2015.08.31 大国魂神社
 府中市の大国魂(おおくにたま)神社は「東京五社」のひとつに入っています。
 東京五社とは、東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮、大国魂神社のことで、いずれも格式の高い神社ばかり。五社巡りすると大変なご利益があるそうです。
 
 ところが府中に住んでいたころは散歩のついでに寄る「近所の神社」にすぎず、何のありがたみもなかった。もっとも京都に住んでいたころは、近所の「真如堂」など、何のありがたみも感じなかったから、地元の感覚というのはこんなものかもしれません。
鳥居 
 神社の入り口にあるケヤキの木はとくに立派で、しめ縄が張られています。
 しかし巨木ゆえに落雷の被害も多く、上部はバッサリ切られています。
入口にある大ケヤキ 
 参道の突き当りが随神門。えびす、大黒像が門を守っています。
随神門 
 ここをくぐると宝物殿があり、有名な大太鼓も展示されています。
 30年ほど前、弟と入ったとき、弟が悪戯心を起こして叩こうとしたら、ピーッと警告音。
 係の人に「だめですよ」と注意されました。
宝物殿  
 そんな不心得者があとを断たないため(?)、今は閉鎖されています。

 そこから中雀門をくぐるとようやく本殿が見えます。
中雀門 
 大国魂神社の歴史は古く、大化の改新(645)のころから「武蔵総社」と呼ばれ、祭務を司っていました。
 江戸時代に入ってからは寛文7年(1667)に家綱が社殿を造営し、現在に至っています。社号が「大國魂神社」になったのは明治4年(1872)になってからのことです。
拝殿 
 本殿の裏手にしめ縄を張られた巨木があります。
 これは御神木である大イチョウ。
御神木・大イチョウ 
 今回、ここをお参り(徘徊?)して、鳥居や随神門あたりからでも本殿に向かって恭しくお辞儀している人を何人か見かけました。
 高校時代にそんな友人がいたなあ。もう亡くなったため、再会は叶わなかったけど。

 私は本殿で拝するのみ。
 祈りの姿勢は人それぞれです。
スポンサーサイト
 京王線府中駅を出ると西側に大きなケヤキ並木があります。
 北は農業高校から南は大國魂(おおくにたま)神社の鳥居まで約600mの参道の両側に、150本あまりのケヤキの木が植えられています。これが馬場大門ケヤキ並木。
神社から見たケヤキ並木  
 ここは1062年、源頼義、義家父子が前九年の役の戦勝祈願御礼として、ケヤキの苗1000本を寄進したことに始まるといわれています。今では日本国指定天然記念物です。
 馬場大門と呼ばれているのは昔ここに馬場があったから。
大國魂神社の前 
 歴史が古いだけに枯れた古木もあり、それらは調査した上、切り取られています。
 以前に比べると歯抜け状態に見えるのはそのためか。
切り取られた古木  
 「Foris」の前あたりに源(八幡太郎)義家の銅像が建っています。
 なかなか凛々しいお姿です。
義家像のあるところ 凛々しいお姿 
 この並木道は、府中に住んでいたころは散歩道であり、駅に向かう道でもありました。
 どんなに疲れて都心から帰ってきても、このケヤキ並木に着くと疲れが取れたような気がしました。
ケヤキ並木
 この並木道は車道、歩道、自転車道に分かれていますが、自転車道には数多くの自転車が置かれています。
 これは「ちょこりんスポット」といわれ、3時間以内なら駐輪OK(無料)。
 整備するおじさんもいます。
駐輪場 
 都心では駅前の無法駐輪自転車が問題になっていますが、ここは皆無。
 行政がそれだけ金をかけているわけです。

 埼玉にきてつくづくそれを思い知らされました。
 こちらにも「ケヤキ並木」を呼称するところは数多くありますが、これほど歴史があって風情のあるケヤキ並木は他にありません。
 府中市の学園通り。
 ここにカトリック府中墓地があります。
 昔この近くに住んでいたころ、幼い息子を連れて界隈をよく散歩しました。
カトリック府中墓地・全景 
 「あれは……?」
 「お墓だよ」
 「お墓って?」
 「死んだ人が眠っているところだよ」
 「ふうん」
墓石① 
 息子は好奇心の強い子で、見慣れないものを見るとすぐ「あれなあに」「これなあに」と聞いてきました。
 こちらはそれが面白く、いつもまじめに答えました。
 ときとして難しいことも話したので、幼い子に理解できたかどうか。
墓石② 
 この墓地には何回か入りました。
 「あれは?」
 「十字架だよ」
 「十字架?」
 「お祈りするところだよ」
 「お祈り?」
 「そう、お祈りだよ」
墓石③ 
 お祈りの仕方を教えました。
 私の家系はクリスチャンですが、私はそうではありません。
 けれども宗旨に関係なく、祈る心は大事だと思ったからです。
 したがって十字は切らず、手を合わせて瞑目するのみ。
 これは教会だけではなく、神社仏閣、どの宗教施設も同じです。
 あれから40年近くの月日が流れました。
 当時はもっと緑が多かったように思います。墓石も素朴でした。
テーブルも 
 しかし今は洒落たものが多く、バラエティに富んでいます。
 (不謹慎ながら、墓石も撮らせてもらいました)

 マリア像もこんなにあったっけ。不思議な思いでした。
マリア像 
 墓地のほぼ中央にひときわ高い十字架が建っています。
 お祈りをして写真を撮らせてもらいました。下にはこう書かれています。
 「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。(ヨハネによる福音8章12節)ペトロ岡田武夫」
中央の十字架 
 ペトロ(ペテロ)といえば私じゃないか。(洗礼名です)
 およそ違う生き方をしている?
 いや、そんなことはない。多少なりとも「命の光」は持っているだろう。
 そんなことをつぶやきながら、墓地をあとにしました。
 何の脈絡もなく小金井公園。
 面積約80haの広い公園です。上野公園の1.4倍。
 春は桜の名所で賑わいます。品種はソメイヨシノではなく、花弁がぽってりしたコガネイザクラ(ヤマザクラ)です。(日本さくら名所100選)
宿根草花壇①
 春とは違ってこの季節、閑散としていますが、初秋には初秋の花が咲き、散歩するには格好のところ。年配の方々がしっかりした足取りで歩いておられました。
宿根草花壇② 
 写真は宿根草園花壇。
 宿根草(しゅっこんそう)とは多年草のなかで、冬には枯れてもそれが過ぎるとまた発芽して生育を始めるものだそうです。
蒸気機関車① 
 またここにはSLが展示されています。
 国鉄C57形蒸気機関車186号機と、国鉄スハフ32形客車2146が連結された状態で保存されているでのすが、公開日は土日のため近くで見ることはできず、柵の外から。残念。
蒸気機関車② 
2015.08.27 眼科検診
 昨日(08/26)は午前中近くの病院の眼科に行ってきました。
 4年ほど前からドライアイと診断されてから、2~3か月に一度(実態は点眼薬が切れたら)受診するようになりました。
 今回は目ヤニが出て(情けない)、ヒリヒリするような痛みを感じたので、点眼薬(ヒアルロン酸)の使用頻度が多くなり、早くなくなりました。
病院 
 まずは検診の前の視力検査。
 片方ずつ分厚いレンズをつけて、視力検査表に示された輪っか(ランドルト環)の切れている方向を答えるというもの。
 「これは?」
 「右です」
 「これは?」
 「下」
 「これは?」
 「左……」
 と、小さい輪に移行していくのですが、私は「わかりません」と答えるのが口惜しいので、すべて答えています。

 これを以前取手の友に話したところ、
 「そんなんあかんで。わからんときは『わかりません』といわんと検査にならん。そもそも『口惜しい』とはなんや。クイズとは違うで」と笑われました。

 とはいえ当てずっぽうに答えていても、外れていたら検査技師の方は同じ大きさの輪を指すので、おそらく見破られていると思います。

 次に主治医による診察。
 「最近、目ヤニが出るんですけど」
 「湿気が多いとどうしてもね。あ、これは結膜炎ですね」
 「結膜炎、ですか」
 「そう、今回は点眼薬を変えましょう」
 と目を洗って終わり。
 薬局で「ペガモックス」という点眼薬を処方されました。

 夜になって目がヒリヒリしてきたので点眼薬をつけたところ、うッ、沁みる。
 それでもしばらくそのまま目を閉じていると、沁みは収まり、ヒリヒリ感もなくなってきました。なるほど、これが点眼薬の効果というものか。

 当分はこれをつけることになります。
 改善すればいいのですが。
 昨日(08/25)夕方、東急線が全面ストップし帰宅時間と重なったため、駅には足止めされた客があふれかえり、とくに渋谷駅は大混乱になりました。
 これは夕方のニュースで報じられましたが、夜9時のNHKニュースではトップニュースに。

 原因は信号機の誤作動とのことで計312本が運休し、再開したのは午後10時過ぎ。およそ36万人に影響を与えました。なかには40分間も社内に閉じ込められた乗客もいたそうです。
 またこの影響で東急各線と直通運転している東京メトロ南北線、副都心線などにもダイヤの乱れが出たそうです。

 東横線(渋谷~横浜間)の運休は埼玉県民にとっても他人事ではありません。
 東武東上線と直結しているからです。

 一昨年3月16日、東急東横線と東京メトロ副都心線がつながることによって、みなとみらい線→東横線→副都心線→東武東上線がつながりました。
 これは横浜好きの当方にとってはこの上もない朗報。

 これまでは渋谷で乗り換えていましたが、手間と時間がかかりました。
 他には池袋でJR湘南新宿ラインに乗り換える方法もありますが、これは運賃が高いし、しかも中華街は行かない。
 というわけで乗り換えなしの直通運転は願ったり叶ったりでした。

 これは単に当方がよろこんだというのではなく、昨年の報道によると、渋谷~横浜観の東横線の利用客は前年同期比で10.1%増。他のみなとみらい駅で20.4%増、元町中華街駅で9%増。
 横浜市の調査でも、昨年1年間にみなとみらい地区を訪れた人は7200万人で、前年比500万人増。また「そごう横浜店」でも和光市、朝霞市、所沢市のメンバーズカードの利用客が30%近く伸び、呼び出しも増えたそう。(読売新聞)

 これは埼玉県側も同じで、川越市の観光案内の人も、「横浜方面からくる人が増えました」と言ってました。
 相互乗り入れはどちらにとっても大きな利点になったわけです。

 ただし弊害もあります。
 それはどこかが事故を起こせば、全部に影響が及ぶこと。

 これは私が利用していたときにもありました。
 横浜へ向かう途中、日吉あたりからなかなか進まないので、どうしたのかと思ったら、「ただ今、池袋駅でドア点検を行っております。その関係で、当電車は10分少々遅れております」との車内アナウンス。
 東武東上線の事故が東横線に及ぶ。以前は考えられなかったことです。

 もっとも事故に関しては東武東上線のほうが起こりやすく、当方(埼玉県側)としては東横線(神奈川県側)に悪いなあ、という引け目があったのですが、大きな事故は東横側に多く(東上線は回数)、最近ではぼ互角。

 東横線にしろ、東上線にしろ、大きな事故はこれっきりにしていただきたい。
 2020年東京五輪のエンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴマークのパクリではないかと訴えられています。
 五輪のエンブレムをデザインした佐野研二郎氏の側は躍起になって否定していますが、IOCや日本オリンピック委員会(JOC)も「パクリではない」と否定しているだけに、双方ガチンコ対決、大騒動になりそうです。

 どうしてこんなことになったのか。
 それはデザインの選考を専門家に丸投げしたことにあります。

 デザイナーの作品をデザイナーが選ぶ。
 すべて仲間内。なかには同じ釜の飯を食った者同士、先輩・後輩の間柄もあります。
 「あの人が応募しているのだったら、入れておこう」
 「この前は入れてもらったから、今度はこっちがお返しする番」
 こんな情実が絡んでも不思議ではない、「なあなあ」の世界です。

 さらにいうならデザイナーというのは(気質的に)一般受けするものを選ばない。
 早い話が没になった新国立競技場。あれだって選考は建築家に丸投げ。
 だから安藤忠雄は自分の感性で(アンビルドと呼ばれていた建築家の)デザインを選んだ。

 デザイン(設計)を選ぶのはデザイナー(設計者)ではなくて、あくまでも発注者だよ。
 例えばある家族が家を建てるとき、建築士から提示された間取り図を自分たちで検討するだろう。まさか「検討は(別の)建築家にお願いします」とはいわないはず。

 規模は違うけど、基本は同じ。
 五輪組織委員長(森喜朗)、文科大臣(下村博文)、五輪大臣(遠藤利明)、さらに東京都知事(舛添要一)たちはこれまで培ってきた見識と感性で選考しろ。
 
 ではなぜ同業者に丸投げするのか。
 元総理のなかには絵の上手な人もいたけど、総じて自分のセンスに自信がないらしい。
 森喜朗は「カキがどろっと流れ出たようなデザインは最初からいやだった」と真っ当なセンスをお持ちである。だったら最初からそう主張して選考に活かせ。
 政治家の考えだけでは偏るかもしれないと思うなら、アスリートの考えも取り入れればいいじゃないか。

 そうしないのは責任を取りたくないから。
 新国立競技場問題だって責任をなすりつけ合うだけで、誰ひとり責任をとらない。
 これが日本の指導者の体質。
 戦争責任も然り。結局なんの反省もなく、愚行を繰り返していく。

 こんなことしていたら、東京五輪は今後もゴタゴタ続きだぞ。

 相変わらず後を絶たないのがお年寄りの詐欺被害。
 先日もTVのニュースで、訪問販売にきたセールスマンに投資話を持ちかけられ、1千万円以上だまし取られた老婦人の話を報じていました。
   
 むろんだましたヤツは悪い。(厳罰に処せられるべき)
 それは当たり前のこととして、この老婦人に落ち度(誤り?)はなかったのか。
 投資話を持ちかけられたとき、この老婦人は明確に理解できる経験や判断力を持っていたのか。
 おそらくないでしょう。(ないからこそだまされたのですが)
 ないのなら最初から、「やりません。興味もありません」とはっきり断れ。
   
 断らなかったというのは、多少なりとも儲け話に心を動かされたはず。
 勧誘者はそこにつけ込んで、「絶対損はさせません。必ず儲かります」とたたみ込んでくる。
  
 この「心を動かされる」というのが、そもそもの間違い。
 この老婦人はこれまでどんな金の稼ぎ方をしてきたのか。
 おそらく労働(正社員、パート問わず)でしょう。あるいは夫の給料をやりくりしてきたか。
 投資で金を儲けるというのは、この人にとっては未知の分野だったはず。
 自分でやったこともなく、判断もできないことに、「絶対儲かります」のひとことに惑わされるとは、浅ましい心のなせる業。
  
 本当に「絶対に損はしない。必ず儲る」というものだったら、自分や身内で実行してこっそり儲けているはず。そんな美味い話、誰が人に教えるものか。
  
 私は以前詐欺商売を経験した人間から話を聞いたことがあります。
 「勧誘するのは『儲けたい』と思っている人間。無欲な人間をいくら勧誘しても無駄」
  
 年取ったら無欲がいちばん。1千万円以上もの蓄えがあるのならそれでいいじゃないか。
 それ以上増やしたければ、節約して貯金するしかない。変な色気を出すと、ろくなことにはなりません。

 *

 先日、大阪で少年少女が無残に殺されるという事件が起こりました。
 死体の傷跡からして相当残忍な犯人像が浮かび上がります。(容疑者は逮捕されました)
  
 これに関しても犯人の厳罰は当然ですが、被害者の少年少女に落ち度はなかったのか。
 彼らはともに中学一年(12~13歳)。
 この年齢だとふつうは夜中から明け方の時間帯はぐっすり眠っているはず。(身体も睡眠を要求しているし)
 それなのに、シャッターの降りた商店街をうろうろしている。なにをやっているのだ。
  
 こんなことは大人でもやらない。健康によくないし、なにより危険だ。
 かくいう当方は終電車に乗り遅れ、金もなく、駅や公園のベンチで夜を明かしたことはあるけど、それでも体力を消耗しないように気をつけた。
  
 思うにこのふたり、今回が初めてではなく、何度か夜の「徘徊」をしてるのではないか。
 そんなことをさせている親も親。なぜ子どもに注意しない。
 一緒に暮らしていて、「わからなかった」では通用しない。親としての愛情を疑います。
  
 彼らの友だちは口々に「やさしい子だった」とか「いいヤツだった」といいます。
 たしかにふたりとも可愛い顔をしている。いわゆる「不良」ではなかったのかもしれない。
 だとしてもこの行為はけっしてほめられたものではない。
     
 詐欺に遭った老婦人と殺害された少年少女。気の毒だとは思うけど、同情する気にはなれません。自分自身の真っ当な思考(生活態度)で防げるのにと思うから。

 流山市(千葉県)と三郷市(埼玉県)の間を流れる江戸川。
 県境を流れる川だけに、あちこちに船の渡し場がありました。
江戸川の土手 
 まずは丹後の渡し跡。
 といっても渡し場らしき痕跡はありません。ただ標識が立っているだけ。
 「ここの渡し場から新選組は流山に着いたらしい」
 「それなら撮っておこう」
 取手の友は新選組となると興味を示す習性があります。
丹後の渡し跡 
 この先1.5km先に矢河原の渡し場跡があるというので、土手の上の道(サイクリングロード?)を歩きました。
丹後の渡し跡の標識 
 右手に工場が見えます 
 「おそらくあれは醤油かみりんの工場や。このあたりは醸造業が盛んでな。となりの野田市なんかは、入ると醤油の匂いがする」
 「なるほど」
醤油工場 
 川面に日差しが反射してまぶしい。これは絵になる、と撮影。
 「今の時期はあかんけど、冬だとここから富士山が見えるらしい」
 「なるほど」
江戸川の風景 
 なおも歩くと、水門の近くに小さな灯篭が。
 「あれは昔の常夜灯や。あれがないと、このあたり一面真っ暗やから、船頭さんのために要所要所に置かれてたんやな」
 「なるほど」
常夜灯 
 「キミはさっきから『なるほど』しかいわんな」
 「キミの博学に感心してたんや。『なるほど』しかいいようがない」
 「なるほど」
 「キミがいうたらあかん」
矢河原の渡し跡 
 そうこうしている間に矢河原の渡し場に。
 近藤勇は新政府軍に投降し、ここから流山をあとにしたそうです。
 下流は金町や柴又など江戸の東部に着くので、おそらく対岸の三郷に渡りそこから陸路南西に進んで板橋(刑場)に向かったものと思われます。
標識 
 「そうか。ここも撮っておこう」ということで標識をパチリ。
 ここから土手を下り、江戸川をあとにしました。
 千葉県北西部にある流山の地名の由来は、その昔、上州(群馬県)赤城山の一部が流れてきてできたといわれています。(一説では流れてきたのは赤城神社のお札〉
赤城神社拝殿の絵 
 そこでこの地の人々は流れ着いた小山のてっぺんに社をつくり、神社に仕立てました。
 これが一茶双樹記念館の近くにある「赤城神社」です。

 行ってみると、一の鳥居に大きなしめ縄がぶら下がっています。
 「ほう、大きいな」
一の鳥居の大しめ縄 
 説明書きによると、
 「このしめ縄は祭礼に先立って氏子や近辺の住民300人が力を合わせてつくる」とのことで、
 「青竹4本に稲ワラをかぶせ、縄で巻き締めた直径40㎝の大繩3本をつくり、これを撚り合わせる。できあがった大しめ縄は、長さ約6.5m、太さ約1m、重量約500㎏あり、近郊では屈指の大きさを誇る」そうです。

 その鳥居をくぐって境内へ。
二の鳥居 
 二の鳥居をくぐると、奥が社?
 しかし真っ暗。閉まっている?
奥は真っ暗 
 近くまで行くと石段。この上にあるらしい。
 「まったく、急な石段やな」
 とはいえ彼は小学時代、通学路の百段(吉田山)で鍛えた身。なんのこれしき。
急な石段 
 「なるほど、これが赤城山か」
 「国定忠治やな。赤城の山も今宵限り……」
 「待ってました!」
 「これ以上はやらんで。お布施がないと」
 「お布施というより、そのあとのセリフ、知らんからやろ」
 「ばれたか」
拝殿 
 赤城山は学生時代、前橋の友人の案内で行ったことがあります。
 ほとんど忘れましたが、山頂は涼しかった。
 しかしここ(流山)にも赤城山があるとは……。
 ただし神社特有の涼しい風に「なるほど」と思いました。
  昨日(08/20)は全国高校野球・決勝、東海大相模vs.仙台育英戦を観ました。
 友人は「準決勝の仙台育英vs.早実戦が事実上の決勝戦。したがって仙台育英が勝つだろう」といってたけど、私は「今年の東海大相模は強い」と思いました。
 というのも、神奈川大会の決勝では(強いはずの)横浜に圧勝(9-0)したからです。
三回裏
 案の定、相模は初回に先制点を挙げ、さらに三回も加点して4-0。
 四回裏に仙台育英が長短打で3点返したものの、四回表にまた加点、6-3に。
 このあたりは仙台育英の佐藤世那投手の疲れがあったかもしれませんが、甘い球を見逃さず、卒なく点を挙げて、完全に相模ペース。
六回裏 
 しかし六回裏、仙台育英は2死満塁から佐藤将がさんざんファールで粘って、センターオーバーの三塁打。走者3人が帰って6-6の同点に。
 「これは仙台育英、行けるのではないか」と思いました。
決勝ホームラン 
 ところが九回表、先頭で打席に入った小笠原〈投手〉が初球を軽くひと振りすると打球はぐんぐん伸びて右翼席へ。佐藤世那投手の球も甘かった。
 これには伏線があります。
 八回裏二死から小笠原投手の球が仙台育英の打者の胸元を掠め、死球で出塁と思ったら、ストライクの球に当たったということで打者アウト。この打者が出るとうるさかっただけに小笠原投手は助かりました。
 その安堵感から小笠原投手は楽な気持ちで打席に入ったと思います。
球はライトスタンドに 
 これで仙台育英の緊張感が切れ、エラーも出たりして10-6に。勝負ありました。

 東海大相模 2 0 2 2 0 0 0 0 4=10
 仙台育英  0 0 3 0 0 3 0 0 0= 6
ホームランを打った小笠原選手 
 うーん。私としては仙台育英が勝って優勝旗を東北に持って行ってほしかったけど、こればっかりは仕方がない。
 今年の甲子園大会を振り返ると、関東勢、東北勢の強さが目についたけど、関西勢はわずかに鳥羽〈京都〉が頑張っただけで、地盤沈下が感じられました。
試合終了 
 私には以前から「関西の強豪校はなにをやってくるかわからない」という関西恐怖心(?)があったのですが、今年は呆気なかった。これはこれで寂しい気もします。
 
 つくづく人間は〈私は〉勝手なものですが、ともあれ高校野球は終わりました。
 昨日(08/19)取手の友と再び流山に行ってきました。
 同市の江戸川沿い(天晴通り)にある「一茶双樹記念館」は俳人・小林一茶(1763~1827)と親交が深かったみりん醸造業の五代目秋元三左衛門の屋敷のあったところ。
一茶双樹記念館・入口 
 秋元三左衛門は家業の傍ら俳句をたしなみ(俳号・双樹)、「伊勢派撰集」に入選するほどの腕前で趣味の域を超えていたといいます。

 入口は商家を再現し、奥に双樹亭と庭園があります。
 商家の2階には一茶と双樹の俳句集が展示されていました。(撮禁)
商家の再現 
 「キミは俳句をやるから一茶の句はよく知ってるんやろ」
 「いや、『やせがえる負けるな一茶ここにあり』ぐらいしか知らん。それもどこがいいのかさっぱりわからん。一茶やから通用してるんとちゃうか」
 「そんなもんかもしれんな」
双樹亭 
 次に双樹亭。
 ここは茶会や句会にも使われるそうです。
 「この小さな畳は炉が切ってあって、ここで茶を点てるんや」と取手の友。
 彼は昔、裏千家の茶をたしなんでいたとのことで、作法を説明。(一応撮っておきました)
茶の作法を説明する友 
 「ほら、この手水鉢に紅葉が一葉浮かんでるやろ。これが風流というもんや」
 「なるほど」(頷くしかない)
 「さらにいうと、ボウフラが湧いとるやろ。これがまた風流なんや」
 「ほんまかいな」
手水鉢 
 口惜しいので、こちらは一茶にまつわる蘊蓄を。
 「一茶という人は50で若い奥さんをもらい、毎晩励んだそうや。彼の日記には、四交合、五交合……というように回数まで書き記しとるのや」
 「我孫子みたいなヤッちゃな。バイアグラ飲んどったんか」
 「いやバイアグラではなくて、イカリソウやったらしい。彼は薬草に詳しかったから」
 「キミはそういうことだけはよう知ってるんやな」
 「仕事柄や。昔夕刊紙のコラムで『性豪列伝』というのを書いとった。一茶もそのひとりや」
双樹亭から見る庭 
 これは有名な話で、残された日記によると、一茶は親戚の葬式の夜でも妻の妊娠中でも、連日連夜交わっていたとか。58歳のときに脳卒中で半身不随になり、63歳のときに言語症を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかったといいます。

 「我孫子のヤツはここまではいかんで。この前『そんな元気ない』いうとった」
 「一茶を見習わんとあかんな」
 とんだ一茶話になりました。
2015.08.19 Windows10 騒動③
 昨日〈08/18〉川越市に住む友人からこんなメールが届きました。
 このところしょっちゅうPCの画面に「10ダウンロード無料。お急ぎください」のメッツセージが出てきて困っていましたら、昨日の京一郎さんのブログでそのことが書かれていて、「ああそうか。では自分も早速」と思っていたところ、以下のメールがF通から送られてきました。


───────────────────── 発行 F通株式会社
【重要】Windows 10へのアップグレード後のトラブルが増えています
─────────────────────
My Cloud http://mycloud.fmworld.net/
──────────────────────────────────────
 ※本メールにつきましては、サポート上の重要なお知らせのため、F通からのお知らせを希望されていないお客様にもお届けしております。

 平素はF通の製品、サービスをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
 2015年7月29日にマイクロソフト社より公開されたWindows 10について、アップグレード後に、パソコンが操作できなくなり、修理が必要になるケースが急増しています。

 お客様がお持ちの[ FMVLCE50BY ]は、Windows 10へアップグレードすると、パソコンの機能がご利用いただけなくなったり、動作が不安定になったりする場合があります。
 このままアップグレードせずにご利用ください。

 なお、本パソコンでのWindows 10へのアップグレードについて、弊社では、動作確認情報および対応のドライバなどの提供、サポートを行いません。製品発売時の仕様や機能から総合的に判断しています。―――(略)―――
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
発行:F通株式会社 My Cloud 事務局
My Cloud http://mycloud.fmworld.net/
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 
 ということで、彼は10には移行しないそうです。
 Windows 10のアップグレードは機種によって向き・不向きがあり、不向きの機種だと不具合が生じるかもしれません。
 こちらは不具合ではなく、新しくなった様式に不慣れなのと、前使っていた機能が隠れてしまい、取り出すのに苦労してるだけ。
変わってしまったスタートボタン 
 今のところInternet Explorerを復活できたから、まずはひと安心。
 ただひとつ困ったことは、画面のコピーができないこと。
 以前の7なら、コピーしたい画面にCtrlキーとPrint Screenキーを押し、次にスタートのなかのペイント→貼り付けのクリックでできるのですが、10ではそのペイントが見つからない。

 そのことを取手の友にいうと、「多分どこかに隠れてると思うで。探しとくわ」

 その彼から再度電話がきたのは「徘徊中」でした。
 「そんなら手短にいうわ。スタートボタンをクリックすると『すべてのアプリ』が出るやろ。そのなかにWindowsアクセサリがあって、その下のほうにペイントがあるわ」
 「ありがとう」

 帰って早速やってみたら、できました。楽勝やないか。
 「これで7のときの機能はすべて取り戻せたわけや。10なんてチョロイもんやな」
 「現金なヤッちゃな。この前うろたえとったのは誰や」
 「はははは。なんとでもいえ。以前の通りできたから、もうなんの悩みもないわい」

 私にとってWindows 10 問題は「大山鳴動して鼠一匹」でした。悪いね。
2015.08.18 Windows10 騒動②
 Windows10のインストールが終わったものの、画面はこれまでとはまったく違って真っ青に。
 なんだこれは〈茫然〉。
 しかも下のタスクバーに留め置いたInternet Explorerがない!
 これがないとネットが見られない。もちろん自分のブログをつくることもできない。
 これは困った。

 そんなときに取手の友から電話。
 「ちゃんとWindows10、インストールしたか」
 「それはできたけど、困ったことにInternet Explorerが開けんのや。どうにもならん」
 「私もそうやねん。Internet Explorerが出てこんから弱ってんね」
 「なんやそれは。便利やというたやないか」
 「それはそうやけど……。あ、ええ考えがある。私これから出かけるから、キミがこれを見つけ出して、あとでそれを私に教えてくれたらええのや」
 「なにがええ考えや。キミにわからんものがオレにわかるわけないやないか」
 「はははは。よろしく頼むで」

 取手の友はすました顔して、ときどき無茶苦茶なことをいいよる。
 スキルでは彼より劣る当方にできるわけないやろ。
 とはいえ音を上げるのも悔しいのでいろいろ試みました。

 タスクバーのなかにはOutlookやドキュメント、ピクチャーはそのまま。異なる様式に文字を移すときに介在させるTera Padも残っています。あとはストアと、見覚えのない℮。これはなんだ?
 試みにメールに残っていたYouTubeのURLをクリックしてみると℮から出てくる。(ちあきなおみ「カスバの女」など)
 ははあ、℮(マイクロソフトエッジという〉がインターネットなのだな。しかしこれを出してみると「次はどこへ?」の表示。
 あとは世界のニュースと写真。「次はどこへ?」と聞かれても、こっちが聞きたいぐらいだ。
℮を出してみたが… 
 しかしよく見ると、その下に空欄があり、<検索またはWebアドレスを入力>とある。
 ひょっとしてこれはGoogle検索のようなものではないか。
 そこで「ブログ 新・愛と孤独」で自分のブログを検索して、引っ張り出しました。

 しかしこれは以前のInternet Explorerではない。左側のお気に入り欄もないし。
 そこで右上のマークを片っ端からクリックしました。いちばん右端の・・・マークをクリックすると、「Internet Explorerで開く」の表示が。そこを押すと、なんと使い慣れたInternet Explorerが。もちろん以前通り「お気に入り」も残っています。やった!

 そんな折、彼から電話。
 「どや、わかったか」
 「わかったで」
 こちらはちょっと得意になって教えてやりました。
 「なるほど、そうか。やっぱり私のいうことは当たってたやろ」

 当たってただと?
 そのためにこっちは悪戦苦闘したんだぞ。
 とはいえ彼にいわれなければこっちも「あなた任せ」で、なにもやらなかったかもしれない。
 そうすると、彼に感謝するしかないのかな。
2015.08.17 Windows10 騒動①
 先日取手市に住む友人に「このたびWindows10が無料配布されるんや。入れといたほうがええで」といわれました。
 しかしこちらはまったく興味がなく、「ふうん」てなものでした。
 ところが先日、PCを開いたら、「Windows10入手予約手続き」なるものが出ました。
 「ははあ、これが彼のいってたヤツか」
 一応指示されるままにクリックしていくと、「予約が成立しました。通知がくるまでお待ちください」との表示。
IMG_3618 (1024x835) 
 2、3日後「おめでとうございます。入手できるようになりました」との着信メール。
 そこでそれをクリックすると、「今すぐWindows10を入手しますか」と聞かれ、「する」ほうにクリック。
 すると「読み込んでいます」との表示が出て、これがやたらに長い。
 20分かかってもそのままなので、業を煮やして打ち切りました。

 後日、取手の友にそのことをいうと、「そんなん、切ったらあかんやないか。ああいうもんは時間がかかるんや。1~2時間は見んと。途中で切るヤツなんて初めてや」と変人扱い。
 うーん、切ってはいかんのか。自分の無知さ加減をつくづく思い知らされました。
 2、3日後彼から電話があって、「あれ(Windows10)昨日取り込んだで。やっぱり2時間ぐらいかかるわ。しかしこれで7〈セブン〉よりは優れた機能が使えそうや。」
 「そうか、オレは短気やからあかんのやな」
 「キミの場合は短気というより、忍耐力がないのや」

 忍耐力がないといわれてはしょうがない。〈認めるしかないか〉
 入手することにしました。
 午前10時。
 ブログの更新は済ませているので、とくに見る必要はない。昼までかかってもいいか。
 またしても「読み込んでいます」が延々と続き、そのあとは○○%と数字が出て、少しずつ進んでいきます。
 こちらはTVの高校野球を観ながら、ときどきPC画面を覗き込みました。

 お昼近くになって「あと少しで終わります」
 しかしこれがなかなか終わらない。
 それを見越したか、「時間はかかりますが、あと少しで終わります」

 そしてお昼になってインストールは終わりましたが、画面はこれまでとはまったく違うものになりました。

 昨日(08/15)は敗戦記念日ということもあって、いろんな特集が組まれました。
 私が観たのはTBS「戦後70年・私の街も戦場だった」

復原された謳歌 

 このなかで「桜花(おうか)」という突撃専用の人間爆弾なるものを初めて知りました。
 以前から神風特攻隊というのは知っていましたが、あれは戦闘機(飛行機)で自由に動けます。
 ところが桜花は先端が爆弾で、戦闘機(一式陸上攻撃機)の下に設えられています。
 隊員(1名)がこのなかに入り、戦闘機から切り離されて、ターゲットに向かって進みます。旋回することはできないし、車輪はないので着陸はできない。片道切符の自爆テロです。

桜花のイラスト 

 しかしこの桜花は最初から「失敗するのではないか」と危ぶまれていました。
 というのは戦闘機の下に設えられているので重く、機敏に動き回れない。
 したがって敵の戦闘機の餌食になってしまう、というものです。

一式陸上攻撃機

 案の定、この一式陸上攻撃機は敵の銃弾を浴びてほとんど(100機ほど)全滅。
 敵の駆逐艦に命中したのは一機だけという有様でした。

軍人とは 

 「この作戦では勝てない」
 これに乗り込む隊員はもちろん、その指揮官もそう思っていたといいます。

無謀な突撃 

 ではなぜ従ってしまったのか。
 「たとえ上司がどんなに間違った命令を下そうと、それに従うのが軍人」だそうです。
 上官に異論を差しはさむなど、もっての外。そんな空気が支配していました。

元桜花隊員の声 

 その桜花に乗ることなく、生き残った元隊員はこういいます。
 「こんなもので勝てるわけはないよ。上層部をはじめ、世のなか全体がおかしかった。狂っとったよ」

 その責任を誰も取ることなく、戦争は終わりました。
 本当は「敗戦」ですが、責任をうやむやにするため「終戦」と名づけました。
 これだったら、誰かが起こし、遂行した戦争の責任を問われることなく、「天災のようなもの」で片づけられるからです。


 その体制は今でも続いています。
 首相の周辺では戦前・戦中の支配層の考えが脈々と引き継がれているからです。
 彼らはなんら反省することなく、「民主主義? 基本的人権? そんなものあるわけないだろ」とせせら笑っている。
 だから「デモをやっている連中は『だって戦争行きたくないんだよね』という利己主義者」という若い議員がも出てくる。
 これだと「たとえ戦争であろうと、国家の命令に従うのが国民のあるべき姿」といってるようで、これこそまさに戦前の考え。

こんな声も虚しく 

 ではなぜこんなことがまかり通っているのか。
 それはこの連中がアメリカに阿っているから。それしか日本の生きる道はないので。
 アメリカはアメリカで、彼らをうまく手なずけ、最終的には軍事の一部を肩代わりしてもらおうと考えています。


 表面的には「民主主義」の皮を被っても、なんら民意を反映されない政治。
 このシステムは選挙でも変えられない。
 私の友人はすでに諦めていて、「日本はアメリカの隷属国。アメリカの51番目の州や。それなら来年の大統領選挙の選挙権くれ」といいました。


 私もそう思います。

 敗戦の日を前にして昨日(08/14)安倍首相が「戦後70年談話」を発表しました。
 話が長い。戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に比べると総花的で印象が薄い。これはわざと薄めているのかもしれません。
 最初の「日露戦争はアジア・アフリカ諸国に勇気を与えた」などはいわなくてもいいこと。
安倍首相① 
 それでも一応は侵略戦争と反省には触れています。
 「日本は進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいった」そして、
 「植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念とともに我が国はそう誓った」
 これでは一般論を述べているだけ。
 これなら先に中曽根元首相が新聞に発表した談話のほうがもっと具体的です。
 「第二次世界大戦は、帝国主義的な資源や国家、民族の在り方をめぐる戦いであり、欧米諸国との間の戦争もそのような性格を持ったものであったが、他方アジア諸国に対しては侵略戦争でもあった。
 特に中国に対しては、1915年の「対華21か条要求」以降、侵略性が非常に強くなった。軍部による中国国内への事変の拡大は、中国民族の感情を著しく傷つけたと言わざるを得ない。資源獲得のための東南アジア諸国への進出も、現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だった」(08/07/読売新聞)

 そんなことを考えていたのなら、首相在位期間中(1982~1987)にいえよ、と思いますが、当時の自民党政権は敗戦(昭和20年=1945)いらい一度もいったことはなかった。
 なぜなら、政権についていたのは(吉田、池田は別)ほとんど戦前の支配層の流れを組む勢力だったから。中曽根も然り。(当時はいえなかったのか)

 ドイツは自らの自浄能力によって戦前とはガラリと違う国家体制になりましたが、日本はそれができずすべてアメリカまかせ。
 アメリカは当時ソ連の脅威を感じ、朝鮮戦争を抱え、日本を「反共の砦」と考えていたので守旧派に甘かった。また守旧派もアメリカにすり寄りました。
 忘れられない光景があります。
 私の学生時代、数寄屋橋で「大日本愛国党」の党首・赤尾敏氏がよく演説をしていました。
 右翼の親玉です。そのバックには星条旗が翻っていました。
 ときに赤尾氏は絵図の説明に星条旗の小旗で指し示すこともありました。

 「右翼って独立国家を目指すものだろ。矛盾してるじゃないか」
 我われ学生はよく笑ったものです。
 むろん右翼と自民党政権は違う(?)と思いますが、「反共」では一致。なんの矛盾もなく、すべてアメリカの支配下にあったのです。
 「あの戦争は侵略戦争だった」
 とはっきり表明したのは戦後50年の村山談話です。
 村山富市首相は当時の社会党。だからこそいえたのか。
 もっともこの政権は社会党を自民党が支えるという、なんともおかしな政治体制で、すべて中途半端に終ったけど、評価すべきはこの談話だけ。

 「日本の代表者が国の内外に向けて侵略戦争を認めた。これでやっと日本はまともな国になった」
 私は感激し、これなら「君が代・日の丸」を認めてもいい。日本人としての誇りが持てる、と思ったものです。

 というのは、この戦争に関して私は若いころから「ろくでもない戦争しやがって。侵略戦争やないか」と思っていたからです。
 国の代表がその反省もせず、のうのうとしているのなら、なんの自浄能力もないわけで、こんな恥ずかしい国はない。それで「君が代・日の丸」称揚か。笑わせるな。
 そんな思いでした。
 したがって首相の談話は、基本的には村山談話を引き継いでいくべきものと思います。
 しかし今回は以前とは違う文言もありました。
 「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」

 私もそう思います。
 ただしこれをいうからには、あの戦争を「先人(戦前、戦中の指導者層)の愚行」とバッサリ斬り捨てる意志があるんだろうね。
 先人に色目を使うようなこと(靖国神社参拝とか)をしておいて、「謝罪は真っ平」は通らない。
安倍首相②  
 戦争をやったのは親の世代。そのツケを回されてはかなわない。戦後生まれの世代には責任のないことだし、謝罪するいわれはない。
 「そんなことはない、その国家を引き継いでいるじゃないか」といわれたら、「私は引き継いではいない。全面否定している」と突っぱねます。
 首相が「未来志向」というのなら、(首相の祖父を含めた)先人の愚行をバッサリ切り捨てていただきたい。
 
 それができるのなら、私と価値観を共有できるのですが。
2015.08.14 半沢直樹
 2年前の今ごろ(07/07~09/22)放映され、高聴視率を挙げたTVドラマです。
 なにかと話題になっていたので、「倍返しだ!」は知っていましたが、ドラマ自体は観たことはありません。
半沢直樹① 
 今回友人のDVDを借りて集中的に観ました。
 面白い。次どうなるのか……ハラハラドキドキ。しかもこれまで知らなかった銀行の業務、金融庁の査察などわかりやすく描かれて、金融界のことが少し理解できるようになります。
 東京中央銀行大阪西支店の融資課課長・半沢直樹(堺雅人)は、上司(支店長)から無担保・5億円融資の焦げ付きの責任を負わされ、融資先・西大坂スチールの社長・東田の消息を追跡しますが、愛人の妨害で取り逃がします。
半沢直樹②  
 また国税局も東田の隠し財産を押さえようと躍起になり、さらに支店長が裏で東田とグルになっていて、ことごとく半沢を妨害します。
 しかし同期の仲間や東田の愛人の協力もあって、国外に移した東田の隠し財産を押さえて5億円を回収し、支店長の不正を追及して、この問題を解決します。
半沢直樹③ 
 この件で半沢直樹は東京中央銀行本部・営業第二部次長に栄転し、頭取(北大路欣也)の命を受け伊勢島ホテル問題に取り組みます。
 同ホテルは株の運用失敗により120億円もの損失を出したことが判明。すでに融資した200億円を回収できなければ、1000億円以上もの引当金を保証金として金融庁収めなければならず、頭取は窮地に立たされます。次期頭取を狙う常務取締役・大和田の思うツボ。
半沢直樹④ 
 大和田は伊勢島ホテルの女性専務・羽根とつるみ、湯浅社長の追放を画策。
 しかも電気会社の経理に出向された同期の仲間が会社の迂回融資を発見。迂回先は東京中央銀行本部の常務取締役の大和田(香川照之)でした。
 この大和田こそ、半沢直樹の父親の工場の融資を引き上げ、自殺に追い込んだ張本人。
半沢直樹⑤ 
 ここでも金融庁に妨害され、また大和田の手下の妨害、仲間の裏切りにも遭いますが、伊勢島ホテルを海外の大手ホテルチェーンと合併させることで乗り切り、さらに頭取のいる役員会の席で大和田の不正を暴き、屈服させます。
 観ている間は「ハラハラ、ドキドキ」ですが、観終わってみると突っ込みどころ満載です。
 銀行の上層部がケチな会社とつるんで不正融資などするだろうか……などなど。
半沢直樹⑥ 
 むろんフィクションだからなにをやっても自由ですが、説得力がないとね。
半沢直樹⑦ 
 それに私から見ると不必要な場面も多い。
 とくに最後のほうで大和田を土下座させるシーン。政治家も含めて、私は土下座がきらい。
 このためにせっかくのドラマがぶち壊しになったと思います。
半沢直樹⑧ 
 ただし最後の頭取による半沢直樹への出向辞令には「なるほど」と思いました。
 これでもし半沢直樹が栄転して、より上のポストにつくなら、陳腐なドラマになります。
半沢直樹⑨
 頭取は「能力はあっても過激な人間は銀行には不要」と考えたか、それとも「期待するからこそ外の世界も見てきなさい」という親心からか。
 どちらでも解釈できることによって含みを残しています。
半沢直樹⑩ 
2015.08.13 理髪店にて
 髪の毛の裾が伸びて煩わしくなってきたので、昨日(08/12)駅前の理髪店に行ってきました。
 いつもは待たなくてもすぐやってもらえるのに、待合室には4人の先客。お盆休みが近いからか、珍しく混んでいました。

 待つのはそれほど気にならないので、本でも読むかと腰を下ろしたところ、携帯の着メロ。
 取手の友からです。
 慌てて席を立ち、廊下に出ました。
 「お経、毎日聴いてるか」
 「いや、毎日ではないけど、ときどき朝聴いてるで」
 「キミはまだ修行が足りんから、毎日聴いたほうがええで……」
 と話題は同窓会の出欠状況から、所沢市に住む同窓生の女性とのやりとり、はては私がリクエストした女性歌手による歌謡メドレー。

 話している最中、尿意を催してきたので駅前のトイレで用を足し、再び理髪店の前の廊下へ。
 待合室を覗くと、ふたり進んでいました。私のあとはなし。
駅前の理髪店のシンボルマーク 
 「実はな、今散髪屋にきてるんや。待合室にいるから、あんまり大きな声は出せん」
 「そうか。坊主にするんか。やっぱりお経の効き目やな」
 「いや、そのつもりはないけど、坊主にしたほうがええか」
 「そら、ええで。それで袈裟着て同窓会に現れてみぃ。みんなハハーッと敬服しよる」
 「そんなもんやろか」
 「そんなもんや」
 ということで電話を切りました。(通話時間約8分)

 しばらくして私の番。(待ち時間は都合30分ほど)
 担当の方から「どうされます?」と聞かれたので、写真を見せました。
 「こんな感じでお願いします」
 この写真は昨年、散髪直後に撮ったもので、額から下は切ってあります。
 これについては苦い体験があります。
 以前のブログにも書きましたが、西新宿の理髪店に通っていたころ、希望の髪型を説明するのに、「クリントン大統領のような髪型にしてください」といったところ、「わっはっは!」
 思いっきり笑われました。
 しかもとなりで客の髭を剃ってる店員まで、笑いをこらえて手が震えている。危ないだろう。

 素直に「短めのオールバック」といえばよかったのです。
 こちら(鶴瀬)にきてからは、「短めの……」で通しましたが、ときに変な風にされることがある。
 そこで上手くできたときの髪型を自撮りして、それを店員に見せるようになりました。
 いらい、ほぼ注文通りです。
 写真を見せているから、こちらはもう安心して床屋まかせ。
 洗髪もしてもらい、髭も剃ってもらいました。
 そして「はい、お待ちどう」
 鏡のなかの自分の髪型を見ると。「???」
 いつもより短いぞ。(坊主に近い?)
 さては、取手のヤツのテレパシーが店員に伝わった?

 まあいい。すぐ伸びるから。
 ギリシャの財政破綻がヨーロッパでは大きな負担になっていますが、どうしてこんなことになったのか。それにはギリシャ人の国民性を知る必要があります。
 その意味では「その男ゾルバ」(Zorba the Greek=1964)は打ってつけではないでしょうか。
 英国人作家バジル(アラン・ベイツ)は、亡父が遺した炭鉱を再開するためにギリシャにやってきて、港で知り合った現地人のゾルバ(アンソニー・クイン)という男と気が合い、採掘場の現場監督にします。

 しかしギリシャ人のやることは何もかもハチャメチャ。
 ゾルバは仕事よりも女が好きという男で、宿屋の女主人と懇ろになります。
 バジルもある未亡人が好きになり、仲よくなりますが、彼女に恋いこがれていた青年が失意のあまり自殺。村人たちは「あの女のせいだ」と未亡人に石を投げ、青年の父親は彼女を殺してしまいます。

 ゾルバと懇ろになった宿屋の女主人は、もともと病弱だったのか(ゾルバの精力が強すぎたのか?)病に倒れ、臨終を迎えます。
 そして彼女が息を引き取ると、村人たちが寄ってたかって彼女の財産を持ち出しました。身寄りのない死者の財産は村人たちが奪い取っていいという風習です。



 ゾルバは森から切り出した木材を下ろすケーブル建設を発案し、工事に取り掛かりますが、(工事がずさんだったのか?)竣工式での試運転でワイヤーが切れ、支柱が倒れ、崩壊します。
 投じた資金をすべて失ったバジルはガックリと膝をつきますが、ゾルバはあっけらかんとしたもの。
 「よけいなものを失ってよかったじゃないか。こうなったらすべて忘れて踊るしかありませんぜ」

 バジルも半ばヤケクソになって、「その踊りを教えてくれ」
 こうしてふたりは明るい太陽の下で悠々とダンスを踊り興じました。
 息子が自殺したら、「お前のせいだ」と人のせいにしたり、身寄りのない人が死ぬとその財産を村人たちが強奪する。工事は手抜きして、経営者が破産しても「我関せず」とカラカラ笑う。

 この映画がすべてギリシャ人を描いているとは思いませんが、今のギリシャの現状を見ると、妙にナットクしてしまいます。(動画はラストの踊りの場面)

 人間は失意に暮れると踊るしかない――これがギリシャ人の真骨頂のようです。
2015.08.11 お経のCD
 「お前ら、邪念でいっぱいやろ。お経を聴いて心を浄化せえ」
 と我孫子の友がお経のCDを我われに寄こしました。
 なにをいっとるのだ、我孫子のヤツこそ邪念(エロ念?)の塊り。我われに対して「心を清めろ」とは。この暑さでおかしくなったのではないか。それとも?
お経のCD 
 「あの女好きが、いろいろ食した(?)挙げ句、とうとう尼さん趣味になったん違うか」
 「それしか考えられんな」
 と取手の友と話しました。
 このCDは取手の友を通じて関東在住の友人たちに配布しております。
某寺① 
 CDを聴いてみると、最初はガァ~ン、ガァ~ン……と鐘の音。
 続いて「ああ~、うう~」と坊さんの読経。

 うーん、これがなあ……。

 取手の友によると、お経の意味は次の通り。

 ①半鐘(はんしょう)・・ 勤行開始の鐘  
 ②散華(さんげ)・・・・・仏に華を供養
 ③対揚(たいよう)・・・ 仏の徳を讃える
 ④唱礼(しょうれい)・・ 自分の罪を懺悔、他人の善行を喜ぶ
 ⑤前讃(ぜんさん)・・・ 経を唱える前に仏を讃える
 ⑥般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)・・仏や全生物の為に生死を尽くす
 ⑦後讃(ごさん)・・・・・・・・・・・・・三宝(仏・法・僧)を讃える
 ⑧般若心経(はんにゃしんぎょう)・・・・・ものには実体がなく「空」を説く
 ⑨大師宝号(たいしほうごう)・・・・・・・弘法大師(空海)に帰依を誓う
某寺② 
 「わかったか。実はこれ、私が日ごろ自然と身についていた生活行動やで」
 「本当かね。④自分の罪を懺悔、他人の善行を喜ぶ、なんて励行してるのか」
 「してるで。キミが少しは真人間になったのをこうしてよろこんでいるやないか」
 「なにが少しは真人間や」
 この友はときどき真面目な顔しておかしなことをいう。
某寺③                            
 「しかしなあ、あれ何回も聴いたけど、後半は、税、税、税、税、減税、減税……としか聞こえんぞ。お坊さんたち、よほど税に苦しめられてるんか」
 「私もそうやねん。固定資産税、自動車税、ガソリン税……。ガソリン税なんかひどいもんやで。ガソリン価格に揮発油税をかけて、それに消費税をかけるんや。税に税をかけるなんて、なんというアホな国や」
 「なんや。それやったらオレの解釈とあまり変わらんやないか」
 「いやいや。私の場合は本来の解釈に加えて他にもいろんな解釈ができるということや。キミはまだ修行が足りん」
 とやり込められてしまいました。
某寺④ 
 ちなみにこのCD、京都の女流画家もほしい、とのこと。
 妙なものが我われの間で流行しそうです。

 一昨日(08/08)、昨日(08/09)は高校野球を観ました。
 注目は早稲田実(西東京)vs.今治西(愛媛)。やはり清宮選手(1年生)です。
 どんな凄い打者なのか。

清宮の打撃 

 一回のチャンスには凡フライ。これは力が入ったからか。
 しかし七回のチャンスではライト前にタイムリーヒットを打ちました。これは自然にバットが出た形で打球も早かった。

清宮選手 

  専門家によると、清宮君は振りは鋭く力はあるがまだインコースに弱点があるといいます。
 一回がその典型例で、これは差し込まれたため。今後対戦する投手のインコース攻めが予想されますが、彼がどこまで克服できるか。試合は早実の勝ち。

早実の守備 早実の打線爆発

今 治 西  000000000=0 
早稲田実 30000030 x=6

早実の勝ち 

 第2試合は敦賀気比(福井)vs.明徳義塾(高知)。
 敦賀気比は選抜優勝校。明徳義塾は優勝経験もあり、しぶとい。かつて星稜の松井選手(→巨人→メジャー→フリー)を5連続敬遠して不評を買ったこともありますが。

 私は秘かに「明徳が勝つのではないか」と思いました。
 案の定、明徳は序盤から点を取り3-0とリード。対する敦賀気比はチャンスがあるものの詰めを欠き、大振りが目立ちました。
 とはいえ六回のホームランでやっと打線に火がつき、八回に同点。最後は十回2死満塁でタイムリーが出て、さよなら勝ち。

敦賀気比、決勝タイムリー

 明徳義塾 1020000000 =3
 敦賀気比 0000020101x=4

敦賀気比、サヨナラ勝ち 

 この試合、五回裏の敦賀気比の攻撃で、ホーム寸前タッチアウトは捕手が完全にホームベースを塞いでいました。これは高校生のルールでは走塁妨害になるのでは?

ホーム寸前タッチアウト 

 敦賀気比が勝ったからよかったものの、負けていたらあと味の悪い試合でした。

 昨日の津商(三重)vs.智弁和歌山(和歌山)は津商の勝ち。
 
 津      商 000111312=9  
 智弁和歌山 200000020=4

 また天理(奈良)vs.創成館(長崎)も創成館の勝ち。

 天 理(奈良)000200000 =2
 創成館(長崎)000200001x=3

 智弁和歌山も天理も関西の強豪校。それが簡単に初戦敗退というのは意外でした。
 むろん津商の打線は強力だったし、創成館は投手力も守備もよくしぶとかったといってしまえばそれまでですが、強豪校の衰え(?)が感じられます。

 このところ高校野球の傾向として東高西低(?)。東北勢の健闘が目立ちます。

 それかあらぬか仙台育英(宮城)vs.明豊(大分)は仙台育英の圧勝。

 仙台育英 503002020=12
 明  豊 000000000=1

 東北勢では花巻東(岩手)も勝っています。どこまで勝ち残れるか、楽しみです。


 昨日(08/07)は東京でも37.7℃に達し、8日連続猛暑日を記録しました。
 熱中症で搬送された人は首都圏で250人(死亡2人)。うち東京都で68人、埼玉県で71人。埼玉がいかに多いかがわかります。

 私は以前東京都府中市に住んでいましたが、埼玉は府中よりも暑い!
 これはおそらく海(南)からの熱い湿った風が東京の高層ビル群を越えるとき、一種のフェーン現象が起こって、北側の埼玉県は異常に暑くなるのではないか。
暑い日中は出かけないほうが 
 しかも高温の割に埼玉県民は冷房ぎらいが多い。とくにお年寄り。
 エコパで顔を合わせる連中はほとんど「冷房はきらいなんだよ、寒くって。だからつけねえよ」
 これが命取りになるぞ。
 年寄りは若者と違って、熱さを感じるセンサーが鈍っているそうです。(年寄りが熱い湯に入れるのはそのため)
 埼玉県民は暑さをなめている?
 私自身も気をつけないと。外出(徘徊?)は極力控えないと。

 気温が上がると、ニュースなどでよく見るのは子どもたちの水浴びの光景。
 マイクを突きつけられると、可愛い顔して「涼しかったァ」
水浴びする子どもたち 
 子どもはいいよなあ。そのとき涼しかったんだから。

 私は以前「暑さ対策」として水風呂に浸かったことがあります。
 たしかにその間は冷たくて気持ちがいい。
 しかしそこから出るとよけい暑く、体温が内にこもってボーッとなり、やむなくエアコンを強にして入れました。
 これは水風呂に入っているときは体温を保つため毛穴が塞がり、汗が出にくくなるからです。

 これならむしろ熱い湯に入り(ぬるま湯でもいい)、汗を流したほうが、出たあとさっぱりして納涼効果が得られます。

 海水浴を含め、川遊び、プール遊びなど、水浴びの類は、私の長年の体験からいうと、なんの暑さ対策にもならない。
 真面目に泳ぐなら体力もつくし、泳ぎが身につきます。
 身を守ることができるし、行動範囲が広がるし、世界も広がります。
 ここまでやるなら本当の意味の「暑さ対策」ではありますが……。

 泳ぎもせず、浜辺に寝転んで日光浴するのは愚の骨頂。(肌を痛めるぞ)

 暑さ対策というのは、暑さを解消して仕事や勉学に励むということだから、水浴びなどは本当の暑さ対策にならないのです。
海水浴客 
 したがって暑さ対策とは、月並みですが、①小まめに水をとる、②外出時はなるべく直射日光を避ける、③ふだんからの体力づくり、④カレーなどの香辛料を摂る、⑤じゅうぶんな睡眠、⑥そして猛暑日はエアコンもやむなし……ということになります。

 ここで究極(?)の「暑さ対策」を。
 大半の消防士はこれぐらいの暑さにはほとんど大丈夫だそうです。
 火事の現場はもっと暑い、いや熱い。それでも頑張って消火活動に励む。
 それは熱い部屋に入って、徐々に室温を上げて行き、高温に慣れさせる。
 つまり暑さに慣れるしかない、ということです。

 もっとも高齢の方には勧められないといってました。
 湯島聖堂の北側にある神田明神(正式名は神田神社)。
  
 神田祭で有名な神社ですが、私が新宿の出版社に勤めていたとき、編集者のひとりにここの氏子がいて、「神田祭がいかに素晴しいものであるか」を自慢げに話しておりました。
 さらにその人はあちこちの神社の祭りの神輿を担ぎに行くと知って、京都人には理解できない「東京人の気質」を思い知らされました。
参道 
 その神田神社は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。二年に一度行われる例大祭は江戸三大祭りのひとつです。
隨神門 
 由緒書きによると、ご祭神は
 一ノ宮に大己貴命(おおなむちのみこと、だいこく様)
 二ノ宮に少彦名命(すくなひこなのみこと、えびす様)
 三ノ宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと、まさかど様)
境内 
 当社の創建は天平2年(730)、千代田区大手町の将門塚近くにあったものを、江戸城拡張に伴い、家康が表鬼門に当たるこの地に移したとのこと。
 将門の首塚は今でも大手町に残っていますが、ここにも将門が祀られていることに根強い将門信仰を感じます。将門は朝廷に叛乱を起こした東国のヒーローで、これも関東人の特質?
さざれ石 
 それよりも私にとって興味があるのは、銭形平次の碑。
 銭形平次は野村胡堂の時代小説に出てくる岡っ引きの親分で、明神下の長屋に住んでいたとのことで、境内の奥にあります。
銭形平次の碑 
 「ほう、この石柱も寛永通宝やな」と友人。
 寛永通宝は小銭で、平次は犯人逮捕の際の武器にしました。
寛永通宝の石柱 
 私は子どものとき、捕り物の親分がどうして小銭を投げるのか不思議でした。
 これについては某同級生が「あれは投げられた小銭を犯人が拾っている隙に逮捕するんや」
 当時は「そんなものか」と聞いてたけど、違うやないか。

 だいこく、えびすに将門、さらに平次まで祀られて(?)いるところが神田明神の魅力?
 昨日(08/05)は東京の連続猛暑6日目(今日も暑くなりそう!)というのに、友人と秋葉原・お茶の水を散策しました。
 「この辺で見るところといえば湯島聖堂しかないやろ」
聖橋から見る湯島聖堂 
 JRお茶の水駅から聖橋を渡ると右側に小さな森がみえますが、これが湯島聖堂。
 ここはもと上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まりで、このときから「聖堂」と呼ばれるようになりました。
仰高門 
 神田川沿いの相生坂から敷地に入ると仰高門(ぎょうこうもん)があります。
 仰高とは、孔子の弟子が師を仰いで、「高いものは近寄って仰げば仰ぐほど高いことがわかる。師の教えこそまさにそれ」(京一郎の意訳)といったことによるもの。
 ここをくぐると聖堂の庭内になります。
左が楷樹の木 
 邸内を進むと「楷樹(えんじゅ)」の木。別名・楷(かい)。
 解説によると、この木は孔子の墓所に植えられてきたもので、植物学者の牧野富太郎博士は、これに孔子木と命名されたとか。
枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれています。
孔子像 
 そして孔子像
 「ほう、大きいんやなあ。撮っておこう」と友人。
 これは昭和50年(1975)台北市のライオンズ・クラブからの寄贈だそうで、高さ4.57m、重量約1.5t。孔子の銅像としては世界最大だそうです。
絵馬 
 「やたら絵馬が多いなあ」
 「ここは昌平坂学問所いうて士族の最高学府やったから」
 「だから難関突破を願ってんのやな」
 「そういうこっちゃ」
 「しかし絵馬に頼るという根性が浅ましい。こんな連中落ちよるで」
 「そこまでいわんでも」
入徳門 
 入徳門(にゅうとくもん)。
 これも孔子に関連がありますが、説明は略。(実はよくわからないので)
杏壇門 
 入徳門をくぐり、石段を上ると杏壇門(きょうだんもん)
 杏壇とは、中国山東省にある孔子の教授堂の遺址のことで、高台(壇)に杏を植えたので杏壇門の名称が付けられました。ここも本場同様、高台に設置されています。
杏壇門より下を見る 
 杏壇門をくぐると大成殿(たいせいでん)。大成とは、孔子廟の正殿の名称。
大成殿 
 なかは非公開なので見られなかったけど、中央に孔子像。左右に孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀られているそうです。

 こうして見るとここは孔子様の記念館?
 ありがたい教えで少しは涼しくなった、かな。
 首都圏では5日連続猛暑日とか。
 こう暑くては食欲も減退気味ですが、こんなときこそしっかり食べて夏を乗り切りたい。
 ということで久しぶりに料理のUPです。

 先日八百屋に行ったら、大きいナスが3本で100円だったので、買いました。
 1本でふつうのナスの3本分あるんじゃないの。
ナス、ベーコン、パプリカ 
 そこで一食に1本ずつ使ってナス炒めをつくりました。
 ナスだけでは単調なので、パプリカとベーコンを加えました。
 パプリカは大きいものを3分の1。ベーコンは細切れを少々。
最初にナスを炒める 
 フライパンにオリーブオイルをたっぷり敷き、熱したところでおろしにんにくを。
 以前は手製のにんにくペーストを使っていたけど、今は市販のものを使用。
 にんにくがオイルになじんだらナスを入れて、軟らかくなったらパプリカ、ベーコンを入れて炒める。
パプリカ、ベーコンを入れる

 味つけはコショウ、オイスターソース、ミソ(赤)を少々、最後は酒を少々。
 皿に盛りつけたら、すりゴマをふりかける。
 オイスターソース、ミソ、酒で味つけ


 これがわが家の夏のスタミナ定食。(↓)
 左上から生野菜(キャベツ、レタス、セロリ)、納豆キムチ、ナス(パプリカ・ベーコン)炒め。
 中央はしば漬。下はご飯、ワカメスープ。
ナス炒め定職 
 野菜が多く、ご飯が少ないのがわが家の特徴。

 食べる順番があります。
 野菜サラダ→納豆キムチ→ナス炒めの順。

 ナス炒めを食べ終えると、底に黒い汁が残りますが、ここへご飯を入れてかき混ぜ、ワカメスープと柴漬でいただきます。
 この汁は美味くてご飯何杯でもイケそうですが、先に多量の野菜を食べたので、腹いっぱいになり、これぐらいの量でじゅうぶん。
食後の珈琲 
 しかもこの食べ方だと血糖値が急激に上がりにくく、肥満になりにくいとされています。
 もっとも私の場合、太らないのは体質的なものなので、参考にならないかも。
 我われは閻魔堂から本町通りに出ました。
 流山市の観光地図を見ると名所旧跡が櫛比しているような感じですが、実際はそれほどでもなく、ごくふつうの通り。所どころに古い建物を利用した飲食店や商店などがあり、観光地図に表記されているのがそれです。
本町通り 
 「この辺りでは万華鏡しかないな」
 ということで万華鏡ギャラリー・見世蔵に入りました。
外観 
 ここは明治22年(1890)に建てられたお茶屋さん(寺田屋茶舗」の店舗をリニューアルしたもの。土蔵造りの建物で、昭和38年ごろまでは使われていたそうです。
以前の店で使われていた茶がめ 
 店内はいろんな万華鏡が展示されています。
 メインは流山市在住の万華鏡作家の作品で、筒を回すのではなく、根元のローラーを回すと画面が変化するという大掛かりなもの。
 この先生は世界万華鏡コンクールで金賞を獲ったそうです。
 いずれも1本20~30万円也。(買う人いるのかね)
解説する店主 
 「人の顔も万華鏡になりますよ」
 と店主にいわれ、友人を撮ってみました。
 「ふたりで撮るのもいいと思いますけど」
 店主におだてられ、撮ってもらったのですが、あまりの変な出来栄えにボツ。
 オッチャンふたりが万華鏡に納まっても絵にならないぞ。
人の顔も万華鏡に 
 いろんな万華鏡を見せてもらって(解説もしていただいて)なにも買わないというのは、なんだかグツが悪い(入場料無料なので)。
 かといって「万華鏡キット」(1本980円)を買って万華鏡をつくる気もない。
 仕方なく、友人は便箋を買い、こちらは竹炭ピーナツを買いまし
竹炭ピーナツ 
 「人はその昔、炭を食べてお腹をなおしていました」とあります。
 甘いものと違って、ナッツ類なら害はなかろうとの思いですが、最初はポリポリ食べたけど、まだ残っています。
 ナッツ類というのは食べ出すと際限がないのですが、これは限よくやめられる。なかなか含蓄深い(?)土産物です。

 そうそう、あとで入ってきた老夫婦が「なに、1本38万円? 安いねえ」といってたけど、本当に買ったかどうか。これはこの夫婦一流のジョークでしょう。
 安いと思うなら、買えよなあ。
2015.08.03 流山の閻魔堂
 新撰組陣屋跡以外、流山にはこれという見どころはないのか。
 土産物店で聞いたところ、陣屋跡のとなりに閻魔堂があるとのこと。
 「でも今日は閉まってますよ」
閻魔堂の看板 
 そんなことばに我われは委細かまわず閻魔堂(?)に向かいました。
 「ここがそうか」
 お堂というより墓場。基本的には同じですけど。
入口の古井戸 
 入口に古井戸があります。押すと水が出ました。
 これは手を清めるための水。
水が出た 
 この閻魔堂は安永5年(1776)閻魔大王を祀り、安置されているとのこと。
 お堂は閉まっていたので、閻魔様を見ることはできなかったのですが、目を引いたのは「金子市之丞の墓」

 説明書きによると、
 「金子市之丞は明和6年(1769)流山の醸造家・金子屋に生まれた。家運が傾き父は没したが、家業に励むことなく賭博に興じたため、母に勘当された。やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡り、ついに盗賊に身を落として金市といわれたという。
大坂で捕らえられ、文化10年(1813)小塚原の刑場で獄門にされた」とあります。
金子市之丞の墓 
 「なんや、ろくなヤツやないな」

 しかしここから話は急展開、この金市は明治になってからは義賊に仕立て上げられます。
 「明治14年(1881)に初演された歌舞伎「天衣紛上野初花」では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまき、『ビン小僧の金市さま』と人気を博したことから、義賊としてこの墓石が建てられたようである」
 ねずみ小僧もそうですが、義賊なんて後世の戯作者がつくったもの。

 では看板にある「三千歳(みちとせ)」とは?
 これは歌舞伎の「天衣紛上野初花」で金市の愛人とされた花魁・三千歳の墓とされている、とのことで、まるで「つけ足り」扱い。

 要するになんの実体もない人物をまことしやかに墓まで建てて敬うとは、流山の人々は粋というか暇人というか、当方にとっては面白いからありがたいのですが。
由緒ありげな祠 
 境内には如意輪観音や宝篋印塔などの石造物があり、昔からこの墓に詣でると、頭の病気が治るとか犯罪者の刑が軽くなるなどといわれているそうな。
 犯罪者の刑が軽くなると?
 心当たりのある方はお参りしたほうがいいぞ。
 友人と千葉県流山市にやってきました。
 ここは新撰組の近藤勇が投降して捕らえられたところ。
市の西側を流れる江戸川 
 慶応4年(1868)、甲州勝沼で官軍に敗れた甲陽鎮撫隊(元新撰組)約150名は、会津へ向かう前に分散した同志を集め、流山の酒造店長岡屋に陣を置きました。
 ところが官軍の包囲を受け、近藤勇は大久保大和と名乗って官軍に投降しましたが、元御陵衛士の加納道之助に正体を見破られ、板橋で斬首されました。
 したがってここは近藤勇と土方歳三の永遠の別れの地となったところです。
陣屋跡① 
 「しかしなあ、『陣屋跡』の標識があるだけやで。あのドラマのような広い場所や酒蔵なんてなにもないんや。ガッカリせんようにそれだけはいうとく」と友人。
 彼は新撰組マニアで一度きたことがあるので、こちらが頼んで案内してもらったわけですが……。

 「これやこれや、ここに『誠』の旗があるやろ」
 と友人は新撰組の旗を示しました。
 「しかし、おかしいな。隊士の法被をきた娘さんがガイドしとったのに」
陣屋跡② 
 この表示は表看板でなかに入れるのかと思ったら、ただの住宅。
 変だなと思って、近くの土産物店で聞いてみると、「ええ、陣屋跡はあれだけなんですよ」
 新撰組の法被を着た女性が説明してくれるのは休日だけだそうです。

 ここで私、友人が「ガッカリせんように」といった意味がやっとわかりました。
説明書き 
 ここの通りに入るところに小さな神社の祠があります。秋元稲荷大明神。
 表示板によると、
 「ここは11代将軍家斉(いえなり)公のとき、享和2年(1802)京都伏見稲荷大社より分社建立されたもので、新撰組がこの流山の地に陣を構えたときも近藤勇、土方歳三たちが戦勝祈願したと伝わる」
秋元稲荷 
 「おおッ、こんな神社があったんやな。新撰組戦勝祈願も虚しく、か。撮っとこう」と友人。
 今回もそれなりに収穫はあったやないか。
 昨年久しぶりに武蔵野線(新松戸方面)に乗ったら、聞きなれない駅名を耳にしました。
 越谷レイクタウン。
プラットホーム 
 こんな駅、前からあったっけ。
 調べてみると、オープンしたのが平成20年(2008)。駅名変更ではなく、新駅です。
 知らなかったわけだ。
越谷レイクタウン駅 
 しかもここが今や吉祥寺を抜いて、「首都圏で住みたい町No1」だそうです。
 そんな新参者が吉祥寺を抜いて1位だと?
 笑わせるな。
 そんな思いで、昨日途中下車してみました。
駅から見る湖 
 駅舎は最近できただけあって、なかなかおシャレです。
 そこから北側に湖が見えます。「あれがレイクか」
 駅北口にはイオン(デパート?)。国内最大級のショッピングセンターだそうです。
 (あとで知りました)
駅前のショッピングセンター 
 ショッピングセンターには用はないので、レイクのほうへ行ってみました。
 レイクといっても地域に流れる中川、綾瀬川、元荒川の治水を目的とした調節池で、大相模(おおさがみ)調節池 というそうで、面積は39.5ha。上野不忍池の約3倍に相当するとか。
大相模調整池 
 池といっても周囲には緑が少ないので暑い。不忍池とは雲泥の差だ。
 わずかに緑のあるレイクタウン湖畔の森公園に行ってみると、これが単なる芝生と柳の木々。
 どこが森だ。
中村家住宅① 
 こんなところ、くるのではなかった、と思っていると目に飛び込んできたのが、「旧東方村・中村家住宅」の標識。古民家?
中村家住宅②
 入館料100円には「??」と思ったけど、ここまできて手ぶらで帰るのも口惜しい。
 清水の舞台から飛び降りたつもりで、「えいッ!」と100円を払って入りました。
中村家住宅③ 
 ここはもと武蔵国埼玉郡八条領東方村(ひがしかたむら=現越谷市大成町)の名主を勤めた中村家の居宅で、この住宅は安永元年(1772)に建築されたものと記されていて、越谷市最古の住宅といわれています。
 その意味ではなかなか貴重な建物。やはり一見の価値はあるか。
展示されていた土器 
 本当は国内最大級のショッピングセンターや、住宅地をとっくり見たほうがよかったのかもしれないけど、時間がなかった。いつかわからないけど、もう一度行くしかないかな。