横浜の中心街は行き尽くしていますが、本牧に関してはまだ知らないところもあります。
 本牧通りや三溪園は何度か行きましたが、地図を見て気になったのは、本牧通りの山側。
 新本牧公園や本牧神社は知っているけど、貝塚通りというのはまだ。
貝塚通り 
 ここへ行くのはJR山手駅→ふぞく坂→YC&AC通りを通るのですが、省略します。
 ふぞく坂とは横浜国立大付属小学校に行く上り坂、YC&ACとは横浜カントリー・アスレチッククラブのことで、外国人専用のスポーツクラブ。
瀟洒な建物 本牧荒井の丘
 貝塚通りの由来は、このあたりに縄文時代の貝塚が出土したからだそうです。
 その割(?)にはきれいに舗装され、瀟洒な家が建っています。
アメリカ坂とのT字路 
 戦後このあたりは米軍に接収されていたので、その形跡が残っています。
 右手に本牧荒井の丘を見てなおも進むと、アメリカ坂のT字路に出ます。
アメリカ坂 

 このアメリカ坂も、やはり米軍接収の名残り。
 全長約220m、傾斜がかなり急で、しかも所どころカーブしていますが、それがかえってシャレた感じです。アメリカ文化の残滓という先入観があるからでしょうか。
アメリカ坂・下り 
 下っていくと本牧通りに出ます。
 これではしょうがないので、もう一度上ってT字路にもどりました。
アメリカ坂・上り① 
 無駄な下り・上り?
 いえいえ、由緒あるアメリカ坂を往復し、その風情ある景色を撮ったことは大きな収穫です。
アメリカ坂・上り② 
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 昨日(09/28)大相撲秋場所が終わりました。
 今場所は新入幕の逸ノ城が次々と上位力士をやぶり、注目を浴びました。
 人気上昇中の遠藤の影がまったくかすむほど。

 私は以前から白鵬の強さは認めるものの、その勝ち方に不満がありました。
 「投げやはたきで勝たず、よりきりで勝て」というのが私の横綱観です。

 そして白鵬ばかりが優勝していたのでは面白くない。なるべく下位の力士が勝ったほうか刺激的で面白い。その意味では逸ノ城の出現は面白いと思ったのですが……。
白鵬ー逸ノ城 
 11日目(09/24)の対稀勢の里戦、13日目(09/26)の対.鶴竜戦、いずれも立ち合いに変化してのはたきこみで勝ち。20歳の若者がこんなこすっからい相撲を取るんじゃないよ。
 私はすっかり失望し、「なにがなんでも白鵬に勝ってほしい」と思いました。

 そして14日目の結びの一番。
 白鵬は逸ノ城をがっちり受け止め右四つ。しかしあまり時間をかけると逸ノ城がグイグイとくるのではないか。それに不用意な上手投げを打ったら墓穴を掘るぞ、私は気が気ではない。
白鵬が逸ノ城を上手投げ 
 しかし白鵬は寄ると見せかけて、逸ノ城が押し返してきたところを低い姿勢になって左からの上手投げ。見事に決まりました。
  よりきりではなかったけど、勝ったからよしとするか。
 そして千秋楽。
 逸ノ城はベテラン安美錦と。
 安美錦は昔のような切れ味の鋭い相撲ではなく、狡猾な相撲で勝っています。
逸ノ城が安美錦を寄り切り 
 しかし逸ノ城には通用しない。安美錦は負けると思いました。
 案の定、安美錦はぶつかった直後からはたきこもうとし、それが墓穴を掘って一気に後退。
 引きやはたきは、逸ノ城には通用しないって。
 ともあれ逸の城にもまだ優勝のチャンスが残りました。
白鵬ー鶴竜 
 そして結びの白鵬vs.鶴竜。
 白鵬としては、逸の城と優勝決定戦なんかしたくない。
 鋭く立って左を差し、相手が出てきたところで投げを打って土俵際に追い込み、なおもこらえる鶴竜の右足をはね上げ、左からの掛け投げで倒しました。
白鵬の勝ち 
 白鵬はこれで31回目の優勝。千代の富士に並びました。
 それよりも逸ノ城について。この若者は強いけど、堂々と相手にぶつかって勝ってほしい。
 立ち合いの変化で勝っても人気は得られないし、相撲がつまらなくなるばかり。また相撲離れが起こるでしょう。
 荒川支流の新河岸川、養老橋の近くにふじみ野市立福岡河岸記念館があります。
 これは幕末から明治にかけて新河岸川流域の福岡村(現在のふじみ野市)で回漕問屋(船問屋)を営んでいた「福田屋」の主屋などを保存・公開している施設です。
入口 
 当時「福田屋」といえば飛ぶ鳥も落とす勢い。
 下りは米をはじめ農作物・織物などを江戸に売り、上りは肥料(灰)安く買ってこちらの農家に売り、さらに客を運んで大儲け。
 係りの人の説明では「毎日、売り上げ金を箱から蔵に投げ入れるほどだった」といいます。
 帳場
 福田屋の当主は代々星野家が継いでいたのですが、なかでも10代目星野仙蔵(1870~1917)は事業だけではなく、埼玉県会議員、衆議院議員として活躍し、また剣道家としても有名で、自ら道場(名信館)の館長を務め、大日本帝国剣道形制定委員にもなりました。 
母屋 欄間の飾り彫り
 その10代目が接客、社交の場として建てさせた「離れ」は当時珍しい木造3階建てで、「船から見るとランドマークタワーのようだった」(係りの人の説明)そうです。
離れ 
 この離れは贅を尽くしたもので、床柱は外国産の珍しい木、さらに風呂場やトイレに至るまでいろんな工夫が凝らされています。そして3階からは、南西に富士山、北東に筑波山が見えたそうです。
離れの床の間 
 ただし今は2階、3階は特別公開日のみ。この日は公開日ではなかったので入れず。残念。
140年前のガラス 
 その回漕問屋も明治末期になって鉄道(東武東上線)によって終焉を迎えますが、鉄道建設に尽力したのか他ならぬ10代目星野仙蔵。
 「彼にしてみれば、船であろうと鉄道であろうと、流通業という意味では同じ。先を見通す、柔軟な発想をもった人間でした」(係りの人の説明)
幕末につくられた箱階段 
 当時の福田屋の屋敷は広く、20棟近くの家屋や蔵、剣道場が建てられていましたが、大部分は取り壊され、主要な建物である母屋・台所、離れ、文庫蔵を修理、復元整備して、平成8年に福岡河岸記念館として開館しました。(市指定文化財)
庭 
 このあたりは何度か通っていますが、こんな貴重なものがあるとは。
 係りの人の丁寧な説明つきで入館料(100円)は安いと思いました。
2014.09.27 怪物・逸ノ城
 大相撲秋場所が面白い。
 その理由は新入幕で優勝争いをしている逸ノ城。
 11日目(09/24)は大関稀勢の里、12日目(09/25)は新大関豪栄道も撃破して快進撃。1敗で全勝(12日目現在)の白鵬を追っています。

 11日目(09/24)に稀勢の里に勝った相撲は、二度先に突っかけ、「コイツは突進してくるな」と見せかけておいて、いざ立って見るとさっと左に変わって稀勢の里をはたきこみ。狡猾さも身につけています。
逸ノ城 
 12日目(09/25)は豪栄道に組みつかれ、攻め込まれたものの、土俵際で逆転の上手投げで勝ち。身体の柔軟さとしぶとさ、勝負勘のよさを見せつけました。

 相撲協会としては「こんな若造に優勝されたくない」と思ったか、13日目(昨日)はとうとう横綱鶴竜にぶつけました。
 今場所の鶴竜は勝ってはいるものの、引いたりはたいたり、かわす相撲ばかりで、力強さがない。それに対する相撲協会から「喝!」の意味もあったと思われます。
鶴竜 
 こうなれば鶴竜のほうが硬くなります。
 私は、ひょっとしたら鶴竜は負けるのではないか、と思いました。
逸ノ城ー鶴竜 
 そして昨日、結びの逸ノ城vs.鶴竜戦。
 立ち合い、逸ノ城は早めに突っかけました。一瞬「一昨日の再現?」
 二度目に両者は立ちましたが、またしても逸ノ城は左に変わり、鶴竜をはたきこんで勝ちました。
 図らずも私の勘が当たりましたが、こんな内容とは思わなかった。これでは一昨日と同じ。
立ち合い 
 むろん引っかかったほうはだらしない。
 しかし、20歳の若者がこんな相撲で勝っていいのか。
 逸ノ城は192cm、199kg、堂々たる体躯です。
 それでいてスピードがあり、身体も柔軟、力も強い。
 だったら「立会いの駆け引き」などというチマチマしたことにこだわらず、相手が大関であろうと横綱であろうと、ドカーンとブチかまして勝ってくれ。
はたきこみ 
 「勝てばいいんだろ」では面白くもおかしくもない。
 こんな相撲がまかり通れば、相撲人気はまた下降する。
 当人が早く気づいてくれればいいのですが……。
勝った逸ノ城 
 今日(14日目)は横綱白鵬と。
 私としては白鵬ががっちり組みつき、がぶり寄りで勝つことを望みますが、逸ノ城がそれを白鵬からのメッセージと受け止めるかどうか。
 喫茶店を取り上げたついでに中華街の喫茶店を。
 中華街大通りに昨年(2013)3月にオープンした横浜博覧館。
 1階は土産物屋ですが、3階にはガーデンララスカフェがあります。
横浜博覧館 
 ここで飲食すると、足湯に入ることができます。
 オープン当初は自由に入れたのですが、それでは節操がないので、「喫茶店の利用者のみ」にしました。
 すると潮が引いたように客がこなくなりました。現金なものです。
喫茶店 
 ここで珈琲を頼みました。味はまあまあ。
 この日は朝から歩きっぱなしだったので、足がヘロヘロ。そこで……。
珈琲
 遠慮なく足湯を。
 水深は深くはなく、湯の温度もぬるま湯。ちょうどよい加減。
足湯 足を浸す 
 ついでにガーデンテラスを見学。
 反対側に赤門があって、大きな銅鑼がかかっています。
ガーデンテラス 
 この銅鑼は「幸福の銅鑼」といって説明によると、
 ひとつ目は自分の幸福のために、
 ふたつ目は家族の幸福のために、
 三つ目は世界の幸福のために
幸福の銅鑼 
 とのことだったので、中央の丸くふくらんだところを、三つ叩きました。
 力を入れて叩いたつもりですが、意外にもズーンとくぐもった音。

 珈琲と足湯で500円。安いと思いました。
 横浜散策で歩き疲れたら、ここを利用するつもりです。
 川越のクレアモール商店街。
 そこから路地を入ったところに、妙な空き地。その奥のトタン壁に古びた看板。
 そのひとつは一部が欠けているのか、傾いています。「一軒家カフェ・パチャンガ」
店の看板 
 半信半疑で進んでみると、朽ち果てた門。「パチャンガ」の表札。
 それをくぐって玄関から入ると、店員さんらしき人が「いらっしゃいませー」
入口 
 なかに入ると喫茶店らしきテーブル。けっこう客が入って、満員状態。
 (この日は休日でした)
店内① 
 築80年の民家をカフェにしたそうですが……。
 こういう感じの喫茶店(レストラン)は鎌倉などでときどき見かけますが、建物は古くてもそれなりに手は加えて(耐震構造など)あって、ある種の安心感があり、レトロな雰囲気を楽しめます。(典型例は横浜の赤レンガ倉庫)
店内② 
 しかしこれは、いっさいそういうことはせず、古いままを続行。メニューも段ボールの紙に乱雑に書かれた感じ。
 これ、どこかで同じものがあったような……。
 思い出しました。
 一番街から菓子屋横丁側にある無料休憩所「陽気遊山」(よふきゆさん)
 あれの有料喫茶店版だ。
メニュー 
 これが川越流なのか、よくわかりません。
 客は圧倒的に若い女性。意外でした。

 珈琲(¥500)はまあまあ。悪くはないけど、それほど美味いというわけでもない。
コーヒー 
 ちなみに「パチャンガ」の店名は映画「カリートの道」(米/1993)に出てくる人物の名前。主人公のカリート(アル・パチーノ)を殺す男です。オーナーの好みとか。
特別席? 
 私としては「ものは体験」ということで、行った意味はありました。
 先日(09/14)NHKスペシャル「臨死体験・死ぬとき心はどうなるのか」を観ました。
 これはジャーナリストの立花隆さんが臨死体験の最新研究の現場を取材し、死について徹底的に考察したドキュメンタリーです。
 まず臨死体験。
 臨死体験者のほとんどは自らの心が体を抜け出すのを感じるといいます。(→体外離脱)
 その後、トンネルのような場所を通って光輝く美しい世界へと導かれます。(→神秘体験)
 親しい家族や友人に会い「人生を全うせよ」といわれます。ここで全知全能の大いなる存在に出会い幸福な気持ちに満たされるそうです。
体外離脱 
 その有力な証言者は脳神経外科医師のエベン・アレキサンダー博士(米国)。
 彼は6年前、細菌に脳をおかされて昏睡状態になり、脳波は観測できなくなり、脳の活動は停止、生還できる可能性は2%と診断されました。(→臨死状態)
光り輝く世界 
 このとき彼は、無数の蝶が飛び交う景色を見た後、荘厳な門がそびえ立つ世界を訪れ、最後に神聖な存在がいる場所に導かれたといいます。脳が働いていないので、脳と心は別の存在ではないかと主張しています。
 それまで脳が機能しなくなれば心も消えると考えてきましたが、この臨死体験によって、死んでも心(魂)は存在するのではないか、と考えるようになりました。
 では心とは何か。
 ウィスコンシン大学のジュリオ・トノーニ教授によると、心の一部である意識は感覚、感情、行動、記憶など脳内の様々な機能が複雑に絡み合った蜘蛛の巣のようなものといいます。
 つまり意識は脳内の特定の細胞にあるのではなく、膨大な神経細胞が複雑な繋がり方をしてひとつに統合されたときに生まれるというのです。
意識のネットワーク 
 これは私も納得します。
 昨年夏、私は外科手術を受けました。全身麻酔を施されて、腕の筋肉を切り開かれ、折れた骨のなかに金属の支柱を入れられ、それが動かないように6ヶ所ほどスクリュー(ネジ)で止められました。
 痛覚があれば痛くて耐えられない。無意識状態だからこそ、痛みを感じなかったのです。
実験に臨む立花氏 
 さらにトノーニ教授は意識の大きさを数式で表しました。それによると脳内の神経細胞の数が多く、つながりが複雑であればあるほど意識の量が大きくなることを表しています。
 ということは、鳥や動物、昆虫などの生命体にも脳の大きさに応じた意識があり、機械でも複雑な情報の繋がりを持つよう設計すれば意識が生まれることになります。

 しかしこの理論で行くと、脳が死ぬと神経細胞のつながりはなくなり、心は消えることになります。やはり魂は存在しないのか。
 では、なぜ人は神秘を感じるのか。
 ケンタッキー大学医学部脳神経外科のケビン・ネルソン教授によると、臨死体験で神秘体験をするのは脳の辺縁系によるもので、夢が似通った現象であるといいます。
そのとき脳は 
 辺縁系は死の間際不思議な働きをします。神経物質を大量に放出し、人を幸福な気持ちで満たすといいます。
 それによって人は死の間際に幸福感に満たされ、それを現実だと信じるのです。
 それは人が長い進化の過程で獲得した本能のようなものではないかと。

 それを受けて立花氏は「臨死とは安らかなもの」と想像しました。
 しかし、本当にそうなのか。
 私の場合、臨死ではないけど、全身麻酔を施されて無意識状態になったとき、その間自分は存在してなかった。
 デカルトの「我思う、故に我有り」でいえば、私はなかったことになります。
 これはまさしく「死」ではないか。
 離脱も光も何もなく、まったく闇の世界。なにも覚えてない。完全に無です。
エンドロール 
 これでは突然この世から絶縁したわけで、非常に寂しいし、恐ろしい。
 もっとも「寂しい」「恐ろしい」と感じる意識さえない。それが「死」だと私は思います。
 昨日は近くの山崎公園(富士見市)に行ってきました。
 今日(09/23)は秋分の日、秋の彼岸。というわけで彼岸花を。
入口 
 この公園の一角に彼岸花が咲いています。
 鮮やかな真っ赤な花。花びらは独特の形をしています。
 曼珠沙華(マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれます。
彼岸花① 
 前にも述べましたが、彼岸花はアルカロイド系の有毒植物で、間違って食べると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合は中枢神経が麻痺して死ぬこともあります。
 そのため死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)などの異名があります。
彼岸花② 
 彼岸花の由来は秋の彼岸ごろに開花するからですが、これを食べたらあの世(彼岸)行きという説もあるそうです。
彼岸花③ 
 アルカロイド系といえばケシそうです。きれいな花には毒があるということでしょうか。
 私は近づきたくありません。
 それよりもキバナコスモス(黄花コスモス、学名:Cosmos sulphureus)=キク科コスモス属。
 形も色もそれほどのインパクトはないけど、こっちのほうが害はなさそう。
 それにする……かな。
キバナコスモス① 
 同公園は6月にも述べましたが、花菖蒲で有名なところ。
 その時期は近在から多くの人が訪れますが、それを過ぎるとひっそり閑とします。
 それでも市としては四季折々の草花を植えて、訪れる人の目を楽しませているのですが。
キバナコスモス② 
2014.09.22 九月の句会

 先日九月の句会が開かれました。
 私の句は大したことないので、2句だけにします。


 ①原稿を突き返されて街残暑
 ②退院し蹌踉(よろ)けたる身や轡(くつわ)


 ①はフリーのライターとしては辛い句です。原稿が不採用になるということは生活にも響いてくるからです。出版社から茫然と街へ出ると、ムワーッとした残暑の熱気が追い討ちをかける。
 「あのときは9月のはじめで暑かったなあ」ということで、「不採用」=「残暑」がつながるのです。


 ②は去年退院したときのこと。まだ足元が覚束ない身にクツワムシのガチャガチャという音色が追い討ちをかけるという句です。

 票数は、①……(1)、②……(2)ただし1票は先生の票。


 ①はほとんどの人がライターの心境には無関心で、採ってくれたのは達人のおじさん。この人は出版社にいたので、ライターの心情は理解してくれたようです。


 ②は「蹌踉ける」という字がみんなに不評。「難しい字を使って」「これではよろける感じがしない」と散々。先生からも「漢字を使う必要なし。ここは『よろけるこの身』にしたほうがよかった」。なるほど。
 これを採ったもうひとりは達人のおじさん。「これはコウロギやキリギリスではダメ。やはりクツワムシが効いている」
 たった2票でも、こちらの心情を理解してくれていると思うと、うれしいものです。

                                   *
 私の句はさて置いて、私が選んだ句を。
 ③水平線を昇り来る船鰯雲……(5)〇〇
 ④風鈴や音を紡ぎし路地の風……(1)〇


 ③は宗匠の作。さすがです。
 ④は風鈴が次々と鳴る。「音を紡ぎし」がいいと思いました。


 他に票が多かったのは、
 ⑤戦争を語らぬ父の夏座敷……(3)〇
 これは達人の句。さすがだと思いました。(私は採らなかったけど)

 宗匠が褒めたのは、
 ⑥汲むお茶の最後のしずく夜の秋……(2)〇〇


 つくづく人の句は素晴しい。

 今回の横浜散策は、ディープな横浜を探訪することにありました。
 そして今日は戦前の横浜の風俗街「チャブ屋」跡の探訪です。

 チャブ屋とは、1860年代から1930年代の日本において、日本在住の外国人や、外国船の船乗りを相手にした娼館のこと。
 洋風の遊廓ともいえるもので、1階はダンスホールとバーカウンターでピアノの生演奏やSPレコードによる伴奏があり、2階に個室がありました。

 チャブ屋の語源は諸説ありますが、英語の軽食屋「CHOP HOUSE(チョップ・ハウス)」が訛ったもの、という説が有力です。

いずみ公園通り① いずみ公園通り②

 横浜のチャブ屋は本牧の小港地区と石川町の大丸谷(現在のイタリア山中腹)に集中していました。
 なかでも小港地区のチャブ屋街は有名で、淡谷のり子の「別れのブルース」(1937)はここの女を歌ったものといわれています。(作詞:藤浦洸 作曲:服部良一)

 ♪窓を開ければ 港が見える
 メリケン波止場の 灯が見える
 夜風 潮風 恋風のせて
 今日の出船は どこへ行く……

いずみ公園 

 小港では「キヨホテル」が有名で、女給「メリケンお浜」は伝説的人物です。

 このチャブ屋は終戦後、若いGI相手の歓楽街として再興したものの、戦前とは違って情緒がなくなったといわれています。昭和33年(1958)売春禁止法の施行で消滅しました。

 ここに重富昭夫「横浜チャブ屋物語」(株式会社センチュリー)という本があります。
 チャブ屋の実態を描いたドキュメンタリーですが、最後に作者が小港の旧チャブ屋街と思しきところを歩くくだりがあります。

通りの東側 

 ……山手警察署の裏を斜めに根岸方向に伸びている道路がある。道幅8mのアスファルトの舗装道路で、前方約500mほど先にマンションがひと塊りになって林立している。先の復原図(昭和15年ころ)を照合すると、どうやらこの道路に沿ってチャブ屋が軒を連ねていたように思われる。道路の右側には、ぽつぽつビルが建ち始めているが、左側(東側)はなぜか未だに空漠とした空き地が続いている……

 この通りは山手警察署のすぐ裏の「いずみ公園通り」です。
 しかし復原図では、山手警察署の裏通りは当時からあり、チャブ屋街はその東側。
 そこはイトーヨーカドーの敷地です。つまりチャブ屋街はすべてサラ地になり、そこを丸ごとこのスーパーの敷地にしたといえます。

イトーヨーカドー 

 うーん、このスーパーは谷津坂の旧兵器工場跡にも建っている。
 よくよくティープなところが好きなのか。なにか理由があるのか。それとも単なる偶然か。

 なんの結論も出ない探訪でした。

 JR山手駅の南西に根岸外国人墓地があります。
 山手の外国人墓地が手狭になったため、明治13年(1880)根岸の山の斜面を墓地候補にしましたが、管理をめぐって日本側と外国側が揉め、ようやく明治35年(1902)、横浜市の管理によって墓地の利用が開始されました。

 なにやら最初から不穏な空気ですが……。
墓地入口

 その後、大正12年(1924)に関東大震災が起こりましたが、それによる外国人犠牲者の多くはここに埋葬されているそうです。

 また第二次大戦中に横浜港でドイツ軍艦爆発事故が起こりましたが、このときのドイツ人犠牲者は、将校たちは山手の墓地に、水兵たちはここに埋葬されたとか。 
墓石①

 さらに第二次世界大戦後、占領軍兵士と日本女性との間に生まれ、祝福されないまま亡くなった混血児たち900人ほどもここに埋葬されているそうです。

 ただこの墓地は、第二次大戦後占領・接収されていて記録類が消失したため、正確なことはわからないとのこと。
 埋葬者は1200人ほどで現存する墓標は200基弱ですが、経済的な理由で石碑を建てられない外国人も多かったといわれています。
墓石②
 
 この墓地は進駐軍が撤退したあとは放置され、荒廃はなはだしく、市議会でも問題になりました。その後横浜市立仲尾台中学校と横浜市立立野小学校の生徒らによって整備され、昭和56年(1982)には管理人も置かれました。
 さらに、墓標もないまま根岸外国人墓地に眠る子どもたちを慰霊するモニュメントが平成11年(1999)建てられました。
墓石③

 私がこの墓地を知ったのは、山崎洋子「天使はブルースを歌う」(毎日新聞社・1999)によってですが、観光地横浜の暗部を見た思いでした。
墓石④

 「たしかにマイナーなところだ」
 山手の外国人墓地に比べると、ひっそりしています。木々が鬱蒼として、墓石もまばら。
 寂しくて、どうも居心地が悪い。墓参者は誰もいないし。
 ただし手入れはきちんとされていて、この日もおじさんが機械で雑草を刈っていました。
慰励碑

 墓地は3層に分かれており、モニュメントは入口の層にありました。
 天使の翼を形どったものだそうです。
 思わず手を合わせました。
 JR根岸駅から10分ほどのところに白滝不動があります。
 まず目の前にそびえる急な石段にうんざり。「これを上れというのか」
急な石段
 それよりも「滝はどこだ、滝は」
 それは階段の横をチョロチョロと流れてくる細い滝。高さは10mぐらいあるから、勢いはそれなりにありますが、如何せん滝が細くて迫力がない。
脇に水がチョロチョロと
 昔はもっと大量の水がドーッと流れていたのかな。
 それを信じて急な石段を上りました。
上ったところに社が
 上りきったところに社があります。
 お参りして、引き返しました。下りもまた急な石段。
 おッと、足を踏み外すと、ヤバイ。
下りも急勾配

 いったん下りて、ゆるやかな坂道を上りました。これが不動坂。
 坂の由来は白滝不動からきています。
不動坂① 不動坂②

 この坂を上りきったところにレストラン「ドルフィン」があります。
 ユーミンの「海を見ていた午後」に出てくるレストランです。
 私はいつもここでコーヒーを頼みます。
ドルフィン・外観

 したがってソーダー水ではなく、コーヒーカップ(あるいは水のグラス)越しに貨物船を見ることにしています。
ドルフィンの店内から見る貨物船

 不動坂といえば、今では白滝不動より「ドルフィン」だなあ。
 先月の13日、所沢三ヶ島のひまわりが満開というので見てきました。
 あたり一面のひまわりは壮観でした。
ひまわり畑

 それに味をしめて(?)一週間後、川越の伊佐沼に行きました。ここもひまわりが見事だと聞いていたもので。
 しかしひまわりなど、どこにもない。

 変だな? と思って散歩中の人に聞いてみると、「まだ茎が少し出てきた程度だよ」といわれました。
向こうは伊佐沼

 本当かよ。
 ひまわりといえば私の近所(三芳)では7月いっぱいで終ったし、比較的遅い所沢の三ヶ島でももう終り。8月の終わりになって茎が伸びはじめるひまわりなんて聞いたことない。
ひまわり

 ところが川越市<都市計画部 公園整備課>HPを見ると、「やっと茎が伸びてきました」との報告。「そういう品種なのかな」と納得したものの、それほどのスケールではあるまい、とタカをくくっていました。
ひまわりを手に

 そんな折、川越在住の方のブログに「伊佐沼のひまわり満開」とあるのを見て、「これは行かなきゃ」と思いました。(現金なものです)

 254号から並木川崎線を北上し、南古屋駅を北上して伊佐沼に着きました。
 咲いてる咲いてる。伊佐沼の東の畑に。所沢の三ヶ島よりはスケールが大きい。
 約10万本とのことですが……。
伊佐沼を背に

 それにここは伊佐沼を背景とするロケーションがいい。
 目についたのが「ひまわりご自由におとりください」の看板。
 なるほど、ひまわりを摘み取っている人もいます。
標識
 私の知っている限りでは、ひまわりは種子を油にするのではないか。
 花には種子が入っているので、花を持っていかれては栽培者にとっては損失のはず。全体量からすれば、見にきた人が多少持っていっても大したことではない、と考えている?
 よくわかりません。
ひまわり摘みに夢中 ひまわりを摘む女性

 あまり深く考えずに、ひまわりを撮ってきました。
 「うちの師匠は下衆な野郎だ。いやになっちゃうよ」
 先日、都内に住む友人がこんなことをぼやきました。
 その男もやはり俳句をやっています。どういうことかというと……。

 句会での選句のとき、ある句が気に入り、特選で採ったのですが、あとでその句が彼と親しい女性の欠席投句だとわかりました。しかもその句を採ったのは彼だけ。
 そのため(?)か、先生に「(彼女の句だと)知ってたの?」と聞かれたというのです。
 彼は即座に「知りません!」と答えましたが、「あと味悪かった」といいます。
 「師ともあろう者が、たとえ一瞬といえども、弟子を疑っていいのか」

 句会とは無記名で投句するもの。事前に作者がわかっては興趣がそがれます。
 句会に出席する者ならそれぐらい心得ています。たとえ親しい者同士でも教え合うことはありません。

 とはいえ、親しい人の句を採ってしまうことはよくあります。
 そんな場合、「おッ、仲がいいと(その人の句だと)わかるんだね」と揶揄することもありますが、本当はそれほどの意味はないのです。

 というのも、私は前の句会でそれほど親しくもないお婆さんの句を三句とも採ったことがあるからです。
 だからといってこの人とは何の感情もないし、当人にしても「採ってくれてありがとう」との気持ちはあっても、それ以上の感情はありません。「何かある」と結びつけるほうがおかしい。
 まして「知ってたの?」はない。それも指導者がこんなことをいうとは。あまりにお粗末。

 「以前から軽いヤツだとは思ってたけど、これじゃ下衆の勘ぐりだ。呆れたよ」
 「もう、いやになったのか。だったらそんなとこ、やめちゃえば」
 「それも考えたけど、宗匠以外はいい人なんだよ。それにまだ入って間もないし」
 「そういうことなら、しばらく様子を見るんだな。やめるのはいつでもやめられる」
 「うん」
 これでその話題は打ち切りました。

 翻って我が句会はどうか。宗匠はつまらない駄洒落をやたら飛ばす。軽いことでは同じ。
 宗匠というのは、みんなから「先生、先生」とホイホイされるので、天狗になりがち。
 つまらない駄洒落をいっても、みんな笑うから「受けてる」と錯覚する。本当は「お追従笑い」なのに。
 これではまるで裸の王様。俳句は上手いのですが。

 みんな和気藹々とやってるような俳句会もいろいろあるんだなあ。
 友人の俳句会のことを聞いて、そんなことを思いました。
 久しぶりの横浜散策は根岸森林公園から。
根岸森林公園 

 同公園は第二次世界大戦までは、競馬場でした。
 しかし戦後、米軍に接収され、ゴルフ場や駐車場になり、約30年後返還されたものの、すでに競馬場として使用するのは不可能な状況だったので、市民のための公園となり、昭和52年(1977)馬の博物館が開設されました。
昔の競馬場風景

 その競馬場の建物の一部が残されています。
 同公園には何度が訪れていますが、これには気づかなかった。
 ある人のブログの写真を見て、「これは見ておこう」と思いました。

旧一等馬見所①

 公園で散歩している人に聞くと、「この奥だよ。だけど米軍の敷地内だから、建物のなかには入れないよ」
 それでも外から写真は撮れるというので、行ってきました。
米軍のゲート

 たしかに米軍のゲートから建物の一部が見えます。
 「おや?」
 ちょっとした芝生の広場があり、ここも「森林公園」
 そこを過ぎるとレンガ造りの広場。ここに当時の競馬場の写真などが展示されてました。
広場 地図

 この建物は「旧一等馬見所」といって、一等観覧席の建物のようです。
 建設されたのは昭和5年(1930)、設計者はアメリカ人建築家J・H・モーガン(1877~1937)
旧一等馬見所②

 重厚な建物です。
 それにツタが絡まり、いっそう風情があります。
 平成21年(2009)には近代化産業遺産に指定されましたが、本格的な修復・保存作業は行われず、現在は放置状態だそうです。
2014.09.12 一病息災
 昨日は病院へ行ってきました。
 整形外科(骨折治療)はもう終っているので、検査はもうありません。
 残るは泌尿器科のみ。(眼科は別の病院)
病院

 症状は軽度の前立腺肥大。4年前にその症状を自覚したので、近くの診療所に行ったところ、「軽度の前立腺肥大」とのことで、最も軽い薬を処方されました。
 その診療所は小さなところで、昨年の3月で閉鎖。
 4月からは紹介状を書いてもらって、今の大病院へ。(7~8月には骨折で入院することに)

 検診は尿検査のあと、(院長先生による)問診。
 「調子はどう?」
 「まあまあです。悪くはなっていません」
 「それはよかった。薬が効いているようだね。オシッコもきれいだし」
 ということで、以前と同じ薬を処方して終り。問診時間は3分ぐらい。
 (待ち時間のほうが長い)

 実は薬は飲み忘れることが多く、いつも余るので、薬が効いているのかどうかは不明ですが、3ヵ月以上間隔を空けると次回の手続きが面倒になりそうなので、なんとかつないでいる状態です。
採尿ボックス

 以前の小さな診療所では、なんでも相談できました。
 親指の重だるさ(→腱鞘炎)や、カミソリかぶれに関してはそれなりの処方をしてもらい、腱鞘炎はなんとなく効果があったように思います。

 昔から「一病息災」ということばがあります。
 「あまり健康に自信のある人よりも、ちょっとした病気のある人のほうが、からだに気をつけるので、かえって長生きをする、というたとえ」(新明解国語辞典)

 私はこの軽度の前立腺肥大の症状を「一病」としたい。
 それなら病院ともつながっていられるし。
 全国各地で記録的な大雨が降り、冠水事故が多発していますが、昨日の夕方、東京でも大雨が降りました。
 ニュースを見ると江戸川区では道路が水没し、10数台の車が動かなくなりました。
 「腰まで(水に)浸かった」という人や、「車内に水が入ってきた」というタクシー運転手。

 道路から水が噴水のように噴出しているところもありました。
 また上野では駅前の歩道橋から瀧のような大水。
 「キャーッ」と叫んで駆け出す若い女性。

 これは数年に一度という積乱雲の発達で、1時間に100mm近くの雨が降り、記録的短時間大雨だそうで、これによって都内80ヵ所が浸水しました。
 浸水といえば、中目黒近辺の目黒川を思い出しますが、どうなったのでしょうか。
 目黒川といい、神田川といい、東京は治水に不安があります。近辺には知り合いもいるので気になります。

 東京都区内で大雨が降った午後4時半ごろ、こちら(埼玉)も曇り始めて、「雨が降るのかな」と思いましたが、一滴も降らず。同じ南関東なのにこうも違うものなのか、改めて東京都と埼玉の違いを認識させられました。

 その後の予報では「今夜半から明日未明にかけて、南関東では大雨に注意」とのことでしたが、今朝外に出てみても、大雨の降った形跡はなし。
 とはいえ今日も大雨の予報が出ているので、油断はできませんが……。
                                *
 それよりショックだったのは、川越駅で盲学校に通う全盲の女子生徒が何者かに足を蹴られて大怪我をしたとのニュース。なんというひどいことをする。
川越駅
 少女は川越市笠幡にある県立盲学校「塙保己一学園」高等部専攻科に通う女子生徒。塙保己一(はなわほきいち)という人物は知っていましたが、そんな学校があったとは。
 しかも先日川越のことをUPした的場地区の近くです。

 犯人は女子生徒の白杖に接触して転倒し、その腹いせに蹴ったらしい。
 盲導犬が刺されていた事件もそうですが、なぜ埼玉にこんな事件ばかり起こるのか。
 早く犯人が捕まることを祈ります。
 私は川越が好きでしょっちゅう訪れていますが、何度きてもよくわからないのが、一番街から菓子屋横丁側に入ったところにある無料休憩所「陽氣遊山」(よふきゆさん)
案内書き
 古い民家です。庭も広い。
 休憩所というのはその縁側。お茶が飲めるようになっています。すべて無料。
入口

 一度だけ魔法瓶のお湯を自分で注いでお茶を飲んだことがあります。
 ありがたいとは思います。しかし……。
休憩所
 入口には錆びた鍋・釜などが置かれ、猫がゴロリと横たわっている。お世辞にもきれいとはいえない。
 「なにもなかった昔の(貧しい)生活を味わえ」ということか。
 しかし、小江戸川越とはコンセプトが違うような……。
茶の道具も

 ここの由来書きを読んでみると……。
 江戸時代は熊野系修験道場。明治維新後は料亭として繁盛、その後天理教の道場になったとのこと。それも中山みきを教祖とする反権力派(?)。ここは現在もその教会「教祖中山みき直属陽氣づくめ川越教会」だそうです。
 すると「陽氣遊山」という名はこの「陽氣づくめ」から取った?
由緒書き

 料亭時代には森鴎外も訪れていて、大森貝塚を発見したモース博士の講演会も開催された、とあります。
 そして川越市の指定文化財だそうです。

 それにしては川越市の手が入っているとは思えない。
 例えば「旧川越織物市場」は川越市の手で管理され、公開日以外は職員(及び保存会)がロックアウトしています。これが指定文化財の扱いです。
寝そべる猫
 以前は修理費の寄付を募るような貼り紙もあり、今でも犬のエサ代の寄付を募っています。
 日曜日にはオープンしていますが、茶会の貸切になったりして、正体がよくわかりません。
 私の理解力が弱いから?
犬の遺影?

 観光客には「ディープな川越」を見てもらいたいのでしょうか。
2014.09.09 東京国際大学
 三芳野天神を北上したところに東京国際大学があります。
 創立は昭和40年(1965)

 当初は商学部のみの単科大学でしたが、昭和61年(1986年)東京国際大学と名称を変え、商学部、経済学部、言語コミュニケーション学部、国際関係学部、人間社会学部の5学部10学科を擁する総合大学となりました。
東京国際大学・正門

 そんな大学知らないって?
 では硬式野球部の監督に元プロ野球の古葉竹識さんが就任して強くなった大学といえば、「ははあ」とお思いになる……かな?

 高校でも大学でも、プロ野球出身者が監督をやると急に強くなります。やはり野球というものを熟知しているからか。
 東京国際大学の野球部は現在東京新大学野球連盟1部に属して、大学日本一を目指して日々練習に励んでいるそうです。
キャンパス

 私は同大学とは縁もゆかりもないのですが、一般人でも学食を利用できると聞いていたので、守衛さんに尋ねてみました。
 「大丈夫ですよ」と守衛さんは親切に食堂の場所まで教えてくれました。

 さすが国際大学、キャンパス内は世界各国の国旗が掲げられています。
各国の国旗

 食堂は広くてきれい。
 私はこのとき「大人の定食」(410円)を食べました。
 食券を買って、カウンターにトレイを出すと、おばさんがご飯やおかずなどを置いてくれます。
 すべてセルフサービス。懐かしい。
 まだ12時前だったので、学生さんはパラパラ。
食堂内

 してその味は?
 うーん、値段の割にはまあまあ。
 特筆すべきはお茶の美味しさ。これもセルフサービスですが、濃くて風味がありました。
 思わずお代わりしたぐらい。
大人の定食

 片づけるのも、もちろんセルフサービスです。
 初雁橋から県道15号線(川越日高線)を西に1.2kmほど進むとJR川越線・的場駅に出ます。
 そこから北に進むとすぐ左手に三芳野天満宮があります。
鳥居
 えッ、三芳野天神って、あの?
 川越城本丸御殿の東にある三芳野神社。在原業平も訪れたという由緒ある神社です。(参照
 それに童謡「とおりゃんせ」発祥の地……。
 川越に「三芳野天神」がふたつあったとは。これはどういうこと?
祠
 ここの由緒書きを読むと、おどろくべきことが……。
 「この神社の創立は、平安末期頃で、伊勢物語に出てくる入間の郡『三芳野の里』円墳三芳野塚の前に建てられたものである。菅原道真公が祀られており、別当は北條寺がつとめるようになった。中世になり、このご神体を今の川越城中に移したけれども、神慮が旧地を慕われたため、元和6年(1620)に再びこの寺の境内に移した」 
三芳野天神社・縁起
 別当とは神社を管理する寺のこと。北條寺とは現在の法城寺(となりのお寺)。ということは、こっちが本家本元の三芳野天満宮?

 しかも社の傍らに碑があり、「わらべ歌生れしと云う 三芳野の天神さまに ほそき道あり」と彫られています。
法城寺・山門

 ではその法城寺とは?
 「曹洞宗で山号は的場山である。最初は三芳野塚にあって三芳野山宝常寺(→北條寺)といっていた。本尊は聖観音である」とのこと。
 地元の人によると、三芳野塚とはここより約1㎞東の入間川沿い(現東急団地)にあったとか。
                                *
 ここから先は私の推測ですが、「とおりゃんせの里」は本丸御殿の三芳野神社でいいと思います。
 「♪ご用のないもの通しゃせぬ」の歌詞は、城下の役人の取調べを指しているからです。

本堂① 本堂②

 しかし在原業平が訪れたのは、川越城ができるよりはるか昔のこと。
 となると三芳野天神の本家本元はやはりここ(的場)ではないか。

 私は歴史家ではないので、双方引き分けということにします。
 川越市には3本の川が半円状、それも時計回りに流れています。
 内側から新河岸川、入間川、小畔川。
 どの川も最終的には荒川に合流するのですが、入間川が最も長いそうです。
 この入間川は秩父を上流として、川幅も広く、水量も多い。
初雁橋
 その入間川にかかる初雁橋。
 川越市街地から日高を結ぶ県道15号線が通るので交通量は多いのですが、地元の人にいわせると、いろんな野鳥が見られるそうです。「とくに雁がね」
 なるほど橋の欄干には飛ぶ雁のモニュメントがかかっています。
初雁橋から見た入間川下流・向こうはJR川越線

 それだけではなく、ここは富士山の名所とか。
 「冬の晴れた日なんか、上流方向(南西)にくっきり見えますよ」
 残念ながらこの日は見えなかった。
初雁橋から見た入間川上流

 初雁橋から河川敷を見ると、鮮やかな芝生の上で何やら球技に興じる人々。グランドゴルフ?
 ではなくて、「マレットゴルフ」というそうです。
 ここは「川越市マレットゴルフ発祥之地」ということで、その碑が立てられています。
球技に熱中する人々

 マレットゴルフは昭和52年(1977)、福井県で誕生したスポーツで、グランドゴルフとほぼ同じ(途中にゲートあり)。ただし専用のボールとスティックを使います。
マレットゴルフ発祥の碑

 一時期老人のスポーツといえばゲートボールでしたが、急速に衰えたのは、某先輩にいわせると「あれは人間関係を悪くする」とのこと。
 団体競技なので、「あいつがドジだから負けたんだ」ということもあり、また「あの野郎、オレのボールを弾きやがって」(敵のボールを弾き飛ばすことができる)などと、険悪なムードになることも多いそうです。
初雁橋の下 くつろぐ人々

 その点、このマレットゴルフは(団体競技ではあるものの)それほど険悪になることもなさそうで、私が見たところでもけっこう仲よくやってました。
スティック

 それにしてもこの「川越市マレットゴルフ発祥地」の碑は紛らわしい。
 てっきり川越が発祥地だと思ったぞ。正確には川越のマレットゴルフはここから発祥したということです。カン違いしたのは私だけ?
 先日、ふじみ野市の環境センターにある「エコパ」へ行ってきました。
 これは健康増進を目的とした施設で、今年の6月17日にオープンしました。
 お風呂はゴミを燃やした余熱で沸かしているのだそうです。
エコパ

 風呂に関しては昨年の骨折治療の際、「リハビリに効果的」ということで、近くのラドン温泉(大井・真名井の湯)にときどき行くようになりました。
 自宅の狭い風呂と違い大浴場なので手足を伸ばせるし、とくにジェット風呂が患部に効くように思われました。実際痛みが軽減しました。

 とはいえ有料なので、そうしょっちゅう入るわけにもいかない。
 ところがここは、この地域の60歳以上むなら無料とのこと。
バーデプール

 「無料」に惹かれて行ってきました。(浅ましい?)
 円形プール(バーデプール)はガラス張りになっていて、外から見えます。
 指導員の指示のもと、水着を着た老人たち(?)がプールを歩いてました。(遊泳禁止)
なんだかなあ……。

 受付で身分証を見せれば優待者証を発行してくれるとのこと。
 せっかくだから手続きを済ませて、入ってきました。
入口

 「真名井の湯」ほどの規模ではありませんが、一応ジェットバスもあります。
 サウナやスチームはなかったけど、無料だしゼイタクはいえない。

 難点はちょっと遠いこと。
 冬は帰ってくるときに湯冷めするのではないか。
 とはいえ無料で利用できる、地域住民の恩恵に預かることにしました。
2014.09.04 カポーティ
 米映画「カポーティ」(2005)は、作家のトルーマン・カポーティが代表作「冷血」 を書き上げるまでを中心に描いた映画です。
                              *
 1959年、カンザス州の小さな町で、一家4人が惨殺されるという事件が起こりました。
 この事件に興味を持ったカポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、女流作家ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)と共に現場に向かいます。
カポーティ①

 町の住民を取材するだけではなく、所轄の警察署に行って、担当の刑事に会い、強引に取材を進めます。
 さらに犯人が捕まってからは、拘留先まで行って犯人(ペリー・スミスとディック・ヒコック)に興味を抱き、話を聞こうと面会します。
 とくにチェロキー族の血を引くペリーの生い立ちは、自分の少年時代とオーバーラップし、何度か会っているうちに友情のようなものが芽生えてきました。
カポーティ②

 犯人ふたりに対する判決は、「有罪。死刑」と出ましたが、カポーティは有能な弁護士をつけて上告し、警察関係者にきらわれます。
 彼を「救いの神」と思ったペリーは面会を待ち遠しく思うようになりますが、執筆に取りかかったカポーティにとっては煩わしくもあり、ペリーからの面会要求もしばしば撥ねつけるようになりました。
カポーティ③
 それによって上審は退けられるようになり、ふたりの刑の執行がきまります。
 ペリーに「最期はきてくれ」といわれ、刑場でふたりの絞首刑を見届けます。
 その後カポーティはこの事件を題材にしたノンフィクション小説「冷血」を書き上げました。
                              *
 映画「冷血」(1967)は学生時代、観たことがあります。
 善良な農村の一家をいとも簡単に殺してしまう、ふたりの若者の行動が淡々と描かれ、あと味の悪い映画でした。
 この映画のことを、今度(カポーティ)は原作者に光を当てています。
カポーティ④

 「カポーティとは、なんといやな男だろう」
 傲慢でおしゃべり、それも甲高い声。落ち着きのない態度。私は最後まで好きになれなかった。
 観ている者に嫌悪感を与えるのは、俳優(ホフマン)の演技力によるもので、彼はこれでアカデミー主演男優賞を獲っています。
カポーティ⑤

 この映画は終始「オレの内面の苦悩を忖度(そんたく)してくれ」と訴えています。
 私が名づけるところの「忖度要求映画」。浅ましい。
 最近の邦画にはそれが多くガックリさせられますが、米映画にもあったとは。

 最後の画面に、「カポーティはこの作品の後、作品を書いていない」との字幕が出ますが、「それがどうしたの?」としかいいようがない。
 読者にとっては、カポーティさんが書こうと書くまいと、どうでもいいことなのに。
 川越を舞台にした連続TV小説「つばさ」にも出てきた西武安比奈(あひな)線は、埼玉県川越市の南大塚駅と安比奈駅を結ぶ3.2kmの貨物線です。
南大塚駅0番線

 もとは入間川で採取した砂利の運搬を目的として大正15年(1925)に開業されました。
 しかし昭和42年(1967)入間川での川砂利の採取が禁止されたことによって休止。
南大塚駅
 南大塚の駅には下りホーム後方に「0」と表記された標識が見えます。
 ここが安比奈線の起点。
 線路は下り(本川越)方向より左へカーブします。国道16号をわたって住宅地へ。
安比奈線①
 住宅地のなかは雑草が生い茂り、レールがあるのかないのか不明。
 道路と交差するところではほとんどレールは外され、アスファルトで埋められていますが、なかにはレールが残っているところも。
道路にもレールが残っている
 線路は住宅地から畑を抜けて、雑木林へ。
 雑木林のなかは入ることはできませんが、それでも途中から入れるところがあり、レールの写真を撮りました。
雑木林の中
 そして雑木林を抜けると、池部用水橋梁。
 「つばさ」の撮影地だそうですが、公開は4年前に終り、今は立ち入り禁止に。
 雑草が生え放題で、手入れもされていません。
安比奈線②

 とはいえこの路線は復活も廃止もされず、休止状態とか。
池部用水橋梁①

 現在西武鉄道には新車基地とする案があるそうですが、それを実現するには、沿線に増えた住宅や、交通量を考慮せねばなりません。さらに騒音対策や16号の交通量を考えると、高架にしないととても無理。莫大な費用がかかります。
 そこまでかけて採算が合うのか。
池部用水橋梁②

 今回ここを散策して、「復活の目はない」と思いました。
 今回の映画感想は「グリーンマイル」(米=1999)を取り上げます。
 これは1932年の大恐慌時代の死刑囚が収容されている刑務所を描いたスティーヴン・キングの小説の映画化したものです。
                              *
 死刑囚監房で主任看を務めるポール(トム・ハンクス)のもとに、ジョン・コーフィという黒人の大男が送られてきました。双子の少女を強姦殺人した罪によるものですが、コーフィは風貌や罪状に似合わず、純粋な心の持ち主でした。
グリーンマイル① グリーンマイル②

 一方では、あとで入ってきた凶悪犯ウォーントンの悪態や、知事の妻の甥という若い看守パーシーの傍若無人な振舞いに、看守たちは頭を痛めます。
グリーンマイル③
 コーフィには不思議な力があり、触れるだけでポールの尿道炎を治し、踏みつぶされたミスター・ジングルス(ネズミ)の命を救いました。これを見てポールたちは、深夜コーフィを外に出し、重度の脳腫瘍に悩む署長夫人メリンダの治療にあたらせました。
グリーンマイル④
 コーフィはメリンダから毒気を吸い込み、彼女を治しますが、獄舎にもどってからパーシーを無理矢理つかまえ、口から毒気を注ぎ込みます。パーシーはそれによって錯乱状態になり、凶悪犯ウォートンを銃で撃ち殺し、精神病院に送られました。
グリーンマイル⑤ グリーンマイル⑥
 さらにコーフィはポールの手をつかみます。そこから伝わってきたものは……。
 双子の少女を強姦殺したのはウォーントンで、コーフィは彼女たちを救おうとしていたところだった。しかしその物的証拠はない。
 ポールたちはコーフィに脱獄を勧めますが、コーフィはそれを拒否し、ポールによって処刑されました。
グリーンマイル⑦

 その後、ポールは108歳になっても施設で生き続け、コーフィに助けられたネズミも60年以上生き続けていました。
 「これもコーフィから与えられた罰則。甘んじて受けねばならない」
 ポールはそう考えています。
                                *
 封切当時は話題になった映画です。「感動の嵐!」「涙なくしては見られない」……など。
 しかし私は見終わっても素直に感動できず、戸惑いを覚えました。
 処刑(電気椅子による死刑)の場面があまりにリアルだったからです。目を背けるほどでした。
 それでいて、重度の尿道炎も脳腫瘍も毒気を吐き出させることによって完治させ、握手することによって真実が伝わるという、荒唐無稽な場面の連続。リアルとアンリアルがないまぜになっています。
グリーンマイル⑧

 それにやたら長い。最後のクレジットを入れて3時間8分は長すぎます。
 題名の「グリーンマイル」とは、死刑囚の檻から刑場に向かう廊下が薄緑色に光っていることからその名がつけられました。
2014.09.01 川越水上公園
 9月になったので、地元にもどって川越散策を。
 といっても蔵の街ではなく、市街地から西へ約2km、入間川右岸にある「川越水城公園」。
 HPで調べるとプールのようで、「当方には関係ない」と思っていたのですが、散歩できるところもあるとわかり、行ってきました。
川越水城公園①

 なるほど、プールのとなりに池を中心とした公園があります。これがなかなかの景観。
 池の周辺には樹木が植わっていて、いるだけで心地よい。
 芝もよく手入れされています。
川越水城公園②

 「野鳥も見られるよ。今の季節だと、サギなんか」
 とは芝の手入れをしていたおじさん。

 池には貸ボートがありますが、乗る人はなし。
 バーベキュー広場や、犬を遊ばせる広場もあります。
貸ボートも

 「おや……?」
 池のほとりにおじさんが数人。
 なにをしているのかと近寄ってみると、将棋をやってました。
 「もう、あきらめなよ」
 「いや、まだ詰んでない」
 などといっております。
おじさんたち 将棋に熱中

 かと思えば、池を見わたすテラスには数多くの鳩の群れ。
 こちらが近寄っても飛び立つ気配、まるでなし。
 人に対する警戒心がないのか、それとも……。
 ヒッチコックの「鳥」(米映画/1963)を思い出して、恐怖を感じました。
 考えすぎ?
鳩の群れ 鳩

 地味ですが、緑豊かで、なかなか風情ある公園です。