このところTVの番組で「鎌倉特集」が多い。
 紫陽花の季節で明月院や長谷寺が賑わうからですが、世界遺産登録にまだ拘泥しているからのようにも思えます。
長谷寺 大仏
 以前も述べたように私は世界遺産には反対。
 鎌倉は横浜に次いで好きな都市ですが、それは世界遺産という堅苦しい枠組みを突き抜けた独自の文化があるからです。
材木座海岸 

 鎌倉には由緒ある神社・仏閣がある一方、小町通りのようなファッションタウンもあり、由比ヶ浜や材木座海岸はウィンドサーフィンのメッカでもあります。
 大人も若者も子どもも楽しめる「ごった煮」の魅力。それが鎌倉。

 そんなところが世界遺産になるわけがない。
 
 ところがなにをトチ狂ったか、市長をはじめ地元商店街は「ぜひ世界遺産に。もう一度策を練り直す」などといっています。
 一昨日(06/28)のNスタ(TBS)でも「そりゃ世界遺産になってほしいよ。そうすりゃもっともっと人がきて、客が増える」と飲食店のオヤジが公言してました。

 浅ましい。そもそもこのオヤジは世界遺産の意味をはき違えています。  
小町通り① 小町通り②
 「世界遺産とは、その環境を守ろうというのが主旨。観光客誘致のお墨付きじゃないんだよ」
 と「ゆうゆうワイド」(TBSラジオ)のパーソナリティ大沢悠里さんはいいます。

 「鎌倉はマンションが多く建ちすぎだよ。それに小町通りはまるで竹下通り(原宿)並み。これじゃ世界遺産にはそぐわないな」とも。
小町通り(scene)
 Nスタでは反対意見も取り上げてました。
 「観光客が多くなると事故やトラブルが増える」
 「トイレが足りなくなる」など。
小町通り③
 実際、私は某喫茶店で「トイレ使わせてください」と入ってきた数人の観光客を目撃したことがあります。
 珈琲を注文するわけでもなく、あまりに図々しい。丁重に断られてましたが、当然です。
 こんな観光客が増えるのかと思うとうんざりです。

 この分では私が反対しなくても、世界遺産の目はなさそうです。
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 6月になってだらだらと続けてきた紫陽花シリーズ。
 最後は一面の紫陽花でビシッと決めたい。
 そんな思いで越生の山奥、あじさい街道にやってきました。
あじさい街道①
 前にもいいましたが、私は植物学者ではないので、花の拡大写真を提示して名前の講釈をしてもしょうがない。
 それよりも花がそこでどのように咲いているのか、背景はどんなところなのか、人々はどのように花を愛でているのかに興味があり、そこで見聞きしたことを伝えるようにしています。
あじさい街道入口
 というわけで、越生の紫陽花。
 61号線麦原入口より入ると、あじさい街道。
 だらだらとした上りの山道。左側の麦原川沿いに、赤、青、白の紫陽花が咲き誇っています。
これが延々と続く。
 なんと約3km。そこに5000株の紫陽花。
麦原川 あじさい街道②
 高幡不動のあじさい山は、もっとコンパクトで変化に富んでいます。
 「長けりゃいいってもんじゃない」
 つくづくそう思いました。
あじさい街道③ あじさい街道④
 道中リュックを担いだおじさんに話しかけられ、
 「ここはハイキングコースになっているのですね。そこでこの奥へ進み、さらに上谷に回って、最勝寺(梅林近く)にもどってくるというのはどうでしょうか」
 おじさんの持っていた地図には距離は載ってなかったので、こちらはもっと詳しい地図を示し、各地点の距離を合計して、
 「全部で8km。しかし山道の8kmは厳しいですよ。よしたほうが」
 と柄にもなく親切な(?)忠告を。
 横浜や湘南なら10kmぐらい歩くのは平気ですが、こんな山道は1kmでもいやだ。
あじさい街道⑤
 紫陽花街道の終点は「あじさい山公園」
 ところが……。
 紫陽花はなく、一面のハゲ山。そのなかに一ヵ所ちょろりと咲いているだけ。
 なんだ、これは。
 近くで工事していた人に聞くと、ここ2~3年で紫陽花は枯れ気味で、今年は全滅。恒例の「あじさいまつり」もとりやめになったとのこと。
あじさい山の実情
 それを早くいってくれ。

 大見得を切って、最後はビシッと決めたかったのに、なんたるザマ。
 もっとも詰めが甘いのはいつものこと。はははは。いかにも当方らしい。
 もう笑うしかありません。
 国立に行ったついでに、多摩蘭(たまらん)坂に寄りました。
 この坂は国分寺と国立を結ぶ多喜窪通りにあります。それも国分寺市との境界に。

 この坂はけっこう急で、一橋大学の学生が自転車で坂を上がるのが「たまらん、たまらん」といったことが坂の名前の由来であると道標に書かれています。
 正式名は「たまらん坂」で、「多摩蘭坂」は当て字である、とも。
国分寺方向へ(上り)
 この坂が有名になったのは、故忌野清志郎さんの「多摩蘭坂」

 ♪多摩蘭坂を登りきる手前の
 坂の途中の家を借りて住んでる
 だけど どうも苦手さ こんな夜は……

 坂を上りきったところは国分寺側なので、彼はやはり国立に住んでいたのでしょうか。
国分寺から国立方面へ(下り) 国立方向へ
 私が国分寺に住んでいたころ、たびたびここを通りました。
 道の両側に石垣があったのを覚えています。
 鎌倉の「切り通し」に似た光景だったので、「昔は山だったんだな」と思いました。

 彼の「多摩蘭坂」が世に出まわっていたころ、その石垣には清志郎ファンのメッセージが書かれていたそうです。
 その石垣はほとんどなくなりました。
 新しく建てられたマンションの敷地の一部にわずか残されているのみ。
残された石垣の一部
 この坂の交差点に「たまらん坂」の道標が立てられています。
 4年前、忌野清志郎さんが亡くなったとき(享年58)、この道標に多くの花束が献花されました。ファンの間ではここが「聖地」だったようです。(参照
交差点にある道標
 オレも当時はこの近く(府中市)に住んでいた……。
 なつかしいという気持ちはありません。
 縁があったらまたくるかもしれない、なかったらそれっきり。
 そんな気持ちでした。
 中央線国立(くにたち)駅から南に向かって伸びる大学通り。
 その名の由来はここに一橋大学があるからですが、道幅が40mという広さ。
大学通り
 この道の特徴は自転車レーンが独自に設けられていること。
 レーンそのものはそれほど広くないけど、車道との境目は植え込みが置かれて、車に接触する心配はありません。
自転車通路 植え込みの広さ
 さらに自転車レーンと歩道の間にある植え込み。ひょっとしたら車道や歩道よりも広いのではないかと思うほどの広さです。
 その植え込みも所どころ開いていて、ベンチが置かれています。
 まるで公園にきているようで、歩いているだけで楽しい。 
ベンチ① ベンチ②
 この植え込みにも紫陽花が咲いています。
 それも一様ではなく、パラパラと。そこがまたいい。
 この通りは洒落た喫茶店やレストランが多く、紫陽花とマッチします。
紫陽花① 紫陽花② 紫陽花③
 「KINOKUNIYAはまだ健在か……」
 このお洒落なスーパーにはひとしおの想いがあります。
 国分寺に住んでいた新婚時代、隣町国立には、日曜日になると妻とよくきました。
 このスーパーは輸入物の食料品を扱っていて、当時珍しかったチリビーンズの缶詰やカチカチの黒パンなどを買って帰りました。
 遠い昔の話です。
左はスーパーKINOKUNIYA
 この大学通りは西武グループの祖堤康次郎の都市計画によってつくられたもので、国立駅から南に向かって一直線(約1.5㎞)南武線谷保(やほ)駅まで続きます。

 街路樹には桜と銀杏が交互に植えられていて、春は桜、秋は銀杏の黄葉が楽しめるとのこと。
 秋になったらまたこようかな。
 日野市の高幡不動尊は弘法大師を祖とする真言宗の寺で、正式には「高幡山明王院金剛寺」といいます。 
高幡不動尊・入口
 創建は大宝年間(701)以前というから相当古い。
 正面の不動堂は平安時代初期に山中に建立されましたが、建武2年(1335)の暴風雨で倒壊したため、住僧儀海上人が康永元年(1342年)に現在の位置へ移築し、不動明王を祀りました。
 この不動堂は東京都最古の文化財建造物として国の重要文化財に指定されています。
東京では最古の不動堂
 それはともかく、ここは「紫陽花の名所」として有名です。
境内 観音像
 境内はもちろん、裏山(不動ヶ丘)の山内八十八ヶ所巡りのコースがすべて紫陽花の山。
 一から八十八すべてのお地蔵さんは四国のお遍路にちなんだものになっています。
八十八ヶ所巡り① 八十八ヶ所巡り②
 「全長2kmというけど、山道だからキツイわね」
 とは前を歩く年配の女性。
 こちらは一から順に巡っているのですが、この女性たちは途中から合流しました。
 地図を見せて、ショートカットする道を教えてあげて、こちらは見晴(山頂?)へ。
八十八ヶ所のひとつ
 この日はときどき雨が降りましたが、去年の秋に行った天園ハイキングコース(鎌倉)に比べれば、どうってことはない。無事見晴には着きました。
 しかし、見晴らしはそれほどよくない。
 日野市の人家を見たってしょうがないじゃないか。
見晴より
 それでも全コース、紫陽花が咲き誇り、分け入っても分け入っても紫陽花、という場所さえあって、すっかり堪能しました。
紫陽花のなかを歩く
 下りてきてわかったのですが、八十七番から最後の八十八番の出口のコースは、「山あじさい園入口」になっています。
 道理で、途中から合流する人が多いわけだ。
山あじさい園入口、実は… 四季の道から五重塔を見る
 紫陽花寺に関しては、鎌倉の明月院、長谷寺、浄智寺、東慶寺などが有名ですが……。
 むろん各寺独自の味わい風情があり、鎌倉の街並のたたずまいも趣がありますが、こと紫陽花に限っていえば、ここへくればこと足れり。 しかも無料。
 来年からここだけにしようかな。
 「石神井公園(練馬区)は隠れた紫陽花の名所」と聞いたので先日行ってきました。
公園入口
 事務所で公園の地図をもらい、紫陽花の咲いているところを聞いたところ、「紫陽花は池の周りに散在しているだけで、重点的に咲いているところはありません」
 なんだ、噂とは違うじゃないか。
紫陽花の遊歩道
 都立石神井(しゃくじい)公園は井草通りをはさんで西に三宝寺池、東に石神井池(ボート池)に分かれます。
 今から20数年前、「三宝寺池にワニが出る」というニュースが流されたことがありました。
 ペットとしてワニを飼っていた人が飼いきれなくて同池に捨てたらしい、というのです。
 そのため池の周辺は大騒動。
 大勢の人が詰めかけました。TVクルーの面々も。
 当時夕刊紙で首都圏ネタを書いていた当方も出かけました。

 ♪ピ~ヒャラピ~ヒャラ、テンツクテンテン……。
 南米(?)の民族衣装をまとった集団がエスニック音楽を奏でながら、池の周りを練り歩いていました。
 「ワニは南方の音楽を聴くと、故郷と勘違いしてでてくる、はず」
 といってましたが、その日ワニは現れなかった。
湖畔の紫陽花① 湖畔の紫陽花② 湖畔の紫陽花③
 紫陽花は、事務所でいってたように、あちこちにパラパラ。「どこが紫陽花の名所だ」
 仕方がないので、池のほとりに咲いていた紫陽花越しに池を撮りました。

 それよりもハンゲショウ(ドクダミ科)のほうが見事でした。
 これは夏至のころに開花するそうです。
ハンゲショウ① ハンゲショウ②
 それに池の入口には七夕の飾りつけ。
 「もうそんな季節か」
 短冊を見ると、「おこづかいがふえますように」「ペットがかえますように」などという、子どもの願いが書かれていました。可愛いというか、現実的というか。
七夕の飾りつけ① 七夕の飾りつけ②
 紫陽花以外でもじゅうぶん楽しめます。
 「花菖蒲なら東村山の北山公園が素晴しい」 
 ある人にそういわれ、早速行ってきました。それほど遠くもなかったし。
北山公園菖蒲苑
 「なるほど、これはすごい」
 なにしろ広い。約6300㎡。
 ここに220種類、8000株の花菖蒲植えられているといいます。
 わが家の近くの「せせらぎ菖蒲園」(富士見市)の20倍はあるでしょうか。
四阿(あずまや)もある 見晴台からの景色 菖蒲池  
 もともとこのあたりは水田地帯でしたが、宅地造成が開発されるに及んで、自然消滅の危機を感じた行政がかなり積極的になってこの花菖蒲園を造成したようです。
 市や関係者、ボランティアの協力による「菖蒲まつり」は今年で25回目とか。
 まつりの期間は菖蒲苑内には見晴台が設けられ、たくさんの屋台が出ます。
屋台も盛況 陶器に人気 休憩所も混雑
 したがって見物客も多い。
 みんな近隣の人たちかと思いきや、「吉祥寺からきました。ここの花菖蒲が見事だと聞いたもので」と年配の女性グループ。
 けっこう有名らしい?
花の撮影 水の光(江戸系)
 みなさん菖蒲の写真を撮っていますが、クローズアップが多い。
 「花のクローズアップなんて、どこで撮っても同じだろう」といいたくなりますが、それは人の勝手。ここならではの花の味わいがある、といわれればそれまで。無粋者の当方にはそこまでわかりません。
 口惜しいので、こっちも撮ったけど、「江戸系・水の光」はどこでも水の光じゃないの?
背後が狭山丘陵
 それよりも私が注目したのは背景の八国山緑地。狭山丘陵の一角で、山向こうは所沢市(埼玉県) 。
 こういう景色を撮れよ。おっと、よけいなことでしたか。
紫陽花に背を向けて
 余談ですが、ここにも紫陽花が咲いています。
 しかしみなさん見向きもしない。紫陽花に背を向けて休んでおられる。
 紫陽花が可哀相じゃないかッ。
 これもよけいなことでした。
 例の大ケヤキですが、紫陽花と絡めようとしたから無理があったので、手前に咲いているポピーに絡めればなんの苦労もなかった。
ポピーと大ケヤキ
 ここへは子どもを連れて何度かきたことがあります。
 義父母が元気だったころは、妹一家も含めて一緒にきたことがありました。
 ここで子どもたちとサッカーボールの蹴り合いをしましたが、姪(当時中1)の蹴ったボールの早いこと。蹴り方もバネを利かして、まるで男子並みでした。
 「コイツはすごい。将来サッカー選手になるのではないか」と思いました。
 その姪は現在品川区でベーカリーを営み、大盛況です。
みんなの原っぱ
 「ほう、こんなものができたのか」
 同公園の一角に日本庭園があります。戦後、首都圏でつくられたものとしては最大だそうです。
日本庭園①
 池泉回遊式庭園というのでしょうか、池があってその周囲に草花、数寄屋造りの茶室。
 池にかかる橋はまるで嵐山(京都)の渡月橋の様。
 菖蒲田もあります。
日本庭園② 菖蒲田
 この日本庭園、私たちがきたころはなかった。平成9年(1997)にオープンしたそうです。
 道理で。

 入口付近にある銅像とカナール(運河)もなつかしかった。
 ここも同公園のシンボル的な場所です。
銅像とカナール カナール
 ちなみに同公園は単なるレクリエーション施設ではなく、大規模な震災や火災が発生したときの避難場所になるそうです。 みんなの原っぱもその一環。
 無駄に広いのではないことはわかったけど、日本庭園もやはり避難所になるのでしょうか。
 不思議です。
1000本のかざぐるま① 1000本のかざぐるま②
 おまけの写真は1000本のかざぐるま。07/07までこの丘にあるそうです。
 立川市と昭島市にまたがる昭和記念公園は、昭和天皇御在位50年を記念して、昭和58年(1983)立川基地の跡地にオープンしました。
 広さ180ha。東京都内では最大です。

 ここも紫陽花が素晴しいと聞いたので。
パーゴラと紫陽花
 パーゴラ入口に紫陽花。洋風の雰囲気にも似合います。
日本庭園の紫陽花
 和風庭園の紫陽花。ささやかなところがかえって風情を感じさせます。
アナベルの群生① アナベルの群生②
 アナベルの群生。これは圧巻。

 しかし……。
 当ブログは植物図鑑ではないので、花のクローズアップ写真よりも、その場所を端的に表す光景を撮らないと意味がない。 
  
 ではこの紫陽花(↓)。
 この向こうは同公園の中心「みんなの原っぱ」
右後方はみんなの原っぱ
 この原っぱには「大ケヤキ」があります。
 樹齢100年、樹高20m。堂々たる樹木で、同公園のシンボルツリーになっています。
 CMなどにもよく出てくるので、行ってなくてもご存じの方も多いでしょう。
大ケヤキ(遠景) 大ケヤキ(近景) 大ケヤキ(下)
 なんとか紫陽花に絡めようと撮ったのがこれ(↓)。
 中央の樹木ではありません。
 左の方の紫陽花の山のてっぺんから覗いている葉っぱが大ケヤキの頭。
本当の大ケヤキは?
 うーん、ちょっと苦しかったでしょうか。

 足立神社へ行ったからには、大宮公園にも足を伸ばさねば。
 この大宮第二公園が紫陽花の名所と聞きました。同公園は梅の名所として3月に取り上げたところです。(参照
紫陽花
 紫陽花は梅園の裏に群生していました。
 ここの紫陽花の特徴は、丈が長いこと。
 我われの目線の高さ、いやそれ以上の高さから見下ろしています。 
見上げんばかりの紫陽花
 「うーん、これはすごい」
 目の前に迫る紫陽花に圧倒されます。
紫陽花の群生①
 試みに紫陽花の密集するなかに入ってみました。
 分け入っても分け入っても紫の山……。
 背が高いので周囲が見えず、まるで迷路に入ったよう。
紫陽花の小道 紫陽花の迷路?
 ところどころトンネルになっています。
 「紫陽花のトンネルとは珍しい」
 これは鎌倉の長谷寺でも明月院でも見られなかった光景。
紫陽花のトンネル
 紫陽花の量(本数)では長谷寺に勝るとも劣らない。
 ただし、丈が長いだけに紫陽花の群生を一面できず、しかも近くに民家が見える。
紫陽花の群生②
 この欠点を克服したら、正真正銘の紫陽花の名所になる、と思いました。
 さいたま市(西区)の足立神社といっても、大半の人は「なに、それ?」と思うでしょうね。
 多分、さいたま市民だって知る人は少ないと思います。

 ここに水判土(みずはた)という地域があります。
 変わった地名ですが、もとは水畑。つまり水田。
 それも平安時代から。
 当時ここを取り仕切っていた豪族が足立氏で、その足立氏が奉斎する氏神がのちに足立神社になりました。したがってここは歴史のある神社です。
アジサイ園入口
 それはともかく、ここの紫陽花は見事です。

 境内の「アジサイ園」には1000株以上の紫陽花が植えられていますが、これは西区各地域の人たちが寄贈し、大切に育ててきたそうです。
 そのためあちこちに各地の名前と、紫陽花の種類が書かれた札が立てられています。
遊歩道① 遊歩道②
 浦和市、大宮市、与野市が合併して、さいたま市(政令指定都市)になったのは平成13年(2001)。
 2年前、同市誕生10周年の記念事業として各区の花を決めたところ、西区は紫陽花になったというわけです。
社殿と紫陽花①
 この日は曇りだったため、訪れる人はごくわずか。
 「まあ、きれいね」
 「これはガクアジサイかしら」
 そんなことをいいながら、近隣(?)の女性が観賞しています。
社殿と紫陽花② 社殿と紫陽花③
 「この白いのはなにかしらね」
 「名札があるわ。でも、なんて書いてあるのかしら。…ナベル」

 そばにいた私は背後から「アナベルです」
 女性たちは一瞬きょとんとして、みんなで顔を見合わせてクスッ。
セイヨウアジサイ カシワバアジサイ
 失礼だろ!
 もっともこっちだって親切心ではなく、聞いていてイライラしてただけなんだけど。
2013.06.19 六月の句会
 昨日(06/18)は六月の句会でした。
 私の出句は、
 ①紫陽花や古き煉瓦の壁に映え
 ②白日傘差され初めて涼を知る
 ③憧れの女人遠のくサングラス

 の三句です。

 ①これは横浜のアメリカ山公園で咲いていた紫陽花です。
 紫陽花は鎌倉のお寺の境内で観るのか最もハマっているように思われますが、この洋風の背景もなかなか風情があると思いました。
 ②直射日光を浴びて汗ダラダラになり、倒れる寸前のところを日傘を差してくれた人がいる。一瞬涼しくなったような気がしました。
 ③ある集まりで見かけるひとりの女性。内心「ちょっと、いいな」と憧れていたのですが、あるときサングラスをかけていた。外は直射日光が強いから、それはしょうがない。しかし室内に入っても外さない。なにか事情があるのかもしれないけど、その人に拒否されたような、ガッカリした気持ちを詠みました。

 その得票数と先生の評。
 ①紫陽花や古き煉瓦の壁に映え……(4)〇
 ②白日傘差され初めて涼を知る……(1)△
 ③憧れの女人遠のくサングラス……(2)〇
 (出句14名、選句はひとり5句。カッコ内は得票数)
煉瓦塀と紫陽花
 ①は「古き」がよけいな気がしますな。さりとて他にいいことばが見当たらない。まあ、これでもいいけど、それほどいい句でもない。
 ②はいいたいことはわかるけど、白日傘と涼では季重なりです。工夫を。
 ③私はサングラスは好きになれない。むろんかけなければならない事情もあるとは思いますが。なんか人相が悪く見えますな。
 野外ならしょうがないけど、室内でもかけるというのはどうか。目は心の窓といいますから。
 ただし私たちの年齢になると、こういう句は詠まない。京一郎さんはまだまだ若いですな。

 ①はもう少しほしかった。自分では気に入っているのですが。でもこんなものかな。
 ②と③はまったく自分本位で詠んだので、取る人はいないと思ったのですが、計3票も入ったのは意外でした。入れたのはいずれも女性。多少気持ちが通じたのでしょうか。

 余談ですが、今回は①の他にも横浜散策の句がありました。

 一日を横浜にくれ薔薇まつり……(0)
 海の日の正午の汽笛氷川丸……(3)〇
 緑蔭に海原望む異人墓地……(0)〇
 (カッコ内は得票数)
薔薇の花と氷川丸
 さすが俳句会の面々。吟行ではなかったけど、ちゃんと句を詠んでいる。
 しかし内容が今イチだったので、入れなかった。悪いね。
 内心では「紫陽花や~」のほうがいいと思っているのですが、違う?
 これも人づて話。
 「都立清瀬高校(清瀬市)ではこの時期、『あじさいウィーク』と銘打って、紫陽花の咲き誇る中庭を一般開放するそうな」
 高校が紫陽花を見せてくれるとは珍しい。ということで、行ってきました。
清瀬高校・正門
 「どうぞ、こちらへ」
 正門に入ると職員の方が案内してくれます。正門はふだん閉まっているのですが、この週は開いています。
 入口の記帳するところで、「あじさいマップ」がいただけます。裏にはカラー写真によるアジサイ名鑑。これはありがたい。
中庭遊歩道・入口
 「ほう、万葉植物園なるものがあるのか」
 この園のなかでは万葉集に詠まれた植物の歌と解説が添えられています。
 例えば、あぢさゐ(紫陽花)
 「紫陽花の八重咲く如く弥つ余にを いませわが背子見つつ偲ばじ―橘 諸兄(たちばなのもろえ)」
 「あじさいが咲くように、いつまでも栄えていてください、あなたよ、花を見ながら偲びましょう」
 そんな歌があったのか。勉強になります。
万葉植物園
 「あじさいマップ」によると、この中庭遊歩道には約500株、キャンパスの南側、東側の道路沿いにも約500株の紫陽花が植えられているそうです。
セイヨウアジサイ テマリエゾアジサイ ヤエカシワバアジサイ
 清校の生徒カップルが放課後ここを歩く、なんてことはないのだろうか。

 わが母校にも「ウィーンの森」というのがあったけど、どうも縁がなくて……。
 いや、つまらぬ(?)ことを考えてしまいました。
奥は校舎
 ここはもともと結核研究所の敷地跡。
 緑豊かなところですが、そんなところにも花の潤いをということで初代の所長が紫陽花を植え、現在に至っているといわれています。
複十字病院のあじさい① 複十字病院のあじさい②
 なお清瀬高校の北には複十字病院、結核研、国立看護大学校が隣接しており、その道路沿いにも紫陽花が咲いています。
ホンアジサイ?
 これはホンアジサイ……かな?
 もらった名鑑と見比べながら、写真を撮りました。
 人づてに「武蔵村山にある湖南菖蒲園はすごい」と聞きました。
 武蔵村山といっても、私にはそれほどなじみはない。
 同市は東京都多摩地域北部にあり、狭山湖の南西に位置し、人口70,469人(2013年5月現在)。

 湖南菖蒲園は市の南東にあります。
 聞いたこともないところですが、西武線を乗り継いで行ってきました。(西武拝島線・玉川上水駅下車)
菖蒲園①  
 「これは……!」
 それほど大きな菖蒲園ではありませんが、菖蒲が池にびっしり。
 以前取り上げた「せせらぎ菖蒲園」(富士見市)とは違って一見ワイルドに植えられている感じですが、よく見るときちんと手入れされています。
 これで30種、3000株だそうです。
菖蒲園②
 ところどころ紫陽花も咲いています。
 紫陽花越しに菖蒲を見ることができるのもこの園の大きな魅力です。
紫陽花
 それにも関わらず、訪れる人のなんと少ないことか。
 この日は休日なのに、園内は子ども連れの女性とお年寄りがパラパラ。
 あまり知られてないから……?
紫陽花と菖蒲
 この菖蒲園、正しくは「湖南処理場菖蒲園」というのだそうです。
 この処理場というのは、昭和36年(1961)に建設された武蔵村山、東大和、小平、小金井、武蔵野の五市で構成される屎尿処理施設。(湖南衛生組合処理場ともいいます)
菖蒲園③
 そう聞くとなにやら臭ってきそうで行く気がしませんが、今は住環境も変わって下水道が普及され、処理はほとんど行われてないといいます。
 実際、そんな臭いなどまったくしなかったし。
菖蒲園④
 もっとも正門や他の施設などを見ると、昔の様相そのまま。
 したがって近隣の間ではマイナーなイメージがなかなか払拭できないのではないか。

 あるいは、あまり有名になって、多くの人が訪れても対応しきれない。
 そのへんのジレンマがあってひっそりと開園している(無料)のではないか。
湖南処理場・正門
 そんなことを考えさせる「湖南菖蒲園」でした。
 ちなみに湖南の湖とは狭山湖を指すそうです。
 今月は清記係です。
 清記係はこれで二回目。一回目は昨年三月でした。
 句会は今月18日。投句の締め切りは11日(火)でした。
手書きの清記表
 ここで句会当日の進行をざっと説明します。
 投句はひとり三句。それを一覧表にしたものに各人目を通し、自分の句以外で「これは」と思ったものを五句選んで選句用紙に書きます(選句)。
 それがすむと、ひとりずつ選句を読み上げます(披講)。(いつも私がトップバッター)
 そのとき自分の句を読み上げられた人は「〇〇です」と名乗ります。(名乗り)
 披講する人が変わって同じ句を読み上げられても、そのたび名乗ります。このとき各人句の下に作者名を書き入れ、正の字で票数をカウントしています。
 これが終ると各句の作者と得票数がわかり、最多得票句の作者はちょっと誇らしい気分になります。
選句用紙
 そのあとは先生の評。
 全句に無印、△、〇△、〇、◎(◎は1~2句のみ)の5段階評価をつけ、各人の句の批評と改良案を提示します。
 先生の評価は得票数と必ずしも一致せず、一票も入らなかった句が〇ということもあります。もっとも最多得票句が無印や△ということはないのですが。
 これは大体どの句会も同じだと思います。
 以前は先生からほめられたほうがうれしかったのですが、最近は票をたくさん取ったほうがうれしくなりました。
PCによる清記表
 この一覧表をつくるのが清記者の仕事です。
 表への書き込みは、手書き派とPC派があり、PC派は私を含めて3割ぐらい。

 各人の投句は葉書で清記者に送られてきます。
 早い人で2週間前、しかし大半は締め切りの1~2日前にドサッときます。
 それを順に記入していきます。

 今回は締め切り日(06/11)に4枚きましたが、ひとり夕方になってもこない。
 やきもきしましたが、それも翌日にきたので、リストアップ完了。
 すぐにプリントして、スーパーのコピー機でA4→A3への拡大コピーを16枚(80円)とって、その一枚と投句葉書を先生の自宅に届けました。「やあ、ごくろうさん」
 これで清記者の仕事は終り。 あとは当日みんなに配るだけ。楽なものです。

 「さて、このなかからどれを選ぶかな」
 みんなは句会当日一覧表を配られて、20~30分ぐらいで選句しなければならない(まして私はトップバッター)けど、清記者は事前にじっくり選べます。
 これは大きなメリット。心の底では毎回やってもいいと思っているのですが。
 光則寺を出て参道を下ると、長谷寺の参道はすぐ近く。
 ここは去年行っているので、「今年は行かない」と思っていたのに、いざ近くにくると、
 「やっぱり行くか。雨が降っていれば人も少ないだろうし、それなりの風情があるかもしれん」
 私の意志なんていい加減なものです。
紫陽花
 しかし行ってみてビックリ。雨なのにけっこう混んでいる。
 小学生の団体がきているのですが、一般客だって多い。みんな私のようなことを考えているのだろうか。

 この長谷寺の創建は天平8年(736)といわれ、坂東33ヵ所観音霊場の四番札所。
 ご本尊は大和の長谷寺の観音様と同じ楠の一木造りの十一面観音。高さ9.18mあり、木造では日本一といわれています。
菖蒲園① 菖蒲園②
 雨の日の菖蒲もなかなかのもの。
なごみ地蔵前にて なごみ地蔵
 小学生に人気のある「なごみ地蔵」

 それよりもやはり紫陽花。境内の裏山では約40種、2500株もの紫陽花が咲き誇っています。
紫陽花山① 紫陽花山②
 鎌倉の紫陽花といえば明月院のブルー一色と対比されますが、市街地や海岸が見わたせる起伏に富んだロケーション、色とりどりの紫陽花が咲いている点で、私は長谷寺のほうが好きです。
斜面の紫陽花
 紫陽花山に上ったときは、雨もやんでいました。
 これも日ごろの心がけがよかったから……?
 晴れ男を自認する当方ですが、生憎この日は雨。
 まあ、それも風情があってよかろう、と鎌倉・長谷にある光則寺(こうそくじ)に入りました。
光則寺・参道
 長谷といえば長谷寺が紫陽花で有名ですが、光則寺の紫陽花も捨てたものではない。
 まして雨の日だもの、否が応でも風情が増すというもので……。
光則寺・入口
 客も少ない。それがまたいい。

 なるほど、なかなかの風情。
境内① 境内②
 ところでこの光則寺ですが、もとはお寺ではなく、北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の屋敷。
 文永8年(1271)鎌倉幕府によって日蓮上人が捕らえられ、佐渡へ流されたとき、それに連座して弟子の日朗も捕らえられ、光則の邸内の土牢に監禁されました。
土牢への石段
 その日朗に対して日蓮から慰労の手紙が寄せられます。日蓮自身も苦境の身であるというのに。
 これに心を打たれた光則は、三年後、日蓮が放免されると、日朗を師と仰いで自らの邸を光則寺として開山しました。
 「そうだったのか。オレはてっきり偉いお坊さんが拘束されていたから、『こうそくじ』というのかと思っていたよ」
 昔、友人たちときたとき、そんなことをいったヤツがいました。バカなことを。 
土牢 土牢の内部
 その土牢は境内の奥、石段を上ったところにあります。
 薄暗く、じめじめして、気の滅入りそうなところです。
 雨が降って、人もいないとなると、ますます薄気味が悪い。
光則寺・帰り
 「でもこの坊さん、土牢に幽閉されても明るさを失わなかったのだろうね。日朗というぐらいだから」
 また例の友人のことば。
 バカめ、と思ったものの、こんなところに閉じ込められては、そうとでも思わないとやりきれない。
 ヤツのことばにも一理ある……かな。
 花菖蒲といえば、埼玉では富士見市の山崎公園が有名。
 ここは別名「せせらぎ菖蒲園」とも呼ばれ、この季節になると色鮮やかな花菖蒲が咲き誇り、多くの見物客が訪れます。
せせらぎ菖蒲園①
 菖蒲というのは沼地でないと育たないので、敷地内には人工田が設えられ、5000株もの花菖蒲が植えられています。しかも同じ色の菖蒲で配列されています。
 説明によると、江戸系、肥後系、伊勢系、外国系の4系統に分かれ、約60種あるとのこと。
江戸系・千代の春 伊勢系・美吉野
 「江戸系・乙女の夢」は純白で、いかにもという感じですが、「肥後系・真珠の海」の名前はよくわかりません。真珠って伊勢じゃなかったっけ?
 まあ、揚げ足をとってもしょうがないのですが。
肥後系・桜ヶ丘 肥後系・真珠の海
 花菖蒲だけではなく、紫陽花も咲いています。
 しかし、紫陽花の向こうの花も気になる。
紫陽花
 花の名は知らないものの、一応撮っておきました。
 「これはなんという花ですか?」
 大きなカメラで撮影している老人に聞いたところ、「さあ……」
 名前もわからず撮ってんのかッ。
ポピー
 携帯で撮っている年配女性に聞いたところ、ポピー(別名ひなげし・ケシ科)というのだそうです。
 大きなカメラで撮っているなら、せめて名前だけでも知っとけよ。
 以前も横浜公園でそんなヤツを見かけたぞ。
せせらぎ菖蒲園②
 じっと花々を眺めているお年寄りもいました。
 「毎年この時期が楽しみで。ここは散歩のコースです」という近所の人。
 「私なんか足悪いけど、この時期は多少無理してでもくるよ。来年は見られなくなるかもしれないからね」 とは杖をついている年配の女性。
せせらぎ菖蒲園③
 こちらはなにも考えずに写真を撮っている。
 この人たちのような切実感はまったくなし。
 名前も知らずに撮っている人のことはいえない、と思いました。
 以前、しだれ桜の名所として、中院(星野山無量寿寺)を取り上げましたが、ここは柏葉紫陽花(カシワバアジサイ)の隠れた名所でもあります。
境内
 柏葉紫陽花の名は葉の形が柏(カシワ)に似ていることからきています。花は白く、形は他の紫陽花と違って円錐状。
 青や赤紫のような華やかさはありませんが、清楚でなかなかの味わいがあり、お寺の境内にはピッタリです。
柏葉紫陽花①
 ただし、この中院が柏葉紫陽花の名所であることを知る人は少ない。
 川越市の広報やHPにも出ていません。隠れた名所といったのはそのためです。
柏葉紫陽花② 柏葉紫陽花③
 中院は島崎藤村ゆかりの寺院としても知られています。
 藤村の二番目の妻・静子は川越の出身。藤村は静子の母みきを非常に大切にし、たびたび川越に足を運び、義母が亡くなってからも墓のある中院を何度か訪れました。
不染亭
 藤村がみきに寄贈した建物はここ中院に移築され、みきが茶道の師匠として「不染」と称したことから、「不染亭」と名づけられ、現在も茶会などに使われています。
 不染亭の前にある「不染之碑」は藤村の自筆によるものです。

 茶つながりでいえば、ここには狭山茶発祥の地でもあります。
 説明書きによると、茶は薬用として中国から伝来され、京都で栽培されていましたが、ここ仙波の地に星野山無量寿寺仏院を建立するに際して、慈覚大師円仁が比叡山より茶の実を携え、薬用として境内で栽培するようになりました。
狭山茶発祥の碑
 その後、川越藩領の狭山丘陵で茶の栽培が広まり、狭山茶として知られるようになりました。
 30年ほど前までは中院の境内にも茶畑が残っていたそうです。
  私は日ごろ狭山茶を飲んでいますが、そのルーツが京都とはうれしい。

 こうしてみると、中院はいろんな由来のあるお寺です。
 ベーリック・ホールで生演奏が聴けたのは、例の社長の人柄によるものです。
 というのもこの社長、どう見ても田舎から出てきた純朴そうなおじさん。
 こんなおじさんに「終ったんですか」と残念そうな顔をされたら、「なにか聴かせてあげたいな」という気になりますよ。

 あとで調べると、小崎麻美さん(ピアニスト)たちのコンサートは翌日(06/08)の夕方からでした。ということはこの日はリハーサル?
 いずれにしてもラッキーでした。

 本来なら額坂を下りて元町公園に出るのですが、足の悪い女性から「坂道は下りられない」といわれたため、再びアメリカ山にもどり、エスカレーターで元町に下りました。
元町
 「元町は通過するだけですよ」
 といったのに、あっちでつっかえ、こっちでつっかえ、なかなか進まない。
 「あら、このサマーセーター、いいわねえ」
 「安いのもあるのねえ」
 などといっております。
 かと思えば、アクセサリー店で立ち止まる人も。

 こちらとしては、遅くなろうと別にかまわないので、自由にまかせました。
 9人もいれば、人の好みはそれぞれ。 ましてみなさん年上の方ばかり。
 彼女たちにしてみれば、元町までくることもそうないし、せっかく気分よくしているのに水をかけるようなことはしません。
中華街① 中華街②
 そんなわけで中華街に着いたのが午後4時40分。「3時に入るようにしてください」といったのは誰だっけ。
 市場通りに入り、看板を見ながら歩いていたら、「あの飲茶セットがいいんじゃない?」
 海老チリソース、春巻き、シュウマイ、小籠包、麻婆豆腐、炒飯、空芯菜炒め、フカヒレスープ、杏仁豆腐……で1580円。豪華な割に、値段も手ごろ。それにきめました。

 「9人だけど」
 「大丈夫です」
 5時近かったけど、店はそれほど混んでいなかった。最近はどこもこんな状態のようです。
 料理の写真は……しゃべることと食べることに集中するあまり、フカヒレスープのみ。
フカヒレスープ
 思えば写真は、ほとんど撮らずじまい。
 人と行くと会話に集中するし、まして引率となると気を遣うから。
 「あー、美味しかった」
 みなさん満足した様子で、また土産物を買って、元町中華街駅へ。午後6時21分発の和光市行きに乗って、無事に帰ってきました。
 「いやあ、今日は楽しかった」と、みなさん満面の笑み。
 こちらもほっとしました。

 というわけで写真は乏しく、合い間に撮った紫陽花の写真を。 
アメリカ山① アメリカ山②
 アメリカ山。
ベーリック・ホール
 ベーリックホールです。
 イギリス館の近くに紫陽花が咲いていることは知っていましたが、行けなかった。残念。
 今の時期(06/07現在)山手西洋館では「花と器のハーモニー」と銘打って、花と器でデコレーションされています。それをみんなに見せたい。
 というわけで、一路山手通りへ。(イギリス館はもどることになるのでやめました)
山手通り
 外人墓地には少し入って、山手234番館へ。ところが……。
 「これは……?」
 最後尾にいた足の悪い女性が山手資料館の門をくぐって前庭に入りました。
山手資料館 山手資料館の前庭
 ここも小さなバラ園です。私としてはまったく無頓着な場所でした。
 資料館は有料ですが、前庭は無料。「まあ、いいか」
 9人もいれば、興味の対象は人それぞれ。これは大きな発見でした。

 そんな寄り道をして、やっと山手234番館へ。
 ここは絹の帯を貴重としたデコレーション。これに陶磁器や漆器が絡み、花をアレンジメントしています。「帯がステキねえ」と感嘆の声が。
山手234番館 山手234番館にて
 次は向かいのエリスマン邸。
 ここは白を貴重とした花器で白いかすみ草をアレンジメントしています。
 「いやあ、見事なもんだねえ。しかもどの館も無料とはおどろいた。横浜市はやりますなあ」
 と先輩のおじさん。この人は印刷・紙工会社の社長さんです。
エリスマン邸① エリスマン邸②
 2館入っただけでみなさんお疲れなのか、外のベンチに座ったまま、なかなか動こうとしない。
 これで切り上げて、元町へ降りる手もありますが、できればベーリック・ホールも見ておきたい。
 「となりにまた趣の違う西洋館があります。行きますか?」
 すると例の社長さん、「行きましょう。せっかくここまできたのだから」
 その声に励まされて、みんなベーリック・ホールに入りました。ここはバラの花がメイン。
ベーリックホール
 ここは人も多く、とくに居間は賑わっていました。
 奥のほうではドレスを着たふたりの若い女性が撮影に応じていました。どうやらミュージシャンらしい。
 しかし控え室にもどる様子。
 「あー、終っちゃったんですか」
 例の社長の残念そうな顔。すると……。
 「それでは一曲弾きましょうか」

 ショパンとリスト、どちらがいいですかと聞かれたので、迷わず「ショパン」
 「では夜想曲第20番嬰ハ短調と……(曲名は失念)を演奏します」
 と弾いてくれました。なんと、私の臨終の際に聴きたい曲のひとつ。(参照
 ということは、お迎えが近い? まさか。
ピアノの生演奏
 このピアニストの女性はプロとして活動されている小崎麻美さん(国立音楽大出身)。
 力強くて、味わいのある演奏でした。
 終ると小崎さんに対する惜しみない拍手。
 と同時に、みんなから「京一郎さん、ありがとう」と感謝のことばが私にも。
 こんなことで感謝されるとは思ってもみないことでした。
 山下公園では氷川丸の売店で土産物(ドライカレー)を買うのに時間がかかりましたが、山下公園の東端・水の階段→せかいの広場→ポーリン橋をわたって元町中華街駅5番出口へ。
 徒歩12分と見ていたのですが、最後尾を待ってたら、20分ぐらいかかりました。
 「かなり歩かせたけど、これで最短コースです」
 珍しく説明してしまいました。
アメリカ山公園にて
 エスカレーターで屋上階へ上がって、アメリカ山公園へ。
 みんなの疲れはピークに達しているのではないかとティータイムを先にしました。
 「まあ、きれいだこと」
 ローズガーデンを横切る足取りはおぼつかないのに、花をじっくり眺める余力(?)はある。女性の精神構造は不可解です。
ローズガーデン① ローズガーデン②
 そして山手111番館の裏手にある喫茶室「ローズガーデンえの木亭」
 「滅多にこないから」
 みなさんケーキやサンドイッチを頼んでいました。
 しょっちゅうくる私はコーヒーだけ。
 甘いものは食べないし、サンドイッチなんか食べたら、中華街で食べられなくなってしまう。
ローズガーデンえの木亭 テーブルを失礼…
 「みなさん、ここで一句詠んでください」
 「いやだあ。今日は遊びできてるんだから」
 ということで、吟行はなし。雑談ばかりで気楽なものです。
ティータイム
 みんなここが気に入ったのか、ひと休みどころではない。40分ほど経過。
 これはいかんと心を鬼にして、「次は、港の見える丘公園に行きます!」
港の見える丘公園①
 大佛次郎記念館は文明開化当時の文学作品の説明をしただけで素通りして展望デッキへ。
 「うわあ、ベイブリッジが見えるのね」
 「でも下のほうは高いビルが建て込んで港が見えないわね」
 「昔は見えたんでしょうね」

 ここで、「この公園と、『港が見える丘』の歌はどちらが早いのですか?」との質問を受けました。
 「うーん、歌のほうが早くて、この公園の名は歌からつけられたはずだけど……」
 予想外の質問に、こちらはしどろもどろ。
港の見える丘公園②
 あとで調べたら、平野愛子さんのデビュー曲「港が見える丘」は昭和22年(1947)、同公園が開園したのは昭和37年(1962)、名前はやはり歌からきています。
 年号までは覚えてなかったけど、一応は私の説明で正解でした(汗)。
 「♪あなたと二人で来た丘は 港が見える丘~」

 呑気に歌っている場合ではないのですが……。
 昨日(06/07)は俳句会の連中と横浜散策をしました。
 天気予報では「関東南部は午前中雨」とのことでしたが、我われが横浜に着いたときは雨は降らず、薄ぐもり。暑くならなくてよかった。
山下公園
 山下公園に入って「赤い靴をはいていた女の子の銅像」へ行こうとしたのですが、数人の女性から「あの大きな石像はなあに?」
 私は何度もここを訪れていますが、この像にはほとんど無関心でした。
 これは「水の守護神」といって、1960年5月横浜市の姉妹都市サン・ディエゴ(アメリカ・カリフォルニア州)市民から寄贈されたものです。
水の守護神 水の守護神前で
 そういえば、そんなこと聞いたような……。(視野脱落でした)
 ここで記念写真をパチリ。(全部私が撮っているので、私は写っていません)

 赤い靴をはいていた女の子の銅像前では、高校時代の英語教師の話をひとくさり。
 「赤い靴をはいていた女の子は『A Little Girl With Red Shoes On』といいます。With Red Shoesだけではダメですよ。くれぐれもOn(恩?)を忘れないように」
赤い靴をはいた女の子の像にて 集合写真
 集合写真を見るとみんな笑っているので、受けたと勝手に解釈して……。
氷川丸を背景に
 「せっかくきたのだから……」ということで、氷川丸へ。(みんなシニア料金で入れるし)
 これについては昨年も述べましたが(参照)、何度見ても面白い。
 ロビーや大食堂では、みんな「映画『タイタニック』を思い出すわね」
 一等客室では、「ステキね。これだったら船の旅も悪くないわね」
 しかし、二段ベッドの三等客室を見ると「…………」
氷川丸・一等客室 氷川丸・デッキ
 さらに上に昇って船長室から操舵室へ。
 けっこう急な階段で、ひとり足の悪いご婦人がいるので心配したのですが、しっかり昇ってきました。
 「えーッ、氷川丸って大宮の氷川神社からきてるのか」
 改めて神棚に礼をする人あり。
 かと思えば、「面舵いっぱーい」といって舵をまわす人。
 羅針盤をいじる人。
 
氷川丸・操舵室にて
 仲間の女性が目の前の綱を引っ張ったとき、いきなり頭上で、「ボーッ!」と大音声。
 「キャーッ!」
 みんなおどろいて耳を塞ぎました。
 しかしこれはお昼(12時)の汽笛の音。
 綱を引っ張ったのとは関係ないと知って大笑い。けっこう楽しめました。
 小平市(東京都)の「あじさい公園」は、西武新宿線小平駅の南東、狭山・境緑道沿いにあります。
あじさい公園①
 あまり大きな公園ではないけど、赤、青、白のタマアジサイ、ガクアジサイ、柏葉アジサイなど1000本を超えるアジサイが花を咲かせます。
 ガクアジサイが多いと思いました。これまで私が見たなかでは珍しい。
ガクアジサイ ガクアジサイの群生
 「いつもここを通っていますが、この時期は楽しみです」
 「この時期になると、カメラを持った人がきますな」
 とは散策中の人。
あじさい公園②
 くるのはほとんど近辺の方々。
 あまり有名じゃないからね。でもそこがこの公園のよさではないか。
あじさい公園③
 同公園はアジサイの名所を目指して昭和48年に造られたそうです。
 しかし放っておけば咲くというものではなく、手入れが大変だそうです。
あじさい公園④
 とくにまわりの樹木が大きくなって陽をさえぎったため、一時は全滅の危機に陥りましたが、樹木の萌芽更新によって再生しました。
 萌芽更新とは15~20年に1回根元から切り倒し、薪や炭、シイタケのほだ木などに利用すること。切り倒すといっても、切り株からは新しい芽が出てくるので、絶滅することはありません。
 武蔵野の雑木林はこうして維持・保存されてきました。(説明書)
アジサイのオンパレード
 「アジサイといえども、そんなに手間がかかっているものなのか」
 そう思うとあだやおろそかにはできないなあ。
 紫陽花の季節です。
 しかし、「まさか都心に紫陽花など見られるわけはない」と思っていたら、見られました。
 丸の内パークビルの三菱一号館広場。
 レンガ造りの三菱一号館沿いにチラホラ。
あじさい①
 数は少ないけど、なかなかの風情があります。
 紫陽花といえば鎌倉のお寺が有名ですが、このような洋館を背景に見るのも悪くない。
あじさい② あじさい③
 この三菱一号館は明治27年(1894)に竣工された丸の内初のオフィスビルで、旧岩崎邸庭園や旧古河邸庭園なども手掛けた英国人建築家ジョサイア・コンドルが設計しました。
 その後、時代とともに様相は変化しましたが、最近になって当時の姿に可能な限り復元し、三菱一号館美術館として3年前(2010)にオープンしました。
三菱美術館 一号館広場
 そのときできた空間を上手く利用したのがこの広場です。
 噴水と水のせせらぎ、芝生と花壇、それらをつなぐ遊歩道。これらが上手く融合して都会のオアシスになっています。

 ここは丸の内仲通りにあります。
 この仲通りは典型的なオフィス街で、以前は土休日になると人通りが途絶えてゴーストタウン化していましたが、近年高級ブランド店が並ぶようになって、休日でも人通りが絶えない通りになりました。
ブランド店
 この通りの特徴は車道よりも歩道が広いこと。
 車は片側(北方向のみ)三車線、しかも行幸通り(東京駅の前)は通り抜けできなくなっている、さらに12~13時は通行禁止になるので、日比谷通りに平行しているにも関わらず、通行量はごくわずか。
仲通り・車道
 対して歩道はたっぷりとられ、所どころにベンチが設置されています。
 通りの両側には街路樹が施され、あちこちに銅像やオブジェが。ここはまさしく歩行者向けの通り。
仲通り・歩道 オブジェ
 明治時代の復元は東京駅だけではなく、この通りでも見られます。
 いやあ、ザック・ジャパン、やりましたね。1―1の引き分けで、W杯出場がきまりました。

 これまでサッカーのサの字もいわなかったヤツがなにをいうか、って?
 その通り、サッカーに関してはまったく興味なかった。
 むろん昨日(06/04)が大事な試合であることは知ってました。しかし、こちとらサッカーには興味なかったので、どうでもよかった。

 しかし昨日、観る気になったのは、その前日の本田圭佑選手の姿を見てから。
 彼は現在ロシアのCSKAモスクワに所属していますが、この日のために帰国しました。
 「おや?」
 と思ったのは、空港に降り立ったときからずっと長男を抱いていたこと。
 近くに奥さんもいたとは思いますが、報道で見る限りはいなかった。

 この時期(7~8ヶ月?)の赤ちゃんなら、ふつう母親に抱かれているほうが気持ちは安定します。
 このように長時間父親に抱かれ、まして知らない人(マスコミ陣)ばかりの前にさらされると(終始うしろ向きでしたが)赤ちゃんは不安がって泣くのではないか。
 これは元祖イクメンを自認する当方も自信はない。

 ところが本田選手はさらりとそれをやっている。赤ちゃんも泣かない。
 よほどふだんからわが子を愛情深く抱いてないとこうはなりません。
 これをマスコミは「いかにも本田流」と書いてますが、大のイクメンぶりまで洞察していたかどうか。

 むろん当方もこの時期のわが子を抱いたことはあります。
 よくやったのは腰のあたりをしっかり抱いて、上体を海老反りにしてのけぞらす。
 すると赤ん坊は本能的に起き上がろうとする。「うーッ」と顔を真っ赤にして。
 その顔が可愛い。
 「がんばれ、がんばれ」と励ましてやると、うんうんと唸りながら起き上がってくる。
 そしてやっと起き上がったときのうれしそうな顔。「やった!」
 これでかなり腹筋が鍛えられるはず。
 この「腹筋運動」は面白くて、何度もやりました。

 スミマセン、余計なことを。
 しかし本田圭佑クンもこれぐらいのことはやっている……はず?

 そんな思いで昨日の試合を観ていたのですが、終始本田選手の独壇場。
 2本のフリーキックは外しましたが、ペナルティーキックを見事きめて同点。これで日本(ザッケローニ監督も)は救われました。

 今後は本田選手に注目してサッカーを観ることにするかな。
2013.06.04 築地場外市場
 パイプオルガンによる仏教音楽を堪能し、築地本願寺を出るとランチタイム。
 そこで対面の築地場外市場へ。
 ここは場内と呼ばれる築地市場に隣接した一大商店街。
築地西通り 波除通り
 新大橋通りと晴海通りにはさまれた一画に約400店舗がひしめいています。
 魚介類中心の飲食店が圧倒的ですが、海産物店、玉子焼店、漬物店、料理道具店、刃物店などなんでもそろっています。 変わったところでは鯨のベーコンを売る店も。
おにぎり店 くじらベーコンを売る店
 「おや? いつの間にこんなものが……」
 波除通りに「ぷらっと築地」なる総合案内所。休憩所も、土産物店もあります。
 昨年きたときは気づかなかった。ここはもう一大観光地になったようです。
総合案内所
 「さっきから業者のカートが行き交うけど、いかにも築地らしいなあ」
 「うん、あれはターレというんや。正式名はターレットトラック。ターレットとは円筒形の動力部が回転する構造のことで、そこからこの名がついたらしい」と、この前仕入れたばかりの薀蓄をひとくさり。
築地の乗物ターレ
 「それにしても、どこも混んでるな。もう1時近いのに」
 「うん、ランチタイムコンサート聴いて、混雑時をわざとずらしたんやけど」

 そこで築地ではよく知られている寿司店に入り、「海鮮丼」(¥980)を頼みました。
 値段の割には豪華です。味もまあまあ美味かったし。
 ただ武蔵野の友人が「イクラが苦手」とこちらにパラリと寄越してきたのが意外で、これほどつき合っていても、食べ物の好みまではわからなかった。
海鮮丼
 その後、当然のように喫茶店に入りました。
 ここは魚の仲買人には人気のある店で、本格的な珈琲が250円で飲めます。
 ここでも武蔵野のヤツは珈琲に砂糖2本。私と関西の電気技師はブラックで飲んでいるのに。
 「お前は糖分摂りすぎや」
 といったのですが、血糖値や中性脂肪などは正常値だそうです。
 それ以上いうと、きらわれるので(実際、きらわれたことあり)やめました。
ブレンド珈琲
 そのあとは築地の守り神である波除(なみよけ)神社へ。
 築地の埋め立て工事は明暦の大火後に行われましたが、荒波の影響で工事は難航。
 そんな折、海(?)に光を放ち漂うものが……。それを御神体にして社殿を建て祀ったところ、波が収まり工事が順調に進んだところから、厄除けの神様として信仰を集めるようになったとか。
 「ほう、魚塚、すし塚、玉子塚もあるのか」
波除神社 魚塚
 ここで3人とも(殊勝にも)それぞれの息災と再会を祈りました。
 「つくづく、長生きはするもんやなあ」
 いささか月並みな結論ではありますが。
 3人でかちどき橋を渡り、築地側に着きました。
 行くところはやはり「築地本願寺」
 ここは昨年も訪れましたが(参照)、京都の寺院は散々見なれている連中も、この寺院の建物には驚くに違いない。
本願寺本堂
 「なるほど、こんな寺院は日本では珍しい。しかし東南アジアの国々では、仏教寺院はみんなこういう石造りやった」とは関西からきた友人。
 彼は電気工事技師として、若いころ東南アジアや中近東諸国で仕事をしていた経験があり、各国の仏教寺院は見なれているといいます。
本堂入口
 「しかしこれを建てた昭和9年(1934)のころは、宗徒の間で相当反発されたんと違うやろか」と武蔵野の友人。

 「いや、設計は伊東忠太博士やけど、むしろ大谷光瑞の意向やろ。なにしろ大谷光瑞は本願寺の法主やし、自ら伝道・発掘調査のために中国、インド、シルクロードを何度も行き来する(大谷探検隊)ほど強烈なリーダーやった。その男が『他のアジア地域では仏教寺院でも石造りがふつうや』といったら、誰も逆らえんやろ」
天井
 ふたりのやり取りを聞いていて「なるほど」と思いました。
 設計者はクライアントの意向でつくるだけ。やはり法主の強いリーダーシップがあったればこそ。
正面祭壇のご本尊 去年の正面祭壇
 「おや……?」
 正面には阿弥陀如来(浄土真宗のご本尊)が祀られています。
 阿弥陀如来は、極楽浄土にあって、生きとし生けるものすべてを平等に救済してくださる仏さま。ははーッ、ありがたや。
 しかし、去年はなかったぞ。
 というか、隠されていた。いろんな事情があったとは思いますが。
パイプオルガン
 さらに後方からパイプオルガンの演奏。
 このパイプオルガンは西ドイツ製。聴いているとミサ曲のような気もしますが、仏教音楽だそうです。
 演奏者は武蔵野音大出身の岡本玲子さん(現横須賀小川町教会オルガニスト)。
リハーサル中の岡本玲子さん
 毎月最終金曜日のお昼に「ランチタイムコンサート」が開かれるとのこと。(入場無料)
 まったく予期してなかったけど、パイプオルガンによる仏教音楽を堪能することができました。
 「いやあ、よかった」
 「これもワシの日ごろの心がけがええからや」
 「誰が連れてきたったんや」
 (あー、大人げないこというてしもた)

 それはともかく、ここは日時を選んでくる必要があります。
2013.06.02 かちどき橋
 京都時代の友人に東京の元風景を見せる散策の第二弾はかちどき(勝鬨)橋。
 月島から築地へ渡りました、
かちどき橋 
 かちどき橋とは、大型船が通るとき、橋の中央が跳ね上がって開く可動式の橋。
 小学校の教科書で見たことがあります。
機械塔
 「ほう、これがかちどき橋か。まだ残ってんのやなあ」
 と関西からきた友人。
かちどき橋の資料館
 渡ったところに「かちどき橋の資料館」があります。
 入るとすぐに映像資料を見せられました。
見学風景
 それによると、築地⇔月島間を結ぶ同橋がつくられたのは昭和15年(1940)(着工は昭和8年)。
 それまでは渡し舟(勝鬨の渡し)を運行させていたのですが、交通量が増えたため、橋の必要性に迫られました。
 しかし橋を架けると大型船舶の運航の妨げになる。そこで船が通るときは陸の交通を遮断して橋を跳ね上げた可動橋にしました。
かちどき橋の模型
 高架橋案は当時からありましたが、建設コストの関係で採用されなかったとのこと。
 「当時は今の交通量など予想してなかったからなあ」
 と関西の友人。
 今は大型船舶は通らなくなったので、開くことはないのですが。
直流発電機
 彼は電気工事の技師だけにことのほか興味があるようで、「直流発電機」を指差して、「これで交流から直流に変えるんや。 今ならこれの百分の一ぐらいの大きさで済むんやけど」
 他にも電気関係の説明をしてくれましたか、当方と武蔵野の友人は文科系なのでさっぱり。
記念碑
 ところでこの「かちどき(勝鬨)」の名の由来は?
 橋が跳ね上がった姿が(戦争に勝って)「万歳!」に似てるから?
 違います。
 これは「かちどきの渡し舟」からきています。この渡し舟は明治38年(1905)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として設置されたことによるものです。姿かたちには関係ありません。

 これに関しては「かちどきのわたし」の記念碑の横に説明されています。
 先日「東京の元風景を見せてやろう」と京都時代の友人ふたりを連れて佃島(参照)へ行ったところ、関西からきた友人が「たしかこの近くに、もんじゃストリートっちゅうもんがあるんやろ。一度食うてみたい」
 すると武蔵野市に住む友人も、「実はぼくも食うたことないんや」
 (コイツは浮世離れしとるから)

 こちらとしては、ええ年したオッチャン3人でもんじゃ焼きでもなかろうと思って黙っていたのですが、こうなっては仕方がない、月島西仲通り(通称もんじゃストリート)へ足を伸ばしました。
月島西仲通り
 昨日、たまたまTBSの「Nスタ」でここを取り上げていて、50mほどのところに、約80軒のもんじゃ店がひしめき、連日大勢の客で賑わっているとのこと。
路地裏
 しかし25~26年前の最盛時に比べると、かなり落ちてます。
 当時はこんなものではなく、もっと人通りが多かった。そのころ息子と二度(小6と高1のとき)きています。
 最初は珍しさもあったのですが、二度目は、「これは子どもと食べるもので、もういいかな」
 その後二度ほどここを通りましたが、もんじゃ焼きは食べなかった。
夕暮れどき
 「最近の情勢はわからんから」
 と適当に目についたもんじゃ焼き店に入りました。
 注文したのは、もち明太子と海鮮ミックス、ビール。

 最初(もち明太子)はお兄さんに焼いてもらいました。
 まずキャベツなどの具を焼き、適度に焼けたらドーナツ状の土手をつくり、そこに生地を流し込みます。その際、ソースを少し入れる。
キャベツを焼く
 生地が煮えて粘りが出てきたら、ヘラでこそげ取って食べる。
 「うん、美味い」
 ふたりの友人のよろこぶまいことか。
 こっちは写真を撮っていたら、バッテリー切れ。
 あわてて単③電池を入れ替えていたら、その間にほとんど食べられてしまった。
 残っているのはパリパリのお焦げだけ。
 それをこそいで捨てようとするのを、「待て、それはオレが食う」
具を焼く
 口惜しいので、「今度(海鮮ミックス)はお前が焼け」
 と武蔵野の友人に焼かせました。コイツは鈍くさいヤツで、具を鉄板に落としているとき、つい椀を傾けてしまう。「こらッ、傾けるな。生地がこぼれるやないか」
 偉そうに命令しながら焼かせました。彼はなんの文句もいわず、焼いてくれます。
土手をつくる
 「まったく、こんなときに性格が現れるんやなあ。はははは」
 と関西からきた友人。

 それでもふたりとも「美味い、美味い」とよろこんでくれたので、よかったかな。
 今度こそもんじゃ焼きの「食い納め」のような気もしますが。