2月も今日で終り。
 正月がすぎて2月になったな、と思ったらもう終わり。早すぎる。
 それでなくても今月は28日しかないから、実際にも短いのだけれども、今月はいろいろありすぎました。

 京都から女流画家がきて取手の友と柴又→牛久大仏、翌日は南房総をドライブしました。
 また先週も京都から友人(同窓会幹事)がきて、取手の友と一緒に飲みました。
 さらに小学校の同窓会雑務に追われました。
 当時の写真を集めること。これには数人の友が送ってきました。

 そして会場の予約。候補は決めていたのですが、同窓生がくるともこないとも分からない状態で予約していいものかと思っていたのですが、幹事体験者の男から、「なにしてるんですか。会場の予約が先決です。ぼくなんか一年前から予約してました。一刻も早くお願いします」といわれ、あわてて予約を入れました。開催日は9月26日(土)。もう後もどりはできません。

 そんな矢先、風邪に見舞われました。
 私は毎冬3~4回、悪寒、発熱、吐き気に襲われ、寝込むことがあるのですが、この冬は2月に2回。それも大事なときに限って。(まあ、一日中寝ていたら翌日は回復したので事なきを得ましたが)

 句会の友人で、当ブログの熱烈な愛読者の男がいます。
 その彼から、「朝から何回も訪問しているのに、全然更新してないじゃないか。一体どうなっているんだ」とのメール。
 こちらとしてはそれに答える気力もなかった。

 翌日、「高齢者の風邪」といういい訳じみた記事を書いたら、「そうだったのか。気をつけてくださいよ、ご老体」といわれる始末。2歳上の先輩に「ご老体」といわれては世話はない。

 今はふつうに起きていますが、完治とはいかず、鼻づまりはするし、咳が出ます。
 何度か激しい咳をしているうち、腹の筋肉が痛いことに気づきました。咳は腹筋運動?
 これで腹筋が鍛えられれば儲けもの、ってなわけないか。

 そんなあわただしかった2月も、もう終り。
 来月はもう少し余裕が持てるように願います。風邪も引かないように。
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2015.02.27 縛られる患者
 このところ入院患者が病院の人に縛られるというニュースがいくつかありました。
 その病院の院長は「知りません」ととぼけるし、スタッフは口をつぐんだまま。

 これについて、20年近く前、友人を見舞ったとき、ある病院に疑惑を抱いたことがあります。
 その友人(広告会社自営=当時50)はくも膜下出血で倒れ、救急車で担ぎ込まれたN医大病院(千駄木)の診断では症状は第Ⅳ期(末期)。

 奥さんは喪服の用意をしたそうですが、主治医から「血管内コイル塞栓術」を呈示され、手術費用が安かったため、それに同意しました。
 この療法は太腿の血管から金属製のコイルを送り込んで動脈瘤を埋めるというもので、手術費用が安かったのはまだ試験的な段階だったからです。
 結果はそれが功を奏し、友人は一命をとりとめました。

 とはいえ退院はほど遠く、見舞いに行っても、私どころか奥さんまでも認識できない様子。
 それどころか、「朝、〇さんがきてくれた」とか「△号室の〇〇さんは前から知り合いだった」などと一瞬もっともらしいけど、よく考えればつじつまの合わないことをいう。

 そんな状態でしたが、20日ほど経ったら別の病院に転院。
 奥さんの話では、同じ病院に入院するのは3週間が限度とのことで、都内の病院を転々と移りました。
 行く先々で彼はトラブルを起こしたそうです。
 共有の冷蔵庫から、他人の飲み物やケーキなどを食べ、怒られても「ぼくのだ」という始末。

 東京都M市の某病院に移ったときのこと。
 見舞いに行っても、話はするけど相変わらずこちらを認識できず、おかしなことばかりいう。
 そのうちこんなことをいい始めました。
 「夜になるとね、病院の人がぼくを縛るんだよ」
 なにをいうのだ、と思ったけど、手首を見ると縛られたような跡。しかもベッドの柵の頭側に2本の包帯が結んであります。

 ちょっと席を外して洗面所に行きました。
 「あんた、×号室の患者の知り合いかい」とおばさんから話しかけられました。
 「あの人には困ったもんだよ。夜中になるとうろうろ歩き回るしさ。この前なんかこの洗面所に立ち上がってシャーッとおしっこしたんだよ」
 エーッ。
 おどろいたけど、このおばさんがウソをついてるとは思えない。

 こいつ、夜なか徘徊して病院のみならず、他の患者にも迷惑かけているのか。
 だとすると、夜縛られるのも無理からぬことなのかな。

 調べてみると、これは「身体的拘束」といっては医療機関では認められているそうです。
 ただしその目的は「当該患者の生命を保護すること及び重大な身体損傷を防ぐ」ためとのこと。
 その定義のなかに、
 ① 徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
 とあります。

 ははあ、これだな。洗面所で放尿されては病院は大迷惑。こんなヤツ、身動き取れぬようがんじがらめに縛りつけてくれい。

 ちなみに私は一度もありません。
 今回私が特選で採ったのは、
 ①太宰読む大寒の夜の濁り酒……(3)←うち宗匠の並選、〇←私の特選

 太宰というのは、この場合「人間失格」か「斜陽」か。
 大寒の夜に「濁り酒」(どぶ六)を飲むというのが気に入りました。どぶ六というのはあまり高級な酒ではなく、戦後出回った安い酒。太宰治や坂口安吾など戦後焼け跡派の作家がこれを飲んで、文学論を交わしていました。
 これは友人の作だろうなと思ったら、やっぱり。

 宗匠はこれを並選で採った割には意外に辛く、「『濁り酒』は秋の季語です。『大寒』が中七にはさまって季語として効いていません」とのことで、修正句は、
 「大寒や太宰読みゐる夜の酒」

 たしかに「濁り酒」は秋の季語かもしれないけど、「夜の酒」ではあまりに平板で、私は採らなかったと思います。太宰といえば「濁り酒」が繋がるのだから。

 この回の最多得票句は、
 ②水尾残し島影へ消ゆみかん船……(4)←うち宗匠の並選

 他にいい句がなかったので、私もこれに1票を投じましたが、宗匠は並選で採ったにも関わらず、「歌謡曲の『瀬戸の花嫁』を思わせる、ムードだけの句になってしまいました」と辛辣。
 これは当句会のベテランのお姉さまの句です。

 この句からは、小さなみかん船が島の向こうに消えて行く、しかも波の跡を残して、という情景が伝わってきます。「瀬戸の花嫁」とは違うけど、やっぱり説明句かな。
 「ムードだけの句」とは身もフタもない気がしますが。

 たまにはひどい句を、
 ③初春や水天一碧宮古島……(1)←宗匠の並選、
 ④初春や陽明門の衒いかな……(2)〇
 ⑤水仙の新芽の鋭利凍て地割る……(2)

 ③「この句は『水天一碧』で決っています。『水天一碧』とは晴れ渡った海の青と空の青とが一体となり境目がわからなくなることを言います。夏ではない、珍しい正月の明るい宮古島が髣髴されます」と絶賛。

 そんなものかね。私は「水天一碧」という四文字熟語に逃げていると思って採らなかったけど。

 ④はひどい。「衒(てら)い」とは、ひけらかす→さらにいうと、「すぐれた知識・才能があるようにふるまう」(例・奇を衒う)(新明解国語辞典)、つまり「カッコつけ」の意味。
 日光東照宮の「陽明門」のどこに衒う必要があるのか。このご仁、「衒い」の意味がまったくわかってない。というか、この句こそ「奇を衒っている」のではないか。
 これに2票(しかも特選がひとつ)も入るとは、採るほうも採るほう。「衒い」の意味がわかっているのか。

 ⑤はもっとひどい。
 「水仙」→冬、「新芽」→春、「凍て地」→冬、全部季語。こんなデタラメ句に2票も入るなんて信じられない。

 この三句は渓流釣りオヤジの句で、「韓国では雪掻きしないんですか」と質問してきたバカ男です。句歴は私より浅いようですが、他の句会にも出入りして、かなり努力している様子。

 そのためか、「最近上手くなったわね」といわれているのですが、基本的にことばの使い方がわかってない。それでもムードで票が入るのだから、句会はわからない。
 そこが俳句会の面白いところ、という説もありますが……。
2015.02.25 高齢者の風邪
 昨日(02/24)は風邪で一日中寝ていました。
 一昨日から喉が痛く、「風邪かな?」と思っていたら、翌朝は高熱。食欲もない。
 「これではしょうがない」とブログの更新もせず、寝込みました。

 水は飲めるので、「水作戦」はやりましたが、咳がひどい。
 ゴホンゴホンというものではなく、ゴンッゴンッと喉を直撃するような咳。しかもなかなか治まらない。息が苦しい。
 「咳ごときで」と思っていたら、これは半端ではない。咳でこんなに苦しんだのは初めて。
 しかも咳をするたびに空気を吸い込んでいるようで、咳のあとにゲッフがこみ上げてくる。それも空気だけではなく、さきほど飲んだ水がゲロッと。それも鼻から出てきたりして情けない。

 今までこんな苦しい咳をしたことはない。これは加齢のなせる業か。

 しかも寝ていると鼻が詰まって呼吸ができない。むろん詰まるたびに鼻はかむのですが、それでもどうにもならない。横向きに寝たら少しはましになりました。

 うつらうつらと寝ていて、目が覚めると、室内は暗くなり、時計を見ると6時。
 「朝の6時か」と思ったら、夕方の6時。
 そのころになると鼻の詰まりはいく分治まったので、仰向けに寝られるようになりました。

 その後はふつうに(?)寝られたように思います。
 目が覚めたら、またしても6時(!)
 いつもより遅いけど、いつも通り朝食を摂り、ゴミも捨てに行きました。

 喉はまだいがらっぽく、声はじゅうぶん出せないけど、熱は治まったようだし、今日は起きてふだんどおりの生活をするつもりです。

 それにしても同じ風邪でも以前とは症状が違う。年取ると風邪ひとつでも大ごとになる。
 そう痛感しました。
2015.02.23 二月の俳句会
 先日二月の俳句会がありました。
 私の出句と、それに対する票数。
 ①離別せむ文の数々庭焚火(兼題・離)……(2)←宗匠の並選
 ②凍滝たまの雫に耳澄ます……(0)
 ③雪掻くな韓流ドラマで見た景色……(0)
 ④甲斐もなく竹輪麩残るおでん鍋……(1)◎←宗匠の特選
 (出席8名、出句32句、数字は票数)

 ①は中七と下五を詩的に表現しましょう。「庭」は場所を限定するだけで要りません。
 ということで修正句は、「離別せむ焚火に燃やす文の数」
 うーむ、そのほうがいいのか。

 ②「たま」が「たまたま」ととられてしまいます。こんなときは漢字にしてください。普通の玉としないで宗教的な意味も含めて「魂」としましょう。
 ということで修正句は、「凍(いて)滝の魂の雫に耳澄ます」

 私としては(長時間かかって)たまに落ちてくるという意味と玉をかけているので、わざとひらがなにした。この句がいいとは思わないけど、宗匠がそこを読めないとは……。

 ③当句会のなかで韓流ドラマを観たといったのはひとりだけ。他は見てないとのことでこの句にはまったく無関心。なかに「韓国では雪掻きしないんですか」と質問してきたバカ男も。
 どこの国だって雪掻きはするよ。あくまでもドラマ(冬ソナなど)での美しい風景を髣髴したいという願望を詠んだのに。まったくわかってない。

 宗匠の評は、「韓流ドラマを見ていないとわかりません。私も馬鹿らしくて見ていないのですが……。『韓流』という風俗を句に持ち込んでは……」

 句の出来不出来を批評するのはいい。
 しかし指導者たるものが「馬鹿らしくて見ていない」などとケンカ腰で弟子の趣味(?)を否定するとは大人気ない。人の趣味は様ざまだぞ。
 否定するのなら、見てからするのが指導者というものだろう。これならその辺の「韓流ぎらい」のオヤジと同じレベルじゃないか。
 よほど軽薄なのか、それとも弟子の趣味を(確信を持って)馬鹿にしたいのか。

 ④竹輪麩は粉の固まりみたいで、私も嫌い。先月の「埒もなく」と同じく、「甲斐もなく」がうまい表現です。こういった手垢のついてない言葉によって俄然一句が立ち上がってきます。

 ボロクソのあとは賛辞。
 今回はこれ以外いい句はなかったとのことで、宗匠の特選は私の一句のみ。
 ちなみにこの句を採った人は宗匠の他には皆無。ということは、他の人は見る目がない? 

 
 どう解釈していいものやら。
 褒められても、「趣味」をケンカ腰で否定されたとあっては釈然としません。
 中高時代の友人が上京しているというので、昨日(02/21)、取手の友人を誘って新宿で会うことになりました。
 久しぶりの新宿です。
新宿駅 
 珈琲を飲むならあそこ、と決めていたのが西口札幌銀行地下(甲州街道沿い)にある「亜麻亜亭」
 ここは編集者時代によく利用したところ。ここなら広くてゆったりしているし、コーヒー代も比較的安い。ところが下調べに行ってみると、オシャレな居酒屋に代わっていました。
 オレは浦島太郎か。
新宿駅西口 
 「おうおう、元気やったか」
 (といっても2ヵ月ほど前に会っているし、メールのやりとりもしているのですが……)
 どこに入ろう、と近くの喫茶店に向かったのですが、どこも満員。
 どうせなら食事でもできるところがいい、と東口のビアレストランへ。
ミロード① 
 京都の友と取手の友は卒業以来初めての再会ですが、共通の知人も多いので、すぐ昔話に。
 「今、母校はこんなになっとんのや」
 と取り壊された校舎の写真を見ながら、「ここはガラの悪いヤツがいっぱいいたなあ」
 
 「ぼくの実家は神〇岡で、四錦よりも北白川か三錦に近いのや」
 「ほんなら銀閣寺のほうに進んで氷屋のところを曲がって坂上がって行くんやろ」
 「よう知っとんな」
 京都の友は小中高の(同窓会)幹事体験が豊富で、顔も広く、京都の地理にも詳しい。
同窓生① 
 「小学校の同窓会は順調に進んでんのか」と聞かれ、
 「もうひと息や。ある程度日にちは決めたんやけど、何人くるかわからん状態で会場を予約するのは勇気が要るなあ」
 「それはそうやけど、『えいやあ』と踏ん切らんとしゃあないで」
ミロード② 
 ビアレストランを切り上げ、中村屋の喫茶店へ。
 「そうそう、彼女(女流画家)、京都へ帰ってえらいよろこんだはったで。柴又、牛久大仏、それに南房総、非常に面白かったというてはった」
 この友人は京都の女流画家とは小学校からの同窓生で、親しいのです。
 (彼女と取手の友と一堂に会すようになったのはこの友のおかげです)
同窓生②
 「桜の咲くころ、京都へ行くからまた会おう」
 「ほな、まってるわ」
 再会を期して別れました。
 故郷といっても京都なので、「遠方」というには大袈裟だったかな。
 昨日(02/20)は晴れて暖かかったので、久しぶりに近所を徘徊(老人か?)しました。
 254バイパス沿いの小高い土手。
 ここから微かに富士山が見えます。
微かに見える富士山 
 写真(↓)の左は254バイパスです。進行方向(前方)は川越。
 右手は芒の原。
 私は以前からこの芒の原が不思議で、「なんのためにこんな荒地を放ったらかしにしてるのだ」と思ったことがあります。
左は254バイパス、右は芒の原 
 ところが富士見市の地図を見ると、「蛇島調節池」
 池だと?
 水が貯まっているのを見たことはない。これが池なのか?
芒の原 
 なおも地図を見ると、その傍に小さな川が流れています。砂川堀。
 ということはこの池と堀を繋いでいるところがあるはず。
砂川堀用水路① 砂川堀用水路②
 堀沿いに進むと、途中に小さな鉄の出橋が。どうやらここが排水口らしい。
 なるほど、ここから水を池に入れるのか。
排水口 
 そこでもう一度土手に上がって、芒の原の周囲を回りました。
 中央あたりに水溜りが見えます。やっぱり池だった。
実は沼地 
 富士見市によると、この池は地域の水害を防ぐため、平成12年(2000)につくられたとか。
 その5年前に砂川堀がつくられ、流れ込んできた雨水を新河岸川に放流するようになった。
 しかし大雨が降ると、砂川堀や新河岸川の水位が上がる。そこでこの池に水を溜めて、砂川堀の水量を調整するようになった、ということらしい。
新河岸川 
 私としては、この池が満水になっているところを一度見てみたいものですが、そんなときは大雨なので危険。うーん、見ないほうがいいのかも。
2015.02.19 野島崎の海
 海風王国で土産を買ったし、記念写真も撮った。
 思えば「ばんや」にも「岬」にも行ったことだし、目的の大半は達せられている。
 あとはオマケ。

 房総半島の最南端に野島埼灯台があります。
 白亜の八角形をした大型灯台で、「日本の灯台50選」に選ばれており、国の登録有形文化財にも登録されています。
 せっかくだから寄ろうとしたのですが……。
野島崎灯台
 風が強い。飛ばされそう。
 風速20m?

 駐車場から海っぺりを歩き、漁港のところまできたのですが、風が強くてそれ以上進めない。
 しかも、人っ子ひとりいない。
 振り返ると、取手の友も女流画家もついてきてない……。
野島崎の沖 
 これは観光どころではないな。
 そう判断して引き返しました。
 それでも荒い波の不気味な海(海難事故多発地帯だそうです)と漁港の様子は撮ってきました。
漁港 
 「今回は収穫あったな。冥途の土産も沢山できたし。いつあの世へ行ってもええわ」
 「そんなヤツに限って長生きしよるんやで」
 「まあな。しかし長生きしたからこそ、こうして3人であちこち行けるわけやし。60前で逝っていたらこんな再会はなかった。やっぱり長生きはするもんやなあ」

 月並みな結論になりましたが、館山白浜線を通って帰路へ。
 道の両側に植えられた南方の樹木(ヤシの木?)が印象的でした。
館山白浜線  
 記念写真です。
記念写真
 冥途の土産ではなく、房総半島の土産。穴子蒲焼の干物。美味かった。
 今日現在(02/19)でも残っていますが、これは余韻を楽しみたいので、少しずつ食べているからです。
土産 
 鋸山から海岸道路を南下すると、右手に海が見えてきます。館山湾。
 車から降りて海を眺めることに。目の前に富士山が。
館山湾の展望デッキ 
 「不思議やな。鋸山よりかなり南下しているはずやのに、よけい近くに見える。南下しても南下しても富士山がついてきよる」
 「えらいもんに取り憑かれたな。まるでおんぶお化けや」
 「富士山に取り憑かれたんやったら本望や」
館山湾から対岸を見る(正面に富士山) 
 車は海岸に沿って進み、館山湾内では西に向かい、洲崎灯台からは南東に走ります。
 「両側に菜の花が続くなあ」
 この道はフラワーラインといって、「日本の道百選」にも選ばれています。
菜の花街道 
 道の駅「南房パラダイス」で車を止めましたが、なかには入らず、房総半島の最南端・白浜地区へ。
 「このあたりは、昔紀州(和歌山)の漁師たちの船が難破して、漂着して住み着いたといわれている。白浜というのは故郷の(南紀)白浜の地に似ていたところから名づけられたらしい」
 と取手の友。
南房パラダイス 
 右に見る海は東京湾ではなく、太平洋。(つまり外房ということになります)
 さすがに風が強く、波が荒い。
 車はさらに東→北東に向かい、ちくら「潮風王国」へ。
ちくら潮風王国 
 「土産ものを買うんやったらここや」
 と取手の友がいう通り、魚介類を扱う店が多く、活況を呈しています。
 鯨の加工品が多いのが意外でした。調査捕鯨はまだ続いているの?
店内① 
 私は滅多に土産は買わないのですが、このときは「穴子蒲焼の干物」を買いました。安かったので。
 「生魚はいくら新鮮で安くても、土産にはできない。去年三崎漁港へ行ってそう思った」
店内② 
 外に出ました。
 広場に漁船のレプリカが停泊しています。サバ・サンマ漁に使われた第一千倉丸。 
 30tクラスの船で、かつて漁業で栄えた千倉の象徴だそうです。
 せっかくなので船にも上がりました。(〇〇と煙は高いところに上がりたがる?)
第一千倉丸 
 目の前に広がる太平洋。
 「東向いてるから対岸はアメリカ大陸や」
千倉丸から見る太平洋 
 「泳いで行けるよ。なんやったら、今からでもええのやで」
 「風が強いし、寒いから遠慮するわ」
 強風に煽られながら、アホなことばかりいって過ごしました。
千倉丸から見る千田海岸 
 飯を食ったら珈琲が飲みたくなる。
 「そんならあそこ行こ」
 と取手の友が車で連れて行ってくれたのが鋸(のこぎり)山。
鋸山 
 このあたりの山は昔から建築資材として採掘されてきたので、山肌の岩がギザギザの鋸のように見えることから鋸山と呼ばれるようになりました。標高329.4m。
採掘された跡 
 その鋸山が東京湾にせり出したところを明鐘(みょうがね)岬といい、そこにあるのが喫茶「岬」
 映画「ふしぎな岬の物語」(2014)のモデルになったお店です。
喫茶「岬」 
 「そういうても、ワシ映画観てへんねん」
 「オレも」
 「私も」
 図らずも三人とも映画観てないことがバレました。
喫茶「岬」にて 
 そんなことに関係なく、駐車場は車でいっぱい。
 あちこちで記念写真を撮る人が。
 こちらも店の人の了承を得て、撮らせていただきました。
岬・店内 テラス席
 珈琲を頼んだら、それぞれカップが違うのに気づきました。
 私のはハート型。(ふつうはLOVEを表現する)
 「これはどういう基準で決めるの?」と聞くと、
 「お客様の雰囲気に合わせて」と店の人。
運ばれてきた珈琲 
 「わかった。それだけキミが情熱的と判断されたんや」
 「ほんまかいな」
 それにしてもこのカップ、見ようによっては醤油差しに見えないこともない。ちょっと飲みづらかったし。
友人のカップ 
 それよりも海の向こうの景色が素晴しい。
 「対岸は三浦半島。津久井浜あたりかな」
テラス席から見る海 富士山
 「その向こうに見えるのは富士山」
 「意外に大きく見えるのね」
 テラス席で富士山を見ながら飲む珈琲(醤油差しで?)はまた格別の味でした。
岬の裏側 
 翌日(02/13)は房総半島の南、鋸南町にやってきました。
 牛久大仏からはかなり遠いけど、我われの行動力はそんなヤワなものではないッ。
 (実情は取手の友の運転に負うところ大です)
保田漁港① 
 鋸南町の保田(ほた)漁港。
 となれば漁協が経営する食堂「ばんや」へ行くしかない。
 午前11時をすぎれば混雑して席が取れなくなり、長時間待たされるとのことで、我われが入ったのが10時45分。
ばんや入口 
 「うわッ、けっこう混んでるで」
 「みんな狙いは一緒なんやな」
 それでも席は確保しました。
ばんや店内 
 ここで美味いのは新鮮なネタを使った「朝獲れ寿司」
朝獲れ寿司 
 そして人気のある「金目鯛の煮付」(これは絶対外せないということで)
 この金目鯛は日によって大きさが違い、それによって料金も違うそうです。この日の金目鯛はどーんと大きかったぞ。
金目鯛の煮付 
 注文するとき「ご飯はどうします?」と聞かれ、『寿司だから足りるのでは』と思ったのですが、「金目鯛の煮汁にはご飯があったほうが」といわれ、それも頼みました。

 結果的には大正解。みんなでご飯を取り合ってペロリ。意外に食べられるものです。
 (もっとも私と取手の友は朝からなにも食べてなかったから)
 「ふーッ、食った食った。美味かった」
魚の生簀 
 「ばんや」とはもともと漁師小屋のこと。
 そこで漁港組合員のためにつくった「賄い飯」が一般客の評判を呼び、それが次第に大きくなって今日に至りました。今では風呂や旅館もあります。
保田漁港② 
 「これも冥途の土産にするのか」
 「そのつもりや。向こうで待ってる人に分けたげるんや。これからは向こうの人にもよろこばれることをせんと。人生観変わったんや」
 「よう変わるヤッちゃな」
 そんなことをいいながら、保田漁港を散策しました。
2015.02.15 牛久大仏
 なぜか唐突に茨城県牛久(うしく)市。
 「牛久ったってなにがある。せいぜい牛久沼だろ。そもそも茨城県なんて日本一魅力のない県」
 そう思っていたら、行く手になにやら大きな像。
 なに、あれ。銅像?
行く手に見える牛久大仏 
 そう、これが紛うことなき牛久大仏!

 牛久大仏(正式名:牛久阿弥陀大佛)は高さ120m、アメリカの「自由の女神」の約3倍の高さ、ブロンズ立像としては世界最大だそうです。
正面から見る牛久大仏 
 奈良大仏(高さ18m)や鎌倉大仏(高さ13.35m)よりはるかに大きい、そんな大仏が日本にあったのか。
發遣門(釈迦、弥陀、二尊が見える) 
 「いや、これは中世の時代やのうて、つくられたのはほんの最近や」
 とは取手の友人。
 「面白そう」
 女流画家は仏像画をライフワークとしているだけに興味深深。
間近で見る牛久大仏 
 大仏のなかに入ることができます。しかし……。
 奈良や鎌倉の大仏胎内と違って、ホールになっていて近代化そのもの。
 エレベーターと階段で胸の高さ(5階=地上85m)まで上れます。
 そこは展示場になっていて、大仏様がつくられた工程が。
内部の5階 
 この大仏様は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって、1983年に着手され、1992年に完成されました。
 工法は昔のような人海戦術と違って、各パートをつくっておいて、クレーンで組み立てていくというもの。今の世ではこれは仕方がない。それでも約10年かかったというから、大変な工事であったことは確かです。
胸部の窓 
 「茨城なんて納豆以外にはなにもないから、観光の目玉につくりよったん違うか」
 「そんな気もするなあ」
 取手の友がいないときに、茨城県の悪口(?)をひとくさり。
世界一の大香炉 
 「それにしても大きな大仏や。やっぱり長生きはするもんやなあ。南無阿弥陀仏……」
 「あんた、クリスチャンと違うかったん?」
 「いや、今は違うねん。これも冥途の土産や」
 「でっかい土産やなあ。向こうで怒られるで、こんなん入らへんぞ、と」
 「あの世で断られるかな。くるな、ちゅうて。それもええか。はははは」
 そんなアホなことばっかりいって牛久大仏をあとにしました。
本願荘厳の庭 
 一昨日(02/12)京都から女流画家が上京してきたので、取手に住む友人と葛飾柴又に行ってきました。

 柴又といえば「寅さん」の舞台。
 駅前には寅さん(渥美清)の銅像があり、
 「おう、おめえも柴又にきたのか。ま、ちょっくら帝釈天へお参り行ってくれ」
 と話しかけてきそうな雰囲気です。
柴又駅前 
 「ここで写真を撮るのが定番やな」
 ということで記念写真をパチリ。

 取友(取手の友人)はひところ近くに事務所を借りて仕事をしていたそうで、この近辺には精通しています。
 「帝釈天の参道は散歩コースやった」
 「寅さんに会った?」
 「うん、高木屋さんからふらりと出てきて、『よッ、元気にやってっか』いうとった」
 「ほんまかいな」
 どうも彼のいうことの真偽はわからないのですが……。
帝釈天参道 
 帝釈天に入りました。
 正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。日蓮宗の寺院です。
 建立は明治29年(1896)。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、唐破風と千鳥破風の屋根。
 門の両側には増長天および広目天の二天が安置されているので二天門といいます。
帝釈天入口(二天門) 
 常香炉の前で手を合わせて、「ワシ、眼が悪いから」
 と神妙に線香の煙を眼に。
 「これ、自分でお線香買って焚くのと違うのん?」
 「ええのや、これで。人様のご利益を分けてもらうんや。一種の他力本願やな」
 (上手いこといいよる?)
常香炉 
 おみくじも引きました。私は「大吉」。ふたりは?
占い おみくじを括るところ
 もう一度参道にもどり、「船橋屋」で「にゅうめんセット」をいただきました。
 船橋屋は亀戸が本店の葛餅で有名なお店です。当然(?)葛餅もついていました。
 日ごろ甘いものは食べないのですが、このときはいただきました。
 久しぶりに食べる葛餅、美味でした。
船橋屋 あさりにゅうめん
 昨日(02/11)は祝日で、陽射しもよく暖かかったのに、こちらは絶不調。
 朝起きたときから頭が痛いし、悪寒がする。

 このような症状(風邪?)はひと冬に5~6回ぐらいあるのですが、今年は一度もなく、調子いいぞと思っていたら、この有様。(油断は禁物です)
 大てい一日寝ていれば治ります。
 コツはなるべく水を飲むこと。飲むと尿になって出る。それをくり返すことによって、身体のなかの水分をグルグル回し、毒素を排出するというのが私の考えです。
 ただし、吐き気があるときはNG。
 飲んでも飲んでもゲーッと吐くので、こんなときは寝るしかない。

 今日(02/12)は友人と会う約束があるので、なにがなんでも治しておきたい、と寝ていました。
 食欲はないので、水だけ。

 PCに京都の友人からメールがきているのは(携帯にも転送されるので)わかっていましたが、返事を出す気にもなれず、ひたすら寝るだけ。ラジオ(TBS)を聴いていました。

 「おや?」
 部屋がカタカタと揺れている。午後1時ごろ。地震かな?
 しかしラジオで「今、地震がありました」との放送はない。相変わらず他愛もないことをいっている。
 3時台になると、頻繁にガタガタ。おそらく震度は1以下でしょう。
 これはなにかの余震。それとも大地震の前の予震?

 思えば4年前の「3・11東日本大震災」のときだって、その日の明け方震度2ぐらいの地震があった。しかしラジオでも触れなかったし、TVのテロップにも出なかった。
 変な感じだな……。
 そう思っていたら、その日の午後の大惨事。

 この震度1以下(?)の地震は午後6時ごろにもあったけど、TV、ラジオともなんの報道もなし。寝ている人間には感じやすいのかな。

 もっとも今日はなにも感じません。
 単なる杞憂に終ればいいのですが。
 古池や蛙飛びこむ水の音
 誰もが知る、芭蕉翁の名句中の名句とされています。

 若いころ、私はこの句のどこがいいのか、さっぱりわかりませんでした。
 まあ俳句プロパーの世界で、内輪で褒め合っているのだろう、オレの知ったことか。そう考えていました。

 40すぎて坂口安吾の文芸評論を読んだことがあります。
 それによると、「古池や蛙飛びこむ水の音」ではなんのことかわからないので、下の句に「寂しくもあるか秋の夕暮れ」とつければいいのではないか、と主張した国文学者がいたそうです。
 これに対して安吾は「なんだ、それは。そもそも『古池や~』の句自体が、秋の夕暮れどきの寂しさを表しているのだろう。そんな下の句づけなど不要だし、かえって名句がぶち壊しになる」とぼろくそにけなしました。
 

 下の句づけに関しては、短歌もたしなんでいる句会の友人(達人)に、「五七五で完結しているかどうかで判断すべし」と昨年教わりました。(参照

 しかし、「古池や蛙飛びこむ水の音」は、果たしてこれで完結しているのだろうか。

 太宰治が郷里の津軽を旅したエッセイがあります。
 それによると、とあるお寺でひと休みしていたとき、近くで「ちゃぼり」と小さな水音がした。
 なんだろうと思って見ると、池に蛙が飛び込んだあとだった。そうか、これが「古池や蛙飛びこむ~」のことだったのか。

 太宰も以前はこの句のどこがいいのかさっぱりわからなかったといいます。
 それは彼が中学時代、先生からこの「水の音」とは「どぶーん」という大きな音だったと教わったために、さっぱり理解できなかった。
 そうか、「ちゃぼり」という小さな音だったら、よく理解できる。これはさびの境地である、と。
 

 そういわれて私もやっとこの句が秋の寂しさを表していると思い、五七五で完結していると納得しました。

 それにしても俳句はつくづく難しい。
 「水の音」なんてどうにでも解釈できるのだから。字数は限られているので、芭蕉は説明してません。「どんな音なのかはそっち(読者)で解釈してくれ」と突き放しています。
 それを読み取るのが俳句、というわけです。
 
 そう思うと、自分のつくった句に票が入らなくても、「選ぶほうにそこまで解釈する力がなかったのだ」と開き直ればいいの、かな?
 私が俳句らしきものに触れたのは小学3年のときです。
 国語の授業で「いろはかるた」を各班でつくったことがありました。班長だった私は同じ班の級友6人に、いろは四十七文字を振り分けました。

 私がつくったのは<い=池のなかにコイがいる>(と池のなかの鯉の絵)
 小3という年齢を割り引いても、面白くも可笑しくもない、極めて陳腐なものでした。
池の鯉(清澄庭園にて) 
 なかにできん坊の男の子がいて、<ぬ=ぬずみが天井からおちました>とネズミの死骸の絵を持ってきました。
 私は「こんな気持ちの悪いもんはアカン」と却下。
 すると翌日持ってきたのは、<り=りんたく屋このさむぞらにどこへ行く>(と輪タクの絵)
 輪タクとは二輪車で引くタクシーのこと。当時はまだ街を走ってました。
 小学3年生がこんな句をつくるか。

 おそらくオヤジが息子にせがまれ、「しょうがないな」とほろ酔い機嫌でつくったに違いない。
 およそ子どもらしくない句でしたが、これしかないので採用しました。
 しかし今にして思えば、<りんたく屋この寒空にどこへ行く>は味わいのある句でした。季語も入っているし。
 小5のとき国語の時間に俳句をつくらされました。
 簡単や、要するに五七五でまとめればええんやろ。
 真っ先に手を挙げ、読み上げました。
 <先生が怒るときはみな静か>
 
 教室内はドッと爆笑。やった!
 ところが担任は激怒。「ふざけるな!」

 私は俳句とは笑わせるものと思っていたため怒られたのは心外でしたが、担任が怒ったとき教室内はしーんとしたので、図らずも句の通りになりました。
 ざまア見ろ、コイツはオレの術中にハマりよった。私はひとりほくそ笑みました。
 担任は、
 「俳句ちゅうのは季節を詠むもんや。<古池や蛙飛びこむ水の音>。どや、ええ句やろ」
 そんなこといわれても、<古池や~>なんてどこがおもろいのかさっぱりわからん。

 同級生数人で吉田山に上ったときのこと。
 神社の鳥居の脇に空池がありました。我われのリーダー格のKがいきなりテツヤという同級生を突き落とし、「一句できた! <空池にテツが飛びこむ土の音>や。わははは」
 たしかにドサッという音がしましたが、そんな句を詠むために同級生を突き落とすとは。
 芭蕉も絶句(?)するでしょう。

 Kは現在兵庫県に住んでいて、今でも2年に1回ぐらい会う仲です。
 以前このことを話したことがありますが、Kは「そやったかな」
 ころりと忘れてました。希薄なヤツ。

 はなはだお粗末ですが、これが私の小学時代の俳句体験です。
 昨日(02/07)は久しぶり(?)にふじみ野市の「エコパ」(余熱利用施設)へ行ってきました。
 久しぶりといっても10日ぶりですが。

 冬は湯冷めするのではないかと懸念しましたが、上がる前に5分ほど屋外の浴場で半身浴をすることによって解消しました。
 冷たい外気に上半身をさらすのは当初は寒くて震えましたが、我慢していると慣れてきます。
 「あんた、それで寒くないのかね」
 一緒に浸かっていたオッチャンに不思議がられたこともありますが、「下は湯に浸かっているので大丈夫です」
 とはいえ上半身は冷え冷え状態。そのまま上がると(よく拭くこと)、今度は上半身がぽかぽか温かくなってきます。それで寒い外へ出ても湯冷めはしません。
エコパ 
 ここへくるのは、広々とした湯船に浸るのもさることながら、オッチャンたちと雑談するのが面白いから。
 「癌の手術はこれで3回目だ。最初は前立腺、次は大腸、そして今度は胃。もう怖いものなんかないよ」
 飄々と語るこのジイさん(87)、細身ながらカクシャクとして我われの人気者。

 かと思えば太鼓腹のオヤジ(74)、「寝る前になると腹減ってしょうがないんだよ。それでラーメンとか食ってたら、こんなになっちゃった。昔はほっそりしてたんだよ」
 「でも太ってるほうが寒さに強いっていうよ。私なんか太れないものだから、寒くって」
 という痩せたオジサンも。
 やっぱり健康の話が中心です。
帰りの夕焼① 
 この太鼓腹オヤジは私が血圧を測っていたら、「血圧というのは入浴後は下がるんだよ。どうせ測るなら入浴前に測らなきゃ」とご親切なアドバイス。ごもっとも。
 健康に関してはこちらもそれなりの薀蓄はあるけど、披露してもしょうがないので、黙って聞いてるだけ。
帰りの夕焼② 
 あとは昔話。
 「あの頃はよ、酔っ払い運転なんか、そんなにうるさくなかった。ビール2本飲んで酔っ払っても、ハンドル握るとしゃんとするんだよな」
 「オレなんか、ウィスキー飲んでグテングテンになっても運転してたよ。どこをどう走ったか覚えてないけど、ちゃんと帰ってるんだよ」
 危ねエな、このオヤジたち。多少法螺が入ってるかもしれないけど、メチャクチャだ。もっとも今だからいえること。
帰りの夕焼③ 
 他愛もない話ですが、聞いてるだけで面白い。
 この日も帰りの夕焼がきれいでした。
2015.02.06 今月の出句
 さて2月の句づくりです。
 先月に出された「父と子の絆危ふし虎落笛」の句にヒントを得て、①-a「父と子の絆深まる庭焚火」が浮かびました。火は人の心を繋げる力があるので、火を見ながら父と子が会話して、芋でも焼けば、いっそう仲が深まると考えたからです。

 一方で、今月の兼題は「離」
 最初に、②-a「くたびれし父の綿入れ手離せず」という句が浮かびましたが、どうもリアリティがない。そこで庭焚火から、真逆の②-b「手離さむ父の綿入れ庭焚火」にしました。

 しかし面白くない。
 どの道「庭焚火」を持ってくるのだったら、「父と子の絆」はやめて、①-b「文の束手離すための庭焚火」にしました。昔つき合っていた人との未練を断つために手紙を燃やす心境です。
 しかし説明的すぎるので、①-c「文の束離別せむとや庭焚火」
 それでもインパクトが弱いので、上五と中七を入れ替えて、①「離別せむ文の数々庭焚火」に。
 では残った「父と子の絆」はどうするか。これには凍滝(たきごおり)という季語を使いたくなったので、②-a「父と子の絆深まる凍滝」にしました。
 奥多摩の「払沢(ほっさわ)の滝」は遠くて寒い。それだけに父と子が苦労してそこへ行って滝の結氷を見れば、感激して絆は深まるだろうと考えました。

 しかし何回も口ずさんでいるうち、「父と子の絆」が鼻につき、②-b「凍滝落つる雫(しづく)に耳澄ます」に変えました。
 ところが雫は落ちるものなので「落つる」は余計。そこで、②「凍滝たまの雫に耳澄ます」に。
 「たまの」は「たまたま」の意味と、珠を掛けています。
 雪が降ると雪掻きは必然ですが、銀世界を楽しむにははなはだ無粋な行為。
 そこで、③-a「搔かさぬぞ絵筆とりたる雪景色」
 しかし「搔かさぬ」はいかにも稚拙。そこで③-b「雪搔くなしばし浸らむ別世界」
 しかしこれでは「別世界」が稚拙。そこで「北の国から」も考えたのですが、「冬ソナ」の景色のほうがロマンチックではないかと考え、③「雪搔くな韓流ドラマで見た景色」にしました。
 おでんの季語を使いたかったので、④-a「おでん鍋竹輪麩だけが我にきて」と詠みました。
 竹輪麩(ちくわぶ)とはメリケン粉をこねて竹輪風にしたもので、関西出身の私にはどこが美味いのかさっぱりわからない。(友人にはこれが好きなヤツもいますが)

 「おでんセット」を買ってきて家族で鍋にすると必ずこれが残る。妻も息子も食べない。
 「残しては勿体ないだろう!」
 気色ばんでみたものの、結局私が始末する(食べる)ことになる。いつもこれのくり返し。
 その心境を詠んだのですが、インパクトが弱いので、④-b「竹輪麩も食えよと叱るおでん鍋」

 しかし「食えよと叱る」はいかにも稚拙。そこで④-c「竹輪麩の残るを託つおでん鍋」
 「託(かこ)つ」の代わりに「溢(こぼ)す」「愚痴る」と変えてみたものの、今ひとつしっくりこない。
 ④-d「竹輪麩の残るが哀しおでん鍋」
 これも「哀し」は主観的なことばなのでボツ。そこで④-e「今回も竹輪麩残るおでん鍋」
 しかし「今回も」はつまらない。
 そこで上五にいろんなことばを当てはめてつくったのが④-f「不甲斐なく竹輪麩残るおでん鍋」

 これだと「不甲斐なく」は自分のことなので、「残す」にしなければならない。残すのは家族で、自分は食わされる側。そこを主張したい。
 ということで竹輪麩の身になって、④「甲斐もなく竹輪麩残るおでん鍋」になりました。
 太字の四句が今月の出句です。
 丸の内仲通り。
 この通りは日比谷通りに平行し、大手町~有楽町を結ぶ全長1.2kmの通りです。
 道幅は21mですが、歩道が広く(片側7m)、車の通行規制があるため、通行量も少なく、歩行者にとってやさしいのが特徴。
丸の内仲通り 
 通りの両側には街路樹が施され、歩道には所どころベンチが設置されています。
 冬の夜は街路樹に明かりが灯されます。→丸の内イルミネーション。
丸の内イルミネーション 
 これを「アーバン・リビングルーム」というのだそうで、千代田区と商店街の協力によって、通過する道路→回遊する憩いの場へ変えました。
 たしかにゆっくり歩きたくなります。

 ここはもともとオフィス街で、以前は休日になると人通りが途絶えてゴーストタウン化していましたが、近年高級ブランド店が並ぶようになって、休日でも人通りが絶えない通りになりました。
テーベⅢ 
 またあちこちに銅像やオブジェが置かれています。
 これは「丸の内ストリートギャラリー」といって、作品はときどきに変わるそうです。
 私が気に入ったのは「路上の音楽隊」
路上の楽隊 
 そういえば3年前は横綱白鵬や卓球の愛ちゃん、野球の松井選手の銅像が通りのあちこちに置かれていました。今はありません。

 2年前にはこんな銅像も。
 今もある……かな。
3年前① 3年前②
2015.02.03 東京駅100年
 「開業100周年記念Suica」で物議を起こした東京駅。

 その東京駅が開業したのは大正3年(1914)12月20日。昨年の「Suica」発売日よりちょうど100年前です。
行幸通りから見た東京駅丸の内駅舎 
 日本の鉄道は明治5年(1872)に開通した新橋-横浜(今の桜木町)間に始まります。
 その後東京と全国各地を結ぶ鉄道が必要になり、東海道本線(新橋-神戸)、東北本線(上野-青森)、中央本線(飯田町-立川)、総武本線(両国-千葉)、常磐線(上野-常陸)を結ぶ鉄道網が次第にできあがりました。
東京駅・丸の内駅舎 
 しかしこれではバラバラ。東京のターミナル駅を結ぶ鉄道として明治18年(1885)山手線が開通しましたが、それとて赤羽-新宿-品川間。明治36年(1903)には田端-池袋間が開通したものの、上野-新橋を結ぶ鉄道はなく、人々は徒歩か人力車→馬車鉄道→路面電車で行き来するしかなかったのです。

 これは混雑して非常に不便。しかも交通事故多発により、鉄道路線の必要性が叫ばれました。
 そしてようやく大正3年(1914)上野-新橋間が結ばれて、中央停車場が開設されました。これが東京駅の前身です。

ドームの下
   
 
 その後中央本線の乗り入れや、山手線の環状運転の開始などにより、利用客は急速に増加していき、昭和初期にはプラットホームなどの増設工事に着手しました。
 
 工事は第二次世界大戦で中断し、さらに戦争末期には空襲を受けて丸の内駅舎を焼失しました。
ドームの天井 
 戦後、丸の内駅舎を(応急)復旧し、中断されていた増設工事が再開されました。昭和39年(1964)10月1日には東海道新幹線が開通し、新幹線のターミナルとなりました。

 その後は総武・横須賀線の地下ホームの開業、京葉線の乗り入れと地下にもホームの増設が進み、3年前の平成24年(2012)10月には、応急復旧したままだった丸の内駅舎の復原工事が完成しました。
KITTE屋上から見た丸の内駅舎 
 先日、京都の同窓生(常磐線コンビ)と神保町で会い、取手市に住む友人が「リニューアルした丸の内駅舎はまだ見てない」というので案内しました。
 KITTEから見た東京駅
 よく見えるようにと「KITTE」館の屋上に上がりました。
 ここからだと新幹線、さらに2年前にできた八重洲グランルーフも見えます。
 御茶ノ水駅の東端にあり、神田川を跨いで千代田区駿河台と文京区湯島を繋いでいる聖橋。
 この橋は関東大震災の復興橋梁として昭和2年に完成しました。
聖橋① 
 説明書きによると、
 「橋長92.47m、幅員22mのアーチ橋で、橋名の由来は、北側にある国指定の史跡『湯島聖堂』と、南側にある『日本ハリストス正教会復活大聖堂』(通称ニコライ堂)の両聖堂にちなんでいる」
聖橋② 
 聖橋から御茶ノ水駅・水道橋方向を見る。
 神田川の工事中なのであまりきれいな景観とはいえませんが……。
聖橋から見る御茶ノ水駅① 
 秋葉原方向も。
 手前に出てきたのが地下鉄丸の内線。向こうの鉄橋の先が昌平橋。
聖橋から見る御茶ノ水駅②
 北側にある湯島聖堂。
 江戸幕府の官学所(昌平黌)のあったところ。なかには孔子など聖人の像があります。
湯島聖堂 
 神田ニコライ堂。
 キリスト教のなかのギリシャ正教の寺院。ビザンチン風建築は国指定の重要文化財です。
神田ニコライ堂