「赤狩り」の猛威が吹き荒れる1950年代のアメリカを舞台に、実在のニュースキャスター、エドワード・マローとCBSの番組スタッフが真実の報道のために「マッカーシズム」に立ち向かう姿を描いたノンフィクションの映画です。(2005製作)
 タイトルはマローの番組「See it Now」のエンディングでの挨拶「Everybody, good night and good luck」
タイトル
 1953年アメリカはマッカーシー上院議員による「赤狩り」の恐怖におののいていました。
 その強引な手法に反対しようものなら、「お前もアカだ!」とやられる。その恐怖に文化人、ジャーナリストはなにもいえず、戦々恐々としていました。
エド・マロー①
 そんななかCBSの人気ニュース番組「シー・イット・ナウ」のキャスター、エド・マロー(デイヴィッド・ストラザーン)は、ある空軍兵士が「赤狩り」のため除隊処分されようとしている事件を番組で取り上げ、さらにマッカーシーの虚偽と策謀を徹底批判します。
エド・マロー②
 これに対してマッカーシーが猛反撃。「エドは社会主義者だ」と決めつけます。
 それどころかプロデューサーのフレッド・フレンドリー(ジョージ・クルーニー)らの番組スタッフにも圧力がかかってきます。
マッカーシー上院議員
 しかしCBSの会長ペイリー(フランク・ランジェラ)はエドを支持。新聞や世論もマローを支持し、CBSは完全勝利したかに見えました。
プロデューサー、フレッド
 ところがスポンサーが撤退、視聴率も低下し始めて、番組は時間変更し、スタッフの削減を余儀なくされます。
 「娯楽番組だけがはびこるようになれば、TVはただの箱だ」
 58年、報道番組制作者協会のパーティで、マローのスピーチは憂いに満ちたものでした。
フレッド
  映画ではプロデューサー、フレッド・フレンドリーを演じ、撮影の指揮を執ったジョージ・クルーニーはTVの医療ドラマ「ER」でも知られた俳優ですが、彼の父親はニュースキャスターだったそうです。
エド・マロー③
 それだけにこの「マッカーシズム」には並々ならぬ関心があり、渾身の作ともいえそうです。
 全編モノクロにしたのはマッカーシー上院議員の実像を活かすためだそうですが、そのことで50年代の様子がよりリアルに伝わってくる効果が生まれています。



 この時代はアメリカにとって暗黒時代でしたが、それでも気骨のある言論人がいたのは救いです。とくにマローを権力の手から守ったCBSの会長。
 「総理がやったのだから、もうしょうがない」というどこかの放送局の会長とは大違い。だからこそこの映画は今観る意味があります。
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 昨日(03/29)も暑くなりました。
 そこで「大井弁天の森」(ふじみ野市)へ行ってきました。
 ここも近在では(有名な?)花見の名所。近くなので毎年きています。
大井弁天の森
 大井弁天については昨年述べたので省略しますが、ここに流れる小さな川(正しくは砂川掘用水路)の両岸に植えられた桜が春になると見事に咲くというわけです。
ここはまだ三分咲き
 川にかかる桜といえば、目黒川(東京都)や大岡川(横浜市)が有名ですが、ここはかなり殺風景。(もっとも目黒川はドブ川なので、基本的には似たようなもの)
川岸の桜
 川岸の桜というのは枝先が川面に近づくものですが、その理由は川面に反射した日の光を枝先のセンサーが察知して、そちらへ向かうからだそうです。
 これは2年前、大岡川沿いで、うしろを歩いていたふたり連れのオッチャンの会話によって知りました。
対岸の桜①
 それにしてもここの桜は折れ曲がり方が急です。高さ1.5mのフェンスのはるか上方から折れ曲がって川面に届かんばかり。その長さ4mほどあります。
 これはかなり珍しいのではないか。
枝の下がり具合
 そう思って写真を撮っていたお年寄りに聞いてみると、「そうなんですか」
 なおも目黒川や大岡川との比較を話したのですが、「なるほど」
 なんとも頼りない返事。話しかけるのではなかった。
対岸の桜②
 もっともジイさんにとっては、枝の曲がり具合なんてどうでもいいこと。
 気分よく撮影していた(冥途の土産?)ら、無粋なオヤジ(当方)に話しかけられてとんだ迷惑、という思いなのでしょうか。失礼しました。
花見客
 桜の花の下での会話といえば、昨年ここで聞いた
 「今年も見られてよかったねえ」
 「そうだなあ、来年は見られるかなあ……」
 という老夫婦の会話。
 やはり、これに尽きるのでしょうか。
 昨日(03/28)は5月のような陽気だったので、近くの「山崎公園」(別名・せせらぎ菖蒲園)へ行ってきました。
 ここは名の通り、菖蒲の時期(6月中頃)になると数種類の菖蒲の花が咲き誇り、近在から多くの人が訪れ、埼玉県ではちょっとした菖蒲の名所です。
山崎公園

 しかし今の時期は桜も見ごろ。
 しかもいろいろな種類の桜が一堂に観られるというので、地元の人々の間では絶好の花見どころとして知られています。
熱海寒桜 河津桜 彼岸しだれ
 熱海寒桜、河津桜、彼岸しだれ。
 「河津桜はさすがにもう葉桜ですなあ」「これは咲くのも早いから」

寒緋桜 コヒガンザクラ 陽光桜
 寒緋桜、コヒガンザクラ、陽光桜。
 このあたりも早いのでしょうね。

マメザクラ 敬翁桜 プリンセス雅
 マメザクラ、敬翁桜、プリンセス雅。
 敬翁桜やプリンセス雅なんて初めて知りました。(敬翁桜って年寄りを敬えってこと?)

 他にも横浜桜や八重桜もありましたが、まだ蕾だったので割愛しました。
 桜にこんなにたくさんの種類があったというのがおどろきです。

 桜だけではなく、こんな花も撮りました。
雪柳① 雪柳②
 名前がわからず、何人かに訊ねまわってやっとユキヤナギ(雪柳)であることがわかりました。
 花の名前を知らないのは自分だけかと思っていたけど、お年寄りでも知らない人が多かった。
 だとすると、あまり肩身の狭い思いをすることもないのかな。
 Jリーグ史上初の無観客試合。
 その原因は浦和レッズのサポーターが掲げた「JAPANESE ONLY」の横断幕です
 年配の方は「これのどこが悪いの?」と思われるかもしれません。

 私の覚えている限りでは、北海道の銭湯での「外国人お断り」
 わずか10数年ほど前のことです。東京では考えられない。
 「外国人は(日本の)入浴のマナーを知らないから」というのが業者のいい分ですが、それならマナーを教えればいいこと。これは明らかに差別です。
 当時問題になり、今では北海道も撤廃されているはずですが……。

 お恥ずかしい話ですが、このようなことは私の身内でもありました。
 ある親戚の長老は西洋人を「毛〇」と呼んでいました。
 差別意識はそれほどなかったようですが、昔の人にはこういうことには無神経なところがあり、受け取る側からすればやはり差別です。

 あるとき子どもと一緒にTVの歌謡番組を観ていて、欧陽菲菲が歌っていたら、「こいつは三●人だ」
 困ったな、と思ったものの黙ってました。
 当時息子は小学生(高学年)。
 まさかこのジイさんに同調することはあるまいと思いましたが、息子とはこの種の会話はなかったので、どのように受け止めるのか……。

 息子は知らん顔をしていましたが、私と顔を合わせた瞬間ニコッとしました。その顔は「オレはこのジイさんには同調しないよ」と語っていました。
 コイツ、わかっている。私は安心して、その後もこの種のことを話すことはなかったのです。

 私はこれまで息子に善悪や道徳的なことで叱責したり、説教したことは一度もありません。
 (性格的なことでの注意は一度あります)
 私自身品行方正な人間ではありませんが、少なくとも差別的な表現はしてこなかった。
 子どもはそれをちゃんと見ているのだと思います。

 この長老に対しては、「自分がこの年齢になったら、こんな(差別するような)人間はいなくなるだろう」と思いました。

 ところが先日の「JAPANESE ONLY」の横断幕。
 基本的なことはなにも変わってないのではないか。ガックリしました。
                              *
 余談ですが、我われの子ども時代、近所の銭湯では入墨オヤジが平気で入っていました。
 私の住まいは京大キャンパスの近くで文教地区でしたが、それでも何人かいました。「肌が茹で上がると墨の色がサエるんや」と紋紋を自慢してました。
 今ではどこの銭湯やサウナでも「入墨お断り」との貼紙があります。

 こうしてみると、変遷したのはこれしかないのでしょうか。
 ふじみ野市の地蔵院のしだれ桜を見たら、次は川越の中院、喜多院に行くしかない。

 川越でいちばん早く桜が咲くといわれる中院(なかいん)。
 天長7年(830)慈覚大師によって創建された星野山無量寿寺(せいやさんむりょうじゅじ)の三院(北院、中院、南院)のうちの中院です。
中院のしだれ桜①
 「こっちはしだれ桜だからソメイヨシノより早いのよ。一週間前にはもう咲いてたってよ」
 とはしだれ桜を携帯電話で撮っていた年配女性。
 「4月になってソメイヨシノが満開になると、もっと賑やかになるから、桜を観るだけなら今のほうがいいのよ」
 なるほど。
中院のしだれ桜②
 ここのしだれ桜の樹齢は? と聞いてみると、「およそ100年」とのことです。
 一般にしだれ桜の寿命は約300年というから、まだまだ若い。
 今のところ突っかい棒の必要はなさそうで、安心しました。
                            *
 さてそこから北へ行ったところの喜多院。
 無量寿寺三院のうちの北院からきています。
 その喜多院の入口に咲くしだれ桜。
喜多院のしだれ桜①
 ここの桜は枝が倒れてこないように突っかい棒をしているから老木なのかな。
 桜といい、梅といい、足腰は立たなくなっているのに花は咲く。生殖活動は衰えてないというところに植物の「執念」を感じさせます。
喜多院のしだれ桜②
 喜多院は江戸時代はじめの川越大火で多くが焼失しましたが、天正16年(1588)に入寺した天海僧正(1536~1643)によって復興しました。
天海僧正像
 天海僧正といえば家康の信頼篤く、「実は明智光秀」という説があります。
 しかし喜多院の説明書きには「会津高田(現福島県会津美里町)出身で、比叡山・園城寺などで修行した。関ヶ原の戦い後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画した」とあり、光秀説を否定しています。
 昨日(04/25)靖国神社では標準木に5、6輪以上の花(ソメイヨシノ)が咲いているのが確認され、東京の開花宣言がなされました。
地蔵院のしだれ桜①
 それなら「しだれ桜は早く咲くはず」と、ふじみ野市の地蔵院に行ってきました。
 しだれ桜は江戸彼岸桜の変種で、名の通り春の彼岸に花を咲かせるので、ソメイヨシノよりは早いのです。
地蔵院のしだれ桜②
 地蔵院(真言宗智山派)は鎌倉末期の古刹で、このしだれ桜はふじみ野市指定文化財・天然記念物とされています。
 高さ6.3m、根回り周囲が3.9m、枝張りは最大7.5m。
 樹齢は、市の文化財に指定された時点(昭和53年=1978)で350年前後(江戸時代中頃)というから、現在だと380年以上になります。
地蔵院のしだれ桜③
 通常のしだれ桜の樹齢は300年程度といわれているので、この桜はとっくに寿命を過ぎていて、枝が重力に抗し切れず下がってきます。
 「しだれ桜だから当然じゃないか」と思われるかもしれませんが、最初から垂れているのと枝が弱って下がっているのとではわけが違うので、突っかい棒を施しているのです。
地蔵院のしだれ桜④
 「見事なものねえ」
 と携帯電話で写真を撮っていた年配女性。
 「今年も見られたねえ」
 と杖をついた老人。
 車椅子の方も見受けられました。
地蔵院のしだれ桜⑤
 みなさん、ことのほか老木に対する思いが強いのか、じっと見つめていました。

花桃(中国産)
 天邪鬼の私としては、「桃も見事だぞ」と花桃をパチリ。
 こちらに注目する人はあまりいなかったのです。
 家にいるときはやはり高校野球を観てしまいます。
 印象に残るのは豊川(愛知)vs.日本文理(新潟)(03/22)と智弁和歌山(和歌山)vs.明徳義塾(高知)(03/24)、ふたつの延長戦。

 半世紀以上高校野球を観ていると、戦う前にどちらが勝つか、大体わかるようになります。
 その判断の基準になるのが、①県のレベル、②強豪校、③進学校、④21世紀枠、です。

 ①県のレベルとは、野球の強い県と弱い県。②伝統があり、甲子園の常連で、いつも勝ち上がる。③偏差値は高いけど……。④そこそこ力はあるが、地区の順位とは別の理由で選ばれている。
 はっきりいうと、②は強く、③、④は弱い。(21世紀枠については否定しません)
 これまでざっと見る限り、この法則が当たっています。

 そんなわけで豊川vs.日本文理は「豊川が勝つ」と予想しました。
 ところが日本文理が8回表に1点を入れ、そのまま9回に。日本文理が勝つのか?
9回裏、暴投で球が転々 ホームインで同店
 土壇場の9回裏、ライト前のヒットで二塁走者が本塁を狙ったものの、ライトから好返球。走者が三本間で挟まれ、万事休すと思われた瞬間、捕手の悪送球で同点に。
 それまで堅守をほこっていた日本文理ですが、ここ一番でミスが出るのは県別レベルの違い。
豊川サヨナラ勝ち
 延長に入ってからは「豊川有利」と見ました。
 10回、日本文理が2点を入れたものの、「これは追いつかれる」と思いました。
 案の定追いつかれ、13回2死二塁で打者が左中間にヒットを打ち、豊川のサヨナラ勝ち。
試合終了の挨拶
 日本文理 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 0 0 0  3
 豊   川 0 0 0 0 0 0 0 0 1 2 0 0 1x 4
                         *
 昨日(03/24)の智弁和歌山vs.明徳義塾はどちらも強豪。県別レベルも互角なので、どちらが勝ってもおかしくない。しかし智弁和歌山はしばらくぶりの甲子園出場。
 個人的な感情でいうと、明徳は好きになれない。(松井の5打席連続敬遠のルサンチマン?)
 もっとも第一試合で奈良の智弁が勝っているので、「智弁はもういいかな」という気持ちも。
智弁vs明徳、9回表 智弁vs明徳、9回裏
 この試合も1―1の同店で延長に入りました。延長になれば後攻が有利。
 実際その通りになりました。
 智弁和歌山は延長12回、ホームランで2―1とリードしましたが、その裏、スクイズで追いつかれました。まるで箕島vs.星稜(1979年夏)を髣髴させるような試合。
智弁vs明徳、15回表
 15回(最終回)の表、智弁は2死満塁のチャンスを迎えましたが、二ゴロで凡退。
智弁vs明徳、15回裏、投手の暴投 悔やむ投手
 その裏、明徳義塾は1死満塁。ところが智弁の投手の暴投で三塁走者が還ってサヨナラ勝ち。
 智弁和歌山0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 2
 明徳義塾 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1x 3

 これは本当にどちらが勝ってもいい試合でしたが、智弁に粗さが目立ちました。
 継投策も結果的には裏目。高校生の場合はひとりで投げ抜く精神力が功を奏することが多いのです。
 明徳には、星稜時代の松井に対する5打席連続敬遠のルサンチマンがある、と述べましたが、実は先日、馬淵監督のインタビュー(朝日新聞)を読んで、「もういいかな」という気持ちになりました。
 これについてはいずれ述べたいと思います。
 大相撲春場所が終りました。
 優勝は琴奨菊を寄り倒した大関鶴竜(28)。初優勝です。
 先場所(初場所)は白鵬に決定戦で負けたものの準優勝。これで横綱は確実でしょう。
千秋楽、鶴竜〇ー●琴奨菊
 私の印象では、鶴竜は運動神経だけで勝ち上がってきた力士。飛んだり跳ねたりで、あまりいい感じはしなかったのですが、先場所から力強さが出て、前に出る相撲が多くなりました。
 性格的にはひ弱さを感じさせましたが、このところは落ち着いた表情で、精神的にも強くなったと思います。
優勝が決まった鶴竜

 鶴竜の優勝の他に、今場所は特筆すべきニュースがありました。
 ひとつは琴欧洲(31)の引退。
 ブルガリアの出身で背も高く(202㎝)、顔もよく人気がありました。
 全盛期は力強い相撲で一時は横綱候補にもなりましたが、相手を引き込んでしまうレスリング出身のクセが抜け切らず、墓穴を掘る相撲にイライラさせられました。
 昨年の九州場所に大関から陥落し、初場所では復帰も叶わず、今場所も1勝9敗の成績で、理事長からも「みっともない」といわれていました。
 当人はもっと不甲斐ない思いがあったのでしょう、10日目白鵬にあっけなく投げられて休場、そして引退。
 「思うように相撲が取れず、精神的にも体力的にも……」とのことばにはホロッときました。

 もうひとつは横綱日馬富士(29)、法政大学大学院に合格。
 私はかねがね「モンゴル出身の力士は運動神経が発達しているだけではなく、知力も優れている」と思っていました。
 白鵬は双葉山の伝記をはじめ、相撲に関する文献を読み漁り、「相撲博士」の域に達しているそうです。またその言動から、並々ならぬ知性を感じさせます。
 鶴竜はお父さんが大学教授という学者の息子。モンゴルにいたときは学年でもトップクラスだったそうです。
千秋楽、白鵬・日馬富士、同体と判定
 しかし日馬富士が大学院生とは。おどろきました。
 学科は政策創造研究科で研究計画書の審査や面接などの成績が認められ、合格したそうです。
 法政大学には社会人対象のAO枠というのがあるそうですが、それにしても他の院生と机を並べて勉強する以上、大甘採点で入ったとは考えられず、よくそこまで学力を高めていたものだと感心しました。
取り直し後、日馬富士〇ー●白鵬
 横綱になって周囲からちやほやされ、谷町からお呼びがかかれは、ふつうなら浮かれて遊ぶところ。それが遊びもせずにコツコツと勉強するとは。
 聞くところによると、日馬富士は引退したら大相撲に残るのではなく、モンゴルに帰って政治家か実業家を目指すそうです。
 ともあれ4月から入学するとのこと。相撲と学業、両立してほしいものです。

 白鵬はこれから少しずつ下降線を辿るでしょう。それで気になることがあります。
 「引き落とし」「はたきこみ」、そして相手の頭を押さえつけて勝つことが多すぎる。
 一見「余裕」のように見えますが、これはモンゴル相撲の悪いクセ。そのため出足を鍛えることを怠った? 横綱たるもの、力強い寄りで勝たないと、必ず墓穴を掘ります。
14日目、鶴竜〇ー●白鵬
 その懸念がもろに当たったのが13日目の琴奨菊戦。
 白鵬は相手をなめたとはいわないけど、油断があったと思います。
 ふわっとした立会いで琴奨菊にかっちり組み止められ、琴奨菊からすればこれ以上ないというがぶり寄り。土俵際でなんとか頑張ったものの、土俵を割りました。
 さらに14日目の鶴竜戦。
 これもやはり出足のなさからずるずる後退し、寄り切られました。
 組みついてからの出足のない欠点です。これでは他の力士にも「食いつけばなんとかなる」と勇気を与えます。
 白鵬は今後「引き」「はたき」にこだわっていると、取りこぼしが多くなるでしょう。
8日目、遠藤〇ー●大砂嵐
 あとは遠藤。
 負け越しましたが、相撲は柔らか味を見せました。まだこれから。
 着実に強くなると思います。ただし出足を鍛えること。そうすれば横綱も夢ではないと思います。
 埼玉県を滔滔と流れる荒川。
 その荒川は赤羽付近(東京都北区志茂)で荒川と隅田川に分かれます。
 昔は荒川→隅田川(大川)だったのですが、隅田川の水量が多すぎ、しばしば氾濫するので、「荒川放水路」という人工河川をつくり、川の水を分散しました。
赤羽岩淵①
 ただしそのときの水量によって、隅田川へ流れる水と、「荒川放水路」(=現荒川)へ流れる水を調整する必要があります。
 そこで大正13年(1924)水門がつくられました。これが岩淵水門(通称・赤水門)です。
赤羽岩淵②
 しかしこの水門はご難続きで、相次ぐ地盤沈下で水門の役割を果たせず、昭和57年(1982)そこから300mほど下流に新水門(通称・青水門)がつくられてからは、その役割を終えました。
旧岩淵水門
 旧水門は本来なら取り壊されるのですが、地元の人などから惜しまれ、また土木建築物としての価値が高いと評価されて、保存されることになりました。

 ここは30年ほど前にきたことがあります。
 夏の暑い日でした。
 たしかこのあたりに大きな酒造があり、そこで使っていたポンプの水を飲んだことがあります。
 そのポンプを探したのですが……ない。どこにも見当たりません。
ポンプ井戸の跡①
 そこで近くの交番で聞いたところ、
 「あの酒屋は小山酒造といって、今でもありますよ。えッ、地下水のポンプですか。あれはもうありません」
 この警察官は少し年配の方でしたが、ここに赴任してきたころはすでになかったとか。
 ただし地下水のポンプについては先輩から聞いていて、
 「ランニングのあと、あそこの水で喉を潤したという話しはよく聞きました」
ポンプ井戸の跡②
 その場所を教えてもらいました。
 たしかにポンプ跡。
 私としては「こんな場所だったかなあ」という感じですが、一応カメラに収めました。
2014.03.22 珈琲と茶器
 先日、また川越で友人と珈琲を飲みました。同じ喫茶店です。
 「おや、これは……」
 友人と私ではカップが違う。同じサイフォンから注いだ珈琲なのに。
 友人のは茶色っぽいカップ、私のは白地に黒の模様のカップ。
 不満なのではありません。むしろ私の好みがよくわかってると思いました。
コーヒーカップ
 「これはどういう基準で客に出すカップを決めてるの?」と店主に聞くと、「お客様の服装とか、ネクタイなどで……」
 やっぱりなあ。
 友人は茶色っぽいセーターで、私は上下黒のスキーウエア。
 考えてみれば、この前もそうだった。
テーブル
 やっぱりなあ、と思ったのはそのような店が他にもあったからです。
 西武新宿線小平駅前の喫茶店。
 ここは知る人ぞ知る珈琲の美味い店で、都内の珈琲通が飲みにくる店といわれていました。
 私がカウンターに坐って珈琲を頼むと、出てきたのが黒っぽいカップ。
 同じブレンド珈琲なのに、客によってそれぞれカップが違うのはどうして? と聞いたら、「お客様にふさわしいカップを選んでおります」
 「ふさわしい? そんなのどうして決めるの?」
 「それは、お客様の服装とかネクタイなどで判断しております」
窓の置物
 そのやり取りを近くで聞いていたオバサマたちのグループから茶々が入りました。
 「そうなのよ、この人なんか派手な格好してるから、いつもカップは派手なの」
 「今日は派手なショッキングピンク。前回はやっぱり派手なエメラルドグリーンだった」
 「私なんかいつも地味な茶色のカップよ」
 「そりゃそうよ、いつも地味な服ばかり着てるから。たまにはパーッと派手な服着てきなさい。マスターがどんなカップ出してくるか楽しみだわ」
 そんな会話が交わされてました。
店内

 なるほど、客の服装を見てカップを決めるわけか。
 それなら次回はできるだけショボくれた格好してこようかな。どんなショボいカップが出てくるのか、楽しみだぞ。
 友人が角膜移植の予約をしました。
 しかし希望者は多く、それに対して提供者は少ないので、今予約しても、移植手術ができるのは今年の秋だそうです。
 友人が「移植したら、女性のきれいな顔が見えるようになりますか」と聞くと、医師は即座に「見えますとも!」
 これで移植への希望が涌いてきた、と友人は笑いました。
                             *
 移植ではありませんが、これについて私にも覚えがあります。
 今から20年ほど前のこと。
 当時高校生の息子と映画を観に行きました。
 「シティ・スリッカーズ」(1991)というアメリカ映画でした。
 ところが画面の色彩との関係から(?)か、どうも字幕が見えにくい。
 最初だけかな、と思ったのですが、時間が経過してもやはり見えにくい。
 ストーリーは大体わかるのですが、会話の微妙ないい回しになるとよくわからない。
 私は終始イライラし、見終わったあとは消化不良になりました。
 映画館を出て、「なんだか字幕が見にくかったな」と息子にいうと、「見えたよ」

 ガーン!
 見えなかったのはオレだけか。
 そのとき初めて自分の近視が進んでいることに気づきました。

 それから間もなく、新橋にある大学病院で視力検査をしてもらい、それをもとに吉祥寺の眼鏡屋でメガネを新調しました。
 「うわッ、よく見える」
 新しいメガネで街に出ると、人々の顔がはっきり見えました。

 明大前によく行く喫茶店がありました。
 そこのママは私より10歳ほど年上でしたが、若くきれいな人で、内心憧れていました。
 ところが新調したメガネでそのママを見たとき、「えッ、こんなお婆さん?」
 顔に刻まれたシワがリアルに見えるのです。
 それもシワの一本一本に白粉が塗り込められてました。
 「うーん」
 絶句しました。憧れはガラガラと崩れました。

 しかしその一方、シワの一本一本に白粉が丹念に塗り込められた顔を見ているうちに、「これが女の執念。可愛さというものではないか」
 憧れはなくなったけれど、逆に生々しい色気と親近感を覚えました。

 その喫茶店には相変わらず通いましたが、こちらが引っ越したため、まったく行かなくなりました。
                             *
 「というわけでね。よく見えることの良し悪しはあるよ。しかし総体的に考えるなら見えたほうがよい」
 私の妙なアドバイスに友人は笑いました。
 おとなりの富士見市は埼玉県南東部にある人口約10万7千人の、首都圏のベッドタウン。
 富士山がよく見えるということで、富士見市と名づけられました。
 やはり富士山がよく見えるという「ふじみ野市」とは隣接しています。

 さてこの富士見市、このところご難続き。
 先月の大雪で体育館の屋根が崩落して、手抜き工事が噂されたと思ったら、今回はベビーシッター事件。
みずほ台東口

 この事件は今月14日、横浜市の22歳の母親がベビーシッターを紹介するサイトで知り合った男に2歳と生後8か月の兄弟を預けたところ、兄弟の行方が分からなくなり、17日、警察によって男の家から2歳の男児が死亡していたというもの。
 男は警察の調べに対し、「薬を飲んで寝てしまい、朝、目が覚めたら亡くなっていた」と話しているとのことで、警察は男児が死亡した経緯について調べています。

 母親が男(身代わり?)に子どもを預けたのが新杉田駅。横浜の南部です。
 そんなところからどうして埼玉へ? と思われるかもしれませんが、新杉田から横浜に出て、そこから東横線の東上線直に乗れば、乗り換えることなくみずほ台に着きます。
マンション①
 男のマンションは東武東上線みずほ台駅の東にあって、私が食料品を買いに行く「COOPさいたま・みずほ台店」のすぐ近く。
 どうなっているのか気になって近くに行ってみたけど、すでに非常線や青いシートもなく、マスコミ陣も引き上げたらしく、ひっさそりしてふだんと変わりなし。
 じっと見ているおじさんがいたので、「ここですよね」と声をかけたら、「そうだよ」
 せっかくなので、撮っておきました。
 ついでに男が子どもを遊ばせていたといわれる近所の公園も。
公園
 母親としては、子どもを預かってくれる人が周囲にいなかったのだから、やむを得なかったのでしょうが、ネットで知り合った素性のしれない男にわが子を預けるとはあまりに無謀。

 私たちの場合、息子が赤ちゃんのときは近くに住んでいた義母のペット扱い。当時は「困ったものだ」と思うこともありましたが、今にして思えば、この母親のような状況にはならなかったので、むしろ感謝しています。
マンション②
 ベビーシッターでいえば、アメリカでは女子学生のアルバイトですが、それとて近所や親戚など、素性のわかった間柄。今回のようなネットでベビーシッターを探すなんてことはまずやりません。

 それにしてもこの富士見市、木嶋香苗の事件の現場でもあったし、あまりいいことでは有名になってない。
 東武東上線の駅を三つ(みずほ台、鶴瀬、ふじみ野)も取り、個性的な公園が市のあちこちにあって住環境は恵まれているというのに……。
 昨日(03/18)は春一番が吹いて暖かい一日でした。
 こんな日はトレーニングは楽です。

 ここでまた私のトレーニングメニューについて説明しますと、
 ①仰向けになって、右腕を背中の下に入れて肘を曲げる。
 ②仰向けになって肘をわき腹につけ、肘から先をL字状に曲げる。
 ③仰向けになって腕を横に伸ばし、肘から先をL字状に曲げる。
 ④坐って右手で左肩をつかむ。
 ⑤壁際に立って右腕を壁に沿わせて上に伸ばす。
 これは以前説明した運動と同じですが、以前よりも楽にできるようになりました。
4kgのダンベル
 ⑤に関しては、やる前に4kgのダンベルを10回ほど肩から上に挙げ下げします。
 こうすると比較的楽に右腕を壁につけて上に伸ばせるのですが、そもそも4kgのダンベルを肩から上に挙げることなど、昨年まではまったく不可能。
 そもそもなにも持たない手ぶらの腕を上げることさえできなかったのだから、4kgを持ち上げるなんてとても無理。一生できないと思いました。

 しかし手ぶら状態で挙がると欲が出てきて、「負荷をかけて挙げてみよう」ということになり、500g、1kgを挙げました。しかし4kgはキツイ。
 それでも力を入れると、なんとか1回上がり、それをくり返しているうち、2回、3回……と挙がるようになり、今は10回。
 左腕に比べると、真っ直ぐ上には上がってないようですが、年初めのころに比べれば長足の進歩です。
手首の重り
 今月に入ってからは、左足首と右手首に500gのベルト状の重りを巻くようになりました。
 これだとふつう2生活しているだけで、500gのものを持つ運動をしていることになります。
足首の重り
 今のところくるぶしが痛み、右腕が厄介に思うこともありますが、とくに支障はないのでしばらく続けることにします。
 外出時は外していますが、これで足と腕が強化されるのか、もう少し様子を見たいと思います。
2014.03.18 三月の句会
 先日、俳句会がありました。(出句については別項
 私の投句の結果は
 ①雪掻きの音止むまでは家の中(2)
 ②歩く人車に追はれし雪解道(1)
 ③語らひて珈琲冷めし春の午後(3……特選2)
 ④受験前御浚よりも九度参り(兼題・九)(1)
 (出席10名、出句10名)
雪解道

 票はそこそこ入りました。しかも③の句に入った3票には特選2票が含まれています。
 当句会の選句はひとり5選で、その内いいと思った句に〇(特選)をつけることになっています。

 次に先生の評。
 ①これは気持ちはよくわかる。(「私ならすぐ外に出て手伝う」という声も)
 しかし「家の中」というのがよくない。ここは「籠もりけり」にしたほうがよい。
 ②これは、わだちを歩いていて車に追い払われるという意味ですか。なるほど。
 ③これは歌にあったような句ですが、喫茶店の情景が浮かぶなかなかいい句です。話に夢中になっていたら、コーヒーが冷めてしまった。とくに「春の午後」が効いています・
 ④これは「受験前」というより「受験生」としたほうがすっきりします。
熱心に神頼み

 この日は披講者のW氏が「この句は××さんが選びましたね。その理由をうかがいたい」といきなり当ててくるので、戦々恐々、いつになく緊張しましたが、③の句に特選をくれたのはそのW氏、これはうれしかった。

 特筆すべきは「九条は平和の砦桃の花」(兼題・九)に4票入ったこと。
 このような句が詠まれ、それに4票も入るなんて以前の句会では考えられなかったこと。この句会の政治への関心の高さがうかがわれます。
 私は「季語が動くのではないか」と質問したのですが、「幼い子どもたちの将来を考えてのことだからこれでよい」とのこと。先生としては、このような句も出るのではないかと予想して「九」を兼題にした?

 なおこの日の最高得票句は、
 遍路寺の日の暮れのこる九輪塔(5)
 義父九州姑上州出亀鳴けり(5)
 の2句です。「義父……」はよくわかりませんが、「遍路寺……」はいい句だと思いました。もちろん入れました。

 今回は最高得票こそ獲れなかったけど、「語らひて……」の句に特選2票をいただいたので、よかったと思います。
2014.03.17 あれから一年
 昨日は4月上旬並みの気温でした。
 外へ出てみると、桜のシーズンのような陽気。
 しかし桜はまだなので、隣町富士見市の鶴瀬小学校の前の梅林の梅で我慢することにしました。
梅林① 梅林②
 県道266号沿いにあって、名もない梅林なので、誰も注目する人はいません。
 去年はあちこち梅の名所を訪れましたが、今年はやめました。
 2~3月上旬が寒かったということもありますが、一度行ったところは「もう、いいかな」という気持ちに駆られたからです。
梅林③ 梅のクローズアップ

 そうそう、昨日は東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転がスタートして、一年経った日でもありました。

 私のような横浜好きにとっては願ったり叶ったりだったわけですが、この直通は埼玉県から横浜への客足が飛躍的に伸び、昨年の渋谷~横浜観の東横線の利用客は前年同期比で10.1%増。他のみなとみらい駅で20.4%増、元町中華街駅で9%増とのこと。
 横浜市の調査でも、昨年1年間にみなとみらい地区を訪れた人は7200万人で、前年比500万人増。また「そごう横浜店」でも和光市、朝霞市、所沢市のメンバーズカードの利用客が30%近く伸び、呼び出しも増えたそうです。(読売新聞)

 私はかねがね「東京人は横浜に強い憧れ(コンプレックス?)を抱いている」と思ってましたが、埼玉県民もやはりそうでした。現に俳句会の連中も「横浜行きたいね」
 この願望がどうにか実現できたのも、直通のおかげです。

 むろん私も桜のシーズンから、何度も横浜へ足を運びました。
 横浜まで行けば、そこから京急に乗り換えて、金沢八景、横須賀、さらには三浦半島の先端、三崎口や城ヶ島まで行くことができます。
 ところが……。

 昨年の夏は思ってもみない転落事故。このため私の目論見はあえなく頓挫。
 今年はぼちぼちと取りもどしていく所存です。
 池袋「サンシャイン60」のふもとに美久仁小路があります。
 青江三奈「池袋の夜」(1969)に出てくる路地(飲食街)です。
東入口

 ♪他人のままで 別れたら よかったものを もうおそい 
 美久仁小路の 灯りのように 待ちますわ 待ちますわ 
 さよならなんて いわれない 夜の池袋……

地図の看板

 美久仁の由来は三国(みくに)からきているそうです。
 三国とは……これを説明するとディープな事柄になるので控えます。
美久仁小路①

 この近くに「人世横丁」という路地がありました。
 人の生ではなくて、人の世です。
 ここに「人世坐」という映画館がありました。
 低料金で、ヨーロッパの名画を上映していたので、学生時代よくきました。
 映画もさることながら、「人世坐」とは、人の世を坐る(まもる)という意味だそうです。
 それを知って、池袋というところは「深い」と思いました。



 その「人世坐」は昭和43年(1968)に閉館しました。
 ちょっと寂しい気がしましたが、映画の主力は東口の姉妹館「文芸座」に注がれるようになり、我われはそこに通いました。
 土曜日の夜、オールナイトで高倉健主演の「昭和残侠伝・唐獅子牡丹」(Ⅰ~Ⅴ)を観たのはこの「文芸地下」です。 よかったけど、立て続けに4本、ストーリーがごっちゃになりました。
美久仁小路②

 人世横丁の入口に風俗店があって、一度取材したことがあります。
 いかにも場末のうらぶれた店でしたが、接客嬢は意外に若く、スレてなくて好感が持てました。
 「事情はあるんだろうけど、あんな子が風俗やるとはなあ」
 取材が終って、横丁の赤提灯で苦いビールを飲みました。
 あのころは私も風俗取材をやり始めたばかり。まだ若かった。
美久仁小路③

 その人世横丁はもうありません。
 4年ほど前に取り壊されたそうです。
西入口

 ♪にげてしまった 幸福は しょせん女の 身につかぬ 
 お酒で忘れる 人世横丁 いつまでも いつまでも 
 どうせ気まぐれ 東京の 夜の池袋
 浦和レッズのサポーターが「JAPANESE ONLY」(日本人以外お断り)という横断幕を掲げた問題で、Jリーグは13日、浦和に対して入場者のいない無観客試合の処分を下しました。
 Jリーグ史上初の最も重い処分だそうです。

 報道によると、この横断幕を掲げた3人は浦和レッズのコア(熱心)なサポーターで、そのいい分は「我われは統制の取れた応援をしている。最近では外国人も入ってくるけど、それでは意思統一がはかれない」というものでした。

 これでは差別の意図は明らか。
 しかもクラブはこれを試合が終るまで放置した。この鈍感さ、当事者能力のなさに厳罰が下されたわけです。こうすればサポーター自身の意識も高まるだろうというJリーグ側の意図もあります。

 処罰に対しての異存はありませんが、「外国人が入ってくると意思統一がはかれない」という考えを我われは根底から否定できるのか。

 「外国選手は意思の疎通が難しく、チームの統率が取れない」
 これは「野球の神様」といわれた巨人のV9時代の川上監督のことばです。
 川上さんはそのことば通り、外国選手を取らなかった。それを「純血主義」といって胸を張りました。
 当時はこれがまったく問題にならず、周囲はむしろ「外国選手の助けを借りない名監督」と称賛しました。これが「野球の神様」の真髄です。
 このような考えが払拭されない限り、差別はなくならないと思います。

 一方ファンはどうか。
 今は野球評論家をされている張本勲さんが日ハムから巨人に移ったとき、広島市民球場で一部の地元ファンから「朝〇人は帰れ!」との口汚い野次を浴びせられ、観客席にいたお母様は「聞くに耐えられなかった」と雑誌に語っておられました。
 
 張本選手に対するこの種の野次は、関西在住の友人にいわせると「大阪の藤井寺、日生の両球場では日常茶飯事だった」そうです。「それでも張本選手は黙々とプレーしてた」
 友人の話では、周囲の人々はこの種の野次を不快に思いながらも、怖いので、誰も注意しないとのこと。もちろん野次をチェックする機関など皆無です。

 私は何度か息子と後楽園球場でプロ野球観戦したことがありますが、この種の野次を聞いたことは一度もありません。
 これについて関西の友人はこういいました。
 「それは東京は品がええからや。大阪や広島はもっとえげつないぞ」

 「東京は品がいい」といわれても、私は同意できません。
 というのもこの種の野次は昨今新大久保で行われているヘイトスピーチと同じだからです。
 それに今回処罰を受けた浦和レッズは東京の隣県。
 さらにいうなら2010年に仙台の選手に差別発言して制裁金500万円の処分を科せられたのもやはり浦和レッズのサポーター。

 これでは「お・も・て・な・し」の精神とは正反対。
 果たしてこれで2020年の東京五輪が迎えられるのか。不安です。
 さてその「サンシャイン60」です。
 建てられた当時(昭和53年=1978)は池袋駅東口から見ても高かったように思いますが、最近は周囲に高いビルが林立したため、あまり目立たなくなりました。
池袋東口から見るサンシャイン60
 それでも近くで見上げると高い。高さ239.7mです。
 1990年、東京都庁第一本庁舎(243.4m)、横浜ランドマークタワー(296.3m)が建てられるまでは日本一の高さを誇っていました。
近くから見上げるサンシャイン60
 せっかくきたのだから、展望台に上りました。
 昨年秋に上った大阪の梅田空中庭園、通天閣の展望台よりも高い。
 ただし勝手知ったる東京ゆえ、それほどの感動はありません。

 北の方角は筑波なども見えるとのことですが、この日は視界が悪くとてもそこまで見えない。
 眼下に山手線(池袋~大塚)が見えました。
北方面
 さらに直下は昨日の「東池袋中央公園」
 公園の左上、緑に包まれたところに例の記念碑があります。
展望室から見る東池袋中央公園

 西方は池袋駅東口。西武(PARCO)が前面に出た駅舎ですが、見えるのはJRの線路です。(西武鉄道も走っています)
西(池袋駅)方面

 南東にはスカイツリーが見えるはずですが……。
 かすかに見えましたが、この写真でわかるかな。
南東方面
 展望台フロアには喫茶・レストランがあり、ここで食事することもできます。
展望室・レストラン
 またキッズコーナーもあって、子どもを遊ばせることもできます。
子どもの遊び場も

 ここは30年ほど前、息子ときたことがありますが、そのころに比べると客はめっきり少なくなりました。
 ここより少し高い東京都庁第一本庁舎は無料(サンシャインは大人620円)だし、もっと高いスカイツリーができたからでしょうか。
 「サンシャイン60」は今後どうなるのか。気がかりではあります。
 今や地上300mの「あべのハルカス」が話題になっているなか、池袋「サンシャイン60」になんの意味がある、といわれるかもしれませんが、ここは昔「巣鴨拘置所」でした。
公園からみたサンシャイン60
 戦時中はここで「ゾルゲ事件」のリヒャルト・ゾルゲの死刑が執行されました。
 戦後(1945年秋)からは1958年春まではGHQが接収し、と称され、東條英機など主な戦犯が収容されました。いわゆる「巣鴨プリズン」です。
 そしてここで死刑執行されました。
東池袋中央公園①
 サンシャインのとなりに「東池袋中央公園」があります。
 水の広場の周囲にはベンチもあって、サラリーマンやOLが休んでいる姿を見かけます。またスケートボードやダンスに興じる若者の姿を見ることもできます。
東池袋中央公園②
 その隅にこんもりした植え込みがあり、石碑が建てられています。
 表には「永久平和を願って」と刻まれ、裏にはこう刻まれています。
 「第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、ここで執行された。戦争により悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和55年6月」

 太平洋戦争は国の指導者だけが悪いのではありません。
 「一億総火の玉」といって、国民こぞって(一部反対者もいたけど)戦争を支えていました。
 そこでアメリカは「じゃあ日本国民は覚悟の上なのだな」と原爆を落としました。
 これは人道的に許されることではありませんが、アメリカとすれば総力戦という認識なので、かつて騎兵隊が先住民を根絶やしにしようとした(サンドクリークの虐殺=1864)感覚で原爆投下したのです。
平和記念碑
 そして終戦になってアメリカ軍が占領し、連合国で「この日本をどう処罰するか」が問題になりました。
 本来ならば天皇を含む日本国民全体が重罪に処せられるところ、「天皇や日本国民はむしろ犠牲者。侵略戦争を遂行した国の指導者のみを罰するだけでよしとする」という圧倒的に寛大な処置ですんだわけです。
 こうして東条英機らA級戦犯が処刑されました。これは国際的な約束ごとです。

 これさえ踏まえていれば、近隣国から戦争責任を追及されても、「それは愚かな先人のやったこと。今の我われに責任はない」と突っぱねられるのです。
石碑の裏
 逆にいうと、先人の愚行を一手に引き受けてくれたのがここで処刑された14人のA級戦犯。その意味では彼らも犠牲者、というか我われの「恩人」でもあります。

 だからといってA級戦犯が合祀された靖国神社に首相が参拝していいものではありません。
 これは国際的に見れば、ドイツのシュミット首相がヒトラーの墓参りするようなもの。

 この石碑に手を合わせたとき、首相が本当に不戦を誓うなら、ここでこそ手を合わせるべきではないか、と思いました。
2014.03.12 くも膜下出血
 レスリング女子金メダリスト吉田沙保里選手(31)を指導した父、栄勝さん(61)が昨日(03/11)午前車のなかで亡くなられました。死因はくも膜下出血とのことです。

 くも膜とは脳を保護する3層の膜(外側より硬膜、くも膜、軟膜)のひとつで、この血管が切れて出血するのが「くも膜下出血」です。脳卒中の8%を占め、突然死の6.6%がこれに該当するといわれ、高齢者より壮年期の人に多いのも特徴です。

 治療法として、頭を切り開いて動脈瘤の根元をはさんで止める「クリップ手術」と、太腿の血管から金属製のコイルを送り込んで動脈瘤を埋める「血管内コイル塞栓術」があります。

 私の知人・友人でくも膜下出血で倒れた人が3人います。
 そのひとり内装業の男は40代後半でこの病気になり、クリップ手術で助かりました。その後はごくふつうに生活しています。

 もうひとりは広告代理店の男(当時50歳)
 取引先の会社でトイレに行ったままもどってこないので、相手の人が見に行ったら、個室のなかで意識不明状態、いびきをかいていたそうです。
 救急車で運ばれ、大学病院に緊急入院しました。
 この彼とは仕事上でも関わりがあり、親しかったので、奥さんから連絡を受け、私もすぐ病院に駆けつけました。
 病院の診断ではいちばん重いⅣ期の症状。
 このとき医師から提示されたのか血管内コイル塞栓術。

 これはあとで奥さんから聞いた話ですが、当時(17年前)やりはじめたばかりでこの大学病院では試験段階、そのため手術費用が安く、それが理由で承諾しました。
 「もう喪服の用意はしてました」と奥さん。
 ところがその手術が功を奏し、彼は奇跡的に一命を取りとめました。

 その後も何度か見舞いに行きましたが、「倒れる前は激しい頭痛に襲われた」といいます。
 彼は日ごろから酒量が多く、ストレスも多かったようです。血圧もかなり高かったとか。

 もうひとりはジャズ喫茶のママ。
 いつも夕方開店するのに、平日なのに閉まっている。
 2週間ほど経って行ってみたら、「店主急病につき、しばらく休業します」との貼り紙。
 店は3ヵ月ほど経って再開されました。
 聞いてみると、自宅の階段から転げ落ち、意識を失い、気がついたら病院に運ばれていたとのこと。原因はくも膜下出血。(当時60代)
 手術はしなかったそうです。
 彼女の症状については詳しくはわかりませんが、(軽度だったのか?)手術以外の療法もあると知りました。

 くも膜下出血を引き起こす原因はまだ完全には解明されてないのですが、動脈瘤によるものなので、高血圧の要因(深酒、喫煙、塩分過多、動物性脂肪、ストレス)を取り除けばいいのではないかと思われます。
 私は若いころ頭痛に悩まされましたが、加齢とともになくなりました。
 アルコール、塩分、糖分控えめで、高血圧にならないように努めています。

 それでもいつ何時くも膜下出血に襲われるかわからない。それほど恐ろしい病です。
2014.03.11 あれから3年
 東日本大震災から3年経ちました。
 当日のことはその翌日(11/03/12)のブログで述べたので省略しますが、TVのニュースを見て、「こんな酷いことがあっていいものか」と思いました。
 その後約2ヵ月間ほとんど震災に関連したことばかり書いていました。

 連日のニュースでは被災地の悲しい報道が多く、首都圏でも計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 これは停電のため生産が低下して、実際に物資が不足したのですが、買いだめに走った人もいました。その大半は我われ年配者です。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに、首都圏の年配者は食料品や日用品を買い漁るだけ。

 我われ世代はオイル・ショックのとき上の世代がトイレットペーパーに狂奔する姿を見て、「あんな見っともない真似はしないぞ」と思ったはずなのに、そのときがきたらこれか。一体なにを学んだのか。
 そんな自戒のことばが多かったと思います。

 友人との会話も変わりました。
 「東北のニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙がこぼれるよ」
 「オレなんかつくづく幸せだと思ったよ」
 「東北の人は我慢強いなあ。みんな純朴でいい人たちばっかりじゃないか。それがなんでこんな酷い目に遭うのだ。天の配剤は不公平だよ」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるんだよ」
 この友は、ニュースを見ても自分の無力さに辛くなるだけというから、本心はナイーブなのです。

 「もし大震災に襲われたらどうする」ということも話題になりました。
 これに対して、「オレはもう、いいかな」
 「いや、実際にそうなると、わからんよ。『生きよう』という意欲が湧いてくるのではないか」
 ふだん真剣な話などしたことのない連中とも真面目に論じ合いました。

 「そっちは大丈夫か」
 関西の友人から心配されました。
 大丈夫もなにも、被害に遭われた東北地方を思うと、心配されるのが申しわけないぐらい。
 ときおり余震もありましたが、慣れてくると揺れ具合で「今のは震度2」とか「1かな」とわかるようになりました。 TVで表示を見ると大体当たっています。
 震度3ぐらいではもうおどろかなくなりました。

 当時の我われはナイーブで謙虚でした。
 むろんいつまでも打ちひしがれた気分ではなく、そこから立ち直らねばならないのですが、昨今の政府首脳の様子を見ていると、近隣諸国に対して謙虚な気持ちを失ったように思います。
 私としては、アメリカに諌められる前に気づいてほしかったのですが……。
 昨日(03/09)は「名古屋ウィメンズマラソン」を観ました。
 いつから「ウィメンズ」に変わったのか、「女子」ではいけないのか、よくわかりませんが、スタート時刻が9時10分。他の大阪国際、横浜国際は12時台スタートなのに。

 この局は他局と差別化を図りたいのか、解説者が多く、おまけに彩を添えようと(?)女性タレントが「凄いです」を連発したり、元陸上選手のタレントが坂道を走ったり。
 お前たちの感想なんてどうでもいい。よけいなものが多すぎる。
名古屋城
 しかも中継アナと解説の高橋尚子さんの呼吸が合わず、高橋さんが喋っているのを打ち切ろうとする状況が何度かありました。
 高橋さんは取材したことを喋りたいという気持ちが強く、中継アナは他中継車やCMへの切り替えなど配慮しなければならない。その衝突が露骨に現れた中継でした。

 これは記事を書く私にも心当たりがありますが、取材したことを全部出す必要はありません。
 むしろ不要なことが多く、使うのは20~30%、残りは捨てます。
25km付近の先頭集団
 レースは20kmぐらいまで先頭はダンゴ状態でしたが、ひとり、またひとりと次第に脱落し、33kmを過ぎたあたりから、先頭外国勢3人、それを追う日本勢3人という図式になりました。
先頭の外国勢
 先頭グループはマリア・コノワロワ(ロシア)、エレナ・プロコプツカ(ラトビア)、アグネス・キプロップ(ケニア)の3人。4位グループは木崎良子(ダイハツ)、早川英里(TOTO)、田中智美(第一生命)の3人。
 画面は先頭グループより4位グループのほうが多くなりました。
日本勢3人
 4位グループでは木崎が足を引きずるようになって遅れ、早川と田中のデッドヒート。
 先頭グループではキプロップが遅れました。そのキプロップをふたりが追い抜きます。
早川、田中がキプロップを抜く
 先頭はコノワロワが力強い走りでプロコプツカを引き離しました。

 木崎はもうダメかと思われたのですが、ジリジリと早川、田中に追いつきました。
 日本人3人の争いも田中が遅れ、最終の名古屋ドーム入口付近で木崎が早川に競り勝ちました。

 優勝はマリア・コノワロワ。2時間23分43秒。
 彼女は39歳のママさん選手。マラソン歴は比較的浅いそうですが、背も高く、ガッシリした体格で、さらに練習熱心が実を結びました。
優勝・コノワロワ
 2位のプロコプツカもやはりママさん選手。2時間24分7秒。
 このところマラソンはアフリカ勢が強くなっていますが、東欧勢の健在ぶりを見せつけました。
2位・プロコプツカ

 3位には木崎良子が入りました。2時間25分26秒。
 木崎と最後まで競り合った早川英里は4位。2時間25分31秒。
 5位の田中智美は初マラソンとのこと。健闘しました。2時間26分5秒。
3位・木崎 4位・早川 5位・田中

 名古屋は仕事や観光で何回か訪れているので、愛着があります。
 コースはよくわからないものの、名古屋城の近くやテレビ塔のある大通りが画面に出ると、なんとなく懐かしい気がしました。
 レースは今ひとつ盛り上がりに欠けましたが、景色は堪能できました。
 2ヵ月ほど前、千葉県A市に住んでいる友人との茶飲み話していたとき、こんなことをいいました。
 「家賃を払うのもバカバカしいから、そろそろここを引き払おうかな」

 彼は京都時代、近所に住んでいた幼友だちです。
 仕事の関係で西日本各地に移り住んだ挙げ句、名古屋に終の棲家をつくったと思ったら、また転勤で12年ほど前から夫婦で関東へ。ここで定年を迎え、今は別の仕事をやっています。
 今の住まいは駅前のマンションで利便性はあるけど、だんだん家賃が負担になってきた。
 名古屋の自宅は娘家族が住んでいるけど、彼女たちにもすでに家があり、「お父さんたち、いつ戻ってきてもいいよ」といわれているそうです。

 「といっても、名古屋にそれほど魅力を感じんのや。むしろこっちのほうがええ」
 そういいながらも、「本当は京都に住みたいんや。それも出町柳の近く。毎日鴨川を見て暮らせたらどんなにええか。金がないからあきらめてるけど」
出町柳の加茂大橋
 これに対して私は、
 「京都なんてたまに行くからいいのであって、住みたいとは思わんぞ。オレはやっぱり関東だな」
 と答えたものの、人間の郷愁の強さにおどろきました。

 私にもし金があったら、京都ではなく横浜、それも金沢八景あたりに住みたい。
 あそこなら平潟湾、野島、八景島もいいし、南に横須賀、浦賀、三崎、城ヶ島。
 西に鎌倉、江ノ島。南西に逗子、葉山。北へ行けば中華街、山下公園、みなとみらい……さぞかし毎日が楽しいだろうな。

 ここでSUUMO編集部が調査した「住みたい街」 2013年版によると……、

 全国では、
 ①横浜市(神奈川県)
 ②京都市(京都府)
 ③札幌市(北海道)
 ④那覇市(沖縄県)
 ⑤世田谷区(東京都)
 ⑥鎌倉市(神奈川県)
 ⑦神戸市(兵庫県)
 ⑧石垣市(沖縄県)
 ⑨大阪市(大阪府)
 ⑩福岡市(福岡県)
 横浜、京都が1位、2位というのはご同慶の至り。(埼玉は圏外)

 そして京都府民の調査では、
 ①烏丸御池 (京都地下鉄烏丸線 他)便利ながら古都の風情も
 ②北山 (京都地下鉄烏丸線)ファッショナブルな北山通
 ③桂 (阪急京都線 他)京都や大阪へのアクセス良好
 ④京都 (近鉄京都線 他)各方面への交通アクセス抜群
 ⑤出町柳 (京阪鴨東線 他)鴨川と風情ある街並み
 ⑥烏丸 (阪急京都線)錦市場で買い出し
 ⑦長岡天神 (阪急京都線)歴史と自然に恵まれた街
 ⑦西院 (阪急京都線)路地を入れば静かな環境
 ⑨三条 (京阪本線 他)三宮 (阪急神戸線 他)京屋敷が並ぶ風情が魅力
 ⑩三宮 (阪急神戸線 他)おしゃれな神戸の中心地

 友人の好きな「出町柳」は5位。寸評にも「駅の前には鴨川が流れ、路地に足を踏み入れると昔ながらの小さな商店街が……。カフェやギャラリーなど個性的な店も点在」とあります。
 なるほど、と思いました。

 ただし関西のアンケートでは
 ①西宮北口 (阪急神戸線 他)「ガーデンズ」誕生で人気上昇
 ②梅田 (地下鉄御堂筋線 他)利便性抜群の大都会
 ③三宮 (阪急神戸線 他)おしゃれな神戸ライフを満喫
 ④千里中央 (北大阪急行 他)成熟の街に若い世代が急増中
 ⑤夙川 (阪急神戸線 他)緑豊かな夙川公園で散策
 ⑥岡本 (阪急神戸線)駅前にショップが充実
 ⑦なんば (地下鉄御堂筋線 他)交通・買い物ともに便利
 ⑧天王寺 (地下鉄御堂筋線 他)再開発で利便性が一層アップ
 ⑨御影 (阪急神戸線)緑が美しい閑静な住宅街
 ⑩芦屋川 (阪急神戸線)全国ブランドの憧れの街

 京都は出てきません。全国と関西圏では京都に対する温度差があるようです。
平潟湾

 ちなみに関東では、
 ①吉祥寺 (JR中央線 他)年代性別問わず絶大なる人気
 ②恵比寿 (JR山手線 他)住むだけでステータスになる街
 ③横浜 (JR京浜東北線 他)異国の香りに包まれる港町
 ④目黒 (JR山手線 他)子育て環境の良さが高ポイント
 ⑤鎌倉 (JR横須賀線 他)休日ライフを重視するなら
 ⑥自由が丘 (東急東横線 他)女性のツボを心得た美しい街
 ⑦新宿 (JR山手線 他)エキサイティングな生活に期待
 ⑧品川 (JR山手線 他)大型再開発で話題沸騰中
 ⑨表参道 (東京メトロ銀座線 他)最先端ファッションの発信地
 ⑩中目黒 (東急東横線 他)ぶらぶら散歩したくなる

 3位の横浜というのは、範囲が広すぎて具体性がありません。別の調査では中区(中華街、山手、元町、山下公園などのある)が最も人気があります。
 金沢八景は低いかもしれないけど、そのほうが好都合です。

 とはいえ友人が関東を引き払うというのは寂しい限り。「戻るな」ともいえないし。
2014.03.08 三月の出句
 今月も俳句会があります。三月になったのだから、春らしい句をつくりたい。
 そこで梅を題材にしたのですが、思い出すのは越生梅林。あそこはもともと食用の梅をつくっているところ。花が咲いたときはそれを見せて金を取り、さらに梅干を販売して収入を得る。
 そこで①「花見せて実も商ひし梅の園」
越生梅園と客
 
 とはいえ私には2月半ばの大雪のことが印象としては強烈です。
 私の近所は公共心旺盛な人が多いので、いつ通っても誰か雪かきしています。こちらはゴミ捨てに出たとき、申しわけ程度にちょこっとやっただけで、あとはまったくやらず。
 そのため雪かきしているところを通るのは肩身が狭い。
 そこで詠んだのが②「雪掻きをする人避けて迂回かな」

 さらに雪解け道は歩きづらい。雪のところは靴が埋まるので車のわだちを歩きます。
 ところがうしろから車がくると、車に譲らねばなりません。
 そこで詠んだのが③「歩行者が車に追はれし雪解(ゆきげ)道」

 暖かくなったので、個人的な感想として④「リハビリの腕軽やかに春日和」

 春の午後、テーブルに置いた珈琲が残ったのを見て⑤「テーブルの珈琲残りし春日和」
テーブルと珈琲

 今月の兼題は「九」。これは詠み込みにくい。
 くねくねと曲がった道を九十九(つくも)というそうですが、そんなことばは使い慣れてない。そこで出てきたのが「九度参り」。これは熱心にお参りするという意味です。
 これを使って⑥「受験生勉強よりも九度参り」と詠みました。

 <推敲の結果>
 ①はボツ。
 ②はさらに書き直し、「迂回」よりも「その間は外出しない小心ぶりに変えました。
 ③歩行者を「歩く人」に。
 ④もボツ。
 ⑤は状況を表現しました。
 ⑥は受験生→受験前、勉強→御浚(おさらい)に変えました。

 というわけで、次の4句を投句することにしました。
 ①雪掻きの音止むまでは家の中
 ②歩く人車に追はれし雪解道
 ③語らひて珈琲冷めし春の午後
 ④受験前御浚よりも九度参り


 この句が通用するのか、楽しみです。
 昨日(03/06)「クローズアップ現代」はアメリカのケネディ駐日大使のインタビューでした。
 NHKに対しては籾井会長の愚行によって、同大使はインタビューを拒否したはず。
 それが急転直下応じたのはどういうわけか。
 籾井氏の辞任と引き換えに応じたかと思ったのです(裏読み?)が、いつまでも拒否していたのではしょうがない、この際アメリカの考えを伝えておこうと意を決したのではないか。
国谷裕子さん
 国谷さんも自ら会長の言動を持ち出して「逃げてはいない」と表明し、その勢い(?)でズバズバ切り込んだように思いました。
 これに対するケネディ大使のことばは、日本は近隣諸国(とくに韓国)と仲よくするようにとのこと。
 
 韓国と不仲の原因のひとつに竹島問題があります。これはアメリカの占領軍がこの海域から撤退したとき、韓国の李承晩大統領が竹島を入れて境界線を引きました(李承晩ライン)。
 日本は抗議しましたが、アメリカはどっちにも味方せず。おそらく日本に対する侵略戦争のペナルティの意味があったのではないか。(私は永久に日本にはもどらないと思います)
 不仲の種をつくっておいて「仲よくしろ」とは……。
インタビュー風景
 さらに同大使はアメリカの世論を引き合いに出しながら、「日本が近隣国と仲よくするためには歴史の逆もどりは許されない」とにこやかにいいました。
 これは韓国や中国の意見に近い。
 というのも米国本土は「日本の右傾化を警戒する」という安倍政権に批判的な風潮だからです。
長崎にて
 ①中国や韓国と仲よくしなさい。②歴史の逆もどりは許されない。
 ここから導き出される答えは、「韓国や中国にある程度譲歩しなさい」ということになります。

 これは安倍政権にとっては完全に逆風。
 閣僚のなかには高市早苗さんなどアメリカ留学してアメリカの考え方には精通している(?)はずなのに、なぜ靖国など参拝するのか。
 安倍首相の靖国参拝は、それ自体「戦争の蒸し返し」の表明であると見なされているので、いくら「不戦を誓った」といっても、「口ではどうにでもいえる」としか受け取られません。
 このような政権の体質では、中国、韓国との和解は無理です。
被災地にて
 「河野談話・村山談話の見直し」などとやってると、アメリカ国内で中国・韓国の発言が強くなり、日本の旗色はますます悪くなります。

 安倍首相の仲間である大阪の橋下市長も、昨年12月の首相靖国参拝に関して、「先の大戦は『侵略だった』とはっきり言ったらいい」といっています。(2013/12/27 朝日新聞)
 だったら、先人の愚行を認めろよ。
 先人といってもごく一部、たった14人のA級戦犯を(悪いけど)血祭りにあげるだけ。
 「あれ(南京虐殺も慰安婦も)は愚かな先人のやったこと。我われ世代には関係ない」
 と私より若い世代の安倍がなぜいえない。簡単なことじゃないか。
 ドイツはこれをやったから、フランスなど隣国と和解できたのです。
ケネディ大使
 賠償はもう済んだのだから、「これ以上責めないでくれ」といえるはず。
 (まさか、まだ疚しいことがあるんじゃないだろうね?)

 ケネディ米国大使は「歴史は前に進めないと……」といっています。
 変な片意地を張らないでドイツを見習えよ。「暗い日曜日」(一昨日紹介)という映画もつくっているし。過ちを認めるのはちっとも恥ずかしいことじゃない。
 そのほうが前へ進めると思うのですが……。
 俳句会に関して、お婆さんたちの行動は身勝手だけど、それで会をやめるのも身勝手ではないか、と思われるかもしれません。
 たしかに身勝手。
 しかし私には「選択の自由」があります。そして「自由意志で選んだことについては不満やストレスがあってはならない」と考えています。

 友人関係や習い事、趣味の会などは、自分の自由意志で選んだものです。したがって「我慢や不満」などあろうはずがない。
 「会っても楽しくない」「陰で愚痴や悪口をいっている」関係は真の友人とはいえないのです。

 私には数人の友人がいますが、不満やストレスはまったくありません。
 ときには「変だな」と思うことがありますが、それぐらいなら看過します。
 しかし「コイツ、いやだな」と思ったら、もう終わりです。

 これとは反対に、我慢や義務の伴う関係があります。
 親戚関係や仕事上のつき合いがそうです。
 親戚は切るわけにはいかないし、仕事関係は収入に響いてくるので簡単に切るわけにもいきません。これは私も我慢します。
 このような関係を依存関係といいます。

 しかし自由意志で選んだ関係なのに、往々にして依存関係になってしまうことがあります。
 私の従弟でジャズピアノをやっている男がいます。
 本業は工業デザイナーで、ピアノは趣味。年に何回か都内のジャズ喫茶で他のパートの連中とジャムセッションを行います。
 「いい趣味だね」といったら、「それがけっこう辛いものもあるんですよ。人間関係が」といいました。
 そのいい方が愚痴っぽかったので、「そんなに辛いならやめたら」といいました。
 これは「好きでやってることに不満をこぼしてはいけないよ」という私なりの叱咤激励だったのですが、最終的には理解してくれたようでした。

 理解されなかったケースもあります。
 親戚の年配女性。この人はある踊りの会で日本舞踊をやっていたのですが、「のけ者にされた」とか、「私だけ知らされなかった」など、人間関係の愚痴がしょっちゅう。
 聞くに耐えず、「そんなにいやならやめたら」といったところ、「そうはいかないのよッ。あんたは若いからなにもわからないのよッ」と烈火のごとく怒られました。

 そのとき私はこう思いました。
 「上達のための努力は必要だけど、それはストレスではない。しかし人間関係のトラブルなど自分の努力では手に負えないストレスは我慢する必要はない。自分の意志で選んだ道なのだから、また選び直せばいい」と。

 あれから数年。私はそのときの思いを未だに持ち続け、(俳句会で)実行しました。
 今ではもう故人になっているその女性の墓前でこういいたい。
 「オレはやめたよ。でもなんの不都合もなかったし、むしろ清々したよ」
2014.03.05 暗い日曜日
 10代のころ「暗い日曜日」という唄を聞いたことがあります。
 ダミアという歌手が歌っていて、陰鬱な曲でした。当時はシャンソンとばかり思っていましたが、元はハンガリーの楽曲だそうです。
 その作曲者にまつわる小説を映画化したものがこの「暗い日曜日」(Gloomy Sunday)(1999=ドイツ・ハンガリー共同制作)です。
タイトル
 ラズロ(ヨアヒム・クロール)は首都ブダペストにあるレストラン・サボーの経営者。
 ウエイトレスのイロナ(エリカ・マロジャーン)とは相思相愛の仲ですが、アンドラーシュ(ステファノ・ディオニジ)という青年をピアニストとして雇い入れたことによって、次第にイロナとアンドラーシュは惹かれ合います。ラズロはそれを容認し、奇妙な三角関係になります。
イロナ ラズロ アンドラーシュ
 イロナの誕生日にアンドラーシュは自ら作曲した「暗い日曜日」を演奏します。
 それは居合わせた人々の共感を呼び、それを聞きたさに店にくる客も増え、さらにその曲がレコード化されて、世界中に広まります。
① ②
 その一方、「暗い日曜日」を聴きながら自殺する者が後を絶たないということを聞かされ、アンドラーシュは悩みます。
③
 そこへかつての常連客であったドイツ人のハンス(ベン・ベッカー)がナチスの幹部としてブダペストにもどってきました。
ハンス
 若いころはイロナに振られて川に身投げし、ラズロに助けられたほどのナイーブな青年だったハンスですが、ナチスの権力をバックに横暴な男になっていました。
 その振る舞いに抗議するようにアンドラーシュは自らの頭に拳銃自殺。
④
 ハンガリーにもナチスによるユダヤ人迫害の手が伸び、ユダヤ人のラズロにも身の危険が迫ってきます。イロナはハンスに身を呈してラズロの出国を懇願しますが、ハンスはそれを裏切ってラズロをアウシュヴィッツに追いやりました。
⑤ ⑥
 50年後、レストラン・サボーで80歳の誕生日を祝っていたハンスは、「暗い日曜日」が演奏されるなか突如倒れ、絶命します。死因は心臓麻痺とのことですが……。
 ハンスの死を見届けたイロナは息子と祝杯をあげます。復讐は終わりました。
DVDの表紙
 非常に重い映画です。(一部紹介
 陰鬱なメロディが全編に流れるなか、男女の愛が繰り広げられ、戦争の悲劇が進行します。
 この映画は男女の愛情劇ですが、スピルバーグ「シンドラーのリスト」(1993)のアンチテーゼ版といえなくもない。むしろ「シンドラー……」を凌駕しています。
 ドイツがこんな映画をよくつくったものだと思いました。

 このところ図書館などで「アンネ・フランク」の本が切り裂かれる事件が多発しています。
 誰がなんのためにこんなことをするのかわかりませんが、この映画を観ればとてもそんなことはできないと思います。甘いでしょうか。
 怒りの感情を上手にコントロールする「アンガーマネジメント」が教育分野やスポーツの指導現場で注目されているそうです。

 それによると、「怒るのはかまわない。怒りはエネルギーになる。ただし、3つのルールを守ること」だそうで、①自分を傷つけない、②相手を傷つけない、③物を傷つけない、が鉄則です。

 身の回りでは、怒りというよりムッとしたことはあります。
 それは昨年秋、婆さんたちの姑息な多数派工作によって俳句会の会場を変えられたこと、そして先月、図書館で以前あった地図帳が「なかった」ことにされたことです。

 これについて、俳句会はさっさとやめて別の俳句会に移ったし、図書館には文句をいったところ認めてくれたので、怒りにまでは発展せずに終わりました。
 したがって身の回りのことでの怒りはありません。

 しかしニュースなどを見て怒ることが多くなりました。
 昨年暮、安倍首相が靖国神社を参拝したときは「これはいけない」と思いました。さらにアメリカへの釈明として、「参拝は日本人の総意である」といったことに憤慨しました。
 「総意とはなんだ、オレは賛成してないぞ」

 それからつまらないことをいったり、理事に辞表を書かせたりする(書くほうも書くほうだ!)NHKの会長。コイツのおかげでケネディ大使はNHKのインタビューを拒否しました。
 首相周辺は鈍感ですが、海外は敏感です。
 このままいくと、日本は世界の恥さらしになり、やがて国益を損ないます。

 さらに最近のヘイト・スピーチ。
 これは不愉快だし、日本人自身が恥ずかしい。
 3年前の東日本大震災ではあんなに日本人のモラルの高さが世界中に称賛されたのに。

 そしてそれに輪をかけるように、図書館などでの「アンネ・フランク」本切り裂き事件。
 ヘイト・スピーチと一脈通じるような気がして、不愉快です。

 こうしてみると、私の怒りは私憤ではなく公憤?
 先ほどの怒りのルール、①自分を傷つけない、②相手を傷つけない、③物を傷つけない、には抵触してないけど、憤りの持って行き場がないだけによけい腹立たしい。
 昨日(03/02)は第69回びわ湖毎日マラソンを観ました。
 これは(滋賀県)大津市の皇子山陸上競技場をスタートし、瀬田川沿いに下り、瀬田川洗堰を渡って東岸の道を上り、瀬田浄水場で折り返し、往きとは逆のコースを辿って皇子山陸上競技場にもどるというコースです。
スタート
 私の注目は埼玉の星、川内優輝君。
 しかし表情が今ひとつ冴えない。以前はもっとオーラがあったのに、今回はほとんどなく、どんよりしている。
 20km付近までは先頭グループにいたけど、25km過ぎると先頭から遅れ、ずるずると15位に後退。「どうした」
20km付近の先頭グループ 25km付近の先頭グループ
 先頭グループはアフリカ勢ですが、日本人でついていたのは佐々木悟(28・旭化成)のみ。
 「とにかく先頭についていけ」とコーチにいわれたそうですが、いわれたとおり実行するというのが凄い。
遅れる川内
 30kmを過ぎるとキプルト(ケニア)、とウォルク(エチオピア)のトップ争いで、このままふたりで競技場まで行くのかと思っていたところ、佐々木が追いつき、3人で走ることに。
33km付近の先頭
 川内は例によって必死の形相で力走し、じわじわと前のランナーを追い抜き7位に。しかし先頭までは届かない。
川内の力走
 先頭はウォルクがトップで、次いでキプルトが2位で競技場に入ってきました。佐々木は遅れて3位。

 優勝はウォルク。記録は2時間9分10秒。
 2位はトラックでキプルトを抜いた佐々木が入り、日本人トップ。記録は2時間9分47秒。
優勝はウォルク 2位は佐々木悟
  川内はその後も前のランナーをじわじわと抜いて、3位のキプルトに次いで4位に(日本人では2位)。
川内は4位に
 中盤遅れた割にはよくやった、ともいえますが、当人は不本意だったでしょう。
 聞くところによると絶不調だったそうです。
 それでも昨年12月の福岡国際では日本人トップの3位(2時間9分5秒)を評価され、アジア大会代表は大丈夫だろうとのこと。

 それにしても、私としてはもう少しいいところが見たかった。
 先日、川越に住む友人に、「たまには川越で珈琲でも飲まない?」と誘われました。
 この友人はやはり出版社で編集の仕事をしていた人物で、仕事のつながりはなかったのですが、周辺には共通する人物もいて、間接的な関わりはあります。
川越駅東口① 川越駅東口②

 川越で珈琲の美味い店といえば、大正浪漫通りにある「シマノコーヒー」が有名ですが、彼に連れられたのはそこではなく、クレアモール商店街から西に入ったところのビルの1階。店名は「ルミエール」
 ここは店主の都合で、休むこともあるそうですが、この日は開いてました。
店の外観
 「なるほど」
 木をあしらった店内。「カフェ・バッハ」(日本堤)や「珈琲文明」(六角橋)に共通した雰囲気。珈琲の美味い店というのは入っただけでわかります。
店内①
 喫茶店に関しては、作家の常盤新平さんの「東京の小さな喫茶店」という本が印象的です。
 これは常盤さんが原稿を書いたり、人と会ったり、散策中に立ち寄ったりして、なじみになった喫茶店の店主と客の人生模様を描いたエッセイです。
 店はすべて実名ですが、いわゆるグルメ本ではありません。
店内②
 私が当ブログでときどき喫茶店のことを取り上げますが、珈琲やケーキの味が云々というより、自分自身との関わりをメインに書いているのは、いく分この本の影響を受けています。
店内③
 実はこの川越の友人は編集者時代、常盤さんとは親交があり、喫茶店でも一緒になったそうです。(その喫茶店のこともエッセイに書かれています)
 「その常盤さんも昨年、あの世に行っちゃってねえ。寂しい限りだよ」
店内④
 「はい、お待ちどお」
 店主が珈琲を運んできました。
 まずカップをテーブルに置き、サイフォンから注いでくれました。
 「なるほど」
 ひと口飲んで、上品な風味が感じられました。ほどよい苦味で、当然ブラックで飲みます。
テーブルと珈琲
 「最近、美味い珈琲を出す店が少なくなってね。ここなんか今では貴重だよ」
 「そうだねえ」
 たしかに喫茶店が少なくなりました。これについては以前にも述べました。(参照

 この友人とはジャズの話になり、ソニー・クリスというテナー・サックス奏者を教えてもらいました。これについては別の機会にUPします。
店主の愛車
 「その後、常盤さんがたびたび夢枕に立つんだよ。『そろそろこっちへきませんか』って。誘われてもなあ……」
 と友人は笑いました。
 そう、まだ逝ってたまるか。あの世では美味い珈琲も飲めないから。