2014.01.31 旧友との再会
 昨日(01/30)故郷(京都)の旧友と再会しました。
 待ち合わせ場所は後楽園の観覧車の下。しかも友人というのは当時の悪ガキ(?)
 とくれば……映画に詳しい人なら、「ははあ」と思うでしょう。
後楽園の観覧車
 そう、「第三の男」(1949)で、ホリー・マーチンス(ジョセフ・コットン)とハリー・ライム(オーソン・ウエルズ)が会うシーン。
 アメリカ人の作家ホリーは旧友ハリーに会うためオーストリアのウィーンにやってきますが……いろんな事件が起こってハリーとは会えない。ようやく会えたのは遊園地の観覧車の下。


 現実は映画と違って、友人は関東(千葉県A市)在住なので、会おうと思えばいつでも会えるのですが……。

 彼は幼いころからの遊び仲間。悪ガキではなかったけど、やんちゃでした。
 リアカーで路地を走り回ったり、落とし穴をつくったりしました。毎日が面白くて、日が暮れるまで遊びました。

 それも中学まで。高校は別々になったので、いらい顔を合わせることはなくなりました。
 その後、私は進学で上京し、こちらで居を構えました。
 里帰りしたとき、二度ほど立ち話しました。ふたりとも子持ちになってました。
 まだ20代だったのに、「お互い、年取ったな」と笑いました。

 その直後、彼は転勤で家族ごと九州へ行ってしまいました。
 母親に引越し先を聞いても、「そんなん、知らされんかった」
 これでもう一生会えないと思いました。

 ところが5年前、「おう、元気か。ワシや」
 聞けば10年ほど前から、関東にきてるというのです。
 このとき彼の消息を探し出し、私たちを結びつけてくれたのが同窓会幹事のN君でした。

 翌年、池袋で彼に会いました。
 そしてその翌年も。このときは六義園→旧古河庭園を散策しました。
 今回はそれいらいです。
東京ドーム

 「元気やったか」
 そういわれて、思わず去年の夏の骨折事故のことを話しました。「まあ、しょうがない。これも神の思し召しや」
 「ははは。お前らしいな。気ィつけんとあかんで」

 ホリー・マーチンスとハリー・ライムのように観覧車には乗りません。近くの喫茶店に入りました。
 彼は(闇の顔役)ハリーとはまるで違って、人のいいお調子オヤジになっていました。
 「アイツには悪いことをした。(5年前の)同窓会のあと誘われたんやけど、オレは大勢のほうに合流して結果的には蹴ってしもうたんや」
 話題が去年の2月に他界したN君のことになりました。
 「それでも会っただけましや。オレはそのときはは行けんかったから、とうとう会えんかった」
 我われを結びつけてくれたのはN君です。それだけにふたりとも悔しい思いがあります。

 「お互い、身体には気をつけような」
 そういって別れました。近い再会を期待して。
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 先日、骨折箇所の診察を受けてきました。
 前回が11月中旬だったので、2ヵ月半ぶり。
 患部は少しずつ回復しつつあります。
 1日2万歩ぐらい歩けるし、右腕も日常生活になんの支障もありません。

 とはいえ完治したわけではなく、左足は未だに歩くと外側のくるぶしが痛くなるし、右肩は鈍痛、スムーズな曲げ伸ばしはできません。

 そのため朝起きたとき50分ぐらい入念なストレッチ運動を行います。
 その内容は、
 ①仰向けになって、右腕を背中の下に入れて肘を曲げる。
 だだしこれだと体重で腕が圧迫されるので、棒枕を腰と肩の下に入れ、その間に腕を入れます。
 約10分。強張っていた肩の筋肉が徐々に伸ばされ、肩が開いていくのがわかります。

 ②次に仰向けになって肘をわき腹につけ、肘から先をL字状に曲げる。2ヵ月前までは手の甲が水平に着くことができず、45度ぐらいだったのが、1ヵ月前で30度、今は水平に着きます。
 そのままで約10分。これは靭帯を伸ばす運動。

 ③これも仰向けになって腕を横に伸ばし、肘から先をL字状に曲げて頭の後ろに鉄パイプ(ベッドの)を握る。これは2ヵ月ほど前は非常に痛かったけど、最近はかなり痛みはなくなりました。
 約10分。これは外れていた肩甲骨が徐々に元に戻っていくのが実感できます。

 ④坐って右手で左肩をつかむ運動。その際右肘と左手を押し合いすると、右肩の筋肉が軟らかくなって左肩の奥のほうまでつかめるようになります。これはいちばん苦手で、最初は激痛でしたが、最近はかなり痛さは軽減してきました。これも約10分。

 ⑤壁際に立って右腕を壁に沿わせて上に伸ばす。これはまだ180度とは行かず、肩が壁にピタッと着かず隙間が空いています。着けようとするとかなり痛いのですが、続けるしかない。役10分。

 これをやらなくて起床すると、一日中動きが悪いし痛みが激しくなるので、朝多少時間がかかっても結果的にはいいことがわかったので毎朝励行しています。
 それにこれをやっていると、少しずつではあるけど「回復している」と実感することがあります。人間、希望がないとやってられません。
病院(裏側から見たところ)

 「レントゲンで見る限り、足も肩も順調な回復ぶりですね」と主治医。

 外くるぶしの痛みに関しては、「骨自体はつながっているけど、いったんは折れたんだからね。いわゆる『古傷が痛む』というヤツでしょう。しばらく様子を見ましょう」

 右肩に関しては、腕を上げたところ、
 「ほう、リハビリかなり頑張りましたね。あんな大怪我をしてここまで上がるケースはなかなかない。よかった、よかった」

 痛みなどに関しては、金属が入っているのである程度仕方がない、とのことで温湿布を処方され、「次回は5月19日」
 えらい先じゃないか。ということは、もうほとんど問題ないってこと?
 大阪へ行くと、よく入るのが心斎橋周防町筋(通称ヨーロッパ通り)にある「カフェ英國屋」
カフェ英國屋・外観
 今から30年ほど前のこと。
 当時長堀通にクラシックな石造りの歩道橋が架かっていました。
 これは、昔ここが掘割川だったときに架かっていた「心斎橋」を歩道橋にしたものです。
 「さすが大阪。市全体で古いものを残そうとしているのだなあ」
 私は感激して、この歩道橋を何往復もしたものです。(今は橋の一部が残されています)
一部昔の面影を残す心斎橋
 そこをあとにして、ひと休みしようと思っていたところ、目に飛び込んできたのがどっしりした洋館の喫茶店。一見高級店の様相でしたが、先ほどの「心斎橋」と関連している気がして誘い込まれるように入りました。
入口
 1階と2階がありましたが、迷わず2階に上がり、窓際の席に坐りました。
 店内はどっしりと落ち着いて、いかにも大人が入る喫茶店。
店内①
 ここでブレンドコーヒーを頼みましたが、その美味かったこと。
 コクがあって、苦味にも品があります。当然ブラックで飲みました。
 これが「英國屋」との出会いでした。いらい私の気に入りの喫茶店になりました。
ブレンドコーヒー
 息子(当時小5)と入ったこともあります。
 このときは息子に「心斎橋」歩道橋を見せてやったのですが、さしたる感慨もなく、「ふーん」
 それもそのはず、淀屋橋から2kmぐらい歩いたので、相当疲れてました。
 英國屋に入って、ようやく元気を取りもどしました。
 このとき息子が飲んだのは、私と同様コーヒーだったと思います。
置物
 大阪の知人に英國屋のことを話したところ、「おッ、ええ喫茶店、知ってるやんけ」と褒められました。これはうれしかった。
店内②
 ちなみに息子が大人になって彼女と関西旅行に行ったとき、この喫茶店でコーヒーを飲んだそうです。
 「あいつめ、覚えていたのか」
 あれいらい、こちらはなにもいわなかったけど、子どもというのは意外に覚えているものらしい。
 思わず笑いがこみ上げてきました。
 一昨日(01/26)は大阪国際女子マラソンも観ました。
 競技の行方もさることながら、大阪という町に愛着があるので、「今、どこを走っているのか」が気になります。

 今回のレースはペースメーカーなし。
 ということは序盤は飛ばさず、互いに牽制し合うのではないかと思われましたが、重友梨佐(天満屋)、ヤジンスカ(ポーランド)、赤羽有紀子(ホクレン)が積極的に飛ばし、首位に立ちました。
 これは「じっとしてれば後半に強いガメラシュミルコ(ウクライナ)に負ける。ならば前半に差をつけておきたい」という戦略だったと思われます。
スタート① スタート②

 この大会の話題は、今回限りで引退を表明している赤羽(34)とロンドン五輪代表の重友(26)との闘いのような位置づけをしていた(テレビ局)と思われます。
 しかし私は、シビアなスポーツの世界に「有終の美」などで勝てるとはとても思えず、次(アジア大会、リオ五輪)を目指す重友が勝つと思いました。
序盤① 序盤②

 ところが御堂筋に入るとヤジンスカと赤羽が抜け出し、抜きつ抜かれつの争い。しかしヤジンスカがスパートをかけ、首位に出ます。
御堂筋

 重友はかなり遅れました。「満を持して自重しているのかな」と思ったのですが、後続のガメラシュミルコに抜かれ、さらに日本人選手にも抜かれる始末。これはいかん……。
二人の競り合い
 ガメラシュミルコは2位の赤羽に迫ろうという勢い。
 ここで夫の周平コーチが「(ガメラシュミルコと)一緒に首位を追いかければいいんだから」とアドバイスします。
 レースは実際その通りになり、ふたりでヤジンスカを追い抜き、以後(35km)はガメラシュミルコと赤羽の激しい一騎打ち。しかし37km過ぎにガメラシュミルコが猛然とスパートをかけ、そのまま赤羽を引き離し、トップでゴールイン。2時間24分37秒.
 赤羽は笑顔で2位のテープを切りました。2時間26分0秒
ガメラシュミルコ優勝 赤羽有紀子2位

 ガメラシュミルコも赤羽も7歳の女の子を持つママさん選手。
 つくづく母は強い、と思いました。
 それと赤羽の場合、夫の当を得たアドバイスもありました。一家総ぐるみで「有終の美」を飾りました。

 日本選手の2位は一般参加でマラソンの初挑戦の前田彩里(佛教大・22)。2時間26分46秒。
 早くもアジア大会有力候補になりました。
 それにしても重友は64位とは情けない。怪我の回復が芳しくなかったそうですが、ランナーとして華のある選手だけに残念。今後の再起を期待したい。
2014.01.27 大相撲初場所
 大相撲初場所(東京・国技館)は昨日(01/26)千秋楽で終わりました。
 今場所は大関稀勢里が綱取りのチャンスとみんな期待しましたが、序盤から精彩がなく、銀星をばら撒きました。
 初日の豊ノ島などは稀勢里がガチガチになっているのを見透かしたように、激しく揺さぶり、寄り倒しました。
 他の力士からも「カモ」扱いされたような印象を受けました。
11日目、白鵬が琴欧州を破る
 注目していたのは大関から関脇に陥落した琴欧州。
 今場所10勝以上なら大関にカムバックできるというので、大相撲に対する「不信感」が払拭できない私は、「またおかしなことをやるのではないか」と疑っていたのですが、13日目、遠藤に土俵際ですくい投げで負け、カムバックできなくなりました。
 (すると全部ガチンコだったのか)
 琴欧州に引導を渡したのが新進気鋭の遠藤であったことも、新旧交代を象徴しています。
13日目、遠藤が琴欧州を破る
 遠藤はまだ大銀杏が結えないザンバラ髪ですが、相撲をよく心得ており、土俵際がしぶといのが魅力です。これに立ち合いの鋭さを身につければ大関、横綱も目指せるのではないか。
14日目、白鵬が琴奨菊を破る
 今場所は相変わらず横綱白鵬の強さを見せつけられましたが、途中から鶴竜の強さが光りました。
 私は以前からこの力士には不満を抱いてました。
 運動神経が発達しているため、引き技が多く、土俵際も逃げ回って相手の自滅によって勝つということが多いからです。巧いといえば巧いのでしょうが、相撲としては面白くない。やはりグイグイと前に出る相撲でなくては。
12日目、鶴竜が松鳳山を破る 13日目、鶴竜が琴奨菊を破る
 鶴竜は前半こそ引き技が多く、バタバタと逃げ回る相撲でしたが、後半からは力強く前に出る相撲が多くなりました。対琴奨菊戦でもガチッと受け止め、最終的には投げ技で勝ったけど、当たり負けしなかったから。

 それが遺憾なく発揮されたのは千秋楽の対白鵬戦。
 鋭い出足で横綱を土俵際に追い詰め、寄り倒しました。これ以上ないという会心の勝利。
本割では鶴竜が白鵬を破る 優勝決定戦
 これで14勝1敗同士で白鵬-鶴竜の優勝決定戦になりましたが、さすが横綱、同じ過ちはせず鶴竜の左腕をたぐり、抜こうとして腰が浮いたところを一気に寄り切って勝ちました。

 白鵬の強さは今年も続くと思うけど、春場所は鶴竜がどこまでやるか、遠藤が上位相手にどんな相撲をとるか、興味はあります。
 それにしても大関琴奨菊。9勝6敗で勝ち越してカド番は免れたけど、そのうち2勝は不戦勝。勝ちは勝ちだけど褒められたものではない。来場所の奮起を望みます。
2014.01.26 所沢の多聞院
 昨日は午後から少し暖かくなったので、隣町所沢へ行ってきました。
 といっても、町境にある多聞院。自転車で20分ほどのところです。

 多聞院は真言宗豊山派の寺で、山号は宝塔山、寺号は吉祥寺。本尊は大日如来。
 創建させたのは当時川越藩主だった柳沢吉保。
多聞院境内① 多聞院境内②
 彼は元禄9年(1696)このあたりを開村した際、村民のために祈願所として毘沙門社(多聞院)を創建しました。
 これには武田信玄のこんないい伝えがあります。
 信玄は数々の戦場に出ましたが、川中島では上杉謙信の刀から危うく逃れるなど、何度も命拾いをしました。それはすべて兜に忍ばせた金の毘沙門天様(高さ4cm)のおかげである、と。
 その後信玄は没し、天正10年(1582)天目山の戦で武田勝頼が自害して武田氏は亡び、毘沙門天は人の手に渡り、やがて吉保の手に移ったので、武運長久を祈るため、この毘沙門堂を建立し、安置したといわれています。
毘沙門堂
 私たちはそれを外から参拝するしかありませんが。
 目についたのは子育て地蔵菩薩と傘地蔵。
 傘地蔵は息子が小さいとき、絵本を読み聞かせたことを思い出しました。
子育て地蔵菩薩 傘地蔵

 「鬼の悟り」の石像。悟りとは我慢によって得られるものだそうです。
鬼の悟り

 「あれッ、ここは神社なの?」
 境内には天神宮など、神社のお堂があります。
神明社の本殿

 それもそのはず、ここは多聞院創建の後、近隣地域より神明社を勧請し同地域一帯の産土神として祀っていました。しかし明治元年(1868)の神仏分離令によって同院境内の西側は神社(神明社)、東側は寺院としてそれぞれ独立し、今日に至っているのです。
天満宮の祠

 考えてみれば、お寺の境内に神社のお堂があるところはあちこちにあります。

 この寺は牡丹で有名で、4月下旬には300本を超える牡丹が色とりどりの大輪の花を咲かせ、5月1日の「寅まつり」大賑わいになるそうです。
 ノロノロとあっという間に日本中
 これは先日の「デイキャッチ」(TBSラジオ)の時事川柳でチャンピオンになった句です。

 川柳にも詠まれたように、浜松(静岡県)の小学校で猛威を振るったノロウイルスは、山形県の温泉旅館でも食中毒が発生、さらに京都の病院では下痢や発熱が続出、患者が死亡(関連性は不明)するほど。
 昨日になって、広島では市立中学校計10校で生徒400人以上が腹痛や下痢・嘔吐などの症状を訴えて欠席し、臨時休校になりました。
 また千葉県・旭市や神奈川県・川崎市もノロウイルスらしき症状で休校になり、和歌山県では医療機関でも集団感染が発生し、死者まで出ました。

 それだけではなく、全国的にインフルエンザが猛威を振るい、患者数66万人に及んでいるとか。
 国立感染症研究所の調査によると、昨年10月下旬から13週連続で増加し、前週から2倍以上に増えていて、今後も増え続ける不安があります。

 では我われどのようにしてノロとインフルから身を守るか。

 うがいと手洗いの励行はいうまでもありませんが、先日の「おはよう一直線」(TBSラジオ)の藤田紘一郎先生(東京医科歯科大学名誉教授・医学博士)にいわせると、「腸内環境を整える」ことだそうです。これによって免疫機能が高まり、ウイルスや細菌などをやっつけるといいます。

 ところが現代人の腸内細菌の量は戦前の1/3ほどに減っているそうです。
 これは「極端な清潔志向」によって、人間と共存する菌を排除してしまうとのこと。
 皮膚の表面には、悪質な微生物やアレルゲンから身を守る「皮膚常在菌」がいるのですが、洗いすぎるとこの「常在菌」もなくなってしまうそうです。
 むろん帰宅後のうがい・手洗いは必定。

 矛盾していると思われるかもしれないけど、要するに次のことに気をつければいいそうです。
 ●週に4日くらいは有酸素運動
 ●毎日、消毒剤の入っていない美味しい水を飲む
 ●野菜や豆類、穀類、果物を沢山食べる
 ●自然と触れ合う

 さらにイシハラクリニック院長の石原結實先生は「体温を上げること」といいます。
 現代人の平均体温は35度5分、戦前より1度ほど低くなっているそうです。
 体温を上げるには生姜が効果的。生姜紅茶がいいそうです。

 体温を上げるために私が励行していること。
 それは寝る前の入浴。温度は40℃。これに30分入ります。
 今の季節、40℃では入った当初は熱くても、5分ぐらい経つとだんだんぬるく感じます。
 ぬるく感じるというのは自分の身体が温まってきている証拠ですが、ここで出ては寒いので、もう少し我慢。20分ほど経つと頭から、全身から汗が流れ出します。
 私はそれよりさらに5分粘って、じゅうぶん汗が出てから上がり、バスタオルでよく拭き取ります。こうすると身体の芯からぽかぽかするようで、湯冷めはしません。

 よく寝る直前の入浴はよくないといいますが、私の場合、支障ありません。
 もっともベッドに入ってからしばらく「ニュースウォッチ9」を観ていますが。

 これが私のノロ、インフルから身を守る方法です。
 田中将大投手(25)の大リーグ移籍先が「ニューヨーク・ヤンキース」に決まりました。
 7年契約で年俸は総額1億5500万ドル(約161億円)とのことで、破格の待遇です。
田中将大投手①
 「最大限の評価をしていただいた。世界でも名門と言われるチームでやることで、今までと違った気持ちでプレーできるんじゃないかな、と思った」
 彼は仙台市のコボスタ宮城でこう話しました。
田中将大投手②
 前評判ではドジャーズが有力とされていました。ヤンキースの関係者でさえ「夫人が西海岸を気に入っているようだ」とあきらめ気味でしたが、あれは「三味線」だったのか。
ヤンキースの球団旗
 ヤンキースは田中獲得にはことのほか熱心で、金額もさることながら、交渉のプレゼンテーションでは元ヤンキースの松井秀喜氏からのビデオメッセージも使ったといいます。
 これが決め手になったかどうかは不明ですが、なりふりかまわぬ球団の姿勢が感じられます。
 実際にGM(ゼネラルマネジャー)ブライアン・キャッシュマン氏も「田中はプロ1年目の2007年から注目していた。綿密な情報収集によって獲得するべきだと判断した」と語りました。
キャッシュマンGM
 私はこれまで田中投手をハラハラしながら見てました。
 そのピークは昨年の日本シリーズ第7戦。
 9回裏田中が出てきたときは「なんと無謀なことをする」と思いました。
 前日(第6戦)160球投げて肩の疲労はピークのはず。野球は「美学」や「思い入れ」で勝てるような甘い世界ではない。必ず打たれる。
 案の定ヒットを打たれ、二死一、三塁のピンチに立ちましたが、矢野を三振に打ち取り、チームに優勝をもたらしました。
ニューヨークのファン
 このシーン、何度も見ているうちに「これが田中投手の真骨頂ではないか」と思いました。
 田中が矢野に投げた最後の球はホームベース手前でワンバウンドになるようなアウトコース低めの球。打者からすれば、これがストライクに見えるそうです。
 これではいかなる強打者もそう簡単には打てない。
田中将大投手③
 私はこれまで田中投手とライバル斉藤祐樹(早大→日ハム)投手を比較して、「剛速球の田中、頭脳派の斉藤」と見ていましたが、日本シリーズ以来「田中は投球頭脳も卓越している」と思いました。
 大リーグが田中を評価したのはここではないか。

 今回のインタビューを見て、それを感じました。
 例えばヤンキースに決めた理由はなにか、次点候補はどこだったか、については「すみません、いえないです」と明かさなかった。この男、年に似合わず大人の対応ができている。
 松井秀喜氏にも似ている。けっして浮つかない。
 こういうところも大リーグは評価したのではないか、そう思いました。
 ①人魚姫の像。場所は開港広場斜め向かいの北欧レストラン「スカンディア」の角です。
 同店はデンマーク料理の店。デンマークの首都はコペンハーゲン。コペンハーゲンといえば人魚姫というわけ(三段論法?)です……ね。
 けれども人魚姫のバックのレンガの青塗り、あまりにセンスがないぞ。なんとかしてくれ。
喫茶「スカンディア」

 ②汽車道の鉄橋です。
汽車道の鉄橋

 ③臨港パーク、ホテルコンチネンタルの前の岸壁の先端にあります。灯台の役目は果たしていません。
臨海パークの灯台 インターコンチネンタルホテル


 ④大桟橋にある三点ポイントです。三点とはキング(神奈川県庁)、クイーン(横浜税関)、ジャック(横浜開港記念館)の塔のことです。
足マークの先 大桟橋

 ⑤山下公園の東端にある水の広場です。水路が蛇の形をしていますが、これはメキシコのチチェン・イッツァ遺跡のククルカン(蛇の神)を意識したものと思われます。
水の階段

 ⑥開港記念館(ジャックの塔)のバラ窓です。
開港記念館

 ⑦山手234番館。
 入口に4つのドアがあるのは、この建物がもとは4世帯用の集合住宅だったからです。
山手234番館

 ⑧馬車道十番館の前の「牛馬用の水飲み場跡」
 横浜といえども、明治・大正時代の通運手段は牛馬に頼っていました。そのため市内数ヵ所に牛馬飲水槽が儲けられ、牛馬の休憩所にしました。これは磯子区の八幡橋際にあったものです。
馬車道十番館

 ⑨おなじみ赤い靴の女の子の像。横浜駅コンコースにあります。
 山下公園にある銅像より小ぶりです。
横浜駅コンコース

 ⑩金沢区にある称名寺。この箸は阿字ヶ池にかかる真紅の橋。
 敷地内には最古の武家文庫「金沢文庫」があります。
称名寺
 久しぶりに横浜クイズです。知ってりゃあなたも横浜通。

 <ヒント>①レストラン。②当ブログにもよく出てきます。
写真① 写真②

 <ヒント>③灯台の役割は……? ④有名です。
写真③ 写真④

 <ヒント>⑤公園の一部です。⑥これも一度UPしました。
写真⑤ 写真⑥

 <ヒント>⑦ヒントではありませんが、4つのドアの秘密は? ⑧これも一度UPしました。
写真⑦ 写真⑧

 <ヒント>⑨見たことのある銅像ですが、その所在地は? ⑩名所です。
写真⑨ 写真⑩
 昨日(01/19)は第19回全国男子駅伝を観ました。
 京都で行われる女子駅伝と違って、男子駅伝は広島なのでそれほど興味なかったのですが、今回観ると、なかなか面白いと思いました。

 というのも、大学生ランナーに箱根駅伝で走った選手が数名出ているから。
 とくに埼玉には東洋大の設楽啓太、日体大の服部翔大が出ていて、優勝候補にも挙がっているので、にわか埼玉県人としては応援に熱が入ります。
スタート
 発着は競技場ではなく広島市の平和大通り。(7区間、48km)
 一斉にスタートしたのは壮観でした。
1区
 埼玉は2区を終えて30位。
 それでも3区でたすきを受け取った設楽啓太が力走。14人を追い抜いて、16位に。
3区、設楽力走 第3中継所
 その3区は長野の上野裕一郎(DeNA)が区間賞でトップに立ちました。
 以後は群馬、長崎と三つ巴のトップ争い。埼玉も高校生、中学生も頑張ってじわじわと順位を上げました。
7区、長野が首位 7区、服部力走
 アンカーの7区では3位でたすきを受け取ったアンカー矢野圭吾(日体大)がすぐ先頭に立ちました。
 埼玉の服部翔大(日体大)も7位で受け取り、ぐんぐん追い上げて2位グループの群馬、長崎と併走。前を行く長野を追います。
 「しかしこの差(30秒)では、いくら服部クンでも追い抜くのは無理。埼玉は2位狙いに徹しているでしょう」と解説の宗さん。
私としては「追い抜いてくれ」と思っていたのですが、専門家の目はシビアです。
長野優勝
 結果はその通り、長野の矢野圭吾が区間賞の快走で逃げ切り、優勝しました。記録は2時間19分20秒。5年ぶり6度目の優勝です。長野県が強いのは、佐久長聖高校の優秀な人材(現役・OB)を中心にメンバーが組まれているからとのこと。
埼玉が2位
 埼玉もゴール近くになって服部翔大がスパートをかけ、35秒差2位に。よくやりました。
 このところ新年会ラッシュで、俳句会の新年会に続いて骨折(入院)仲間の新年会。
 この日も寒かったけど、H子が車で拾ってくれました。
 その後I子、Y子を拾って、朝霞の市街地に出て、「どこにする?」

 みんな「どこでもいい」というので、私が和食を提唱。
 「じゃあ、あそこにしよう」とH子。
 このあたりは彼女の出身地なので熟知しています。とある和風レストランに入りました。

 「Y子さんは相変わらずリハビリ行ってるの?」
 「うん、近くの整骨医にほとんど毎日」
 みんな(元の病院での)リハビリ期間は過ぎているのですが、Y子は症状が重いので、自己負担でかかっています。
 女性たちには、制度上やむを得ないと理解しつつも、「まだ完治してないのに、突き放された」との思いがあります。
 そのため診察で病院にきたときは、必ず3階のリハビリ室に顔を出しています。世話になったお礼もあるけど、つながりを絶ちたくないからです。

 私もその気持ちはよくわかります。
 療法士さんはよくやってくれたし、いい関係が築けたと思います。楽しいこともありました。
 しかしそれは過ぎたこと。今は胸のなかにしまっておきます。

 「お兄さんは自主トレやってるの?」とI子に聞かれました。
 「やってるよ。じっとしてると痛いから。でもそのおかげで腕が上がるようになった。ほら、こんなに」
 「ほんとだ、すごいじゃん」
 「真っ直ぐじゃないけど、ほぼ180度。先生(主治医)から『上がってもせいぜい120度』といわれたのが口惜しくて、意地でやったよ」
 「今となっては、先生に感謝ね」
 「うん」

 I子はいまだにコルセットが外せないそうです。
 「家では外しているんだけど、外出するときは不安だもの」
 Y子が頷きました。

 私とI子は子育て終了していますが、他のふたりは子どもが小さいので、それなりの不安を抱えていて、ときに愚痴をこぼします。
 それに対してI子はズケズケいうけど、私は聞いているだけ。

 最近気づいたのですが、女性は自ら話し、ただ聞いてもらっているだけで答を出すのではないか。
 私が「お兄さん」と崇めたてられる(?)理由はそこにある。
 でなければ、なんの取り得もないオッチャンを彼女たちが相手にしてくれるはずがない。

 つくづくこの仲間は大切だと思いました。
 俳句会のあと、近くのレストランで新年会が行われました。
 洋風レストランでしたが、料理はすべて和食。これが豪勢で美味しかった。
                         *
 新しく入った俳句会は少人数ながらレベルが高く、なかなかいい句が多い。
 しかも投句用紙に先生が赤を入れて返してくれる。◎非常によい、〇よい、□並選、まあまあ、△もう一歩、▲もう二歩の評価つき。
新年会の料理
 これは丁寧な指導だと思いました。これを読み返して試行錯誤することによって上達するそうです。
 さらに別紙に全員の句を表記し、そのなかの句を選んで寸評。
 私の「大通り銀杏落葉に伸びる影」に対しては〇。
 「大通り」によって、どこか大都会の街がイメージされます。「札幌」かな。真っ黄色の銀杏落葉に自分の影がよく伸びている。大都会での作者の憂愁が感じられます。

 それはいいけど、「五番街の毛皮のマリー忍び泣く」の句はなんだ。
 先生にそこを突っ込むと、頭をかいて「いや、ぼくは高橋真梨子が好きなもので」(俗物だ!)
 まあ、いいけど。(高橋真梨子はいい歌手です)
                   *
 話題が箱根駅伝になると、女性たちが喋るしゃべる。
 「設楽兄妹が可愛い」
 「6区の日下クンもカッコよかった」
 「東洋大は柏原クン(山の神)が抜けたから弱くなったといわれるのがいやだったんだよね」
 「出雲駅伝、全日本学生駅伝では駒沢が優勝したのよ」
 私よりもはるかに詳しい。駅伝を句に詠んだことが恥ずかしくなりました。

 なにかの拍子に、昨年末に観たBS「ドナルド・キーン×瀬戸内寂聴」の対談のことを話したところ、7人中3人が「見た」とのこと。川端康成と三島由紀夫のノーベル賞に関するくだりも知ってました。
 私が「川端さんにノーベル賞とは、選考委員会もどうかしてる」といったところ、「では誰が日本の作家で、ノーベル賞にふさわしいと思います?」と女性に突っ込まれました。
 そこで「横光利一、大佛次郎、司馬遼太郎」と答えると、「山本周五郎は?」
 すると先生が「山本周五郎は世界という観点から見ると、少し弱いかな。藤沢周平も」

 うーん、こんなところで日本文学論を闘わすとは思わなかった。
 ここの年配女性たち、前の句会とは全然違って、とてもひと筋縄ではいかなそう。
 「エライところにきてしまった」
 とはいえ、自分で選んだ以上仕方がない。

 これからどんなことになることやら。恐ろしいようで、楽しみでもあります。
2014.01.17 初句会
 先日、初句会が行われました。
 私の投句は
 ①馬車道をブーツ娘の闊歩せり(兼題・馬)
 ②赤い靴唄ひ終りて除夜汽笛
 ③餅の事故思はず箸止む朝の膳
 ④箱根より戻りし気分三日かな

 この日は出席者が少なく、8名(出句は10名)
 進行は前回通り、短冊に書かれた句をひとり五~六句ずつ清記表に書き入れ、その表をグルグル回して、各自ノートに書き写します。
 そのなかから選句表に並選四句、特選一句を書き入れ、披講者に渡します。
 披講者は順々に読み上げて行きます。ここでは(自分の句を読まれても)名乗りません。

 票数。
 私の句には一票も入らず、全滅。
 ②、④には秘かに自信あったのに。口惜しい。

 先生の寸評。
 ①はレストラン? あ、横浜の馬車道ね。そうかそうか。だとしたら、「闊歩せり」が今ひとつ弱い。どうせなら「ブーツ娘に追い越され」にしたほうが活き活きとした句になります。
 ②は「除夜汽笛」というのがピンとこない。ああ、山下公園(横浜)での年越しですか。うーん、この句からはその情景が浮かんでこない。
 ③は「朝の膳」がつまらない。もう少し工夫があってもよかったんじゃないかな。
 ④はなかなかいい句です。ただちょっとインパクトが弱い。入れる人がいなかったのはそのためかな。

 「かなしみが煮こごりとなる友の通夜」(2)
 「初孫を抱きかねている寒さかな」(1)

 上の二句は私の句ではありませんが、これについて先生からのアドバイス。
 「俳句では、『友』『孫』はなるべく使わないように。これは友=親しい、孫=可愛い、という私情の入ったことばで、イメージが紋切り型になり、句が甘くなるからです」
 初めて聞いたけど、いわれればその通りです。

 「古女房馬耳東風の去年今年(こぞことし)」(3)
 なんとつまらない句と思っていたら、3票も入るとは。

 「五番街の毛皮のマリー忍び泣く」(1)
 てっきりとなりのオッチャンの句だと思ったら、先生だった。ふざけやがって。

 今回の最多得票と特選の句は、
 「初明り押絵の馬の尾が跳ねる」(4)

 前回ほどの格調は感じられなかったけど、やはりいい句です。私も選びました。
 一昨日(01/14)のNHK「クローズアップ現代」によると、なんでもかんでも「ポエムのような優しいことば」に変える運動が若者の間で支持されているそうです。

 これについてコラムニストの小田嶋隆さんは、「企業がやる分にはいいけど、自治体がやるのは胡散臭い」
 ある学者は、「例えば谷津という地名。これをイメージが悪いと変えてしまうと、もとの地形がわからなくなり、災害対策に困るのではないか」と疑問を投げかけます。

 その典型が横浜市金沢区にある京浜急行「能見台」駅。
 ここは以前「谷津坂」という駅名でしたが、昭和57年(1982)に改名されて「能見台」になりました。
能見台駅前
 その理由は京急と行政の巧妙な宅地政策にあります。
 まず谷津というのは谷戸、谷の集落のことで(〇〇谷戸とはある種の蔑称)、宅地販売にはイメージが悪い。
駅の南側、下は16号
 さらにいうと、ここには大きな兵器工場がありました。
 昭和13年設立の「D兵器株式会社」がそれですが、戦後は「N産業」と改称され、機械部品をつくる工場になりました。
 しかし地元の人の話では、相変わらず兵器(銃火器)がつくられていたそうです。
イトーヨーカドー① イトーヨーカドー②
 それを裏付けるかのように、社の景気は戦争に大きく左右されました。
 朝鮮戦争では潤い、戦争が終結すると赤字に転落(昭和29年、会社更正法申請)。
 ベトナム戦争が始まるとまた黒字になりましたが、終ると衰退しました。
 その後はディーゼルエンジンを製作する会社と合併、さらにK機械という大きな会社に吸収合併されて、移転しました。
ビーコンヒルズ①
 その跡地に巨大な宅地構想が持ち上がりましたが、それにはイメージを変える必要がある。
 とくに京急谷津坂駅はほとんどN産業の社員や関係者の利用駅だったため、谷津坂といえば、「ああ、あの兵器工場のあるところね」といわれかねない。
 そこで町名とともに駅名も変えてしまった。
 これについては前ブログ「能見台駅の謎」に詳しく述べました(渾身のレポート?)ので、よろしければご覧ください。
ビーコンヒルズ②
 今、その兵器工場の跡地はイトーヨーカドーと高級住宅街「ビーコンヒルズ」に変わりました。
当時の面影はまったくありません。
 ソチ五輪の出場選手の大半が決まりました。
 話題はスキー・ジャンプの葛西紀明選手。41歳で7大会連続。選手団の主将にも選ばれました。
 直近のW杯では史上最年長優勝を果たしました。立派なことだと思います。
 しかし41歳が代表で出るということは、裏を返せば若い世代が育ってないということ。

 マスコミはW杯の優勝をさかんにいい立てますが、W杯とオリンピックとでは大違い。これまでいやというほど見せつけられました。
 欧米の一流選手はW杯には参加しないか、参加しても小手ならし程度で本気出しません。
 ところがオリンピックになると、目の色変えて本気モードになります。

 それが如実にわかったのがスノーボード。
 長野五輪のとき、女子のハーフパイプで優勝候補と持ち上げられた美人選手。その理由は直近のW杯で優勝したからですが、いざ五輪本番になると有力な選手が次々と大技を決め、この美人選手は入賞すらできない。世界から見れば、並の選手であることがわかりました。

 スノーボードの惨敗はその後も続きました。
 最もひどかったのは兄妹で出た選手。父親と不仲だったとのことで、マスコミへの応対もまったくできておらず、不快感が残りました。

 それでも実力があれば許されるけど、実際勝負になると世界とはほど遠い。
 妹などは境界線からハミ出ないようにズリズリとしがみつくというなんとも見っともない有様。
 「なんでこんなつまらないものを見せつけられるんだ!」
 腹が立ちました。

 とにかく、日本ではマスコミが選手を持ち上げすぎ。
 アメリカ東部に住む従姉にいわせると、アメリカでは出場する前の選手を持ち上げることはほとんどないそうです。
選手によけいなプレッシャーを与えたくないという配慮もありますが、まだ実績も上げてない選手を持ち上げることはない、という実利的な考えもあるようです。
 私もそれでいいと思います。

 北京五輪のフェンシングで銀メダルを獲った選手が、「送り出される前は見向きもされなかったけど、メダル獲ったら急に大勢のマスコミが寄ってきた」といってましたが、それが正しいマスコミの姿です。

 まだ実績のない選手にはそっと送り出せばいいし、国民はなにも期待しなくていいのです。
 昨日の京都駅伝の記事に関連して、とある喫茶店を。
 駅伝のコースでいえば4区と6区、今出川通り京大北門前にある「Cafe進々堂」
 実家のモロ近です。
 私が物心ついたときにはすでにありました。
 東京の伯父がコーヒー好きで、わが家にきたときは子どもの私を連れて、よくきたそうです。
 といわれても、まったく覚えていません。
進々堂外観
 創業は昭和5年(1930)とか。
 ふつうの喫茶店と違って、大きな長テーブルと長椅子。図書館のような雰囲気。
 そのため学生さんが勉強していることが多い。
                        *
 6年前、末期癌の弟に会う直前、ここに入ってカレーセットを頼みました。
 カレーはまあまあだったけど、コーヒーにミルクと砂糖が入っている。しまった!
 私はこれが気に食わない。
 京都で有名な喫茶店「I」は最初からミルクと砂糖が入っています。頼めばブラックで出してくれますが、これがメッチャ苦い。
店内
 私のコーヒー観とはまるで違います。
 私は毎朝自分でコーヒーを淹れますが、じゅうぶん蒸らさず、熱湯をダバダバ注ぐと出るよけいな苦味。心の余裕のなさの表れで、失敗作です。これではミルク・砂糖を入れないと、とても飲めません。
 
 進々堂もミルク、砂糖入りだったか。(その前にも何回かきてるのに気がつかなかった)
 店員さんに聞くと、「最初からおっしゃってくだされば、ブラックで出します」
                        *
 弟と会ったとき、ここのコーヒーのことを話しました。「あのコーヒーは気に食わん」
 弟は笑ってました。
 その1ヵ月半後、弟は他界しました。
奥庭 奥庭席
 久しぶりだな。
 その後京都には3回きたけど、ここへはこなかった。
 この店には奥庭もあって、庭の向こうにテーブル席があります。
 この日は雨が降って、地面も濡れていました。
カレーセット
 やはりカレーセットをコーヒーブラックで頼みました。(私にも学習能力はあります)
 ひと口飲みました。うーん、苦いことは苦いけど、「I」ほどではない。
 これはこれでいいか……。
 弟が笑ったような気がしました。
 昨日(01/12)は京都で開催された「第32回全国女子駅伝」を観ました。
 1区が面白いのは一斉スタートなので誰が早いかすぐわかるから。そのため女の意地がバチバチ。
 最初はゆったりペースで互いに牽制し合うも、残り1kmになって猛スパート。勝ったのは大阪(大森菜月)。以下京都、愛知、熊本、神奈川……でした。
スタート 1区

 2区は高校生、3区は中学生の区間。
 1位で受けた大阪の高松望ムセンビはどんどん抜かれ10位に後退。ところが3区では妹の高松智美ムセンビが小さい身体ながらピョンピョン走り、7人をゴボウ抜きして3位に。姉の不調を妹が取り返すという区間でした。
 その間、愛知を抜いた群馬が首位に。
3区ムセンビの走り

 4区も群馬が首位ですが、4位で受けた木崎(京都)が長野、大阪を抜いて2位に。しかも区間新記録で1位の群馬に迫る勢い。
 この流れは5区でも続き、京都があっさり群馬を抜いてトップに。
 群馬の監督は「5区、6区は我慢の区間」というように京都に離され、さらに愛知にも抜かれて3位に後退しました。
4区銀閣寺から白川通りへ 4区木崎の健闘 5区京都が群馬を抜いた

 8区までは京都、愛知、群馬の順でしたが、9区に入って群馬が愛知を抜いて2位に。そしてぐんぐん京都に迫りました。たすきを受けた時点では38秒だった差が中間点では15秒差に。
 こちらとしては複雑な気分です。
 郷里の京都には勝ってほしいと思う反面、今や関東人としては群馬にも勝たせてやりたい(初優勝)。さらに昨年優勝の神奈川も気になります。

トラック勝負 京都優勝、2位群馬 3位岡山
 勝負は京都が逃げ切り優勝。タイムは2時間15分32秒。
 群馬は差を詰めたものの7秒差で2位に。
 3位は岡山。これは6位でたすきを受けた重友の健闘によるもの。さすがオリンピックランナー、走りに貫禄がありました。

神奈川・森田香織 神奈川・森田詩織
 私が秘かに応援していた神奈川は6位。
 双子の森田姉妹(ともに荏田高3年)の活躍が光りました。
 昨夜(01/11)NHKスペシャル「徹底討論 大人の心配×若者の本音」を観ました。
 内容は、大人が「今の若者には覇気がない」といえば、若者が「こんな社会に誰がした」
 それでも、大人が「そんなキミたちを応援していきたい」、若者が「いろんな人の話に耳を傾けて進みたい」……という結末でいささか陳腐な内容でした。

 それよりも私が気になったのは、討論の内容ではなく、ある女性タレント(コラムニスト?)が若い社会学者に対して、「そんなことより、あんた、私のこと、チラチラ見るの、やめてくれます?」といったこと。
 これはこの人一流のジョークなのかもしれませんが、人として最低。
                           *
 人間はこのような会場に限らず、授業中でも、もっといえば礼拝中でも、人が集まれば気になる異性を見ることがあります。

 例えば俳句の会。生徒はUの字状に坐るので、どうしても向かいの席に目が行きます。
 みんな私より年配ですが、とくに目がとまるのは、そのなかでもきれいな女性。
 (この人、きれいだな。若いころはきっと男にモテただろうな。いや、今でもイケるぞ)
 そんなことを思うと、楽しくなります。

 滅多にありませんが、ときとして女性からの視線を感じることもあります。
 けっしていやではありません。たとえ相手がお婆さん(失礼)でも。
 それはなんらかの好意が寄せられていると思うからです。(勘違い?)
 さらに目と目が合ってにっこりされれば、もう天にも昇る気分。
 それだけで人間は生きる張り合いができるのです。

 人間がある特定の人物を長時間見るというのは、「好意を持っている」か「興味がある」からです。

 これは「赤ちゃんは美人を見分けられるか」という実験でも証明されています。
 生後6ヵ月ぐらいの赤ちゃんに、女性の顔写真を次々と見せたところ、美人に対しては長い間見ていたというデータがあります。長時間見るのはなんらかの好感を抱くからです。

 逆にいやな人物なら見ないようにします。私だってそう。
                            *
 それでこの討論会での女性タレントの態度。
 私からすれば、意識過剰に思えました。「何様?」
 むろん若い社会学者からの視線が気になったのでしょうが、それはなんらかの好意的な視線だと思われます。
 受けたほうはひとつの好意として自分のなかにそっとしまい込むのが人間のやさしさというもの。

 むろん女性の場合、不快なことだってあるでしょう。例えば男からのいやらしい目線とか。
 しかしそれとて黙って無視すればいいこと。
 なにも具体的な行為がないうちから騒ぎ立てることはありません。

 そもそもこの討論では「恋愛できない若者」についても論議されていました。
 それからいうと、恋愛とは心のなかで「この人いいな」と思うところから始まるもの。
 そんなことがわからないこの女性タレントに「恋愛できない若者」を批判する資格はありません。

 若者は「こんなおばさんのようになってはいけない」と反面教師にすれば、必ずいい恋愛ができるはずです。
 昨日は最低気温が0.7℃、最高気温が6℃。
 外に出て、「寒ッ!」
 雪国の人には笑われるかもしれないけど、南関東の人間にはこれでもじゅうぶん寒い。
 (ヤワでスミマセン)
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 しかし北米ではもっと寒く、記録的な寒波に見舞われ、交通の乱れなどが広がっているといいます。
 ノースダコタ州では今後、氷点下51℃まで下がる恐れがあるとして、米気象当局が警戒を呼びかけ、氷点下24℃を記録したシカゴの空港では燃料が凍結し、半数以上の便が欠航したとか。
 ケンタッキー州では脱獄囚が「寒すぎる」と出頭し、路面凍結による交通事故などで全米で少なくとも16人が死亡、7日朝には飛行機約2500便が欠航したそうです。

 日本の寒さも、北米の寒波も、地球温暖化の影響だそうです。
 一見矛盾するようですが、これは北極圏を取り巻く高い氷山が溶けて低くなったため、冷たい空気が日本や北米(東部)に流れ込んでくると気象予報士がいってました。

 冷たい空気が流れ出ていく北極圏は、逆に暖かくなってますます氷が溶けていく。
 シロクマが住めなくなり、今や絶滅の危機に瀕しているそうです。

 アメリカ東部に従姉が住んでいます。
 彼女の便りによると、元日は晴天だったものの、二日早朝から大雪。ほとんどの学校は午後閉校になったとか。
 外の気温は-15℃。風が吹くと体感温度は-25℃になり、寒いというより痛い。これはアラスカより低温だそうです。

 しかし5日(日)になって気温は0℃まで上がってきて、とても暖かく感じたとのこと。
 連日-15℃ぐらいが続くと、-2℃だと暖かくてうれしくなるといいます。

 こっちは0℃だと極寒感覚。
 6℃(プラス)ではとても外出する気にはなれません。
 しかもちょっと雪が降っただけで首都圏の交通は大混乱。南関東は寒さに弱い。

 その点従姉は過酷なところで暮らしていても、不平もいわない。つくづく気丈な女性だと思います。
 先日(01/06)、NHKBSアーカイブ「和あるど・和の音」を観ました。
 日本古来の和楽器、琴や篳篥(ひちりき)、三味線などの独特の響きの秘密を女優・深田あきさんが探るドキュメンタリーです。

 まず和楽器とは風のざわめきや川のせせらぎなど、自然の音を表現した音ということです。
 これは私の妻が琴をたしなんでいたので、ある程度わかっているつもりでした。
 例えば風の音、花びらが散る音、泉が湧き出る音など、琴の音で表します。
詩仙堂①

 しかし今回新たに知ったのは「ひしぎ」と「さわり」
 「ひしぎ」とは、龍笛(りゅうてき)などの管楽器から出る「♪ピッ!」という甲高い音。
 目覚めの音というか、身を引き締める効果があるといわれています。
 これはジャズのハービー・マンの演奏(フルート)で聴いたことがあります。
 彼はメロディにとらわれず即興的に演奏し、ときどき「♪ピッ!」という高い音を奏でました。
詩仙堂②

 似たようなものに川越まつりの「曳っかわせ」があります。
 これは山車と山車が鉢合わせしたとき、双方の神楽が♪ピ~ヒャラ、ピ~ヒャラ、♪テンテケテンテケと演奏し合うことですが、これぞまさしくジャズのジャム・セッション(即興演奏)。
 ということは和楽はジャズに近いのか……。
詩仙堂③

 一方「さわり」とは。
 これは三味線の一の糸を振動させて響かせる音。
 ふつうはギターでもピアノでも弾くと♪ボーンと澄んだ音が響くのですが、三味線の場合は♪ベエエエ~ンと濁った音。西洋音楽ではノイズです。
 これは糸の巻き方に工夫があって、高い音と低い音が交互に響き合うのだそうです。
猪脅し

 これは管楽器にもあって、竜笛つくりの名人が完成品を吹くと♪ピロ~と二音が混じり合った音。
 幼少期からフランスで暮らし、自らもピアノをたしなんできた深田あきさんは「えッ!」
 信じられないという表情。

 彼女はさらに雅楽「越天楽」を聴きました。
 「最初は音が調和してないようで、違和感がありました。しかし聴いているうち、その音がひとつの流れとなって、こちらに迫ってくるのです。それに圧倒されました」
 音楽の要素であるハーモニーもメロディラインも突き抜けている、といいたげでした。
山下洋輔氏

 これについてゲストのマーティ・フリードマン氏(ギタリスト)は、
 「これぞまさにロックのヘビメタ。欧米の年配者はヘビメタを理解できないけど、日本の年配者のほうがヘビメタを理解できるのではないか」

 なるほどと思うけど、日本の年配者がヘビメタを理解できるというのはどうかな。
2014.01.09 初黄飲食街

 昭和33年の「売春禁止法」で廃止された永楽町・真金町の遊郭(赤線)ですが、「赤線が廃止されても青線はある」とばかりニョキニョキ出てきたのが京急黄金町ガード下の「初黄(はつこう)飲食街」
 間口の狭い飲食店がビッシリ並び、なかに化粧した女性が控えています。初黄とは初音町と黄金町の頭文字です。

初黄飲食街の名残り①

 最初は日本人女性ばかりでしたが、次第に東南アジア系、中国系、南米系の女性が多くなり、日本人女性はほとんど見かけなくなりました。
 店はどんどん増え(100→250軒)、大岡川沿いにまで伸びました。
 
 私は大岡川が好きで、都橋、宮川橋、長者橋と川沿いをよく歩いたものでしたが、旭橋を過ぎるとこれらの店が現れ、女たちに「どうぞ」「いらっしゃい」と声をかけられました。
 私は会釈して通りすぎるだけでした。

初黄飲食街の名残り②

 これら飲食店は(風俗)違法営業として何度も当局の取締りを受けました。
 それでも店はあとを断ちません。
 業を煮やした横浜市はガード下に鉄板を打ちつけ、警察官を常駐させました。いわゆるロックアウトです。
 こうなっては業者も手が出ず、飲食街は壊滅状態になりました。
 と同時にあたり一帯はゴーストタウンのようになりました。

現在① 現在②

 そこで横浜市はアートによる町の再生と銘打って「黄金町バザール」なるものを立ち上げました。ざっくりいうと、国内外のアーティストたちに「場所を提供するから、好きなことをやってくれ」ということです。
 
 なるほど、いたるところ作品が展示され、その工房らしきショップが点在しています。
 「ここはアートの鑑賞というだけではなく、自然にアートに向き合える構成になっています。子どもからお年寄りまで楽しめるのがこのバザールのコンセプトです」(主宰者)

現在③

 「中田宏(前市長)はつまらんことをしたよ。黄金町が面白くなくなった」
 日の出町の居酒屋でとなり合わせたおじさんがそう息巻きました。
 彼は富山在住で、出張で横浜にきたときは必ず初黄飲食街で遊んだそうです。
 
 私は遊んだことはないけど、猥雑な景色はきらいではありません。
 それがなくなったのは寂しいし、これでこの界隈の活気はなくなりました。

2014.01.08 岩亀横丁

 横浜にできた最初の遊廓は横浜公園にその痕跡があると、昨日述べました。日本庭園の入口に「岩亀楼(がんきろう)」と銘打った石燈籠がそれです。(参照

 岩亀楼は遊廓のなかでも最も豪華な遊女屋で、ここには外国人専用の遊女(羅紗緬)が置かれていました。

 この岩亀楼には遊女「亀(喜)遊」の伝説があります。
 彼女は1863年、外国人の一夜妻を店主から命じられたのを拒み、「露をだにいとう大和の女郎花、ふるあめりかに袖はぬらさじ」の句を残して自害しました。
 この話は有吉佐和子の小説「ふるあめりかに袖はぬらさじ」で有名になりましたが、実際にそんな遊女がいたかどうか明らかではありません。

岩亀横丁① 岩亀横丁②

 遊廓はその後あちこちに移転しましたが、新横浜通の雪見橋(西区)から戸部にかけて「岩亀横丁」なる通りがあります。
 「はて、ここに移転したという話は聞いてないが……」
 不思議に思って横丁に入りました。

稲荷の幟 稲荷の入口 奥へ進む

 「おや……?」
 通りのなかほど、店と店の間に「岩亀稲荷」の幟(のぼり)が見えます。どうやら入口らしい。
 細い通路を入ってみると、そこにお稲荷様の祠(ほこら)がありました。

突き当たり 祠

 説明書きによると、
 「当時この横丁に岩亀楼の遊女が静養する寮があったことから、このあたりを『岩亀』と呼び、寮内にあったお稲荷様を『岩亀稲荷』と呼びました。現在では寮はありませんが、今でもお稲荷様は残り、毎年5月25日には盛大に例祭が行われています」とのこと。

露をだに…

 なるほど、ここに遊女たちの寮があったのか。
 これで岩亀横丁の謎が解けました。

 関東各地の散策もメジャーな観光地だけではなく、目立たないところも取り上げたい。
 それもいわくありげで、なんらかの事情で忘れられたところ。
 それがディープスポットというわけですが、この定義はかなり曖昧。そこで私の独断で選びました。

 そこで昨年の新宿二丁目横浜親不孝通りに続いて第三弾目は横浜市南区の真金町・永楽町界隈。
 ここは有名な横浜遊廓のあったところです。
 以前にも述べましたが、横浜が町の様相を呈しはじめた幕末のころ、湿地帯(太田屋新田)のなかにできた「港崎(みよざき)遊郭」が遊廓の第一号。(横浜公園にその痕跡あり)
 遊廓はその後吉原町(今の羽衣町)に移転し、さらに高島町→長者町→真金町・永楽町に移りました。
遊廓の守護神?金比羅鷲神社
 この永楽町・真金町の遊郭は、明治21年から赤線が廃止される昭和33年まで続きました。
 奥村泰宏・常盤とよ子の写真集「横浜再現 二人で写した敗戦ストーリー」(平凡社)には当時の遊郭内の光景が赤裸々に写し出されています。
 
 店先に立って客を呼び止める娼婦、仕事前(?)に銭湯から出てくる女、歩きながら流行歌の合唱をするふたりの女、さらには検診日の光景もあり、生々しい写真ばかりです。
中央の植え込み  
 しかし今はふつうの住宅街になり、その面影はありません。
 以前唐破風の建物があって、遊廓の風情を思わせましたが、今はそれもなく道の中央に植え込みがあるのがわずかに当時を思わせます。(永楽町にはラブホテルが点在)
昔あった唐破風の家
 永楽町・真金町の遊郭は、新吉田川(運河)を挟んで伊勢佐木町の対岸にありました。そのため「川向こう」と呼ばれました。
 写真集にも対岸の様子を望遠で撮った写真が掲載されています。 
大通り公園
 その川も今は埋め立てられ、大通り公園になって、市民の憩いの場になっています。
 この公園にきてみると、かなり広い川だったことがわかります。むろん当時の面影はありません。

 ちなみに横浜橋商店街の「横浜橋」は、この運河にかかっていた橋のことです。
 今は大通り公園を横切るだけの道になってしまいました。
前の道が旧横浜橋
 年が明けました。
 「今年こそはいい句を詠むぞ」
 俳句会も変えたので、張り切っています。

 とりあえず七句詠みました。
 ①赤い靴唄ひし後の除夜汽笛
 ②年明けて珈琲豆の封を切る
 ③子は内に独楽だけ外で回りけり
 ④餅の事故思はず箸止む二日かな
 ⑤三が日駅伝だけで過ごしたり
 ⑥初詣晴着のギャルに惹かれをり
 ⑦どの局も同じ顔ぶれ三が日
ライトアップされた氷川丸
 <背景>
 ①は一度だけ家族と体験した横浜山下公園での年越しの模様です。
 赤い靴をはいた女の子の銅像前で数人で童謡を歌い、終ったところで繋留されている氷川丸の汽笛がボーッと鳴りました。
 ②は年の暮れにちょっと高級な珈琲豆を買って、年が開けたら封を切るという句です。
 酒ではなくて、珈琲というところにいかにも珈琲好きの気持ちが現れているでしょ。

 ③は昔、甥っ子たちの独楽回し風景。寒いので室内から独楽をビュッと飛ばして、すぐ戸を閉め、庭先で回っている独楽を室内から見ていました。なんとも横着な独楽回しもあったものです。
 ④は二日の朝、元旦に餅を喉に詰まらせて入院した人が数人いる、との報道にびっくりした様子を詠みました。

 ⑤は三が日の恒例。一日ニューイヤーズ駅伝、二日三日は箱根駅伝を観て過ごしました。
 ⑥今年元旦の大宮氷川神社ではありません。昔住んでいた府中の大国魂神社の初詣の光景です。
 若い女性の晴着姿が目につきました。「女房の着物姿にちょっと惚れ」をもじりました。
 ⑦正月のTVはどこも似たりよったり。出てくるタレントも同じでつまらなかった。

 <推敲>
 ①は「唄ひし後」→「唄ひ終りて」にしました。
 ④は餅だけで正月の季語。「二日かな」だと季重なりになるので、変えました。
 ⑤は具体性がないので全面的に変えました。
 ⑥本当は惹かれるほどでもなかったので、風刺を利かせました。
 ⑦はつまらないのでやめました。

 結果次のような六句になりました。
 ①赤い靴唄ひ終りて除夜汽笛
 ②年明けて珈琲豆の封を切る
 ③子は内に独楽だけ外で回りけり
 ④餅の事故思はず箸置く朝の膳
 ⑤箱根より戻りし気分三日かな
 ⑥初詣晴着娘のコンテスト

 このほどノーベル財団の発表によると、1963年(昭和38)ノーベル文学賞の候補に作家の三島由紀夫(1925~70)氏が入っていたとのこと。
 これは50年の非公開期間が過ぎたからですが、これによると三島由紀夫の「仮面の告白」(1949)、「潮騒」(1954)、「金閣寺」(1956)などは当時から海外でも知られていたそうです。
 ただし1963年の時点では「ほかの日本人候補と比べて優先されるほどの作家性がまだない」と判断され、見送られました。

 当時候補者のなかに4人の日本人がいて、三島以外の3人は川端康成、谷崎潤一郎、西脇順三郎だったとか。川端康成は1968年に受賞しています。

 これに関して、昨年末BSで観た「ドナルド・キーン×瀬戸内寂聴」の対談によると、三島さんはノーベル賞を切望していたそうです。
 ところが川端さんに取られ、非常に口惜しがっていたとか。「三島さんのような方でもジェラシーがあるのかと思ってびっくりしました」(寂聴)
 そしてこうもいいました。「もし三島さんがノーベル賞を受賞していたら、市谷での自決はなかった」
 さらに「川端さんにはノーベル賞の荷が重過ぎました。ノーベル賞をとらなかったら、自殺することはなかった」とも。
 ノーベル賞がふたりの作家を殺したわけです。

 三島さんはともかく、川端さんのノーベル賞受賞には当時の私も不可解でした。
 「古都」「伊豆の踊り子」「雪国」を読みましたが、スタインベック(米)、パステルナーク(ソ連)などに比べるとスケールが小さい。「まさか日本の情緒的なものに惑わされた?」と選考委員の見識を疑いました。
 これには日本の某建設会社の社長がノーベル財団に働きかけたとの噂もありますが……。

 小説としては、金閣寺に火をつけた若い僧侶の心理を克明に描いた「金閣寺」のほうがはるかに優れています。また「禁色」「仮面の告白」は異端の性を鋭く追及しています。
 これをどうとらえるか、議論はありますが、川端作品より三島作品のほうが文学としてのレベルは高いと思いました。

 しかし後にゲイやニューハーフを取材したとき、「禁色」や「仮面の告白」が彼らのバイブル的書物であることを知りました。ノーベル選考委員の方々はそんなところまで知らなかったでしょう。

 余談ですが、毎年日本で騒がれる村上春樹さんがノーベル文学賞を取ることは絶対にありません。私は「ノルウェイの森」を読みましたが、これは単なるエロ小説。
 エロ小説がノーベル文学賞を取ることはありません。

 往路(1月2日)
 ここ数年正月の過ごし方として、2日、3日はTVで箱根駅伝を観るのが恒例になりました。
 コースが東海道の大手町→箱根芦ノ湖。所どころ熟知の場所が出てくるからです。
 今年出場する大学は23校。

 解説者の話では、「1区(大手町~鶴見)は早稲田の大迫がぶっちぎり。しかし2区以降は弱いのでそれっきり。優勝は日体大」とのこと。

1区の初めは大迫が先頭

 たしかに大迫は初めはトップを走っていたけど、六郷橋あたりからズルズル遅れ5位(?)。つくづく解説者というのはいい加減なものだと思いました。

 2区(鶴見~戸塚)の注目は山梨学院大のオムワンバ。彼は昨年12人をごぼう抜きした実績があります。
 それだけに期待は高かったのですが、途中でふらふらと歩き出し、道端に倒れ込んでしまいました。監督が駆けつけ、大会関係者が観察して途中棄権が宣告されました。

オムワンバが倒れた 棄権が決定

 原因は右足の疲労骨折とか。駅伝はつくづく難しいと思いました。

 この2区では1位の駒沢があまりに早かったので、22位の国士舘が10分以内にたすきをつなげず、山梨学院とともにくり上げスタートになりました。

5区の函嶺同門 首位で走る東洋大

 往路は3区から東洋大が首位。
 3区、5区を走った双子の設楽兄弟の活躍が目覚しく、東洋大が往路優勝しました。
 記録は5時間27分13秒。



 復路(1月3日)
 復路は東洋大、駒沢大、早稲田、日体大、明治大……の順で、10位以下はくり上げスタートとなりました。
 解説者は「駒沢が逆転するのではないか」といっていたけど、6区山下りは東洋大・日下が頑張って差を広げ、あとは差が開く一方。

6区東洋大 

 7、8、9、10区……東洋大は終始安定していて、ぶっちぎりの優勝。
 記録は10時間52分50秒。

東洋大優勝

 今回は往路3区でくり上げ、さらに復路6区で一斉くり上げ、9区、10区もくり上げスタート。
 とくに10区では、東海大、国学院大、城西大、専大、国士舘大、神奈川大、上武大が一斉にくり上げスタート。東海大と国学院大は残り数10秒というところまできていたのに……。

無情のくり上げスタート 走者がスタート後に到着

 大学によっては3~4回くり上げスタートしたはず。
 しかも見た目と本当の順位が違うという、わけのわからんレースになりました。

大東大シード権獲得

 このくり上げスタート、以前は「非情なルール」だと思いましたが、最近は「遅い走者に与えられるペナルティー」と思うようになりました。
 むろん懸命に走っているのでしょうが、そこは勝負の世界。
 頑張ってほしいと思います。

 昨日(元日)は天気もよく暖かかったので、午後からは大宮の氷川神社に行ってきました。
 近所の神社だけで初詣を済ませた(?)後ろめたさもあります。

 それにこの氷川神社は「武蔵一宮氷川神社」と呼ばれ、首都圏に点在する数百の氷川神社の総本山。しかも2000年以上の歴史があります。
 毎年、初詣(正月三が日)には200万人以上の参拝客が訪れ、全国9位にランキングされています。
 「近いのだから、一度ぐらいは行かなきゃ」という気持ちもありました。

参道

 しかし行ってみると、参道から大勢の人、人、人。
 「追い越したりせず、流れに従ってゆっくり進んでください」と警備のアナウンス。

屋台(お好み焼き)

 屋台を撮ろうとしたら、あまりの混雑にそれどころじゃない。
 それどころかケバブ(多かった)の屋台を撮ったら、「撮影は1000円」といわれる始末。バカバカしい。

屋台(ケバブ) 屋台(牛すじ煮込み」

 そこで比較的人通りの少ない屋台の裏の道から境内に入りました。
 「止まってください」と警察官の表示。
 数100人(?)の参拝客はそこに立ち止まるしかありません。

境内①

 「なんだ、この混みようは」
 後ろで吐き捨てるようにつぶやくおじさん。
 わかってないなあ、あんたがきたのと同じ必然性でみんなもきてるんだ。あんたも混雑の原因だよ。いい年してそれぐらいわかれよな。

境内② 境内③

 「すすんでください」の表示にぞろぞろと進みます。そしてまた「止まってください」
 約40分これのくり返しで、ようやく本殿へ。
 しかし本殿前には大勢の人がいて、みんな後方からバラバラと硬貨を投げつけています。
 「銭形平次じゃないんだから」
 これではとてもご利益があるとは思えず、金を投げるのもやめ、ささっと手を合わせて本殿をあとにしました。

本殿前① 本殿前②

 20数年前夕刊紙のコラムを書いてたころ、明治神宮の初詣にひとりで行ったことがありますが、こんなに足止め食らわされたか、はっきり思い出せません。
 いずれにせよ、大宮氷川神社の初詣は「冥途の土産」に行っただけ。もう二度と行く気はありません。

2014.01.01 新年の思い
 あけましておめでとうございます。
 日の出です。これを撮るには、少し高いところに上る必要がありますが、格好の場所を見つけました。
日の出① 日の出②
 年が明けて思ったことは、「自分は生かされている」ということ。
 昨年私は骨折手術で全身麻酔を受け、無意識状態を体験しました。
 そのとき感じたのは、「無意識とは死である、死はなにもない、魂など存在しない」ということです。某俳優がいっていた「死後の世界」なんてうそっぱちです。

 麻酔が醒めたときは「生還した」と思いました。
 むろん主治医をはじめ医療関係者のご尽力もありますが、なにはともあれ、あの世からは「お前はまだ早い」と追い返されたわけです。

 しかしそのまま召された友人も多かった。
 それを考えると、生きるも死ぬるも紙一重ではないか。
 残された(追い返された)この命を大切にしようと考えた次第です。
浅間神社
 自宅からすぐ近く(約400m)にある浅間神社。
 去年は多福寺のあとに詣でましたが、今年の初詣はここにしました。
初詣① 初詣②
 ふだんは閑散としていますが、正月ばかりは(少し)賑わうようです。
 受付なども設けられていましたが、私は拍手を打って礼をしただけ。それでじゅうぶんです。