2015.04.30 四月の句会
 報告が遅くなりましたが、先日(かなり前)四月の俳句会が行われました。
 私の出句(経緯については04/03参照)は、
 ①肩先の触れで脈問ふ春の雨(兼題・脈)
 ②野点カフェ花びら浮かべ巴里珈琲
 ③酔ひてなをジャズにうたた寝春の宵
 ④年甲斐もなく待ち侘びて花の冷え


 結果は、
 ①……(0)
 ②……(1)
 ③……(0)
 ④……(2)
 (出席11名、出句44句、数字は票数)
 特選や宗匠からの〇はなし。

 宗匠の批評。
 ①これだと医者が患者の脈を取っていると思ってしまう(句友も「わかりにくかった」といっていた)ということで、修正句は、「春雨や脈はいかにと傘の内」
 なるほど、そのほうがいいのか。
 
 ②これはいろいろ詰め込みすぎ。しかも「野点カフェ」という表現は誰も望んでいません。
 ということで、「珈琲に花びら浮かべ巴里よ巴里」
 「巴里よ巴里」なんていやだな。それに「誰も望んでない」とはずい分じゃないか。
 そんなこというなら、こっちだって「まほろば」なんて金輪際望まないし、前回(宗匠の)特選を得た「=歌垣(かがひ)」なんて誰も望んでいなかった。望まれなくてけっこう。

 ③演歌ではなくジャズで救われた。春の宵だからね。「なを」は文語では「なほ」です。
ということで修正句は「酔ひてなほジャズにうたた寝春の宵」

 ④「年甲斐もなく」「待ち侘びて」が俗に流れています。もっと表現に磨きを、ということで修正句は「六十路なほ待ってゐたるが花の冷」
 唐突に「六十路」とはなんだ。これのほうがよっぽど俗っぽいぞ。
 ここはやっぱり「年甲斐もなく」のほうがいいと思うけど。(これは私見)         

 ちなみにこの回の最高得票句は、
 ⑤煙吐く浅間を背負ひ代田掻く……(4)〇〇
 ⑥花曇動脈赤き人体図……(4)〇〇
 ⑦少年のいつより無口花林檎……(4)〇

 ⑤に関しては、世田谷区に「代田」という町名があるので、てっきり「だいた」だと思っていたら「しろた」と読むんだって。田植えの整った田のことらしい。初めて知りました。
 こちらとしては何の実感もないので採らなかったけど、俳句やる資格なし?

 宗匠の特選句は、
 ⑧まほろばの四方を展きし春の鐘……(1)◎
 ⑨英字紙に包まれパンとかすみ草……(1)◎

 いずれも私は採らなかった。
 私が特選で採ったのは、⑩海女小屋に置かれて赤きランドセル……(2)〇

 房総あたりの海女さん一家の情景が伝わってきます。
 実はこれ、宗匠の作。作者がわかっていたら採ったかどうか。ここが句会の面白いところ。
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 臨港パーク。
 山下公園と同じく海に面した公園でありながら、その形態はまるで違います。
 山下公園が直線の岸壁であるのに対し、ここは階段状の湾。まさに海に臨む公園です。
潮入りの池 
 船の碇(アンカー)のモニュメントがあるのが、いかにも臨港パークらしい。
 開園した(1988年)当初は円形の舵もあったけど、いつの間にかなくなってしまった。
碇のモニュメント 
 それでも海の空気が味わえるので、横浜にくるときはよく寄ります。それも朝一番。(横浜駅からくるので)

 ただしここは「みなとみらい地区」の北側にあるので、アクセスが悪いのが難点。
 横浜駅東口から徒歩20分。それも馬車道や海岸通りのような賑やかで由緒ある通りではなく、殺風景な道路を歩きます。
アーチ橋 
 それ故くる人は圧倒的に少なく、売店などもないので、俗化されてないのが特徴。
 この日も家族連れと、女子高校生のグループ。自撮りしてました。
臨港パークにて 
 今の時期はツツジ。
 ツツジといえば根津神社が有名ですが、海に面したツツジもなかなかのもの。
ツツジ① ツツジ②
 ツツジの向こうに見えるベイブリッジ。根津神社とは違った味わいがあります。
ツツジ③ 
 ぷかり桟橋のほうでは釣をしているカップル(夫婦?)が……。
 「なにが釣れるのですか?」と聞くと、「鯊です」
釣をするカップル 
 ご亭主と話していると、奥さんがぴちぴちと小さな鯊(?)を釣り上げました。
 「ほら!」と奥さんの得意気な顔。
 今までの釣果(ちょうか)は奥さんのほうがよいようで、ご亭主は「おかしいな」と首を傾げるばかり。面目丸つぶれ?

 春の海今日の釣果は妻の勝ち

 そんな日もあるよ。
 山下公園は「花壇展」で盛況でしたが、横浜公園のチューリップはもう終っていました。
 写真では(一見)きれいに見えるけど、近寄って見ると花びらが開いて、なかには完全に萎びているのもあり、なんだか痛々しい。
横浜公園① 
 とくに「クインオブナイト」(黒いチューリップ)は、「あんなに美しかった女性が、今は干からびたお婆さん」という感じで……。(誰かのことをいってるわけではありません)
クインオブナイト  
 もう横浜公園はしょうがない、とそこを後にしました。
 もっともこの日(04/24)はベイスターズが中日に勝ったからよかったじゃないの。
 (巨人にも勝てよな)
横浜公園②
 向かった先は山手通り。
 いつもなら谷戸坂を上るか、元町中華街駅→アメリカ山公園から行くのですが、この日は地蔵坂から上るという逆コースです。

 途中、中村川を渡りましたが、意外に水がきれいなのにおどろきました。
 前田橋あたりから見ると、まるでドブ川なのに。もっともあのあたりは小さな漁船が何艘も停泊しているから、その油などで水が汚れるのかな。
中村川(向かいは石川町駅) 中村川にかかる亀の橋
 地蔵坂を上って(遠回りになりましたが)イタリア庭園の外交官の家へ。
 ここはもう何度も入っているので(靴の着脱が面倒くさくて)入らず、裏の庭だけ。
 最近見かけるようになったムスカリ(?)がきれいでした。
外交官の家 
 山手通りは、木々の若葉が萌え始めています。
 桜の季節もいいけど、この季節もいい。(さすが日本の道百選!)
山手通り 
 「おや?」
 ある邸宅の入口に植えられた真っ白なツツジ。
 一部だけ赤くなっている。むろん偶然ではなく、意図的に植えたもの。
 まさか日の丸を意識したのではないと思うけど、粋なことをするものです。
 これも山手通りならでは……。
屋敷の前のツツジ 
 帰りはやっぱり元町公園。
 桜は散ったので花はとくにないけど、小さな子どもたちが水遊びしているのがよかった。
 元気な子どもを見ると、こっちも元気をもらえます。
元町公園① 元町公園②
 山手みち初夏には初夏の気慰み
 
 元町や花はなくても子どもたち。
 
 再び横浜・山下公園。しだれ桜の時期もいいけど、今はハナミズキ。
 ハナミズキ越しの氷川丸もなかなかのものです。
ハナミズキ越しの氷川丸 
 ハナミズキは北アメリカ原産の植物で、1912年に東京市がアメリカ合衆国ワシントンD.C.へ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まりとされています。
 折しも今年はハナミズキ百周年。そのハナミズキがかつて郵便船であった氷川丸(苗木が運ばれた?)のそばで咲いているのは何とも感慨深いものです。
* 
 この時期の山下公園は花がいっぱいで賑やかです。
 「水の守護神」の周囲にも。ふだんはあんまり見る人いないのに。
水の守護神① 水の守護神② 

 「おや?」
 芝生の感じがいつもと違う。
 これは花壇展の催しで、市内の造園業者による創作花壇を展示したもの。
花壇展① 
 それぞれ工夫が凝らされていてけっこう面白い。
 このようなイベントに対していつもなら引き気味に撮る(伝える)のですが、今回は(業者の手に乗せられて?)わざとクローズアップで撮影。
花壇展② 花壇展③
 いつもの山下公園とはまるで違った景色が……。
 たまには業者の手に乗ってみるもの。
花壇展④ 
 人気の花人形の前で自撮りする女の子も。
自撮りする女子 
 これらは花壇コンクールの対象で、横浜市長賞や市民賞が授与されるそう。

 郵船の忘れ形見やはなみずき

 氷川丸、ご苦労様でした。
 この滝は南禅寺(最勝院)の修験場ともいうべきところで、その意志のある方が滝に打たれにくるらしい。

 このあたり一帯は鎌倉時代より「神仙佳境」と呼ばれ、最勝院駒道智大僧正の霊地として知られていました。
赤い欄干の橋 
 赤い欄干の橋を渡ると駒大僧正厨子宝殿(ずしほうでん)。
 といっても、なんのことかわからない。
厨子宝殿 
 さらに山道を下りると「最勝院」に着き、そこの「由緒書き」によって凡そのことがわかってきます。この最勝院は摂関家である九条道家の子で、天台密教を極めたと伝わる駒道智大僧正が晩年に隠棲をした場所。
この道をさらに下りる 
 本来はここから修験場へ向かうのに、私は逆コースだったために事情がよくわからなかったというわけ。

 滝行の人はこの最勝院から上り、終るとこちらへ下りてくる。その上には上らない。
 つまり新島襄の墓⇔駒ヶ滝間を行き交う人は滅多にないということ。道理で道も整備されず、切り株などが放置されていたわけだ。
最勝院境内 
 ちなみに新島襄が亡くなったとき、クリスチャンだったため両親の眠る南禅寺には入ることができず、その上の山頂に墓をつくったといわれています。
 そのためここはクリスチャンの墓が多い。
 私の祖父母はカトリック、新島襄・八重夫妻はプロテスタント、宗派は違えど同じクリスチャン、呉越同舟ということでしょうか。
水路閣の上
 さて最勝院の正門を出ると、そこに一本の水路が。
 これは琵琶湖の湖水を京都に引く疎水で、「南禅寺水路閣」(全長93.2m、高さ14m)
 古代ローマの水道橋を思わせるような重厚なレンガ造りのアーチ型の建築物で、つくられたのは明治23年(1890)、京都市の史跡に指定されています。
水路閣の下   
 この疎水は北へ向かい、若王子から哲学の道へ流れます。
水路閣の橋脚 
 ここは南禅寺の境内。
 臨済宗南禅寺派の大本山。山号は瑞龍山、本尊は釈迦如来、創立者は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。
京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式を持っています。
本堂 
 有名なのはここの山門(三門)。
 三門とは寺院を代表する正門のことで、悟りを得るための三つの関門「空」「無相」「無作」の三境地のこと。ここの三門は高さ22m。日本三大門のひとつに数えられています。
 また石川五右衛門が「絶景かな」といったとか。
南禅寺山門①
 歴史ある南禅寺と、古代ローマ建築の水路閣の絶妙な取り合わせ。
 下りてくるときはぬかるんだ山道に往生しましたが、着いてみるとこの景色に、そんな苦労は吹っ飛びました。
南禅寺山門② 
 春の雨耐へて冥加や水路閣

 私としては水路閣を「絶景」としたい。
 墓参りが終ると、いつもなら元の山道を下りて若王子(→哲学の道)にもどるのですが、今回は「新島襄・八重夫妻」の墓に向かいました。夫妻の墓はまだ先にあります。
 
 若王子山の山頂一帯は共同墓地になっていますが、なかに鉄柵で囲ってあるところがあり、正面が新島襄の墓。その左どなりに八重の墓があります。
 左の側面には八重の兄・山本覚馬の墓。
新島襄の墓 
 どうしても綾瀬はるか(八重)、西島秀俊(覚馬)が目に浮かびます。
 とくに八重さんは実物の写真を見ると、やっぱり綾瀬はるかのほうが……(失礼)。
八重の墓 
 ここへは父親と墓参りしたときよく寄りました。父は同志社大学の出身で、「新島襄はわが恩師」といいました。それも直接習ったような口ぶりでした。
  
 しかし新島襄が亡くなったのは明治25年。父が生まれたのはそのずっと後なので、かすってもいない。父のいうことは思わせぶりなだけで、すぐバレるうそ。一体何を誇示したかったのか。
山本覚馬の墓
 この一郭は徳富蘇峰(覚馬のとなり)の墓もあり、同志社の関係者の多くが眠っています。
 これでは学生の墓参が恒例行事になるのも宣(むべ)なるかな。
 おかげで道は整備され、歩きやすくなりました。(登山口には杖まで用意されています)
* 
 そこを出て、帰りは南禅寺方向へ下りました。
 こちらの道はいく分勾配がゆるやかですが、舗装もされず木の切り株や落ちた枝が放置されています。まして雨の降った翌朝なので道がぬかるみ、歩き難いことこの上ない。
 それだけ人通りが少ないということか。

 こんなことなら若王子のほうに下りればよかったか、一瞬そんなことも思いましたが、もう遅い。足は下り続けています。
下りの山道① 
 そういえば昔、墓参の帰り、爺さんと孫らしき女の子ふたりとすれ違ったことがあります。
 こっちが「こんにちわ」と声をかけると、爺さんは返事をしたのですが、子どもたちはきょとんとした顔。すれ違ったあとで爺さんに「知ってる人?」と聞いてました。
下りの山道②
 やいジジイ、山ですれ違ったときのルール(礼儀)ぐらい、孫に教えとけ。
 どうも京都の女性は(見知らぬ人への)社交性に欠ける、その原因は幼少時の躾か……なんて思ったことも。
* 
 そんなことを思い出しながら歩いているうちに視界が急に開け、ザーッと滝の音が聞こえています。いつの間にか滝の上に出ていました。(新島襄の墓から約15分でした)
滝の上に出た 
 そうそう、ここは滝行をするところだった。
 滝の下に下りる途中に洞穴があり、厳島弁財天と大日如来が祀られていました。
洞穴 
 この滝は「駒ヶ滝」、南禅寺(最勝院)の敷地です。
滝行の場 修行の滝 
 京都に滞在中の4月11日の朝、墓参りに行ってきました。
 私の祖先の墓は、東山三十六峰のひとつ、若王子山(にゃくおうじやま)にあります。
 ここへは哲学の道の突き当たり、若王子神社の脇から上ります。
上り口、左は神社、右手前にプールがあった 
 といっても私と同世代の人は「若王子のプール」といったほうがわかりやすいでしょう。
 当時の子どもは夏休みになると毎日通いました。他に行くところがなかったからです。琵琶湖から引いた疎水の水で、やたら冷たかった。いつのころからか、なくなりました。

 花乃影澄(すみ)や岩間の和すれ水  梅通
俳句の立札 
 神社の傍らに俳句の立札が。
 梅通なんて知らんぞ。こちらも俳句をやりだしたから気がついたわけで、以前なら気にも留めなかった。岩間から流れる水が澄んでいるということぐらいはわかるけど、それ以上は……。
 あとはそれぞれで解釈してね。

 さて、これから山道を上るわけですが、その入口に金網の門が。
 猪が民家に下りてくるのを防ぐための門だそうです。
猪除けの門 
 これは8年前にもあって、「猪が出るのか」と一瞬腰が引けたのですが、「ええい、出たら出たときのこと」と半ばヤケクソで上ったら、なにも出なかった。(だから大丈夫だろう)
この橋を渡る 
 山道に入ると昨日の雨で地面がぬかるんでいます。
 これは困った、と思いながらなおも上り続けると、長い階段状の石畳。
 昔はこんなのなかった。ずい分楽になりました。
上り道① 
 これは「新島襄・八重夫妻」のおかげ。
 最近は同志社大学の学生が初代学長の墓参りをするようになったから。とくに新入生は最初に行かされるとか。ご苦労様です。
 そのため道がどんどん整備されました。
 当時はひどい山道で雨なんか降ると泥んこになって往生しました。隔世の感があります。
新島襄・八重の墓の標識 
 若王子山は標高183m。鎌倉の天園ハイキングコース(大平山・標高159m)より高いけど、楽だったのは石畳が多かったから?
上り道② 
 上り口から25分ほどで、祖先の墓に着きました。
 わが家の墓は自然石。これは祖父が選んだそうです。わざわざ「彦根」と刻まれているのは、自分の出身地への矜持と愛着でしょう。
 墓参というのに、こちらは花も線香も持たず、(昨日の雨で水はかける必要なかった)墓石とその下に埋め込まれた母と弟のネームプレートの汚れをティッシュで拭い、手を合わせました。
辻家の墓 
 「やっときたよ。京都へは何度かきてるけど、ここまでくる機会がなくてなあ。今まで愛想なしで悪かった。しかしまだそっちへは行かんから、呼ぶなよ」

 はははは、兄さんらしいな。オレはここでのんびりやってるから、まだこなくていいよ。

 そんな弟の声が聞こえてきました。
 ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さんが4月21日亡くなられました。
 自宅で死亡しているのを家族が見つけたとのことで、どうやら自殺らしい。癌を患い、療養中だったそうです。享年74。

 ワイルドワンズの「想い出の渚」(1966)は名曲中の名曲。
 私にとってはまさに青春の歌。
葉山・森戸海岸① 
 ♪君を見つけた この渚に ひとりたたずみ 想い出す
 小麦色した 可愛いほほ 忘れはしない いつまでも
 水面(みなも)走る 白い船 長い黒髪 風になびかせ
 波に向かって 叫んで見ても もう帰らない あの夏の日……



 ♪水面走る 白い船 長い黒髪 風になびかせ~
 これだけで湘南の海の景色が浮かんできます。何度口ずさんだことか。
 
 私は若いころ、この曲の舞台が知りたくて湘南一帯をほっつき歩きました。
 初期のころは余所者(関西出身)故の試行錯誤もありました。
 江ノ島、七里ガ浜、鎌倉……どうも違うな。
葉山・森戸海岸② 
 数年経って葉山の森戸海岸へ行ったとき、「ここかな?」
 しかし調べてみると、「一色海岸」説もある。
 一色海岸は同じ葉山でも森戸よりはさらに奥。
 それだけに人は少なく、「辺鄙」という感覚は否めませんが、北は向芝原、南は小磯の岬に挟まれて湾になっており、海水浴場としての雰囲気はあります。
 結局どちらでもいいことにしました。
葉山・一色海岸①
 「想い出の渚」は夏の曲ですが、正確にいうと8月の終わりごろ。
 当ブログでも毎年この時期になると曲と葉山をUPするのですが、こんな早い時期にUPすることになろうとは。残念です。
葉山・一色海岸② 
 ♪長いまつげの 大きな瞳が 僕を見つめて うるんでた
 このまま二人で 空の果てまで 飛んで行きたい 夜だった
 波に向かって 叫んで見ても もう帰らない あの夏の日
 あの夏の日……
夕陽
 加瀬さんのご冥福をお祈りします。
 T君の説明によると、能面というのは見る角度によって表情が違うそうです。
 「たとえば上から見ると悲しそうでも、下から見ると笑っているように見えます。人間は悲しいときはうなだれ、楽しいときは顎を突き出します。表情と動作には関連があり、能面はそこを的確にとらえているのです」
会場の文化博物館 
 次に左右について。
 以前私が聞いた「人相学」によると、「美人とは限りなく左右対称の顔」とのことですが、T君によるとそれは違うそうです。

 「人間の顔は左右非対称だし、鏡で左右対称の顔を見てもつまらない」
 そのため能面ではわざと左右非対称にしているとか。
逆髪-右面 逆髪-左面
 「私の打った逆髪。右面と左面、どちらがお好みですか」と聞かれて私は次のように答えました。
 「右面を採ります。理由はこちらのほうが女性の意志がよく表れているから。逆に左面はちょっと頼りない表情が感じられます」
 むろん素人の感想です。

 ひと通り見終わって、
 「おッ、キミの被ってる翁の面、ようできてるやないか。ワシにくれ」
 「これはひとつしかないから、やらん」
 「そんならオレの、どうや」
 「そんな崩れた面、要らんわ」
 「崩れたとはなんや、ずい分やないか」
 「まあまあ。崩れてるところはT君に修正してもらお」
 「こんなん修正利かへんで。金槌で割ったほうが早いわ」
 「なんちゅうこというねん」
 みんな真面目に能面に取り組んでいるのに、我われ(誰や!)にかかるとすべて与太話に……。
記念写真 
 このあと散会して一部で近くの「イノダ」で珈琲ブレーク。
 女流画家とN君は、意外にも高校のとき通っていた塾が同じで話が盛り上がりました。
イノダ珈琲店 
 「この翁はどこでも出没しよるなあ」
 「その当時は翁やのうて、紅顔の美少年やった」
 「そのときのお面のほうがええな。今から取り換えられへんのか」
 「もう遅いわ」
イノダ珈琲にて 
 そんなアホなことばかり話して別れました。
 こんな観賞でいいのかなー。

 美少年から翁まで能面展

 季語がないのは平にご容赦。
 今月の10日(金)、友人(T君)が出展する第23回「光勲能面会展」(会場;京都文化博物館5階、期間04/08~12)を観てきました。

 T君は会社勤めの傍ら能面づくりを趣味とし、長年打ち続けてきました。
 光勲とは彼の所属する会の師匠(大月光勲氏)の名前。

 去年の夏T君と連絡を取り合うようになってから、ときどき彼の作品の写真を送ってきました。
 私のような素人が見ると、「見事なものだなあ」と思うのですが、当人は、「いや、今回の出来は不満が残ります」
 それだけ道は厳しいということか。
 不動ー 正面{2年前)
 今年出展用の作品も送ってきました。
 「逆髪」(さかがみ)……これは演目「蝉丸」のシテ(主人公)。蝉丸の姉で、髪の毛が逆立っている(今でいうクセ毛?)ところからつけられた名前です。高貴なお方(天皇の娘)なので気品はありますが、自らの逆髪を悩み、狂人(鬱病?)になってしまいます。そのためどこかエキセントリックな気配も感じられます。

 私は素人ながら、「前回の面は幼さが感じられたけど、今回のはキリッとしている。成長の跡が窺えるのでは」とエラソーな批評をしてしまいました。(お恥ずかしい)
逆髪ー正面(2年前) 逆髪-正面(今年)
 当日は、取手のA君と京都の女流画家、栗東(滋賀県)のN君、さらに小学校の同級生3人が集まりました。
 T君の解説によると、能面の材質はヒノキだそうで1本7000円。
 これを彫刻刀で丹念に彫っていきます。細かい彫刻刀で彫るため、表面を滑らかにするにもペーパーは使わないそうです。
京都文化博物館 
 しかし彫れば彫るほど気に入らない表情になっていくことが多いとか。そんなとき師匠は躊躇なく「パリン!」と割るそうです。
 「大きな声ではいえんけど、ボクは接着剤で修正してます」(T君)
集まった面々 
 次に彼がつくった「小べし見」(こべしみ) の面。
 彼の説明によると、「べしむ」というのは、口を真一文字にむすんだ表情のこと。大・中・小とあって、この「小べし見」はやや小ぶりの鼻と口で、銀杏型の目が特徴とのこと。
 怒っているのではなく、相手を諭しているのだとか。
 ひょっとして「キミ、もっと真面目にやるべし」の「べし」?
 (それは聞かなかった)
小べし見-正面 
 能の「鵜飼」で使われる地獄の鬼のほかでは、鐘馗(しょうき)のなどの役柄で使われるとのことですが、「鵜飼」も「鐘馗」も知らないので、よくわかりません。
 それよりも後ろに展示されていた「翁」(おきな)の面がなんとなくN君に似ているような気がしました。 
 一昨日(04/18)、昨日(04/19)とNHKスペシャル「戦後70年・日本人と象徴天皇」を観ました。 
 取り立てて新しい事実は出てこず、私にとってはほとんど承知していることばかりですが、観る意義はじゅうぶんありました。
NHKスペシャル① 
 それは昭和天皇も今の天皇も、今の内閣がどのような「屁理屈」を弄そうが、「日本が起こした太平洋戦争は侵略戦争であった」と位置づけ、「なんとかこれを回避できなかったか」との反省を持たれていたということです。

 戦前・戦中、世界各国は「太平洋戦争は天皇の名の下に行われた」と認識していました。
 わが国でも大部分の国民はそう思っていました。私も、「日本の兵士は、死ぬ間際に『天皇陛下万歳!』と叫ぶ」と聞かされていました。
 となれば、(昭和)天皇は戦争の第一の責任者ではないか。
NHKスペシャル② 
 しかし戦後、天皇の手記や談話によると、「(戦前の)立憲君主制というのは議会で決められたことを承認するだけなので、天皇の立場から異論を唱えることは一切できなかった」といいます。したがって「真珠湾攻撃は自分の意志ではなかった」
 ただし昭和天皇が自らの意思を通したことが2回ある。それは「二・二六事件」のときの叛乱将校を逆賊としたこと、そして太平洋戦争終結の「玉音放送」を決行したこと、といいます。

 これは天皇の責任逃れの方便ではなく、事実でした。
 (現に天皇は責任逃れするつもりはなく、マッカーサー元帥には「私はどうなってもかまわない」と首を差し出しています)
NHKスペシャル③ 
 太平洋戦争では自国民に多くの犠牲者を出したのみならず、アジア各国にも多大な損害を与えた。この責任を誰が負うのか。国の指導者か、国民すべてか、それとも天皇か。

 事実「天皇を処刑すべし」という意見も連合国のなかで30%ぐらいありました。
 しかし日本人の国民性を重視したアメリカはその意見には与せず、
 「天皇も日本国民も犠牲者ともいえるので、戦争責任に関しては不問にする。したがって国家倍賞はゼロ、その代わり14人のA級戦犯を処刑して、これを永遠に世に出さないこととする」
 という裁定を下しました。(サンフランシスコ講和条約)
 
 これはアジア各国の多大な被害からすれば、圧倒的に寛大な処置です。
 (あれは戦勝国が力ずくでやったことだ、というのは違います。あの時点で日本国民の大半は「やれ、助かった」と胸を撫で下ろしました。あとであれこれいうのはみっともない)
NHKスペシャル④ 
 天皇はその寛大な処置に甘えることなく、精力的に日本各地を「行幸」し、敗戦で打ちひしがれた国民を勇気づけました。そしてアメリカをはじめ、ヨーロッパ各国を歴訪。これは一面では謝罪の旅でもありました。

 一方で1978年靖国神社がA級戦犯を合祀したとき天皇は不快感を示し、同神社への参拝は一切しなくなりました。これについては、その口惜しさを短歌に詠まれました。

 この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし

 のちに出てきた侍従のメモ書きには「相当お怒りであった」とのこと。
NHKスペシャル⑤ 
 その意志は今の天皇にも引き継がれています。
 国家の指導者は「A級戦犯を世に出さない」というのは、日本が世界に示した約束ごと。
 それを天皇はきちんと守って、靖国参拝は絶対になさらないのです。
 中国や韓国がうるさいから、という理由ではありません。
NHKスペシャル⑥
 それに加えて、私は今の天皇に敬意を抱いたことがあります。
 それは数年前の園遊会で、某棋士が愛国教育の一環として「国旗称揚、国歌斉唱をやらせております」といったとき、「強制にならないことが望ましい」といわれたこと。

 国を愛するというのは、恋愛と同じで、強制するものではない。
 女性に対して「オレのことを愛せよ」という男がみっともないのと同様、国家が国民に「国を愛せよ」と強制するのは国として卑しい。
 それよりも国家の側が愛されるに相応しい国になれよ。
 国家が国民を大事にすれば、国民は自然に国を愛するようになるんだから。
NHKスペシャル⑦ 
 私は日本の歴史や文化を学んで、「なんと素晴しい国だろう」と思い、幕末~明治初期にきた外国人の目から見た日本を描いた「逝きし世の面影」(渡辺京二・著)を読んで、「なんと素朴で無欲な人たちなのだろう」と日本人が好きになりました。
 国を愛するとはこういうことです。

 今の天皇はそれを実戦しているのではないか。
 このドキュメンタリーからはそんな印象を受けました。
 254バイパス沿いに「ららぽーと富士見」がオープンしました。
 オープンしたのは4月10日、私が京都にいたときです。
254バイパス 
 長い間工事中でしたが、「こんなところに商業施設つくっても、くる人なんかいるのかね」
 はなはだ疑問でしたが、行ってみると平日にもかかわらず、人、人、人……。
正面入口 
 内部は回遊式の商店街になっていて、とにかく広い。店舗数も293店というから、埼玉県でも最大級の規模。ブランド店が多く、都心や横浜にも引けをとらないファッションセンス。
 しかも3層吹き抜けになっているところもあって、けっこうオシャレ。まるで横浜のクイーンズスクエアにいるような雰囲気です。
吹き抜けフロア① 
 「ショッピングだけで考えれば、池袋や横浜などに行く必要はなし」
吹き抜けフロア② 
 目を引いたのは某スポーツ用品店。ショーウィンドウには商品を並べるのではなく、スポーツの歴史の年表や資料が展示されています。
 商魂よりも文化を優先しているようで、気に入りました。
スポーツ用品店 
 しかしここはアクセスに難がある。
 最寄の駅は東武東上線鶴瀬。そこからは急坂を下りて1.7km。歩くと約30分。
 もちろん専用のバス停もできて、新しいバス路線もできたけど、他の地域の人がわざわざ鶴瀬まできて、さらにバスに乗って行くかね。
駐車場と駐輪場 新しいバス停
 「そこは254バイパス沿いなんだろう。車にとってはこの上なく便利じゃないか」
 ご指摘の通り、ここは車のための商業施設。
 とにかく駐車場が広い。駐車台数が約4,600台というから、完全に車の客を当て込んでいます。

 大盛況春の椿事かららぽーと

 いつまで続くことやら。数年前のふじみ野市のアウトレットモールの例もあるし。
下は森のダイニング 
 へそ曲がりの私としてはショッピングやグルメにさほど興味はないけど、都会的な雰囲気を味わいたくなったら、くることにするかな。
休憩所 
 ららぽーと都会の涼を求め来る

 当分は大丈夫、かな。
2015.04.18 筍の土産
 京都に滞在中(10~12日)、友人宅で筍を貰いました。
 彼の自宅(兼事務所)は洛北にあり、行ってみると裏が広い竹林。
友人宅  
 竹林をバックに記念写真を撮ったとき、「これ全部キミんちの竹林なの?」と聞いたら、こともなげに「そうだよ」
竹林にて記念撮影
 本当かなあ、と一瞬疑ったのですが、新聞紙にくるんだ筍を手渡されました。「今朝、掘りたてだよ」 
 (やっぱり本当だったのか)
裏の竹林 
 その新聞紙には「今回も低投票率か!」との見出し。やっぱりなあ。

 筍を包む新聞記事見入り

 土産に貰ったのはいいけど、正直いって重い。
 デイバッグに詰め込んだので、ずしりと肩にきます。これを担いで八坂神社から円山、清水坂を徘徊し、五条坂を河原町まで歩き、さらに京都駅まで歩きました。
 重いものを担いでいると足にきます。足は今にもヘロヘロ状態。

 筍を貰ひ荷物の重くなり
 それでも無事持ち帰り、翌日皮を剥きました。
 皮が意外にたくさん出る。昔ならこれでにぎり飯などを包んだのでしょうが、他に使い道が思いつかなかったので捨てました。

 出てきた白色の身を適度に輪切りにし、市販のダシつゆに酒とかつお節を入れて弱火で煮込みました。あとはゆっくり冷ませば、ダシが滲み込みます。

 適当に切って小鉢に盛りつけました。
 本当は山椒の葉っぱなどをあしらったほうが見栄えがいいのですが、なかったので山椒はつけずに済ませました。不揃いではありますが、無骨な男の料理ということでご勘弁。
 サクサクッとしてけっこう美味かった。
筍の煮付け 
 根元の部分は硬いので、細かく切って筍ご飯にしました。
 炊き込みご飯はあまりやらないのですが、このときはうまくできました。味もよかったし。
筍ご飯 
 この写真を筍をくれた京都の友人に送ったところ、次のような返信をいただきました。

 「筍の写真、美味しそうですね。最初、湯掻いたときに味付けしないで、先端部分を刺身醤油で食べると新鮮で美味しいです。次回はぜひ刺身を食べてください。また京都に来られたらお会いしましょう」

 そうだった、「先端部分は刺身で食べると美味いよ」とあのときもいわれてたのですが、その余裕がなかった。今後の反省点。

 筍は食物繊維が多く便秘の症状を改善し、血糖値の上昇を防ぎコレステロールの排出を促す働きがあり、またカリウもを多く、ナトリウム(塩分)の排出を促す作用から、むくみの解消、高血圧の予防に効果的だそうです。
 
 美味いし、健康効果はあるし、重い目をして運んできた甲斐があったというもの。

 筍を食して重きを忘れをり

 現金なものです。
2015.04.17 水辺の桜
 今回京都の市内を徘徊してみて、京都の桜の名所は哲学の道をはじめとして水辺と関連しているのではないか、と思うようになりました。
 哲学の道は昨年UPしたので割愛して、まずは白川通。
 岡崎の国立近代美術館前から鴨川への注ぎ口(縄手通)へ流れる水路沿いの道です。
白川通 
 川底も浅く、所どころ川面に降りられるようになっていて、なんとも風情があります。
 その川沿いにソメイヨシノをはじめとする数種類の桜が植えられています。
 しかし、すでに葉桜。
ソメイヨシノはすでに葉桜 
 「いやあ、一週間前だったら満開で見事でしたよ。残念でしたな」
 と品のよさそうな老人に話しかけられました。
 私の格好を見て、「遠くからいらしたのですか」
 埼玉からきました、と答えると、「それはそれはご苦労様です」
しだれ桜 
 「私なんかここで生まれて、ここで育ち、まあここで終るんでしょうな。ここしか知らんのです。今年92歳」
 へエーッ、おどろくしかありません。矍鑠として、どう見ても80代。
 「じゃこれで。これから選挙行ってきます」と深々とお辞儀されました。
遅咲きの桜も 葉桜越しに見る民家
 由緒あるところには、それ相応の人物がいるということらしい。
 次に高瀬川。
 やはり小さい川で、白川と混同しがちですが、白川が鴨川の東にあって南西に流れ、四条近くで鴨川に注ぎ込むのに対して、高瀬川は鴨川の西を平行するように流れます。
高瀬川 
 「史跡 高瀬川」の説明板には次のように書かれています。
 「此の川は慶長十五年京都大仏殿の造営にあたり百本大石の運搬の為に造られた人工水路である。……(略)……此の水路沿いに多くの木材問屋が有ったところから木屋町と名が生まれ、此の川の上流二条には高瀬船入と呼ばれる歴史遺物がある」
三条小橋① 
 たしかに京都の人は高瀬川といわずに「木屋町」といいます。
 その木屋町、三条小橋のあたりはまだ桜が咲いてました。
 真っ白い花びらだから、これはオオシマザクラかな。
 うーん、なかなかの風情です。
三条小橋② 
 最後はずっと南下して、伏見中書島の濠川(宇治川派流)。
 ここはかつて「十石舟」「三十石船」で酒・米などの物資や旅客を伏見から大坂まで運ぶ、交通の要所でした。
 大正・昭和になって鉄道や車の発達によって舟の役割は終わりましたが、今は遊覧船として運行されています。
中書島の濠川 
 この時期はその「十石舟」で川沿いの桜を見ることができるのですが、しかしここも葉桜。
 というわけで舟には乗らず、橋の上から眺めました。
十石舟 
 川沿いには酒造の酒蔵が並んでなんとも風情があります。
 そこにはらはらと花筏。

 俤を浪花に運ぶ花筏

 どこかで聞いたことのあるような……なんていいっこなし。
 岡崎は平安神宮があり、美術館、動物園、野球場、京都会館などがある文化ゾーンです。
 ここを歩いているだけでも賢くなった気がする?
疎水の桜 
 中学生のときは野球場の周囲を何周も走ったことがあるし、高校生のときはここの図書館で勉強したものです。
 それだけにここは一際愛着があります。
美術館 
 子どもが生まれて里帰りして、当時1歳のわが子を連れて動物園へ行ったとき、私が小学生のときに見たラクタがまだ生きていたことにおどろきました。
 「お前、まだ生きてた」
 かなり老齢でしたが、その矍鑠(かくしゃく)とした姿には胸を打たれるものがありました。
左は平安神宮の鳥居、右は美術館 
 その岡崎は疎水べり一帯に桜が咲いて、春は花見客で賑わいます。
 改めてここが桜の名所であると認識しました。
 しかしこの時期はすでに散りかけ。それはそれで風情はありますが。
遊覧船 

 八坂神社の奥が円山公園。
 ここのしだれ桜は有名ですが、「もう散った」とのことで断念。
 しかし、近くの寺院に遅咲きのしだれ桜を見ました。
 スケールは少し小さいけどこれでよしとするか。
しだれ桜① しだれ桜②
 その代わり、公園の一角で「御衣黄桜」(ぎょいこうざくら)を見ることができました。
 解説によると、「この桜は4月下旬より咲き始め、花びらは開花につれてわずかではあるが、緑、黄、ピンクへと色を変えていく。終えると花ごとポトリと落ちるという珍しい桜である」
 御衣黄桜① 御衣黄桜②

 これだけでは寂しいので、八坂の塔と桜の風景を。
八坂の塔と桜 

 さらにオマケは、知恩院参道の桜。これはちょっと白っぽいので、サトザクラかな。
 いずれにせよ、盛りは過ぎていました。(我が身同様?)
知恩院参道の桜 

 桜散り何処へ行くかこの先は

 詰まらない句になりました。
2015.04.15 鴨川の桜

 京都市内を流れる鴨川。その鴨川は意外にも桜の名所。
 京都にいたときはまったく関心がなかったのに、離れてみると、「ここの桜も見事だな」と気がつきました。

七条橋西詰め 

 まずは七条から。
 ここにかかる七条大橋は5連の鉄筋コンクリートアーチ橋で全長82m、幅員18m。
 つくられたのは大正2年(1913)。戦時中は鉄の供出で欄干や街灯が失われ、長らく木製の欄干でしたが、京阪本線の地下化と川端通の開通に併せて金属製の欄干に変えられました。
 現在鴨川に架かる橋では最古の橋です。

川端通り七条 川端通りから七条大橋を見る

 橋の西詰にソメイヨシノが咲いていますが、東側の川端通はしだれ桜が見事です。
 「もう盛りは過ぎましたがな」
 写真を撮っていたら、散歩していたジイサンに話しかけられました。
 そんなことわかってるよ。えッ、桜のこと?

 京都の繁華街は三条から四条の間。
 したがって鴨川もそのあたりが賑わうらしい。

若松通り① 

 この日は盛りを過ぎたとはいえ、しだれ桜を中心に咲いてました。
 三条近くの川端通りの川沿いの遊歩道は「若松通り」と名づけられて四季折々の草花が植えられていて、春はソメイヨシノやしだれ桜が花を咲かせ、花見客が多くなるそうです。

若松通り② 

 若松通りなんて、私がいたころはなかったからなあ。
 まるで浦島太郎の心境です。

若松通りから対岸を見る 

 それでも対岸の「先斗町歌舞練場」は知ってます。(行ったことはありませんが)
 しだれ桜越しに見える歌舞練場の建物が、京都の桜らしいといえなくもない。

三条大橋西詰め① 

 三条大橋は東海道の終点。
 それだけに橋の西詰には弥次さん喜多さんの銅像が。
 その銅像の上に咲くしだれ桜がなかなか見事でした。

三条大橋西詰め② 

 弥次喜多も都をどりに酔ひ痴れり
   

 ちょっと強引だったかな。

 首都圏の桜はもう終わりかけですが、仁和寺の御室桜(おむろざくら)は今が満開。
 中門内の西側一帯に桜の林があります。

桜林① 

 皆さんにつられて我われも桜林(約200本)に入りました。なるほど、低い。
 「御室桜越しに見る五重塔に人気があります」と係りの人がいっていたように、みんなここからパチパチと撮影。当方もパチリ。「まるで絵ハガキやな」と友人。

桜林② 

 御室桜は樹高約2mと低いのが特徴。花びらが白く厚いので、オオシマザクラと同じようなサトザクラの種類と考えられます。

御室桜と五重塔 

 わたしゃお多福御室の桜 はなはひくても人が好く

 昔から京にはこんな戯れ歌があります。
 はなとは花(鼻)をかけ、鼻は低くても人から好かれるお多福に譬えたもので、「お多福桜」とも呼ばれています。

御室桜越しに見る五重塔   

 俳句としては

 仁和寺や足もとよりぞ花の雲……春泥

 ねぶたさの春は御室の花よりぞ

 春に来て御室を出るや宵月夜……与謝蕪村

 解釈はそれぞれに。

しだれ桜

 仁和寺は真言宗御室派の総本山ですが、寺院には珍しく天皇家と深いつながりがあります。
 というのは、この寺院(西山御願寺)は光孝天皇の発願によって着工されたからです。しかし翌年天皇が崩御されたため、その意思を宇多天皇が引き継いで仁和4年に完成させました。
 そのため「仁和寺」と改められました。

仁和寺境内 

 また、寛平9年に宇多天皇が出家し、仁和寺の西南に「御室」を建ててお住まいになったことから、「御室御所」とも呼ばれています。

 「ご本尊に菊の紋章が入っているのはそのためや」

御室桜のUP

 友人にいわせると、この低い桜はここでしか咲かないそうで、その理由は土壌にあるとか。
 「今も調査中やけど、はっきりした理由はまだわからんそうや」

 理由はわからなくても、ここでは短身のコンプレックスはない?

御室桜を背に

 背の低き人麗しき花の影

 お粗末。

 若いころは桜に対する関心は低かったのです。
 4月というのは受験の時期で不合格の体験が強く、桜など目に入らなかった。
 むろん入学したこともあったけど、新生活に追われていたので桜など見る余裕もなかった。

 子どもができてからは、府中公園や桜並木、多摩墓地など近所の桜の名所を子どもと一緒に散策しました。それでもとくに「花見」という感覚はなかった。

多磨霊園

 目黒川沿いの小さな出版社に勤めたとき、「花見やりましょう」と若い編集部員が井の頭公園の場所を取ったのですが、生憎の雨で中止。そのため桜の木の下でブルーシートを敷いて一杯やる、いわゆる「花見」をやったことは一度もありません。

 フリーのライターになってからは上野の花見風景を取材に行ったことはありますが、傍観者的に見ていたので、「こんなものが楽しいのかね」と冷ややかな感想でした。

上野公園の桜 

 それが変わったのは8年前の暮れ、病床の弟を見舞ってからです。
 弟は末期の胃癌で、「余命1~2年」といわれていました。
 弟はそのとき、「来年の桜が見られるかなあ」とつぶやきました。
 私はおどろいて、「見られるとも。来年またくるから花見に行こう」といいました。
 髪の毛は抗癌剤でつるっ禿げでしたが、目に力があったので、まだ大丈夫だと確信しました。

花見客 

 しかし私と会ったのち、弟の容態は悪くなり、明くる年の1月帰らぬ人となりました。
 「ひどいヤツだ。花見しょうと約束したじゃないか」
 その年の桜は目に入りませんでした。

 そのとき思ったのは、「病気の人間にとって、春の桜とはそんなに大事なものなのだろうか」ということです。
 癌患者の手記や家族の看病記を読むと、多くの患者が「春の桜」を生命の「よすが」にしています。これは日本人特有の精神構造なのでしょうか。

 とはいうものの、その後は雑用に追われ、桜など見る余裕はなかったのですが、少し余裕ができた年は「東日本大震災」の直後で桜を見る気分になれず、本腰を入れて桜を見るようになったのは3年前からです。

 そのときは埼玉に引っ越してきたあとで、「そうか、前いたところは小金井公園や国立(くにたち)学園通りなど桜の名所は近かったのだ」と思いました。(小金井公園は去年行きました)

六義園のしだれ桜 

 あちこち桜の名所を徘徊して思ったのは、桜の名所とは、①桜自体が珍しい、②桜の群生、③意味ある背景と桜、ではないか。(複合もあり)

 ①桜自体が珍しいとは、樹齢百数十年といういわくある桜。六義園のしだれ桜など、大ていしだれ桜です。ソメイヨシノはクローンなので名木になることはまずありません。
 ②は公園や川沿い、並木道など桜が多く植わっていること。所沢の航空公園や、砂川堀、川越御伊勢橋通りの桜並木など。
 ③そこに歴史的な由縁があったり、名所(神社仏閣)や観光地であること。横浜の山手公園、山下公園のしだれ桜など。

 桜の花は華やかなイメージですが、花そのもの(とくにソメイヨシノ)はシンプルで地味。
 クローズアップで撮ってもあまり意味があるとは思えない。桜の価値とは、桜+α(背景・人)で成り立つのではないか。
 ということで、私はなるべく花見客をフレームに入れるようにしています。

 今回、近所の桜の名所を徘徊して、残念な光景を目にしました。
 ふじみ野市亀久保の旧庁舎前の桜並木です。(↓)

亀久保の桜並木 

 桜並木なのに妙に殺風景。その理由は歩道側の枝を全部切り払っていることにあります。
 可哀相にみんな片腕を切り取られて、とても健全な姿とはいえません。こんな桜並木になんの意味があるのか。人間のエゴが感じられて、見るのも不快。

 むろん商店街や自治体にはそれなりの事情があるでしょう。枝が歩行者に当たるとか、花吹雪の掃除が大変とか。
 しかしその苦労あってこそ、わが自慢の桜。(部外者の無責任な意見?)
 なんとも無残です。こんなことをするのなら、桜並木にしなければいい。

 図らずも辛口になったけど、これも数多くの桜を見てきたから。
 そして桜の花が我われ日本人の心に大きな存在を占めることを知ったからです。
 来年はいい桜を見たい。

 所沢の花見の名所といえば見るも聞くもなく航空公園ですが、もう何回もきているので食傷気味。他にないのか、と所沢の知人に聞いたところ、「東川があるぞ」

東川 

 東川は航空公園の南側を東西に流れる小さな川。
 川越の新河岸川ほどの風情はないけど、川沿いに桜の木がビッシリと植えられ、なかなかの景色。これが約4kmも続くそう。

桜並木 

 こちとら自転車だから、全部回りました。
 これまでいろんな桜を見てきたから、いく分シビアな見方をするようになり、「うーん、いいけど、どこを見ても同じだなあ。これは金太郎飴桜」と偉そうな感想を。(スミマセン)

松井橋 

 すでに満開の時期は過ぎ、風に吹かれてはらはらと花吹雪。
 それが川に落ちて流れ行く。まさに花筏。

花の間から見る東川 

 しかも川幅が狭く、流れがゆっくりしているので花びらが川一面に溜まり、ピンクになっちゃった。それがまた風情があります。

花見?

 知人の話では、この川は狭山丘陵を水源とし、柳瀬川に合流するそう。
 砂川掘のようなドブ川ではないのか。(安心しました)

花筏 

 ここもちょっと懐かしい。
 京都の哲学の道に似ていなくもない。

 花筏我が魂を冥府まで

 大袈裟だったかな。

 所沢西端にある金仙寺。
 ここは樹齢150年といわれるしだれ桜が有名です。

金仙寺山門 

 川越・中院やふじみ野・地蔵院のしだれ桜はソメイヨシノより早く、とっくに咲いていたのでこっちも咲いているだろうと思って、2週間前にきたのですが、開花はまだでした。(東京の開花宣言の前日)
 ガックリしました。

 金仙寺境内

 以前なら「もうこないぞ」と短気を起こしましたが、そんなことしていると世界がどんどん狭くなるので、最近は「一度は見てやろう」に変わり、先日再び行ってきました。

 しだれ桜①

 ほう、これが……。
 例のしだれ桜。
 高さ16m、幅14m。大きくて見事ではありますが、満開の時期は過ぎたのかな。花のつきがしょぼい気がします。あるいは見る角度のせいか。
 だとすると高けりゃいいってものではないのか。

 しだれ桜②

 これなら京都御所(旧近衛邸跡)のしだれ桜のほうが見事だぞ。
 まあいい、これも一見しなければわからなかったこと。


 帰りに北野天神社に寄りました。前回とは逆。
 天神というからには梅が主役で桜は二の次だろう、と思っていたら大間違い。
 境内にはけっこう桜が咲いているじゃないの。

 北野天神社の桜

 さらに日本武尊ゆかりの「尊(みこと)桜」も……。
 これは日本武尊が東征されたときにお手植えになったもので、これは四代目とか。本当かなあ。

 尊(みこと)桜

 益体もなく天神に花吹雪

 意味は考えぬこと。

 さいたま市は桜区。荒川にかかる羽根倉橋近くの「千貫樋(せんがんぴ)水郷公園」は隠れた花見の穴場です。

しだれ桜 

 この地域(旧浦和市)は昔から荒川が増水すると市内を流れる鴨川から逆流してくるため、水門をつくって防ぎました。これが千貫樋。

千貫樋 

 その千貫樋は今では役目を終え、道路橋となって、上には県道57号が通っています。
 そしてその一帯は整備されて水郷公園になりました。
 6月にはアヤメが花開きますが、桜もなかなかのもの。

水路沿いの桜 

 この公園は広く、周辺の道路には公園への案内板も出ていますが、周りが住宅地に囲まれているので、自転車でくる者にとっては、いつも入口がわからない。
 仕方がないので荒川の土手から降りました。

荒川の土手から見た桜 

 眼下に桜並木を見下ろせますが……。
 ピンクの帯状になった花びらのかたまりが見えるだけ。あまり風情はありません。
 桜とは俯瞰して見るものではない、と思いました。

桜の向こうは菖蒲園 

 少し下がると桜の花の間から菖蒲園が見えます。これがなかなかの景色。
 アヤメが咲いてりゃなおいいって?

菖蒲園と桜 

 違います。そんなことになれば両者打消し合って、かえってぶち壊し。
 6月になれば主役が交代して、木と木の間からアヤメ見られる、これが自然の摂理。
 (TVの生け花で学んだ法則です)
 今は桜を楽しむべし。

 それに桜は下から見上げて見るもの。

 見下ろせば桜の花のカーペット

 そのまんまやないか。それにたとえがあまりよくないし。

 昨日の首都圏は日中でも5℃を下回り、雪も降ったというのにノー天気に桜見物か、とお叱りを受けるかもしれませんが、当方が行った日は晴れていて、桜も咲いていたんだからしょうがない。
 さて横浜の桜のトリは大岡川。

桜満開の大岡川 

 私のようなよそ者が横浜の桜を堪能するには、(日ノ出町下車)大岡川から始まって→みなとみらい→山下公園→山手通り→元町→中華街(食事)→大岡川で締めくくるのが最も充実したコース。したがって大岡川は昼と夜、楽しめます。

大岡川・両岸の桜 

 大岡川の桜は河口の弁天橋から弘明寺まで約3.5km、延々と続きます。
 私は全部歩きましたが、太田橋より先は桜が途切れるところも多く、歩く割には桜の見どころが少ないので白けます。

屋台も出る大岡川プロムナード 

 弘明寺まで行くと観音橋の周辺や弘明寺公園など桜の名所はありますが、川沿いを歩くのはちょっと……。(弘明寺は京浜急行で行くのが能率的)

  ということで、大岡川の桜の見どころはせいぜい黄金橋まで。
 屋台もそのあたりで終っているし。

夜桜見物 

 夕方になると雪洞(ぼんぼり)が灯され、屋台に灯りがついて、なんとも郷愁をそそられます。
 毎回ここを徘徊するたびに一杯やりたくなるのですが、ひとりで飲むのもつまらないし、これから電車に乗って帰らねばならないので素通り。

屋台のために道が狭くなる 

 「おッ、川沿いの夜桜がきれいだ」
 所どころライトアップされて夜桜もじゅうぶん楽しめます。

桜のライトアップ 

 川沿いの桜としては、川越の新河岸川のほうが江戸情緒に富んでいて、最も好きなところですが、それはあくまでも昼。新河岸川は屋台もなく、夜になると殺風景。
 夜桜はそれなりに都会でないと味わえない。となるとやっぱり大岡川。

夜のプロムナード

 大岡川ハマの桜を締めくくり

 来年もまたきたいねえ。

夜の大岡川 

 臨港パークからくると、インターコンチネンタルホテルからランドマークタワーを結ぶ道をさくら通りといいます。
 春になるとこの500mほどの道路の両側は桜がいっぱい。(ソメイヨシノが約120本とか)
 改めて「ここは桜並木だったのか」と思います。
さくら通り① 
 この道はクイーンズスクウエア、ドックヤードガーデン、向かい側にはコスモワールド(観覧車)や帆船日本丸もあるところ。
 それだけにこの桜並木は盛りだくさん。
さくら通り② 
 この時期にはイベントが催されますが、生憎この日はなかった。
さくら通り③

 さくら通りから帆船日本丸をグルッと回って鉄橋をくぐり、ワールドポーターズへ向かう海沿いの道を汽車道といいます。ここは新港埠頭に向かう貨車の線路跡。
汽車道① 
 ここの桜もなかなか風情があります。
 ソメイヨシノだけではなく、しだれ桜や真っ白いオオシマザクラも見られます。
汽車道② 汽車道③
 汽車道の突き当たりがナビオス横浜(ホテル)。
 下部が吹き抜けになっていて、なんともユニークな建物ですが、この前の桜も見事です。
 オオシマザクラも素晴しい。
ナビオス横浜前 

 山下公園は桜の名所でもありませんが、ニューグランド前のしだれ桜は一見の価値あり。
 大きくて見事。
 向こうにホテルニューグランドが見えるのがなかなかの風情ですが、反対側から見ると桜越しに氷川丸。ひと粒で二度美味しいとはこのこと。(古い!)
山下公園のしだれ桜① 
 しだれ桜の下にはプレートがあって「「咲いた 咲いた 桜が咲いた」と書かれています。
 説明によると、これはエドヒガンザクラを母種とする園芸品種で仙台近郊から持ってきたものだそうで、当時(1993年)樹齢50年というから、今では70年。貫禄です。
山下公園のしだれ桜②
 海眺め今年も咲けりエドヒガン

 お粗末。
 大井弁天の森からさらに砂川掘用水路を下ると、254バイパスの手前「花影橋」に差しかかるあたり、両岸が見事な桜。ここはふだん弁天の森よりもっと殺風景なところ。
 それがこのときだけ「桜の名所」になり、人が訪れます。
花影橋 
 「花影橋、いい名前だろう。この桜並木にふさわしいよ」と近所のおじさん。
 「ふだんは『痴漢が出る』といって女子高生なんか寄りつきもしないのに、このときばかりは大勢できて携帯で写真撮ってたよ」
花影橋から見る砂川堀用水路 
 土手を歩いてみると、頭上には桜が覆いかぶさり、まさに「桜のトンネル」ですが、真昼なのに鬱蒼としています。そうか、だから花影橋……。
 妙にナットクしました。
昼なお暗し桜の下 
 それにしても桜の下ってこんなに暗かった?
 そう思って桜の花を見ると、花びらが丸くボッタリしている。これはソメイヨシノではないな。
ヤマザクラ?  
 このような桜は去年小金井公園で見た、ヤマザクラの一種で小金井桜?
 こんなところで見られるとは思わなかった。
桜のクローズアップ 
 同じ砂川堀でもここは富士見市。殺風景な場所だし、大井弁天(ふじみ野市)との違いを出すために工夫したのかな。もっとも当方には今でも両市の境界がわからないのですが。
川堤の桜 
 遠くから見ると、なんの変哲もないコンクリートの花影橋もそれなりに風情があります。
 「桜の下では女性はきれいに見えます」
 と日本びいきの外国人学者がいっていたけど、桜は橋をもきれいにするものらしい。
向こうに見えるのが花影橋 
 私としては花の下の暗さが気に入りました。

 (おもかげ)を永遠にとどめし花の影

 ここなら今の姿が見えなくてもいいし。
 わが家に最も近い花見どころは大井弁天の森(ふじみ野市)。
 ここには砂川掘用水路というドブ川(?)が流れ、ふだんはなんの変哲もない場所ですが、春になると両岸に植えられた桜が咲くので、このときだけ「桜の名所」になるのです。
桜① 
 「まったく、ふだんはこんなとこ見向きもしない人たちがこのときばかりドッと押し寄せるんだから。ここはオレの散歩コースじゃよ」
 とは遊歩道をゆっくり歩いていたお年より。
 まあ、いいじゃないの。自分の散歩コースが脚光を浴びて。
遊歩道 場所取りも
 川にかかる桜の名所としては、目黒川(東京都)や大岡川(横浜市)が有名で、大勢の花見客で賑わいますが、ここはそれほどの賑わいはありません。
 遊歩道が狭いので、屋台など出る余地もないのですが。
花見客① 
 それがここの持ち味でもあるけど……。
 私は35、6年前、中目黒にある某出版社に勤めていたことがあって、目黒川に関してはよく知っているけど、あんなドブ川が桜のシーズンだけ賑わうのはチャンチャラおかしい。
桜② 桜③
 それに比べるとこっちのほうがましかな、「弁天の森」というだけあって、樹木も多いし、公園もあるし。
 あちこちで家族連れがお弁当広げています。これがローカルのいいところ。
花見客② 
 「子どもが、『どこか連れてって』っていうもんだから、仕方なくきたのよ」
 とはブルーシートに坐っていたお母さん。子どもたちは花見などそっちのけ、遊具のところへ飛んで行ったとのこと。いいじゃないの、元気で。
堤の下から見る桜 
 当方は写真を撮って、あわよくば一句ひねろうと……。
 しかし意識すると出ませんねえ。

 どぶ川をピンクに染めし花筏

 我ながら冴えない句だ。写真はいいんだけどなあ(??)
 三溪園は明治から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原富太郎(1868~1939年)が本牧三之谷につくりあげた日本庭園。明治39年(1906)、「三溪園」の名称で公開。
 名の由来は彼の茶人としての屋号・三溪からとったもの。2007年、国の名勝に指定されました。
三溪園・大池① 
 「おッ、これぞまさしくパンフレットの景色」
 大池に浮かぶ小舟、遠くに見える燈明寺の三重塔、ここに桜の花がかかります。
 みんなパチリ、パチリ。(もちろん私も)
三溪園・大池と三重塔 
 この大池、広くて橋もかかり(観心橋)、あちこちに桜が。
 それもソメイヨシノだけではなく、ヤマザクラ、オオシマザクラ、ヤエベニシダレなどが園内に約500本。ここは横浜では屈指の桜の名所なのです。
三溪園・観心橋 
 敷地面積は17.5ha。池あり、山ありと変化に富んでいて、徳川家光が京都二条城内に建てた「聴秋閣」(重要文化財)など17棟の古い建造物が移築されています。
三溪園・大池② 
 大池の手前からは、はるか遠くに見えた三重塔。
 すぐ近くまで行けます。この塔は康正3年(1457)京都の燈明寺境内に建築されたもので、それを移築しました。関東では最古の塔で、三溪園のシンボルになっています。
 うーん、近くから見てもそれなりに立派ですが、やはり遠くから見たほうが……。
三重塔 

 さて、三溪園を出ると、細い道に桜がいっぱい。まさに桜のトンネル。
 この通りは本牧桜道といって、道の両側に150本もの桜の木が植えられています。
本牧・桜道①  
 妙に懐かしい。
 この懐かしさはなんだろうと考えていて、ふっと思い出したのがふるさと京都の情景。
 たしか、子どものころ、実家近くの岡崎あたりを歩いたときの空気に似ている。
本牧・桜道② 
 この感想は私だけでしょうか。
本牧・桜道③ 

 大通り(本牧通り)に出てきました。
 ここも道の両側は桜がいっぱい。この並木は桜だったのか、と今さらながら驚かされます。
本牧通り① 
 山手警察署前から間門(まかど)の交差点まで約2kmの間に400本の桜並木が続き、まさに壮観。
 横浜のなかでも本牧は最近まで米軍基地のあったところ。この桜はその当時から植えられていたとのことで、スケールの大きさはアメリカ向け?
本牧通り② 本牧通り③
 私としてはここより(日本人向けの?)桜道のほうが好きだなあ。小ぢんまりしていて。
 老人の徘徊も横浜だと足取りも軽くなります。
 友人からは「目的を持たんとあかんで」といわれているのですが、私に目的などあろうはずもなく、無闇にあたりをほっつき歩くのみ。結果はあとからついてくる?(どうだか)

 さて山手通り。
 ここはもともと丘陵で「Bluff」(尾根)と呼ばれ、幕末当時は英仏の軍隊が駐屯していました。
 明治になって瀟洒な洋館が建てられ、外国人の高級住宅地になりました。
港の見える丘公園 
 港の見える丘公園です。この公園の奥、大佛次郎記念館の裏、霧笛橋のたもとには大きな桜の木があり、これが見事。
霧笛橋① 霧笛橋②  
 外人墓地の桜は申しわけ程度。右手奥に見えるのはランドマークタワー。
外人墓地 
 ただしエリスマン邸の前の桜は面目躍如。このあたりは山手通りを代表する場所だけに、通り全体が桜の名所になります。
エリスマン邸前 
 山手通りをさらに南下すると、左手にカトリック山手教会があります。ここの桜も見事。
 ここはソメイヨシノだけではなく、しだれ桜も咲いています。マリア像と桜が不思議にマッチします。ここは隠れた桜の名所。ただし飲食は禁止。(当然です)
カトリック山手教会① カトリック山手教会②
 そこから横手に入ると山手公園。わが国最初の西洋公園です。
 ここにはテニス発祥記念館や山手68館があります。ここも桜の名所。酒盛りしているグループもありました。
山手公園① 山手公園② 山手公園③ 山手公園④  
 足を延ばしてイタリア山庭園へ。ここは桜の名所ではありませんが、ブラフ18番館では真っ白いオオシマザクラを見ることができました。
ブラフ18番館 オオシマザクラ

 イタリア山からはもどる形になりますが、元町公園も忘れてはいけない。
 ここも風情ある西洋庭園。さらに桜がいっそう彩りを添えます。
元町公園① 元町公園②
 山手の桜はどこも素晴しい。「日本の道百選」だけのことはあります。
2015.04.03 四月の出句
 初春の情景としてまず浮かんだのが渚ゆう子「帰り道」の歌。

 ♪愛されたいから 好きだから 打ち明け話 したあの日
 私 しあわせ信じたの ああああ 信じたの
 河原町 風はやさしくて 肩先が触れて震えたの 
 都をどりの帰りがけ ああああ 帰りがけ……

 このなかの「肩先か触れて震えたの」に可憐な女心を感じました。
 なんとかこれを活かした句をつくれないか。
 そこで、①-a「肩先が触れてときめく春の坂」

 男女ふたりで(祇園の)坂を歩いているときの心理ですが、肩先が触れるのなら「ときめく」などとしないで、ここで兼題の「脈」を使って、「脈(相手の心)を診る」にすればどうか。それに「春の坂」では弱い。
 そこで①-b「肩先の触れで脈診る春雨傘」

 しかし「脈診る」は医者じゃあるまいし、それに「春雨傘」(はるさめがさ)は説明的だし、下五に6文字では句として納まりが悪い。「春の雨」でわかるのではないか。
 ということで、①肩先の触れで脈問ふ春の雨
 次に、横浜の春を詠みたいと思い、②-a「港町歩き続けて春の宵」→安易。
 ②-b「港町バーボン飲みたや春の宵」「春の宵鴎と酒を酌み交す」→これも安易。

 あれこれ考えているうち、ふと出てきたのが、②酔ひてなをジャズにうたた寝春の宵
 「港町」は出てこなかったけど、横浜=ジャズ、これでいいのではないか。
 季語別俳句の「花びら」の例句にこんなのがありました。「コーヒーの出前花びらのせてくる」
 「それがどうした」と突っ込みたくなる句です。花びらを乗せたコーヒーとは何なのか、それをどう思うのか、それを入れたほうがいいのではないか。そこで、
 ③-a「奇を衒ふ花びら浮かべ巴里珈琲」(巴里を持ってきたのは花の都パリから)

 しかし「奇を衒ふ」は作者の主観が入りすぎ。むしろ「さる店は」「お遊びで」「ままごとてふ」のほうがよいのではないか。それならいっそ、③-b「おもてなし花びら浮かべ巴里珈琲」
 いろいろ考えて「野点(のだて)カフェ」に。
 となると「珈琲」とダブるので、「巴里風味」「巴里の味」「巴里流儀」がいいか。いっそのこと「シャンゼリゼ」にするか。
 そうなると飲み物は何なのかわからなくなるので、結局元にもどし、
 ③野点カフェ花びら浮かべ巴里珈琲   
 「花冷」の例句から「心の冷え」を連想し、ある人と待ち合わせして、待たされたことを思い出しました。その人はいつもの時間より15分(一列車)遅れたのに、「お待たせ」とか「遅くなってすみません」のひと言もない。当然のような顔をしている。何様だ。
 これを句にして、④-a「待ち人に遅れ来られて花の冷」

 しかし「待ち人に遅れ来られ」というのはことばの重複なので、「待たされて」でじゅうぶん。それに中七に「謝罪もなくて」「ひと言もなく」「知らぬふりされ」と入れればよいのではないか。
 そこで④-b「待たされてひと言もなく花の冷」

 一旦はこれで決めたのですが、恨みごとを句にしているようで、なんだか居心地が悪い。
 むしろ意味深に、④年甲斐もなく待ち侘びて花の冷え

 (年配男が若い女性にスッぽかされた?)
 「年甲斐も・なく」は句跨(またが)りで、本来なら五七五に合わせて「待ち侘びて年甲斐もなく花の冷え」とするのでしょうが、それだと順当すぎて印象が薄い。
 敢えて句跨りにしたほうが「年甲斐もなく」が強調され、余韻が残るように思いました。
 昨日(04/01)は遠くへ徘徊する予定があったのですが、とりやめになり、自宅で高校野球の決勝戦(敦賀気比vs.東海大四)を観ました。
 敦賀気比は福井、東海大四は北海道、関東には絡んでないので気楽に観ることができます。
 でも強いていえば雪国びいきだから東海大四かな。(もっとも福井県だって北陸ですが)
1回表、東海大四1点先取 1回裏、敦賀気比追いつく
 試合は1回表東海大四が1点を先取すると、その裏敦賀気比も1点取って1-1の同点に。これは打撃戦になる、と思いました。
 打撃では敦賀気比に分がある、とみました。準決勝の大阪桐蔭戦では松本哲幣選手(2年)が2本の満塁ホームランを打ち、11-0で圧勝したからです。
4回裏、敦賀気比チャンスを逃す 

 敦賀気比といえば2年前の選抜大会、浦和学院戦でのラフプレーが印象に残っています。
 9回一死一塁で打者の打った二塁ゴロで一塁走者が封殺、このとき走者がベースカバーに入った遊撃手に体当たりしたため、遊撃手は一塁に投げられなくなりました。
 
 これに対する審判の判定は一塁走者は封殺でアウト、さらに守備妨害なので打者走者もアウト。「ラフプレーは許さない」ということでしょうか、形の上では併殺でケームセット。前代未聞の幕切れでした。
 (この年、大阪桐蔭も対県岐阜商戦で9回本塁突入の体当たりスライディングが危険なプレーと見なされ、アウトになりました)
 敦賀気比は猛反省したと見え、今回はラフプレーは見られなかった。

 しかしこの試合、皮肉なことが起こりました。
 8回表(東海大四の攻撃)無死二塁で打者の投手前バントを三塁へ送球。三塁手がタッチしようとしたとき、グラブを走者に弾かれて落球、セーフになりました。
 「体当たりスライディング、ラフプレーじゃないか」
 高校野球では珍しく、敦賀気比の選手が猛抗議。おそらく監督も選手も2年前のことが脳裏にあったと思われます。今回は逆の立場で、判定はセーフ。おかしいじゃないか。
8回表、東海大四スクイズ失敗 
 しかし判定は覆らずセーフで無死二、三塁。平沼投手の表情は明らかに不満顔。
 ふつうならこれでブチ切れるところですが、冷静さを取りもどし、次打者のスクイズを外して三塁走者を挟殺。後続を討ち取って無得点に抑えました。
8回裏、敦賀気比松本打った 魂はレフトスタンドへ
 その裏敦賀気比の攻撃で、(二打席連続満塁本塁打の)松本哲幣選手がレフトに弾丸ライナー。
 打った瞬間、「入った」と思いました。打球はポール際のスタンドへ。2ランホームラン。
 勝負ありました。3-1で敦賀気比の初優勝。
敦賀気比優勝  
 東海大四 1 0 0 0 0 0 0 0 0=1
 敦賀気比 1 0 0 0 0 0 0 2 X=3
試合終了 
 敦賀気比は仙台育英、大阪桐蔭という強豪校を破っての優勝。まぐれではなく、実力を見せつけました。
 準優勝の東海大四も準決勝では強豪浦和学院を破っていて、やはり実力。
 見応えのある決勝戦でした。
 川越の観光地を流れる新河岸川は江戸時代には物資や人の輸送に使われましたが、この季節は桜の名所として大勢の人で賑わいます。
 とくに川越氷川神社の裏手の氷川橋を中心とした川沿い500mにはソメイヨシノがびっしり。
 これが桜のトンネルになります。
桜のトンネル① 
 この桜は昭和32年に川越の和菓子店「亀屋栄泉」当主が、戦没者慰霊のために約300本の桜の苗を寄贈したのが始まりだそうで、別名「誉桜(ほまれざくら)」とも呼ばれています。
対岸の風景 撮影も本格的
 川沿いの桜といえば、都内では目黒川が人気ですが、あれはドブ川(悪いね)。
 こちらは水が澄んでいて、狭いけど下に下りられ、船着場から小舟に乗ることも可能です。
 江戸時代の船着場の雰囲気が残されていて、情趣深いものがあります。
氷川橋から見る新河岸川 
 とくに氷川橋近くの桜は枝振りがいいので、どこを撮っても絵になります。
 ということで和服の美人がいることもこの橋の特徴。
 この人、別にモデルさんではないけど、誰に対しても愛想がいい。カメラを向けるとニッコリ。(ウヒョー、こいつは春から縁起がええわい)
氷川橋にて 
 「おや?」
 道端で異様に盛り上がっている御一行。
 中国語が飛び交っています。
 カメラを向けると、Vサインして「イエーイ!」
 いいんだよ。日本の「花見」を楽しんでくれて。
宴もたけなわ? 

 でもここは桜のトンネルをじっくり味わったほうがいい。
 花が散ると川面いっぱい花びらで埋まります。新河岸川は荒川に合流し、東京湾に注ぎます。
桜のトンネル②

 俤
(おもかげ)をお江戸へ運ぶ花筏

 おあとがよろしいようで。