プロ野球日本シリーズは、なんとも呆気ないというか、あと味の悪い形で終わりました。
 1点を追う阪神9回表の攻撃。1死満塁。西岡は一塁ゴロを打ちましたが、一塁手の明石が本塁へ送球し三塁走者を封殺。さらに捕手の細川から一塁への送球が、打者走者の西岡に当たり、ボールはファウルグラウンドに転がりました。
 これで二塁走者が還って1-1の同点、と思いきや、球審が西岡の走塁を「ファウルラインの内側を走った」と判定、守備妨害でアウトを宣告し、併殺で試合終了。
よろこぶソフトバンク選手たちと抗議する阪神監督 
 ソフトバンクの選手たちが「勝った、勝った!」とはしゃく一方で、阪神の和田監督が審判に抗議するという前代未聞の光景。
 結果はソフトバンクが1―0で阪神を下し、4勝1敗で優勝ですが、これが甲子園だったら阪神ファンは納得せず、怒ってグラウンドになだれ込むのではないかと思うと、この球場(ヤフオクドーム)でよかったのかな、と思ったりして。
秋山監督の胴上げ 
 これは私の勝手な見方ですが、審判団は阪神に辛かったように思います。
 6回表、一塁走者のマートンが二塁に滑り込んだとき、捕手の送球は大きく右に逸れ、捕球した二塁手がタッチに行ったものの触っておらず、セーフに見えました。しかし判定はアウト。
 解説者はビデオを見ながら、「これはタッチしてませんね」

 そして最後の幕切れ。
 ソフトバンクの投手サファテは3人の打者に四球を出す大乱調で一死満塁。西岡にもボールが先行し、アップアップの状態。その西岡の打球は一塁ゴロ。西岡がラインの内側を走ったとしてアウトを宣告しましたが、TVの角度からは見えず、実感の涌かない幕切れでした。

 阪神のメッセンジャー投手はよく投げたと思います。
 一戦目は完投で勝ち、この日(五戦目)も7回までは0封。与えた点は、8回裏、二死一、三塁で松田に打たれて取られた1点のみ。 これが決勝点になりました。
メッセンジャー投手 
 またセンターの大和選手の再三の好守備も光りました。
 3回裏(2死二、三塁)では明石の左中間に抜けようとする当たりをダイビングキャッチ、6回裏(2死二、三塁)では中村のセンターオーバーの打球をフェンスの方向に背走しながらキャッチ。これで阪神はどれほど救われ、勇気づけられたか。
大和選手の好捕  
 今年の日本シリーズ、結局全部見てしまいました。
 年々野球に興味をなくし、ペナントレースはほとんど見ず、CS(クライマックスシリーズ)もちょっと見ただけ。
 見るようになったのは、圧倒的な強さでセ・リーグ優勝した巨人がCSで阪神に4連敗して出られなくなって、「これは面白い」と思ったから。
決勝タイムリー 
 逆にパ・リーグは今季で引退する秋山監督の「はなむけ合戦」
 秋山監督はパ・リーグ優勝した時点で引退を決意していたそうで、その理由は前半圧倒的な強さで首位に立つも、後半もたついて勝てなかったとき、ファンから心ない罵声が浴びせられたのが一因といわれています。
秋山監督 
 福岡、阪神、NY(ニューヨークヤンキース)のファンは昔から熱狂的で、勝てば大騒ぎするけど、負ければボロクソにけなす。監督に卵を投げつける狼藉振り。
 その点横浜(ベイスターズ)ファンはやさしいよ。負けても暖かい声援を送り続けているし。
 秋山さん、横浜はいいぞ、中華街も近いし。将来はぜひベイスターズへ。


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2014.10.30 目白・胸突坂

 目白・椿山荘の南(地形的には崖下)にある江戸川公園。
 この神田川沿いの道は昔風の白壁が続き、なかなかの風情です。

神田川沿いの道 

 ここから新江戸側公園に行く手前、水神社と関口芭蕉庵の間に細い道があり、しばらく行くと上り階段になっています。これが胸突坂。(長さ約65m)

胸突坂① 

 文京区の看板には次のような説明があります。
 「……坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名『水神坂』ともいわれる。東は関口芭蕉庵である。
 坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければならないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。
 ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上がり下がりした往時の人々の苦労がしのばれる」

胸突坂② 

 なるほど、かなり急な坂。
 そのためか、途中にちょっとした休憩スペースがありますが、これがなかなかの風情。
 永青文庫や蕉雨園など、見所満載なので、通には見逃せないところですが、私はそれほどの通でもないので、ひたすら歩きます。

胸突坂③ 

 胸突きといえば、すぐ出てくるのは「胸突き八丁」
 これは、物事を成すのにここが最も苦しいところ(正念場)のことを指すことばですが、もともとは富士山の山頂付近のけわしい八丁(872m)からきているそうです。(大辞林第三版)


 この坂を上りきると目白通りに出ます。
 右手は講談社野間記念館、そして向かいには東京カテドラル聖マリア大聖堂があります。(参照

講談社野間記念館 東京カテドラル教会

2014.10.29 高齢者の句
 我が句会は高齢者が多く、私は二番目に若いほう。
 皆さん俳句の上でも先輩ばかりで、熟達した句をつくられる。
 今回は私が採らなかった句ばかりですが、あえて取り上げてみました。

 ①亀甲は亀屋のしるし木の実落つ……〇
 私にはこの句のどこがいいのかわかりませんが、先生は「題が『甲』なので『亀甲』を思いついたのは手柄です。亀屋の庭かどこかに木の実の生る大樹があるのでしょう。『木の実落つ』によって情景がよく見え、効いています」と絶賛。人の見方は様ざまです。

 ②秋彼岸我が家の墓は山の上 
 ③空澄みて黄金ひろごる豊の秋 
 ④秋天や大地の実りたははなり
 
 ③は一般的な秋の情景を詠んだ句ですが、「そりゃあ、秋ともなれば空澄んで黄金広がって豊かだろうよ」とイヤミのひとつでもいいたくなります。こんなことは誰でもいえることで、この人が自分独自の主張として詠む句ではありません。
 俳句とは、その人の内側から出てきたものだと思うのです。④も同じ。

 ⑤扇閉づ八十路に入りし手の甲よ
 ⑥松手入れ八十路の夫の雄姿かな……◎
 ⑤、⑥は同じ作者。ともに「八十路」を題にしています。⑤は自分。身につまされます。
 ⑥は夫ですが、⑤とは正反対。これについて先生の評価は、「自分の夫を堂々と(雄姿)と表現できるのは凄いですね。天晴れです。しかし中高年が高所から落下する事故が多発していますので、じゅうぶん気をつけてくださいね」
 なるほど、と思いました。しかし後の忠告は句の評価ではなく、余計なお世話というもの。

 ⑦障子張る背中叩いて秋来たり
 ⑧夏の果て膝の痛みのまた増せり
 ⑨病む妻の待つ家めざす秋しぐれ

 ⑦、⑧、⑨は友人(達人)の句。八十路ではなく、七十路に入ったばかりでまだ若い(?)。それなのに老齢をかこつ句ばかり。「オレも近い将来こんなになるのか」と思うと暗澹としてきます。

 ⑩愛といふものに縛られ通草(あけび)の実 
 これは我が句会の古株女性。年齢的には八十路に差し掛かっているはず。
 例によって想像(頭)でつくられた句ですが、たとえ願望であれ、このような方面に関心を持ち続けているというのは、感性が若いと思いました。
 この季節になると、あちこちで菊花展が開催されます。
 ここ、さいたま市西区にある足立神社でも一昨日(10/26)から開催されました。
 同神社は紫陽花でも有名で、季節になると近郊の人々が訪れます。
足立神社 
 「ほう、見事なものだねえ。この菊をつくった人は私の友人で……」
 とは前で菊を眺めていたおじさん、私のような赤の他人にも話しかけてきます。
菊の展示 
 「やはりここまで仕上げるには、よほど丹精込めたんでしょうね」
 「そうなんだよ、あの人は根が凝り性で……」
 と、縁もゆかりもない当方にも人物説明。
 こちらは「ふむふむ」と聞いているだけ。
賞をとった菊 
 私としては、どの菊も見事に見えるけど、どこで優劣がつけられ、金、銀、銅、入選……とランクづけされるのか、さっぱりわからない。
 そんなことをいうと怒られそうなので、展示はそこそこにして、祠のほうへ。
祠の菊 
 ここにも菊が飾られています。
 種類が違うのか、ここの菊は一本がスッと立っているのではなく、山状になったり、楕円形になったりしてアレンジメントされています。
階段の菊 
 私は二年前、新宿御苑の菊花展を見て、「菊花とはアレンジメントに妙があるのではないか」と思ったことがあります。(参照
 今回、神社の菊花展を見て、やはりその意を強くしました。
 スミマセン、花には門外漢の私です。
菊の山? 
 久しぶりに大宮・盆栽村でも行こうかと、鉄道博物館駅の前を東に通り抜けたところ、聞き覚えのある音楽。「愛の賛歌」を南国調にアレンジした曲です。秋祭り?
 駐車場のスペースにフリーマーケットをやっており、その中央に舞台があって、女性たちがフラダンスを踊っていました。「東大成きてみな祭」といいます。
フリーマーケット会場 フラダンス?
 こちらとしては先日、友人のフリーマーケット出店を手伝ったことがあるので、「どんなものを売っているのか」と興味津々。
衣類や生活雑貨などが販売されてましたが、取手に比べると統一性があって、少し高め。こちらのほうがやや都会的なのかな?
フリーマーケット風景  
 マーケットの一部にサッカーのキックターゲット。
 これには地元の「大宮アルディージャ」の協力によるもの。
 子どもたちが盛んにボールを蹴っていました。
 なかに山なりのキックを上げる男の子がいて「?」と思ったら、高得点のマークに当てました。関係者の話では「高度なテクニック」とのこと。うーん。
 サッカーには門外漢なので……。
キックターゲット 
 それよりも舞台の女性たちの演舞が気になります。
 いろんなグループが登場してくるのですが、これが華やかで楽しい。
 川越夏祭りのフラダンスとは大違い。
 やはり踊り手が若くて激しいリズムだと活気があります。
ポリネシアンダンス① 
 とくに小学生の女の子の腰振りダンス。
 最初は「小学生が大人の真似することないじゃないか」と苦々しい思いだったのですが、激しくリズミカルな腰の動きに、セクシーさを超越した躍動美を感じました。
 こんな動きは相当厳しい練習を重ねないとできません。
ポリネシアンダンス② 
 私はこのジャンルの歌舞音曲に関しては不案内ですが、ハワイアン、タヒチアン、ポリネシアンとあって、フラダンスはその一部だそうです。
 この日踊っていたのは地域のダンスチームや、ポリネシアンダンサー・木梨Tiare実希さんが率いる「ティーム ・ティアレ・フェティア」の皆さん。
 けっこう盛り上がりました。

 「お年寄りは自分たちで楽しむこと。発表は若い人に限る」
 これが南国舞踊に対する私の感想です。
 港の見える丘公園。
 開園は昭和37年(1962)。公園の名はヒット曲「港が見える丘」(1948)からとったものです。
 「ほう、これが……。やっぱり横浜やなあ」
 「当時は港が見えたんやけど、今は建物と高速道路に遮られて見えんようになってしもた。その代わりベイブリッジがよう見えるやろ」
港の見える丘公園 
 以前きたときよりテラスが前に出て、広くなっていました。半円形の広場も。
 「以前はこんなの、なかった」
 といっても、彼らにはなんのことかさっぱりわからない。
 なにはともあれ、ここで記念撮影をパチリ。(本当はよその人に撮ってもらったのです)
 「あの旗はなに?」
 友人に指摘されて、見上げるとパタパタと風になびく2枚の旗。
 説明書きを見ると、これはアニメ「コクリコ坂より」(2011)で主人公が航海の安全を祈って毎朝掲げていた国際信号旗とのこと。この旗が設置されたのは2年前ですが、初めて知りました。
国際信号旗 
 バラ園を通って山手111番館の下の喫茶室でティータイム。
 「横浜というのは、昔はほとんど海やった」
 地図を広げて、横浜港ができた経緯をひとくさり。
 中華街が他の市街地と違って45度傾いている理由も。(これは彼らの風水によるもの)
バラ園  
 喫茶室では話に花が咲ましたが、ここで時間を費やしてはきた甲斐がないと心を鬼にして店を出ました。
 階上の「山手111番館」に入って、さらに外国人墓地の前、山手通りを歩いてエリスマン邸、ベーリックホールへ。
 「ここの所帯主は貿易商か。広い家に住んどんなあ」
 「夫人の部屋というのも広いわね。サンルームもあるし」
 「オレなんかこのクロゼットの空間でじゅうぶんや」
 そんな話をして、そこをあとにしました。
エリスマン邸 ベーリック・ホール
 エリスマン邸とベーリックホールの間の額坂を下り、元町公園へ。
 昨年の俳句会のおネエさまは「帰りもエレベーターで」とのことでしたが、我われはまだ若い。
 この元町公園もなかなか見事です。桜の名所でもあるので、また春にきたいものです。
元町公園 
 そして元町。
 「あらッ、ここがキタムラなのね。関西でも有名よ」
 と女流画家。ブランドものにはあまり興味がないとのことですが、それでもこの鞄店は知っているようです。「あッ、ここが近沢レース店」
 すぐに中華街へは行かず、元町通りを往復しました。
元町
 中華街に入ったのは6時近く。
 予定では媽祖廟や関帝廟を見学して食事と考えていたのですが、香港路(ホンコンロー)の料理店に入って飲茶コースを頼みました。(会話に夢中で料理の写真はなし)
 話題は専ら高校時代のこと。
 「こうやって話すと、これまでまったく忘れてた人物を思い出すなあ」
 「それで脳が活性されるんやで。アメリカの心理学者がいうとった」
 (彼らといると、私は完全な?関西弁になります)
香港路 
 このあと喫茶店でまた話が盛り上がりました。
 ふたりともこの日の横浜散策を大いに満喫してくれたようです。
 彼らのよろこぶ顔を見て、「この散策は大成功だった」と思いました。
 昨日(10/24)は取手市(茨城県)に住む友人と京都の女流画家を案内して、横浜を散策しました。ふたりとも高校の同窓生です。

 あいにく午前中は雨。
 関内で落ち合い、桜通りを海ッぺりに。
 象の鼻パーク→山下公園。

 「ほう、これが横浜の海か……」
 「天気がよければ、もっと人がいるんやけど」
 悪天候にも関わらず、彼らは初めて見る横浜の港に興味津々。写真を撮ったり、ビデオで撮影したり。
 こちらとしては見慣れた景色なので、「そんなとこ撮るほどのものではないぞ」といいたいのですが、初めてきた人にとってはなにもかも珍しいようです。

 「これが赤い靴をはいた女の子の像なのね」
 女の子が腕を組んでいるなかに雨水が溜まっているのが印象的でした。
赤い靴をはいた女の子の像 
 「A Little Girl With Red Shoes On と書いてあるやろ。高校のときの英語教師がくれぐれもOn(恩?)を忘れないように、というとった」
 「そやったかな」
 去年もいったダジャレをひとくさり。
氷川丸(外) 
 氷川丸にも入りました。
 こちらは何度もきているのでそれほどの感慨もなく、スイスイ進むのですが、彼らは「ほう」「なるほど」とあちこち、止まっては見入っています。
 なかなか彼らがこないので振り返ったら「児童室」(キッズルーム)で撮影してました。
 「ポニーの木馬が可愛い」と女流画家。(人の好みは様ざまです)
児童室 
 階上の船長室や操舵室にも入り、船底の機械室にも。
 ここは昨年俳句会のおネエさまたちを案内したとき、興味なさそうだったので端折ったのですが、ふたりとも興味津々。大きなクランクやタービン、発電機などもじっと見てました。
氷川丸にて 機械室
 客室も見学しました。
 一等客室を見たとき、「やっぱり船の旅というのはゼイタクなものだな」と取手の友人。
 では三等客室を見たらどんな反応を示すか。
 こちらも興味を覚えて寝台車のような二段ベッドだけの客室を見せたところ、ふたりとも、
 「これでもええやん。寝ることには変わらんのやし」
氷川丸から見る山下埠頭 
 俳句会のおネエさまたちは「こんなとこ、いやあね」という反応だったのですが、意外でした。彼らは「まだ若い」と思いました。
 中学3年のとき、同級生の父親が担任に怒鳴り込んできたことがありました。
 「ウチの息子が殴られて大怪我した。どうしてくれる!」
 殴られたのはI、殴ったのは私と仲のよかったM。

 当時MはUという女子生徒が好きで、仲間から冷やかされていました。
 そのことで彼は怒ることはなかったのですが、Iが冷やかした途端、怒ってIの顔面をガツーン。目にアザができたというのです。
 Mは穏やかな男で、これまで人に手を上げることなどなかったのです。
 「これはIが悪い」と私は思いました。

 Iと我われは当時それほど親しくなかった。「冷やかし」は親しい間でこそ通じること。
 部外者のIにいわれて、「なんでこんなヤツに」と思ったに違いない。
 しかもそのいい方がよほどイヤミだったのではないか、私はそう思いました。

 Mは担任に呼びつけられましたが、わけを話すと、それほど咎められなかったといいます。
 彼は成績もよく、信頼も篤かったので、怒ったのはよくせきのこと、と担任も判断したようです。

 Iのオヤジは短髪で、見るからに職人タイプ。Iそっくりでした。
 子どものケンカに親が出てくるとはなんと短気なオヤジだろう、と私は思いました。
 (子どもができてからは多少理解できますが)
 それから半世紀以上の歳月が流れました。
 親しかったMとは連絡が取れなくなりました。その代わり……。
 「よお、辻君、久しぶりィ」
 今年になってメールで呼びかけてきたのはI。(郷里の友人のツテによるものです)
 それほど親しい人物でもなかったので、こちらは一瞬面くらいましたが、これが歳月というものか……、メールのやり取りをするようになりました。

 ところが……。
 なんだか彼のことばに違和感を覚えることがある。
 とくに私が先祖の地であるH市のことを話題にすると、「本当は(H市に住んでいる)M子が目当てなんだろう」とイヤミたっぷり。
 それいらい「ご先祖様は怒ってるぞ」とか、「ご先祖様をダシにして」とイヤミをいわれ続けました。

 こちらとしては「なんでこんなヤツにいわれなきゃならん」という思いです。
 当人は冗談のつもりでも、こっちはちっとも面白くない。しかも執拗。いい加減にしてくれ、と思いました。

 「あのときコイツを殴ったMの気持ちはよくわかる。コイツのことばには人をムカつかせるものがある」
 その彼が最近、急逝したことを知らされました。
 それまでは元気だったとのことで、循環器系の病だったようです。
 今秋に開催される中学の同窓会で、(私を含む)みんなとの再会を楽しみにしていたそうです。

 私としてはことばもありません。
 今はただ、彼の冥福を祈るばかりです。
2014.10.21 赤坂・丹後坂
 赤坂の一ツ木通りに西に入る脇道があり、100mほど入った右側に上り坂(石段)があります。
 これが丹後坂。
丹後坂(上り) 
 標識の横に由来が記されています。
 「元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった」
標識 
 中央に樹木が植えられた分離帯があるので、駅の階段のように<上り><下り>に分かれているのかと思ったのですが、そういうことでもなく、上る人も下る人も同じ側を歩いていました。
分離帯のくすのき 
 丹後坂を上りきって左に進むと山脇学園短期大学があります。
 明治時代、法学者で貴族院議員でもあった山脇玄が明治36年(1903)「女性の本質を磨き、時代に適応する教養高き女性を育成する」との精神で牛込区白銀町に設立され、明治10年(1935)ここ赤坂の地に移転してきました。
丹後坂(下り) 
 また坂の下には「喫茶寧楽(なら)」という民芸調の喫茶店があります。
 今から20年以上前に一度入ったことがありますが、壁、床、椅子、テーブルすべて木製で、あちこちに民芸品が飾られ雰囲気がありました。
突き当たりが喫茶寧楽 
 夏の暑い日でしたが冷房はなく、開けっ放しの窓と扇風機で涼をとっていました。
 店主にはそれなりのポリシーがあったと思われます。
2014.10.20 お茶の水の坂
 JR御茶ノ水駅から神保町に行くには、ふつう明大通りを南下します、
 この通りはかなり急な下り坂です。これは中央線の線路と靖国通りとの間には、かなりの標高差があるためです。この通りを下りたところを「駿河台下」と名づけているのはそのためです。
明大通り(駿河台下方向) 
 この明大通りは楽器店が多いだけで風情はそれほどありません。
 むしろ、とちの木通りを入ったところにある坂道のほうが味わい深い。
とちの木通り 
 まず男坂。
 かなり急勾配の石段です。上から見るとクラクラッ。
 ようやく下りて、下から見上げると、「マジかよ」
 以前はここでトレーニングする学生もいたとか。
男坂(下り) 男坂(上り)
 女坂もあります。
 説明によると、「男坂が一直線の急坂であるのにくらべ、中途で中やすみするようになっているので女坂と呼ばれています。この坂のできたのは、大正13年(1924)8月、政府による区画整理委員会の議決によりつくられたものです」
女坂(下り) 女坂(上り)
 たしかに右に曲がり、左に曲がりと踊り場が二ヶ所あるので、一直線の男坂に比べるとラクそうですが、この年になるとどっちもキツイよ。

 そして出版健保会館の脇にある錦華坂。
 男坂・女坂が石段であるのに対し、こちらはなだらかな(?)坂道。
 説明によると、「この坂の由来は坂下に錦華小学校があるからです」とのことですが、錦華小学校とは現お茶の水小学校のこと。
錦華坂① 
 錦華公園のあたりから急な下り坂になります。
錦華坂②
 この公園は狭いけど、木々に囲まれて風情があります。
 反対側は山の上ホテルの裏側、ロケーションはなかなかのもの。
錦華坂③ 
 ただし御茶ノ水駅から神保町に行くには、明大通りを歩いたほうが最短です。
 私は多少遠回りしても風情ある道のほうがいい……な。
錦華坂④上り 
 取手市(茨城県)に住む友人から、「フリーマーケットで店を出すのでこないか」と誘われ、ふたつ返事で「行く!」


 フリーマーケットは私の近所でも催され、見に行くことがあります。
 「ヘーッ、こんなものがこんな値段で売っているのか」
 と思うことがあり、なかなか面白い。
 こちらに引っ越してきたとき、食器を補充するのにお皿や小鉢などを買ったことがあります。一個20円と百均より安かったから。
開始前の準備 
 友人が今回メインで売りたかったのは、仕事で知り合った業者から買った「プリザーブドフラワー」
 プリザーブドフラワーとは生花を専用の溶液を使って加工された花のこと。ドライフラワーと違って生花のような柔らかさとみずみずしさが保てるとのことで、今静かなブームになっているそうです。(参照
 しかし、私の見たところ値段が高い。2800~8000円という値段設定です。
 「これでは買う人、いないだろう」というと、友人は、
 「これは生花と職人の労力、元手がかかってんねん。それでも市価の半値や。今回は市場調査ということもあって、別に売れんでもええねん」とおっとりとしたもの。
わがブース 
 他には和装の草履、ハンドバッグ、小銭入れ、手毬、置物、アクセサリー、さらにカメラ、レンズ、ラジオ、プリンターのインクなど。値段は300~500円。
カメラ類 
 「これは売れないだろう」と思いました。
 草履やハンドバッグなど未使用品ですが、500円は高いのではないか。
 それにカメラ類に至ってはフィルムカメラだし、一部壊れている、好きこのんでこんなもの買う人などいるものか。
 そう考えて、彼が席を外しているときカメラ類を後方に配置しました。ところが……。
客で賑わった会場 
 開始(午前9時)早々年配のおじさんがやってきて、「そのカメラは使えるの?」
 こちらは正直に「いえ、一部故障してます。それにフィルムカメラです」
 おじさんはかまわず手にとって「ほう、ペンタックスか」と、シャッターをカシャッ。「動くじゃないか」
 そして「これ、いくら? 500円? 買うよ」
 私としては晴天の霹靂。(こんなの買う人いるんだ!)
ラジオ買い上げ客 
 他にはクリスマスツリーのクッション(300→200円)、さらに草履(500円×2)、アザラシの毛の小銭入れ(500→400円)、ラジオ(500→300円)が売れました。
 本命のプリザーブドフラワーも4500円のものが売れました。
フラワー買い上げ客 
 面白かったのは閉店(11時)間際にハンドバングをためつ眺めつしていたおばさん、「やっぱりよすわ」と買わずに去りました。
 ところが店じまいで、これらを箱に詰めた直後、「さっきのバッグ、いただこうかしら……」
 もちろんこちらもよろこんで売りました。(500→400円)
 他にもいろいろ売れて、オーナー(友人)にいわせると、「今日の売り上げは一万円ぐらい。収穫はまずまず」

 当方も少しは売り上げに貢献できたかな?
 それにしても私にはほとんど興味のないものがこんなに売れるなんて、正直いっておどろきました。

 「人の欲望は千差万別。私などの及ぶところではない」
 これが本日の教訓です。
 安比奈親水公園に行くには八瀬大橋をわたる必要があります。
 この橋は川越越生線(114号)の入間川に架かる橋です。
 羽根倉橋ほどの交通量はないので二車線
 橋としてはいささか貧弱ですが、「八瀬大橋」と聞くと京都出身の私には格別の感があります。
八瀬大橋・往き 
 八瀬は出町柳から出る京福電鉄の終点駅。
 そこから比叡山に登るケーブルカーの駅に行くのに高野川をわたるのですが、その橋が八瀬大橋?(違ったかな)
橋のプレート 
 いずれにせよ、「八瀬」には特別な響きがあります。
 ここ(川越)ではどのような由緒でこの名がつけられたのかは知りませんが……。
八瀬大橋・自転車道 
 この橋は二車線ですが、自転車用の橋が(下流側に)平行しています。
 こちらは自転車なので、そこを通ればよいのですが、進行方向左側(上流側=南西方向)に富士山が見えるというので、わざわざ左側を通りました。

 橋の欄干よりに段差があって歩行者用の通路になっているのですが、そこを自転車で通ると欄干が低いので恐ろしい。バランスを失うと欄干から落ちそうな気がします。
 かといって車道に下りると、脇を大型トラックがビュンビュン。こわいよー。
上流側 
 仕方なく再び歩道に上がって、自転車を引いて歩きました。
 そしてときどき上流方向を撮りましたが、富士山は見えなかった。泣きっ面に蜂!
八瀬大橋・帰り 
 そういうわけで、帰りは素直に自転車道を通りました。
 もう二度と通ることもないと思うけど……。
下流側 

 
 川越の西端、安比奈親水公園にやってきました。
 同公園は入間川のほとりにあって、広さ18ha。
 河川敷を利用した公園だけに川に沿って南北に長いのですが、とにかく広い。
安比奈親水公園 
 なにしろ、野球場(野球場×2面、ソフトボール場×2面)、テニスコート(6面)、サッカー、陸上競技場、ドッグラン、サイクリングロードがあり、小川で釣りをしたり、バーベキューもできるとのこと。
コスモス畑① 
 そんなに多角的で広い公園だと、得てして草ボウボウということが多いのですが、ここは公園の隅々まできちんと手入れされています。
 それもそのはず、ここは川越花火祭りの会場にもなるほどで、地元だけではなく川越市民の憩いの場となっている公園。いかに愛されているかがわかります。
コスモス畑② コスモス畑③
 市民の憩いの場となっているのは主として北側にある花畑。
 この季節は一面にコスモスが咲いていました。
 黄色いのはマリーゴールドだそうです。
マリーゴールド 
 そのコスモス畑の一部で、花を摘み取っている女性を見かけました。
 「どうせ刈り取ってサラ地にしちゃうから、取っていいって」
花を摘む人 
 なかには自転車の荷台にいっぱい積んでいる人も。
 花屋さんでもやるの?
自転車に積まれた花 
 たしかに作業員さんが刈り込み続行中で、花が刈り込まれているところもありました。
 というわけで、自転車の荷台いっぱい持って行かれても、痛くも痒くもない……?
刈り取る作業員さん 刈り取られた跡
 台風一過で一昨日は快晴だったのに、昨日は朝から雨。
 まったく不安定な天気です。
昨日の近所の情景 
 10月に入って日本列島は二度の台風(5日と12日)に襲われましたが、去年の今日(10/16)は、台風26号に襲われ、各地に多大な被害を及ぼしました。
 この日はリハビリに行く日だったのですが、朝からの大雨と強風に「これでは行けないかな」と思っていたところ、H子が車に乗せてくれるというので、行くことができました。
 当時は左足と右腕はまだ不自由で、300mほど歩くと足首が痛み、右腕もろくに動かせない状態。唯一の頼りはリハビリですが、それも10月になって週一に減らされ、心もとない状況でした。

 入院仲間のI子、H子夫妻、Y子とはリハビリでもよく会いました。
 みんな治ることに必死で、情報を求め合いました。それが励みにもなっていたと思います。
リハビリ風景 
 この日はリハビリが終ってから、H子夫妻と川島町の大型ショッピングセンターまで行きました。 川越のまだ先です。
 「台風一過ですっかり天気がよくなったね」
 それでも帰る途中に車から見た越辺川、大谷川、入間川、いずれも水位が上がっていることに改めて台風の恐ろしさを実感しました。
入間川 
 帰ってからニュースを見ると、伊豆大島が大きな被害を受け、住宅が流され、多くの方が亡くなったことを知りました。
 大島は学生時代、友人宅に一週間ほど逗留して熟知しているところだけに胸が痛みました。
 その1ヵ月前は、台風18号によって京都嵐山が浸水の被害を受け、大自然の猛威を思い知らたばかりでした。
 今年の秋は御嶽山の噴火もあって、日本列島は大自然の猛威をいやというほど受けましたが、去年もそうでした。
 それでも去年の傷は(完全とはいえないまでも)徐々に回復しています。
 来年は来年でまた新たな災害に見舞われるかもしれませんが、今年の傷は必ず回復するはずです。
 私の傷も昨年に比べると格段によくなったのですから。
 またしても日本列島を襲った台風(19号)。
 南関東では一昨日の夕方から激しい雨が降り出しました。
 NHKの台風関連のニュースでは、「今夜半から午前3時ごろがピーク」とのことだったので、早々と就寝しました。

 起きたとき(午前4時)はすでに雨が上がり、明るくなるに連れて晴れ模様。
 台風一過、先週と同じか。

 そこで富士見市の南東を斜めに走る国道463号(浦和所沢バイバス)を北上し、羽根倉橋へ。
 羽根倉橋(志木市)は荒川の対岸さいたま市を結ぶ長さ860m、4車線で交通量の多い橋です。
羽根倉橋 
 この日は風が強く、とくに橋では側面からの風をもろに受けるので、立っていられないほど。
 まして自転車で走行するなんて、至難のワザ。(橋の上では引いて歩きました)
風が強い 
 橋の上から見る荒川は水位が上がり、しかも濁っています。
 昨夜からの豪雨で増水しているのです。(氾濫の心配はご無用)
橋から見た荒川  
 羽根倉橋をわたるとさいたま市。
 三芳、富士見、志木なんて都会じゃない。さいたま市こそが埼玉県の都会。
 しかし今回は踵を返してUターン。
橋から見たさいたま市 
 なぜ?
 この帰りの方向こそ、正面(南西方向)に富士山が見えるというのですが……。
 先週の月曜日(6日)台風一過の午後、多聞院(所沢)の近くから富士山が見えたので、今回も見えるのではないかと、二匹目のドジョウを狙ったのですが……。
正面に富士山が…? 
 見えた?
 うーん、鉄塔と標識の間に尖がった台形の山がちょこっと見えたような見えないような……。
道路標識と鉄塔の間に… 
 この日は快晴でしたが、ここだけ雲がかかっていました。
 寒くなれば見る機会はあります。
別の角度から 
 私の句は惨憺たるものですが、今回の最高得票句は、
 ①女車夫の手甲脚絆きりり秋……(4)
 ②甲斐性なく煙草も酒も断てず秋……(4)
 ③漁火の被災の海や新酒酌む……(4)〇〇
 (〇は特選)

 ①は「女車夫の手甲脚絆」でその姿が浮かび、さらに「きりり秋」が効いています。
 これは先生の作。さすが!
女車夫 
 ②私は20代半ばで煙草をやめてるし、酒は少々たしなむ程度。この仁とはほど遠い。けれども男の哀感というか、だらしなさに惹かれて採りました。
 作者は達人のおじさん。そう思っていたよ。

 ③は東日本大震災の被災地のことを詠んだ句ですが、主語が誰なのかわからない。
 作者がそこに行ってないことは明らかで、想像(頭)でつくられたものです。頭でつくると表現が上ずり、「言葉だけの俳句」になりがちです。
 作者は当句会の古株女性。
 いつもスケールの大きな句で高得票を取る人ですが、私は「俳句とは身の丈(実体験)からつくるもの(芭蕉然り)」と考えているので、この人の句はあまり評価しません。

 他に票が多かった句は、
 ④先頭も殿の子も天高し……(3)

 子どもたちのピクニックの様子を詠んだ句です。
 選句の際、私は殿(しんがり)ということばに「時代劇の戦闘シーンじゃあるまいし」と却下しましたが、あとで説明されてみると、シンプルでいい句だと思いました。
 ちなみにこれはおネエさまの句。
 外すこともありますよ。

 今回私が特選で採った句は、
 ⑤ほろほろと落ちて夢見る秋の蝶……(1)〇

 秋の蝶とは余命幾ばくもない蝶のこと。その蝶が盛りだった夏の日々を思い出して「ほろほろと」落ちていく、その儚さに惹かれました。
 ちなみにこれは先生の作。一本取られました。
2014.10.13 十月の句会
 先日、今月の句会が開かれました。
 私の出句は
 ①山歩き剣豪気取る甲斐の秋(兼題・甲)
 ②背を向けし案山子に道を尋ねけり
 ③乗り手なきブランコ釣瓶落しかな
 ④どんぐりを挨拶代わりに差し出す子

 ①20年ほど前、大菩薩峠を登ったときの心境です。
 山登りをしている知人から、「今度大菩薩峠に登るけど、一緒に行く?」と聞かれ、即「行く!」
 山登りにはさほど興味なかったけど、中里介山「大菩薩峠」の愛読者としては外すわけにはいきません。そのために登山靴やリュックなど、登山用具を買い揃えました。
 その大菩薩峠にはお堂があり、今にも机龍之介が現れてきそう。まさに小説通りの場所でした。

 ②これはときどき通る富士見市の田んぼの案山子です。
 所どころにマネキン人形が立っていて、ぱっと見には人間と見まがい、思わず声をかけそうになるほど。そんな心境を詠みました。
案山子 
 ③秋の日は暮れるのが早く、公園に子どもたちがいなくなる。乗り手のないブランコにその気持ちを込めたつもりですが……。

 ④については以前述べた(参照)ので省略します。

 結果は、
 ①……(1)
 ②……(0)
 ③……(1)
 ④……(0)
 (出席9名、出句36句)

 先生の評は、
 ①は、「大菩薩峠ね。気持ちはわかります」

 ②「案山子に道を聞くなんて、わざとらしい句だなあ」
 これに対して私は「本当に人だと思ったんだから」と抗議。(いい句じゃないのは認めるよ)

 ③「これは『乗り手なき』がよくない。ここは『風に揺れる』という表現のほうがいい」
 なるほど、そんなものか。

 ④「わかるんだけど、『差し出す』という表現がよくないね。もうちょっとここを工夫しないと」
 そういわれても、「差し出す」がよくないという理由が今ひとつわからんぞ。
 川越の市街地を時計方向に半円状に流れる新河岸川。
 この新河岸川はふじみ野市の福岡橋の手前で分かれ、一部びん沼川と合流します。
 分かれるといっても水門があって、流れる水量を調整しています。(渋井水門)
 大雨が降ると新河岸川の水量が増えないようにこちらに流します。これが新河岸川放水路。
新河岸川放水路 
 さらにこの放水路のわきに貯蔵池があり、親水公園になっています。
 説明板によると、「この公園は降雨時には新河岸川、新河岸川放水路への雨水を排水したり、一時的に貯留する機能を持っています」とのこと。
親水公園①  
 ふつう親水公園というと噴水があったり、子どもが水遊びできるような水路がありますが、ここはそんなものはなし。
 葦の繁る沼がポツンとあるだけ。
親水公園②
 ところがここに数人の釣り人が……。
 「釣れるのは、クチボソ、オイカワ、タナゴ。ヘラブナは難しいよ」
 とは釣り人と一緒にいたおじさん。
貯水池① 
 「釣というのは気長に待ってりゃいいってもんでもないんだよ」
 「どうしてですか」
 「エサのダンゴが溶けるからね。それにボーッとしてるとエサを食い逃げされちまう」
貯水池②
 そして釣り針の構造などを微に入り細にわたり説明してくれました。
 さらに……。
 「世のなかが不景気になると釣が流行るんだよ」
 「釣は金が掛からないからですか」
 「他の趣味に比べるとね。ただしこれも凝り出すと金が掛かる」
釣をする人 
 「ヘラ用の竿は高いんだよ。5年前びん沼で竿が流されて、あわてて取りに行こうとしたら流されてあの世へ逝ったご仁がいたけど、死んじまっては釣もできないからねえ」

 こっちが「ふむふむ」と聞いていると、おじさん、しゃべるしゃべる。
 釣してるところではよくこういう人に会うのですが、話に興が乗ると際限がない。
 (乗せた私が悪いのです)
こんな看板が 
 切りのいいところで切り上げ、そこを辞しました。
2014.10.11 荒川土手の秋
 たまには地元埼玉も取り上げなきゃ、ということで荒川にやってきました。
 荒川は東京都民の供給していて、水量が豊富。
 川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……
荒川土手 
 多摩川に比べると河川敷が広くて緑が多いけど、その大半はゴルフ場と野球のグラウンド。
 ちょっと白ける。「散策には不向きかな」
土手から見る荒川 
 そんなことを思いながら、羽根倉橋から土手の道路を上流に進むと、「おや?」
 河川敷とは反対側(土手の外側)でヤギと遊ぶ小さな男の子を発見しました。
 なおも見ると、他にもヤギと遊ぶ子どもたちがいます。なかには先生も。
 どうやら土手の下に幼稚園があるようです。
ヤギと遊ぶ園児 
 「こんにちわー」
 子どもたちが近寄ってきました。
 「なにやってるの?」
 「荒川の景色を撮ってたんだよ」
 「ふうん」
先生も 
 「キミたちも撮っていいかな」
 「うん」
 先生にも許可をいただいて撮らせていただきました。
 
近づいてきた 
 「ありがとう。じゃあね」
 「ばいばーい」
 いつまでも手を振ってくれました。
 素朴で可愛い子どもたちでした。
 南畑排水機場(富士見市)のところで土手を下り、荒川をあとにしました。
 あたり一面田んぼですが、稲はとっくに刈られたあと。
 「これはこれでいい景色だ」
 田んぼの向こうに荒川の土手が見えます。
刈入れられた稲田 
 突如、バサバサーッといっせいに数羽の鳩が飛び立ちました。
 「…………?」
 思わずシャッターを切ったけど、ちょっと失敗したかな。
 いきなりだったのでよくわからなかったのですが、カラスがやってきたらしい。
 カラスは農作物を荒らすけど、鳩も狙うのか。猛禽類ではありますが。
鳩が一斉に飛び出した 
 その後も粘ったのですが、鳩の飛び立ちは見られずじまい。1カット撮れただけよかった。
2014.10.10 中華街で食事
 横浜にくると、最後に寄るのは中華街。
 以前は「徳記」の豚足ソバを食していたのですが、最近は市場通りか香港路(ホンコンロー)の店が多くなりました。
 豚足ソバには飽きたのと、市場通りや香港路は低料金でいろんなものが食べられるからです。
大通り
 大通りでは相変わらず「小龍包」に長蛇の列。
 どんなものかと一度食べたことがあります。
 いきなりパクッとやるとアチチチ!ということに。(TVでは徳光氏がこれで失敗してました)
 けっこう美味かったけど、ジジイがひとりで立ち食いするのは、いかにもみすぼらしい。これっきりにしました。
小龍包に並ぶ人々 
 ということでやっぱり香港路。
 私はグルメではないので正確な味の報告はできませんが、どの店もそこそこ美味いと思います。
 なんといっても1000円以下で食べられるのかありがたい。
香港路入口 
 どこにしようかな……。
 店の看板を見ていると、ドアがサッと開いて「どうぞ!」
 元気のいいおネエさんにつられて入ってしまいました。

 5時すぎなのに店はガラ~ン。大通りに人は多くても店にはあまり客が入ってない。
 「なににします?」といわれて、「エビチリ定食」を頼みました。
 こちらとしては安けりゃいいので。
エビチリ スープと炒飯 春巻
 エビチリ、ザーサイ、フカヒレスープ(?)、炒飯、春巻……と順々に運ばれてきます。
 (そのため写真もばらばら)。そして最後に杏仁豆腐。
杏仁豆腐 
 おネエさん、といったけど、この人は店の女将さん。奥に夫がいて夫婦でやっています。
 日本語はたどたどしいけど、元気がよくて愛想がいいのに好感が持てました。
 味はまあまあ。¥890 は安いと思います。
香港路 
 時間に余裕があれば、「ブラジル」で珈琲を飲むのですが、この日は寄らずに帰りました。

 ひとりで食べるときはこんなものです。
 ただし人と食べるときは、もう少し奮発します。
 人と食事するときは品数が少ないと、気分が盛り上がらないからです。
 山手の丘にもやってきました。
 ここも横浜散策には外せないところですが、しばらくきてなかった。
 昔は谷戸坂を歩いて上ったものですが、最近は元町中華街駅5番出口からエレベーターでアメリカ山公園に出るようになりました。(ラクしてます)
港の見える丘公園 
 そこからまず行ったのは「港の見える丘公園」
 平野愛子さんのヒット曲「港が見える丘」(1948)にちなんで命名された公園です。開園は昭和37年(1962)
 当時は港が見わたせたのですが、今は建物と高速道路に遮られてよく見えません。その代わりベイブリッジがよく見えます。これはこれで一興。
ベイブリッジ 
 次に行ったのは山手通り。
 「日本の道百選」にも選ばれている道です。
 左手にレストラン、右手に外人墓地を見るこの景色が最も気に入っています。これぞ日本の道。
 この道沿いにいろんな西洋館がありますが、今回は閉館時刻(17:00)が近いので入らず。
山手通り 
 「山手十番館」のとなりはガーデンテラス席(ブラフガーデン)。
 ここで20年前、学生時代の友人とビールを飲んだことがありますが、今回は寄らずに写真を撮っただけで元町方向へ。(いつも最後は中華街で食事して帰るので)
山手十番館 ブラフガーデン
 「おや……?」
 先ほどアメリカ山公園から「港の見える丘公園」にきたとき、なんとなく風景が違うと思っていたのですが、帰りに正面から見てよくわかりました。
 外人墓地の真向かいの角に見晴台のような小高い丘。
 昨年11月末にきたときは工事中だったけど、こんな丘ができていたとは。
新見晴らしの丘 
 さっそく上がってみました。
 ここからだと山手通りと外人墓地がよく見えます。
 新たなビュースポット誕生……?
丘から見た山手通り 丘から見た外人墓地前
 この丘のドームにかかった夕陽も見られたし。
夕陽 
 横浜へくると必ず寄るのが山下公園。
 ここは四季折々、景色が違い、いつきても飽きません。
公園内(海側) 
 この日は9月の終わりで、日は着実に短くなってきているのですが、日差しはまだ強く、夏の光がまだ残っていました。その割に空気はカラリとしのぎやすい。
花壇 
 氷川丸の近くで釣りをしていたおじさん。
 ビチビチッと銀色に光る魚を一尾釣り上げました。
 「なにを釣ったのだろう」
 そう思って近寄ったら、寸法を測って、惜しげもなく海へドボン。
魚釣りをする人 
 「今のはなんだったんですか」と聞くと、
 「イナダだよ。17cmと小さいから放したよ。この3倍はなきゃ」
 えーッ、17cmだってじゅうぶんだと思うけど……。
 こういう人が本当の釣り人? 
 さすが横浜、粋な人がいるものです。
氷川丸 
 ベンチに坐って海を見ていても面白い。
 岸壁の半円広場は若者のたまり場で、ストリートダンスに興じる若者もいるのですが、この日は数多くの若者がぞろぞろと並んで記念撮影。
岸壁の半円広場① 
 それが終ったら今度は個別に撮影。
 おおッ、単体だと目いっぱいカッコつけてるねえ。まるでモデルポーズ。
 こちらも撮らせていただきました。
岸壁の半円広場② 
 その後、公園内をぶらりと歩いていたら、奇妙な石像を発見しました。
 一見モアイ像のようですが、近寄ってみると、眼はZANとGIRI。そして口はYOKOHAMA。
 なんじゃこれは?
ザンギリ頭の碑 
 下の説明板には「西洋理髪発祥之地」とあり、「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」のことば。
 なおも「安政の開港とともに、生活様式の洋風化が進むなか、政府の「断髪令」に先がけ、明治2年(1869)横浜に我が国最初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなった。平成元年11月」とあります。
説明板 
 今年は平成26年だから、25年前につくられたらしい。
 こんな石碑、初めて見ました。山下公園にはいやというほど行っているのに、今ごろ気づいたとは、お恥ずかしい限りです。
 昨日、一昨日と首都圏は台風18号に襲われました。
 一昨日からこちらは大雨、昨日も激しい雨で、首都圏ではあちこち土砂の被害が出て、新幹線をはじめとする鉄道が一時ストップしたり、遅れたりして、支障が生じました。
多聞院・境内① 
 しかしその大雨も昨日午前中で上がり、昼からはガラリと晴天。
 強い日差しが照りつけて、暑いぐらいでした。
多聞院・境内② 
 こちらは土曜日から外出してなかったので、ちょっと外へ出かけました。
 行ったのは所沢の多聞院。
 ここは真言宗豊山派の寺で、山号は宝塔山、寺号は吉祥寺。本尊は大日如来。
 元禄9年(1696)、当時川越藩主だった柳沢吉保によって創建されました。
濡れたわたり廊下  
 大雨の影響で境内はあちこち水浸しで、落葉も見られました。
 わたり廊下も水に濡れています。
紅葉
 境内の樹木の一部に紅葉が見られました。
 全部の木々が紅葉になれば見事なのですが、なんだか中途半端です。
 多聞院をあとにして、南に下ると(正確には南東)右手(南西方向)に富士山が見えました。

 台風の強い風で雲や塵が取り払われ、空気が澄んだものと思われます。
富士山① 
 富士見市やふじみ野市の市街地図には「富士山のビュースポット」が記されているのですが、わが町にはそんなものはありません。(勝手に探せってこと?)
 昨年入院していたとき、病院の窓(9階)から一度見ただけ。あのときも台風が去ったあとでした。

 その後は「ここから見えるかな」と、あちこち探したけど、はっきり見えたのは昨日が初めて。
富士山② 
 なんとなく得した気分になりました。
 これからはここを「ビュースポット」とします。
 句会の友人は達人級の腕前で、なおかつ短歌にも長じています。
 その彼と先日茶飲み話をしたとき、俳句と短歌の相関関係について語ってくれました。 

 それによると、
 
 ①母に似たひと見かけたり金魚市
 ②毛羽立ちし父の句集や蝉墜ちる 


 との二句を詠んだものの、これで完結したとはとても思えない。
 そこでこの二句にそれぞれ下の句をつけて、

 ①’ 母に似たひと見かけたる金魚市なにも買はずに二駅歩く
 ②’ 毛羽立ちし父の句集に蝉墜ちて父の逝きたる歳の思ほゆ


 これで短歌として完結したといいます。
 (むろん下の句をつけるのに、いろんな試行錯誤があったと思われます)
 そういわれて、私にも似たような体験があります。

 すやすやと寝る孫の頬に蚊がとまり叩きたくもあり叩きたくもなし
 という(デング熱騒動当時の)狂歌(?)をラジオで聞いて、すぐに

 泥つきのどんぐり吾子に差し出され受け取りたくもあり受け取りたくもなし
 という歌が浮かびました。
泥つきのどんぐり… 
 「待てよ、これで下の句を取ったら俳句として成立するのではないか」と思い、取ってみたところ、
 「泥つきのどんぐり吾子に差し出され」

 これでは収まりが悪いので、

 「泥つきのどんぐり吾子に差し出さる」
 「泥つきのどんぐり吾子のプレゼント」

 うーん、これも弱いか。とても完結したとは思えない。
 そこでいろいろ試行錯誤した挙げ句、「泥つき」を省き、

 どんぐりを挨拶代わりに差し出す子

 にしました。これを投句に入れようかな。
 俳句とは関係のない話で恐縮ですが、当方の宗匠はやたらダジャレを飛ばす。
 それも以前いったダジャレを蒸し返す。「ダジャレをいうのは誰じゃれ」
 ちっとも面白くない。
 それでもみんなが追従笑いをするので、いい気になっています。

 先日はとくにひどかった。
 「来月の兼題は<後>ですよ。あっとおどろくタメゴロー、古いか。アトランダムにつくってはいけませんよ。俳句だけど、アトリエでつくるのはよろしい」
 くだらないダジャレの連発で、「先生、今日はどうしたの?」という声も。

 脳科学者の中野信子さんによると、「ダジャレをいうのは、脳が疲れているから」だそうです。
 ことばを意味としてではなく、語呂でとらえてつなげてしまう。疲れていたり、あるいは脳が未発達だと、これを心地よく感じるそうです。
 知性とはまったく無関係、いわれたほうは傍迷惑(?)です。

 この宗匠は前から軽いヤツだとは思っていました。
 (けれども俳句の実力はあるし、当方の駄句も添削されると俄然いい句になる)

 しかし、先日やたらダジャレを連発したのは、「疲れ」以外の理由もあるのではないか。

 私には心当たりがあります。
 それは前の会での宗匠のある失言。
 日ごろ思っていたことがポロッと出てしまい、ある人を傷つけたのですが、他の人は気づかなかったようです。
 私は「なんて軽薄な人間なんだろう」と思いました。

 彼はいった瞬間、自分でも「しまった」と思ったに違いない。
 そう思うと、自分の身の置き所がなくなり、それを隠そうとする心理が働き、かえって饒舌になる。

 これは年配の女性に多いといわれていますが、子どもでもそういう子がいます。
 犯罪などで、怪しいヤツほどよくしゃべるのと同じ心理です。(ロス疑惑や毒カレー事件など)

 宗匠もそれと同じではないか。ダジャレをいうのは脳が未発達だというし。
 そう思い、俳句だけでつき合って行こうと決めました。
 先日(09/28)の夕方、埼玉県ふじみ野市の入浴施設「真名井の湯」で死亡事故が起きました。
 このなかの「減圧室」で客の男性(65)と女性(58)が倒れており、ふたりは病院に運ばれたものの、死亡が確認されたとのことです。
 
 この減圧室は標高3500mと同じ程度まで気圧を下げることで健康に効果があるとされる設備で、入室して45分経過すると自動的に扉が開く仕組みでした。
 従業員がふたりを発見したのは入室から50分後で、扉は閉まったままだったといいます。
 警察は減圧室の装置に不具合があった可能性もあるとみて、業務上過失致死容疑も視野に調べています。
 駐車場(一年前)

 ここは近所なので、昨年9月からしょっちゅう行ってました。(参照
 骨折の治療に温泉浴は有効であると理学療法士にいわれたからです。
 とくにジェットバスの圧力を患部に当てると効果があるというので、よく利用しました。
自転車置き場(一年前)
  他にはサウナやスチーム、薬湯、露天風呂なども利用しましたが、「減圧室」というのは初めて聞きました。
 これはおそらく別料金でのサービスだと思いますが、気圧を下げると聞いただけで、私などは尻込みします。運動選手が疲労回復にやるそうですが、私はそうじゃないから。
 
 風呂から上がると、休憩室やレストランなどもあって、食事をしたり、雑談したり、なかにはカラオケをする人もいました。
施設内(一年前)

 しかし、死亡事故が起こってから警察の捜査が入り、営業停止になりました。
 「その後、どうなったのだろう」
駐車場(昨日)
 昨日(10/03)近くを通りかかったので、寄ってきました。
 いつも車でいっぱいの駐車場はガラ~ン。
 入口は閉じられ、「営業停止しております」の貼り紙が。
 やっぱりなあ。
入口 
 再開されたら、また行くつもりですが……。
貼り紙
 JR川越線的場駅の北東に「御嶽神社」という小さな神社があります。
 社務所もない無人の神社。
 それでもきれいに手入れされているので、掃除する人などはいるのでしょう。
入口の鳥居

 境内は114号線に沿って細長く、あちこちに石碑が建っています。
 いかにも山岳系の神社らしい。
境内 
 奥の石段を上ったところに御嶽山神社碑の石碑が建っています。
御嶽霊神の碑 
 今回は御嶽山が噴火して、多くの犠牲者が出ました。
 「どうかお鎮まりください。これ以上犠牲者が出ませんように」
各霊神の石碑 
 そして犠牲者の霊を弔いました。
御嶽山神社の石碑 
 この神社については説明書きが見当たらなかったので、写真だけにとどめます。
2014.10.02 象の鼻パーク
 久しぶりに象の鼻パークにやってきました。
 みなとみらい地区のなかでも市街地に近いし、赤レンガ倉庫と大桟橋の間にあるところですが、いつも素通り。
 その理由は、①つかみどころがない、②遊覧船の発着所になっているけど、乗らないと関係がない、などです。
現在の象の鼻突堤 
 しかし象の鼻の歴史は古く、安政6年(1859)横浜港が開港され、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の突堤が建設され、慶応3年(1867)東波止場を弓なりに湾曲した形に直されたことで、その形状から象の鼻と呼ばれるようになりました。
明治40年代の象の鼻突堤 
 その後、象の鼻は紆余曲折を辿りますが、大桟橋ができてからはその役目を終え、一般人は立入れなくなりました。
根元から先端を見る 
 象の鼻が明治中期頃の形状に復元され、象の鼻パークとして開園されたのは5年前(2009)、横浜開港150周年を記念してのものでした。
象の鼻の先端 
 できた直後に行ったことがありますが、細長い道がドーンとあるだけ。そこを歩いてもさしたる感慨はなく、ちょっと拍子抜け。
先端から突堤を見る 
 その代わり岸のほうは船着場になっていて、横浜湾内を巡るシークルーズを利用することができます。

 このときは中華風に装飾された海龍号が停泊していました。
 この船にはまだ乗ったことはありませんが、中華料理が楽しめる遊覧船だそうです。
 (中華料理は中華街で食べますッ)
シークルーズ海龍号 
 大桟橋寄りにはシャレた喫茶店やレストランがあるのですが、入ったことはありません。
 「こんなところでゆっくりしてられない」というのが県外者の実感だからです。
シャレた喫茶店も 
2014.10.01 本牧山頂公園
 貝塚通りからアメリカ坂とのT字路を渡ると本牧山頂公園の入口です。
 坂を上るとキャンプのできる広場、その左奥がどんぐりの丘。
山頂公園に入る道 
 この公園は地形が複雑で、尾根伝いにいろんな丘が分散しているので、テーマ別に広場の名称がつけられているようです。

 その公園のほぼ中央にあるのが見晴らし山。
 標高45.5mのこんもりした山で、螺旋状の坂道を上っていくと頂上に着きます。
見晴らし山 
 低いけれども360度の展望。 目についたのはベイブリッジ。晴れた日は富士山も見えるそうです。
ベイブリッジ 
 見晴らし山の麓に木のデッキがあります。すると下は湿地帯?
 そうではなくて、下は潅木群。このデッキからいろんな植物が観察できるというわけです。
デッキ 
 レストハウスでは珈琲も飲めます。
 他には身体にいいハーブの販売とか。
レストハウス 
 岩が円状に並んだセンター広場。
 見晴らしもよさそうですが、夜景も見事だそうです。
センター広場 
 何のまとまりもない、というのがこの公園の印象ですが、これこそ同公園の真骨頂。
 楽しみ方は人それぞれ。そっちで勝手に楽しんでくれ、と。
山頂広場からの景色 
 さすが横浜。シャレています。