掃部山公園から紅葉坂をはさんで反対側に伊勢山皇大神宮があります。
 当宮の創建は明治3年(1870)。
 江戸末期、横浜港が開港されて外来文化がドッと入ってきたため、日本の精神文化の拠り所の必要性に駆られ、伊勢神宮を勧請して創建されました。別名「関東のお伊勢さま」

 ここも桜の名所です。
 入口。すでに桜の花がかかっていますが、一の鳥居にくると、それがいっそう鮮明になります。 
伊勢山皇大神宮・一の鳥居 一の鳥居と桜
 続いて二の鳥居。この鳥居は総ヒノキ製。ヒノキ製ではいちばん大きいのでは。
 これは角度を変えて見ると、このように桜が……。
二の鳥居 二の鳥居と桜
 そして三の鳥居。一、二の鳥居と違って縄が掛かっています。これは注連柱(しめばしら)といいます。
 鳥居の役割は、俗界と神界を遮断することにあります。
 一の鳥居、二の鳥居をくぐって、三は最期のシメ、いよいよ神の世界に入ったと認識させるものです。この注連柱は日本最大だそうです。境内の側から見ると桜が見事です。
注連柱(しめばしら) 境内から見た注連柱
 拝殿。
 二礼二拍手一礼が神社でのお参りの作法。
 以前は「面倒臭い」と思ったものですが、慣れるとそうでもなくなりました。
 本当は撮影前に参拝すべきなのですが、ときとして順序が逆になることもあり、「あッ、いかん」。番たび反省しております。
拝殿
 ここも何度か訪れています。
 忘れられないのは、20年ほど前の大晦日。
 家族で(私だけ?)山下公園の「童謡を歌う会」に参加し、氷川丸の「除夜の汽笛」を聞き、中華街でチマキを食べ、「ブラジル」でコーヒーを飲み、伊勢山皇大神宮で初詣をしました。(参照
 初詣客は多かったけど、注連柱を見たとき、「伊勢神宮にきた」と実感しました。
境内のソメイヨシノ 境内のしだれ桜
 今回、桜のシーズンは初めて。
 ここも夜になるとライトアップされるそうですが、私としては昼だけでじゅうぶん。
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 横浜の桜として、どうしても外せないのが西区にある掃部山(かもんやま)公園。
 掃部とは井伊掃部頭直弼のこと。
 井伊直弼は江戸時代末期「安政の大獄」を指揮して、それが攘夷派の恨みを買い、桜田門の変で殺害されました。
公園内にある日本庭園
 しかし直弼は横浜にとってなくてはならぬ人。
 開国にあたり、米国総領事ハリスは神奈川(今の東神奈川あたり)を開港するよう主張しました。
 その強硬ぶりに他の幕閣たちもそれに傾きましたが、直弼は「神奈川は江戸に近いし、東海道の宿場町でもあるので、外国人の出入りを避けたい」と考え、その外れの砂洲にある寒村の横浜村に新しく港を開くことを主張し続けました。
 結果は粘り強い直弼の主張が通り、神奈川からひと山越えた小さな横浜村に港が開かれるようになりました。だから横浜は直弼なしには生まれなかったのです。
 今日の横浜の繁栄は、井伊直弼の尽力あってこそといっても過言ではありません。その意味で横浜市民は(横浜好きの私も含めて)井伊直弼に足を向けて寝られません。 
掃部山公園入口 掃部山公園入口付近
 実は、私の父方の祖先は彦根藩士。
 したがって井伊直弼はわが祖先の主君筋。あだやおろそかにはできません。
 そのためこれまで何度か訪れていますが、桜のシーズンはまだ。
 そこで先日、京都や滋賀、関東、それに海外におられる親族を代表して、行って参りました。
伊井掃部頭の銅像
 ここは小高い丘にあり、園内には井伊直弼の銅像が立っています。
 もとは開港50周年を記念して、明治42年(1909)、旧彦根藩士によってここに井伊直弼の銅像が建てられましたが、第二次世界大戦時に銅像が供出され、昭和29年(1954)に再建されたものです。

 この山は明治初期、外国人鉄道技師の官舎があったので「鉄道山」と呼ばれていましたが、明治17年(1884)に旧彦根藩士が買い取って井伊家の所有となり、直弼の銅像が建てられたころから桜の木が200本近く植えられ、桜の名所となりました。
昔の花見風景
 当時は茶店で人々が団子(?)を食べながら、花見をしている光景も描かれています。
 今は夜になると、各企業がブルーシートを敷いての酒盛り。
 そのため、まだ早くから場所取りの青年の姿がありました。
 聞いてみると、夜はライトアップされるようです。「それでか……」
由緒正しき(?)桜 場所取りする人も
 夜もう一度くるのはとても無理。銅像の前で手を合わせ、掃部山公園をあとにしました。
 埼玉に住んでいながら、東京の桜の名所ばかりアップしていたのでは、地元に申しわけがない。
 当県にも桜の名所は数多いのです。そのひとつがふじみ野市にある「大井弁天の森」
大井弁天の森① 大井弁天の森②
 実はここ、わが家のすぐ近く。
 わが家の北西に断層が走っていて、急坂を降りたところが大井弁天の森。
 昔はきれいな水がこんこんと湧き出たため、上野弁天財を観請して「大井弁天」と呼ばれるようになったとか。幕末から明治中期にかけて近隣からの参詣者でにぎわっていたといいます。
大井弁天の森③
 現在はその近くに小さな川(正しくは砂川掘用水路)が流れ、その両岸に桜の木が植えられているために、この時期になると、桜の花でいっぱいになります。
大井弁天の森④ 
 川にかかる桜といえば、目黒川(東京都)や大岡川(横浜市)が有名ですが、景観においては遜色ありません。ただネームバリューがないから、注目されないだけ。
 いいのです、それで。地元の人(当方も?)が楽しめるのであれば。 
大井弁天の森⑤
 「今年は早いんじゃないかい」
 「かなり早いよ。これじゃ4月まで持たないよ」
 「といってもこの暖かさじゃねえ、散っちゃうよ」
 とはベンチに坐って花見をしていた年配のご婦人たち。 
花見客①
 そのうち阿弥陀くじで飲み物係りを賭けはじめました。
 「あらッ、私が当たっちゃったのかい。花見だというのにとんだ散財だよ」
 この婆さんたち、実際に飲み物代も賭けてたのか。いけませんぞ、賭博は。 
花見客②
 なかには将棋に興じるおじさんたちもいて、「ふーむ、痛いなその手は」
 痛いどころじゃねーよ。もう詰みの手筋に入ってるよ。
 もっとも、相手のおじさんも気づかないのか。見ていてイライラさせられます。
将棋に興じる人も
 ベンチに坐って静かに桜を見ていた老夫婦、
 「今年も見られてよかったねえ」
 「そうだなあ、来年は見られるかなあ……」
 傍で聞いていて、妙に身につまされたぞ。この会話は。
桜の花
 花見といってもいろんな楽しみ方がある。それがご近所の花見である、と思いました。
 このところ「ニュースウォッチ9」などTVのニュースにやたら出てくる駒込「六義園」のしだれ桜。映像で観るとかなり迫力があります。
 「本当にそんなに凄いのか」
 先日、行ってきました。

 実はここ、3日前にアップした「染井霊園」のすぐ近く(位置的には山手線をはさんで北と南)にあります。
茶屋の背後のソメイヨシノ①
 ここは徳川五代将軍・綱吉の側用人・柳沢吉保の下屋敷でした。
 案内の方の説明によると、ここは平坦な土地だったのですが、池を掘って、その土で丘を築き、起伏のある回遊式築山泉水庭園を現出させました。それもこれも綱吉を楽しませるため。
茶屋の背後のソメイヨシノ②
 「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「風」「雅」「頌」「賦」「比」「興」からくるそうです。

 明治になってからは岩崎弥太郎(三菱財閥の創業者)が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園を設備し、周囲を赤レンガの塀で囲いました。
 その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、昭和13年 (1938) には東京市に寄贈され、一般公開されるようになりました。
 東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き残っているとのことです。
花よりだんご?
 ここの呼び物は、冒頭に挙げたしだれ桜。
 説明書きによると、「樹齢60年、高さ15m、幅20m、幹周り5m」とのこと。
 私がこれまで観たしだれ桜のなかでは最大級。
 大きすぎるのは撮影に困るのです。
しだれ桜① しだれ桜②
 近くだと全景が撮れないし、引くと他の樹木が入ってくるし、人々の頭も邪魔。
 「お前ら、退け!」
 とはとてもいえませんが、このときばかりは人嫌い(?)になります。

 しだれ桜は他にも吟花亭跡に1本大きいのがあります。
 これは、綱吉の娘鶴姫が花見を楽しんだ、とのことです。これもなかなか風情があります。
吟花亭跡のしだれ桜
 この六義園は毎年、桜の開花時には「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」が開催されます。
 これが呼び物のしだれ桜のライトアップ。(↓)
しだれ桜(夜)① しだれ桜(夜)②
 吟花亭跡のしだれ桜のライトアップはこちら。(↓)
吟花亭跡のしだれ桜(夜)
 なお「吹き上げ茶屋」近くのソメイヨシノは夜は立入り禁止。ライトアップはなし。残念。
 江戸の花見として、どうしても外せないのが上野公園の桜。
 ここはもともと東叡山寛永寺の敷地で、天海僧正が吉野山から桜を移植させたことから、桜の名所として知られてきました。
桜の名(?)木 名桜「陽光」
 現在ではおよそ35万㎡の広い園内に約1200本の桜が植えられています。大半はソメイヨシノですが、なかには「陽光」なる名花(?)も。
 そんなこともあって、満開時の土・日ともなると、人出は一日100万人を超えるそうです。
 この日は平日でしたが、公園内のメインストリート「中央園道」は沢山の人であふれ返っています。まだ夕食どき前ですが、早くも弁当を開くグループも。
中央園道① 中央園道②
 私はこの上野には忸怩たる思いがあります。
 今から20数年前、「F――」なる写真週刊誌に関わっていたとき、この季節になるとよく上野公園に行きました。そこでは期待を裏切ることなく酔っ払いの乱痴気騒ぎがあり、面白い写真には事欠かなかったからです。
早くも弁当を開くグループ
 ケンカもありましたが、私たちが狙ったのは色ネタ。
 ある会社の花見では、罰ゲーム(?)に女子社員を木に登らせていました。
 今にして思えばとんだセクハラですが、当時は問題にならず、酒の上の余興とされていました。
 まったく怪しからん会社ですが、それを撮って編集部に届けていた我われもロクなもんじゃない。メシのためとはいえ、浅ましい限り。 人のことはいえません。
写真を撮る若者たち
 今はそんなことをする会社もなくなり(やれば社会問題になる)、花見といっても品よくなりました。相変わらずケンカ騒動はありますが、昔に比べたら大人しいものです。
清水舞台の桜 清水舞台から弁天堂を見る
 私が上野公園で好きな場所は、南西側にある清水観音堂。
 ここは京都の清水寺になぞらえたもので、傾斜地に建てられており、小さいながらも清水の舞台もあります。
 ここからは不忍池の弁天堂が見えますが、この景色が素晴しい。この季節にはまた格別です。
 改めて上野公園の魅力を見直しました。
入口のライトアップ 入口のイルミネーション
 余談ですが、正しくは「上野恩賜(おんし)公園」といいます。
 これは寛永寺の敷地が明治になって官有地となり、大正13年に宮内省を経て東京市に下賜されたからです。 ははーッ、ありがたや。
 そんなわけで、このようなところで乱痴気騒ぎなどもってのほか……ですぞ。
 花見のかたわら、高校野球を観ています。昨日(03/25)は第4日目。
 この日の注目カードは早稲田実vs.龍谷大平安。
 ともに甲子園の出場は古く、伝統あるチームです。
1回表、平安の攻撃
 私は現在関東の人間ですが、出身は京都。
 うーん、どっちを応援していいのか、身を裂かれるような思いです。
 でも、こちらの生活のほうが長いので、やっぱり早実……かな。

 実力伯仲とのことですが、最近の成績から判断すると、総合力では早実が少し上回る、と見ました。
平安にタイムリー
 1回表、平安は早実二山投手の立ち上がりを攻め、タイムリーで1点先取。やるじゃないか。
 その裏、早実は平安福岡投手にねじ伏せられました。ヤバい。

 早実は四球でランナーが出るものの、打てない。ずるずるとノーヒット状態。
 5回表には平安に再びタイムリーがでて、2点目を追加。
早実は平安の投手に抑えられ… 
 早実は平安福岡投手の硬軟取り混ぜた投球に手も足も出ず、凡打の山を築くのみ。6回までノーヒット。まさか、ノーヒット、ノーランはないと思うけど、あの早実が、このまま終ってしまうのか。

 ところが7回、四球で走者が出た直後、次打者がライト前に初ヒット。
 これでなんとなく「行けるのではないか」と思いました。
 案の定、次の打者も三塁線を破り、1点を入れ、なおも無視2、3塁。
 逆転できる、と思ったら、次打者がサードゴロ。ランナーは動けず。一死。
平安は守備も堅い
 ところが次打者もサードゴロ。このとき三塁走者が本塁に突っ込み、挟まれてタッチアウト。
 「あーッ」
 監督が天を仰ぎました。最悪。二死。万事休す。

 しかし次打者が空振り三振するも、球を捕手が逸らし、振り逃げ。三塁走者が帰り、同点。やった。形はどうあれ、これで負けはない。
 なおも二死満塁から、タイムリーが出て、2走者が生還。これで4-2と逆転。
早実、振り逃げで生還
 あとはそのまま逃げ切り、早実が勝ちました。
 あのとき平安は空振り三振で討ち取ったのに、捕手のパスボールが痛かった。しかしこれが野球。
 子どものときは平安を応援していただけに、ちょっぴり複雑な思いです。
よろこぶ早実応援席
 この日は三試合とも見応えがありましたが、前日の浦和学院(埼玉)―土佐(高知)戦で気になることがありました。
 この試合は4-0で浦和学院が勝ちましたが、試合終了の挨拶のあと、土佐の選手全員、相手選手と握手もせず、踵を返して「全力疾走」で自陣にもどりました。ふつうは互いの健闘を称え合うのに。
 選手というのは、戦い終わったあとは勝敗に関係なく、相手に対して親近感が生まれ、自然に握手したくなるものです。
 ところがそれを拒否するというのは、指導者の強い意志が働いているとしか考えられない。
 「握手なんかしなくていい」
 この監督は亀田(ボクシング)のオヤジか。

 土佐は文武両道といわれ、学力も高く、常に全力疾走する姿は大会関係者やマスコミの間でも好感を持たれていますが これはどうしたことか。
 私のなかでは大きなイメージダウンです。
 東京の桜の名所を語るとき、抜きにできないのが染井(現在の豊島区駒込あたり)の桜。
 なぜならここはソメイヨシノ(染井吉野)発祥の地だからです。

 というわけで、この地を代表する「染井霊園」の桜は一見の価値あり。
 桜は墓地のそちこちに見られます。
染井霊園① 染井霊園②
 今年は開花が早まったため、お彼岸の墓参者は花見ができるという幸運を授かりました。
 こうして見ると、墓地の桜も風情があります。
 とくに「南無阿弥陀仏」という文字には、桜の花との対比で、そこはかとない無常観を感じます。
染井霊園③ 染井霊園④
 またここには外人墓地もあります。
 それまで墓地というのはお寺が所有していたのですが、明治になって仏教徒以外の墓地の必要性に迫られ、明治政府と 東京府がこの近くにあった播磨藩の跡地を利用してつくられたのが染井墓地です。
 ここに眠っておられる外国人の方にも桜の花が咲き誇っています。
外人墓地の桜① 外人墓地の桜②
 江戸時代、染井村一帯には大きな植木林があり、造園業者や植木職人によっていろんな植物が栽培されていました。
 当然桜も栽培されていましたが、江戸末期になって、エドヒガン系とオオシマザクラの系統の桜をかけ合わせた新しい品種の桜が売られるようになりました。
 最初は「吉野桜」として売られていましたが、この名称では吉野山(奈良県)のヤマザクラと混同される恐れがあるため、染井村の名前をとってソメイヨシノと命名されました。
 現在、全国各地で見られるソメイヨシノはすべてクローンだそうです。

 駒込駅のすぐ近くにある「染井吉野桜記念公園」
 ここには「染井吉野桜発祥之里」の記念碑があり、ソメイヨシノの原種といわれるエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられています。
染井吉野記念公園の桜 染井吉野発祥の地の記念碑
 
 毎年、桜のシーズンになると、ここは「桜のお散歩コース」の起点となるのですが、今年は予想外の早い開花に関係者は大あわて。
 「本来は4月7日が桜まつりなんだけど、これじゃ散ってしまう」
 と行事を前倒しするとか。
染井坂
 ここから染井霊園に向かう途中の染井坂。
 ここの桜も素晴しい。まるで桜のトンネルです。
 江戸の桜の名所といえば、王子駅南にある飛鳥山。
 ここは八代将軍吉宗が庶民に花見を楽しんでもらうために造った公園で、開園時には吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、花見を楽しんだといわれています。

 ここには紙の資料館(王子製紙)や渋沢栄一の旧邸跡の庭園があるので、二度ばかりきていますが、桜のシーズンにはこなかった。
 しかし、時代小説に出てくる江戸の花見は飛鳥山が多い。
 そのため「花見の時期に一度はきたいものだ」と思っていました。
飛鳥山公園①
 20数年ぶりにきた飛鳥山は以前とはまるで違っていました。「こんなに高い山だった?」
 これは単にこっちが年取ったから?
飛鳥山公園② 飛鳥山公園③  
 山頂(?)には標高25.4mとの表示碑があります。
 これは「東京都でいちばん低い」とされる港区の愛宕山(25.7m)よりも低い山であると、北区では密かに自慢している(低さを競ってどうする)とのことですが、国土地理院からは山とは認められてないそうです。
飛鳥山の標高碑
 桜はソメイヨシノやしだれ桜が約650本。
 多いといえば多いけど、上野に比べると貧弱です。
 花見客はほとんど近隣の人。ジャージー姿で、ブルーシートに横たわる人も。
 「いかにもローカルな味わいたなあ」
桜の下で寝る人も
 以前は旧渋沢邸の「青淵(せいえん)文庫」が入れたのに、閉まっていました。
 なかなかいい庭園だったのに、つまらんぞ。
 その代わり、いつの間にか「渋沢資料館」なる大きな建物が。
 ここも閉まっている。なんじゃらほい。
飛鳥山の桜
 以前と変わっていたのは、飛鳥山を登り下りする「アスカー」なる無料のモノレール。定員16名。休日になると長蛇の列ができるとか。
 乗ると、「飛鳥山へようこそ」という倍賞千恵子(女優)さんのアナウンスが聞こえてきます。北区の出身だそうです。
アスカー
 私の感想では、近隣の花見どころ。東京を代表するには今ひとつ。
 江戸は遠くなりにけり(?)。
音無親水公園① 音無親水公園② 音無親水公園③
 そうそう、飛鳥山へ行ったら、そのお膝元の「音無親水公園」もお忘れなく。
 ここには桜が約20本。ここのほうが風情あり?
 飛鳥山と音無親水公園のセットで「桜の名所」である、と思いました。
 桜の名所で靖国神社の次はといえば、千鳥ヶ淵を置いて他にないでしょう。
 ここは皇居の北西にあるお濠で、田安門から千鳥ヶ淵交差点までのおよそ700m。
 かつては南側にある半蔵濠ともつながっていましたが、明治33年(1900)道路建設のために埋め立てられ、分断されました。
お堀端の遊歩道①
 この千鳥ヶ淵沿いにはソメイヨシノやオオシマザクラなどが260本植えられており、毎年春になると100万人もの花見客が訪れるそうです。
お堀端の遊歩道② 
 このあたりは何度か歩いていますが、桜のシーズンに歩いたのは初めて。
 というのはあまりにも有名で、花見の季節になると「どうせ混むだろう」と思っていたからです。
 しかし今回は、靖国神社のすぐ近くなので、寄ってみました。
桜とボート①
 それほどの大混雑ではありません。
 平日だったこともありますが、今年は開花が早かったため、花見客が出遅れたのではないか。
桜とボート②
 千鳥が淵といえば、ボートですよね。
 おなじみの光景です。
桜とボート③ 桜とボート④
 ここは宴会禁止、食べ物の屋台もなし。
 そのため焼き鳥の煙モウモウということもなく、宴会どころか、弁当を広げている光景もありません。
 「いいじゃないか」
お堀端の遊歩道③
 花見客が多数訪れるといっても、人々はお堀端をゆっくり歩くのみ。
 これが本当の「お花見」である、と思いました。
 今年は予想外に早い桜の開花(東京は03/16)。
 そのためみんな花見を早めるのに大わらわ。
 「いやあ、オレたちもバタバタしてるよ」とは屋台のおニイちゃん。

 「そもそもここがいけないんだよ。早々に開花宣言なんかするから」
 その元凶(?)をとっちめてやろうとしてやってきた九段の靖国神社。
 押しも押されもせぬ東京の桜の名所で、境内には、ソメイヨシノやヤマザクラなど約400本の桜が植えられているそうです。
境内の桜①
 靖国神社は元「東京招魂社」として創祀され、日本の軍人、軍属等が主な祭神として祀られている神社です。
 また先人の犯した益体もない戦争を賛美している施設もあるので、私としてはいささか含むところはありますが、それはそれ、桜の名所であることには違いない。
靖国神社の大鳥居 靖国神社の拝殿
 境内のあちこちに「〇〇軍人会の桜」というものがあり、これが当神社の特徴。これを「不快だ」という外国の方もおられるようですが、私はそうは思わない。
 彼らもやはり戦争の犠牲者。その魂を偲んで桜が植えられた、と考えます。

 それはともかく、開花宣言をする元となった当神社の桜(ソメイヨシノ)。
 これを「標本木」といって恭しく柵で囲ってあります。「標本木」の表示とともに説明書が。
 それによると、「この木に5~6輪の花が咲くと、東京で開花したことになる」そうです。
 見ると枝のあちこちに突っかい棒が。
標本木① 標本木② 標本木③
   「ははあ、かなりの老木だな」
 これは臥竜梅に関してある人のブログでもいいましたが、樹が年取って枝に力がなくなると、枝葉の体重を支えきれずにダラッと落ちてしまうので、突っかい棒でなんとか立たせているのです。
 人間でいうなら、ヨタヨタのお年寄りを標本木にしているのか。 靖国神社らしくて微笑ましい。
 誤解なきようにいっときますが、早々の開花宣言はこの木が悪いのではない。今年の気候が変なのです。
境内の桜②
 外苑では食べ物の屋台が各種あって、フランクフルトソーセージなどの煙がモクモクと立ち上っていますが、内苑境内での宴会は禁止。
 純然と桜を愛でるなら、やはり「桜の名所」ではないか。
 そう思いました。
 この時期、川越の桜といえば、喜多院と中院のしだれ桜をおいて他にありません。

 まず喜多院。
 ここはもともと天台宗の寺院。天長7年(830)に慈覚大師によって創建され、正式名は星野山(せいやさん)無量寿寺。
 当時は北院、中院、南院に分かれていました。

 その北院が喜多院と呼ばれるようになり、江戸時代には三代将軍家光誕生の間や、春日局化粧の間が移築されました。(重要文化財) 
喜多院のしだれ桜① 喜多院のしだれ桜②
 庫裏前のしだれ桜は、まるで滝が流れ落ちんばかりの咲きっぷり。見事です。

 次に喜多院から南へ200mほど下がったところにある中(なか)院。
 ここはひっそりと静かな味わいがあります。

 かの慈覚大師が京都から茶樹を運んできて境内に植えたところから、狭山茶、川越茶の発祥の地となったとか。京都出身の当方にとっては感慨深いものがあります。
中院のしだれ桜①
 境内には10本近く、大小のしだれ桜が植えられています。
 ここは地元では「しだれ桜の名所」とされています。
 「喜多院は俗っぽいけど、中院のしだれ桜のほうがいいわね」
 とは蔵造り通りの和菓子屋のおばさん。
中院のしだれ桜②
 たしかに味わいがあります。

 さらに本堂前の大きな桜。これは「エドヒガン桜」といって、しだれ桜と同時期に咲くそうです。ソメイヨシノよりピンクが濃いのが特徴で、推定樹齢300年近いとか。
中院のエドヒガン桜
 川越の桜といえば、他には新河岸川沿いのソメイヨシノが有名ですが、今少し。
 満開になれば行こうかな。
2013.03.20 三月の句会
 昨日(03/19)は三月の句会でした。
 私の出句は、
 ①友逝きていずれ会おうや名残り雪
 ②紅梅や妻の若き日想ひ出す
 ③打ち明けて足取り軽し春の宵

 の三句です。

 ①先月初めに逝った友のことを詠んだ句です。この友とは約半世紀ほど前に別れていらい、と うとう再会できなかった。
 仏教用語で「具会一所」ということばがあるそうです。みんなあの世で会えるという意味です。その気持ちを名残り雪に託しました。
 ②紅梅というのは華やかで、若さを感じさせます。妻の若かりし日を思い出し、それを詠みました。
 ③これは若き日、好きだった女性に「つき合ってください」と告白し、OKをもらって、浮き浮きした気分を表した句です。「足取り軽し」にそのよろこびを込めました。
 投句したあと、「打ち明けて」ではなく「告白し」にしたほうがよかったかな、と迷いました。しかし、いったん出した以上、「まあ、いいか。あれで」
近所の名残り雪
 さて、句会当日。
 今回は先生が体調を崩されて休まれたので、わが句会のエースであるK氏が司会となって進められました。

 その得票数とK氏の評価。
 ①友逝きていずれ会おうや名残り雪……(1)
 ②紅梅や妻の若き日想ひ出す……(0)
 ③打ち明けて足取り軽し春の宵……(7)→最多得票
 (出句14名、選句はひとり5句。カッコ内は得票数)

 ①この句はよくわかりません。「いずれ会おうや」と名残り雪との関連性がない。再考を。
 ②これは奥さん思いの微笑ましい句ですが、誰も取らない。その理由は季語が動くから。
 (注)季語が動くとは、この場合、紅梅でなくても(紫陽花とか)他の季節の花でも当てはまるので、俳句では御法度とされています。私はよくこれをやっては注意される未熟者です。
紅梅
 ③については、あるオバサマから、こんな意見が。
 「これは、私たちの世代の心境をよく表していると思いました。これまで心のなかに溜まっていたモヤモヤを聞いてもらって、すっきりした。そんな気持ちでしょう」
 これに2~3人の女性がうなずきました。

 えーッ、そんな気持ちで詠んだのとは全然違う。
 私はあわてて、「いや、これは若き日の恋心を詠んだ句で……」と説明したのですが、
 「あら、そうだったのですか」と今度はオバサマたちが意外な顔。

 これに対してK氏は、
 「俳句というのは、いったん当人から離れると、選者の解釈にゆだねるしかない。しかもそれで最多得票しているのだから、京一郎さんの説明はよけいどころか、かえってぶち壊し」

 うーん。 詠んだ当人とはまったく別の解釈をされ、しかも好評を得るとは。
 こんなこともあるのか。
 しかし、これが俳句の面白さ?
 「こうなってみると、『打ち明けて』でよかったのだ。これぞまさしく怪我の功名」(苦笑)
 なにはともあれ7票はうれしい。二人にひとりは入れてくれたのだから。(最多得票はこれで二度目)

 「俳句というのは、いったん当人から離れると、選者の解釈にゆだねるしかない」
 改めてこのことばを噛みしめました。
 昨日(03/18=日本時間)行われたWBC決勝トーナメント準決勝、日本vs.プエルトリコ。
 プエルトリコと聞いて真っ先に浮かんだのは「ウエストサイド物語」(1961)
 あのなかでベルナルド(ジョージ・チャキリス)率いる「シャーク団」がプエルトリコ出身の若者たちでした。(古い!)
TV実況中継より①
 プエルトリコはアメリカに勝っての進出なので、「アメリカは本気出さなかったのだろう」といわれました。私もそう思いましたが、プエルトリコにはメジャーの選手が10人以上いて強そうだし、一発勝負はわからない。
 日本はかなり苦戦するのでは?
TV実況中継より②
 その予感は早くも的中。1回表、前田健が1死から連続四球。
 これは主審のクセがわからず、ストライクゾーンがつかめなかったからです。
 ストライクと思って投げた外角の球を「ボール」。えッ?
 仕方なく内寄りに入れたら、5番打者にセンター前に打たれ、走者を帰された。痛い!
TV実況中継より③ 
 これに関して、解説者の桑田真澄氏は「あの外角の球は投げ続けていると、そのうち(ストライクと)取ってくれますよ」といってましたが、本当かね。もしそうなら、審判の判定に一貫性がないってことじゃないの? 
TV実況中継より④
 対するプエルトリコ投手陣は、主審のストライクゾーンを熟知しており、日本の打者が「あれがストライク?」と見送るような球でカウントを取り、三振と凡打の山を築きました。
 もっとひどかったのは、投手の間合い。あまりポンポン投げてくるので、日本の打者が「タイム」をとったところ、主審は無視。相手投手は委細かまわず投げてきて「ストライク」
TV実況中継より⑤
 日本は自分の野球をさせてもらえなかった。
 私は、主審と反りが合わなかったように思いますが、審判を味方につけるのも野球の実力。プエルトリコは意外に謙虚な野球をしていました。
TV実況中継より⑥
 昨日の試合で問題にされたのは、8回1死一、二塁で内川の暴走(?)でタッチアウト。
 試合後、内川は「ぼくがすべてぶち壊してしまいました」と涙ながらに謝罪していましたが、謝る必要はありません。誰も内川君を責められない。 内川はよくやりました。

 これに関してスポーツ紙では「行けたら行け、という曖昧な指令を出した監督の責任」とありますが、これも酷というもの。
 山本監督は終始選手の自主性に任せるという手法をとりました。
 これをスポーツ紙では「選手に丸投げ」と批判的ですが、私はそうは思わない。レベルの高い選手たちには「大人扱い」したほうが力を発揮できます。
 むしろキューバのような口やかましい監督の下では、選手は萎縮して、精神的にひ弱いのではないか。実際敗退したし。

 台湾戦では「行けたら行け」という曖昧な(?)指令によって鳥谷は走り、功を奏しました。
 上手くいったら選手を誉めそやし、失敗したら監督をボロクソにこき下ろす。スポーツ紙の体質です。
TV実況中継より⑦ TV実況中継より⑧
 あまり個人攻撃はしたくありませんが、この試合では阿部が再三のチャンスに打てなかったことに尽きます。力みかえって大振りでした。
 井端のようなバッティングができていればよかったと思いますが、阿部は捕手で投手のリードで頭がいっぱいだったと思うと、一概に責められないし。
TV実況中継より⑨
 三連覇はできなかったけど、日本はよくやった。
 うなだれることなく、胸を張って帰国してもらいたいものです。
 昨日(03/17)NHK「小さな旅」で「越生(おごせ)梅園」を取り上げていました。
 それによると、ここは昔から食用の梅を生産していた土地で、梅園の梅の大半は食用梅。
 その梅園を、花の咲く期間だけ入園料をとって梅見客を呼び、さらに生産した梅干などを即売する、ということでした。
越生梅園
 「なるほど、それでか」
 土地は平坦で、白梅が多かった。

 それに対し、昨日アップした「森林公園」の梅林は起伏に富んで変化があるし、食用よりも観賞用の梅が多かった。観梅という意味では、はるかにすぐれていたからです。

 この森林公園、東武沿線にあるので東武系の公園と思われがちですが、実は国営。
 埼玉県の滑川町(比企郡)と熊谷市にまたがる広大な森林を、明治百年記念事業の一環として国が開発し、昭和49年(1974)全国初の国営公園として開園したものです。正式名は国営武蔵丘陵森林公園。
 また「東武動物公園」と混同する方もおられますが、あれは東武伊勢崎線。全然違います。埼玉は広いのです。
原生林 古鎌倉街道もあり
 森林公園は池袋から東武東上線で約60分。
 その中間あたりに住む当方にとっては「いつでも行ける」感がありました。しかしそろそろ3年になるというのに、まだ一度も行ってない。
 「東横線ともつながり、神奈川の人たちにも便利になるというのに、これではいかん」
 と先日、梅見がてら行ってきました。
森林公園・南口
 森林公園駅は、わが最寄り駅・鶴瀬からは約35分。そこから北方約3km。
 歩いて行けなくもないのですが、広い園内を歩き回ることを考えると、バスに乗りました。
噴水 日時計
 梅林に関しては昨日アップしたので、省略しますが、同園はとにかく広い。
 さらに当方、植物に関してはほとんど無知。
 あまりにつかみどころがないので、印象に残るところだけを写真に撮りました。
菜の花畑
 運動広場にある「ぽんぽこマウンテン」。スキー場かと思ったら、材質はゴムでできていて、みんなピョンピョン飛び跳ねてました。
ぽんぽこマウンテン つり橋
 ハーブ館にはハーブも売られていて、足湯もあり、犬が走り回れるところもあります。
 また園内にはレストランも数軒ありますが、私が食べたカレーはあまり美味くなかった。
ハーブ館 足湯 ひき肉とキノコのカレーライス
 晩秋から冬になると、夜はイルミネーションが施されるそうです。
 こんなだだっ広いところ、どんなイルミネーションなんだ。
 昨日(03/16)に続いて梅のアップです。
 「昨日、東京では桜が開花したというのに、まだ梅か」ですと?
 そんなこといわずに見てください。
 梅は梅でも、そんじょそこらの梅ではない、埼玉の山奥「森林公園」の梅ですよ。
梅林遠景
 森林公園はとにかく広い。埼玉の山奥の森林をそのまま公園にしたようなものだから、起伏が激しく、まだ原生林が残っています。広さは304.0ha。私の感覚では小石川後楽園の約30倍。
梅林① 梅林②
 梅林はその一角ですが、この梅林が広い。
 こんもりとした丘にあるのですが、ひと山丸ごと梅の山。
 分け入っても分け入っても梅の花……という感じで、鮮やかな梅に圧倒されます。
梅に圧倒される
 桜並木とか欅並木はあっても、「梅並木」というのはないでしょう。ところがここにはあるのです。道の両側が梅。もっとも梅林だから、あり得るのか。
梅並木?
 広さは「越生梅園」(参照)とほぼ同じ。本数では600本と、越生の1200本に負けますが、紅梅や白梅が120品種、花の質においてはここのほうがはるかに上。梅の花が光り輝いて見えます。

 白梅で目を引いたのが「月影枝垂れ」
 「池に映った月を思わせるような花影。青白色の優雅さが漂う」とあります。
 なるほど。
月影枝垂れ
 ひと際オーラを放っていたのが「御所紅」
 「淡紅色をした八重咲きの梅。華やかさのなかにも高貴さが感じられます」
 たしかに。
御所紅① 御所紅②
 これまで首都圏の「梅の名所」を見たなかでは、ここが一番と思いました。越生には悪いけど。
 昨日は「明日(03/16)から、5つの電鉄車線がつながり、埼玉⇔横浜が直結する」とのニュースでもちきり。
 私のような埼玉に住む「横浜好き」にとってはうれしい限り。
東武東上線←両社が直結→ 東急東横線

 そこで今回は横浜……ではなく、地元(入間郡三芳町)「多福寺」の梅を。
 いささか無理クリでしたが、ここは正月にも紹介したありがたいお寺。
 「福多かれ」という名前もいいのですが、奥庭の枯山水が見事です。
多福寺・奥庭 
 「たしか境内には数本の梅の木があったはず」
 あやふやな記憶を頼りに行ってみると、咲いてました、数本の紅梅が。
境内の紅梅 境内の梅
 とくに山門の前の紅梅は、なかなかの風情。
 この山門は「呑天閣」といって由緒あるもの。埼玉県指定有形文化財でもあります。
 そこでこの山門を背景に紅梅を撮ってみました。
山門を背景に
 以前にも述べましたが、人は「梅の名所」で梅を見たがるのは、そこに「+アルファ」があるから。
 ここの紅梅がまさにそれ。
枝垂れ紅梅
 ちょっとショボいとは思ったけど、「+アルファ」を考えると、昨日の航空公園の梅より風情があるのではないの。
 (ちなみにここは航空公園の帰りに寄ったのです)

 神奈川県の方、たまにはこちらへ足を運んでくださいよ。交通の便もよくなったんだから。
 ご近所の梅見第二弾。
 というわけで、所沢航空公園(正式名は所沢航空発祥記念公園)にやってきました。
 実はわが家から自転車で30分足らずのご近所。
公園内の飛行機の展示
 同園は日本で最初に飛行場ができたところで、園内のあちこちに飛行機が展示されています。
 それとともに桜の名所でもあるのですが、昨年きたとき梅園でもまだ梅が咲いていて、その下で人々が弁当を広げていました。
去年の光景
 ドンチャン騒ぎではなかったけど、梅の香りもあったものではない。
 「時期が悪いんだよ。春休みだったし、桜とダブっていた」
 その反省から、まだ桜の開花しない平日にやってきました。
梅園の看板が堂々と……
 「梅園」と臆面もなく看板が出ている割にはさほど広くはなく、梅の木も30本ほどでそれほど多くない。
 「紅梅、白梅、枝垂れ梅など、バラエティーには富んでいるが……」
白梅 紅梅
 ちょっとショボイ印象も受けました。
 「やっぱり梅見客も必要なのかな」
 まったく人間は(オレだけ?)勝手なものです。
しだれ紅梅
 同園には日本庭園もあります。
 ここは紅梅。
 池のほとりと茶室の前にチラホラと。
日本庭園の梅 茶室の前の梅
 これを人は「風流」というのでしょう……ね。
 先日(03/11)「ニュースウォッチ9」(NHK)で、津波で父親を亡くした高校生の男の子と大越健介キャスターがキャッチボールするところを放映してました。
 あの震災がなければ、この子はお父さんとキャッチボールをしていた……そう思うと、胸がふさがりました。

 私は息子が3歳ぐらいから高校生になるまで、キャッチボールの相手をすることができました。
 息子はどう思っているかわかりませんが、父親冥利に尽きます。

 以前にもいいましたが、キャッチボールとは、基本的には身体を鍛える運動です。
 そのため、軸足に溜めをつくって、できるだけ腕を振り、スナップを効かせて、強い球を投げるように心がけます。
 これをくり返していると、最初は弱くても、次第に強い球が投げられるようになります。したがって相手は同じレベルであることが望ましい。

 一方で「キャッチボールとは一種のコミュニケーション」という異見もあります。
 ひとつの球を相手の胸元に(礼儀です)投げ、相手からも受け取るからです。
 しょっちゅうキャッチボールをしている相手なら、これによって、その日の体調がわかります。
キャッチボール
 ただし、わが子とのキャッチボールとなると、これとはまったく別。
 子どもが小学生以下だと強い球は投げられないので、手加減しなければなりません。
 ところがこの「手加減」は、身体を鍛えるのとはまったく逆の行為。やればやるほど肩が鈍(なま)ってきて強い球が投げられなくなります。
 そのため私は、息子とのキャッチボールが終ると、野球場のコンクリートの壁に向かって、全力投球で壁当てをしていました。(参照

 息子が中学生になると、父と子の力の差はかなり接近します。
 これは子どもが成長して、強い球も受けられるようになるからですが、父親の肩も衰えるからです。
 中学も高学年では、ほとんど互角になります。

 息子が高校生になると、父と子の肩は完全に逆転しました。
 しかも息子は最初野球部にいたので、投げ方も本格的になっていました。
 息子が軽く投げてきた第一球が予想以上にグンッと伸びがあるのに内心おどろきました。「こんな強い球を投げるのか」 
 あまりの速い球に恐怖を覚え、早々に切り上げました。(参照

 「ニュースウォッチ9」の大越キャスターは東大の野球部でピッチャーをやっていました。そのため高校生の速い球でも受けられると思います。

 しかし「素人」の私は無理。とても受けられない。
 息子はそれを知ったら、手加減して投げるでしょう。しかしそれは父親としては本意ではないので、「これが潮どきだ」と思ったのです。

 ところがその後TVの番組で、元プロ野球選手の長島一茂さんが多摩川を散策していて、「ここでよくオヤジとキャッチボールしたなあ」といいました。
 オヤジとは長嶋茂雄さん。一茂さんがプロ野球を引退したあとだったそうです。

 元プロ野球選手同士のキャッチボールはさぞかしレベルの高いものと思われますが、それにしても年齢差を考えると、一茂さんは「手加減」した球を投げていたと考えられます。
 だとしたら、息子が手加減したキャッチボールもあり、ではないか。

 あのときの私は40代の半ば。まだ若く、いささか格好をつけていました。
 昨日(03/12)のWBC順位決定戦の日本vs.オランダ。

 日本は前の(03/10)オランダ戦では16―4(7回コールド)と圧勝。
 鳥谷をはじめ6本の本塁打が出て、ようやく当たりが出た、とマスコミでは大はしゃぎでしたが、いずれも本塁打による得点。「つなぐ野球ではない」
 一抹の不安がよぎりました。
二次R順位決定戦①
 11日の敗者復活戦オランダvs.キューバはてっきりキューバが勝つと思ったけど、7-6でオランダが逆転勝ち。
 今回のキューバはメンタル面で少し弱いところはあるけど、それにしてもキューバに2度も勝つのは、まぐれではない。オランダの強さを見直しました。
二次R順位決定戦②
 オランダといっても本国ではなく、オランダ系の選手なのかと思っていたのですが、そればかりではなく、大半がカリブ海のキュラソーなどの島々出身とか。
 日本で活躍するバレンティン(ヤクルト)、ジョーンズ(楽天)はじめ、アメリカの大リーグの選手もいて、なかなか手強いチームだとわかりました。
二次R順位決定戦③
 で、昨日の試合は日本が2回に大量8点を取って8-1とリードしたにも関わらず、オランダは7回、8回、連打で追い上げ、8-6まで追い上げられました。
 これはオランダの打撃陣の逆方向(左打者は左、右打者は右)に打つバッティングが功を奏しました。けっして振り回さず謙虚なバッティングでした。
 日本の投手陣に油断はなかった(「ピンチで投げたい」といっていた森福投手の自作自演?)と思いますが、前回の前田健に比べると、レベルダウンの感は否めない。
二次R順位決定戦④
 日本は2回に8点を取ってからは、なかなか点が取れず、イライラさせられました。
 相手投手のレベルがそれほど高いとは思えないのに点が取れなかったのは、明らかにホームラン後遺症です。バットスウィングが大振りでした。
 8回になってようやく「つなぐ野球」ができて2点を追加し、ひと安心しました。
二次R順位決定戦⑤
 決勝トーナメントで当たる相手は、投手力に関しては、オランダよりはるかにレベルが上。日本がそれを打ち込めるか。
 また前田健以外の投手陣が抑えられるか、不安のタネは尽きません。

 うーん、日本のプロ野球より国際試合のほうが面白いのかな。
 これまで東京都内、横浜市内の「梅の名所」を散策してきましたが、我が埼玉を無視してはいけない。
 埼玉には有名な「越生梅園」があって、これは昨年アップしました。(参照
 他には……と調べてみると、近くに「大宮公園の梅林」があることがわかりました。

 大宮公園は有名な野球場があるところ。(参照
 梅林はそこではなく、道路を隔てたもうひとつのエリア(大宮公園は広いのです)「大宮第二公園」にあります。
梅林①
 同園の解説板によると――
 「この梅林は昭和57~59年にかけて造成されたもので、5000㎡の梅林には45品種、約520本の梅が植えられている。内訳は紅梅150本、白梅350本、枝垂れ梅20本」とのこと。
 例年、開花は、紅梅→白梅→枝垂れ……の順だそうです。
梅林②
 私はあちこち「梅の名所」を訪れている割には、梅の種類はほとんど知らない無粋者。
 それでも「白加賀」(しろかが)は白梅の代表格である、と最近知りました。
 ここにもその白加賀は咲いています。
白加賀
 印象に残ったのは「曙枝垂」(あけぼのしだれ)
 花がほのかなピンクで、ふわりと垂れているのがなかなかの風情。
曙枝垂
 梅林とは別に「松籟庵」という茶室があります。その庭にある梅の風情も素晴しい。
茶室「松籟庵」の梅① 茶室「松籟庵」の梅②
 ここでは「芳流閣」(ほうりゅうかく)が印象に残りました。
 すっきりと白くて、凛とした姿に好感が持てました。
芳流閣
 ここの「梅まつり」は02/16~03/03だったのですが、この期間はまだ咲かず、まつりが終ってから満開になるという皮肉な現象。遅れてきてよかったぞ(陰の声)。

 ただしこの日は砂塵がひどく(煙霧というそうです)くっきり感が今イチ。
 それでも梅を堪能してきました。
 その日は所用で外出したのですが、忘れ物があったので、いったん家にもどりました。
 「また外に出るのは面倒だな。大した用事でもないし」
 と、やりかけの原稿を書くため、PCに向っていたところ、ガタガタ、ガタガタッ。
 「おや? 地震だな……」

 ところが、その揺れは次第にユッサユッサと大揺れになり、半端な揺れではない。
 「大変だ!」
 揺れはさらにグラグラグラッと激しくなり、しかも時間が長い。
 食器棚の上に大きな電子レンジが乗っかっているので、それが落ちないように抑えに行きました。
 ドサドサッと音がしました。棚の上の資料の箱が落ちました。

 5分ぐらい揺れていたでしょうか。
 こんなに激しくて長時間揺れた地震を体験したのは初めてです。
 ラジオの報道によると、「震源地は宮城県沖、マグニチュード7.6、宮城県の震度7」
 その後マグニチュードは8.4に変わり、8.8と訂正されました。
 南関東でも震度5強。こんな大きな地震は初めてです。
 忘れ物をして、もどったことが、結果的には幸いでした。

 その後TVの報道を観ると、東北地方の被害が甚大であることがわかりました。
 とくに津波が沢山の車を押し流し、河をさかのぼって人家や畑を飲み込んで行く様子にことばを失いました。
 これが「1911.3.11東日本大震災」の日でした。

 翌日TVニュースで見て、胸がふさがりました。
 津波による被害が大きすぎて救助隊の動きもままならないようでした。

  「あんた、無事だったか」
 年上の友人から電話がきました。
 彼は頻繁に電話を入れたのですが、繋がらなかったそうです。
 「オレの被害は、TVの裏に収納したビデオがバラバラ落ちた程度だよ」

 その後も続々と友人・知人から、「生きてたか」と命の確認(?)電話。(生きとるわい)
 そして異口同音に「こんな大きな地震、初めてだ」

 私が体験したこれまでの最大の地震は、約40年前、震度4でした。
 出版社に勤めていたときのことで、ロッカーが傾きました。外でガチャーンと音がしたと思ったら、ビルの看板が落ちました。揺れていたのは10秒ぐらい。

 今回(2年前)の地震はそれよりも激しく、時間も長かった。
 むろん東北の被害に比べれば大したことはなかったのですが、それでも友人・知人たちの間で「そのときがきたら、どうするか」を真面目に話し合うようになりました。
 先日、横浜の大倉山梅林(参照)に行ったとき、「ついでに獅子ヶ谷横溝屋敷へ寄ってやれ」と思いつきました。
 ここはブロ友さんの情報で知ったのですが、場所は「トレッサ横浜」の近く、大倉山から歩くと2㎞近くあります。

 横浜や湘南になると俄然健脚(?)になる当方、これぐらい歩くのはどおってことはない。
 ところが大倉山駅からエルム通り→綱島街道→環状2号線……この道がふつうの幹線道路で、つまらんのよ。
 海岸通りや山手通りだといくらでも歩けるのに、このときはかなり消耗しました。
横溝屋敷
 トレッサ横浜の少し手前、師岡(もろおか)の交差点から入って、歩くこと500m、長屋門をくぐると横溝屋敷(正式名称は横浜市農村生活館獅子ヶ谷横溝屋敷)です。
屋敷の模型
 ここは江戸時代の農村生活の原風景を残している貴重な文化遺産。
 「横溝家は代々名主を務め、鶴見川の沖積地を開墾して水田を拓くなど、地域に多大な貢献をしてきた家柄ですが、屋敷が横浜市に寄贈されて、平成元年(1989)一般公開されるようになりました」とは同館案内の女性。 
展示室①
 同館には、当時の農村生活資料や調度品などが展示されていますが、あちこちの古民家園を散々見てきたからか、さしたる感情も涌かず、「ふーん」と眺めるだけ。年とともに人間が横着になってきたのかな。
 展示室② 展示室③
 この季節は、やはり梅だろう。
 古民家を背景に色とりどりの梅は、大倉山梅林とはひと味違う風情があります。
屋敷内の梅① 屋敷内の梅②
 「おや、これは?」
 屋敷の裏に山へ登る階段があります。
 立て札によると、ここから獅子ヶ谷市民の森に入れるとのこと。
 登ってみると、なんの変哲もない小高い丘。見晴らしはよくない。
 これが獅子ヶ谷市民の森か。
獅子ヶ谷市民の森広場
 梅の木が数本、花を咲かせています。
 まるで別世界にきた気分。梅の名所ではないのだろうけど、野趣あふれる味わい。

 なるほど、こういう梅見もあるのか。
 いろいろ散策していると、思わぬ発見があるものです。
 いやあ、野球はわからん。とくにWBCはなにが起こるかわからない。
 つくづくそう思いました。

 昨日の第二次ラウンド、オランダvs.キューバ戦。
 てっきりキューバが勝つと思っていたら、オランダが6-2で勝ちました。
 オランダってこんなに強かった?
 もちろんみんな「オランダ系」ということで、バレンティン(ヤクルト)やアメリカの大リーグの選手がいることは知ってますが、「そんな混成チームが勝てるわけはない」と思っていたら、強いのなんの、ホームランだけではなく、機動力もあるし、守備も上手い。投手力もいい。
 オランダ、あなどれません。
TV中継WBC日本vs台湾①
 それで昨夜の日本vs.台湾戦。
 相手投手はかつてヤンキースのエース王建民。正直こことはやりたくなかった。
 案の定、完全に押さえ込まれて手も足も出ず、しかも小刻みに点を取られ、0-2とリードされて、とても打ち込める気がしなかったのですが、王建民は投球数制限80球というルールのために、交代せざるを得ず、助かりました。
 TV中継WBC日本vs台湾②
 8回はその代わった投手から、井端、内川の連打で無死1、3塁とし、阿部の右前安打で1点。坂本の適時打で、ようやく追いつきました。やった!
 と思ったのもつかの間、その裏無死2、3塁、周思斉の中前安打で1点勝ち越されました。
 あーッ。
 青ざめる日本勢。よろこびの歓声上がる台湾勢。
 まだ大量失点の可能性もあります。これはヤバい。
 もう気が気ではなかったけど、交代した山口、沢村がよく後続を断ちました。
TV中継WBC日本vs台湾③ TV中継WBC日本vs台湾④
 それで9回表2死1塁。万事窮すというところから、走者鳥谷が走りました。
 これが間一髪セーフ。よく走った。
 その直後、井端がセンター前にヒット。鳥谷帰って再び同点に追いついた。
 よく打ってくれた。
TV中継WBC日本vs台湾⑤
 その裏(9回)はサブマリン牧田が無失点に抑えました。 これも大きかった。
 これで3―3の延長戦。
 10回表1死2、3塁から、中田の大きなレフトフライで1点を勝ち越しました。
 その裏、杉内が登板したので、心配しました(週刊誌報道?)が、よく押さえました。
TV中継WBC日本vs台湾⑥
 延長10回、4-3。日本奇跡の逆転勝ち。
 「やっと勝ったよ」
 そんな気持ちが山本監督に感じられました。よく辛抱したと思います。
 それに井端をはじめ選手が応えたともいえるでしょう。
 台湾チームも「日本に負けてたまるか」と全力でぶつかってきました。 まさに死力を尽くした総力戦。
 今は両チームに「ありがとう」といいたい。
 大倉山梅林は横浜屈指の梅の名所。
 ここは港北区にあり、最寄り駅は東横線大倉山。
 この季節ともなると、乗降客がどっと増える。大半はお年寄り。みなさん観梅が目的です。
上から見た梅林
 「なんじゃここは。意外に狭いんだね」
 「いや、入り口からは狭いように見えるけど、奥行きがあるんだよ」
 とはふたり連れのお年寄り。
梅林①
 この梅林は駅から小高い丘を越えたところにあり、入口からは梅林を見下ろすようになっています。

 大倉山梅林の由緒書きによると、
 「このあたりは太尾と呼ばれ、3haもの広い梅林があったのですが、東急電鉄が乗客の誘致を目的として買収して、昭和6年(1931)に公開したのが始まり。昭和9年には駅名が太尾→大倉山改名されると、大倉山(公園)梅林となりました」
梅林② 梅林③
 最盛期は昭和12年ころで、当時は白梅を中心に14種1,000本を越えていたといいます。

 その梅林も第二次世界大戦中は燃料用のたきぎとして伐採されたり、食料確保のためにイモ畑にもなりました。
 梅林が復活したのは戦後、昭和25年ごろから「梅まつり」なども行われて、大いに賑わいました。
 現在では1.1haの敷地に、紅梅白梅約20種150本が植えられているそうです。 
しだれ梅
 梅の名所だけに、屋台は出ています。
 さすがにお好み焼きはなかった。おでんと甘酒。
屋台も
 実はここも20年以上前に訪れているのですが、そのときはもっと混雑していました。
 「まだ時間が早いからね。午後になると、もっと混むよ」
 とは屋台のオヤジ。
 なるほど。

 梅をじっくり観賞するなら、午前中のほうがよさそうです。
 WBCについては述べるのをやめようとも思ったのですが、やっている以上はどうしても観てしまう。これがなかなかいい試合をしている。すると書きたくなる。
TV中継・日本vsキューバ戦より①
 1次ラウンドでの対ブラジル、中国戦は楽勝だろう、と思いましたが、意外に苦戦。
 とくにブラジル戦は危なかった。「井端のタイムリーが出なかったら」と思うと、ぞっとします。これが国際試合というものでしょうか。
 世界のチーム力は上がっている、と感じました。
TV中継・日本vsキューバ戦より②
 1次ラウンドでもB組では韓国が3位となって敗退。緒戦オランダに5―0で負けたのが痛かった。
 選手個々の力では、韓国は日本より上だったかもしれませんが、韓国は一発狙いが多く、つなぐ野球ができてなかった。

 国際試合では、キューバはもちろん、アメリカでさえ、日本の「スモールベースボール」を目指しています。いわゆる「つなぐ野球」
 私は子どものころから高校野球とプロ野球を観てきましたが、最終的に勝つのは、選手を有機的に機能させるチームである、と確信しました。
 求められるのは、首脳陣(監督&コーチ)の戦略的頭脳、それに応える選手の力量、選手同士、選手と首脳陣の信頼感です。
TV中継・日本vsキューバ戦より③ TV中継・日本vsキューバ戦より④
 それで昨日(03/06)の対キューバ戦。
 日本のつなぐ野球は、相手投手に完全に封じられました。
 阿部がチャンスで大きな外野フライに倒れましたが、あきらかに一発狙い。井端や中田のように野手の間を抜くヒットを心がけたらどうだったか。(結果論といわれればそれまでですが)
TV中継・日本vsキューバ戦より⑤ TV中継・日本vsキューバ戦より⑥
 一方キューバは「つなぐ野球」ができてました。それに加えてパワーもある。今の段階では明らかにキューバのほうが力は上です。

 9回になって日本が3点を上げ、追い上げたのは、キューバの投手があたふたしてコントロールを乱したから。
 このチームは監督が口やかましい。(星野に似ている?)
 ということは、選手は子ども扱いされているわけで、選手は精神的にひ弱い面があります。
 今後、日本チームが衝くとしたら、ここでしょう。
TV中継・日本vsキューバ戦より⑦
 試合は6ー3で負けました。
 この結果、8日の2次ラウンド(東京ドーム)の対戦相手は台湾に決まりました。
 主力投手はヤンキースでエースだった王建民。強敵です。
 本音としてはオランダのほうがやりやすかったはずですが、こうなれば王建民を「つなぐ野球」で打ち崩すしかありません。
 昨日(03/05)アップした「小石川植物園」は、梅、寒桜の他にも、いろいろ面白いものがありました。

 ①ニュートンのリンゴ
 ニュートンはリンゴがポトッと落ちるのを見て、地球の引力を発見した、といわれていますが……。
 昔、近所に京大の宇宙物理の助教授が住んでいて、その人に聞いたところ、「あれは比喩」
 実際は、「リンゴは落ちても、月はなぜ落ちないか」を考え、距離と質量を計算して、地球の持つGの存在を認めるに至った、とのことです。
ニュートンのリンゴの木
 ニュートンの生家にあったリンゴの木は、接ぎ木によって各国の科学関係施設に分譲されました。この木は、昭和39年(1964)英国物理学研究所長サザーランド卿から、日本学士院長柴田雄次博士に贈られた枝を接ぎ木したものだそうです。

 ②メンデルのブドウ
 遺伝学の基礎を築いたメンデルが、遺伝の研究に使ったといわれるブドウの木。
 これは大正2年(1913)当園の二代目園長三好学がチェコのブルノーにある修道院(現メンデル記念館)を訪れたとき、旧実験園に残っていたブドウを分譲されたものです。
メンデルのぶどう
 皮肉なことに、本家のメンデル記念館のブドウは消滅してしまい、当園のブドウを里帰りさせて、本家にも復活させたとのこと。ここに分譲してよかったじゃないか。

 ③精子発見のイチョウ
 明治29年(1896)平瀬作五郎は、この雄の木から採取された若い種子において精子を発見しました。それまで種子植物は花粉で受精するものとされていたのを覆す理論です。
精子発見のイチョウ記念碑
 その理論的な説明については、私は学者ではないので、しませーん。

 ④旧養生所の井戸
 江戸時代養生所で使われていたこの井戸は、水質がよく、また水量も豊富であったため、その後、関東大震災(大正12年=1923)のときは、避難者の飲料水として大いに役立ったそうです。
旧養生所井戸
 ⑤薬園保存園
 江戸幕府の御薬園は初期からあり、大塚→音羽→麻生と移り、最終的に小石川になりました。
 当時薬草として栽培されていたカリン、サンシュユ、オウレン、マオウ……などの植物を文献資料によって再現し、保存されています。
薬園保存園
 ⑥甘藷試作の碑
 青木文蔵(昆陽)は、江戸付近でも甘藷(サツマイモ)の栽培ができるなら、飢饉の際の食料に役立つのではないかと考え、享保20年(1735)幕府の許可を得て、ここで試作しました。
 試作は成功し、全国的に甘藷が栽培されるきっかけとなりました。
甘藷の碑
 この記念碑は大正10年(1921)に建てられたものです。色といい、形といい、サツマイモそっくり。

 このように「小石川植物園」は見どころいっぱいです。
 梅を植物学として見ればどうなるか。
 そこで「小石川後楽園」から北方1.5kmにある「小石川植物園」に行ってきました。

 ここは、江戸幕府が薬草栽培のために開いた(貞享5年=1684)小石川御薬園があったところ。
 享保7年(1722)には園内に小石川養生所(今でいう病院)が開設されました。山本周五郎「赤ひげ」の舞台になったところです。

 小石川養生所は明治になって廃止されましたが、明治10年(1877)東京帝国大学(現東京大学)が開設されると、理学部の附属植物園になり、一般にも公開されるようになりました。
 敷地面積約16,000㎡。4,000種の植物が栽培され、一年を通して様ざまな花木を楽しむことができます。

 ここにも梅林があり、約50品種100株が植えられています。
 植物園だけあって、きちんと説明がされていますが、私には学術名「Prunus mume」と知っただけでじゅうぶん。
梅林① 梅林②
 品種は月宮殿、浜千鳥、白加賀、花香実、玉光、大輪緑萼、楊貴妃、寒紅梅、春日野、雪月花……など、知ってました?
 私は、白加賀ぐらいは聞いたことがあるような。
 もちろん屋台もなければ、ドンチャン騒ぎもありません。これぞ純粋な梅見。
梅林③ 梅林④
 ここの梅林、植物園と思うからか、手入れが行き届き、学術的にも「正式に」咲いているような気がします。

 おや、これは?
 梅林よりも多い人だかり。
 見ると、桜ではないの。ずいぶん早いじゃないか。
 標識を見ると寒桜。なるほどなあ。
寒桜① 寒桜②
 梅を見にきたのに、桜まで見られるとは、なんだか得した気分。
 これが植物園のよさでしょうか。

 なおこの植物園は平成24年(2012)9月19日に「小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)」として国の名勝および史跡に指定されました。去年のことですよ。
 おめでとうございます。
 梅のシーズンなので、都内の梅の名所を散策していますが、「なるほどなあ」と思うものの、今ひとつ。
 ひねくれものの私にとって、梅は地味でありたい。「桜とは違うんだから」
 梅の木の下でのドンチャン騒ぎなど、もっての外。

 そんな私は、格好の「梅の名所」を見つけました。皇居東御苑の梅林坂。
 皇居東御苑は、以前にも述べたように(参照)皇居のなかの一般開放区域。
 梅林坂は北桔橋門と平川門の間にあります。 
梅林坂① 梅林坂②
 ここは昔、太田道灌が菅原道真(またしても道真公!)を祀って梅の木を植え、数100本の梅が咲き乱れたそうです。
 それがそのまま残っている?
 まさか。梅の木にも寿命(300年ぐらい?)がありますから。
 現在は50本あまりの梅が植えられています。
梅林坂③ 
 本数はそれほどでもありませんが、旧江戸城の石垣を背景に赤や白の梅が咲き誇っているのはなんとも壮観。「日本の風景ここにあり!」
 それでいて、見物客の少ないこと。意外に外国人の方が熱心に写真を撮っておられる。
 日本人ではお年寄り。わかる人にはわかるらしい。
梅林坂④
 ここで「梅の名所」について考えたい。
 人はなぜ「梅の名所」へ行きたがるのか。単に梅の花を見るなら、近所の梅でじゅうぶんなのに。
 その理由は、梅の名所といわれるところは、「梅+アルファ」があるからではないか。

 ではその「+アルファ」とはなにか。私の考えるところでは、
 ①梅の木が群生している。→越生梅林(埼玉県)、吉野梅郷(東京都)
 ②歴史的な由緒がある。→小石川後楽園、湯島天神(東京都)
 ③四季の彩を楽しむために、他の植物とともに植えた。→三溪園(横浜市)
 があげられます。
梅林坂の梅 梅の花のアップ
 ここ皇居東御苑の梅林坂は③でしょう。
 ここには梅林の他に、「日本の県木」というエリアがあり、茨城県の県木として梅の木が植えられています。
茨城県の県木、梅
 どこかの梅の名所のように、お好み焼きソースの香りが漂うことはなく、ひっそりした感じが素晴しい。
 ここは梅の穴場である、と思いました。
 梅のシーズンとくれば、湯島天神は外せません。
 ♪湯島通れば~思い出す お蔦主税の心意気……
 ご存じ泉鏡花の「婦系図」の湯島の白梅。(記念の石碑と筆塚あり)
 えッ、知らない?

 無理もない。
 私だって筋ぐらい知っているけど、古臭い(明治末期)小説で、今の時代感覚では「??」の箇所が多い。そんな小説、知らなくてけっこう。
本殿
 それよりここは関東では歴史が古く(458年に雄略天皇の勅命で創建)、正平10年(1355年)には菅原道真公を祀ったことから、合格祈願や学業成就にご利益があるとのことで、受験生に人気の神社。 そのため境内は絵馬がビッシリ。受験生があとを絶ちません。
合格祈願の絵馬
 「おや、こんなところに牛が……」
 これは臥牛といって天神様のお使い。別名「撫で牛」と呼ばれ、体調の悪い人は、自分の悪い部分を撫でればご利益ありといわれているので、みんな撫でていくけど、角や頭を撫でる人が多い。本当かね。
撫で牛
 さらに境内に立てられた謎の石碑?
 これは「奇縁氷人石」といって、失せもの、迷子に霊験あらたかなり、とのこと。
 石柱の右側には「たつぬるかた」(探す側)、左側には「をしふるかた」(見つけた側)、それぞれ紙に書いて貼っておくとよいというのですが、今でいうところの伝言板?
 しかし本当にご利益があるのかどうか、よくわかりません。
奇縁氷人石
 おっと、肝心の梅の花をいわないと。
 道真公は梅の花をこよなく愛したとのことで、ここも白加賀(白梅)を中心に月影、豊後梅、寒紅梅など約300本が咲き誇っています。
 今はちょうど「梅まつり」の時期、神太鼓や野点などが催され、境内には屋台も出て、大勢の人で賑わいます。
白梅 紅梅も
 「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
 歌にあるように、梅林には甘酸っぱい梅の香りが漂うものですが、ここではお好み焼きのソースの香りなどが漂ってきて、なんだかなあ……。
 3月になって、いよいよ本格的な梅のシーズン。
 となれば小石川後楽園。東京ドームの西どなりにある日本庭園です。
 東京ドームの前は後楽園球場。そしてあたりは後楽園遊園地。
 「そうか、それと区別するために小石川とつけているのね」
 違います。

 後楽園はこの庭園が先。
 江戸時代、寛永6年(1629)水戸徳川家の祖である頼房、さらに二代目光圀(黄門様)が江戸屋敷庭として造った庭園です。
 光圀は明の儒学者・朱舜水の意見をとり入れ、「楽しむのは庶民が先。為政者が楽しむのはその後」という意味で「後楽園」と名づけられました。 
梅林① 梅林②  
 名称は明治→大正の時代になっても「後楽園」でしたが、大正12年(1923)国の名勝に指定された際、岡山市の後楽園と区別するため、「小石川」を頭につけました。
 野球場ができたのはそのあと(昭和27年=1952)。小石川後楽園にちなんで「後楽園球場」と名づけられました。「小石川」を外すとこっちが本家のように思うけど、違うんだよ。
 もっとも今は「東京ドーム」なので、ムキになることでもないんだけど。
梅林③
 その「東京ドーム」は庭園の向こうに見られます。
 最初は違和感があったけど、見慣れると、これもひとつの風景。どの道、周囲には高いビルがあるしね。
木々の向こうに見える東京ドーム
 話が逸れましたが、そもそも本家の水戸「偕楽園」(茨城県)は梅の名所。
 光圀は号を「梅里」と称するほど梅を好み、梅は茨城県の県木になっているほど。
 したがってここもこの時期、梅まつりが開催されています。
 紅梅、白梅など20種類。しだれ梅もあります。
しだれ梅
 水戸徳川家の庭園なら、黄門様がいるのでは?
 その通り。入口からほど近い大泉水のほとりで、「控えおろう!」 と一喝されました。
 ははーッ。
 「写真撮っていいですか」と聞いたら、「苦しゅうない」
 はッ、ありがたき幸せ、とパチリ。
ご存じ、水戸黄門?
 ところが……。
 これ、記念撮影用に衣装が置いてあるだけで、誰でも黄門様になれるのです。
 ということは、あれはふつうのおじさん……? 
 なんじゃらほい。ありがたがって損したぞ。
 でも考えみれば、撮影させてくれたのだから、奇特なご仁であることには違いない。
 改めて「黄門様」、ありがとうございます。