみると、
 「上に登ると吊り橋に出るから、左に進むんだよ。そうすると池があるだろ。湧水点は池の奥にあるよ」

水源の池    

 いわれた通り左に進むと、小さな池がありました。
 その奥にちょろちょろという水音がして、そこから水が流れています。

湧水口    

 なるほど、ここが湧水点。
 ここも山のなかに水源があるのか。
  

 よくわからんけど、代官水は山の向こう側?
 考えてみたら、代官水からこっちへくるまで、線路を越えたけど、同時に山を越えたような気がした。

 この急坂(神明坂)を降りてきた  

 ふーむ、朝霞というのは思いのほか山国であったか。

 「朝霞の水を知りたかったら、湧水代官水へ行きなさい」
 と博物館でパンフレットを渡されました。

湧水広場      

 その説明によると、湧水代官水(ゆうすいだいかんみず)とは、崖線の谷頭から出る湧き水で、古くから灌漑用水などとして地域の人々に「代官水」と呼ばれ、利用され親しまれてきたもの。現在も水量は豊富で、市内に残された貴重な自然湧水だそうです。

   湧水点の目印      

 パンフレットには「利用のご案内」とあり、利用時間(9時~△△時)や、「利用上のお願い」など、注意事項がたらたらと書かれている。

湧水点      

 「ふーむ。利用というからには、ポリタンクで汲みにくる人もけっこういるのだな」
 と推測し、「名水が飲めるのでは」と期待しました。(ペットボトルは持っている)

    

 行ってみると、門は開いてました。(利用時間内なので当然)
 芝生の向こうに水路があり、湧水点を確認しました。しかし取水口がない。

緑の藻      

 そこで掃除をしていたおじさんに、「取水口はどこですか?」と尋ねました。
 「しゅすいこう?」
 「ええ、水を汲むところ」
 「そんなのありませんよ。第一この水は飲めません」
 ガーン!
   

 話を聞いてみると、ここは「これが湧水か」と景色を観るだけのところでした。だったら「利用」なんて書くな。

手入れも怠りない  

 おじさんには罪(?)がないので、気を取り直し、
 「水源はどこにあるのですか」
 「この台地のなかにあるようですよ。なにしろ江戸時代からこんこんと湧き出ていますから」
 「涸れることはないのですか」
 「それはないようです」
   

 「しかし、この水はどこへ行くのですか」
 「下水となって、最終的には東京湾に流れます」
 「下水に! もったいない」
 「そう思いますけど、この水を活用するとなると。浄化に経費がかかるので」
 「そうか。これぐらいの水量では採算が取れないのか」
 「その通りです」

 トイレも清潔  

 話を聞いてみると、ただ景観を観賞する「利用」もやむを得ないのか。
 トイレもきれいに掃除されていたし、このおじさんの努力には頭が下がりました。

 南関東は昨日(08/04)あたりから急に暑くなりました。
 そこで近隣に涼を求めて、朝霞市を徘徊しました。
 ここには東京へ水を送る大きな「朝霞浄水場」があるので、なにかと水に関連があるのではないか、と思い込んでやってきたのですが……。
   

 黒目川のほとりにある城山公園。
 ここは昔、太田道灌が築城したとの伝説のある「岡城」のあったところを公園にしたもので、郭(くるわ)広場と水の広場の二段構造になっています。

郭広場   

 郭(1~3)広場も樹木に囲まれているので涼しいことは涼しいけど、やはり下の段の水の広場は涼しいぞ。なにしろ滝から水が墜ちてくるのだから。

水の広場①   

 この滝は城の石垣をそのまま利用したものでしょうか。
 上手くできています。

正面から見た滝   

 水の吹き出し方が前方に飛び出て、適度に広がっている。
 子どもが水を浴びるには格好の滝ではないか。

横から見た滝   

 それにしては子どもが少ない。
 梅雨が明け、夏休みに入ったというのに、この日は一家族のみ。

 水の広場②  

 この水は、しかし、どこからきているのか。
 郭広場の裏側には黒目川が流れているので、その水を取り入れているというのは容易に想像がつく。
   

 そしてこの水はどこへ排出されるのか。
 周囲を探索しても川らしきものはないし、地図をみてもない。
 多分下水として土管(あるいは暗渠)から流されるのだろう。

パイプと電力装置    

 では水の広場の排水口すぐ近くのおびただしいパイプと電力装置はなに?
 これは電力を使って、水を循環しているのではないか。
   

 そんなことを思いました。

 昨日(08/03)内閣改造の新しい顔ぶれが発表されました。
 防衛大臣に稲田政務調査会長がなったのは「?」ですが、それよりも自民党の役員人事で谷垣幹事長が辞めたことに、「想像以上に悪いのか」と思い至りました。
   

 報道によると、谷垣氏は先月16日、都内でサイクリング中に転倒し、入院したと伝えられました。
 当初はそれ以上の発表はなかったので、「デイキャッチ」(TBSラジオ)の時事川柳では、
  

 女でも金でもなくてチャリでこけ
   

 と政治家を揶揄した名句(?)が飛び出し、やんやの喝采を浴びました。
   

 ところがその後の発表によると、谷垣氏の容態は頸髄(けいずい)損傷。入院直後ではすでに「もう党務は続けられない。後任の人選を急いでほしい」という状態だったとか。
 わかっていれば、こんな不謹慎な(?)句は出なかったと思われます。

 私はいつも自転車で徘徊(ポタリング?)しているので、これは他人事ではない。
 実は3ヵ月前、自転車を買い替えました。
 それまで23年間乗り続けた愛車「ロシナンテ号」がついにガタがきて、買い替えざるを得なくなったからです。
   

 「ロシナンテ号」はビーチクルーザーといって「砂浜でも走れる」とのことで、タイヤが太く頑丈なつくりでした。この間、後輪タイヤ2回、前輪タイヤ1回、チェーン1回取り替えました。ほとんど毎日、荒っぽい乗り方でしたが、よく持ってくれました。

旧チャリ「ロシナンテ号」     

 以前から「ロシナンテ号」のパンクなどを直してもらった近所の自転車屋さんに新車のことを相談しました。
 「当方はポタリングだけではなく、食料品の買い出しにも使う。タイヤもボディも丈夫で、三段変速、予算は4万前後が望ましい」
 すると、「ありますよ、丁度いいのが」と示されたのが、B社の実用車。登録料込みで4万円弱。
 「うーん」と思ったけど、安いのと色(濃紺)が気に入ったので買いました。
  

 早速乗ってみると、乗り心地はいいとはいえない。
 旧車は前傾姿勢で乗ったのに対して、新車は直立姿勢。しかもボディが重い。荷台には「チャイルドシートが取り付けられます」とある。
 なんのことはない、頑丈な「ママチャリ」を買ってしまった。
   

 ボディが重いので、荷台を外すことを自転車屋さんに相談したら、
 「前カゴに重い荷物を入れると、ハンドル操作がしにくいし、スピードも出にくい。むしろ後ろの荷台にカゴを取り付けて、それに入れたほうがいい」
 といわれたけど、それならバアさんの買物用チャリ。いやだ、いやだ。
 ということで荷台外しはしばらく保留。

新チャリ(名なし)    

 ポタリングといっても私が行くのは、遠くて東京都多摩地区(片道約25km)、多摩湖、狭山湖、さいたま市東部(約20km)ぐらい。川越(10km)はしょっちゅう行ってます。
 それほどのスピード重視ではないけど、川越~川島町の単調で人のいない道など、できるだけ早く通り過ぎたいと思います。
 またロードバイクに追い抜かれると、コンプレックスを感じることもあり、ブロガーさんの愛車などを見ると、どこか引け目を感じないでもない。しかし……。
   

 聞くところによると、谷垣サンはイタリア製のロードバイクを数台所有し、そのスピードは半端ではなかったとか。その挙句が転倒事故。
 京都の友人「日本一周チャリおじさん」(京都新聞にも載った)は突風に煽られて転倒し、肘を骨折したこともあったといいます。(ロードバイクは軽いらしい)
 恐ろしや。
   

 かくいう私も3年前にはロフトから落ちて骨折し、2ヵ月間入院しました。
 いらい自転車も慎重になっています。信号は守るし、下り坂はブレーキをかけながら。
 新車はママチャリに毛の生えたようなものだけど、一応は三段変速。
 今の私にとっては、これでいいのかな。風に吹っ飛ばされることもなさそうだし。

 九段に出ました。
 向かいは靖国神社ですが、そこへは行かずに神保町に向かいました。
   

 「あれは?」
 友人が指さしたのは丸っこい大きなビル。昭和館。
 ここは以前から気になってはいたのですが、いつも素通りしてました。

昭和館       

 昭和館は平成11年(1999)にオープンした国立博物館(厚生労働省社会・援護局所管)。戦中、戦後の国民生活を中心とした資料を展示しています。
 このとき(現在も)の展示は、「隣組(となりぐみ)ってなんですか?」
   
     

 隣組とは行政の指示によって各地域につくられた組織で、配給切符の割当や防空活動、資源回収などといった活動を行い、地域の団結を図るものでした。

隣組常会)昭和館パンフレット』        

 ♪とんとん とんからりんと となりぐみ~
 私も幼いころ(戦後)聞いたことがあります。
    

 ほのぼのとした歌で、回覧板を廻したり、ご飯の炊き方を教え合ったり、また戦時下なので、みんな一致団結して防災にあたりましょう、という建設的な心意気が感じられます。
    

 一方でこの隣組は国家権力の上位下達機関。
 組員同士の監視、思想の統制などといった、一人ひとりの生活を窮屈に感じさせる側面も併せもっていました。(解説書)
  展示ではやんわりと説明されていますが、これは「五人組」のような監視組織で、ちょっとでも国に批判的なことをいうと、「売国奴」と見なされ、憲兵隊に密告されました。

 防火訓練)昭和館パンフレット』    

 「いわゆる密告制度や。今でも近隣の某国がこれをやっとるな」
 「そう思うと、我われはあの国を笑えんな。ちょっと前までは日本もそうやったんやから」
 「それに報道でも『勝った、勝った』といわれ続けた。本当はあちこちで負けてたくせに」
 「ますます似とるな」
 「まあ、そんなこともやってたから、負けたともいえる」
 「するとあの国はもう長くないということか」
 「それはわからんけど、問題は我が国や。また『隣組』が復活するようなことにはならんでほしい」
 「ほんまやな」
   

 この企画展、今の時期には格好の催し物だと思います。

2016.08.02 千鳥ヶ淵の夏

 我われは写真展を観終え、千鳥ヶ淵に向かいました。水辺を歩いたほうが涼しいのではないかと思ったからです。

英国大使館    

 途中英国大使館を通り過ぎました。
 といっても裏側から。写真撮影は何のお咎めもなし。
 これがアメリカ大使館だと警官がすっ飛んできます。(テロリストの下見とでもいうのか。バカバカしい)
    

 「ここが千鳥ヶ淵戦没者墓地か。日本のアーリントン墓地やな」
 「そうや。ケリー国務長官とヘーゲル国防長官にそういわれた。もうすぐ敗戦記念日やな」
 とはいいながらも参ることもせず、ひたすら千鳥ヶ淵の桜並木を。

 千鳥ヶ淵   

 「ここは春は桜の名所で、大勢の人で混雑するけど、今の時期はさっぱりやな」
 「それでも緑に囲まれていて涼しいやん」

千鳥ヶ淵にて    

 千鳥ヶ淵の名の由来は、濠が千鳥の羽根を広げた形に似ていることによるそうです。(説明書きより)
   

 インド大使館の前が騒がしいと思ったら、パキスタンの人々(国旗で判明)が抗議してました。
 口々に「アサッシン、アサッシン……」
 アサッシンとは殺人の意味。はて?

インド大使館前    

 プラカードを見ると、
 「Stop Killing in Kashmir」
 とあります。
   

 「ははァ、カシミール地帯の紛争で、パキスタン人が殺されたものによるらしいな」
 「うん。こうしてみると、世界の紛争はわが国でも他人事ではないんやな」
   

 そんなことをしみじみ感じました。

 先月の29日(金)、京都時代の友人の写真展を観に行ってきました。
 場所は半蔵門のJCIIクラブ25ギャラリー。例によって関東住の仲間3人と。
   

 写真展は「写游カルテット」なる4人の出展で、塔をテーマにしたもの、鳥を撮り続けたものなど、それぞれ特徴があってなかなか面白いと思いました。

写真展①   

 気になったのはロッククライミングの写真。
 切り立った崖をふたりのクライマーが登っているのですが、非常に遠いところから撮っているので、登山家の姿は豆粒大。高いところを登っていることを表現したいのだろうけど、撮っている側も同じ高さのところから撮っているため、それほどの高低差が感じられない。
 ここは下から見上げるように撮ったほうがよかったのではないか。
 あるいは(可能なら)上から撮って、クライマーの足元に広がる下界の景色を取り込めば、高いところに登っているとわかるのに。
   

 私なんぞは海や港町、あるいはネオン灯る飲食街、そこにうごめく男女……などの写真が好きですが、そういうのはなかった。

写真展②    

 武蔵野の友人は自然の景色が好きなようで、
 「この鳥の一瞬の表情を撮るために、この人はじっと待ってたんやろな。その熱意が伝わってくる」と感心しきり。
 人の好みは様ざまです。
  

 「結局、写真展というのは自己満足やな」
 「そうや。まず自分が自分の作品に惚れる。それを人に観てもらいたいと思う。それがなかったら、人にも感動は与えられんと思うけど」

 カメラ博物館にて    

 ここでまた例の理屈っぽいヤツ(誰や?)が写真論をひとくさり。
 「今日の写真ではないけど、この前ある写真家の撮ったもので立葵(タチアオイ)の花びらのクローズアップがあったけど、立葵という花はあの細い茎で、誰の力も借りず2m近く真っ直ぐに立って、茎に沿って花を咲かせとる。この健気な姿を撮るには全体像を撮るしかない。でないと立葵の本質は伝わらん」
   

 お説ごもっともではありますが……。