「どうもオレの担当の療法士は指圧が生ぬるい。表面をフワーッと撫でるだけで、まったく効きやしない。もっとギューッと強く押せっていうんだ」
 入院していたとき、向かいのN氏がよくぼやいていました。
 彼の担当の療法士さんは若い女性のため、「指圧がもの足らん」というのです。

 そういえば……。
 私にも心当たりがあります。
 私の右肩を施術してくれる療法士さんも若い女性で、美人だし、話も面白いけど、やはり指圧が生ぬるい。
 私は秘かにこの人のことを「美人お笑い療法士」と名づけましたが、パワーは今イチの気がして、はたしてこれでいいのか、本当に治るのだろうか、内心不安でした。

 それでもN氏に同調することはなかったのです。
 これは患者同士のライバル意識(?)とでもいいますか、「あんたの療法士もヘナチョコか」と思われたくなかったからです。

 とはいえ私の担当の療法士さんの施術は相変わらず生ぬるい。肩およびその周辺をフワーッと撫でてるだけ。
 しかし……これが実に気持ちがいい。
 肩の痛みが消え、強張っていた筋肉がほぐされ、伸びていくような気がします。
 「そうか、これでいいのだ」
 これに気づいたのは、退院してリハビリに通ってからのことです。

 「強く押せばいいってものではありません。強く押せば筋肉はかえって硬直するので逆効果です。軽く撫でることによって血行がよくなり、筋肉が柔らかくなるのです」
 と担当の療法士さん(美人お笑い療法士?)

 彼女はパワー不足ではなかった。わざと力を入れずに軽く撫でていたのだ。
 N氏のことを話すと、「ギュッと強く押せば効いたような気がするだけで、指圧に対する考え違いです」と笑いました。

 あのオヤジ、なにもわかってない。
 もっとも今は退院して、ピンシャンしているからいいんだけど。
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 久しぶりに荒川に行ってきました。場所は羽根倉橋。
 私の住んでいる埼玉南西部から川向こうのさいたま市に渡るには、北から治水橋、羽根倉橋、秋ヶ瀬橋があります。

 羽根倉橋は浦和所沢バイパス(463号線)が通るので、車の通行量も多く、橋長859.6m、幅22.0m(4車線)と大きな橋です。

羽根倉橋①

 橋がかけられる前は、「羽根倉の渡し」といって渡船場や河岸場があり、河川交通の要として大変賑わっていたそうですが、交通量の増加とともに橋の必要性が高まり、昭和13年(1938年)下流の秋ヶ瀬橋の古材を再利用して、仮橋として架設されました。
 その後、昭和29年(1954)→昭和48年(1973)→昭和60年(1985)架け替え工事がなされ、現在に至っています。

羽根倉橋②

 また、このあたり一帯は羽根倉古戦場といわれています。
 立札によると、昔(南北朝時代)室町幕府では将軍足利尊氏と弟直義との間に反目が続き、関東の武士団もそれぞれ両派に分かれて争い、尊氏側の高麗彦四朗経澄(日高市)と直義側の難波田九郎三郎(富士見市下南畑)がここで激突、難波田勢が敗北し九郎三郎をはじめ部下の多くが討死しました。

荒川古戦場跡

 難波田氏といえば近くにその城の一部を復元した「難波田城公園」があり、何度も行っているので、私としては愛着があります。そうか、この戦で負けて難波田勢は滅びたのか。残念。

橋から見た荒川

 河川敷から岸辺に降りました。
 秩父から湧き出たこの川は水量豊かな荒川となって東京都の水を満たしています。

岸辺から見た荒川

 岸辺に木製のデッキが設えてあります。
 「ここは渡し場跡?」
 そうではなくて、対岸のゴルフ場同士を結ぶ渡し船の船着場のようです。
 荒川の滔々とした流れを間近に見るのには格好の場所ではありますが……。

 昨日、タレントのみのもんた氏の記者会見を見ました。
 私はこの人物については好きでもきらいでもありませんが、この会見は痛々しく感じました。
 ただ彼のことばで気になったのは、「育て方が厳しすぎたのかな」というくだり。
 「私は殴るタイプ。いやなら出ていけ、そういうタイプの父親です」

みのもんた記者会見①

 私はこの種の男を知っています。
 もう亡くなりましたが、「子どもに人権はない。徹底的に厳しく躾けるべき」といってはばからず、ふたりの娘には体罰を加えて育てました。

 結果下の娘は外面はよくても陰では悪さをする人間になり、今や親戚中のきらわれ者です。
 これは厳しい躾けの「賜物」です。
 このことから私は「厳しく躾けられた子は裏表のある人間になる」と思うようになりました。

みのもんた記者会見②

 みの氏にしろ、知人にしろ、「わが子は絶対に悪いことはしない」と信じられる出会いをしたことがあるのだろうか。


 以前にも述べたことがありますが、30数年前、阪神のふたりのコーチが審判の判定に腹を立てて暴行を働いたことがあります。
 それをラジオで聞いた私は、部屋に入ってきた息子(当時4歳)に「阪神のコーチが審判をポカポカッとどついたんだよ」と面白そうに話しかけたのですが、そのとき息子はキッとした顔をして「いけないんだよ!」といいました。(参照


 「こいつ、この年で善悪の判断ができるんだ」
 びっくりしました。そんなこと、教えたことないのに。
 そのときいらい「この子には善悪を判断できる力が備わっている」と思いました。
 私は休日には息子を連れて出歩いたため、息子と接する時間は多かったのですが、善悪や道徳に関する注意や説教をしたことは一度もありません。


 しかしたった一回、性格的なことで注意したことがあります。
 それは従妹たちとUNO(カードゲーム)をやっていたとき、多くのカードをつかまされて、ふてくされたことがありました。私はあとで「あの態度はよくない」といいました。(参照
 それだけです。
 いらい息子はどんなに多くのカードをつかまされても平気な顔をするようになりました。
 私にいわれて「努力」したのでしょう。


 息子への注意がたった一回とは、およそ父親としては厳しさのない「大甘」オヤジです。
 けれども本当になにもいう必要がなかったのです。(むろん母親も)
 それは幼少期のわが子を見て「この子は絶対に悪いことはしない」と確信できたからです。


 これを子どもの側から考えると、子どもというのは無意識的に「自分は正しい」とアピールしているのではないか。
 それを親にキャッチされ、すべてまかされてしまうと、自分の頭で善悪を判断せざるを得なくなる。

 ところがそれを親にキャッチしてもらえず、厳しいことばかりいわれていると、自分で判断することはやめ、ただ親の前では従順になる。
 その違いではないか。


 問題は子どものアピールをいかにキャッチするか。
 それができた私はつくづくラッキーだとは思いますが、それも子どもと接することが多かったから。
 イクメンの成果はそんなところにも現れているのです。

 先日、教育評論家の尾木直樹さん(尾木ママ)がTVの番組で、「実はイジメた子もトラウマで悩んでいるんです」といっておられました。
 小中学生のころ、イジメの側に立っていた子が20歳ごろになって、「ぼくのやっていたことはイジメだったんだ。取り返しのつかないことをやってしまった」と悩むといいます。
 また加害者だけではなく、傍観者の立場にいて、「イジメられるのが怖かったから、助けられなかった」という悩みも多いそうです。

 傍観者の悩みはよくわかります。
 中1のとき、クラスにKという男子がいました。
 Kは成績もよく、それなりに人気があったので学級委員をやっていましたが、なぜかNという女子を徹底的に攻撃しました。
 それは主に「鉛筆がなくなった。お前が盗ったんだ」「ノートにいたずら書きがしてあった。お前がやったんだろう」というものでした。

 Nの傍の席にいた私には「いいがかり」に思えました。
 Nも気丈な子で、泣くこともなく、その度いい返しましたが、Kは学級委員という圧倒的に優位な立場、誰もNに味方する者はいません。

 私は何度Kに「イジメはやめろ」といおうとしたことか。
 しかしいえなかった。いうと「なんや、お前はNが好きなんやろ」といわれそうな気がしたから。
 このときのことを思い出すと、私は今でもいたたまれない思いです。
 このKに関しては一度だけ理不尽な暴力を(Kの手下から)受けたことがあるので、私も被害者です。

 しかし加害者が悩んでいるというのは本当か。
 それは尾木先生に相談にきた元加害者はそうでしょう。しかしなかには悩まないヤツもいるのではないか。
 Kに関して、私は高校も同じでしたが、そのようには思えず、他の友人の話では、大学に入っても(D大学)けっこう調子よくやっていたとか。
 それどころか小学校の同窓会では、「あのころは楽しかったな」と上機嫌だったそうです。

 2年前の中学校の同窓会に出席したとき、Kはこなかった。
 私はぜひ会いたい。
 遺恨を晴らすというのではなく、「お前、人をイジメて楽しかったか」と聞いてみたい。
 イジメを受けた側にはその資格があり、イジメた側には答える義務があると思います。
 その時効はありません。
2013.10.26 真夜中の地震
 ガタガタッ、ガタガタッ……という激しい揺れで目を覚ましました。
 「地震だ!」
 けっこう激しい揺れです。それも長い。断続的に2~3分続いたでしょうか。
 また大地震か。時計を見ると2時13分。
 しばらくして揺れは収まりました。

 ラジオ(TBS)をつけると、芸能人のバカ話。「なんだ、これは」
 腹が立って切りました。すべて録音放送だからでしょうが、速報ぐらい入れろ。
 ラジオならもっと小まわりが利くと思ったのに。

 TV(NHK)をつけると、ワールドシリーズの実況中継でしたが、テロップに地震速報が流され、間もなく地震のニュースに切り替わりました。
 震源地は福島沖でマグニチュードは7.1。
 東北各地は震度4、こちら関東南部は震度3とのこと。
 「3よりも強かったぞ」というのが私の感想です。
TVの地震速報
 「あいつはどうしているかな」
 リハビリ病院に入院しているY子に「大丈夫?」とメールを送りました。
 なんの応答もなし。
 まあ、いい。その後なにも起こらなかったので、再び眠りにつきました。

 朝になって「全然気がつかなかった」というY子からのメール。
 えーッ、あんな大きな地震だったのに。よほど熟睡してたのか。
 その後H子にも地震のことをメールしたのですが、「気がつかなかった」との返事。
 女は(あの大きな揺れを)気がつかないのかッ。

 考えてみれば、それほど大事になるような地震ではなかった。
 だから、慌てず騒がず……うーん、女は図太い。
裏庭の景色
 しかし昨夜から今日の午前中にかけて、台風27号通過とのことで、ときおり大雨が降っています。
 さきほど小降りになってきたので、裏庭に出ましたが、人通りはありません。
 今のところ、こちらはさしたる被害はなさそうです。
 このまま通過してくれることを願うばかり。
 左足は「距骨(きょこつ)粉砕骨折」です。
 距骨とは腫骨(しょうこつ)の上にあって、脛の骨に繋がるところです。骨折といっても、骨片が小さいので手術はせず、ギプスで固定されました。
 そのギプスは4週間で外されましたが、それからが大変。
 ギプスで固定されていたツケは大きく、歩くとすぐ外くるぶしが痛くなります。

 その後いろんな歩き方をして、足首の負担を軽くするようにしましたが、今はごくふつうに歩けます。
 したがって、見たところ足が悪いとはわからない。
 ただし100mほど歩くと、また外くるぶしが痛くなる。

 原因はまだ左足首が弱いから、ということで、左足首の強化運動をいろいろやりました。
 代表的なものは、ゴムバンドを使って足首を外に曲げる。→100回×3(1日)
足首を外側に曲げる① 足首を外側に曲げる②
 同様に足首を内に曲げる。→100回×3(1日)
足首を内側に曲げる① 足首を内側に曲げる②
 ゴムバンドを使うのは、抵抗をつくるためです。抵抗があるほうがはるかに運動になるのです。
 これは昨日も述べたように、肩の筋肉を伸ばすのに負荷をかけるのと同じ原理です。

 他にはつま先を鍛える運動。
 左足と右手の握手。最初は猛烈に痛いのですが、慣れると大丈夫です。これはアメリカに住む従姉に教えてもらいました。
左足と右手の握手
 その成果もあって、痛くなる歩数は100→300→500mに。
 先日の川越まつり(10/19)では、自転車置き場→市役所前→氷川神社(約1.5km)
 神社内をうろうろして、氷川神社→自転車置き場(約1km)
 ぶっ通しで歩いているわけではないけど、トータルで約4kmは歩いていると思います。
 さすがにくるぶしが痛くなり、翌日まで続きました。

 さらに一昨日は歩いて駅までを(約1km)往復しました。
 これもくるぶしが痛くなったけど、休んでいると回復しました。

 駅まで歩いて行けるというのは、(あとは電車に乗ればいいわけだから)どこへでも行けるということです。
 まずは小手調べとして、今月末か来月初めに横浜へ行くか……な。
 
 10月になるとリハビリは週1回に減りました。
 ますます自主トレが重要になります。

 まず右肩。
 「腕を180度上げるのは難しいかもしれない。せいぜい120度」
 手術後、主治医にこういわれました。
 私としてはこれが口惜しい。むろん自分の不注意ではあるけど、元にもどらない?

 「なんとしても180度上げてやる」
 意地の特訓が始まりました。
 まず仰向けになって右腕を上げ、伸ばしたまま後ろに倒します。しかしやっと45度。
 これ以上は痛くて倒れない。
 そこで左手で押さえ込みますが、その際右腕で抵抗すると反動で少し(50度ぐらい?)倒れるのです。むろん痛いけど、それをくり返すことによって、少しずつ倒れていきます。

 しかしなかなか進まないので、ウルトラCを用いました。4㎏のダンベル。
 これを両手で持ったまま、うしろに倒していきます。
 最初は肩が猛烈に痛い。痛みが激しくなってきたときは、いったん中断して間を置いて、さっきの角度からやり始めると、少し進むのです。
 これをくり返して、とうとう頭の後ろの床に手の甲を着けることができました。
 ただし、かなり痛い。
 それに手が着くといっても、ダンベルの重みで無理やり着けているので、腕だけでダラッと着くわけではありません。
4kgのダンベル
 「ほう、これはなかなか順調な回復ぶりですねえ」
 9月30日の診察のとき、腕を上げたところ、主治医は目を丸くしました。
 私としては内心「どうだ」という気分です。
 療法士さんにいわせると、主治医というのは「完全に治る」とはいえないそうです。リハビリの取り組み方は個人によって違い、大きなことをいうと責任追及されかねないからです。
 まあこっちも、若くはないから……。

 「4㎏はまだやめたほうが……」
 これはアメリカ東部に住む従姉からの忠告です。
 彼女は以前肩痛(50肩?)に悩まされ、療法士の指示でたゆまぬリハビリ運動の結果、完治しました。私にとってはありがたい相談相手で、こちらの状況をつぶさに伝えているわけですが、4㎏のダンベルに「待った」がかかりました。

 たしかに肩が痛いし、他の部分によけいな力が入り、肝心のスムーズな動きは阻害されるおそれもある。そこで500ccのペットボトルに水を入れて(500g)、それを使いました。
ペットボトル
 「500gも重いのでは? なにも持たないほうがいいのではないか」
 そんな疑問を持たれるかも知れませんが、縮んだ筋肉を伸ばすとき、抵抗(あるいは負荷)があったほうが、その反動で伸びやすいのです。

 というわけで、今は500ccのペットボトルです。
 力持ちの爺さんになることが目的ではないので。
 入院中は午前と午後、療法士さんに施術してもらうリハビリも、退院すると途端に少なくなります。これは(保険の)制度上仕方がないのです。
 「こんなことなら、早く退院するのではなかった」
 外来で元入院患者のおじさんたちの多くはこういいます。
 彼らは入院中あれほど「早く退院したい」といっていたのに。

 私の場合、退院すると週2回。 極端に少ない。 (早く退院したいとはいわなかったのに)
 その分自主トレで補うほかありませんが、自己流なので、思うようにはかどらない。
 自分ではやっているつもりでも、動きによっては「硬くなってますね」といわれることもあり、療法士さんに施術してもらわなければ動かないこともあります。
 「おや、あなたも退院したのですか」
 「9月からね」
 退院した仲間と会うことがあります。まだ入院中の仲間と会うこともあります。
 これが楽しい。

 「お兄さん、やっと会えたね」
 「こっちは週2だもの。ほとんど毎日のH子とは違うよ」
 リハビリが終ると、H子とよく9階(整形外科病棟)のラウンジへ行きました。
 Y子(リハビリ病院に転院する前)と会うためです。
 「お兄さん、今度いつくるの」
 「土曜日だよ」
 「必ず寄ってね」
 会っても大した話はしないのですが、互いに元気な顔を見るだけでうれしい。
 「あれッ、家ではあんなに肩が痛かったのに、ここへくると軽くなっている」
 病院、それもリハビリ室の前の廊下で待っているだけで、痛みが軽減します。
 これは……?
 そのことを療法士さんにいうと、「精神的なものだと思うけど、いいことです」
 「ここで治してもらえる」と思うだけで治る、どうやら私は暗示にかかりやすい人間らしい。
 思いのほか「病院大好き人間」だと再認識しました。まさに信じる者は救われる……です。

 そのリハビリも10月になると週1回に減らされました。嗚呼……。
 今回骨折事故を起こしたとき、いろんな方から激励の電話やメールをいただきました。
 そのなかに次のようなメールがありました。
 「京一郎さんは骨折したとき、痛くて泣いたでしょう。私は数年前、自宅で転んで腰の骨を折ったとき、自分が可哀相で泣きました」

 年配の女性ですが、この人はこの人なりに激励してくれたのかもしれません。
 しかし「痛くて泣いたでしょう」はないだろう。
 痛かったけど、泣くもんか。自分がそうだからといって、勝手に決めつけるなよ。
 それも「自分が可哀相」とは……。

 私は骨折したとき、「こんなことでくたばってたまるか」と思いました。
 例は不適切かもしれませんが、災害に遭われた方々も同じでしょう。「こんなことに負けてたまるか」と自らを励ましたに違いありません。事実被災者の口から「自分が可哀相」とは聞いたことがありません。

 ではこの「自分が可哀相」とはなにか。
 人間は他人に対して「可哀相」という感情は持っても、他人から「可哀相」と思われたくないという心理があります。それは人間の矜持(プライド)です。
 ところが一端プライドをなくすと、人間は安易に人から同情を求めます。それどころか自分で自分に同情する(同情のマスターベーション?)。これが「自分が可哀相」という表現です。
 これは一種の思考停止(ヘタレ)で、やはり自分を閉ざすことばです。
 ここからはなにも生まれません。

 私は以前川越・成田不動別院の蚤の市で、わけのわからない骨董品(?)を商っている青年店主が客に値切られて、「それじゃ、ぼくが可哀相ですよ」といったことを思い出しました。(参照
 それじゃ採算が合わない、ならわかるけど、「ぼくが可哀相」とは、なんと甘ったれた商売をしているのだ。
 このひとことで、この市には二度と行かなくなりました。(悪いね、他の出店の皆さん)

 ということで、私が冒頭の年配女性と交流を断ったのはいうまでもありません。
 今は自粛しているタレントのみのもんた氏は、「暑い」「寒い」「疲れた」「忙しい」は禁句だそうです。これは「自分に負けていることば」と考えているようです。

 「暑い」「寒い」「疲れた」はともかく、私は「忙しい」はいわないようにしています。
 なぜならこれは「あなたと会う時間はない」と暗にいっているようで、人を遠ざけることばだからです。

 私はこれに「この痛み(苦しみ)は私にしかわからない」を加えたい。
 これをいう人は最初に「自分はこんなに痛い思いをしている」と訴えた上で、「この痛みは私じゃないとわからない」といいます。
 これは相手の理解を拒否しています。コミュニケーションを閉ざすことばです。
 聞かされたほうは、「たしかに痛みは当人しかわからない。だったら最初から『痛い』などというな」といいたくなります。
 今回私は骨折事故を起こしました。
 痛みは当然あります。
 私は無闇に痛みを訴えるつもりはありませんが、我慢もしません。
 医師や療法士に対して、痛いときは「痛い」といいます。でないと治療にならないからです。
 むろん「痛い」といっても彼らは同情するわけがなく、「それぐらいの痛みは我慢しないと治らない」と思っています。
 それでもいうのは、どういうときにどういう痛みが生じるのか、なるべく具体的に説明して、理解してもらうことによって今後の治療に役立つと考えるからです。

 私は医師や療法士以外(友人、知人、他の患者など)にも自分の症状を述べました。(当ブログでも述べています)
 それは表現者の目的として、理解を求めているからです。
 ただし「同情」までは求めていません。(それは人の勝手)
 ひるがえって「自分は苦しい→この苦しみは私にしかわからない」ということば。
 これは自分の苦しみ(痛み)を訴えておいて、しかも相手の理解を拒否しています。
 二律背反?
 そうではなく、無条件に「同情」を求めているのです。心の底では「可哀相に、可哀相に」と慰めてほしいのです。
 これは浅ましくて、卑怯な表現です。(おそらく当人は自覚してないでしょう)
 これでは人は確実に遠のきます。少なくとも私は。
2013.10.20 川越まつり
 昨日(19)今日(20)は川越まつり。
 このまつりに関しては昨年じっくりと観た(参照)ので、「今年はもういいかな」と思っていました。足が万全でないこともあるし。
 しかし昨年は土曜日の午後、川越氷川神社では本殿の特別公開がなされた由。
 「今年はこれを見るか」と午後から川越に行ってきました。

 外は思いのほか寒い。
 例によって某公共施設の駐輪場に自転車を置き、人がぞろぞろ歩く方向に行ってみると、市役所前へ。「なるほどこれが市役所前の山車揃いか」
 あまり近寄ることなく、遠くから撮影しました。人の頭が邪魔ですが、揃っているのを撮るにはそれも仕方がない。
市役所前の山車揃い
 さて氷川神社。
 ふだんと変わらない光景です。「あれッ、本殿の公開は?」
参拝する人たち おなじみ絵馬のトンネル ご神木
 巫女さんに聞いてみると、それはないとのこと。なーんだ。
 それでも2基の山車の囃子競演を見られたことでよしとせねば。
山車の競演
 おや……?
 パラパラと冷たい雨。いかん、早く帰らねば。
 予報では午後6時ごろから降るとのことでしたが、それより2時間早い。
 帰ることにしました。
宮下町の山車
 どの道、足の具合が悪いので、夕方~夜の「曳っかわせ」は見る気なかったのですが。
 今日(20日)も冷たい雨が降りそうです。
 ということで、私にとっての今年の「川越まつり」はこれにて終了です。
 昨日(10/18)はI子とH子と3人で、リハビリ病院に転院したY子の見舞いに行ってきました。
 「古い病院だよ。それにトイレにはドアがなく、カーテンで仕切られているの」
 Y子からそう聞かされていたので、よほど古ぼけた病院かと思ったら、外観も内部もきれいなものでした。
 病棟のトイレはたしかにドアがない。しかも入口が広い。
 これはプライバシーよりも患者の保護・監視を優先させているため。それに車椅子での出入りが楽にできるようになっています。それだけ重病人が多いということです。
病院 病院内
 Y子は以前よりずっと元気で、一見ふつうに歩いていました。
 「私なんか元気なほうだから、病室は食堂からいちばん遠いの」
 病棟(2~3階)は長い廊下一本で両側に病室があり、食堂はいちばん奥。食事はみんなで揃って食べます。席は決まっており、椅子のないところは車椅子の患者の席。車椅子が多い。
食堂
 リハビリの様子を見せてもらいました。療法士さんの了解は得ています。
 「そこを押さえるのはどうしてですか」
 I子の質問に療法士さんはていねいに解説してくれました。3人とも体験者だけに興味津々。
 H子は(自主トレの参考に、とY子に頼まれて)施術の様子をiPadで撮影してました。
 「他の人を撮らないようにしたら、アップばかりになっちゃった」
リハビリ風景①
 私は他の患者の施術にも興味があります。
 患者の大半は高齢者。それも重い方がほとんどです。
 お年寄りが療法士さんに抱えられるようにして、それでも懸命に歩こうとする姿には胸を打たれました。

 一方では麻雀をやっているグループも。自動の、本格的な雀卓で、みんな真剣です。
 リハビリ室で麻雀?
 この人たちはデイケアできていて、これもリハビリの一環なのだそうです。金は賭けてないとのこと。念のため。
麻雀やっているグループも
 終ってから「療法士さん、いい男じゃん。声もいいし。私も受けたい」とI子。
 こいつ、いろいろ聞いていたのは療法士さんと話がしたかったからか。動機不純だぞ。
リハビリ風景② 
 我われが入院していた病院は「手術+リハビリ」で、限られた期間で仕上げる必要がある。
 その点ここはリハビリ専門のため、じっくり専念できる。それに患者に高齢者が多いこともあって、ペースがゆっくりしている。
 これが結果的にはY子に合っているのではないか、そんな感じがしました。

 「今日はなかなか面白かった。我われはまだリハビリの身。ときには辛いこともあるだろうけど、やるしかない。お互い頑張ろう。またくるよ」といって病院を辞しました。

 久しぶりに会ったY子が元気なので安心しました。
 と同時にこちらも元気になった気がします。持つべきものはやはり妹……ですね。
2013.10.18 十月の句会
 今月の私の出句は、
 ①酒恋し釣瓶落しの港町
 ②手術後の肩に凍み入る庭の風
 ③キャスターに突っ込み入れる秋の夜


 ①港町を歩いていたら、もう日が暮れてきた。酒が飲みたくなったなあ、という心情を詠みました。最初は「港町釣瓶落しに酒求む」→「港町釣瓶落しに酒場入り」を経て、上五と下五をひっくり返し、「酒恋し」にしました。
 ②私の肩には金具が入っています。そのため涼しくなると、冷えを感じます。季語では「沁み」ですが、わざと「凍み」にしてみました。
 ③「こいつ、また変なことをいいやがって」「違うだろ!」……ひとりでTVを観ていると、つい突っ込んでしまいます。相手はニュースキャスター。秋の夜長ならではの句です。

 さて選句の結果ですが、
 ①酒恋し釣瓶落しの港町……(2)〇
 ②手術後の肩に凍み入る庭の風……(1)△
 ③キャスターに突っ込み入れる秋の夜……(0)〇
 (出句13名、選句はひとり5句。カッコ内は得票数)
港の黄昏
 ①には入らないだろうと思っていたら、意外にも女性票が2票入りました。
 ②に入れた選者によると、「凍み」は冬の季語。しかし個人的な事情を考慮したとのこと。
 ③にも入らないだろうと思っていたら、案の定。

 次に先生の票。
 ①「君恋し」ではなく、「酒恋し」とは、まるで演歌みたいな句ですな。ただし「釣瓶落し」が利いていて、気取らないところがいい。
 ②は本来は「沁む」ですが、「凍みる」だとちょっと大袈裟かな。えッ、「凍みる」も季語(冬の)としてある? ここは「沁みる」でいいのではないか。
 ③これは迷ったんだが、〇をあげました。私もTVに向かってしょっちゅう突っ込みを入れているから、心境はよくわかる。ただし「秋の夜」だと季語が動く。むしろ「夜長かな」にしたほうがいいのではないか。

 たしかに「夜長」にしたほうがキャスターに突っ込む時間が長くなる感じで、季語が動かないようです。季語によって動く・動かないが生じるとは。勉強になりました。
 ところで私の入院中、お婆さん数人が「公民館まで通うのは面倒。会場を団地の集会場に変えてほしい」と提案。他の人も「それはお困りでしょう」と賛成し、場所が変わりました。
 しかも会場の使用料を会計の私に請求。「それはおかしいでしょう。会の出費というのは全体のもの。一部の人の便宜をはかるために生じた出費は認められない」と断固拒否。
 私個人の考えでは公民館でやるからこそ、町の文化の一翼を担うという意味があるのに、これじゃ団地の俳句会。お婆さんたちの身勝手には呆れます。

 ということで、同句会を辞すことにしました。
 俳句会はほかにもありますから。
2013.10.17 台風の朝
 「50年に一度の猛台風」といわれた台風26号によって、昨日(09/16)は朝から大雨と強風。
 ゴミを捨てに外に出ましたが、傘を差せばたちまちオチョコになるほどの強い風でした。
 この日はリハビリの日。「困ったな」と思っていたところ、
 「この暴風雨では自転車は無理。お兄さん、近くで拾ってあげる」とH子からメール。
 ありがたく親切を受けることにしました。(持つべきものは妹?)
打ち捨てられた傘
 「風が強いな」
 8時すぎ、待ち合わせの場所に向かうとき、前を歩く人のレインコートが風でふくれ上がり、その人はとうとうコートを脱いでしまいました。(雨は止んでいた)
 こんな風では自転車は飛ばされる。
強風にレインコートが膨らむ コートを脱いじゃった
 「お兄さん、お待たせ」
 「悪いね」
 助手席にはご主人も乗ってました。(夫婦そろってリハビリ)
 「この分だと、外来は少ないから、早くしてくれるかもしれないね」とご主人。

 ところが予想以上に病院の駐車場は混んでました。「車でくる人が多いのだな」
 駐車場には強風で吹き飛ばされた木々の小枝と葉っぱが散らばっていました。
病院の駐車場 駐車場の落葉
 彼らの予約は9時。私の予約は10時でしたが、外来のキャンセルが多く、ご主人がいってた通りリハビリは早くしてもらいました。(受付の電話のやり取りを聞いていると午後は混みそう)
 終ってから、こちらはとくに予定がなかったので、彼らの買い物につき合いました。
 雨も風も止んでいました。
 行ったところは、川越のさらに向こうの川島町の大型ショッピングセンター。
 H子は腹筋運動ができる座椅子を求めたのですが、なかったようで小物を買っていました。私はクッション(思いのほか安かった)。

 私としては川島町は初めて。ご主人にいわせると、最近はいちごの栽培が盛んで、名産になっているそうです。
 昼になったので「馬車道」でランチを食べ、遠路私の自宅近くまで送ってくれました。
 「台風一過ですっかり天気がよくなったね」
 帰る途中に渡った越辺川、大谷川、入間川、いずれも水位が上がっていることにおどろきましたが、こちらはとくに災害はなかったようです。
 帰ってからニュースを見ると、伊豆大島が大きな被害を受け、住宅が流され、多くの方が亡くなったことを知りました。
 大島は学生時代、夏休み野増地区に住んでいた友人に誘われて、一週間ほど逗留したことがあります。三原山にも上り、南の波浮港にも行きました。
 私はこの漁港の景色が好きで、その後社員旅行で熱海へ行ったとき、翌日は現地解散だったため、単身大島に渡ったことがあります。
 あの大島がこんなことになるとは。
 被害に遭われた方々にはくれぐれもお見舞い申し上げます。
 今月8日午後4時50分ごろ東京都三鷹市で私立高3年の女子高校生(18)がストーカー男に刺殺されました。
 犯人は無職池永チャールストーマス(21)。当日、女高生宅に侵入して待ち伏せていたといいます。殺人の動機は別れ話のもつれです。
 女高生は男につきまとわれ、恐怖を感じて警察(三鷹署)に相談に行きました。
 それなのに警察は防げなかった。マスコミはこぞって警察の無能ぶりを叩きます。
 警察は男の携帯電話に署への連絡を残した……など、たしかに間抜けなことをやっています。(結果的には男の電話ではなかった)
 しかし殺人を予測できなかったというのは、結果論で責めてはいないか。

 ストーカー被害といえば、女性が見知らぬ男からつきまとわれる……これは明らかに犯罪なので、警察は当然マークします。
 しかし、今回は男女の「恋愛」のもつれ。
 もちろん恋愛のもつれからストーカーになり、殺人事件にまでなったケースもあるので、「ストーカー規正法」なるものが制定され、これまでになく注意しています。
 しかし警察関係者によると、この種の相談は山ほどあるといいます。

 私は数年前ある告発事件で身の危険を感じ、警察の生活安全課に相談に行ったことがあります。
 このときは相手がヘタレだったので、こちらは事なきを得ましたが、おどろいたのは、相談者の数の多いこと。若い女性の姿(なかには女高生)もありました。

 全部とはいいませんが、恋愛のもつれ→ストーカー被害の相談も多いと思われます。
 訴える女性は切実だから、「今にも殺される」と訴えます。しかし大半はそこまで行かない。
 大っぴらにはいえないけど、署内では「大袈裟に騒いで」と一種狼少年(少女?)扱いです。
 にも関わらずストーカー殺人事件は後を絶たない。
 警察関係者は、どれが殺人事件に至る訴えなのか、現場での予測は不可能、といいます。
 それよりも私、この女高生の行動が不可解で、釈然としません。
 結果的には「交際(恋愛?)のもつれ」ですが、これは本当に恋愛の体をなしているのか。

 恋愛というのは、ふつう、目に見えるリアルな人間関係から次第に惹かれ合い、仲よくなり、親密になっていきます。少なくても相手の素性や、相性はわかります。

 しかしこの女高生はフェイスブックで知り合った男といきなり交際。
 こういうものは出会い系の一種と私は見ています。男からすればナンパのツール。ナンパの根底にあるものは性欲です。それをこの女高生はどこまでわかっていたのか。

 相手の素性はわからない。(実際男は学生と詐称しています)
 それに後にストーカーになり、逆上すれば人をも殺す凶暴な男であることも見抜けなかった。
 これはむろん結果論ですが、男を見る目もなく、危険を背負う覚悟もない女の子が、このような形で見知らぬ男と交際するのは、どんなに危険なことか。
 犯人は最低の男で厳罰に処すべきですが、目に見えない出会いの向こうでは、このようなストーカー予備軍が鵜の目鷹の目で若い女性を狙っている、と考えるべきです。

 この女高生は学校の成績もよく、女優としても将来を嘱望されていたといいます。
 それだったら学校や演劇仲間で、いい人間関係が育まれたはず。もしそこから男女の交際に発展したら、それはそれで(将来別れたとしても)真っ当な恋愛ではないか。

 そういう真っ当な恋愛をせずに、極めて危険な出会い方で、つまらぬ男と交際するとは不可解千万。
 当然親や友だちには内緒でしょう。(困ったら先生に相談していますが)
 例えは悪いけど、私は「東電OL殺人事件」を思い出しました。

 この女高生のなかにどんな闇(孤独)があったのでしょうか。
 私としてはそれが気になります。
 今月11日未明、福岡市博多区の整形外科病院がに全焼し、10人が死亡、7人が重軽傷を負いました。
 病院の火事、しかも整形外科。つい最近まで入院していた(今も通院中)身としては他人事ではありません。ニュースでリハビリ室が映され、理学療法士がコメントしています。
 「同じじゃないか」

 亡くなった方は、ほとんど身動きの取れない患者だったといいます。
 私も入院当時は、左足をギプスで固定され、右腕は三角巾で吊るした上にバストバンド。移動は車椅子しかない、それも看護婦さんの監視つきでした。
 そんな状態でいざというとき、逃げられるだろうか。
 もっとも死因は一酸化炭素中毒というから、動けても煙を吸えば終りかもしれません。

 調べが進むに連れて、病院側は病棟内を増築し(無届けだったとか)、階段は吹き抜け状態になり、しかも防火扉は閉まらなかったことがわかりました。
  これではあっという間に煙が病室に蔓延します。

 私が入院していた病院は今年オープンしたばかりで、設備などは万端怠りなく、通路によけいなものは置かれてなかったので一応安心です。(避難訓練していたかどうかは不明)
 しかし9月下旬に某リハビリ病院に転院したY子は「ここは建物が古いから不安」といい、私よりももっと切実感が強いようです。

 今回の火事の火元は1階のリハビリ室にある大型湯沸かし器。
 ひざや腰にあてる保温剤を温めるためのもので、夜間も常に電源を入れていたため、何らかのトラブルで発火したのではないかとされています。

 今回の教訓。
 「そんな療法があったのか」
 温熱療法です。
 温泉療法が効果的であることはわかっていますが、これは療法士さんからも教わらなかった。
 早速保温材を鍋で温めて、タオルに包んで肩に当てました。
 気持ちいい。肩の痛みがかなり和らぎます。

 えッ、事故の教訓とは違うじゃないかって?
 失礼しました。
 私の入院生活は本当に楽しいものでした。
 環境はいいし、食事もいい。医師、看護士、療法士、みんな親切でいい人ばかり。
 なによりも患者同士の人間関係に恵まれていました。
 913号に移ってからは、ヤクザ男、お調子者、Oさん、Kさん、それに骨折ライバルのN氏、さらにラウンジではコルセット三姉妹(I子、H子、Y子)とS君。
 それ以外にも歩行訓練仲間やラウンジで談笑した人、また患者を面会にきた家族の人たち……数え上げれば限がありません。

 息子からは「同室の人と仲よくしてね」と釘を刺された私ですが、この交流ぶりを見れば息子も「よくやった」と認めてくれるに違いありません。
 私はこれまでひとり気ままに生きてきましたが、これで集団生活にも順応できる自信がつきました。
 病室の窓
 「みんな出ちゃうから寂しくなるわ」とY子。
 31日に出るのは私だけではなく、H子、S君(ともに午前中)、私は午後4時の予定です。 
 Y子は6月23日から入院しているのですが、いちばんの重症患者で、ようやく少し歩けたという状態。 いちばん早く入院して、いちばん遅く退院することになります。

 私も歩行がままならず、300歩ほど歩いただけで左くるぶしが痛くなり、足が腫れ上がる状態です。
 これではひび割れた距骨が本当に繋がっているのか? と疑わしくなりますが、療法士の話では、
 「原因は距骨ではなく、左足がまだ弱いから痛みが出るのです」
 とのことで、解消法としては各部分を鍛えるしかありません。
 さて、泣いても笑っても8月31日(土)、最後の日。
 この日のリハビリは10時から、午前午後(肩と足)の分をぶっ通しで行われました。
 ふつうに歩くとくるぶしが痛くなるので、「当分はつま先で地面を蹴らないように」とウルトラC(?)が発令されました。「変則的な歩き方ですが、今後のリハビリでいくらでも矯正できます」
 なるほど、そういう手もあるのか。
病室から見た秩父連山
 「これからリハビリ行くけど、もしお兄さんが出るとき、まだリハビリやってたら、リハビリ室にきてね」
 午後3時ごろ、1階の会計で入院費の清算を済ませて9階のラウンジにもどってきたら、Y子にこういわれました。(リハビリ中、挨拶もせずに私に出て行かれたくないようです)

 「道が混んでいて、着くのが4時を過ぎると思う」
 3時50分、息子からの連絡。週末の川越街道は混むから、これは仕方がない。

 それでも息子は4時20分にきてくれました。
 荷づくりはできているので、すぐ発てます。しかし、その前に……。
 「Oさん、今日で退院です。Oさんは今は辛いけど、必ずよくなります。リハビリ室で会えることを祈っています」
 「Kさん、リハビリできるようになってよかったね。歩くのはもう少しです。頑張ってください」
 同室の圧迫骨折のふたりに最後の挨拶をしました。
 そして最も仲のよかったN氏……。
 「お世話になりました。これで退院です」と、ふつうにいえばよかったのですが、「Nさんが向かいにきてくれたおかげで、私の入院生活は楽しいものになりまし……」
 いおうとして、ウルッときそうになりました。ヤバいヤバい。

 そしてY子に電話。彼女は部屋にもどってました。「これからラウンジに行く」
 Y子の部屋は西端にあります。まだ歩行もままならないのに、そこからバタバタと駆けてくるY子を見て、またしてもウルッ。(いかん、年とともに涙腺がもろくなっている)

 「いよいよ、退院だ」
 「よかったね。またリハビリで会いましょう」
 「うん」
病院の前面
 エレベーターの前で、看護婦さんに手首の入院患者識別バンドを切ってもらい、Y子と数人の看護婦さんに見送られ、「いろいろお世話になりました」と挨拶して別れました。
 外に出ると、ムワーッとした熱気にクラクラッ。(これが下界の暑さか)
 「その前の道を通ってくれ」
 私の要望で、車は駐車場から病院の前の道路をゆっくりと通過しました。
 「なんだか『自由からの逃走』みたいだなあ」(参照
 そういうと、ハンドルを握っていた息子が笑いました。
 翌8月25日(日)早朝ラウンジでI子に会いました。
 「昨日はゴメン」
 「いいのよ」
 笑っています。

 I子は退院するに当たって、歩行訓練だけではなく、階段の上り下り、リハビリ室で台所の作業、お風呂の入り方など、ひと通り練習したけど、「やはり不安」といいます。
西側の光景
 ほどなくしてH子、Y子、S君(巨漢の糖尿病患者)が集まってきました。
 この日の朝食がI子にとっては病院最後の食事(昼は家族で近くの和食店で食事の予定)だから、「みんなで一緒に食べよう」と約束したからです。

 「S君のメニューは違うのね」
 「ぼくは低カロリー食ですから」
 さらにパンを千切って食べる人、挟むおかずが違う人……など、食べ方がそれぞれ違っていて面白かった。
 「今日は皆さんで揃ってお食事ですか」
 「賑やかで楽しいですね」
 横からお婆さんたちのグループに声をかけられました。
 お婆さんたちはパン食ではなく、ご飯です。お粥の人もいました。

 「食後はこれを飲まないとね」
 と部屋から持参してきた無糖のボトルコーヒーと内服薬。
 I子はそれを見て苦笑。(二度と勧めないから)
ふじみ野市
 食後I子の提案で連絡先を交換しました。
 私としては、病院は病院、退院すれば会うこともない、と思っていたのですが、女性というのは繋がりを求めるものらしい。(ちなみに同室だったヤクザ男、お調子者、仲のよかったN氏でさえ連絡先は知らず)

 「なに、お兄さんの携帯は赤外線がついてないの。信じられなーい」とH子がいうので、「赤外線って、なんだ?」と聞くと、みんなに笑われました。
 携帯に関してはH子、Y子、S君がスマホ、私とI子がガラ系で、赤外線がないのは私だけ。
 仕方なくみんなに電話番号とメールアドレスを書いた紙を渡しました。
 するとほどなくして「今後ともよろしく。これを登録してください」とH子からメール。
 なるほど、これがメアド交換か。初めての体験です。
あかね空
 午前のリハビリが終ってラウンジにもどると、みんな集まっていました。
 I子は化粧し、コルセットをなかに入れての私服姿(年の割りにケバい)。
 娘さんとご主人もきて、「お世話になりました」と挨拶し合いました。

 「それじゃ、もう行くから」とI子は看護婦さんに手首の入院患者識別バンドを切ってもらい、娘さんとご主人とエレベーターに。
 「みなさん、お世話になりました」
 「I子さんもお大事に」
 みんなで見送りました。こうしてI子は無事退院しました。
 このときはあわただしく、なんの感慨もなかったのですが、翌朝廊下に出たとき、いつも歩行訓練していたI子の姿がもう見られないことで、彼女が退院したことを実感しました。
 8月24日(土)朝。いよいよ本格的な歩行訓練です。
 前日のレントゲン検査で、
 「左足100%加重OK。どんどん歩行訓練をやりなさい」との診断が出ました。
 実はその前から「退院は31日」と主治医に決められているのです。
 歩けるかどうかわからないのに、先に退院を決める。「最初に退院ありき」です。
 まあ、いい。こちらも早く歩けるようになりたい。

 そんなわけで、張り切って歩行訓練を始めました。
 私の病室は東端にあるので、そこから中央ラウンジを通り、西端に行きました。
 実は病棟内の廊下は二本あって、この廊下の西端は非常口になっていて外が見にくい。そこでもう一本の(南側の)廊下に出ました。
 この廊下の西端はI子(62)やH子(52)の病室があります。
富士山①
 その廊下に出たとき、彼女たちから「お兄さん、富士山よ!」
 なんと、狭山丘陵の向こうに富士山がそびえ立っているのがはっきり見えました。
 「おッ」
 私はまだ(左足が万全ではない)歩行訓練中の身を忘れ、バタバタと(東端の)自室にもどり、カメラを持って西側のガラス戸まで取って返しました。

 「意外に大きいのね」
 私も富士山は都内で何度か見たことはありますが、それよりはるかに大きい。
 それもそのはず、ここはふじみ野市と富士見市にはさまれたところ。両市とも「富士」にちなんでいる。それだけ富士山が見える格好の場所だからです。(紛らわしいけど)
 「でも今日初めて見た」
 「夏は見えないのよ。でも昨夜の激しい雨で空の汚れが洗い流されて、空がきれいになったからよ」
 私としてもあと一週間で退院というところで見られるとは、なんたるラッキー。

 こうして妹たちと富士山見物を堪能し、部屋にもどろうとしたところ、「お兄さん、足引きずってるわよ」とI子に指摘されました。
 さっき無理して走ったために、左足が痛い。見ると腫れあがっています。「これはまずいことになった」

 実はI子が明日退院なので、「一緒に歩行訓練しようね」と約束していたのですが、これでは無理。「ゴメン、この通りだ」と跛行して部屋にもどりました。
富士山②
 看護婦さんには、「先生の指示通りガンガン歩行訓練したら、こうなりました」と報告。
 「あらあら、これは大変」
 この状態は主治医にも伝わったはずです。しかし主治医は顔を出さず、看護婦さんが冷湿布を持ってきただけ。 (先生の心中やいかに?)

 あとで車椅子でラウンジに行くと、I子に文句をいわれました。
 「なによ、お兄さん。最後だから、手をつないで歩くの楽しみにしてたのに」
 こちらは平身低頭。詰めの甘いところがいかにも私らしい。

 それにしてもこの朝の富士山は何だったのか。
 いいことが起こる前触れだと思ったのに。
 I子と歩けなくてよかったのか、悪かったのか。よくわかりません。
 私がO夫妻にことばをかけて数日後、コルセット姉妹のひとりY子(44)から、
 「お兄さん、Oさんになにをいったの。奥さんすごく感謝してたわよ」といわれました。
 「えッ、なんのこと?」

 Y子たちがラウンジで雑談していたら、Oさんの奥さんに話しかけられ、圧迫骨折についていろいろ聞かれたそうです。「私の夫も圧迫骨折で、今寝たきりなんです」
 そこでY子たちは、自分の体験談を交えて、奥さんを励ましました。
 「最初は辛いけど、コルセット着ければ起き上がれるようになるし、リハビリ続ければ必ず歩けるようになります。だからOさんも頑張って」
 
 奥さんはさらに同室の私のことに触れ、声をかけられたことが「涙が出るほどうれしかった」とか。

 意外でした。
 なんの脈絡もなしに、思いつきでいったことがそんなに感謝されていたとは。 
東端の窓から見る朝日① 東端の窓から見る朝日② 
 Oさんに少し遅れて、となりに入院してきたKさん(84)。
 この人は腰を打っての圧迫骨折。そのため最初は寝たきりで、食事は30度。排泄はリハビリパンツという状態で、看護婦さんには恐縮しきりでした。

 そのKさんがコルセットを着けて、食事のとき50度起こされて「食べ物が見える!」とよろこんだとき、となりで聞いていた私はどんなにうれしかったか。
 そこで通りがかったとき、「よかったね」と声をかけました。
 そしたら堰を切ったように話す、話す。
 それ以来、朝食後Kさんと話すことが日課になりました。
 以前いた療養病院でのお風呂の様子を話してくれたのはこの人です。 
朝日を浴びた廊下・突き当たりは西端のガラス戸 
 Oさんといい、Kさんといい、私のほうから話しかけるということは、これまでの自分には考えられなかったこと。変われば変わるものです。

 「Y子は入院する前のオレのことは知らないだろうけど、人を励ますなんてこととはおよそ無縁の人間だったよ。人は人、オレはオレで生きてきたからなあ」
 Y子にこう話すと、怪訝な顔をされました。
 「ところが入院して変わったんだよ。この年でこんなことってあるのかね」
 Y子はしばらく考えて、
 「それは神様の思し召しよ。お兄さんに『よかれ』と思って神様が突き落としてくれたんだよ」
 なにをいうのだ、こいつ……といいかけて、ぐっと呑み込みました。そうかもしれない。
 こんな若い娘(?)にいわれるとは思わなかった。

 これについて、アメリカに住む従姉がこんなことばを寄せてくれました。
 「人生、無駄なことは何ひとつありません。患者は孤独な病室で痛みや不安に耐えつつ、人生の生きる意味に気づかされ、この地球に存在している神秘に触れることができるのです。病院は居たくない場所でありながら、最も祝福(全快退院、天国行きも含めて)された場所ともなり得るのです」

 私が何気なく声をかけたことが、孤独な患者の琴線に触れたのでしょうか。
 それに病院は祝福された場所。
 私の入院体験はつくづく無駄ではなかったと思いました。
 病院内とはいえ、見ず知らずの人に対して「どうされました」と聞くなんてことは、これまでの私には考えられないことでした。
 私はもともと徹底した個人主義。人のことなど知ったことか。それが私の基本的な対人観でした。

 そうした自分の対人観は、人にちょっとやさしくされて、コロリと変わりました。

 8月半ば斜め向かいにOさんという患者が入ってきました。
 年齢は40前後。終始寝たきり。ひどい痛みあり。食事は30度。排泄は便器で。
 医者とのやり取りで、炎症が原因の圧迫骨折であることがわかりました。
 しかしこの炎症性というのが厄介で、抗生物質を点滴投与し、レントゲン撮影と血液検査(それも大量に採血する)で、なにが最も効果的なのか、その調査をくり返すという途方もない作業。
 主治医の「上手く病原菌が見つかってくれればいいんだけど」のことばに、他人事ながら心配になってきました。

 奥さんがしょっちゅう見舞いにきます。
 スラリとして、なかなかの器量よしですが、夫といるとどうも暗い。
 病状が病状だけに無理もありません。
病室から見た日の入り
 どうしてそんなことをしたのか、あるとき私は彼らのいるところにいきなり顔を出し、
 「Oさんは今は辛いけど、必ずよくなります。ここは医療体制も万全だし、先生方も優秀。その証拠にラウンジへ行けばコルセットをつけて歩いている仲間がウヨウヨいます。みんな圧迫骨折です。彼女たちも最初のころは寝たきりでした。なかには1ヵ月以上寝たきりだった子もいます。Oさんの場合は時間がかかるかもしれないけど、必ずよくなるから、気をしっかり持って頑張って」
 こんなことを話しました。 

 不意だったにもかかわらず、Oさんの表情に生気が漲り、奥さんの顔がパッと明るくなりました。
 それを見て私は「よかった」と思いました。
 と同時に彼らの表情を見て、急にこっちも元気になった気がしました。

 待てよ、これはどこかで聞いたことがあるぞ……。

 「現地の人たちを元気づけようと思って行ったら、逆にこちらが元気をもらいました」 
 これは東北の被災地を慰問に行った芸能人たちがよく口にするセリフです。
 私はこれが大きらいでした。どいつもこいつも紋切り型の社交辞令をいいやがって。

 しかし私もO夫妻を励ましたことによって、こっちが元気になっている。まさにこれではないか。
 これを自分なりに分析してみると、
 ①人を元気づけるには自分が元気でなければならない。
 ②人を元気づけたとき、自分も元気になっている。
 ③元気をもらう、という表現になる。
 つまり人を元気づけるとは、自分を元気づけていることではないか。
 芸能人たちは表現下手だから、あのような陳腐なことばになるのだ。

 今回の入院でその意味がわかりました。
 自分が元気になろうと思ったら、人を元気づければいいのです。

 入院したてのころ、私はいろんな人から「どうされました」と聞かれました。
 当時私は右腕を三角巾で釣った上にバストバンドを巻き、左足はギプスで固定されて、車椅子に乗っていました。
 その格好を見て、「こいつはなんでこんな大怪我したんだ」という興味が涌いたに違いありません。

 聞いてくるのは中年以降の女性、中年男性、若者(若い女性は聞いてこなかった)。
 ラウンジや廊下で会ったときや、エレベーターで一緒になったときなどです。


 聞かれて私は正直に答えました。聞かれるのは少しもいやではなかったからです。
 聞く側には「興味本位」もあったと思います。しかし私は彼らの問いに暖かいものを感じました。
 何かに興味を持つということは、そこに愛着があるからです。これは好奇心旺盛な自分がよくわかっています。

病室から見た夕焼け

 私が怪我したときの状況(参照)をリアルに語ると、みんな興味を持って聞いてくれました。
 これは素晴しいことです。
 人間は自分の思い描いていることを人に語ることによって、より明確化するからです。
 さらにいうと、聞き手の反応を見ながら、「これが受けるのか、この表現は受けないな」とプレゼンテーションの訓練になります。
 これは話すだけではなく、文章表現にも役立ちます。


 私が怪我をした状況を語るときに、最もいいたかったのは、


 「人間はいざとなると、『生きよう』とする意欲が湧き起ってくる」


 このひとことです。
 これについては、若者、おばさん、年上のおじさんにまで説きました。
 これは自分の体験から出てきたことばで、けっして「上から目線」でいっているのではありません。聞いた人もそのように受け取ったと信じています。


 もっというと……。
 人に自分の状況を語ることによって、自分は確実に元気になっているということです。
 自分のことを聞いてくれる人がいるというのは、何とありがたいことか。
 私は興味本位で聞かれることは大歓迎です。


 それを痛感した私は、病院内で会う人ごとに「どうされました」と聞きました。
 聞かれた人はみんなうれしそうに答えました。
 そして語っているうちに、その人が明るく活気づいていくのを、私ははっきり読み取ることができました。

 毎朝6時ごろ廊下に出ると、歩行訓練している女性と顔を合わせます。長身でほっそりしてコルセットを着けています。
 「早いね」というと、「お兄さんこそ」
 彼女はI子(62)。私のことを「お兄さん」と呼ぶので、「妹」にしました。(参照
 太極拳で舞台から落ちて圧迫骨折を起こしたそうです。

 「ほら、あそこにお寺が見えるでしょ。うちのお墓があるの」
 「あれ、お墓か。てっきり自転車置き場かと思ったよ」
 「バカねえ。あれが自転車置き場に見える?」
 廊下の突き当たりのガラス窓のところで、よく語り合いました。
廊下の東端から見た光景
 「美味しいコーヒーが飲みたいわ」というので、息子から差し入れてもらった無糖のボトルコーヒーを飲ませたところ、美味い不味いはいわず、「うーん、こんなの飲んでるんだ。エライわね」
 この「エライわね」というのが、やんわり否定されたようで、以後コーヒーを飲ませるのはやめました。

 8月10日の伊佐沼(川越市)の花火を「ラウンジで一緒に見ようね」と約束したところ、当日ふたりの女性が新たに加わりました。I子の妹分のH子(52)、Y子(44)。コルセット仲間です。
 「おや?」
 「あらッ」
 Y子はリハビリ室でニコッと微笑んでくれた女性です。
 「なんだ、あなたたち、知り合いだったの。隅に置けないわね」

 こうして4人で花火を見ながら談笑しましたが、Y子が近くにいたので、専ら彼女と話しました。彼女は車に追突されて背中を強打、そのための圧迫骨折を起こして入院しました。
 外科手術もあったのですが、彼女は温存療法を選択。ただしこれは約1ヵ月間寝たきり状態。
 食事のときは30度しか起こせず、なにを食べているのかわからなかったそうです。
 「お汁が上手く飲めなくて、何度も胸元にこぼした」

 食べれば出るのが自然の摂理。寝たきり状態の人間にとって、これがいちばん辛い。
 トイレで用を足すことができないので、便器で取ってもらいます。
 「看護婦さんにはお尻まで拭いてもらった」
 圧迫骨折の患者は、多かれ少なかれ、みんな体験しているそうです。
花火の夜
 H子も事故で圧迫骨折を起こしましたが、彼女には幼少期にかかった病気の後遺症を抱えているという特殊事情があります。そのためリハビリは別メニューです。
 ご主人(65)が毎日見舞いにきました。この人もまた足に骨肉腫を抱えていて、H子の退院後、ここで手術して、入院する予定です。
 「夫が毎日くるのは、自分が入院したとき、きてほしいから。きてあげるけど、あくまでも(通院)リハビリのついで」とH子は憎まれ口を叩いていました。

 年上のI子は口達者で、私はいつもからかわれました。
 しかしいいところもあって、「お兄さん、肩痛むでしょ」とマッサージしてくれました。
 これは療法士さんとはまた違う手つきで、気持ちよかった。このときほど兄貴(?)冥利を感じたことはありません。
 日ごろの憎まれ口もこれで帳消し。いや、お釣がくるかな。

 この3人の女性との交流、どんなに親しくなっても、恋愛感情も涌かなければ、性的な欲望に駆られたこともありません。だから彼女たち(みんな家庭持ち)も安心して、私とつき合ってくれたのでしょう。
 私には妹がいないので、兄妹の愛情がどんなものかわからない(寅さんで知るぐらい)けど、これがそうなら悪くないな、と思いました。

 彼女たちとの交流は、それぞれが退院した今も続いています。
 8月1日の早朝でした。なんだか向かいのベッドが騒がしい。
 (新しい患者が担ぎこまれてきたな)
 それにしても看護婦さんとの押し問答がしつこく続いています。
 「……さんは大変な怪我したんだから、奥さんの連絡先を教えてください」
 「だからそれには……先生の診断を先にいってくれないと」
 「手術するんです。だから……」
 「それだったら、先生の診断を……」
 看護婦さんは一端引き下がりましたが、また別の看護婦さんがきて同じような問答をくり返しています。
 頑固そうなジジイだな、よほど奥さんと仲が悪いのか。

 何度目かで看護婦さんがとうとう、「今、下の救急班の看護士が奥さんに連絡しました」
 男はそれを聞いて、「えッ、連絡したのか。弱ったなあ……」
 これを聞いていて、私はさぞかし険悪な表情をした因業ジジイだろうな、と思いました。

 明るくなってカーテンを開けました。向かいも開いています。
 ランニングに短パン姿。ガッシリした体格で、全身真っ黒な男がベッドに座ってました。。
 「大丈夫ですか」と声をかけると、男はニコッとしました。 
 「おやッ……?」
 意外にもさわやか系のいい男です。俳優でいえば梅宮辰夫タイプ。
 思い描いていたイメージと全然違うじゃないか。

 「どうしたのですか」と聞くと、男は、
 「酔っ払って、つまづいた拍子に(右)膝のお皿が割れて、立てなくなったんだよ」
 これがふじみ野市に住むN氏(73)との出会いでした。
 私より年上なのに、若々しい。真っ黒になった原因は魚釣りだとか。
 「最近はびん沼川(地元)が多いけど、大洗(茨城)、銚子(千葉)、三浦半島(神奈川)へは車でよく行ったよ。この日焼けは二年越し」
 それにしても、太腿の裏側まで真っ黒に焼くとは。おそらく炎天下パンツ一丁で釣り糸を垂らしていたに違いない。私からすれば自殺行為です。(いわなかったけど)

 奥さんは午後きました。
 話し合っている様子からすると、夫婦関係は悪くなさそう。
 しかし奥さんは50代半ば。年齢差があります。
 聞いてみると奥さんとは再婚で、勤めている。ははア、それで知らせたくなかったのか。

 手術は翌日。やはり全身麻酔で、横に割れたお皿にX状の金属をかけてつないだそうです。
 膝が曲がらないように、ふくらはぎから太腿にかけて足カバーをつけられました。
 もちろん着地はNGで、移動は右足を伸ばした格好での車椅子。
 「これじゃどこにも行けないよ。悪いのは膝だけなんだけどなあ」と口惜しがっていました。

 N氏は表情豊かな男で、おどろいたときはギョッとした顔をし、呆れたときは「オー」と両手を開いて肩をすくめる、まるでアメリカ人。それが面白くて、なんとかこの男を笑わせてやろうと躍起になりました。一日中、見ていても飽きない男でした。

 このN氏もリハビリ大好き男。体力派なので、療法士さんに指示された以上にガンガンやる。
 若い女性療法士さんのときは、ふざけて、まるで孫と遊んでいる感じでした。
 しかしこの男、自主トレは熱心で、ベッドの上では足を鍛え、車椅子で廊下に出ては腹筋や腕力を鍛えていました。
 それを見て、「オレもやらなきゃ」と思ったものです。

 リハビリ室でとなり合わせたときは、こちらは彼に「しっかり歩け」
 彼は彼で、こっちが錘を持って腕を上げていると、療法士さんに「もっと重いの、乗せてやれ」
 療法士さんに腕を伸ばされて痛くても、彼がとなりにいると意地でも「イテテ……」とはいえない。
 そんなオヤジ同士の意地の張り合いに、女性療法士さんはくすくす笑っていました。

 しかしこのN氏、ハードな自主トレの甲斐あって手術から2週間目には松葉杖併用、さらに3週間目には杖なしで歩くという、驚異的な回復ぶりでした。
 私もそのころ歩行訓練に入った時期だったので、「月末には一緒に退院できるね」とよろこんだのですが……。
 「早く退院させると、車の運転をしたがるので困ります」と奥さんが主治医に訴えたので、病院側も「事故でも起こされたら、病院の責任も問われかねない」と、彼の退院は9月に持ち越されました。
 ラウンジは病棟のほぼ中心にあります。
 飲み物の自販機もありますが、無料の給湯器があり、ほうじ茶が出るのでみんな利用します。
 そして仲のいい者同士が雑談するには格好の場所でもあります。また面会の場所でもあります。

 ここはしかし、食事どきになると様相が一変し、お婆さんたちが5~6人集まって食事するのです。
 「ここは婆さんたちのレストランか」
 最初は仲良しグループが好き勝手に集まっているのだと思いました。
 しかしよく見ると、看護婦さんがお婆さんを各病室から車椅子で運んできています。
 そこで、これは厄介な婆さんたちを集めて看護婦さんが看視しているのか、と気づきました。
 婆さんたちは無理やり集められているのですが、それでも和気藹々、仲よくやってました。

 私はここでお婆さんたちによく話しかけられました。
 以前述べた「非人間的な手術をやりますねえ」といった婆さんもそうですが(参照)、私の格好がよほど興味を引いたのか、「大変ですねえ」から始まり、いろんなことを話しました。
 ラウンジから見たスタッフステーション
 以前なら私は相手にしなかったでしょう。婆さん相手の会話はきらいでした。
 卑近な例が妻の母。
 典型的な田舎のおばさんで、話すのはいつも見の上話。愚痴と自慢のくり返しで、陳腐な内容なのに、さも小説の主人公のように意味ありげに語る。あとは人の悪口。もう、うんざりです。
 妻とのあまりの違いに愕然とし、その後は適当にあしらいました。

 数年後、私は引っ越し、新しい土地でお婆さんたちとつき合うようになると、「多かれ少なかれ、年配女性とはそういうもの」と思うようになり、できるだけ話を聞くようになりました。
 同時に、自分は義母に対して何と冷たい仕打ちをしていたのか、忸怩たる思いに駆られました。
 当時の私は若く、話を聞く心の余裕がなかった。
病室から見た夕陽
 あるお婆さんとラウンジで話しているうちに、話が通じ、その流れで義母のことを話したところ、「きっとお義母さんはわかってらっしゃいますよ」
 これには一瞬ウルッときました。
 ところが病室に戻ろうとすると、「あなたはF町に住んでいるのね。するとあなたについていけば帰れるのね」と私の後から車椅子でついてこようとします。
 なにをいうのだ、この婆さん。
 私はあわてて看護婦さんを呼び、引き止めてもらいました。
 しっかりしたお婆さんだと思ったのに、愕然としました。

 かと思えばいつも大声で話すE婆さん(93)。「S子(娘さんの名)はこないね。S子を呼んで」
 看護婦さんは「さっき呼びましたよ」。(方便です)
 この人は若いころ、料理屋の女将をやっていて、一時は羽振りがよかったそうです。
 あるとき、数人で雑談していたら、ここ(病院)の食事は誰が賄っているのか、しつこく聞き、
 「私の年金で皆さんにフランス料理をご馳走しますよ」
 これには一堂、声を合わせて「ありがとうございます。ご馳走になります」
 (バカバカしい)
 この人は系列の療養病院に転院しましたが、公約はとうとう実現されずじまい。

 こうしたお婆さんと話しするのは、けっこう退屈しのぎになります。
 ただしけっして真に受けてはならない、と痛感しました。
 入院したとき、左足は「距骨(きょこつ)粉砕骨折」と診断されました。
 距骨とは腫骨(しょうこつ)の上にあって、脛の骨に繋がるところですが、ここの骨折は珍しいそうです。
 「骨片が小さいので手術はせず、ギプスで固定することによって骨接合を目指す。(約6週間)」
 という処置が下されました。

 入院当初は簡単なカバーでしたが、肩の手術から3日後、ギプス固定されました。
 足裏からふくらはぎにかけて、足の裏側にカバーをつけたまま、医師が綿をはさんだ包帯をグルグル巻いていきました。
 これからどうするんだろう、と思っていると、「はい、終り」
 えッ、ギプスって石膏を流し込むと聞いていたけど……。
 ところが包帯で巻かれたところを触ってみるとカチカチに硬くなっていて、固定されています。
 えッ、これがギプスなの?
 不思議な感じでしたが、これが最新のギプスです。

 ギプスで固定されると、左足はほとんど使えません。着地するのは当然禁止。
 移動するときは、左足を伸ばした格好での車椅子。
 ただしそれでは左足が弱っていくので、「腿や膝、指先を動かすように」といわれました。
 「痺れはありませんか?」
 毎朝看護婦さんに聞かれます。
 最初のころは「ありません」と答えていたのですが、10日ぐらい経つと痺れてきました。
 そこで「痺れます」といったら、「ギプスしてるから仕方ないわね」ですと。なんだよ。
ギプスした左足
 18日後、「今日ギプスを取り替えます」とのことで、まずはギプスの取り外し。
 これにはギプスカッターという丸刃の電動鋸が使われます。
 医師が線を引いたところを看護婦さんが切っていくのですが、これが最高に気持ち悪い。
 まずギィーンという音。それに切り口から足の皮膚に熱風が当たる。これは摩擦熱です。
 さらに丸刃の鋸がザクッと深く入ると、「あー、皮膚を掠られる」と気が気ではない。
 (あとでみんなから「見なきゃいいじゃないか」といわれました)

 こうしてギプスは無事外されましたが、処置室でまた新しいギプスを巻き直し。
 これはギプスをしていると、足が細くなって隙間ができるからだそうです。

 その9日後、再びギプスが外され、レントゲン検査。
 再々ギプスか、と思ったのですが、「もう外してよろしい」
 これはうれしい。
 そして50%加重可。これは、両足で立つのはいいけど、100%加重は不可、つまり歩くのはダメという意味です。

 立てるということでは一歩前進ですが、ギプスを外したばかりの左足は細くて、ふくらはぎがプヨプヨ。なんとも弱々しい。 そのくせ足先がむくんでいます。
むくんだ足
 早速やらされるのが左足のつま先でタオルをつかんで引き寄せる運動。しかしこれがなかなかできない。(これをやらされて怒る人もいるとか)
タオルをつかもうとするが…… やっとつかめた
 当然自主トレとして課されますが、指先の力が弱いものだから、タオルがまったくつかめない。
 何度やってもつかめないので、情けなくなりました。
 それでも5日目にやっとつかめました。
 こうして少しずつ左足は強化されていきますが、歩くまでの道のりは長いのです。
 リハビリは午前と午後、約40分ずつ。
 療法士さんにマッサージされて、筋肉の曲げ伸ばしをやらされるのですが、それだけではなく、「自主トレ」というのを課されます。

 初期のころに課せられた自主トレは、お辞儀する格好で右腕を振り子のようにブラブラさせるものでした。
 このとき肩の骨がゴキゴキッと音がして痛い。けれどもそれを続けていくと、ゴキゴキはなくなり、痛さもなくなってきます。毎回これのくり返し。
 そして歪んだ肩甲骨を元にもどすために、肩甲骨のみを寄せる。
 これが難しい。というのも肩甲骨を寄せるに際して、ふつう腕を使いますが、それだと本当に肩甲骨を寄せることにならないそうです。
三角巾  
 左足はギプスをしているので、足を伸ばしたまま上下、左右に動かす。さらに腹筋運動を自主トレに課されます。

 私は最初「リハビリだけやっていればこと足りるのではないか」と思ったのですが、これは大間違い。
 というのは療法士さんの施術によって、いくら縮んだ筋肉が伸ばされ、軽くなったとしても、1~2時間後には硬くなってくるので、 小まめに運動する必要があるのです。

 また療法士さんの施術の効果を上げるためにも、自主トレはしておいたほうがいいのです。
 療法士さんに施術されるリハビリを授業とするなら、自主トレは予習復習と考えるようになりました。

 さて、腕の三角巾が取れ、ギプスが外れると、可動域が広がるので、いよいよ本格的に筋肉の曲げ伸ばしが行われます。その分痛みが伴います。
 その痛みとは、(怪我によって)カチカチに縮んだ筋肉を正常に伸ばすときに生じる痛みです。だからこの痛みは、動かせることへの代償と考えるしかありません。
 それに今その代償を支払っておかないと、後になればなるほど、筋肉は曲がったまま固まり、本当に動かなくなります。(動かすにはもっと大きな痛みが伴う)
 まさに「いつやるか、今でしょう」

 この段階になると、いろんな運動を教えられ、自主トレはより複雑になります。

 忘れられないのは、仰向けになって右肘を床に着け、前後に倒す運動。
 とくに後ろには、肩の筋肉が縮んでいるため、倒れるのはせいぜい60度ぐらい。
 そこで左手を抵抗物にし、右手で押し返す。すると右肩が柔らかくなるので、左手で押すと60度以上倒れるのです。
 これは猛烈に痛い。しかし少しずつくり返していると、50度、40度、30度……と手の甲が床に近づくようになります。
 「なんとかして週末には床に着けたい」
 そんな思いで水曜日には30度を越え、木曜日には20~10度。そして金曜日には手の甲が床に着きそうだったので、痛さも忘れ、左手でグイと押し込んで着けてしまいました。
 やった!
 むろんこれで終わりではなく、くり返しやらなければまた硬直しますが、「ここまでできた」というのは大きな前進で、今後の自信になりました。

 私の感想では、療法士さんの施術によるリハビリはそれほど痛くない。
 それよりも自主トレのほうがはるかに痛い。
 しかしその痛みに耐えなければ絶対に回復しない、ということを痛感しました。
 リハビリは手術の翌日から始まり、その翌日から午前と午後リハビリ室で行われるようになりました。
 ここはいうならば各種機材のそろったトレーニングジム。
 あちこちの台で患者が療法士さんに施術してもらってますが、なかには歩行用の平行棒、エアロバイクやロードランナーなどもあり、見てるだけで楽しそう!

 もちろん人によっては痛い思いをせねばならず、私自身も痛い思いをしましたが、それでもここは楽しいところです。
 なによりも人が頑張っているのを目の当たりにできる。これは感動します。
 また自分自身も人に見られるので、無様なことはできない。「やらなきゃ」という気になります。

 とくに私は年配の女性を見るのが好きで、思わず「頑張れ」と声をかけたくなります。
 そんな思いで見ていると、相手にもその気持ちが通じるのか、目と目が合うとにっこりあいさつするようになります。これが楽しい。

 あるとき右腕の曲げ伸ばしを施術されながらとなりの台を見ると、コルセットをつけた女性が膝の曲げ伸ばしをやらされてました。
 私と顔が合ったとき、その女性がニコッ。
 それを見たとたん、「オレも頑張らなきゃ」と思ったものです。
 これが後に私の「妹分」になるY子(44)です。
 親しくなってから「あんたはオレの恩人だよ」といいました。
リハビリ室
 なかには「イテテテ、痛えよッ、やめてくれ」というオジサン。
 激痛を訴えられると療法士はやめざるを得ませんが、「今やらないと、永遠に治らないのになあ」と思っています。
 (ちなみに女性のほうが痛みに強いそうです)

 奥のほうでは女性が療法士さんに向かって大きな声で「お母さん!」と叫んでいました。
 不思議なリハビリもあるものだ、どういう効果があるのだろう、そう思って療法士さんに聞くと、「あれは発声練習です」
 この女性は脳梗塞の後遺症で声が出なくなったために、大声を出す練習をしているのだとか。

 音読練習というのもあります。
 あるときひとりのジイサンがテキストを読んでいました。
 「今日は晴れていて気持ちがいいです……富士は日本一の山です……ぼくは将来サッカーの選手になりたいです」
 これには笑いました。こんなジジイがサッカー選手に?
 私を施術していた療法士さんも笑ってました。

 あるおじさんはなにもせず、車椅子に座ったまま。点滴袋をぶら下げてました。80近いお年寄りかと思ったら、私と同い年だそうです。
 「あの人はどういうリハビリをしているの?」と聞いたら、なにもしないとのこと。
 この人は放っておくと居眠りする。そのため夜眠れず他の人に迷惑をかけるので、昼間はここに置いてときどき療法士さんが揺すったり声をかけたりするのだとか。
 「こんなリハビリもあるのか」
 思わず笑いました

 私が笑うのは、バカにしているからではありません。
 人が「生きよう」と努力している姿を見ると、微笑ましくなるのです。これは彼らに対するエール、愛情表現です。

 そんな人たちの人生模様がここでは一挙に見られる。
 だからこそリハビリ室は楽しいし、飽きないのです。
 昨日(09/30)は退院して初めての検診でした。
 入院中は、リハビリは午前と午後あり、主治医の回診は午前中にありました。
 ところが退院した途端、リハビリは週2回、検診は1ヶ月後。
 いきなり突き放された感じですが、これは制度的なもので、病院が冷たいのではないようです。

 こちらとしては、肩の調子は徐々によくなっているけど、足がなかなかよくならない。
 「ひょっとして、骨がまだじゅうぶん繋がってないのに、体よく追い出された?」
 そんな疑心暗鬼にも駆られます。

 右肩と左足のレントゲン写真を撮られました。
 主治医はそれを見ながら、
 「足の骨はもう繋がっているよ。くるぶしが痛むといっても、ここに異常は見られないし。要するに左足がまだ弱いから、そこにしわ寄せがくるんだろう。左足が強くなれば大丈夫。肩は?」

 そこで私は右腕を上げました。肘は少し曲がっていますが、ほぼ180度上がります。
 「ほう、これは大したもんだ」
 主治医は目を丸くして、
 「あんな大怪我した割には順調な回復ぶり。リハビリ頑張ってますねえ」
 こうまでいわれるとこちらも気分がよくなり、「先生の手術のおかげです」と礼をいいました。
 「この調子でリハビリ頑張ってください。次回の検診は……11月10日にしましょう」
 ずい分間があるじゃないか、と思ったけど、頻繁に見る必要もないからでしょう。
 なによりも「順調な回復ぶり」といわれたのがうれしかった。
 すっかり気分よくして、午後から近くの「大井・真名井の湯」(ふじみ野市)に行きました。
 ここは川越へ行く途中通るのですが、入ったのは今回が初めて。
 「温泉浴はリハビリにいいんですよ」と療法士さんにいわれたからです。
真名井の湯・入口 玄関
 入浴料は意外に安く700円。
 大浴場には紫色の湯(日替わり風呂)や、ぬる湯、ジェット風呂などがあります。
 湯に浸かって手足を動かしました。手も足も痛みがなくなり、スムーズに動く。
 とくにジェット風呂が心地よい。「なるほど、これが温泉効果か」

 楽しくなってあちこち入ってみました。
 大浴場の奥に蒸し風呂とサウナがあります。昔は長時間入ったものですが、今は療養の身、いずれも5分ほどで出ました。それでも汗びっしょり。
休憩室
 「おや、外にもあるのか」
 外の庭園で裸のオヤジが数人うろうろしているので、出てみました。
 いくつかの露天風呂があります。弱アルカリの天然温泉の万葉湯、炭酸温泉の風呂など変化に富んでいるので、面白さのあまり、あちこち出たり入ったりしました。
食堂
 かれこれ1時間ぐらい入ったでしょうか。
 あまり入るとのぼせるので、上がりました。
温泉の効能書き?
 大きな食堂があり、食事もできるようです。
 館内をひと回りして帰りましたが、こんなに身体が軽くなるとは。
 時間があればまたきます。