昨日(01/30)は予報通り朝から雪になりました。
 やはり前日眼科に行っておいてよかった。
 そうは思うものの、雪景色も見てみたい。そこでちょっと外出……。

 例によって裏の畑の雪景色。一面の銀世界です。
 向こうに見えるタワーは富士見市の給水塔。
裏の畑 
 茶畑にも足を伸ばしました。
 昨年2月は大雪に見舞われましたが、今回はうっすらと雪化粧。
茶畑① 
 ここの茶畑は茶の販売もしています。
 私もときどき買っています。値段の割にはなかなか美味い。
茶畑② 
 ふだんはなんの変哲もない景色ですが、雪が降ると一変します。
茶畑③ 
 近所の景色。おっとオジサン、危ないよ、雪道での傘差し自転車は。
近所の雪 
 午後からは雨になり、大半は溶けたと思うけど、路面凍結が心配です。
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2015.01.30 冬の散歩道
 昨日(01/29)は近くの病院の眼科に行ってきました。
 主眼はドライアイの治療ですが、これは老化現象なので、ヒアルロン酸の点眼液で恒常的に眼を潤すしか対処法はないそうです。
田舎の風景 
 点眼液は2ヵ月ほどでなくなるので、そろそろ行く時期でした。
 いつも金曜日に行くので、漠然と今日(01/30)を予定していましたが、天気予報では雪が降るといわれていたため昨日行ってきました。
病院
 「今のところ視力や眼底にとくに問題はないようですね」
 と担当医にいわれました。
 視力や眼底の検査もしてもらうので、まずはひと安心。

 思いのほか早く終ったので、地蔵街道を抜け、多聞院方面に足を延ばしました。
 多聞院が目的ではなく、そこから200mほど南下したところにあるビューポイント。
地蔵街道 
 いわずと知れた富士山。
 この日はよく晴れていたので、くっきりと見えました。
富士山① 
 景観の点では川越の初雁橋には及びませんが、ここもなかなかのもの。
富士山② 
 東京で見たこともあるけど、こちらのほうが大きく見える気がする。
 距離的にはそれほど変わりないと思いますが……。
 
雑木林 
 天気がよかったので、雑木林の木漏れ日もなかなか見事でした。
2015.01.28 神田・淡路坂
 神田川と中央線を跨ぐ昌平橋。
 その橋の南詰から線路に沿って西に上る坂を淡路坂といいます。
淡路坂下 
 この坂は江戸前時代、坂上西側に鈴木淡路守の屋敷があったことに由来し、別名一口坂(いもあらいざか)、相生坂とも呼ばれました。
太田姫稲荷神社① 
 一口坂は坂上東側にあった太田姫稲荷神社の旧称「一口稲荷」に由来し、太田道灌が娘の疱瘡 (いもあらい)の治癒を祈願して、山城国(京都府)一口の里の稲荷を勧請して建立したことによるものです。
 同社は鉄道線路拡幅のため昭和6年に移転し、現在は神田駿河台一丁目にあります。
太田姫稲荷神社② 
 相生坂は現在神田川・中央線を挟んで並行する(反対側の)坂のことですが、もとはここ(淡路坐か)も含めて相生坂と呼んでいました。

 この坂は線路沿いで商店もないので人通りは少なく殺風景です。
 上り方向を見ると、右側は中央線の線路。坂下では高架なのに、進むにしたがって線路が下になる、相当な急坂であることがわかります。
上り① 
 左側は御茶ノ水ソラマチシティ「デジタルハリウッド大学」
上り② 
 坂上から下りを見るとこんな具合。
下り① 下り②
 坂上はJR御茶ノ水駅・聖橋口。ここに「淡路坂」の標識があります。
淡路坂の標識 
 大相撲初場所が終わりました。
 今場所も白鵬の優勝。大鵬さんを抜き、単独史上最多の33度目とあってご同慶の至りですが、すでに13日目で決まったとは何とも白けます。
白鵬優勝 
 そのため千秋楽の見どころは「全勝優勝なるか」だけ。
 これも(力の入った相撲でしたが)やはり白鵬の勝ち。
 これまで最高の懸賞61本(=183万円)を獲得しました。(千秋楽だけで)
 これもけっこうなこと。(公衆浴場で会うオヤジはブチャむくれでしょうけど)
白鵬〇ー●鶴竜 
 私が気になったのは、今場所の白鵬の取り口が荒っぽくなったこと。
 とくに6日目(16日)の遠藤戦。
 張り手やカチ上げ、まるでケンカのような取り口でした。最終的には押し出しで勝ったけど、なにをそんなにイラだっているのか。

 そのためか土俵際で危ない場面が何度かありました。
 優勝決定の13日目などは稀勢の里を土俵際まで追い詰めたものの、詰めが甘く小手投げを食って同時に転倒。取り直しになりました。
 取り直しは相手を突き放して勝ちましたが、これができるのなら、最初からやれ。
 ムラな相撲がありすぎる。何度もいうようだけど、最後は腰を落として、堂々たる寄り切りで勝ってくれ。逸の城戦ではそれが見られたけど、白鵬の尊敬する大鵬さんはいつもそういう取り口だった。
9日目・白鵬〇ー●逸ノ城 
 この日注目したのは豪栄道vs.琴奨菊戦。
 豪栄道は今場所がカド番で、しかも7勝7敗、負ければ大関陥落というところで必死の形相。琴奨菊を激しく寄り立てて押し倒しました。こんな相撲が取れるなら最初からやれ、といいたくなるけど、それができないから苦労しているわけか。
 大阪出身の豪栄道とすれば来場所は大阪だけにホッとしたことでしょう。
豪栄道〇ー●琴奨菊 
 逸ノ城は怪しい相撲が多すぎた。
 この日も豊ノ島に手もなくすくい投げで敗れ、稚拙さが目につきました。
豊ノ島〇ー●逸ノ城 
 琴奨菊戦では立会いの変化で勝ったときは観客から非難轟々、親方にも怒られたというから、そのために萎縮したか。
 目先の一勝なんかにこだわらず、真っ向勝負でブチかます相撲を取れば、人気も出るし、自信がついてくると思うのに。
 
 他に注目したのは照ノ富士。14日目には逸ノ城と水入り大相撲の末敗れたものの、千秋楽には玉鷲に勝って勝ち越し、三賞を獲得しました。
 この力士はまだまだ強くなると思います。
14日目・逸ノ城〇ー●照ノ富士
2015.01.25 水際線緑地
 金沢シーサイドラインは杉田(jR根岸線)から金沢八景(京浜急行)を結ぶ10.6kmの高架軌道鉄道で、八景島やベイサイドマリーナなど、人気の観光スポットを繋ぐ路線ですが、同時に工業団地や住宅地をも繋いでいます。
市大医学部駅
 観光地ではありませんが、私が興味を持ったのは福浦の工業団地の水際線緑地。
 ここは東京湾内ではあるものの、東に面した海岸線なので海の波をもろに受けるだろうと思ったからです。
水際線緑地① 
 ここへは市大医学部駅で降ります。
 大通りをそのまま東に進めば海にぶつかります。ここが水際線緑地。
 医学部前大通り 
 このあたりは広大な埋立地でこの南端には横浜へリポート(横浜市消防局)があり、市大付属病院と直結しています。
水際線緑地②
 東に見える対岸は千葉の木更津。
 北は本牧の工業地帯、そして南は横須賀の夏島。
対岸は千葉の木更津 
 観光スポットではないので、通るのは犬を散歩させる近所の人ぐらい。景観としてはちょっと寂しい。
 しかも沖から波が押し寄せると岸壁にぶつかって高い波しぶきが上がります。
岸に寄せる波 
 山下公園や臨港パークなどでは見られない荒々しい海。
 これも横浜の海です。
怒濤? 
 何度見ても飽きないのが金沢八景の平潟湾。
 この湾を金沢シーサイドライン(高架軌道鉄道)が横切っています。
シーサイドライン(洲崎公園より) 
 昔はこれが平潟湾の景色をぶち壊しているのでは、と思ったものですが、見慣れるとアクセントになって風情があります。
シーサイドライン(帰帆橋より) 
 それどころか、このシーサイドラインから見る景色がなかなかのもの。
 ちょっと目線が上がると、景色はずい分変わります。
シーサイドラインより見る平潟湾① 
 運転席(無人運転)から見ると軌道(ただし鉄のレールはなし)も見えます。
 前方左手に見えるのが野島。
シーサイドラインより見る平潟湾② 
 下の写真はシーサイドラインが平潟湾を横切ったとき。
 左手に見える白い橋が夕照橋。右側はプロムナード。
シーサイドラインより見る平潟湾③ 
 一昨日、昨日と南関東でも冷たい雨が降り、最高気温が4℃を下まわりました。
 雪国の方には笑われるかもしれませんが、寒い。
 この冬初めて暖房を入れました。
254バイパス① 
 それとともに右肩が痛む。それも骨折して金属を入れたところ。
 そんなにひどい痛みではないけど、重苦しくて動かすたびに「ゴキッ」と音がする感じ。
 腕の骨と肩の骨との連繋がスムーズでなく、引っかかる感じです。
 やっぱり金属入れてるから、寒いとここだけ冷えるのか。
 (入院中も冷房の冷えすぎで患部が疼いたこともあります)
254バイパス② 
 去年の冬はどうだっただろう。
 思い起こすと去年はリハビリを打ち切られた直後で、まだ完治しておらず、腕がやっと挙がる程度でした。
 そのため朝起きたとき50分ぐらい入念なストレッチ運動を行っていました。
 それをやらなければ右肩の鈍痛がとれず、腕が挙がらなかったのです。

 それでも1月下旬の検診では、「リハビリ頑張りましたねえ。あんな大怪我でここまで挙がるとは」と主治医にいわれました。

 とはいえ今後どの程度まで回復するのか見当もつかず、治りたい一心でストレッチを続けていました。
 2月ごろから少しずつ付加を掛けていって、3月になってやっと4kgのダンベルを挙げられるようになりました。
 暖かくなって、ようやく肩が軽くなってきたように思います。
254バイパス③ 
 その後はあまり意識しなくなり、かなり回復したように思いました。
 ただ衣服の着脱時に右腕を袖に通すときは痛いし、なかなかスムーズにはいかない。
 それに関しては「そのうち少しずつ回復するだろう」と軽く考え、ストレッチ運動はほとんどやらなくなりました。

 この2~3日の寒さで、そのツケがまわってきた?
 「寒いと患部が痛むのは、金属というより筋肉の硬直が大半の原因」と療法士さんにいわれたことがあります。

 ということは、やはり運動をしたほうがいいのか。
 (一年前処方された温湿布を貼るようになりました)

 あとは暖かくなってくれることを願うばかりです。
 一昨日の七福神(大黒天)にちなんで今度は布袋様。
 ということで葛飾・柴又の良観寺。弘誓山観音院と号し、真言宗豊山派のお寺です。
良観寺・入口 
 創建年代は不詳。
 ただし昭和40年、本尊像修理の際、像内から元和9年(1623)8月付けの木札と記録一通が発見され、また当寺には永正6年(1509)5月銘の板碑を所蔵しているので、念仏堂は室町時代末期にはすでに存在したと推察されます。
良観寺・境内 
 葛飾区教育委員会の調査によると、当寺は東方にあり、江戸時代には、「尻手の観音」として知られ、毎年4月18日の縁日には、遠近からの参詣者でにぎわったそうです。
子育て観音 
 その後、昭和12年戦災により焼失し、間もなく本堂以下を再建して現在にいたっているとのこと。

 今では子育て(水子供養にも)にご利益がある寺として知られ、境内には赤い帽子と涎掛けのお地蔵様がズラリ。壮観です。
やすらぎ地蔵 
 また柴又七福神のうちの宝袋尊、江戸川七福神の布袋尊としても知られ、境内には二体の宝袋様の像があります。
宝袋像① 
 この顔、どこかで見たような……そうだ、ときどき行く天然温泉でよく会うオッチャンの顔。
 いつもヘラヘラして冗談ばかりいうオッチャン。
 ここがルーツだったのかな。
宝袋像② 
2015.01.21 洲崎神社
 龍華寺の南隣に洲崎神社があります。
 神社の由来によると、当社はもともと長浜という場所にありました。
洲崎神社 
 長浜は能見台駅の南東に位置するところですが、昔は海に突き出た町。
 (その東側、現在の並木、幸浦、福浦……など金沢シーサイドライン沿線はすべて埋立地)

 しかし応長元年(1311)の大津波によって流されてしまったため、住民とともに鎮守の第六天社が洲崎に移されました。
本殿の内部 
 現在の建物は天保9年(1838)に再建されたもの。明治の神仏分離によって洲崎神社と称されるようになったそうですから、それまでは龍華寺が別当(管理)していたと思われます。
 
 境内にある雌雄の獅子は、嘉永2年(1849)彫刻師後藤利平衛の作とのこと。
 この獅子は戦前まで、年に一度の祭礼に若衆4人よって担がれ、厄除けのために町内を巡行していたといわれています。
雌雄の獅子 
 戦後は巡行はなくなりましたが、現在でもはしかなどに罹った子が、獅子に噛まれると早く治るといわれ、町内の守り神になっています。
 お年寄りも噛まれると「ぼけ封じ」になる?
 年取ると気になるのはぼけ症状。
 自分とて無縁であるとはいいきれない。いや、すでに忍び寄っているのかも?
 そこでぼけ封じにご利益あるお寺を、と金沢区にある古刹「龍華寺(りゅうげじ)」
 山号は知足山。真言宗御室派のお寺です。本山は京都の御室(おむろ)仁和寺(にんなじ)。
竜華寺 
 寺の起こりは源頼朝が六浦山中に創建した浄願寺で、明応8年(1499)融弁上人によって現在の地にあった光徳寺と併合され、移築されたとのこと。
厄除け観音 
 ここは貴重な宝物も多く、横浜市指定文化財にもなっていますが、当面こちらに関係あるのは厄除け観音(厄除南無聖観世音菩薩)。
 また横浜金沢七福神の大黒天があります。
大黒様 
 それよりもありがたいのは、ぼけ封じ観音(ぼけ封じ観世音菩薩)
 一心不乱にお祈りすれば、必ずやぼけ防止にご利益あるぞよ。ははーッ。
ぼけ封じ観音菩薩 
 今月の28日には初不動護摩供修行がとり行われるそうです。

 今月は新年ということもあって、句会のあとは近くのレストランで新年会が行われました。
 開始まで少し間があったので、公民館のロビーで会の先輩方といろいろ話しました。
 そのなかのひとりが、最多得票を得た宗匠の「あらたまの底なき天を鳶の笛」の句は2年前も出された、しかもそのときの兼題も「笛」だったというのです。

料理の数々

 「えーッ、そうだったっけ」
 「そうよ。あとでノート見たら間違いなかった」
 「だったら、どうしてそれを指摘しなかったの」
 「なんか、悪いかな、と思って」
 (この句会も「ことなかれ主義」か)
 「先生、ボケたのかしら」
 「あの先生は他にも受け持っているから、きっと他所で出したものと思って間違えて出したんじゃない」

新年会の様子 

 ガックリしました。
 俳句の宗匠というのは、私たちと同じく毎回新しい句をつくって同じ土俵で勝負する、むろん出来不出来はあっても、だからこそ指摘されることには説得力を持つ、そう思ってきました。
 ところが前のを使い回し?
 師たるものがそんなことでいいのかッ。

 「今年もよろしく」
 とビールで乾杯し、新年会が始まりました。
 料理は和風のものが多く、品数も豊富で美味しかった。(その割には安いし)

サラダ  

 最初の話題は料理から始まって、三度三度の食事の話。
 「〇〇さんの旦那さんなんか、昼は毎日お寿司屋さんで寿司食べてるからまったく手が掛からないんだって」
 「でもそれじゃお昼代が大変でしょ」
 「ところが年金が多いからまったく大丈夫なんだって」
 「いいわねえ」

 女性方はそんな話をしていたので、こちらは斜め向かいに坐った宗匠にズケリと質問しました。
 「長年俳句をやってると、前につくった句をうっかり出すということはないのですか」
 これに対して宗匠は、
 「あるよ。いろいろやってると、こんがらかってくるから」と苦笑。
 しかし、
 「オレなんかまだましなほうだよ。××さんなんか晩年はひどいものだったよ。選句のときには自分の句を採る、さらに人の句を『自分のだ』と主張する。老醜というか、ああなってはお終いだと思ったね。俳句をやってりゃボケないというけど、人によりけりだねえ」
 (あんただってその一歩手前じゃないか)

煮物 

 あとは、「京一郎さんの今回の『ぽっくり寺』の句はよかったよ。『埒もなく』が実によく効いている」とこちらを褒めちぎることしきり。
 (話を転化しやがって。まったくもってバカバカしい)

 宗匠はビールから熱燗になり、それも6~7本ぐらい飲み、すこぶる上機嫌。
 すぐ近くまで奥さんに車で迎えにきてもらって、「いやあ、今日は楽しかった」
 (楽しかった、じゃねえよ)
 俳句の宗匠ってこんなものかね。前の宗匠は素人の私が見ても句力の衰えが感じられた。しかし今のヤツは性格がセコくて愛想が尽きる。

 しばらく様子を見ることにするかな。

 今回私が特選で採ったのは、
 ①猫の背に小春居すはる神楽坂……(6)〇〇〇◎←宗匠の特選
 出席8名。自分の句は採れないので、7人中6人が採ったことになります。
 「猫の背」に小春が「居すはる」という表現が素晴しい。しかもその地が神楽坂。
 他の地名では考えられないほど、「神楽坂」が効いています。
 私は神楽坂の商店街ではなく、漠然と毘沙門天の境内が浮かびました。
神楽坂 
 これは友人(達人)の作。
 最初からそうだと思っていました。

 彼は他にも、
 ②京都には京都の雨の降る師走……(1)◎←宗匠の特選
 ③初髪や八坂詣の裾乱れ
 という句を詠んでいます。

 いずれも京都の情景を詠んだもの。
 京都は私の故郷なので、並々ならぬ思いがありますが、それは自分の内から出てくるもの。
 しかしこれは上っ面をなでられた感じで、こちらの内部には届かなかったため、採りません。
 ②は宗匠の特選を得ていて俳句的にはいい句なのですが、ふたりとも京都の人ではないから。
雨の京都 
 他に宗匠から特選を得たのは、
 ④人日のつるつる玉子かけご飯……(1)◎
 知らなかったけど、人日とは正月7日のこと。御節料理にも飽きて玉子かけご飯を食べたという句ですが、私は御節料理とは縁がないのでピンときません。

 今回つくづく自分の無知を痛感したのは
 ⑤笛吹けど踊らぬ世なり注連飾る……「注連」(しめ)→注連縄のこと。(これは知ってました)
 ⑥笛に舞ふ黒田節ぞや大旦……「大旦」(おおあした)→元旦のこと。
 ⑦かすかなる笛の音三保の初松籟……「松籟」(しょうらい)→松の梢(こずえ)に吹く風のこと。また、その音。松韻。
           
 あまり馴染みのないことばだったので採らなかった。他には「虎落笛」(もがりぶえ)も出たけど、無視。
八坂神社 
 今回①に匹敵する高得票と特選を得たのは、
 ⑧あらたまの底なき天を鳶の笛……(6)〇〇〇〇
 の句。
 この句は私も採りましたが、実はこれ、宗匠の句でした。道理で。
2015.01.17 初句会
 先日、句会が行われました。初句会です。
 今回は欠席者がひとり。人数の少ない句会になりました。

 まず私の句に対する票数。
 ①塾帰りの少女笛下げ冬きりり(兼題・笛)……(0)
 ②年酒よりブラック珈琲我家流……(1)
 ③埒もなくぽっくり寺へ初詣……(2)←宗匠の並選。
 ④特選を大奮発や初句会……(0)
 (出席8名、出句32句、数字は票数)
句会の会場 
 ④はふざけた句ですが、誰か採るんじゃないかと思ったけど、甘かった。
 「初句会といってもそう甘くないですぞ」とは宗匠のことば。参りました。

 ①がゼロとは意外でしたが、その理由を宗匠は「中七が『笛下げ』だと、句が不安定になる。順序をいろいろ変えることによっていい句になる」とのことで、訂正句は、
 「笛を下げ塾帰りの子寒銀河」
 うーん、そのほうがいいのか。しかし順序を変えるといっても、まだ思いつかないなあ。

 ②に関しては、「いわんとしている思いが強く伝わってきません。『ああ、そうですか』で終ってしまいます」とボロクソ。
 いわれてみると、たしかに「ああ、そうですか」俳句です。
ぽっくり寺? 
 褒められたのは、③「埒もなくぽっくり寺へ初詣」の句。
 「埒もなく」で一句が俄然立ち上がってきました。
 「埒もない」とはつまらない、順序が立たないの意です。それからすると、ぽっくり寺の初詣もあまり乗り気ではなかったことを思わせます。初詣の句にしては面白いところを詠んでいます。

 今回は四句とも低得票だったけど、「ぽっくり寺」で少しは気を吐いた、かな。
 「気に食わないことを書かれた」といってメディアの人たちを殺害する、あってはならないことです。
 今回のイスラム過激派による新聞社襲撃事件の非道さはいうまでもありません。
 「ペンは暴力に屈してはならない」
 「表現の自由を守れ!」
 たしかにその通りです。
 私もライターの端くれ。表現の自由は大切だと思います。

 しかし一方では「何を書いてもいい」というものではないとも思います。
 今回の事件の発端となったムハンマド(マホメット=イスラム教の預言者)の風刺画は、イスラム教への配慮を著しく欠いています。
 私は2年ほど前、代々木上原にあるイスラム寺院(東京ジャーミィ)を見学したことがあります。
 礼拝堂は広くて厳かな雰囲気でしたが、意外に明るくて開放的な印象を受けました。
 神社では拍手(かしわで)を打ち、仏閣では手を合わせ、カトリック教会では十字を切る私ですが、イスラム教には無知なので正座して瞑目するのみでした。
代々木上原にあるイスラム寺院 
 神社には御神体、仏閣には仏像、キリスト教会にはキリスト像(あるいはマリア像)が祀られていますが、イスラム教にはありません。偶像を持たないのがイスラム教の教義です。
 私にとってイスラム教は不可解です。
 例えば女性の顔出しを禁じるとか、女性の社会進出、教育も禁止、そして一夫多妻制。日本にはそぐわないと思います。
 しかしそれらは日本とはまったく違う、厳しい砂漠の自然に晒された遊牧民のなかから、彼らの必然性によって生まれたもの。我われがとやかく批判できるものではありません。
礼拝堂 
 「大上段からの批判はともかく、軽い揶揄ぐらいならいいのでは」
 といわれるかもしれませんが、それもよくないと思います。
 揶揄する側にその気はなくても、受け取る側は傷つくかもしれないからです。
 昔、日本人を揶揄した風刺画が欧米に出回ったことがあります。
 その絵とは、「メガネをかけ、カメラをぶら下げた出歯カメ男」(女性は芸者ガール)で、我われにとってははなはだ感じの悪いものでしたが、「これが欧米流のユーモア」とあきらめました。

 わが国でフランスの風刺画が問題になったのは、2年ほど前のサッカーのゴールキーパーがきたボールを数本の手でことごとく防御している画像。この主旨は「原発事故による放射能の影響でこのような奇形(?)の選手が現れた」とのこと。
 「日本の選手を奇形扱いするとは何ごとだ」と抗議しても、「我われは原発事故を批判しているのであって、そんな抗議は的外れ」とどこ吹く風でした。
天井のドーム 
 風刺画というのは、フランス人の考え方では、権力や権威あるものを揶揄するというものです。
 それが言論の自由である、と。

 数日前、わが国の道路標識に「芸術表現」と標榜して独自のステッカーを貼った女性が逮捕されました。これもフランスの人。
 この人によると「道路標識は権力側から押し付けられたもの」との解釈です。これも権力への揶揄?
 しかし道路標識は権力側のものではなく、交通事故防止のために制定されたもので、みんなのもの。それをこのフランス女性ははき違えています。
 詳しいことはわかりませんが、フランスの新聞社は「ムハンマドという宗教の権威を揶揄したまでだ」と主張するのかもしれません。
 しかしその揶揄は、指導者(権威?)ではなくそれを信奉する無辜の教徒に向けられている、と新聞社は考えないのか。
 それで傷つくとか、怒る人がいたら、「ユーモアのわからないヤツ」と一蹴するのでしょうか。

 それかあらぬか、この新聞社はまた新しくムハンマドの風刺画を掲載しました。
 「こんなこと(テロ)には屈しないぞ」といわんばかりです。
 おかげでこの新聞は500万部(通常は3万部程度)もの売れ行きだったそうです。
 たしかに正しいことなら屈してはいけないと思います。
 しかし、本当に正しいのか。
 そもそもフランスの民主主義の根幹は、「自由、平等、博愛」のはず。イスラム教徒への配慮を欠いたことによって、(表現の)自由を標榜するあまり博愛の精神にもとっているのではないか。

 フランス人はアメリカ人に比べて柔軟性があると思っていたけど、ここへきて完全にフランス人観が変わりました。独善的で、頑なな国民性。
 これでは対立はますます激化すると思うのですが……。
2015.01.15 雨の清水寺
 清水の舞台といえば、昔は「清水の舞台から飛び降りたつもりで……」と強い決意を表すときに使われたものですが、今は年末の恒例行事「今年の漢字」発表の場として知られています。
雨に煙る清水の舞台
 ここは京都でも有数の観光の名所。ユネスコ世界遺産に登録されています。
 この日も雨というのに修学旅行生であふれかえっていました。
下から見上げる清水の舞台  
 彼女たちが最初に集まるのは常香炉。
 身を清めるために線香の煙をかけます。
 「自分の悪いところにかけるとよくなるってよ」
 「じゃあ、あなたは頭ね」
 などといい合っております。
常香炉に集まる女子高生 
 そして清水の舞台。
 若いころから何度もきてますが、何度見てもやはり高い。昔の人がよくこんな高いものを建てたと思います。
清水の舞台 
 清水寺は山号を音羽山といい、本尊は千手観音。
 開基(創立者)は延鎮。宗派は北法相宗(大本山)だそうです。

 そういえば、本堂の東側の石段を下りたところに「音羽の滝」があります。
 三本の筧(かけい)から流れてくる水がきれいなことから清水寺と名づけられました。
上から見る音羽の滝 
 「この水は安産のご利益があるんだって。飲んでおいたほうがいいんじゃない?」
 「私はいいの」
 といいながらもこの水で手をすすいでいました。
音羽の滝 
 清水寺にいったのは去年の暮。
 紅葉がなかなか見事でした。雨が降ってたけど、それはそれで風情があります。
清水の舞台の下 

 またまたやってきました、川越水上公園。
 その理由はここも富士山のビューポイントだと教えられたからです。

水上公園・ボート池 

 先日、初雁橋から見た富士山をUPしたところ、地元に住む友人から、「橋の上流側を歩いたのか。あそこは歩いちゃいかん」といわれました。
 彼は散歩コースでよく初雁橋を渡るのですが、あんなにくっきりと富士山が見えるのは珍しいそうです。これは当方の日ごろの心がけがよかったから?

土手から見る富士山① 

 もっと心がけがいいと、入間川の川面に映る「逆さ富士」も見られるそうです。
 富士五湖のような近くなら逆さ富士は見られるけど、こんな離れた入間川で見られるなんて。
 一度見てみたいものです。

ボート池① 

 その友人に教えられて、水上公園のサイクリングコース(土手の上)にやってきたのですが……。
 前方(南西方向)にうっすらと見える美しい台形。
 紛う方なき富士の山、ではありますが、いかんせんぼやけている。
 これは見る場所というより気象条件だと思います。しかも逆光。

土手から見る富士山② 

 初雁橋のときは朝だったので順光でしたが、今回は午後、もろ逆光です。
 逆光も日没近くなれば、あかね色の空に富士のシルエットが映るかもしれないし、条件次第ではダイアモンド富士も見られるかもしれない。

 しかしそれまでは待てないので、あきらめて下のボート池へ。
 ここも逆光でしたが、湖面がキラキラと耀いて見事でした。これはこれで絵になる。

ボート池② 

 池には多くの水鳥が。これはカモでしょう。

カモの群れ 

 今回水上公園のサイクリングコースで富士山を見て、距離や方向は初雁橋とほぼ同じなのに、見る景色はこうも違うのかということ。
 私の好みでいえば、やはり初雁橋のほうがいいかな。

 昨日(01/12)は「エコパ」へ行ってきました。
 ここは昨年秋にも取り上げましたが、ふじみ野市の「環境センター」内にある、健康増進を目的とした施設で、お風呂はゴミを燃やした余熱で沸かしているのだそうです。
余熱利用施設エコパ 
 私はここの優待者証を持っているので、いつでも入ることができますが、ちょっと遠いことと、冬は湯冷めするのではないかとの懸念で、少し遠のいていました。
 しかし昨年末から何回か通うようになり、湯冷めすることもなさそうなので、時間があると行くようになりました。
健康増進用プール 
 「おや?」
 入口に「お願いです!」の警告と貼り紙。
 「最近のぼせる方が多いです。こまめに水分補給し、長湯には気をつけましょう」
 館内のアナウンスにもありましたが、このところ救急車で運ばれる人が多いそうです。
入口の警告 
 このことは露天風呂に入っているとき、オッチャンたちの話題になりました。
 「入口の貼り紙、見た? 長湯は禁物だよ」
 「オレなんか、しょっちゅう長湯だよ。ここに入ってると天国だものなあ」
 「危ないよ。のぼせて救急車で運ばれた人のなかには、そのままあの世に行った人もいるってよ」
 「おっかねえな」
 「風呂入るのも命がけだな。はははは」
 不謹慎というか、ノー天気というか、笑いながらそんな話をしております。
脱衣室 
 かと思えば相撲の話題に。
 「昨日の白鵬はなんだ、懸賞金150万ごっそり持って行っちゃった。怪しからんよ」
 「まあ、日本の力士が弱いからね」
 「これじゃ日本の国技じゃねえよ。横綱三人ともモンゴル勢なんて。だったら相撲なんかモンゴルでやれってんだ」
 ここでは世の風潮(?)に反して国粋的な意見がまかり通っているようです。
大広間 
 こちらとしては、「しかし彼らは偉いですよ。10代半ばで、ことばも風習も食べ物も違うところへやってきて、努力して強くなったんだから」というのが精いっぱい。
 これにはオッチャンたちも認めざるを得ず、「大体今の日本の若者はぬるま湯に浸ってるんだよ。昔のような厳しい稽古をつけると、すぐ逃げるっていうから」
 「ぬるま湯に浸っていいのは我われジイサンだけだよ。はははは」

 彼らと湯船に浸かって談笑しながら、自分もつくづく年取ったと思いました。
 若いころなら、居酒屋で自分と反対意見をいうオッチャンがいたりすると、「いや、違う」と反論したこともあったのに……。
帰りに見た夕陽 
 帰るとき、駐車場から見る夕陽がきれいでした。
 大相撲初場所が始まりました。
 今場所は横綱白鵬が大鵬の最多優勝32回を抜くかが注目されますが、初日は何といっても「遠藤―逸ノ城」戦。
遠藤―逸ノ城① 
 逸ノ城が強いのは認める。
 しかし相撲内容は褒められたものではない。
 若者らしくドカーンとぶちかまして、一直線で相手を土俵の外に出すような豪快な相撲を取ってくれ。仕切りで相手を焦らすような駆け引きをしたり、立会いでかわすようなセコイ取り口はやめてくれ、というのが私の考え。
遠藤―逸ノ城② 
 そのため、何となく胡散臭く見てしまいます。
 時間になっての仕切りで逸ノ城はなかなか立とうとしない。
 「ははあ、また何かおかしなことを企んでいるな」としか思えない。
遠藤―逸ノ城③ 
 それでも立ち上がりました。意外にふわっとした立会い。
 これは遠藤の思うツボ。下から抱え上げ、左下手を深く差して、グイグイと寄り立てました。
 逸ノ城はなにもできず、ズルズルと後退。
 左足が土俵からはみ出し、勝負あり。
逸ノ城の足が出た 
 私としては遠藤が勝ってよかったと思いますが、逸ノ城は不甲斐ない相撲でした。
 迷いがあるのではないか。
 私のような第三者から見れば、迷いもヘチマもない、あの体力を活かしてドーンとぶちかまして寄り切れば何の苦労もないのに、と思うのですが。
勝ち名乗りを上げる遠藤 
 横綱白鵬は相変わらず強い。安定しています。
 しかし私からの注文は、「寄り切りで勝ってくれ」
 白鵬が尊敬する大鵬さんは圧倒的に寄り切りが多かった。
 このあたりは「相撲観」の違いですが、相手を転がすことに血道を注いでいると、そのうち墓穴を掘るようなことになるのではないか、と思ってしまいます。老婆心ではありますが。

 あとは三横綱、三大関がそろって白星と取り沙汰されたけど、昔なら当たり前のこと。
 それだけ横綱、大関が安定してないということか。
 おや?
 高層ビルの右手にうっすらと台形のシルエット。
おや? 
 ひょっとして?
 富士山です。
富士山のシルエット? 
 ここは新河岸川にかかる福岡橋の近辺。
 一応ふじみ野市の「富士山ビューポイント」のひとつに挙げられているので、見えるのは当然ですが、こんな形で見えるとは。(市の写真とはずい分違うじゃないか)
 もっともふじみ野市の写真は高層ビルが建つ前に撮られたのかも。
福岡橋 
 それにしても映りが悪い。
 昨日の初雁橋(川越市)とは雲泥の差。
 映りに関してはそのときの気象条件によって違うので、一概にはいえないのですが、私としてはここをビューポイントとは認めません。
大杉神社 
 福岡橋のたもとに神社があります。
 富士山信仰の浅間神社と思いきや、さにあらず大杉神社。
 明治11年(1878)に建てられた神社で、本社は茨城県稲敷市の大杉神社、祭神は大物主大神。
 「新河岸川の舟運に従事した人々が、船の安全を願って建立された。船頭は毎年ふたりを選んで本社に送り、船中安全のお札をもらう慣わしであった」と説明書きにあります。
社 
 この神社の特徴は道ではなく川を向いていて、鳥居も川面に向いてうつむくように少し傾いていること。かつては新河岸川を通行する人が、船上から神社に賽銭を投げて安全を祈ったそうです。
御神体? 
 ここに明治時代の俳人、雪中庵梅年の句碑があります。
 「兎角して来須に盤おかぬし九連哉」 (とかくして こずにはおかぬ しぐれかな)
 しぐれとは時雨(冬の季語)のこと。
 わかったような、わからないような。
句碑 
 俳句を説明するのは野暮といわれているので、これ以上の説明はしません。
 (本当はよくわからないのです)
 昨年の9月初旬初雁橋を訪れたとき、ここは富士山のビューポイントである、と地元の人に教わりました。
 ならば、というわけで空気のきれいな朝、行ってきました。

 「朝日がまぶしい!」
 入間川にかかる初雁橋は的場方面から行くと、もろ逆光。
朝日を浴びる初雁橋 
 この橋は橋長279.66m、幅員9.0mと、それほど大きくありませんが、川越市街地から日高を結ぶ県道15号線(川越日高線)、そのため車の交通量は多い。
初雁橋 
 橋の親柱には雁のモニュメントが設置されています。雁は川越市の鳥だから。
 初雁橋から下流側(北東)を見ると、向こう側にJR川越線の鉄橋が見えます。
初雁橋のモニュメント 初雁橋から入間川を見る
 対岸(小ケ谷)から今度は上流側(南東側)に沿って橋を渡ろうとしたのですが……。
 歩道がない!
 橋の欄干すれすれに白線が引かれているだけ。ここを歩けってか?
 というより、歩行者はここを歩いてはいけないということらしい。
初雁橋・車道側から 
 それでも歩きました。そばを車がビュンビュン通りすぎましたが。
 「なんだコイツ、こんなところ歩きやがって。気でも狂ったんじゃないの?」
 ドライバーにそう思われていたかも。

 しかし富士山はこちらからのほうがよく見えるのではないかと判断したからです。
 結果は?
 この通り、よく撮れたと思います。
富士山・遠景 
 埼玉県で見た富士山のなかではここがいちばん見事でした。
富士山・近景 

 初句会に備えて、新年の句をつくらねばなりません。
 昨年暮れからいろいろとつくってきましたが、昨年末にUPした句はいずれも文章に合わせてつくった出まかせ句です。俳句としてはお粗末で、とても句会に出せる作品ではありません。


 新春の兼題は「笛」。
 予想されるのは「虎落笛」(もがりぶえ)。俳句の世界ではよく使われる冬の季語です。
 「冬の激しい風が竹垣や柵などに吹きつけて発する笛のような音」(goo辞書)だそうですが、私としては日常使わないことばなので句に使うことはないし、選句でも採りません。


 とはいうものの、「笛」単独で句をつくるのはけっこう難しい。
 そこで浮かんだのが、
 ①塾帰り笛持つ少女夜寒かな
 この少女の持つ笛とは、痴漢対策用の笛です。


 珈琲好きは年明けも珈琲。それも取って置きの珈琲の飲み初め。
 ②年明けて珈琲豆の封を切る→年明けてセレブ珈琲封を切る
 さらに、
 ③我が家では雑煮の後は熱珈琲

ブラック珈琲 

 初詣の句も詠みたかったので、
 ④初詣晴着娘のコンテスト
 こんなのもつくりました。
 ⑤夫知らず縁切り寺へ初詣


 三が日は駅伝を観るのが楽しみ。それも単に観るのではなく、気分は解説者、さらにコーチ、監督になっている。そこで、
 ⑥駅伝のにわかコーチや三が日


 初句会なのでそれも詠みたい。
 しかしつくる側からの句はよくあるので面白くない。そこで宗匠の立場からの句を。
 ⑦特選の大盤振る舞い初句会→「大盤振る舞い」をやめて「大奮発や」に。
 これは昨年暮、宗匠の特選乱発(お歳暮?)に味をしめて、今回は「お年玉」を要求?


 <推敲>
 ①を手直しし→①’塾帰り少女笛下げ冬きりり

 ②はつまらないのでボツ。
 ③はあまりに説明的。しかも「雑煮の後」は月並みなので、もう少しインパクトのある句にしようと、③’屠蘇代わりブラック珈琲我家流、に。さらに変えて……。

 ④はボツ。
 ⑤は新年早々あまりに剣呑なので「縁切り寺」→「ぽっくり寺」に。そうなると上五が難しい。「念願の」とか「覚悟して」も変だし、「是非もなく」もしっくりこない。そこで……。

初詣風景 

 ⑦はこれでいいのではないか。宗匠への脅し(?)にもなるし。
 (⑥は他の三句との比較でボツ)


 ということで、最終的に次の四句になりました。
 ①塾帰りの少女笛下げ冬きりり(兼題・笛)
 ②年酒よりブラック珈琲我家流
 ③埒もなくぽっくり寺へ初詣
 ④特選を大奮発や初句会

 海岸通りを東に(正確には東南)進むと、山下公園に出ます。
 しかしここも人出が少ない。
 平日だってこんなに少なくない。まして今日(01/02)は正月の三が日。
 うーん、伊勢佐木町→馬車道→海岸通り→象の鼻パークを通ったけど、いずれも閑散たるもの。
 正月の横浜ってこんなの?
山下公園① 
 ニュースでは、デパートでは福袋を求める客でごった返したとか。
 こっちの通ったところにはデパートはなかったからねえ。
山下公園② 
 寒いということもあるのかな。
 山下公園はそこそこにして、中華街へ。
中華街・大通り 中華大世界の前
 中華街に行くと、さすがに人出はあります。
 しかし土日祝ほどの混雑ではなく、平日並み。
 中華街にある「山下町公園」が正月らしい飾りつけ。
山下町公園 
 人だかりがあったのは、「焼小龍包」の立ち食い店。
 私も一度だけ食べたことがあります。
 小龍包をパクッと口に入れた途端、「アチチチ……」
 熱くて上顎の皮がむけたけど、なかなかいい味でした。
 ただし、いい年したオッチャン(ジジイ?)の立ち食いは恥ずかしい。
 (誰もそんなこと気にしてないって)
小龍包に並ぶ人々 
 まあ、あれは後学のためということで……。
 当方はいつものように香港路へ。
 とくに店を決めているわけではありませんが、この通りの店がいちばん安いと思われます。
 例によって看板と、店の人の呼び込みに釣られて入りました。
 このやり方を「甘い!」と指摘する友人がいますが、これまで外したことはありません。
香港路 
 この海老チリ定食(フカヒレスープ付!)が850円。安いと思います。
 味もまあまあ。(食べログではないので、店名はいいません)
海老チリ定食 
 食後は「ブラジル」で苦い珈琲を飲むのですが、この日は休み。残念。
 今回の教訓。正月に横浜へくるものではない。(←肝に銘じろよ)
 伊勢佐木町にやってきました。
 しかし正月というのに人通りも少なく、閑散としています。
 店が閉まっている!
 客がこないから店を閉める。店が閉まっているから客はこない。
 その悪循環で客足はどんどん途絶えた?
伊勢佐木町① 
 もともとここは幕末~明治初期にかけて入り江を埋め立てた土地で、吉田新田といわれました。
 明治2~5年(1869~1872)には遊郭が(横浜公園の場所から)移転してきたことがありますが、その後は大きな劇場が建てられ、首都圏でも一、二を争う大歓楽街になりました。
 「イセブラ」「ザキブラ」ということばも生まれたぐらいです。

 しかし最近はさびれる一方。
 その理由は、私の想像ですが、この町は遊廓だったこともあり、また近くに真金町の遊廓や初黄飲食街(座布団屋)があったことでマイナーなイメージが払拭できず、さらに親不孝通りの風俗産業の台頭によってファッショナブルな街にチェンジできなかったように思います。
 横浜のギャルは「ショッピングは元町」といい、伊勢佐木町は「ダサい」とローカル扱いです。
伊勢佐木町② 
 とはいえ私はここに並々ならぬ愛着があります。
 ここからひと筋入った親不孝通りの風俗街には、風俗ライター時代、よくお世話になったからです。
 ここは全国の風俗産業に先駆けて近代化がはかられ、陰湿なものは微塵も見られず、託児所なども設けられて子持ち女性も働きやすい環境が整えられています。(NHK「クローズアップ現代」にも取り上げられました)

 伊勢佐木町にちなんだ歌といえば青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」
 伊勢佐木四丁目「イセザキモール」前にピアノをあしらった歌碑があります。
 ボタンを押すと「♪あなた知ってる みなとヨコハマ……」と歌が流れてきます。
 しかし今は押す人もいない。(当方だけ?)
青江三奈の歌碑 
 近くにライブハウスもあるのですが、閉店。
 伊勢佐木町は人通りは少なかった。
ライブハウス 
 吉田橋を渡って馬車道へ。
 しかしここも閑散たるもの。店も閉まっているし。
馬車道 
 海岸通りに出ました。
 日本郵船の建物。ふだんは開いているのに、正月は休み。拍子抜けするぞ。
海岸通り・日本郵船前 
 象の鼻パークに出てもやはり閑散としたもの。
 あまり人通りが多いのも好きではないけど、こう人が少なく、店も閉まってるとあっては、正月はくるものではないと思いました。
象の鼻パーク 
 平潟湾は私が最も好きな光景。どこから見ても絵になります。
 今回は称名寺から赤門通りを南下してきたので、北側(州崎町)からも見ることができました。
州崎側から見る平潟湾 
 とはいえ私が好きなのは夕照橋→平潟湾プロムナードから見る景色。
 下はプロムナードから見る夕照橋。左奥は野島山。先ほどまで私はあの山頂にいました。
夕照橋と野島山 
 平潟湾プロムナードを琵琶島方面に歩くと、金沢シーサイドラインにぶつかります。
 私は最初「平潟湾の景観をぶち壊すのではないか」と思ったものですが、最近はこれも一風景としてとらえるようになりました。そう思うとこの線路橋はアクセントです。
金沢シーサイドライン 
 沖のほうには数隻のヨットが停泊しています。
 また所どころ桟橋があって漁船が停泊しています。いつも「これに乗って湾内を周遊したい」という誘惑に駆られます。
停泊する船 桟橋に停泊する漁船
 平潟湾プロムナード。シュロやソテツ、キョウチクトウが植え込まれ、南国の風景を醸し出しています。
平潟湾プロムナード 
 平潟湾は鎌倉時代はもっと大きく、北側は瀬戸から泥亀、西側は六浦も入り江になっていたそうです。鎌倉の外港として栄えました。
 江戸時代には景勝地として知られるようになりましたが、幕末から明治にかけて埋め立てられて新田となり、さらに南側も埋め立てられて金沢区柳町となり、現在のような細長い湾になりました。
琵琶島神社 
 入り江の江の喉元にある琵琶島神社。
 琵琶湖の竹生島に倣ったもので弁財天が祀られていることから、地元の人は「弁天島」と呼んでいます。
琵琶島より見る平潟湾
 このあたりから見る平潟湾の景色も素晴しい。
平潟湾全景 
 野島にやってきました。
 野島は砂州による陸続きの陸繋島でしたが、水路の建設で分断され、今は島になっています。
自然海浜 
 ここの砂浜は横浜市内で唯一残った自然海岸だとか。
 たしかに野鳥の住処のような海岸で、この時期はカモの群生が見られます。
カモ 
 島の東部には標高約57mの野島山があり、山頂には展望台が設置されています。
 むろん登りました。
展望台 
 木が邪魔して思ったより見晴らしがよくない。
 見えるのは八景島と対岸の夏島(横須賀)ぐらい。
展望台より見る八景島 展望台より見る横須賀・夏島
 それよりも特筆すべきはここにある掩体壕(えんたいごう)。
 掩体壕とは航空機を敵の攻撃から守るための格納庫のこと。戦時中には全国各地につくられましたが、ここは野島山の下をトンネル状に貫通しており、長さは約260m。わが国では最大の規模だとか。
 実際は使用されずに終戦を迎えました。現在は封鎖されて通行できないようになっています。
掩体壕 
 野島というのは「金沢八景」のひとつ「野島の夕照」で有名。
 その場所は夕照橋。
 まだ夕暮れには時間がありましたが、この橋から見る漁港は絶景でした。
夕照橋 夕照橋より見る野島漁港
 昨日(01/02)金沢八景に行ってきました。
 先ずは称名寺。
 山号は金沢山(きんたくさん)。真言律宗別格本山の寺院。本尊は弥勒菩薩です。
赤門 
 赤門→参道→そして仁王門をくぐると、池(阿字ヶ池)と太鼓橋が現れます。
太鼓橋 
 朝早くなので(8時30分)参拝客はまばら。若者たちが記念写真を撮っていました。
 太鼓橋を渡ると中ノ島、そして平橋を渡ると金堂。金堂といっても質素なつくりですが……。
 
太鼓橋から見る金堂、右は釈迦堂  金堂 
 この称名寺は北条実時が正嘉2年(1258)六浦荘金沢(かねさわ)に建てた阿弥陀堂がその起源とされています。
 その後は金沢北条氏一族の菩提寺として発展しましたが、鎌倉幕府滅亡とともに寺も衰退。しかし江戸時代なって大幅な復興が実現し、現存する建物がつくられたそうです。
鐘楼
 ここは約3年前(2011)の秋、一度きたことがありますが、そのときに比べると寒い!
 前日(元日)は雪が降ったとあって、この日も寒風が吹き荒れました。
 (しかし酔狂できているのだから、文句はいえない)
 半ばヤケクソで金堂のなかをパチリ。
 なかは金ピカのご本尊? なるほどこれが金堂たるいわれか。
弥勒菩薩?  
 草木も枯れているとはいえ、なかなか見事な庭園です。
 阿字ヶ池を中心とする庭園は、浄土曼荼羅に基づいて配置されているため、「浄土式庭園」というそうです。
 境内の赤門、仁王門、金堂、釈迦堂は元応2年(1320)金沢氏3代貞顕によって整備されたもので、発掘調査を経て昭和62年(1987)に復元されました。現在は国の史跡に指定されています。
太鼓橋から振り返って見る仁王門 
 新春の恒例として若者たちがおみくじを引いています。
 「おッ、仕事運吉だ」
 「縁談は中吉よ」
 それらを境内の綱に結びつけます。
おみくじを結びつける人 
 まだ時間が早いから空いてるけど、もう少ししたら初詣客で混むに違いない。
 そう思って称名寺を後にしました。

 多聞院から少し南東に下り、道路の右側(南西)を見ると、畑の向こうに富士山が見えます。
 これがなんとも絶景。

富士山・遠景

 昨年の10月6日に見たときは、まだ雪はなかったのですが、今見ると雪を被っています。
 これがなかなか風情。

富士山・近景 

 これが見られるのだから、やはり多聞院のほうがいい? 
 今年はいいことがありそう。

 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 さて初詣。
 昨年は大宮氷川神社まで行ってきましたが、この地に引っ越してきた当初はもっぱら近くの多福寺でした。福が多い。名前が気に入りました。
多福寺・本堂 
 江戸時代、このあたりの住民は土地の利権争いでもめていましたが、制定に乗り出したのが当時の川越城主柳沢吉保。
 彼はこのあたりの土地を検地し、それぞれのいい分を取り入れて境界を明確にし、もめごとを解決しました。これが元禄7年(1694)のこと。

 吉保はこの地をさらに開拓させるため、農民の精神的安住の拠り所として、元禄9年、ふたつの寺を創建しました。先祖代々の位牌を納める菩提寺として多福寺(三芳町)、豊作祈願のための祈願寺として多門院(所沢市)です。
多福寺・山門 
 この多福寺、山門が立派です。「呑天閣」といって、埼玉県指定有形文化財になっています。
 さらにいいのは奥庭の枯山水。
 ふだんは見せないのですが、1~5日の間だけご本尊と奥庭をご開帳。(拝観料200円)
多福寺・奥庭 

 多福寺から南西に約600m行ったところにある多聞院。
 真言宗豊山派の寺で、山号は宝塔山、寺号は吉祥寺。本尊は大日如来。
 吉保は元禄9年(1696)このあたりを開村した際、村民のために祈願所として毘沙門社(多聞院)を創建しました。
 この毘沙門堂には武田信玄の守護神である金の毘沙門天(高さ4cm)が祀られているそうですが、真偽のほどはよくわかりません。
多聞院・笠地蔵 多聞院・子育て観音
 多福寺と比べると参拝者が多く、お札やおみくじなどが売られて商魂逞しいように思いましたが、別の人にいわせると、「多福寺は奥庭を見せるだけで、金をとっている」とのことで、見方は様ざま。
多聞院・正月販売コーナー 
 ただ私としては、多聞院のほうに軍配を挙げたい。
 その理由は……。