お待たせしました。
 わが家から最も近い桜の名所「大井弁天の森」(ふじみ野市)の桜が昨日(03/30)満開になりました。
砂川堀 
 大井辨天の森は砂川掘用水路というドブ川が流れ、ふだんはなんの変哲もない場所ですが、春になると両岸に植えられた桜が咲くので、このときだけ花見客でにぎわいます。
早くもお花見 
 「やっと満開になったねえ」
 「満開にならないまま散ってしまうんじゃないかとハラハラしたよ」
 「満開にならないまま散ってしまうことなんかあるの?」
 「あるよ。10数年前そんなことがあった」
 たむろしているお年寄りの間でそんな会話が聞かれました。
櫻を背景に撮影 
 ここは埼玉県南西部では指折りの桜の名所です。
 私の見立てでは川越の新河岸川に次いで二番目。
 やっぱり川っぺりがいいのかな。桜の枝が川面に向かって垂れるから。
 これは重力というよりも「向日性」といって川面に反射した太陽光線の方向に枝が向かうのだとか。
川面に向かう桜 
 見どころは氷川橋周辺の桜。
 とくに下流からの眺めがいい。壮観です。(氷川橋①②)
氷川橋① 氷川橋②
 氷川橋は金網状の手すりで橋そのものの風情はありませんが、桜を引き立たせる効果があります。
 もっとも上流側からの光景(氷川橋③)はそれほどでもありません。
氷川橋③ 
 弁天橋は朱塗りの橋でまさにこの地を象徴する橋ですが、この周辺は桜の木が少ないので、まったく面白くない。ついでに撮っておいたけど。
弁天橋 
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 赤坂見附から弁慶橋に出て、弁慶堀を歩こうとしたのですが、桜はまだ二分咲き。
 「江戸川橋の川っぺりはもう咲いてたけど、ここはあかんな」
 「誰の心がけが悪いのや?」
 「すまん、ワシや」
 「またしてもキミか。迷惑ばっかりかけやがって」
 「許したりいな。正直に申告したはんのや」
       

 そこで紀尾井町通りを歩きました。この桜並木もまだ蕾。
 紀尾井とはこのあたり一帯に紀州、尾張、井伊の藩屋敷があったからということです。(標識)

ホテルニューオータニ 

 「あっち(右手)が清水谷公園や。学生時代、デモの集合場所やったな」
 「そうやった。ボクも静岡から何度かきたことがある。当時はもっと殺風景な公園やったけど、今はきれいになったな」
 「もうデモもないやろから、見栄えのええ公園にしたんやな」
         

 そこから紀尾井坂を上って四谷の土手へ。しかしここも三分咲き程度でした。
 「21日の開花宣言はなんやったんやろ」
 「開花宣言のあと寒かったからなあ」
 それでもその下で花見をしているグループもいました。
      

 喉が渇いたので、四谷でティータイム。
 「しかしワシら、こうして集まると関西弁丸出しやな」
 「私なんかふだんは完全にこっちにことばや。誰も京都出身やなんて思うてへん」
 「ボクは教師やっとったから、授業は関東弁やった。関西弁で授業やると生徒がちゃんと聞きよらん」
 「漫才と思われるのかな。それもおもろいけど、説得力に欠けるのやろうな」
    
 「私はこっちでは関西弁やけど、関西では『違う』といわれるで」
 「キミは人間がどっちつかずやからな」
 「そらまあ、私はええ加減やから……ほっといてくれ」

四谷の土手にて(左は上智大キャンパス) 

 さらに故郷について、
 「この年になると、京都が懐かしゅうてな。帰りとなるわ」
 「私は全然思わへん。たまに行くからええのや」
 「私なんか郷土愛は薄いで。ペラペラや」
 「オレなんか薄いどころか郷土憎や」
 「そらまた極端やな」
 
故郷に対する思いは人それそれです。
          
 そんなことを1時間ばかり話して散会しました。

 江戸川橋で桜を見たあと、銀座で小学校の同窓生(取手、我孫子、所沢、武蔵野)と待ち合わせ、大黒屋ギャラリー「京大写真部ОB会東京展」に入りました。
 京都時代の同窓生がこれに出展しています。

 「写真はようわからんな。絵画やったら、ある程度わかるんやけど」
 「そういうキミは絵画展に行ったら、『絵画はようわからん。写真ならわかるけど』というんやろ」
 「はははは。ばれたか」
写真展 
 会場では同窓生が出迎えてくれ、いろいろ説明を受けました。
 彼の作品は「君たちの夢は?」
 熊本の通潤橋(アーチ型の水路)を子どもたちが渡っている写真です。
 「これは橋の内部が水路になっていて、田植えのときに放水されるヤツやろ。TVで見たことがある」
 「上を小学生が歩いてるから、こんなタイトルにしたんか」
 「そうです」

 「しかしこの橋、こんな傾いてたかな。かなりの傾斜やで」
 「実はこれ、わざと傾けたんです。いかにも上り坂を上っているように見えるでしょ」
 子どもたちが急な坂を力強く上っている姿を表現したいという意図はわかるけど、こんな急傾斜に傾けるのは明らかにつくりすぎ。やり方があざといぞ。(いわなかったけど)
同窓生と 
 あとはいいたい放題。
 「この『道祖神の春』はええ写真や。道祖神の上で桜が咲いていて、その奥の山里の景色が見える。これは信州か? なるほど、安曇野(長野県)やね。するとこの桜は高遠桜やな。ピンクが濃いものな。そういうことをわからせてくれる」
 「恐れ入ります」
 「桜の花なんかアップで撮ってる人いるやろ。ソメイヨシノなんかクローンやからどこで撮っても同じや。どこの桜か、それを示してこそ写真の意味があるのや」
 「耳が痛いわ」
 「いや、これのことやなくて一般論や」

 「いやあ、写真展も面白いものやな」
 ということで、そこをあとにし、我われ5人は地下鉄で赤坂見附へ向かいました。

 昨日(03/27)午前中、江戸川橋で降り、江戸川公園へ行ってきました。
 さぞかし神田川っぺりの桜が見事だろう、あわよくばその奥の新江戸川公園の桜も見られるかもしれない、との目論見ですが、ありゃりゃ……。

対岸の桜 

 神田川沿いの桜は三分咲き?
 対岸の桜のほうがよく咲いているように思うのは、「となりの芝生」と同じ理屈?

駒塚橋にて 

 仕方がないので、咲いているところを重点的に撮りました。
 これは駒塚橋のたもと。

花見風景 

 それでも日曜日だったので、場所取りする人も多く、お昼近くなると、川っぺりの道路は弁当を拡げて花見するグループでびっしり。

小学生の野点 

 「野点やってまーす。無料でーす。ぜひ寄ってくださーい」
 法被を着た小学生が大きな声で通行人に呼びかけ。
 地域の子どもたちによる野点。女の子が神妙にお茶を点てているのが可愛った。

茶を点てる女の子 

 新江戸川公園は隠れた桜の名所とのことで、期待していったのですが、まったく咲いておらず、閑散たるもの。
 仕方なく引き上げようとしたら、椿山荘の庭園が開いていたので入りました。

椿山荘入口 

 ここは20品種120本の桜が植えられているそうですが、時期的にまだのものと、もう咲き終わったものとがありバラバラ。
 それでも雅桜、啓翁桜、陽光桜などは満開。

雅桜(椿山荘) 啓翁桜(椿山荘)

 ソメイヨシノに関してはまだ二分咲き程度。
 ただし三重塔(圓通閣)の前の桜は咲いていました。

三重塔とソメイヨシノ(椿山荘)

 これが見られるただけでよしとするかな。
 

2016.03.27 湘南海岸公園

 鵠沼海岸を東に進み、引地川にかかる鵠沼橋を渡ります。
 この橋から見る江の島の景色もなかなかのもの。

鵠沼橋 鵠沼橋から見た江の島

 歩道橋があったので上がってみました。
 海岸通りが一目瞭然。
 陸側は引地川。伏見の友の親戚の家はこの上流の橋の近くにあります。

鵠沼橋の歩道橋から見た引地川 

 反対側を見ると、向かいに江の島。
 そして手前は公園。これは県立湘南海岸公園。手前に四角い広場があります。これは?

鵠沼橋の歩道橋から見た湘南海岸公園 

 表記を見ると「聶耳記念広場」とあります。聶耳とはなに?
 聶耳(ニエアル)と読むそうで、これは中国の音楽家。
 昭和10年(1935)フランスに亡命しようとして日本に立ち寄った際、この藤沢の地が気に入ったそうですが、残念ながら遊泳中に事故死されました。

聶耳記念広場 

 その死を悼み、故郷の昆明市(雲南省)と友好都市藤沢市とで平和を祈念して建てられたのがこの記念碑と広場。
 聶耳先生のつくられた曲は今では中国の国歌となっています。
 (中国の国民はこの事実を知ってるのか)
 両国は仲良くしろよなあ。

聶耳先生の直筆碑 

 その広場からさらに東に進むと、鳩を持った巨大な男性像があります。これは「平和の像」
 明治以来、国の礎になった英霊、を顕彰し、戦争の悲惨と不幸を二度と繰り返してはならないという藤沢市民の悲願をこめて、昭和40年に建てられたものです。

平和の像 

 「おや?」
 小高いところに金属製のステージが見えます。展望デッキ?
 上ってみるとこれは津波避難のための施設。津波がきたら、遠くへ逃げるより高いところへ上がれ、との教訓によってつくられたもので、100人が避難できるとのこと。

津波避難タワー 

 この公園はいろんな要素が凝集されて、飽きないところです。
 ここから見る江の島の姿も、相変わらず素晴らしい。

海風のテラス 

 2016/03/25(昨日)午前9時30分、鵠沼海岸駅(小田急)に着きました。
 この時期、江の島を徘徊するのも面白いのではないかと思ったからですが、その前に伏見(京都市)の友人の思いを叶えてやろうという気持ちもあります。
 その願いとは、「鵠沼海岸から見た江の島を撮ってきてくれ」というもの。

鵠沼海岸駅 

 こちらとしては「お安い御用だ」という気で出かけたのですが、行くまでの小田急線の車中でメールのやり取り。「ついでにお前の縁(ゆかり)の場所も撮ってきてやる」
 彼の縁の場所とは引地川の某橋を渡ったところにある個人の住宅。彼が高校生の夏休み中お世話になった親戚の家だとか。

商店街   

 商店街を抜け、引地川に出て某橋を渡りました。
 「渡ったところの左側は小学校や。それらしき家などないぞ」
 「もう変わったのかなあ。しかし、そんなことはないはずやけど……」
 やや間をおいて、「そうや、××橋かもしれん。そっちへ行ってくれ」
 となりの橋です。

引地川

 こちらは道幅も狭く橋はかなり小さい。しかし橋のたもとには松が植えられていて、なかなか風情があります。
 渡ったところに草木で覆われた瀟洒な邸宅があり、表札を見ると件の家。
 「あったぞ。△△家が。しかしこの家は大きいなあ。横手に回ると同じ地続きでもう一軒ある。こっちのほうが大きい」
 「それやそれや。そっちは従兄の家や。湘南病院の外科部長をやっとる」
 「△△M哉という人やろ」
 「なんで知ってるねん?」
 「はははは。表札にそう出てるからや」
 「なんや、そうか」

件の家 

 「挨拶したほうがええか?」
 「好きにしたらええけど、いきなり行ってもなあ」
 「いくら従弟の友だちかも知れんけど、おかしなオッサンにいきなりこられたら先方も迷惑やろ。やめとくわ」
 ということで、邸宅と表札を撮って、海岸へ向かいました。

海岸通り(茂みの向こうが海) 

 広い通りに出ました。車の通行量も多い。しかしびっしりと樹木で遮られて海がまったく見えない。
 これが海岸通り?
 向かい側に渡る地下のトンネルがあって、それを通り抜けると海岸に出ました。
 左手に江の島が見えます。
 なるほど、江の島大橋から見る江の島とは違って独立した島に見えます。
 こっちのほうが俗化されてない感じでいいかな。
 「鵠沼海岸から見た江の島のほうがいい」と彼がいっていたのも分かるような気がしました。

江の島 

 写真を撮っていると、
 「右手に見えるのが伊豆大島だよ。昨日は見えなかった。この季節、珍しいんだよ」
 と近所の人らしきおじさん。

伊豆大島 

 してみると、今日は運がいいのかな?

2016.03.25 寒のもどり
 昨日(03/24)は寒かった。
 朝から冷たい雨が降り、日中でも10℃を下回る寒さ。真冬並み。
 冬の10℃だったらそれほどでもないけど、桜が開花したあとのこの冷えは堪えます。

 こんなときは徘徊も鈍るのですが、みんなから「徘徊老人」と呼ばれている以上、これぐらいのことで日和るわけにはいかない。
 「そうか。こんなときこそローマ風呂だ」
 とふじみ野市のエコパ(余熱利用施設)へ。

 「桜はまだまだだなあ」
 途中の砂川堀の桜は二分咲き(?)ぐらい。
 桜以外はまったく魅力がないのでパスし、裏手の榛名神社へ。
榛名神社・鳥居 
 由緒書によると、大昔このあたりは海だったそうで、船に乗った榛名大神がここに上陸したところ、岸辺につないだ船が岸から離れ、沈みました。それでも大神は助かったので、ここに社を建てたといいます。(お船山伝説)
 「伝説だから、なんとでもいえるだろうよ」
本殿 
 もっとも栗東の歴史研究家にいわせると、「伝説というのは、それだけで価値があるものや」というから、真偽を問うものではないらしい。
境内の桜 
 境内の桜の木もまだつぼみ。靖国神社の「開花宣言」、早くないか。
 もっともここは埼玉だからか。

 このあとエコパに入り、和風呂(今週は和風でした)で温まり、最後に冷水シャワーでじゅうぶん冷やしました。(冷やすことに意味があります)
 休憩室ではみんな寝転がっとるぞ。まあこれも休憩ではありますが。
エコパ・休憩室 
 エコパを出て地蔵院まで足を延ばしました。
 ここは20日に行ってきて21日にUPした通り、しだれ桜が咲き始めたところでしたが、ほとんど満開でした。ラッキーなことに枝にとまるシジュウカラを発見しました。
満開のしだれ桜 シジュウカラ?
 夕方になって取手の経済事情通から電話。
 「こんなに寒いといややなあ」といいながらも、
 「これでも俳句のことを考えとったんやで。あれは柿やないとアカンのやな」と、「柿食へば~」の解釈。
 「おう、今日は勘が冴えてるやないか」
 「そうや、この寒さで寒(勘)がもどったんや」

 勝手にいってろ。
 今回は桃太郎。これにはどんな教訓があるのか。
 その前に、この話は昔話ではなく、明治の頃の岡山の桃農家と産科外科医師の合作ということを踏まえていただきたい。
 また例によって取手の経済事情通に講釈。
    
 「桃から生まれた桃太郎というから桃農家はわかるけど、なんで産科外科医が絡んどるのや」
 「老夫婦が桃を割ったら、なかから赤ん坊が出てきた。これは帝王切開のことや。妊婦が高齢出産で産道が固かったから、医師が妊婦の腹を裂いて取り出したんや」
 「なんでそれを昔話にする必要があるのや」
 「当時、帝王切開手術は忌み嫌われた。手術に対する怖さもあるけど、『産道を自力で通らない子は弱弱しい』といわれていた。その偏見を取り除くために、医師がこの話をつくったんや。帝王切開で生まれた子でもこのようにすくすく育つ、と」
 
 「なるほど、丈夫な子になって『鬼退治してくる』というたんか」
 「鬼ヶ島というのは実在の島ではなくて世間のことや。『渡る世間は鬼ばかり』というやろ。桃太郎は成長して『世間の荒波に揉まれて立派な大人になって帰ってきます』といって家を出た」
    
 「それならお供のイヌ。サル、キジはなんや」
 「あれは人生の途上で出会う協力者のことや」
 「キビ団子で手なづけたというのは?」
 「ふつうなら小遣い銭やけど、そんな金は持ってないから、『よし、頑張ろう!』という激励のことばや」
 「なんや、巨人ナインの『声かけ』のようなもんか」
 「今でいうたらそうやな。ただし金銭のやり取りに関してはわからん」
    桃の花
 「では鬼退治というのはなんのことや」
 「あれはいろんな能力を持ったスタッフの協力を得て困難に打ち克ち、事業に成功したということや」
 「それで大儲けして大金を両親に持ち帰ったんか」
 「あれは具体的な金銀財宝ではなくて、青年が身につけた優秀な能力と立派な人格のことや。これが『宝物』や」
       
 「それで、救い出したお姫様と結婚したんやろ」
 「それがな、出向先のお局女に引っかかってな。『デキちゃった結婚』したんや」
 「なんや、なんのロマンもないやないか」
 「ええのや、子宝には恵まれたから」
        
 「たしかに宝物には違いない……しかし夢のない話やな。そんな話をつくった産科外科医とは何者や」
 「これは藪野紋史郎という高名な先生や」
 「いかにも藪医者みたいな名前やな。しかし紋史郎というのは聞いたことがある」
 「これがこの人物の幼少時の写真や。学芸会の写真でな、丸顔にチョビ髭生やしとるやろ。子どもの頃からいかがわしい(触診専門の?)医者の役をやっとった」
 「あッ、これは……」(絶句)
 「そうや」
 「ふーむ、この人のいうことなら信用するしかないな」(汗)
 「そうや、これが真実や」
    
 という結論に至りました。

 昨日(03/22)は天気もよく、暖かかったので山崎公園へ行ってきました。
 ここは別名「せせらぎ菖蒲園」というように6月になると数種類の菖蒲の花が咲き誇りますが、初春の時期でも桜園に植えられた数種類の桜が咲いて、楽しませてくれます。今は早咲きの桜が満開。

早咲き桜

 ひと際派手で見事なのがプリンセス雅。

プリンセス雅 

 寒緋桜。熱海寒桜。名前からして寒いうちに咲くとわかります。ちなみに河津桜はとっくに散りました。熱海より河津のほうが早いのだな。

寒緋桜 熱海寒桜

 コヒガン桜(高遠桜)。高遠って、信州の? 高遠城址は桜の名所といわれているけど、ここで見られるとは。

コヒガン桜 

 マメ桜。オカメ桜。なるほど、花弁が小ぶりだからマメ桜か。するとオカメ桜とはなんだ。花弁がオカメに似ているから?

マメ桜 オカメ桜

 陽光桜。敬翁桜。爺さんを敬えよ。(すぐブチ切れる爺さんはその限りにあらず)

陽光桜 敬翁桜  

 ソメイヨシノもあるけど、まだ咲いてなかった。今の時期、ここではソメイヨシノは影が薄い?

満開の早咲き桜  

 他にも横浜桜や八重桜、御衣黄桜もありましたが、これはソメイヨシノよりも遅咲き。
 ソメイヨシノが終わったらまたこようかな……。 

 3日前、取手の経済事情通と話していたときのこと、
 「今日のブログは浦島太郎やったな」
 「そうや」
 「しかし、なんで最後の俳句が<桃太郎>になっとんのや」
 「えッ、しまった」
    

 慌てて<浦島>に直したのですが、
 「キミは図々しいヤッちゃな。知らん顔して<浦島>に変えよる。どこかの国の政治家そっくりや」
 「いや、そんなつもりは……」
 「まあええ。その代わり、キミの解釈で昔話を説いてくれい」
 「そんな無茶苦茶な」

 とはいえこの男には逆らえないので、一回目は一寸法師。
 「これは一寸(いっすん)法師ではなくて、一寸(ちょっと)法師と読むのや」
 「ちょっとほうし? なんや、それは」
   

 「住吉(大阪)の老夫婦に授かった男の子の身長が一寸(3.3cm)なので一寸法師と名づけられ、法師は武士になりたいと針を刀にお椀の船で京に上ったんや」
 「そうや、そこで長者の家に住み込みで働くようになって、そこの娘を見初めたんやな」
 「そうそう。そこへ鬼がやってきて娘をさらおうとしたのを、法師が鬼の体内に入って針でチクチクやったものだから、鬼はたまらず法師を吐き出し、打ち出の小槌を落として逃げて行った。その打ち出の小槌を振ると、法師の身長が六尺(182cm)に伸び、立派な若者になって娘と結婚して、幸福に暮らしたという話や」

 「それは大体知っとるけど、この話の教訓はなんや」
 「これはな、男の<ヒモ願望>を表しているのや」
 「ヒモ願望って、男は働かずに女の世話になって生きるということやろ? そんなぐうたら男に罰(ばち)が当たるという公平原則の教訓はないのか」
 「ないのや。これは『男にはヒモ願望がある』というだけの話や」 
 「ということは、ヒモを正当化しとるんやな。働くのはアホらしい。男はみんなヒモになれ、と」
 「そういうこっちゃ」
   

 「それはわかったけど、キミのいう一寸(ちょっと)法師とはなんや?」
 「いくらヒモでも、なにもせんと徒食するわけにもいかん。ときどきは嫁はんを労わってやらんと。そこで、嫁はんを含めて世間にもちょっとぐらい奉仕する必要がある。だから『ちょっと奉仕』や」
 「そんなアホな」
  

  おあとがよろしいようで……。

 昨日(03/20)ふじみ野市の地蔵院に行ってきました。
 ここはいち早くしだれ桜が開花したところでした。

地蔵院 

 東京のソメイヨシノの開花はまだでも、ここのしだれ桜は江戸彼岸桜の変種なのでソメイヨシノよりは早いのです。
 そのため近隣のファンは多く、朝から花見客がちらほら。
 なかには車でくる家族連れもいて、知ってる人は知っている(当たり前だ!)隠れた桜の名所です。

しだれ桜① 

 地蔵院(真言宗智山派)は鎌倉末期の古刹で、このしだれ桜は樹齢390年近く。ふじみ野市指定文化財・天然記念物とされています。
 高さ6.3m、根回り周囲が3.9m、枝張りは最大7.5m。

しだれ桜②  

 しだれ桜の樹齢は300年程度といわれているので、この桜はとっくに寿命オーバー。そのため枝が重力に抗し切れず下がっています。
 「しだれ桜だから当然じゃないか」と思われるかもしれませんが、最初から垂れているのと枝が弱って下がっているのとでは大違い。そのため突っかい棒を施しているのです。
   

 臥龍売といい、しだれ桜といい、日本人は突っかい棒をした老木が好きだねえ。敬老精神、けっこうなことです。

六地蔵 

 境内のあちこちにいろんな地蔵があります。
 さすが地蔵院といわれていることはある。

子育て地蔵 

 私ぐらいの年齢になると、子育て地蔵にはもう縁がなくなって、ひたすら頼るのはぼけ封じ地蔵。ありがたや、ありがたや。
 今日も無事徘徊できますように。

ぼけ封じ地蔵 

 徘徊や虚仮(こけ)の一念遍路とす

カップル地蔵(?) 

 カップル地蔵(妙な取り合わせ?)は、どうでもいいかな。

 慶運寺から滝野川沿いの道を南下すると、左側に松並木の整備された道があります。これが神奈川宿歴史の道。
 横浜市によると、歴史や伝説を残すような場所にガイドパネルを設け、楽しく訪ね歩くことができるようにした散歩道とのこと。

神奈川宿歴史の道 

 通りの左側はお寺の壁が続きます。浄土宗の成仏寺です。
 同寺は鎌倉時代に建てられたとのことですが、幕末になると外国人に使われました。安政6年(1859)の開港時、ここはアメリカ人宣教師の宿舎になりました。

成仏寺山門① 

 本堂に住んだヘボン(James Curtis Hepburn、1815~1911)は医療に従事する傍ら日本最初の和英辞典を完成し、ヘボン式ローマ字を編み出しました。
 医師としてのヘボン博士は、眼病を患った岸田吟香を治療したり、三代目沢村田之助の左足切断手術も行っています。また毒婦高橋お伝の夫を診察したともいわれています。

成仏寺山門② 

 ちなみに「旅情」や「黄昏」で有名な女優キャサリン・ヘップバーン(1907~2003)はヘボン博士の末裔だそうです。

 また成仏寺の庫裡に住んだブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力しました。 

本堂  

 歴史解説には述べられていませんが、彼らの偉業の陰にはお寺のお坊さんたちの協力もあっただろうと思われます。
 ときには論争もあったでしょうが、お互い信仰に使える身、相手の教派を尊重し合うような、心の交流があったのではないか。

宿舎跡の石碑 

 門の右手には「浄土宗 成佛寺」、左手には「史跡 外國宣教師宿舎跡」の石碑が立っています。これこそまさにその証し。
 こういうところからも文明開化の風が吹いたとも思われます。

 成仏寺の門をあとにして松並木を江戸方面に向かうと、右手に横浜市神奈川地区センター、そのとなりに高札場が復元されています。

旧高札場 

 これは幕府の広報施設。法度や掟などを庶民に徹底させるために設けられた掲示板です。しかし明治に入ると広報手段が新聞などに変わったため、その役割を終えました。
    
 
神奈川の文明開化や風光る

 浄滝寺から滝野川を渡って上流方向に進み、京浜急行のガードをくぐると、右に大きな寺があります。これが慶運寺。 宗派は浄土宗。江戸末期にはフランス領事館として供用されました。
 それよりもここは「浦島太郎伝説」の寺として知られています。
慶運寺・山門
 その由来は非常に複雑なので、私がまたざっくり解説いたします。
 昔相模の国三浦の里(三浦市あたり?)の浦島太郎は助けた亀に連れられて竜宮城へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。3年の月日が流れ、父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。
   
 故郷に帰った太郎ですが、すべて見知らぬ景色。そこで玉手箱を開くと、なかからぱっと白煙、太郎はたちまちお爺さん(歌のまんまや)。3年と思ったのが300年経っていました。
 ここまでは従来の浦島太郎の話。
フランス領事館跡の石碑 
 太郎の両親はすでにこの世になく、武蔵の国白幡の峰(神奈川区白幡?)に葬られていると聞いてたずねてみると、ふたつの墓石が並んでいました。
     
 太郎は墓のそばに小さな家を建て、(乙姫様からもらった)菩薩像を安置し、両親の菩提を弔いました。この家がのち観福寿寺となり、「うらしまでら」と呼ばれました。
 明治5年観福寿寺は廃寺になり、聖観世音菩薩像は慶運寺に移されました。(神奈川区歴史あらかると) 
  浦島観世音菩薩の石碑
 なるほど、浦島寺の石碑の台座は亀、手水鉢も亀が設えられていて、それらしい風情です。
 考えてみれば神奈川区には浦島町や浦島丘、亀住町、白幡××町など、浦島太郎にちなんだ地名が多く、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があり、大口通には浦島太郎が足を洗った川の碑があるそうで、あたり一帯が浦島伝説の地のようです。 わが国には数多くの昔話があるけど、「浦島太郎」ほど不可解な話はない。昔話にはなんらかの教訓があるものですが、この話の教訓は……?
浄滝寺・境内
 息子が小学生のとき、「浦島太郎の教訓とはなにか?」を、よく父子で話し合ったものです。
 まず乙姫悪女説。「けっして開けてはなりません」というなら、最初から玉手箱など渡すなよ。(息子の意見)
 しかしこれは現実に目覚めさせるための乙姫の親切心? だとすると悪女ではないか。
手水鉢も亀の形 
 ならば「遊び呆けていればツケが回ってくる」→しかしそれは太郎の望んだことではなく、可哀相な気もする。
 →では亀を助けなければよかったのか→そうではなくて「助けても、お礼の竜宮城行きは拒否すればよかった」
 →「人に親切しても、報酬を求めてはならない」という結論に達しました。
 皆さんはどんな結論?

 浦島や父子の会話を深めをり

 桃太郎ではありませんぞ。
 悪いネ。取手君。 
 大綱金刀比羅神社から旧東海道を江戸に向かうと、JR東海道線にぶつかります。
 その線路沿いの高台にあるのが本覚寺。
本覚寺
 ここは1226年に臨済宗の寺として創建されましたが、神奈川湊を見下ろす格好の位置にあったため、戦国時代にはここをめぐって戦場になりました。
 曹洞宗の寺として再興されたのは1532年のことです
 
 江戸時代になると周辺は神奈川宿として栄えました。
 幕末の横浜開港時には、横浜港が一望できることからアメリカ領事館となりました。
青木橋 
 東海道線の線路を跨ぐ青木橋を渡ると第一京浜にぶつかりますが、その手前の宮前商店街(旧東海道?)を進みます。
宮前商店街 
 左側にあるのが甚行寺。ここは明暦2年(1656)に創建されましたが、幕末になって外国勢が入ってくると、フランス公使館にあてられたそうです。
 
 しかしここは関東大震災(大正12年)ですべての建物が倒壊焼失し、さらに横浜大空襲(昭和20年)で再度全焼しました。
 再建されたのは昭和46年(1971)になってから(「神奈川区宿歴史の道」より)とのことですが、本堂・客殿・敷地もコンクリートになってどうも味気がない。。
甚行寺 
 甚行寺からさらに歩くと左側に白い鳥居が見えます。これが洲崎大神。
 ここは建久2年(1191)、源頼朝が安房国(千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まる、と伝えられています。
 「江戸名所図会」によると、神社の参道の先が船着場になっています。
洲崎大神 
 幕末になって横浜港が開かれると、山道を大きく迂回する陸路は不便なため、横浜港と神奈川宿(今の青木橋周辺)を結ぶ航路が重要視され、この船着場は大いに賑わいました。
 むろんそれだけ騒動も考えられるので、警護に当たる陣屋も造られたとのことです。(「神奈川区宿歴史の道」より)

 その洲崎大神のわき道を入り、幸ヶ谷公園を抜けると浄滝寺に着きます。
 ここは文応元年(1260)、ここに庵を結んでいた妙湖尼が日蓮聖人に出会って帰依し、寺院を建てたものです。それにちなんで山号は妙湖山といいます。
浄滝寺・山門 
 ここも横浜開港期当初にはイギリス領事館が置かれました。
 こうしてみると、アメリカ、フランス、イギリスの領事館や公使館にはすべて寺院があてられていたことがわかります。
浄滝寺・境内 
 外国の行政事務をこなす施設として、当時は寺院しかなかったのです。

 旧東海道を歩く、前シリーズ(①~④)は起点の田中屋(参照)から京へ向かいましたが、今回は江戸へ向かうコースです。

田中屋から江戸方向 

 田中屋から江戸に向かう道はだらだらした下り坂。すぐ左側に大綱金刀比羅神社の赤い鳥居が見えます。

金毘羅神社・鳥居  

 社伝を読む限り、この神社の成り立ちは非常にややこしいので、ざっくり解説すると、
 平安末期ここより山上に飯綱社・飯綱大権現(のちに勝軍飯綱権現→大綱神社)、中腹に金刀比羅神社があったのを、明治43年(1910)山の崩壊で金刀比羅神社が崩壊、翌年再建の際、山の下(現在地)に移し、さらに山上より大綱神社を移し、両社を合祀して「大綱金刀比羅神社」になったとのこと。(どこが「ざっくり」だ)

拝殿と天狗 

 そのため、ここにはいろんなものがあります。
 まず大きな天狗のお面。
 江戸時代、天狗のお面を乗せた船が動かなくなり、その夜船頭の枕元に天狗が現れ、「神社に置け」とご託宣。その通りにすると無事に動いたことから、航海安全を祈るものになりました。

天狗 

 さらに洞窟があり、祭神が祀られています。
 ちょっと不思議な感じですが、これは弁財天だそうです。

洞窟 

 またここには一里塚が置かれていました。
 この塚は日本橋より七つ目に当り、土盛の上に樹が植えられた大きなものだったそうです。

弁天様 

 弁天と天狗が在す金刀比羅社
     

 季語がない? お粗末でした。

 句会というのは互いに句を選び合う(選句)ものなので、こちらも(3句×8人)24句のなかから5句(自分の句以外)を選びます。しかし今ひとつ惹かれる句がない。
     
 そんななかで私の選んだ句は、
     
 ①雛段と仏壇在す奥座敷
 ②初音聞く奥へ奥へと森の径
……○(特選)
 ③み仏の撫で肩ごしの初音かな
 ④初つばめ五百羅漢を縫うてをり
 ⑤明日あたり初音鳴くらむ風の色

     
 ①は雛段と仏壇の取り合わせが面白い。田舎の大きな屋敷の奥座敷を思わせます。これを「在す(おはす)」と敬語を使っているところが心憎い。この句は老先生と助手の先生以外の5票を集め、トップ賞。
     
 ②は私の「鶯に先達されし奥高尾」と同じ内容の句。期せずして「発想が同じ」という親近感から特選に選びました。(2票)しかし、この人は私の句を選んでくれなかった。
      
 ③は助手の先生の句。どおってことのない句ですが、「撫で肩ごしの初音かな」が決まっています。(3票)
 ④は老先生の句。川越の五百羅漢かと思ったら、そうではないらしく、山にある五百羅漢らしい。(4票)
     
 ⑤は「風の色」で明日あたり鶯が初鳴きするのでは? と類推するところが面白いと思って採りました。これは私の「議論尽き珈琲冷めし春の午後」を採ってくれた人の句。お相子でよかった、よかった。(4票)
    
 つまらない句をあげつらうのは本意ではありませんが、首を傾げたのは、
 ⑥馬鈴薯を植う白雲を千切るごと……(2)
     
 まったく意味がわからない。
 作者は老先生であるとわかり、その説明によると、ジャガイモの栽培はイモの芽の出ている部分を切って、切り口に灰をまぶし、それを地中に埋めるというもの。
 それはわかったのですが、それと「白雲を千切る」とはイメージがまったくつながらない。
 先生にいわせると、「馬鈴薯植える~」に有名な句があり、それをもじったとか。
 そういわれても、なんにもわからん。これは我われ素人相手の目くらまし?
    
 わかりすぎてつまらないのは、
 ⑦回廊を走る火の粉やお水取り
     
 下五「お水取り」なんていわなくても「走る火の粉」でわかります。
 TVの映像から一歩も出てなく、「この人ならでは」の視点がない。
 当人は「奈良の東大寺には行ったけど、お水取りの季節ではなかった」と説明したけど、そんないいわけせずに、「火の粉が飛んできて熱かった」という臨場感を句に表せ。
     
 みんな辛いことはいわないので、私ひとり辛口コメントになりました。
 お前にそんなことをいう資格があるのか、って?
 そんなことを考えたらなにもいえない。批評は批評。俳句の力量には関係ない。
 辛いことをいい合わない句会など、意味がないと思います。

 昨日(03/15)、ある句会に出席しました。
 以前、当欄で披露したのは
 ①鶯に先達されし奥高尾
 ②拍子抜け金冷法の水温む
 ③靴あとを重ねて踏むや磯遊び
 の三句でしたが、②の「金冷法」は気を衒っているような気がしたし、③はなんとなくしっくりしなかったので、直前になって差し替えました。
   

 したがって句会に出した句は、以下の三句です。
 
①鶯に先達されし奥高尾
 ②拍子抜け湯上り水の温みをり
 ③議論尽き珈琲冷めし春の午後
   

 出句者は先生を含めて8人(うちひとりが欠席当句)。
 私の得票と先生の評は
 ①鶯に先達されし奥高尾……(3)◎◎(老先生と助手の先生の特選)
 ②拍子抜け湯上り水の温みをり……(0)
 ③議論尽き珈琲冷めし春の午後……(2)
     

 ①に関しては老先生は大絶賛で、
 「まず『奥高尾』という地名がいい。あそこは真言宗(薬王院)のお寺なので『先達』ということばが効いている。これが『先導』とか『導かれて』ではつまらない。会心の作ですな」
    

 しかし②に関しては、季語の使い方に問題あり。
 「いいたいことはわかるけど、季語でいう『水温む』とは、野山が春めいてきたことを『川の水も温んできた』という比喩として用いるもので、湯上りにかけた水が温かった、では単なる実感。俳句としての味わいがない」
 なるほど。そういうものか。
 (「金冷法」を変える変えない以前の問題であった)   

    
 ③に関しては「春の午後、喫茶店で語りつくして、いつの間にかコーヒーが冷めてしまったという情景が上手く描かれていると思いました」と褒めてくれた人(男性)もいたけど、先生にいわせると、これは「議論尽き 珈琲冷めし 春の午後」の三段切れ。(よくない、とされている)
 さらにいうと、「春ではなくて『秋の午後』でもいいわけで、安直に『春』という季語を持ってきた」とのこと。いわゆる季語が動く(俳句の禁じ手)。
 ふーむ、いわれてみれば(俳句とは)そういう気もする。
        

 しかしこの②③に対しても老先生は○(並選)をくれている。(他の人にも)
 おためごかしの○なんかいらない。ボロクソにこき下ろしてくれい。

 先日の「句づくり」に対して、川越の友(俳句&短歌の達人)から「名句が生れる過程がよくわかりました。勉強になります」との皮肉メール。
 とくに「金冷法」はいたく気に入ったらしく、
 「金冷法採り入れたよとメールあり男やもめの友は○○」(○○は年齢)
 という短歌をしたためました。
         
 これについてはふだん「俳句なんて高尚な趣味に関心はない」といっていた取手の政治経済事情通が「なんや、俳句に金冷法なんか使いやがって」と珍しく食いついてきました。
 「いかんのか。誰も使わんような題材を句にするのがオレのやり方や。例えば一昨年の冬につくった『マフラーを刎ね上げ臨む尿検査』は宗匠がよろこんで並選をくれよった」
 「わかった。キミは奇を衒った句をつくりたいのやな」
 「奇を衒ったとは心外な……」
 とはいったものの、彼のいうことに一理あるような気がする。
 ふーむ、部外者のほうが客観的に見えるのかもしれない。
         
 その彼がいうには、
 「子規の『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』は、それがどないしたんや、という句やな」
 「たしかに、あれは子規だから名句なのであって、我われがつくっても『それがどうした』といわれるだけやろな」
 意外に鋭いところを衝いとる、と感心していると、
 「あれはリンゴやバナナではあかんのやろな」
 「リンゴやバナナでは字余りになるし、それに柿が季語やからな」
         
 「わかった。あれは法隆寺と子規のタイアップや。法隆寺の前に売店があって、そこで売ってる柿を食わんと、鐘が鳴らんようになっとる」
 「柿を食ったら、坊主が鐘を撞きよるんか」
 「そうや。」
 「ええ加減な」
 やっぱり俳句の本質からずれたことをいっとる。
 俳句を客観的に見てると思ったのは、買いかぶりだったか。
           
 それはともかく、「金冷法」は句会では変えようかな。
 女性票が獲れそうもないから。

 例によって取手の政治経済事情通との会話。

 東北の復興と福島の原発事故について。
 「ほんまに東京オリンピックなんて益体もないことをやりおって。あんなことに国家予算を割くなら、東北にどれほど多くの家が建つか」
 「オレも反対や。あの『Tokyo』と決まって、選手たちがワーッと抱き合ってよろこんでいる光景、今でも腹が立つ」
    

 「オ・モ・テ・ナ・シ……いうとった女もいたな」
 「あれできらいになった。フェンシングの選手もな。滋賀県出身なので応援してたのに」
 「彼らはスポーツ選手やから単純やけど、首相はタチが悪い。IOCをだましよった」
 「しれッとした顔で『アンダー・コントロール』というとったな。原発の汚染水はどんどん出て、溜まる一方やというのに」
 「臭いものにフタして、ええことばっかりいいよるのや。大体原発が100%安全なんて誰も思うとらへん」
    

 「東京電力や政府関係者もか?」
 「そうや。もし100%安全やったら、首都圏用の発電所は東京近辺に置くやろ。福島みたいな離れたところに置くということは100%安全やと思うとらへんからや。東京近辺で事故が起こったら大ごとやからな」
 「なるほど。すると福島は犠牲を強いられてるわけか」
 「犠牲ともいえるけど、いろんな施設を建ててもらったり、雇用も生まれたりでそれなりに潤っている部分もあるからな」
 「やり方が巧妙やな」
 「巧妙に見えるけど、所詮は浅知恵。こんなことになったら後手後手や。ほんまにアホな国やで」

 話は変わって、老後の社会貢献のことに。青少年の教育やボーイスカウトなどボランティア活動している同窓生のことが話題になりました。
 「彼らは偉いなあ。キミとはえらい違いやで。風呂に入りたいと思えば入る。横浜へ行きたいと思うたら行く。この前なんか、『河津桜見たいな』いうてたら、翌日行っとるやないか」
 「ええ生き方やろ」
 「ええことあるかい。勝手気ままなだけや。人の役に立っとるのか」

 「ずい分やないか。これでも老後の楽しい生き方を提示しとるんやで」
 「なにが楽しい生き方や。それはキミの自己満足や」
 「いや、これは無理のない等身大の楽しみ方や」
 「なにが等身大や」
          
 「そんなことをいうキミはなんや。社会に貢献しとるのか」
 「私は奥ゆかしいから、これまでいわんかっただけで、実は善行を施してるのや」

 「わかった。鳩にエサをやってたんやろ。取手の鳩オヤジとはキミのことやったんや」
 「そうや、動物愛護の気持ちから……違うがな」
 「そんなら職員に水かけたんやろ」
 「汗かいとったから、冷やしたろうと思うて……なにをいわすねん」

 *   

 「一日一善、けっこうですな。せいぜい全裸写真バラまかれんよう気ィつけや」
 「全裸写真、なんや、それ?」
 「おッ、キミも知らんことがあるんやな」
 と文枝が不倫相手の女から全裸写真をバラまかれた経緯を説明してやりました。
 「そんなの手違いでできることやない。女が意図的にバラまきよったんや。そもそも文枝がアホや。全裸写真撮られるような間抜けなことをするからや。私はそんな間抜けなことはせえへん」
 「せえへんって、そんな相手がおらんからやろ」
 「いや、おるで。キミにはいわんだけや」
 「ほんまかいな」
     

 今回は硬軟取り混ぜての話題(?)でした。

 翌日被災地の惨状をTVニュースで見て、胸がふさがりました。
 しかも津波による障害で救助隊の動きもままならないようでした。
      

 「あんた、無事だったか」
 朝霞市に住む年上の友人から電話がきました。
 彼は頻繁に電話を入れたものの、繋がらなかったそうです。
 「こちらの被害はTVの裏に収納したビデオがバラバラ落ちた程度だよ」
        

 その後も続々と友人・知人から、「生きてたか」と命の確認(?)電話。(生きとるわい)
 そして異口同音に「こんな大きな地震、初めてだ」
        

 その後は被災地の悲しい報道が多く、首都圏でも計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 そのため買いだめに走った人も続出し、その大半は我われ年配者。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに、首都圏の年配者は食料品や日用品を買い漁るだけ。
        

 我われ世代はオイル・ショックのとき、上の世代がトイレットペーパーを買い漁る姿を見て、「あんな年寄りにはなりたくない」と思ったはずなのに、その年齢になればそうなるのか。
 歴史は繰り返す、は本当だった。
        

 友人との会話も変わりました。
 「東北のニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙が出るよ」
 「オレなんかつくづく幸せだと思ったよ」
 「東北の人は我慢強いなあ。みんな純朴でいい人たちばっかりじゃないか。それがなんでこんな目に遭うのか。天の配剤は不公平だよ」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるよ」
 当時はニュースを見るたび自分の無力さを思い知らされました。
        

 また、そのときがきたらどうするか、ということを真面目に話し合いました。
 それも避難しているときに救助のヘリがきて、ひとりしか運べないという究極の選択です。
 「オレはもういいかな。子どもや若い人に譲るよ」
 「わからんぞ。そんなことをいうヤツに限って、いざそのときになって我先にロープにすがりついたりして」
 「そうかなあ」
 「いや、キミかそうだということではないけど、そのときにならないとわからない」
 「それはそうだけど、関東だってそんな危険がないとも限らんのだから、ある程度覚悟したほうがいいのではないか」
      

 関西の友からも連絡がきました。「そっちは大丈夫か。心配したぞ」
 大丈夫もなにも、(東北に比べると)心配されるのが申しわけないぐらい。
 ときおり余震もあるけど、慣れてくると揺れ具合で「今のは震度2」とか「1かな」と判断できます。TVで表示を見ると大体当たっている。
 「震度3ぐらいではもうおどろかないよ。秋に会おう。はははは、生きてたらな」
 「それはこっちだって同じだよ」
      
 当時の話題は震災に関することばかりでした。

 「おや、こんなところに梅が……」
 近所を徘徊していて、ちょっと写真を撮ろうと思ったのですが、カメラを持ってこなかったのでそのまま帰りました。
 カメラを持ってまた出るのも億劫なので、しばらくPCに向っていたところ、 グラグラ、グラグラッ!
   
 「…………?」
  地震だな、と思っていると、その揺れはユッサユッサと大きく、激しくなる。
  

 「大変だ!」
  食器棚の上に大きな電子レンジが乗っかっているので、それが落ちないように抑えに行きました。
  揺れはさらにグラグラグラッと激しくなり、しかも時間が長い。
 ドサドサッと音がしました。棚の上の資料の箱が落ちました。

 5分ぐらい揺れていたでしょうか。
 こんなに激しく、長い地震は初めて。

 ラジオを点けると、「震源地は宮城県沖、マグニチュード7.6、宮城県の震度7」
 その後マグニチュードは8.4に変わり、8.8と訂正されました。
 南関東でも震度5強。こちらでも最大級の地震でした。
   
 夜のTVニュースを観ると、東北地方の被害が甚大であることがわかりました。
 とくに津波が沢山の車を押し流し、河をさかのぼって人家や畑を飲み込んで行く様子にことばを失いました。
 これが「1911.3.11東日本大震災」の日でした。

 ある句会の兼題が「鶯」。そこで、
 ①-a山林を抜けて蒼穹うぐひす鳴く
 あまりに平凡かな。
 ①-b鶯や山岳ギャルを先導し
 
 中七の「山岳ギャル」がしっくりしない。特定の名詞は使わないほうがいいと、
 ①-c鶯に先導されて山歩き
 先導より先達のほうが意味深いのでは。それに「山歩き」では一般的なので、むしろ特定の山にしたほうがいいか。有名なのは高尾山だけど……。
 ①-d鶯に先達されし奥高尾
 今年になって湯上り時に冷たいシャワーを全身に浴びるようになりました。これをやると直後は皮膚がキンキンに冷えるのですが、そのあとジワーッと熱くなってくる。外へ出ても湯冷めしません。
 しかし最近その水が温くなって、どうも気が抜ける。その気持ちを、
 ②-a湯上りの水の温みて拍子抜け
 下五の「拍子抜け」は不要な気がしたので、
 ②-b湯上りの締めのシャワーの温みをり

 これでは説明的なので、やはり「拍子抜け」は活かしたほうがいいのではないか。ならば上五にと、
 ②-c拍子抜け湯上り水の温みをり
 しかしこれではインパクトが弱い。そこで、
 ②-d拍子抜け金冷法の水温む
 金冷法とは全身ではなく、ある特定の部分を冷やす健康(強精?)法ですが、これを高らかに謳った句は聞いたことがないので、これにするかな。
 「磯遊び」の句もつくってやれと、
 ③-a五丁連一度もならず磯遊び
 ③-b靴あとを重ねて踏むや磯遊び
 ③-c砂浜をさすらふだけの磯遊び
 の三句をつくってみました。このなかでは③-bがいいかな。
 あとは去年つくった花筏の句の続き。
 ④-a俤を冥府へ運ぶ花筏
 これを具体的にして、無常観を出そうと、
 ④-b賑わひを冥府へ運ぶ花筏
 ④-c華やぎを闇へと運ぶ花筏
 この闇とは新河岸川の暗渠部分のことなのですが、ちょっと無理があるかな。そこで、
 ④-d花筏宴をお江戸へ流しけり
 ④-e夢のあとお江戸へ流す花筏
 ということで次の三句に決定しました。

 ①鶯に先達されし奥高尾
 ②拍子抜け金冷法の水温む
 ③靴あとを重ねて踏むや磯遊び

 
 花筏の句は中七の「お江戸」がしっくりこないので考慮中。時期的には四月でもいいので来月に回すつもり。

 昨日(03/08)は午後から天気が良くなり、気温も高くなったので、富士見市の「難波田城公園」に行ってきました。
武家ゾーンの梅①
 ここは中世にこの一帯で活躍した難波田氏の城館跡を整備して公園にしたもの。
 6年前、初めて訪れたとき、「こんな立派な城址公園が無料で入れるのか」と驚いたものですが、慣れると「そんなものか」と思うようになり、最近ではなんの有難みも感じなくなりました。
 (人間が横着なのです)
武家ゾーンの梅② 
 ひょっとしたら、あそこで梅が見られるかもしれない。
 そう思って足を延ばしました。
 
 案の定梅は咲いていましたが、なんだか物足りない。
民家ゾーンの梅 
 梅の木がそれほど多くなかったのと、他のところは見慣れているので飽き飽きしているから。
 (ひとえに横着だからです)
座敷 
 しかたなく、座敷と展示されていた昔の玩具を撮ってきました。
昔の玩具 
 今となっては懐かしい看板も。
懐かしの看板 
 水原弘の「キンチョール」がなかったのが残念

 例によって取手の政治経済情報通との会話。
 「沖縄の翁長と安倍が和解したというやろ。あれは欺瞞や」
 「そうやろな。互いに平行線で譲り合わん者同士が急に折り合うわけないと思ったよ」
 「安倍は辺野古への移設計画は変わらんというとる。アメリカもその方針や。工事中断するというても一時的なことや。おそらく選挙対策やな」

 「すると選挙が終わったら工事再開するつもりか」
 「もちろんそうや。翁長は妙な妥協しおった。安倍の思うツボやで」
 「翁長は突っ張ることに疲れたのかな。国側の魂胆をある程度知りながら、裁判所の和解に応じたフシがある」
 「しばし停戦。それだけや」
  
 「あの翁長と安倍の握手を見たとき、<和をもって尊とし>ということばが浮かんだわ。日本では美徳とされてるけど、世界では馬鹿にされるだけや。意見の衝突があっても『ま、ここは仲良く』なんて、問題解決の先送りや」
 「そうや、今回の和解がそれや。なんの解決にもなっとらん」
 「アメリカも呆れとるやろな」
 「まあ、オバマやから呆れるぐらいですむけど、トランプになったら、『なにをグズグズしとんのや、早うやれ』いうてきよるで」
  
 「トランプは、日本が攻撃されたらアメリカは助けんならんけど、アメリカが攻撃されても日本は助けよらん、こんな不公平なことでいいのか、といっとるな」
 「日本にも『兵、出せ!』というてくるで」
 「それなら、安倍にとっては渡りに船や。『それには憲法を変える必要があります』といって、国民にアピールできるしな」
 「安倍にとってはトランプのほうが都合ええかもしれん」
 「なにしろ本国の意向やから、日本国民は逆らえんな」
 「そやからいうたやろ。星条旗の星の51番目に日の丸をポチッと入れたらええのや」

 「それにしても、なんで日本のジャーナリストは本当のことをいわんのかな」
 「それはタブーとされてきたんや」
 「なにを恐れてるのや。高市(総務相)にコケにされて怒ってたけど、ひとりぐらい『オレが真実をブチまけたる』というヤツがおらんのか」
 「いうたのは山本太郎議員と自民党の丸山だけや」
 「丸山の場合は失言やけど、あれは政権にいる人間の実感でもあるわけや。だから躍起になって隠しとる。マスコミがその手助けすることはない」
 「しかし、そのうちぽろぽろ出てくるかもしれんで。タブーが解禁されるときというのは案外そういうもんや」

 「タブーというたら、もうひとつあるぞ」
 「あれやろ。あれはヤバいで。いうたら」
 「日本の国の根幹に関わってくることやからな」

 ムニャムニャ、ムニャムニャ……。
 昨日(03/06)はびわ湖毎日マラソンを観ました。
 この大会はリオ五輪代表選考界でもあるとのことですが、そんなことはどうでもいい。
 コースが好きな琵琶湖沿いの道であること、埼玉の星・川内優輝君(埼玉県庁)がどこまでやってくれるかに興味があるだけ。
瀬田唐橋 
 前半はトップ集団6人すべて外国(アフリカ)勢。
 第2集団は日本人の有力選手を含め、50人ほど。
トップ集団 
 どうやらペースメーカーが二通りあるらしく、日本人選手は「内輪の勝負」にこだわっていることがわかります。これはつまらん。
第二集団 
 せめて川内君がトップ集団に出て行ったら面白いけど、彼は苦しそうな顔して集団からどんどん遅れていく。これはダメかな。
川内苦しい 
 17kmあたりからキタタ(エチオピア)が独走。早い早い。2位グループのアフリカ勢5人とも大きく話してぶっちぎり。歩幅も伸び、軽快に走っているけど、はたしてこのまま続くのか?
首位キタタ 
 20kmを過ぎて、棄権者が続々。ヨーロッパ系の選手も。予想外の暑さのせいか。
 川内君はずるずると後退。

 30km近くになってキタタのペースが鈍ってきました。首位を走っているものの、足はヘロヘロ。それどころか蛇行している。後続のアフリカ勢に抜かれるのは時間の問題。
 第二集団では日本勢が北島寿典(安川電機)、丸山文裕(旭化成)、石川末広(Honda)、深津卓也(旭化成)、井上大仁(MHPS長崎)の5人に絞られてきました。川内君は話題にも出ない。
終盤のデッドヒート 
 35km近くでロティチ(ケニア)がキタタを抜いて首位。さらにシンブ(タンザニア)にも抜かれました。そのキタタを丸山が抜いて3位に。以下北島、石川、深津が続きます。

 40km近くになって石川、北島、深津、丸山の3位争い。石川が先頭に出て、2位のシンプを追いかけるが差は縮まらない。それどころか後からきた北島に抜かれてしまう。
ロティチ優勝 
 競技場ではロティチが2時間9分11秒で優勝。
 3位で競技場に入った北島は最後の直線でシンプを抜いて2位でゴール。タイムは2時間9分16秒.
 3位シンブ、2時間9分19秒。
 4位石川、2時間9分25秒。
2位北島 
 意外なのは川内君。
 4位、5位あたりがゴールした直後、競技場に入ってきて、前の走者中本健太郎(安川電機)を目の色変えて追い抜きました。「こいつだけには負けたくない」という意地からか?
川内が中本を猛追
 だったら中盤に意地を出せよ、といいたくなるけど、それができれば苦労はない。結果は7位で2時間11分53秒。
 川内7位でゴール
 ちなみに中盤飛ばしに飛ばしたキタタ君は16位に終わりました。2時間16分9秒。
 もっとも彼はまだ若いから、今回のことを糧としてさらに躍進するでしょう。

 ふじみ野市の福岡中央通りに「朝日天神」なる神社を発見しました。
 入口の石柱には「神道天神教會本部」とあります。
 するとここが天神様の総本山?

朝日天神・入口 

 だったら梅も咲いているだろう、と思って入ってみたら、境内にちらりほらりと紅梅と白梅が……。それも咲きは今ひとつ。

梅① 

 はたしてこれが天神か、と思ったのですが、境内の「御由緒略記」によると、
 「天之御中主神、……略……イザナミノカミ、イザナギノカミ、以上の五柱を総称して『朝日天神大神』と申し上げております」
 と高らかなるご託宣。

梅② 

 「御神徳(ご利益?)は多方面に渡り、国土守護、家内安全、身体健康、病気平癒、交通安全、学業成就など諸願成就をお守りくださいます」とよきことばかり。
 ははーッ、ありがたき幸せ。

鳥居と拝殿 

 さらに御由緒は、
 「有栖川宮熾仁親王を総裁に戴いた神道事務局の……略……」と、やはり神道の大御所らしい。

 こちらも恭しくお参りしました。

石像? 

 しかしこの天神社、ふじみ野市の地図にも、GoogleMapにも載ってない。
 なんらかの理由で掲載を拒否してる?

野草園 

 よくわからないけど、謎多き神社です。

 県道東大久保大井線(272号)の254陸橋の近く。
 陸橋を渡れば市の余熱利用施設「エコパ」ですが、その手前の民家に鮮やかな河津桜。

272沿いの河津桜 

 先月、ひと足早く三浦海岸で見てきただけに、こちらの河津桜も気になります。

桜の前に紅梅が 

 「おや?」
 よく見ると、河津桜の手前に紅梅。
 色としては紅梅のほうが強いのですが、遠くから見るとあまり目につかない。
 (花弁が大きいから?)河津桜の力おそるべし。

紅梅 

 ここはふつうの民家。(といっても敷地はかなり広い)
 他には白梅もちらほら咲いており、敷地内に入ると大きなしだれ梅が……。

 白梅は今ひとつ

 図々しいかな? と思ったけど、少し入ってパチリ。
 ほどなくして犬を連れた女性が出てこられたので、
 「あまりにきれいなので、撮らせていただきました」
 「どうぞ、どうぞ」

しだれ梅 

 「この河津桜はいつ頃咲きましたか?」
 「よく覚えてないけど、先月の22~23日ぐらいだったかしら」
 「なるほど。先月の19日に三浦海岸へ行ったのですが、もう満開でした」
 「あっちは暖かいから早いんでしょうね」

アップ 

 「現地でも、今年は早い、といってました。やはり暖冬ですかね」
 「でしょうね。でもこの河津桜は咲いてる期間が長いんですよ」
 「たしかに。三浦海岸の河津桜は今は葉桜になって一部散り始めてるというから、1ヵ月ぐらい持ってることになるのかな。ソメイヨシノの倍ぐらい持ちますね」
 

民家の入口に

 そんな会話をして、そこを辞しました。
 そのあと陸橋を渡ってエコパでひと風呂浴びたのは、いうまでもありません。

 上福岡駅前から南西に延びる上福岡中央通り。
 この道は歩道がゆっくりとられ、なかなかの風情があります。
 富士山が見える個所があるとのことですが、昨日(03/03)は見えなかった。
河津桜① 
 この通りの一画に河津桜が咲いているところがあります。
 一本だけですが、これが意外に華やかで立派です。満開だったから?
河津桜② 
 おそらく木の熟成具合にもよるのでしょう。
 (先日の富士見江川はまだ幼木だったからショボかった?)
河津桜のアップ写真 
 足を止めてつくづく桜を見る人は皆無でした。
 この通りは駅へ歩く人が多いので散歩気分ではないのかな。
謎の石柱群 
 この河津桜の近くに妙な石柱が数本立っています。
 その一本の石柱に書かれているのは「エリーゼのために」の真相(?)
   
 それによると、この作品はベートーベン41歳のとき作曲されたものの、当時彼の知り合いのなかにエリーゼという女性はいなかった。後年ベートーベンの筆跡研究家が調べた結果、エリーゼではなくて「テレーゼ」とも読めるとのこと。テレーゼなら、当時彼が想いを寄せていたテレーゼ・マルファッティではなかったか、というものです。
「エリーゼのために」の楽譜の一部 
 うーん、エリーゼでもテレーゼでも今となってはどうでもいいんじゃないの。これが名曲であることに変りはないのだから。

 白山神社からさらに1.2km南下したところにある圓福寺。
 ここは金光恵比寿のお寺だそうです。

圓福寺・山門 

 境内の由緒書をかいつまんで説明すると、

 昔、漁夫が金田湾の海上に光るもの拾い上げたところ、黄金の恵比寿像だったので村人のお守りにしていたところ、旅僧の
 「この恵比寿尊(海の幸)と、地蔵尊(田の幸)をここに祀りなさい。さすればこの里は栄えること間違いなし」
 とのお告げにより、天文17年(1548)村人が鎌倉光明寺の伝設大和尚を招いて開山とし、草庵を現在の地に移して金田山円福寺(浄土宗)としたとのこと。

境内 

 黄金の恵比寿像なんて海に浮かんでるわけないじゃないか、なんていいっこなし。
 栗東の歴史研究家にいわせると、そういう伝説があるということが大事なんだとか。

鐘楼と本堂 

 当然ながら、三浦七福神巡りでは恵比寿様のお寺です。

本堂 

 鐘楼はなかなか立派です。

 ここでも河津桜が咲いていました。

ここにも河津桜が 

 境内にある七福神の石像。
 恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の七神です。

七福神 

 ははーッ、ありがたや。
 心してお参りしろよ。

 三浦海岸駅から1.7kmほど南下したところに白山神社があります。

白山神社・入口 鳥居

 由緒書きによると、当初は元白山宮と称し、三浦義同(よしあつ)の家臣菊名左衛門重氏の守護神だったとか。

参道 

 三浦一族は北条早雲に討ち滅ぼされたため、菊名一族も滅び、神社は荒廃しましたが、江戸時代になって村民によってこの地に再興されました。

拝殿 

 現在では海上安全・大漁満足・家内安全などの神様として信仰されています。

古墳への上り口 

 拝殿からさらに上ったところに「切妻造妻入形横穴古墳」があります。
 奥行き5.4m、幅2.7m、高さ1.7m。

石段を上る(右が古墳) 

 天井は切妻造りになっています。やはり由緒ある古墳らしい。

横穴古墳 

 ここは三浦市指定文化財になっているとか。なるほど。

古墳の内部