2014.08.31 退院記念日
 今日で8月も終わり。
 昨年の8月31日は、54日という長い入院生活を終え、退院した日です。(参照
 病院を出たときムワーッとした熱気に包まれたことは今でも覚えています。「これが下界の暑さか」と思いました。

 息子の車に乗せてもらって、荷物を我が家に置き、近くの和風レストランで息子一家と食事しました。このとき、久しぶりにビールを飲みました。「美味い!」
 「オヤジももう若くないんだから……」と息子にいわれました。
 (無茶なことはするなよ)といいたかったようです。

 外に出ても相変わらず暑い。もう日は暮れているのに。
 「足は大丈夫なの?」
 レストランの駐車場で息子に聞かれました。足を引きずってました。
 「痛いよ。これでは500歩も歩けない」
 「当分は出かけちゃダメだよ」

 帰宅して、ひとりになって、「これからどうなるのか」という不安がよぎりました。
 ちゃんと歩けるようになるのだろうか、腕は元のように動くのだろうか。
                              *
 当時は病院に対する不信感もありました。「まだ完治してないのに、追い出しやがって」
 病院とは通いのリハビリでつながってはいますが、それとて週2回(10月からは週1回)。なんとも細いつながりです。

 それでも前向きにやるしかありません。
 リハビリは楽しいものでした。療法士さんに会うのも楽しみで、リハビリ室の廊下にきただけで肩が軽くなりました。(暗示にかかりやすい性格?)
 入院仲間にも会えるし、病院へ行く日が待ち通しかったぐらいです。

 通院リハビリだけではなく、自主トレに励み、近くのラドン温泉にも通いました。
 医療用のストッキングも穿きました。治療にいいと思ったことはなんでもやりました。
 とりわけ自主トレは真面目にやりました。治りたい一心です。
 当時は苦しいこともありましたが、それがあったからこそ今の回復があるのだと思います。
                             *
 病院側の適度な「突き放し策」(?)は制度上やむを得ないものですが、私にとっては正解でした。
 「神は自ら助くるものを助く」
 これを今の座右の銘とします。
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 葉山御用邸から県道森戸海岸線(207)を北上し、真名瀬を通過して、夕方になってようやく森戸神社に着きました。
森戸神社・境内
  同神社の由緒書きによると、伊豆に流された源頼朝が兵を挙げ、天下を治めたとき、深く信仰していた三嶋明神(静岡県)の分霊をこの地に祀ったとされています。
 いらい歴代将軍はこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行いました。
 鎌倉幕府滅亡後も、足利氏、さらに徳川幕府からも信仰されたという伝統の神社です。
本殿

 この海岸は海水浴場でも有名で、遠浅で波が穏やかなため家族連れが多いのが特徴。
 対岸に江ノ島、晴れたときは富士山が見えるとのことですが、この日は見えなかった。
森戸海水浴場
 神社の境内から浜に出るには、朱塗りの「みそぎ橋」(かながわの橋100選)を渡ります。
 さすが由緒ある海水浴場、ここの水遊びは「禊」(みそぎ=罪やけがれをはらうため、水を浴びて身を清めること)の意味があったとは!
 (とてもそんな人たちとは思えなかったのですが)
みそぎ橋

 また森戸神社の裏側に岩場があり、そこに故・石原裕次郎さんの記念碑が立っています。
 「夢はとおく 白い帆にのって 消えていく 消えていく 水のかなたに」
 とレリーフの両側に、お兄さん(政治家)によって書かれていて、下には、
 「太陽の季節に実る 狂った果実たちの先達 石原裕次郎を偲んで」
 とあります。
裕次郎のレリーフ

 ここも夕陽で有名なところ。「森戸の夕照」(神奈川の景勝50選)
 そのためここで夕暮れになるまで時間をつぶしました。
森戸海岸の夕暮れ
 この日は厚い雲に覆われて富士山は見えず。
 さらに太陽が水平線に落ちていくところも。
 それでも雰囲気はじゅうぶん味わえました。
夕陽


 子産石から西海岸通り(国道134号線)を北に進むと、長者ヶ崎に着きます。
 ここは横須賀市と葉山町の境。
 海岸通りに標識があり、向こう側は葉山町。
これより先は葉山町
 その標識を過ぎて振り返ると、向こう側は横須賀市。
 歩道の敷石に注目あれ。葉山側のほうが明るい色で、金がかかっている気がします。
標識の先は横須賀市

 長者ヶ崎とは通りから500mほど海に突き出た馬の背のような岬。夕陽の名所だそうです。
 「長者ヶ崎の夕照」といって三浦半島八景のひとつとか。
 地図をみると、この細い岬の尾根が境界線のようで、これから南が横須賀市、北が葉山町。
 半島の先がクルッと北側に巻いているので、地形的には葉山に分があります。
長者ヶ崎・横須賀側 長者ヶ崎・葉山側

 葉山側の浜は海水浴場(長者ヶ崎海水浴場&大浜海水浴場)
 8月の後半とはいえ、この日は晴れていて、海水浴客もチラホラ。
葉山側の海水浴場

 そこから葉山公園に上がり、再び通り(国道134号線)に出ました。
葉山公園

 「おや……」
 坂を降りると小さな川(下山川)。
 そこから涼しい風が吹いてきます。これまでの暑さがうそのように心地よい。
 左手にはうっそうとした樹木。「葉山御用邸」
 なるほどなあ。
御用邸内を流れる下山川
 前を通ると、「こんにちは」
 守衛の警察官にあいさつされます。(変な気を起こさせないため?)
 もとよりそんな気はないのに。
葉山御用邸

 これまでの西海岸通り(国道134号線)は御用邸前で内陸に入り、海岸線は「県道森戸海岸線」(207)になります。当然、海岸線を歩きました。
 総務省や通信会社などでつくる協議会は19日、これまで原則禁止としていた病院や診療所での携帯電話の使用制限を緩和する新たな指針を公表しました。
 「手術室や検査室は禁止のままとするが、待合室や個室の病室では通話も認める」というものです。

 昨年、約2ヵ月間も入院していた体験からいうと、これは当然と考えます。
 私が入院した当初は、左足はギプス固定、右腕は三角巾で吊るされ、さらにバストバンドで固定されるという、身動きとれぬ状態。
 看護婦さんから、「家族の方に連絡してください」といわれれば、病室(4人部屋)のベッドから携帯電話で連絡するしかありません。(もちろん他のベッドの患者には配慮しました)
 看護婦さんも認めているわけです。

 病室内での通話は、個室でなくても、他の患者もしていました。歩けない患者が多いので、これは仕方がありません。
 向かいのガングロオヤジは声が大きく、どうしても相手(奥さん?)とはしゃいだ会話になるので、自ら車椅子で部屋を出て、ラウンジや廊下の端で通話していました。

 ただしこれは私の病室内のことで、他の部屋の事情はわかりません。
 後にこの病院から他のリハビリ病院に移ったY子は、「同室(ふたり部屋)の人がうるさいので、電話できない」とこぼしていました。
                               *
 私の入院中、こんなことがありました。
 8月中旬、廊下側の2床が空き、そこへ大腸の内視鏡検査でポリープを切除されたふたりの老人が入ってきました。すでに施術は終っているので、それ以上の治療行為はないのですが、「念のために」ひと晩入院させられるのです。

 「あのう、ここで携帯電話使ってもいいのですか?」
 そのうちのひとりの爺さんに聞かれました。
 私はその直前まで携帯電話で通話していたので、「いいと思いますけど」
 当時私の移動は車椅子、他のベッドの患者(向かいのガングロオヤジ)とも暗黙の了解です。

 ところがその爺さん、私だけでは心もとないと思ったか、看護婦さんにも、「ここで携帯電話使っていいですか?」
 これには看護婦さん、即座に「ダメです。ラウンジでお願いします」
 バカなジジイだ、真正面から聞かれたら、看護士さんは「ダメです」と答えるに決まってるじゃないか。
 そんなの自分で判断しろ。
                               *
 看護婦さんは、外科患者のベッドでの携帯電話使用を認めてました。(暗黙の了解?)
 大部屋でも、患者同士の了解があればいいと思います。

 とはいえ手術室、検査室や集中治療室(ICU)では禁止。
 もっとも手術のときは持って行かないし、当然集中治療室でもなし。(必要もないけど)
 入院中何度か行われた検査のときはもちろん、毎日午前と午後のリハビリに行くときも携帯電話は持って行かなかった。これは当然です。
 昨日(08/25)は甲子園大会・決勝戦、大阪桐蔭vs.三重を観ました。
 今年は北陸勢が強く、久しぶりにワクワクしましたが、日本文理(新潟)が準決勝で敗退。そこまでです。それでもよくやりました。

 したがって決勝戦はどちらが勝とうと楽なものですが、大阪桐蔭が圧倒的に強いので、心情的には三重を応援。

 その三重は2回表、1死一、二塁から、8番中林が左越え二塁打を放ち、2点先取。
 「やるじゃないか、三重」
2回、三重のタイムリー
 しかし大阪桐蔭もその裏、1点を返し、さらに3回裏で同点に。「これは大阪桐蔭のペース」
 大阪桐蔭は先行されても必ず追いつき、逆転する。
 5回は三重が1点を挙げ勝ち越しましたが、それでも「大阪桐蔭は必ず逆転する」
5回、三重の攻撃 センター前にタイムリー 三重、スクイズ失敗

 私の予感は的中し、大阪桐蔭は7回裏2死満塁、中村が中前に落ちる2点適時打を放って逆転。
 「やっぱりなあ」
7回、桐蔭の攻撃 センター前に逆転タイムリー 三重の投手

 三重は最後まで粘り、9回表は2死一、二塁と攻め立てましたが、次打者が内野ゴロに倒れゲームセット。大阪桐蔭の優勝がきまりました。

 三   重 0 2 0 0 1 0 0 0 0=3
 大阪桐蔭 0 1 1 0 0 0 2 0 x =4

 今年の大阪桐蔭は強かった。
 監督は「一戦一戦、重ねるごとに強くなっていった」といってましたが、私から見れば最初から強かった。とくに明徳に勝ったときは「この強さは本物」と思いました。
試合終了

 三重はよく戦ったと思います。
 高校野球の事情痛によると、「一昨日の準決勝、大阪桐蔭vs.敦賀気比が事実上の決勝戦」といわれてたけど、決勝では接線。.敦賀気比以上のしぶとさを見せました。
よろこぶ大阪桐蔭のナイン

 甲子園が終ると、夏の終わりを感じます。
 最近、この時期がことのほか寂しいと思うようになりました。
 「おや、あれは?」
 立石公園から北の海岸沿いに建つピンクの瀟洒な建物……。
立石公園から見た建物
 そのときは何気なく写真を撮ったままでしたが、そこをあとにして、西海岸通り(国道134号線)を歩いていて、「あの建物じゃないか」
標識
 このピンクの建物は「グラント」なるショッピングセンター。
 世界各国から選りすぐられた雑貨や家具、ガーデニング用品などが揃っているそうです。
グラント
 入口のドーム内の空間には、シャレた植木鉢の類いが……。
 レストランやスィーツの店もあり、週末ともなるとここを目当てに車が渋滞するそうです。
グラント入口
 しかし、こちらは一介の散策者。
 店内には入らず、デッキから海を眺めました。ここも絶景!
グラントから見た立石公園
 左(南)に見えるのは先ほどの立石公園。そして目の前に広がる相模湾。
 土用は過ぎているから波は荒い。しかし壮快です。
グラントから見た相模湾
 そこを出て、さらに海岸通りを北上しました。
 所どころにこんな看板(旧日本軍の砲弾に注意!)があります。
こんな看板も

 他には、<注意>として、
 1、この付近の海(漁業権区域内)で貝類(あわび、さざえ)等、海藻類をとらないでください。
 2、水中銃、アクアラング等を使って魚、貝、海藻類とってはいけません。
 3、薬品等を用いて餌むし(いそめ、ごかい)等をとってはいけません。
 違反者は法令によって処罰されます。
     神奈川県   横須賀警察署   大楠漁業協同組合
 という看板もありました。

 不心得者があとを絶たないようです。
西海岸通り

 かと思えば「子産石(こうみいし)」というのもありました。
 安産の神が宿る石ということで、市民文化資産に指定されているそうです。
子産石

 こうしてみると、この西海岸はいろんなものがあることがわかります。
2014.08.23 立石公園
 前述の「天神島臨海自然教育園」から北へ2㎞ほど歩いたところに立石公園があります。

 立石とは、海岸に突き出た大きな岩のことで、約2500万年前、海底に積み重なってできた地層が固まって、長い間、波に削られてできあがったもの。地質は凝灰岩で、高さ12m、周囲約30mです。(説明板)
立石①
 なおも説明によると、
 「秋谷・立石海岸は東京湾側の海岸線とは異なり、自然の海岸線が多く残っています。とくに立石は古くから絶景として有名です。江戸時代の風景絵師・安藤広重は『相州三浦秋屋の里』と題して富士山を遠くにみるこのあたりの風景を描いています」
公園
 たしかに絶景。これを見るだけで、この西海岸にきた価値あり。

 この「立石公園」は出島になっています。
 ここへ行くのには橋をわたるのかな? と思ったら、いったん岩場に下りて、上がるという、なんともワイルドな公園。
公園入口
 「また、岩場か……」
 私としてはうんざりなのですが、仕方がない、岩場に下りました。(足がガクガク)
岩場 公園より相模湾を見る

 「なるほど、なかなかの見晴らし」
 立石も逆側から見ることができます。
 もっとも立石の姿は岸壁から見た(写真①)ほうがいいと思いました。
立石②
 甲子園大会は準々決勝が面白い、と昔からいわれてきましたが、三回戦もなかなかのもの。
 二日でベスト16が激突し、1日4試合も観られるからです。
 (今年は日程の関係で、今日準々決勝4試合観られますが)
前半は日本文理が優勢
 昨日の注目は第一試合の日本文理vs.富山商。
 甲子園大会で私が応援するのは北のチーム優先なので、今年の北陸勢の活躍はうれしい限り。
 その北陸同士がぶつかるのが何ともやるせない。(どちらかが残る、との考えもあるけど)
8回富山商の猛攻
 前半は日本文理がリード。守備の固さといい、点の取り方の卒のなさといい、日本文理が上回っているように見えました。
 しかし富山商は8回6長短打で一挙4点を奪い、逆転。「あれッ、富山商やるじゃないか」
いったんは富山商のリード
 このとき代打が出た関係で富山商の投手が変わりました。
 これが裏目に出たか、9回裏、1死一塁から左越えに2点本塁打が出て、逆転さよなら。6―5で日本文理が勝ちましたが、どちらが勝ってもおかしくない試合でした。
逆転さよならホームラン 試合後の握手
 富山商  0 0 0 0 0 1 0 4 0 = 5
 日本文理 0 1 0 0 1 0 1 1 2x= 6
                                *
 第三試合の聖光学院(福島県)vs.近江(滋賀県)。「うーん、どっちを応援するか」
 聖光学院は東北のチームとはいえ、最近は全国区並みの強さだから、とくに応援する必要はないか。
 むしろ近江は彦根市(我がルーツ)のチームだから、近江を応援するかなあ。
聖光学院の強攻策はことごとく失敗
 試合は息詰まるような投手戦。
 6回表、近江が一死三塁で大きな左飛を放ち(危うく長打)、これが犠牲フライになり1点先取。
一塁方向へのセーフティスクイズ
 対する聖光学院は走者が出るものの、強攻策でことごとく併殺。雑な攻めが目立ちました。
 ところが9回裏、無死で走者が出ると、4番打者がセーフティーバント。これが成功し、無死一、二塁。さらに次打者が送って一死二、三塁。
一塁手は取ったものの
 次打者は二ゴロ。これを二塁手が本塁に投げたものの、セーフ。同点。
 一死一、三塁になって次打者が一塁線にセーフティスクイズ。これが決まって2―1の逆転さよなら。聖光学院が勝ちました。
逆転さよならのホームイン
 監督もいってましたが、結局高校野球の基本に忠実な作戦(バント)が功を奏しました。
 近江は負けたけど、よく健闘したと思います。
うなだれる近江の投手
 近   江 0 0 0 0 0 1 0 0 0 =1
 聖光学院 0 0 0 0 0 0 0 0 2x =2
 三浦半島の南西岸の佐島地区。ここも横須賀市です。
 県外者からすると、横須賀といえばヴェルニー公園や走水海岸~観音崎~浦賀~久里浜と、東海岸ばかり浮かびますが、西海岸も持っているとは、なんとゼイタクな。
景色は最高
 ここに天神島という出島があり、島全体が海の生態を観察できる公園になっていて、約50種類の海岸植物が見られるとのこと。(県の天然記念物)
家族連れ
 私としては動植物より景色。ここからは富士山が見えるとのことですが、この日は見えず。
 「またしても岩場か……」
 この夏、何度岩場を歩いたか。
 若いころなら苦もなく歩けたけど、この年になると、足がガクガクだよ。
 (それでも島の全貌をつかむために歩きました)
岩場の道、その先は岩場
 結果、わかったことは、周囲は岩場ばかり。先にヨットハーバーあり(佐島マリーナ)
 ハダカになって子どもたちと戯れているオッチャンもいるけど、こっちは水遊びとはまったく無縁。いてもしょうがないので、そこをあとにしました。
 (帰るのも岩場だから、これまた難儀でした)
大人も水遊び

 当然腹も減ります。
 どこかで昼食を……と思っていたら、出たところにちょうど地魚料理主体のレストラン。
 見るも聞くもなく入りました。有名な店らしく、けっこう混雑してました。
レストラン レストラン内部
 ここで頼んだのは焼魚定食。(すべて地の魚だそうです)
 ふだんの私からすれば大奮発ですが、なかなか美味かった。
焼き魚定食
 今月の出句は、私としては自信があったのですが、それをこうも無残に打ち砕いた句とはどんな名句(?)なんだ、と思われるかもしれません。
 そこで今回はそれを披露します。
 今回の最高得票句(トップ賞)は4句あり、票数は4票。(分散しました)

 ①下駄箱の葉生姜匂ふ農家かな……(4)
 さりげない句ですが、いかにも農家の空気が伝わってきます。私も採りました。

 ②折鶴の翼鋭し原爆忌……(4)
 この時期、原爆、敗(終)戦、甲子園に関する句は多いのですが、私としてはどうも陳腐で、よほどのものでないと採りません。この句に関しては「『鋭し』というのが玉にキズ」と先生。

 ③山二つ結びつけたる陸奥の虹……(4)
 「スケールの大きい句。ただし『山』ではなく、『峰』とか『岳』にしたほうがよかった」と先生。

 ④肩書きの失せたる日々や蟻の列……(4)〇〇
 今は退職してサンデー毎日の自分がせっせと働く蟻を見ている、その対比が面白く、また一種哀感もあって、特選で採りました。私としてはこの句が一番いいように思いました。

 ②はコワモテの絵描きオジサンの作。この人は絵もやっていて、年始やGWで公民館の日程がカチ合うことがあるのですが、そんなときは絵のほうを優先するので、ひそかにこの名をつけました。しかし句はなかなか力強い。政治批判と小さな子どものことを詠むことが多い。

 ③はおネエさまの作。先月は惨敗で、「このところ絶不調よ。句が浮かんでこないの」とボヤいていたのに、いざフタを開けるとこの成績。この人の「絶不調~」ほどわからないものはない。

 ④は先生の作。やっぱりなあ。
 この先生は俗人で、駄洒落が多い。それも「駄洒落をいうのはダレジャレ(誰じゃ?)」とか、「ダジャレー夫人の恋人」と低次元で、聞くのもバカバカしい。
 しかしたまに(本気出すと?)こんないい句をつくる。この落差がこの人の魅力らしい。

 ちなみに7句も出したご仁、
 ⑤雄やまべ歌舞伎の隈の色に似て……(3)
 ⑥羅漢像暑さ知らずの笑い顔……(2)
 ⑦重箱に余白の広い鰻の日……(2)

 ちゃっかり票を稼ぎ、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、だよ」とうそぶきました。
 憎たらしいヤツ。
 しかし、こうしてみると私の句よりは優れているのかな。
 改めて、この句会のレベルの高さを痛感しました。
2014.08.19 八月の句会
 今日は俳句(819)の日なので、句会の結果を。
 今月の私の出句は、

 ①産院へ箱入娘夏終る(兼題・箱)
 ②振り向けば人影消えて土用浪
 ③夜景より海月(くらげ)の映ゆる屋形舟
 ④メロドラマ点けっ放しの遠花火


 ①は兼題が「箱」なので、思いついたのが箱入り娘。知り合いの娘のことを詠みました。遊び句です。
 ②元は「振り向けば妻ゐなくなり土用波」だったのですが、これではあまりに個人的で侘しすぎると考え、「人ゐなくなり」にし、それでは口語的かなとも思って「人影消えて」にしました。

 ③夜の船遊び。海面に夜景のネオンが揺らめくと思いきや、見えたのは無数のクラゲ。クラゲは水母もあるけど、海月のほうが夜景に相応しいと考えました。船遊びでは季重なりなので屋形船に。
 ④ベランダで遠くの花火に見惚れていたら、いつの間にかTVつけっぱなしになっていたという句です。「メロドラ」でなくてもよかったのですが、五字で選びました。
遠花火

 今月はうっかり(?)7句も出したご仁(渓流釣りオヤジ)がいて、清記がややこしくなりました。
 「ダメじゃないか!」とコワモテの絵描きオジサンは怒ったけど、短冊を裏向けにしてシャッフルした以上、取り返しがつかない。ということで出句は43句になりました。

 私の成績は、
 ①……(0)
 ②……(0)
 ③……(0)
 ④……(1)〇
 (出席10名、出句43句)

 ①は遊び句なので票が入らないのは仕方がない。しかし②に1票も入らないのは心外。なかには「なんで人形なのかと思ったよ」というオジサン。写し間違えしておった。
 「いい句だと思うけど、『人影消えて』が口語的。『人影の消え』にしたほうがよかった」と先生。

 ③は「夜景より」を「夜景から」という意味に解釈した人が多く、意味がよくわからなかったようです。
 「より」は比較の「より」。これを説明して、皆さんようやくわかってくれたようですが、わかったとしてもそれほどの句ではなかったらしい。

 ④に1票入れた(しかも特選)のは、俳句の達人オジサン。「無駄のないことばで、情景が伝わってくる。私もこんな句をつくりたい」と称賛。(あとで私の句と知って意外な顔)

 今回は期待していた句に票が入らず、④に特選の1票がこなかったら、全滅するところでした。まだまだ未熟ということでしょうか。
2014.08.18 小坪漁港
 前出「リビエラ逗子マリーナ」の近くに小坪漁港があります。
 位置的には逗子海岸と鎌倉材木座海岸の間の小湾・小坪湾にあり、逗子市内の唯一の漁港です。
 同漁港の歴史は古く、鎌倉時代から魚介類を供給していたとされています。
 昭和27年に第1種漁港と指定され、昭和30年には逗子市が漁港管理者に指定されました。
小坪漁港
 とはいえ、あまり大きな漁港ではない。
 引き上げられている船の数もそれほど多くなく、小ぢんまりしています。
小坪漁港内部① 小坪漁港内部②
 浜のなかほどで棒を振り回していたおじさん。
 なにをしているのだろうと見ていると、棒の先に絞った網がつけられていて、それを引っ張り上げました。なかには貝がビッシリ。
作業する漁師
 「なにを採ってるんですか?」と聞くと、「ヤドカリだよ」
 「ヤドカリ?」
 網のなかを見ると、詰まっているのはサザエ。
 これをこちらではヤドカリというのか。
引き上げられた網
 もっともここの漁業は「獲る漁業」から「育てる漁業」が主で、アワビとサザエの稚貝を放流して、大きくなったら採取することから、「ヤドカリ」と呼んでいるのかもしれませんが。

 他には5トン未満の漁船による覗突(みづき)、採藻(さいそう)、わかめ養殖、刺網(さしあみ)等の沿岸漁業だそうです。
 覗突漁とは足で舟を操り、身を乗り出し、口にくわえた眼鏡を通して水中を覗きながら、モリでサザエやアワビ等を採るという伝統漁法。面白そうですが、現代の漁からすると能率が悪そう。
浜小屋の裏

 しかしここは風情があります。
 昭和25年ころには松ノ木が植えられた素朴な漁港だったのが、今は堤防があり、向こう側には「リビエラ逗子マリーナ」の瀟洒な建物が見えます。
昭和25年ごろの小坪漁港 現在の小坪漁港
 この対比がなんといっても素晴しい。
 腐っても鯛? 歴史ある漁港の底力を見たような気がしました。
 「おや、ここは……?」
 妙なところに入り込んでしまいました。
 といっても立ち入り禁止地域に入ったわけではない。入口は開いていたので、いかにも湘南らしいオシャレな公園なのかと、何気なく入っただけです。しかし……。
パームツリー
 人がいない。子どもの遊び場でないことはわかります。
 それにしても景色がきれいなこと。
 建物はガラス張りで芝生もよく手入れされている。プールもある。空が青い。
 どこを撮っても絵になる風景……。
パームツリーの向こうはレストラン ガラス張りのチャペル
 「それにしても、ここは何だろう?」
 あちこちの施設を撮りまわって、ようやく結婚式場であるらしいことがわかりました。
アクアガーデン
 プールに設えられた台。まさかこれが飛び込み台?
 図々しく写真を撮りまくっていると、「こんにちわ~」
 声をかけられました。
 プールの縁で水質管理(?)をしていたスタッフ。
シーサイドプール 誓いの鐘(?)
 そこで思い切って訊ねました。「ここで花嫁花婿さんが愛の誓いを立てるのですか?」
 「そうです」
 「すると、そのあとはここからふたりでドボンと……」
 これにはスタッフの方もくすくす笑いながら、「そういうのも面白いですね。考えておきます」
 (大人の対応をされてしまいました)
プールの水質管理をするスタッフ
 冷汗をかきながらそこをあとにしましたが、行き交う人々(スタッフ及び関係者)からは、ことごとく「こんにちは~」と声をかけられました。なんと感じのいい人たち。
式場「クリスタル・ヴィラ」
 しかし考えてみれば、こちらはいかにも怪しげなオヤシ。
 それに声をかけるのは、「あんたのことはちゃんと見てるよ」という一種の確認行為ではないか。
 こちらとしては悪さをするつもりはなく、ただ美しい景色を撮りたかっただけ。それでも部外者には違いなく、やっぱり迷惑だったかな?
芝生

 この結婚式場は素晴しい。
 今のところ私の知り合いで結婚するという人間はいませんが、いたらぜひここを薦めます。
パームツリーの並木道 白亜のマンション
 私は今、南国にいます。背の高いパームツリー、白亜の建物。抜けるような青い空……・。
 うそでーす。
 私がやってきたのは逗子市にある「リビエラ逗子マリーナ」
公園
 ここはマリーナ(ヨットハーバー)を中心に、マンション、レストラン、スイミングプールなどで構成された複合施設。それほど新しい施設ではなく、私が湘南に憧れて通いはじめたころからありました。
標識
 この「リビエラ逗子マリーナ」は、地中海のリゾート地をイメージしたマリーナとして開発され、逗子市小坪の岩礁を鎌倉霊園造成工事の残土で埋め立て、昭和46年(1971)6月に開業したそうです。
ヨット・ハーバー
 私としては住民でもないし、ヨットを持っているわけでもない、まったくの部外者。それでもここにいるだけで南国気分が味わえ、私にとっては心地のよい場所でした。
 もっともこの場所はトレンディードラマや映画、CMなどにもしばしば使われているので、見た方も多いでしょう。
市街地
 私がときどき寄るのはここにある喫茶店。このテラス席が涼しくて気持ちがいい。
 値段も手ごろなので、私にはちょうどいいかな。
 なみにここはワンちゃん(愛犬)と一緒に利用できるとのことで、近所の人が愛犬との散歩のついでに立ち寄る、という光景も見られます。
シーサイド・カフェ
 今日(08/15)は終戦記念日ですが、それには触れず、昨年の入院当時の様子を述べます。
 このころになると三角巾も取れ(08/05)、多少は楽になりましたが、痛くて動かし難いことには違いなく、「これでいつ全快するのだろうか」とも思っていました。
                         *
 左足はようやくギプスがとれて(08/09)、50%加重可。両足で立つのはいいけど、100%加重は不可、歩くのはNGです。(したがって移動はまだ車椅子)
 立てるということでは前進ですが、ギプスを外したばかりの左足は細くて、ふくら脛がプヨプヨ。なんとも情けない。しかも足首から先はむくんでいて、力が入る気がしない。

 50%加重といっても、これがなかなか難しい。自分では両足で立っているつもりでも、2台の体重計に片足ずつ乗せたところ、右足に40kg、左足に20kgという表示。どうしても左足をかばっていました。
タオルつかみ
 これは左足が弱いからですが、そこでやらされたのが左足のつま先でタオルをつかんで引き寄せる運動。これがなかなかできない。(これをやらされて怒る人もいるとか)
 これは自主トレとして課されますが、指先の力が弱いものだから、タオルがまったくつかめない。何度やってもつかめず、情けない思いをしましたが、根気よく続けているうち、5日目にようやくつかめるようになりました。
                               *
 一方の右腕。挙げるのは120度までOKとのことですが、現実にはそんなに挙がらない。90度をちょっと上に挙げたぐらいです。
 それよりもこの当時力を入れていたのは、仰向けになって右肘を床に着け、手首を頭側に倒す運動。肩の筋肉が縮んでいるため60度ぐらいしか倒れない。
 そこで左手を抵抗物にし、右手で押し返す。すると右肩が(少し)軟らかくなるので、左手で押す。すると60度以上倒れている。
 これは猛烈に痛い。しかし少しずつくり返していると、50度、40度、30度……と手の甲が床に近づくようになるのです。

 「なんとかして週末には床に着けたい」
 そんな思いで水曜日には30度を越え、木曜日には20~10度。そして次の日には手の甲が床に着きそうだったので、痛さも忘れ、左手でグイと押し込んで着けてしまいました。「やった!」
 これが16日の金曜日でした。
 
 むろんこれで終わりではなく、くり返しやらなければまた硬直しますが、「ここまでできた」というのは大きな前進で、今後の目標が見えてきたのもこのころです。
 この時期、あちこちで向日葵(ひまわり)を見かけますが、一面の向日葵畑というと、近くでは所沢三ヶ島の「ひまわり畑」
 狭山湖の北、約4500㎡の畑一面に2万本の向日葵が植わっているとのこと。
ひまわり畑
 そのひまわり畑。
 向日葵というのは背が高く、ふつうの目の位置からだと、あたり一面の向日葵を観るには、高いところに登る必要があります。
 そこで畑の一部に設えられた見晴台に登ってみたのですが。
見晴台
 「…………?」
 南側の向日葵はこっちを向いているのですが、北側の向日葵はこっちにそっぽ向いたまま。
 こちらから向日葵に対しては順光のはず。向日葵って常に太陽に向いているのではなかったの?
 地元の人に聞いてみると、向日葵が太陽に向かって動くのは苗が小さいときで、大きくなると(太陽が出る)東を向いたまま固定されるとのこと。(なんだ、面白くない)
そっぽ向いた向日葵
 それでも向日葵のトンネルのなかに入ることができたし、向日葵のなかの若い女性も撮ることができたので、一応満足しないと。
向日葵のなか 向日葵に囲まれて

 その帰り、463号線沿いに大きな向日葵畑。
 三ヶ島ほど広くはないけど、あたり一面の向日葵。
 街道沿いなので、周囲はガソリンスタンドやラーメン屋などがあってちょっと興趣がそがれるけど、これはこれで見応えがあります。
465号線沿いのひまわり畑① 465号線沿いのひまわり畑②

 もっとも三ヶ島のひまわり畑では、17日(日)の午後、地元ミュージシャンによるコンサート(無料)が開催されるそうだから、やはりこちらのほうがいい?
 昨日(08/12)はときどき小雨がバラついていたので、TVで甲子園大会を観てました。
 第二試合の星稜(石川)vs.静岡(静岡)。
 星稜は県大会決勝で9回表まで0―8で負けていたのを、9回裏一挙9点を挙げて逆転サヨナラ勝ち。日本はおろか、世界中の話題になりました。
球は外野を転々
 序盤は静岡にリードされましたが、「1、2点のビハインドなら、どおってことない。9回裏を見ればいいだけ」と妙に安心して、TVを消して他の仕事にかかりました。(この日は雑用がけっこうあったので)
 雑用がひと区切りついたので、「もうそろそろだろう」とTVを点けたら、ちょうど8回裏、星稜が逆転したところでした。
 「おいおい、約束が違うじゃないか。逆転は9回だろうよ」
 思わずTVに突っ込みを入れてました。
逆転のホームイン
 そして9回表、静岡の攻撃ですが、星稜の投手は余裕の表情。「これも逆転打を打ったからですかね」と解説者。最後の打者を三振に仕留め試合終了。星稜5―4静岡。
試合終了の瞬間

 静岡 2 1 0 0 0 0 1 0 0= 4
 星稜 1 0 1 0 0 0 2 1 X= 5

勝利監督インタビュー①
 試合後の勝利監督インタビューでは、やはり県大会のことに触れ、「あれが今の支えになってます」と語っていました。この精神でどこまでやれるのか、楽しみです。
                              *
 第三試合は日本文理(富山)vs.大分(大分)。
 序盤は互角。しかし同点の7回裏、日本文理の攻撃で先頭打者が二塁打、続く打者の中前適時安打で勝ち越し。さらに二年生が右越え2点本塁打。強打者ぞろいです。守備も堅実。
 「これが北陸のチームなのか」。日本文理5―2大分。
勝ち越しタイムリー 2点本塁打

 大 分 1 0 0 0 1 0 0 0 0=2
 日本文理 0 0 0 2 0 0 3 0 X=5

三振で試合終了 勝利監督インタビュー②
 試合後の勝利監督インタビューでは、「うちはバントのような小細工はできない。ただ打つだけ」といいました。それもひとつのカラーだと思うけど、勝ち上がるためにはバントや盗塁など小細工も必要になってきます。どこまで通用するか、楽しみです。
                              *
 一昨日の敦賀気比(福井)も含めて、今年の北陸勢はやるじゃないか。
 そう思っていたら、第四試合でぶっ飛びました。
 1回表に一挙8点を取られた大垣日大(岐阜)が藤代(茨城)に12―10で逆転勝ち。

 藤   代 8 0 0 0 2 0 0 0 0=10
 大垣日大 4 0 0 0 1 1 3 3 X=12

 「私の野球人生でこんなことは初めて。涙が出た」と大垣の坂口監督。
 私としては関東の藤代に勝ってほしかったけど、これは大垣の粘りを褒めるしかない。
 感動もしたけど、ドッと疲れました。
 甲子園大会の第1日目、第一試合は春日部共栄vs.竜谷大平安。
 埼玉と京都。私にとっては(現)地元と故郷の対戦。う~ん、どっちを応援すればいいんだ?

 私が高校野球で応援するのは漠然と優先順位があって、まず北(北海道・東北・北陸)の高校>次に関東>そして九州>四国>中国>中部・東海>近畿の順(近畿は最後です)。ただし京都は別。
春日部共栄ー龍谷大平安①
 今や埼玉は私の地元。春日部共栄の試合は先月(07/20)大宮公園野球場(県立大宮球場)で観たので、愛着があります。(参照
 私の印象としては「春日部共栄はよく鍛えられている。守備は堅実、攻撃は大砲はいないけど、コツコツ当てるマシンガン打線。試合運びも上手い」

 今年の埼玉地方大会は浦和学院、埼玉栄など有力校が姿を消したため、春日部共栄にとってラッキーといわれていましたが、実力も備わっていると感じました。
春日部共栄ー龍谷大平安②

 一方の竜谷大平安は春の選抜大会に優勝しているし、春夏連覇を狙う優勝候補。
 春の大会で見た限りでは投手力はいいし、そつなく点を取る試合巧者と見ました。

 試合は1回表に春日部は平安の元氏投手の立ち上がりを攻め、犠飛で先行し、さらに金子、長岡、小林が3連続適時打で一挙5点を挙げました。しかしその後は変わった高橋奎を打ちあぐみ、ゼロ行進。
 龍谷大平安は7回犠飛で1点を挙げ、いよいよ反撃かと思わせましたが、8回無死一、二塁で4番河合が併殺に倒れました。
 9回も走者が出たものの最後は三振で試合終了。5-1で春日部共栄が勝ちました。
春日部共栄ー龍谷大平安③

 春日部共栄 5 0 0 0 0 0 0 0 0=5
 龍谷大平安 0 0 0 0 0 0 1 0 0=1

 平安はなぜ負けたか。
 これは私の勝手な推測ですが、平安は「優勝候補」と騒がれ、選手にも監督にもその意識はあった。
 そこで監督は大会後半、3回戦、準々決勝、準決勝、決勝……の過酷な日程を想定して、「エース温存策」を取ったのではないか。
試合後の挨拶
 それはそれで間違ってはいなかったと思います。
 しかし先発の元氏投手が硬くなりすぎた。これが誤算。球が真ん中に集まり、球速もなかった。春日部にとっては打ちごろの球ばかり。
 ところが二番手の高橋奎は変則モーションながら、速球の伸びもよく、変化球も大きく、春日部打線に点を与えなかった。これなら最初から高橋奎を出せばよかった。
試合後の握手
 私の見たところ、投手の力は、元氏<高橋奎<中田。
 京都大会はそれでよかったのでしょうが、甲子園では通用しません。みんな厳しい地方大会を勝ち抜いてきた高校ばかり。元氏君には悪いけど、先発には荷が重すぎました。
 これが高橋奎or中田なら、初回の5点はなかったはず。現に高橋奎はゼロに抑えたのだから。
校歌斉唱

 結果論といわれればそれまでですが、平安にとって初回の5失点はあまりにも痛かった。
 点差こそ5-1ですが、両校の実力差はなかったと思います。
 今月の俳句会に入る前に、先月句の反省を。
 というのも先生の評価と添削による「修正(?)句」が送られてきました。
 私の出句は

 ①炎天下塩吹く伊達の黒い服(兼題・黒)
 ②朝早く遠出にときめく夏至の空
 ③御堂筋送り送られ夏至の宵
 ④さよならは夕立止むまで預けをり

 ①は一句として自分の表現したことが伝わってきません、ということで修正句は、
 「黒服に塩吹くやーさん炎天下」
 なんでいきなり「やーさん」が登場するのか、意味がわからない。黒服だから? 私は「やーさん」などと関わりたくないし、句に出すのもいやだ。こんな変えられ方は不本意ですッ。

 ②は言葉と表現を煮詰めること、ということで、「早朝に出る吟行や夏至の空」
 うーん、句としては修正句のほうがスッキリしてるけど、こちらとしては、日が長いから「今日は遠くまで行ける」ときめき感を表現したかった。それに吟行の意図はないし。
夏至の空(横須賀にて)

 ③いいですね。恋人と送り送られ、別れを惜しんで。何かオーヤンフィフィの歌が思われます、とのことで、「御堂筋送り送られ夏至の月」
 褒めてくれたのはいいけど、欧陽菲菲じゃなくて坂本スミ子なんだよなあ。前もいったのに。

 ④前句と同じく切ないですね。どっかの飲屋か喫茶店で恋人と別れを惜しんでいるのでしょう。「夕立止むまで」は本音ではなく、止んでほしくないのでしょうね。
 「さよならは夕立止むまで預けをり

 ③④は褒められてほとんど修正はなかったけど、①②はまさに換骨奪胎。
 いくら師といえども、弟子の句をこんなに変えていいのかッ。

 ちなみにオジサン(達人)の「白勝てよ紫負けるな花菖蒲」は、
 「紫と白とが競ふ花菖蒲」に変えられてました。(面白くも可笑しくもない)

 「これじゃ勝負と菖蒲をかけた意図がまったく活かされてない」
 オジサンぼやくことしきり。

 「あーあ、こうまで変えられては我われの面目丸つぶれだなあ」
 (弟子に面目なんてものがあるのかッ?)
 半分ヤケ気味にビールをあおるオヤジふたりでした。

 今月はどのように変えられるのか、楽しみ(?)です。
 御伊勢塚公園の対岸小畔水鳥の郷公園に行くにはおいせ橋を渡ります。
 この橋がどっしりして、なんとも風情があります。
おいせ橋①
 「おや?」
 橋の中ほどから小畔川を見ているうちに、妙な懐かしさにとらわれました。
 この橋は加茂大橋、小畔川は京都の鴨川の上流、高野川に似ているのではないか?
小畔川

 京都の人は「どこが?」と笑うかもしれませんが、思い入れのある当方にはそう見えるのです。
 私だってなんでもかんでも京都に結びつけているわけではありません。さいたま市を流れる「鴨川」なんて京都とは似ても似つかぬひどいもの。
 そういうひどいもの(失礼!)をさんざん見てきた当方にとって、この小畔川はなかなかの風情です。
おいせ橋②
 そこで河川敷に降りてみました。
 このおいせ橋は外から見ると、欄干は鉄製で下はブルーのペンキが塗られていていささか興ざめですが、(これはなかったことにして)河川敷から土手を見る風景もなかなかのものでした。
土手

 それに……。
 この橋がかかる道を「おいせ通り」といいますが、この並木道が実にいい。
 道は広いし、樹木が多いのでひんやりします。
おいせ橋通り

 この道は、春は桜。
 そのあとはハナミズキも咲くそうで、住民にとっては自慢の散歩コースのようです。

 私としては故郷に似た雰囲気をちょっぴり味わえて満足です。
 小畔川を挟んで御伊勢塚公園の向かいにも公園があります。「小畔水鳥の郷公園」
 これは洪水防止のための貯水池だそうです。
小畔水鳥の郷公園①
 そういえば川と池を結ぶ水路があります。
 大雨が降って小畔川の水量が増えると、ここから池へ流すのか。するとどのぐらい池の水位は上がるのか。それで川のほうは大丈夫なのか。興味はあります。(行くのは危険ですよ)
調整口(川側) 調整口(池側)

 この日は雨も降らず、水路の動きはなし。(今日、明日はわからないけど)
 調整水路の池の側ではたくさんの蓮の花が咲いていました。
 蓮といえば伊佐沼ですが、この近辺の人々はここでこと足りるのか。
 とはいえ、この池はすり鉢状になっており、下まで降りられないので身近に見ることはできない。やっぱり伊佐沼に限るなあ……。
小畔水鳥の郷公園②
 そんなことを思いながら写真を撮っていると、背後から「さっき白鳥が飛んで行っただろう」
 「えッ」と振り向くとベンチに坐ったオッチャン。
 そういえば、この池ではなく、小畔川の川面に一羽の白鳥が飛んでいるのを見たけど、あれとは違うのか。

 「白鳥だけじゃなくて、白サギやヨシキリ、カワセミなんかも見られるよ」
 オッチャンはなおもいうけど、こっちは鳥の区別などつかないので、黙って聞いているだけ。

 さすが「水鳥の郷」というだけあって、鳥の種類は多いらしい。
 このオッチャンは地元の人で、それを自慢したいのか。
小畔水鳥の郷公園③

 どうも私はこのテのオッチャンに話しかけられることが多い。
 横浜の山下公園では「ほら、トンビが低空飛行してる。あれを撮れ」とか、「それッ、今がシャッターチャンス!」という、うるさいオッチャンがいて閉口しました。
 あれに比べればはるかにましですが。
 川越市の西部を流れる小畔川。
 その川のほとりに「御伊勢塚公園」があります。
 名前の由来は伊勢信仰の塚がここにあったことからたそうです。
公園入口
 雑木林が鬱蒼と繁り、中央にひょうたん池、そして芝生広場。
 これは涼しい。
ひょうたん池① ひょうたん池②
 もっともここは蔵造りの市街地からはかなり離れ、しかも交通の便がよくない。
 それでも広いし、ベンチや遊具などもあって、近隣の人々の散歩コースになっているようです。
雑木林

 この日も初老のオジサン数人が関西旅行に行ったときの様子を語っていました。
 「まったく、オレはシカが見たかったのに、こいつは大仏が見たいだと」
 「シカなんか動物園で見られるじゃないか」
 「あそこのシカは特別なんだよ」
 「まあまあ、この年になるとなかなかまとまりませんなあ」
 「まったく、みんなわがままで」
 「わがままなのはあんたじゃないか」
 「はははは」
芝生と遊歩道  
 別に盗み聞きしたわけではないのですが、皆さん声が大きいから、否が応でも聞こえます。
 相手を「わがままだ」となじりながらも、けっこう仲がよいようでした。
語り合うおじさんたち
 もっともこちらは赤の他人。
 知らん顔して聞いてたけど、心のなかでは爆笑してました。
 こんな面白い会話が聞こえるのも、この公園ならでは?
 ただし盗み聞きはダメですよ。
 昨日、群馬の館林市では39.5℃(この夏最高気温)を記録したとか。
 東京都内も36℃以上。こちらは都内より内陸なので、もっと暑い。(夜は都内より若干涼しい)
 そこで「彩の国クールスポット100選」を見ると、わが町にもクールスポットあり。
 三芳町の最南端にある「こぶしの里」
小川 ベンチ
 ここは雑木林の崖の下にあって、小川がチョロチョロと流れ(湧水とか)、たしかに涼しい。
 6月初旬にはホタルが飛び交い、毎年「ホタル観賞会」も行われているほど。
 湧水池のほとりには四阿(あずまや)があり、ベンチやテーブルもあるので、ここで読書するのも可能。
 ただし小さな公園で、他に魅力的なものはなし。それに交通の便は至って悪いので、わざわざくる人はいません。
 私も10分もしないうちに退散しました。
湧水池 四阿

 わが家からここにくるには鎌倉街道を通らねばならない。
 これがまた暑苦しい。
 「おや、これは……?」
 畑の一角に咲いた向日葵。
向日葵① 向日葵②
 向日葵畑というほどではありませんが、これはこれで夏の風物詩。
 これで「清涼感」はなかったけど、夏を過ごすにはそれもいいのでは。
2014.08.05 竹林の涼しさ
 ここに「彩の国クールスポット100選」なるガイドがあります。
 そのなかに「羽根倉橋北側の竹林」とあります。
 竹林はたしかに涼しそう、しかも羽根倉橋は比較的近い。
 そこで先日行ってきました。
東側の水田
 埼玉県の中央を南北に流れる荒川。
 私の住んでいるところはその西側で、東側のさいたま市に渡るには(北より)治水橋、羽根倉橋、秋ヶ瀬橋と三つの橋があります。
 羽根倉橋は所沢から続く国道463号(浦所街道)が走っているため、車の通行量が多く、自転車ハイカー(ポタ?)にとっては、ここへ行くまではあまり面白くない。
竹林へ向かう道
 例の竹林は羽根倉橋を渡ったところ、つまりさいたま市側にあります。
 このあたりはゴルフ場も多いのですが、田んぼもあって、のどかな風景。
 細い道を北にどんどん進むと、両側に竹が並んだ道が続きます。これが例の竹林。

 「涼しい!」
 竹のトンネルで道はほとんど木陰(竹陰とはいわない?)ですが、さらに涼しい風が吹いてきます。
 この道は500mほど。「なんじゃ?」
竹林
 たしかに涼しい。
 そして人通りは皆無。その意味ではクールスポットですが、道であることには変わりはない。
 しかもサイクリングロードらしい。
 こんなところでのんびり涼んでいるわけにはいかない。

 一方、自転車ハイカーにしても、細い道なので休む空間はなく、通りすぎるだけ。
 結局ここは自転車ハイカーが通りすぎるのに、「あッ、涼しいな」と一瞬思わせるだけの道だとわかりました。
2014.08.04 志木の宝幢寺
 8月に入って連日暑い日が続きますが、そんなときは近くのお寺に行くのも一興。
 志木市にある宝幢寺(ほうどうじ)は真言宗智山派のお寺。
 起源は不詳ですが、祐円上人が建武元年(1334)に創建したとも伝えられます。
山門 本堂
 境内は樹木が多いため、ひんやりしています。
 とくに本堂右手にある「ヒマラヤ杉」が圧巻。昭和51年(1976)には市の保存樹木に指定されています。
ヒマラヤ杉

 それより目を引くのは12体の石仏。
 弥勒菩薩とか毘沙門天……など、宗派を超えて(?)並んでいるのを見たのは初めて。
12体の石仏群
 しかし、ひねくれものの私にはズラリと並んだことによって、かえって有難みが薄いように思いました。それぞれのご利益のある菩薩が横一線ではなあ。
石仏① 石仏②
 ここは石仏コレクションのお寺?
石仏③ 石仏④

 またここには「河童」の伝説があるそうです。
 昔、柳瀬川で人や馬に悪さを働いていた河童が村人につかまり、焼き殺されそうになっていたのを、ここの住職に助けられ、改心したそうです。
河童像
 今では子どもの健康・学業祈願、家内安全・交通安全などが祈願されてるというから、悪さした河童の恩返し?
 8月に入り、いよいよ花火と盆踊りの季節です。昨年は病室でそれらを見ました。

 灯りのみ音の聞こえぬ盆踊り
 リハビリの手を止め見入る遠花火


 そんなベタな句を詠んでいました。今思うと恥ずかしくなります。
                               *
 その一週間前の「隅田川花火」の日(13/07/27)、病院の廊下の東端の窓から遠くの花火を見ました。
 その日の夕方、私の向かいにいた糖尿病の男が退院しました。
 内科に空きベッドがなく、整形外科病棟に回されたきたのですが、なかなか治らず、予定より早く退院したのです。

 ヤクザっぽい男でしたが、私にはやさしく一日中バカなことばかりいって過ごしました。
 そんな男でもいなくなると寂しい。
                       *
 彼が退院してから二日ほどして、向かいに体格のいい老人が入ってきました。
 眼科の患者で、手術(白内障?)の前日から入院。目は悪くとも口は達者で、私に目の症状や腰の具合などを一方的にしゃべりました。
 ふつうなら家族がくるはずなのに誰もこず。そのくせ必要なものは全部持っていて、看護婦さんに無接する態度は入院慣れしている感じでした。

 翌日の午後、手術が終り看護婦さん数人で運ばれてきました。手術したのは片目だけです。
 麻酔が覚めて、辛そうな声で「目が痛い」
 それを聞いて少し胸が痛みました。

 その夜……。
 しょっちゅう起き上がってペタペタと行き来する。
 うつらうつらしている私の感覚からすれば5分置き。相当トイレが近いようです。まったく傍迷惑なジジイだ。

 翌日になって、「いやあ、昨夜はお騒がせしました。しょっちゅう催すものだから」
 そうまでいわれると怒るわけにもいかず、「大変でしたね」

 朝食後、看護婦さんに眼帯を取ってもらい、じーっと目を凝らし、ややあってうれしそうな声で「見える!」
 それを聞いた私はどんなにうれしかったか・

 長らく入院していると、程度の差はあるものの、こういうことによく遭遇します。
 これらを通じて「人のよろこびを我がよろこびとする」精神が培われていったようにおもいます。(参照
                                *
 老人は午前町に退院しましたが、そのあと入ってきたのが例のガングロオヤジ。
 このご仁のおかげで、私の入院生活はますます面白くなりましたが、すでに述べたので(参照)、ここでは省略します。
 昨日(07/31)はお茶の水で3人の同窓生と会いました。
 その3人とは、
 A君……茨城県T市在住。京都の写真家N君に消息を教えてもらい、新松戸で会い、さらに京都の女流画家の美術展に同行してもらった友人。小、中、高の同窓生。

 M君……千葉県A市在住。近所の幼なじみ。小、中は同じで、高校が違ってからは会わなくなり、その後私は上京。里帰りしたとき一度会い、立ち話するもその後彼の家族は転勤で一家そろって九州へ。「もう一生会えない」と思ったのを、中学の同窓会幹事をしていたN君(故人)の熱心な探索により消息が判明。意外にも関東に住んでいることがわかり、4年前から交流。

 S君……東京都M市在住。小学校の友人。中、高は私立に行き、大学は静岡(こちらは東京)、と離れ離れになるも友好関係は続き、彼が上京してからは3年に一度ぐらい会うようになる。彼の結婚式に出席したこともあり。
お茶の水駅、左は聖橋
 私を含めて4人の共通点は小学校(四錦)の同窓生であること。
 S君と私は同じクラス(6年1組)でしたが、A君とM君は同じクラス(6年2組)でした。
 この3人、私以外はそれぞれ初対面。
 仕事関係なら気を遣うところですが、なんの利害関係もない同窓生。気楽なものです。
 みんなの都合のいい日を調整するのに多少気を遣った程度。
お茶の水駅
 午後4時に待ち合わせ、暑いので、駅前ビルの地下にある喫茶店へ。
 それぞれが手短に「過ぎこし方」を語り合いました。
 「こんな風にして会うとは思わなんだ。最近になって急に旧友関係が広がった」
 「やっぱり長生きはするもんだと思ったよ」
 「オレは85を目処にしてんのや」
聖橋から見る湯島聖堂
 またそれぞれの出自の話にもなり、私が「4月に彦根へ行って自分のルーツを調べた」というと、「そんな怖いことようするなあ」とM君。
 というのは、彼の両親はふたりとも自分の祖先を訪ねてから半年以内に亡くなったというのです。
 「人間は死期か近づいてくると祖先を訪ねたくなるのではないか」、あるいは「祖先を訪ねると、(祖先に)呼ばれるのではないか」と固く信じているらしい。

 「そんなバカな。それは思い込みがすぎるぞ」といっても、
 「いや、わからんぞ。お前が10月ごろ(彦根訪問して半年後)まだ無事だったら考え直す」
 そうまでいわれては、ヤツの迷信を払拭させるために、10月まで生きながらえなきゃならん(?)。
3人の友人

 このあと小学校の同窓会について3人の忌憚のない意見を聞き、多少ながら方針が定まってきました。
 私にとっては有意義なひとときでしたが、彼らには?
 彼らなりに楽しんだことと思います。