各地で黄葉の便りが寄せられていますが、銀杏といえば、ここが極めつけでしょう。
 ということで、外苑・絵画館前の銀杏並木。
 もう、ことばは不要でしょう。

銀杏並木

 じっくりご覧ください。(クリックすれば大きくなります)

銀杏並木

 解説によると、この銀杏の木は新宿御苑の在来種から採集されたものとのことで、大正12年(1923)この道路に植えられました。
 その数146本。(意外に少ない?)

歩道 通りに面した喫茶店も盛況

 素晴らしいのは、両方の歩道に二条(内側と車道側)に植えられていること。(計四条)

歩道 坊やをパチリ 黄色のじゅうたん

 したがって歩道を歩けば、まるで黄金色のトンネル。どこを撮っても絵になります。

 並木道の奥は絵画館。

絵画館

 古くて、それなりに風格ある建物ですが、これそのものでは殺風景ですよね。やっぱり絵画館は銀杏並木の奥に見えてこそ、風情があります。


 で、絵画館前の突き当たりは広場になっていて、いろんな屋台が出ていました。
 おどろきました。私の自宅のすぐ近くの茶園(丸康園)が出店してるじゃないの。

狭山茶の店 食べ物の屋台

 一度お茶(狭山茶)を買っただけですが、同郷のよしみもあってパチリ。でも食べなかったよ。だって近所で食べられるものを、ここで食べたいとは思わないもの。


 この銀杏並木、逆から見るとそれほどでもないのです。ほらね。

逆から見た銀杏並木の景色

 というのも、青山口の銀杏が最も高くて24m、奥に行くにしたがってなだらかに低くなり、最短は17m。 遠近法が活用されているとのこと。(解説書)
 青山口から見るようになっているのです。


 ところで、この銀杏並木を左右シンメトリーに撮るには、どうしても車道の真んなかに出ざるを得ない。

これも車道からの撮影

 この写真でも、少し車道に出ていることがわかるでしょう。
 「写真を撮る方、車道に出ないでください」
 係のお兄さんが声を枯らして叫んでいました。
 私のような(?)不心得者はあとを絶たず。

 冒頭の写真は車道の真んなかですが、青山口の横断歩道から撮ったものです。
 これとて「立ち止まらないでください」と注意を受けました。

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 先日(11/25)近所の小学校で、わが町の「福祉まつり」が開催されました。
 引っ越してきた当初は「たかが田舎の祭りだろう」と思っていたのですが、これがなかなかの盛り上がり。 
まつり会場 まつり会場
 会場となった運動場の3サイドにバザーの模擬店がズラリ。
 なかでも服のリサイクルショップには大人気。
 開場は9:30なのにその前から数人のオバサマが押し寄せ、係りの人から「まだよ、まだよ」と制止される始末。
洋服のリサイクル 殺到するオバサマたち
 始まったら、洋服のつかみ合い。
 私もチラッと見たけど、ヴィトンのバッグが2000円で売られていたぞ。
 「これは特ダネ……」
 とばかり撮ろうとしたら、すぐ売れてしまった。
 あれ、本物だったのかなー?
 こちとらGメンじゃないから、どうでもいいけど。
小学生も参加
 小学生の女の子も玩具売り場の売り子さんとして参加してました。
 テキ屋のお姐ちゃんじゃなくて、ボランティア。
 「ただ今、くじ引きやってます。いいものが当たりますよ」
 呼び声もなかなかのもの。
 こういうところで鍛えておくと、将来プレゼンテーションが上手くなるぞ。
おなじみカレー&ヤキソバ
 食器が安い。
 みんなリサイクル品ばかりだからね。
 去年は中皿を5枚(=100円)買いました。みんな植木鉢の下皿に。
 今年もお兄さんに「買ってよ」といわれ、しょうがなくカレー皿2枚買いました。1枚20円だよ。
 向こうも儲けようとしてないからね。売り上げは全部福祉協議会に。
皿の安売り 買ってきたカレー皿 カレーを盛り付けた
 翌日、これでカレー食べました。美味かった。
 お皿の所為ではありませんが。
 昨日の続きです。
 一昨日(11/26)のテレビ番組「私の何がイケないの?/理由あって結婚しない女」(TBS)で、 「レンタル彼氏」にハマる女性が登場しました。
 レンタル彼氏とは金を払ってデートの相手になってもらう男のことで、料金は1時間=6000円。

 レンタル彼氏を利用する埼玉県在住のファミレス店員の女性(43)は、レンタル彼氏相手にショッピング、食事して「癒された」といいます。
 その女性に対して出場者のタレントが質問を浴びせました。
 「お金払ってつき合ってもらう。そんなことして虚しいと思わないの?」
 これは一種の誘導尋問です。
 遊びには楽しい反面、どこか虚しさもつきまといます。
 だから「虚しくないか?」と問われれば、大ていの(マジメな)人間は「虚しい」と答えます。
 これをして、まるで鬼の首を取ったように「でしょう、だったらそんなことやめなさい」

 よけいなお世話です。
 彼女はその虚しさを持ってしても、それにあまりあるよろこびを感じている。だから日ごろ生活費を切り詰めても、また次回(お金を払って)会いたいと思う。
 その気持ちは第三者にはわかりません。

 我われだって親しい友人たちと集まって、美味いものを食べ、お酒を飲んだりして、楽しいひとときを過ごしたとしても、終ったあとの寂しさは感じるでしょう。
 それでも「楽しかったなあ。またやりたいなあ」と思い、それを楽しみに仕事に励むわけでしょう。それと同じです。

 般若心経に「色即是空、空即是色」ということばがあります。
 私はこれを「ものごとの本質を突き詰めていくとなにもない、なにもないところからものは生まれる」と解釈しています。
 聖書(ヨハネ伝の冒頭)に書かれた「はじめにことばありき」と同じですね。

 話が脱線しましたけど、楽しさと虚しさは表裏一体。
 そこを衝いて、他人の(誰に迷惑をかけるでもない)ささやかな楽しみを、「虚しくないんですか」というのは卑怯な論法というもの。
 
 自分の勝手な判断で「虚しいでしょ」なんて、いってもらいたくありません。
 昨日(11/26)はニュース「Nスタ」の流れで、TBS「私の何がイケないの?」(19;00~20;00)を観ました。 この回は「理由あって結婚しない女」

 そのなかの「ヘリコプターペアレンツ」というのが気になりました。
 これは親の過干渉によって娘の恋愛がことごとく妨害されるというもの。
 このとき登場した女性は学生時代、ストーカーのような母親の妨害によって、当時つき合っていた彼との仲を裂かれたといいます。

 この場合、父親の存在が気になります。
 出てくるのは母親ばかりで、父親は出てこない。ペアレンツ(両親)というけど、これはマザー(母親)ではないのか。

 私の調べた限りでは、これ、父親不在の家庭に多いのです。
 大ていは両親が離婚して、母娘で暮らすようになったか、あるいは父親が仕事人間でほとんど家にいない、というケースです。
 母親は、子育て中に夫にかまわれなければ、愛の対象を娘に集中させます。

 典型的な例は、私の知人。
 その奥さんと娘がベッタリ仲がよすぎる、いわゆる一卵性母娘。 (参照
 娘はもう成人なのに、どこへ行くのも母親と一緒。ときには着ている服も交換するとか。
 彼は「自分はつまはじきされている」とぼやきます。

 私はこの家族を昔から見ていますが、娘が幼少のとき、彼は仕事の多忙を理由にほとんど家にいなかった。日曜日でも 「仕事のつき合いだ」といって、ゴルフに出かけていました。
 そのツケがまわってきただけです。
 母親のほうは、(番組のような)ストーカーとまではいかなかったので、娘は30代半ばで結婚しました。

 番組では、他にも「レンタル彼氏」にハマる女性、異性も同性も愛せない「無性愛」の女性が登場しました。
 出場者のタレントたちは、これらに眉をひそめていたようですが、私は「これもあり」と思いました。 

 私は性に関して原理主義(男と女の性の役割、性欲の違いを認める)で、わが子もそのように育てましたが、人様にそれを押しつける気はありません。 
 我われ年寄りが、若い世代に「将来は結婚して子どもを育てたい」と思えるような世づくりをしてこなかった以上、男女の性のあり方の多様性を認めるしかないのです。

 それに、I-パッドを駆使する赤ちゃんを見たとき、「もう、年寄りの出る幕はない」と思いました。(参照)彼らは、彼らに適った世づくりをするでしょう。
 年寄りは自分の心配をしていればいい。
 あとは昔話に浸るだけです。
 「おや、これは……」
 聖ヨセフ師のとなりに洞窟があります。
 なんと、聖女ベルナデッタの「ルルドの泉」ではないの。ありがたや!
 といっても、「奇蹟の水」は出ず、ここで礼拝ができるようになっています。
ルルドの洞窟 洞窟内の祭壇 ベルナデッタ像
 傍らの由緒書きには、フランスの「ルルドの泉」の由縁が書かれています。
 さらに、ここの洞窟は実物とまったく同じ大きさで、明治44年(1911)フランス人宣教師ドマンジェル神父によって建てられたものだそうです。

 「せっかくきたのだから、礼拝して行こうかな」
 写真を撮るごとに十字を切った手前、大聖堂に礼拝しないわけにはいきません。
 個人の礼拝(見学)は、時間内なら自由にできます。(参照
大聖堂外観
 入口の事務所の方に一礼して、大聖堂に入りました。
 堂内はやはり広い。天井も高い。まさに荘厳。
 後ろの席に3人ほどおられましたが、かまわず前に進みました。
 祭壇には誰もいません。

 最前列に立つと、十字を切って手を合わせ、頭(こうべ)を垂れました。
 パイプオルガンこそ流れてはいませんが、やはり厳粛な気持ちになります。

 私の場合、祈りのことばはありません。
 願いごとを唱えるわけでもなく、誰かのことを考えるわけでもない。ただ無心になるだけ。
 これは神社仏閣でも同じです。

 ここは撮禁。その様子はこれを(参照)。
 その代わり、地下の小聖堂は撮らせていただきました。
 小聖堂といってもけっこう広く、100人ぐらいは入れます。カトリック特有の懺悔聴聞室もありました。
 小聖堂祭壇 マリア像 
 いかんせん暗いので、写真としては不じゅうぶんです。ご容赦ください。

 もう一度案内図を見ました。
 司祭の家、さらにペトロの家というのがあります。
 ペトロの家?
 これは引退した司祭の住む家です。また他の地区からきた司祭のための宿泊施設にもなっています。
 敷地内は立ち入り禁止ですが、ギリギリのところから撮らせていただきました。
 ここでも事前に十字は切っていますが、もろ怪しい?
司祭の家 ペトロの家
 もし関係者に誰何されたら、「私だってペトロだ」といってやろうと思ったのですが、そんなこともなく、いささか拍子抜けしました。

 カテドラルで1回お祈りしたからといって、カトリックの仲間入りしたとは思っていません。
 それに祈りのことばを持たないので、多分カトリックとは違うでしょう。
 強いていえば、禅宗に近い?

 ともあれ、ここは地下鉄有楽町線なので、私の住まいからも直通で行くことができます。
 私のような礼拝でも許されるなら、またこようかな。
 目白通りをはさんで、椿山荘の真向かいに「東京カテドラル聖マリア大聖堂」があります。
 ここは東京のカトリック総本山ともいうべき教会。
 それだけに聖堂内は広くて荘厳な雰囲気です。
東京カテドラル教会①-2 東京カテドラル教会②-2
 結婚式といえば椿山荘が有名ですが、ここでも式を挙げることができます。40年ほど前、友人がここで挙式しました。
 この友人はふだんは冴えない男でしたが、このときばかりは輝いて見えました。
 それというのも、この荘厳な聖堂が舞台だったから。パイプオルガンが流れ、女性の美しい声で「アヴェ・マリア」の独唱がありました。
大聖堂外観 大聖堂外観
 出席した妻はこのときの感激が忘れられず、後年PTAの役員になってバスツアーの企画をまかされたとき、ここの見学をコースに組み入れました。
 PTA一行が訪れたとき、折しも挙式中で、パイプオルガンが流れるなか、花嫁花婿に対して司祭が婚礼の儀を執り行っていました。
 その荘厳で厳粛な雰囲気に、PTA御一行はいたく感激し、あるオバサマなどは、こういったそうです。
 「もう一度ここで式を挙げたいわ。今の夫ではない男と」
                                *
 同教会が創立したのは明治33年(1900)。当時は木造ゴシック様式の建物でしたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失。その後、昭和39年(1964)ドイツのケルン教区の支援によって建設されました。大聖堂の設計者は建築家の丹下健三氏。
 ここは吉田茂元内閣総理大臣の葬儀が行われたことでも知られ、丹下健三自身の葬儀もここで行なわれました。
                                *
 「カトリックの総本山か」
 私にとっては複雑な思いです。
 私の家系は父方の祖父母がカトリック。そのため、私は小学校の低学年まで京都・北白川「ヴィアトール教会」の日曜学校に通いました。幼児洗礼名はペテロ。(参照
 母はメソジスト系で、やはりクリスチャン。
 しかし私は思春期に親に反発するあまり、非クリスチャンになりました。
鐘塔 聖ヨセフ師の銅像                                  
 入口で聖ヨセフ師の銅像が出迎えてくれました。
 その凛々しいお姿に思わずパチリ。
 「あッ、いかん」
 私は神社仏閣の宗教施設を撮るときは、事前に参拝するのが慣わし。
 あわてて十字を切りました。

 カトリックの十字の切り方は、額→腹→左肩→右肩の順です。
 ちなみに「神田ニコライ堂」は正教会なので、礼拝するときは左右が逆、右肩→左肩の順で十字を切ります。
 地下鉄有楽町線・江戸川橋周辺(文京区)には、小さな出版社や編集プロダクションが多いので、以前はよくきたものです。
 最近は原稿のやり取りはメールで済ますため、その必要はありませんが、それでも企画の打ち合わせなど(茶飲み?)で、ときどき寄ることがあります。

 ここを流れるのは神田川。
 「それなのに、なぜ江戸川(橋)?」
 江戸川は東京都の東端(千葉県との境)を流れる大きな川。(江戸川区もある)
 不思議でならなかったのですが、この付近の神田川はつい最近(昭和40年=1965)まで、江戸川と呼ばれていたとか。
 「どっちの江戸川だ」
 東京の人間だって混乱するぞ。
 そんなわけで、ここを江戸川と呼ぶのはやめ、橋の名だけが残ったらしい。 
江戸川公園 江戸川公園   
 とはいえ、このあたりは江戸時代から風光明媚なところで、春は桜の名所として賑わったそうです。
 その北側にそびえる急峻な傾斜地は椿山荘の庭園。
 ここは関口台地といって、南北朝時代から椿の景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれ、江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷、明治になって(11年=1878)山縣有朋がここを購入し、「椿山(ちんざん)荘」と命名しました。
 椿山荘庭園 椿山荘
 大正7年(1918)大阪の藤田財閥がこれを譲り受け、東京の別邸としましたが、戦災で一部が焼失、昭和23年(1948)に藤田興業(のちの藤田観光)の所有地となり、昭和27年(1952)に結婚式場として営業を開始しました。
 そして平成4年(1992)にはフォーシーズンズホテル椿山荘東京が開業しました。
和服がよく似合う
 「お父様、このたびはおめでとうございます」
 6年前、息子がここで式を挙げたとき、支配人から名刺をわたされました。社名には藤田観光とありました。なるほど、そういうわけだったのか。
 当時は、「こいつが結婚するとは……」という不思議な気持ちにとらわれていたため、庭園を見る余裕はなかったのですが、今回はじっくりと見ることができました。
三重塔 御神木
 ひとことでいうと、崖線や緩傾斜を利用した日本庭園。
椿山荘庭園 冠木門
 広さ2万坪。池や滝、芝生など、自然の情景をそのまま配した庭のつくりは見事です。
 ここは江戸川公園、古風な土塀の続く神田川沿いの道を入り、冠木門から入ることができます。(入場無料)
 私の部屋には、古い時計が掛かっています。というと、

 「♪大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計
 百年いつも動いていた ご自慢の時計さ……」(大きな古時計)

 を連想されるかもしれませんが、「大きな柱時計」でもなく、電池で動くただの時計(SEIKO社製)。
 30年ほど前、新宿の「ヨドバシカメラ」で買ったものです。そんなに高くはなかったはず。

 この時計は、いつも私の部屋の一隅に掛かっていました。
 そのため時間を知りたくなると、反射的に壁に目をやります。

 ところが2ヵ月ほど前から、電池を入れ替えても進まなくなりました。
 「もう、寿命かな」
 とはいえ、直るものなら直して使いたい。30年も連れ添ってきたので、愛着はあります。
 そこで都内に出たとき、これをクッション袋に入れ、デイバッグに詰め、ヨドバシカメラに持って行きました。修理ポイントが使えるはず。
ヨドバシカメラ近辺
 修理の人に見てもらったところ、「これ、新しい電池を入れたら、動きました。とくに問題はないようです」
 なんだ、電池のほうを点検しとくべきだったのか。
 そうすれば、わざわざここまで運んでくることはなかったのだ。そう思うとガックリしましたが、一方では故障してないことがわかってホッとしました。

 それにしても、またこれを担ぐのかよ。
 別に重くはないのですが、とくに高価でもない時計を後生大事に背中に担いで都内散策するとは。
 まあいい、こいつ(古時計)にも菊花展を見せてやるか、と新宿御苑へ。
 まさに同行(どうぎょう)二人。
 歩くのは平気なのですが、時間が経つにつれ、時計の重みで背中がそっくり返る。ふだん姿勢が悪いので、健康にはいいのかな。
 この日はこれを担いだまま新宿御苑、新宿二丁目、雑司が谷、江戸川橋などを歩きました。
 我ながらよく歩いたと思います。
新宿御苑 江戸川公園
 ヨドバシの修理の人の話では、最近ではメーカーでも修理はやらなくなったとか。それに個人の時計屋さんで修理に出しても、買うのと同じぐらいの料金がかかるそうです。

 まあ、寿命がくるまでつきあってやるよ。
 えっ、オレのお陀仏のほうが先だって……?
 こうなりゃ寿命競争だ。
私の古時計
 ♪百年休まずに チクタクチクタク
 おじいさんと一緒に チクタクチクタク
 今はもう動かない その時計
 今はもう動かない その時計
 2ヵ月ほど前、鎌倉方面から湘南新宿ラインで帰る途中のこと。
 戸塚あたりから3人の労働者風のオッチャンたちが乗ってきて、連結通路近くに坐っていた私のとなりにどっかと腰を下ろしました。

 彼らは当然のごとく、大きなズタ袋から缶ビールを取り出して、プシューッ!
 「お疲れさん!」
 グビグビやりはじめました。
 しかもバターピーナツを手にポリポリ食べながら。
電車内の光景
 私は少し前「ガキの車内での飲食は怪しからん。親が悪い」と書きました。
 しかし、このときは不思議に腹が立たなかった。
 労働者風ということもあって、本当に「お疲れさん」と思いました。
 しかし、パターピーの匂いには腹が立つ。
 「やい、オレにも食わせろ!」
                             *
 そんなこともあって、翌日スーパーでバターピーを買ってきました。
 昨日の恨みを晴らすため?
 いやいや。
 彼らは横浜で降りたので、酒盛りが延々と続いたわけではありません。
 単に食べたくなっただけ。だから最小限の袋(110g=99円)です。
                             *
 ところで、「ピーナツ陰謀説」というものがあります。
 人はどうしてピーナツを食べると、やめられなくなるのか。
 それは「あの小ささにある」と漫画家の東海林さだおさんはいいます。

 ピーナツを食べるには、まず殻を割って豆を取り出さなければならない。さらに渋皮を指で剥く必要がある。手間のかかる作業です。
 その割に得られるのチビリンタンとした実がふたつ。
 アッという間に食べられる。しかしこんなものでは、とても物足りない。 (労多くして益少ない)
 そのギャップに人はさらなる「食い意地」を掻きたてられ、やめられなくなるのではないか。これがピーナツ陰謀説。
                             *
 しかし目の前にあるのはバターピー。
 殻を割る手間も、渋皮を剥く手間もないから、「労多くして」ということはありません。
 そのため、袋から小皿に入れ、それを5粒ほどつまんで口にポイッ。ポリポリ……。
 美味い、と思いました。
バターピー
 しかしそれは最初のひと口かふた口で、あとは惰性でポリポリ。これがなかなかやめられない。
 いつの間にか、残りわずか。

 我ながら意志の弱さに呆れました。
 最小限の袋だったのがせめてもの幸い。

 ただし、食べたのは夕方近くだったので、食欲が起こらず、その日の夕食は食べずじまい。
 それいらい、バターピーを買うのはやめました。
 そこから得た教訓。
 ①食事前には食べぬこと。
 ②人がピーナツをやめられないのは、「労多くして」ではなく、他に理由がある。その理由はわからない。
2012.11.21 十一月の句会
 昨日(11/20)は俳句会でした。
 今回の私の出句は、
 ①煉瓦道ブーツ娘が闊歩する
 ②掛け声と手締めにつられて熊手買い
 ③銀杏を拾う老女の並木道

 の三句です。

 ①は去年つくった「馬車道をブーツ娘が闊歩する」(=未提出)の焼き直し。煉瓦にブーツは合うでしょう。
 ②は昨日述べた酉の市です。友人は前の年買ったものの、あまりいいことがなく、今年は買うのをやめようかと思っていたのですが、熊手屋の掛け声と手締めに釣られて、また買ってしまいました。それを詠んだもの。
 ③最初は「大通り老女銀杏を拾いけり」と詠んだのですが、これでは単なる情景描写、「ああそうですか」で終わりです。これをひっくり返して、「老女の……」としたことによって、たんなる紅葉を愛でる景色ではない、といいたかったわけです。

 その得票数と先生の評価。
 ①煉瓦道ブーツ娘が闊歩する……(0)〇
 ②掛け声と手締めにつられて熊手買い……(1)△
 ③銀杏を拾う老女の並木道……(1)△
 (出句15名、選句はひとり五句。カッコ内は得票数、〇△は先生の評)

 今回の得票は惨敗。前回最多得票(参照)した私としては②と③に期待していたのですが、ガックリ。
 そして先生の評。
 「①の『ブーツ娘が闊歩』というところに、ブーツを見せびらかして歩いているギャルの姿が浮かんできますな。当世の風俗がよく表れている。ただね、俳句の約束事として文語で書かなきゃダメだよ。ここは『ブーツ娘の闊歩せり』にしなきゃ」

 「②も下五は『熊手買ふ』だ。中七の『つられて』だと字余りだから『つられ』でよい。状況としてはわかるけど、どんな熊手を買ったのか、例えば、煽られてつい大きな熊手を買わされた、というようなことを詠めば、いい句になる」
熊手
 「③は銀杏を拾うのは銀杏(いちょう)並木にきまっているから、並木道は余計。それよりも他のことばを使ったほうがもっとイメージは広がった。例えばその銀杏を前掛けに入れた、とか」
横浜・日本大通りにて
 かなり辛辣な評でしたが、いわれてみるともっともなことばかり。
 ②、③はいけるのではないか、と思ったのは私の浅学でした。歯に衣着せずいわれて、ありがたいと思いました。

 ところで……。
 先生の評が終り、幹事の方が年末・年始の予定を説明されたあと、会計の方(女性)が、
 「私はもう6年も続けてやってきたので、来年は次の方にバトンタッチしたいと思います。京一郎さん、お願いします」
 「えーッ、そんなの、困ります……」
 ところが、女性陣に「お願いします」と頭を下げられ、拍手までされてしまいました。
 とくにボス格のおネエさまには、逆らえない。文化祭のときは短冊の飾り台をもらった恩義もあるし……。

 こうなったら、引き受けるしかない……か。
 これまで団地自治会の役員はやったことあるけど、会計は初めて。
 正直いってお金を扱うのは苦手ですが、教わりながらやることにしました。
 今日(20日)は酉の日。酉の市が開かれます。
 酉の市とは毎年11月の酉の日に各地の鷲(おおとり)神社で行われる祭礼で、飾りのついた熊手が売られるのが特徴です。
目黒商店街 目黒・大鳥神社 目黒・大鳥神社
 今年は8日と20日ですが、8日は所用で行けず、今日も句会のため行けません。
 写真は9日(酉の市の翌日)、目黒の大鳥神社で撮ったものです。
 熊手屋の人に頼んで、無理クリ写真を撮らせてもらいました。
目黒・大鳥神社の熊手
 熊手の ご利益は、主として商売繁盛。家内安全もありますが……。
 値段はピンからキリまで。安いのは「かっこめ」という小さいもので、500円から。
 高いものになると、10万~30万円ぐらいします。
                               *
 熊手を買うには、酉の市特有の流儀があるそうです。
 例えば価格5000円の熊手を買うとします。その際、値段交渉。「3000円に負けてよ」
 「よっしゃ、3000円で」
 交渉成立ということで、よ~ッ、シャンシャンシャン……の掛け声と手締め。
 その際、負けた分の2000円はその「ご祝儀」ということで、支払いは元の5000円。

 「なんや、それ。負けたのに、もどすんかいな。ほんなら最初から負けるな」
 大阪の人ならそう思うかもしれませんが、これが江戸の流儀、江戸の粋らしい。
 私は一種の「ことば遊び」と思ってますけど。
                              *
 都内で有名な鳳神社は、吉原ソープ街のすぐ近くです。(参照
 以前、取材終わりで同業のライター氏と酉の市に寄ったことがあります。

 彼は前の年、小さな「かっこめ」を買いました。
 しかし一度買うと、次の年からは少し大きくして買わねばなりません。
 「去年買ったけど、仕事は減るし、交通事故で骨折するし、ろくなことはなかったよ。なんのご利益もないから、今年買うのやめようかな」
 彼がそういうと、熊手屋のオヤジ、
 「交通事故に遭っても死ななかったんだろ。骨折で済んだのは『かっこめ』のおかげだよ」

 ものはいいよう? それとも、鰯の頭も信心から?

 彼は買いましたが、私は買いません。信心はないし、無粋ですから。
 でも雰囲気は好きです。これは江戸の粋に対する関西出身者のコンプレックス?

 東京の酉の市、今年は逃したけど、埼玉では12月に似た祭礼がいくつかあるそうです。
 それを見に行こうかな。
 数年後、私は六本木の別の顔を見ることになりました。
 それはニューハーフの町。
 ニューハーフとは女装(なかには性転換?)した男のこと。以前はゲイボーイと呼ばれていました。その前はオカマ。
 品川区にある小さな出版社から、「ニューハーフの本をつくってくれないか」と頼まれ、フリーになったばかりだったので、即引き受けました。

 「数の多さでは新宿二丁目。しかし、ビッグで、きれいどころは六本木だな」
 ゲイバーに詳しいカメラマンのS氏にそう教えられました。
 いわれた通り、P、L、Nなどのビッグな店か取材しはじめました。
 取材はほとんどOK。というより、みんな出たがり屋でした。それに他店の情報をやたら知りたがる。
 ただし、彼らは昼夜逆転なので、取材は夜中になってから。
 ショーの写真を撮り、一人ひとり(接客のかたわら)インタビュー、写真撮影していると、20人もいる店では3~4時間かかりました。したがって終わるのは明け方。いつも始発で帰りました。
六本木・饂飩坂
 彼らがこの世界に入った理由については別のところで述べた(参照)ので、ここでは省略しますが、何日目かでロアビル近くにある「しゃれ〇〇」という店を取材したときのこと。

 「オーナーがお会いしたいそうです」
 と奥の事務所に通されました。
 オーナーは小太りで短髪、眼光鋭い男でした。有無をいわせず、表に待たせてあった車に私を乗せると、「他にも取材してほしい店がある」
 この男の経営するチェーン店です。新宿の店も含めて4軒ありました。
 4軒目に入った芋洗坂の店「〇〇小僧」は全員着流し姿の男。女装はしてない。業界用語でいう「男(だん)カマの店」
芋洗坂
 ここで私、男の同性愛には二種類あることに気づきました。
 それは①女性化した男と、男との愛、②男の姿そのままでの愛で、一般的に①はGay、②はHomoと呼ばれています。
 「しかしねえ、この境界ははっきりしないんです。当人でさえ、自分はどっちなのか、わかってないこともありますから」
 とはこの店のマスター。うーん、ややこしい。
 この世界の深遠を見たような気がしました。

 そして、最後に連れられたのは、飯倉にある「マダムA」
 このAこそ、この世界の大御所で、TVにもたびたび出ていました。
 しかし最初に取材を申し込んだとき、体よく断られました。
 そのことをご当人にいうと、「わけのわからない取材は断ることにしてるの」
 (本当は金銭を要求され、出せないといったら断られたのです)
 それでも〇〇チェーンのオーナーと一緒なので、にこやかに応じてくれました。

 「Cも、Pも私が育てたようなものよ」
 女装の芸能人の名前が出ました。
 いく分自慢が入っていますが、自らの軍隊時代の話もしてくれて、なかなか有意義なものでした。
 しかし「マダムA」と〇〇チェーンはなんの関係もありません。

 このオーナーは何者?
 名刺を見ると、××インテリア社長。本職は内装業のようです。
 「ははあ、この豪華な店構えはここでやったのか」

 それにしても飲み代も高いだろうに、深夜によく客がくるものです。
 そのことをマダムAに聞くと、こう答えました。
 「みんな寂しいのよ」

 みんな寂しい……か。
 取材を終え、明け方の外苑東通りを、駅に向かいました。

 六本木という町は、学生時代はまったく無縁でした。
 当時は大井町(品川区)→浜田山(杉並区)に住んでいたため、映画館とジャズ喫茶通いでよく行った盛り場は、渋谷、新宿、池袋、銀座でした。

 六本木を知るようになったのは、出版社に勤めるようになってから。
 カメラマンの事務所や、スタジオがこの地に集中していました。
六本木交差点
 「なんという町だ……」
 街を闊歩する男も女も、みんなモデルやタレントのように見えました。
 女人がみんなスタイルがよく、魅力的でした。着るものも派手で、セクシーでした。
 ただし当時は新婚だったこともあり、妻には並々ならぬ「オーラ」を感じていたので、目移りすることはなかったのですが……。
六本木交差点・俳優座前
 カメラマンとの打ち合わせする喫茶店は洒落ているけど、いずこも高い。
 新宿などの1.2~1.5倍、下手すると2倍ぐらいするところもあります。そんなところで洒落た若者たちが平気でコーヒーを飲んでいました。

 撮影後、カメラマンに案内されて、3回ほどBarで飲食しました。
 そのなかでピーナツ殻の店は今でも覚えています。
 店内はウエスタン調で、客はピーナツを食べると、殻をそのまま床に捨てる。殻は床に積もり、サクサクと踏みしめられているうち、絨毯のようになります。
 「ピーナツの殻は埃を吸着するから、掃除する必要はないんだよ」
 と髭を生やしたマスター。
 なんとも変わった店でした。

 ただし支払いはこっち持ち。すべて「撮影費」で落としました。
 ところが、「飲食費に掛かりすぎ」と編集長から注意されました。「仏の顔も三度まで」というところでしょうか。それでも喫茶代は認められましたが。

 あるとき、機材運びを手伝うため、カメラマンの事務所に行きました。彼の事務所は六本木ではなく、少し離れた霞町にあり、しかも薄汚れたマンション。

 なかに入ると、割と広いワンルーム。
 大きなベッドと小さな応接セットの他は家具らしきものはなし。写真の機材で場所は占められていましたが。
 それを見て、「こいつの食事はほとんど外食だな」と推察しました。
 しかも読書や書き物をするデスクが見当たらない。
 私だったらどんなに狭くても、どんなに貧乏でも必要不可欠な家具なのに。
 これでこの男の知的レベルがわかりました。

 さらにトイレは汚かった。
 このことから私は、六本木にウロチョロする人間は、うわべだけカッコつけてる人間ではないか、と思うようになりました。

 虚飾の町だ。所詮オレには関係ない……。
 新宿御苑は東京を代表する庭園です。
 私はもう何度も行ってますが、いつ行ってもいい。

 もともとここは徳川家康の家臣、内藤氏の屋敷があったところ。そのため江戸時代は内藤新宿といわれていました。
 明治に入り、農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園になり、戦後国民公園として一般公開されました。
日本庭園 歴史建造物・旧御涼亭
 御苑内の広さは約58ヘクタール(約18万坪)。
 ここに日本庭園、イギリス庭園、フランス庭園があり、それぞれ特徴があります。
名木ユリノキ(アメリカ原産)
 昨日も紹介したように、日本庭園では菊花壇展が開催されていましたが、私が好きなのはフランス庭園。プラタナス並木とバラ園があります。

 プラタナス並木。
 ♪プラタナスの枯れ葉舞う冬の道で~の歌(シューベルツ「風」)が聞こえてきそうですね。
プラタナスの並木
 私は映画「第三の男」のラストシーンを思い出します。
 余談ですが、雑誌の撮影でここを使ったことがあります。私がホリー・マーチンス役になって。
 笑うでしょ、エロ雑誌なのに。

 バラ園。
 ひと目で、きちんと手入れされていることがわかります。
 絵を描いているおじさん、なかなか見事です。
バラ園 絵を描くおじさん
 バラは私の知らない品種ばかり。
クレナイ(日本) ラ・パロマ(ドイツ) プレイガール(アメリカ)
 プレイガールなんてね。いかにも遊んでそうな感じ。
 バラ園といえば、大阪・中之島公園が有名ですが、ここもなかなか見事でしょ。
 新宿といっても、歌舞伎町ばかりではありませんよ。
 菊花展のシーズンです。
 私はこれまで「菊なんてどれも同じ」と思っていたのですが、先日、新宿御苑の「菊花壇展」を見て、その考えが変わりました。
 「菊の花とは、アレンジメントである」
 菊は懸崖作りとか大作りとか、種類によってつくり方、見せ方(配列)の妙を楽しむものではないか。
 
①懸崖作り花壇
野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を模して仕立てたもの。
懸崖作り 懸崖作り

②伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇
 三種の古典菊を配色よく植え込む。
伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇 伊勢菊・丁子菊・嵯峨菊花壇

③大作り花壇
一株から数百輪の花が咲くように仕立てる。
大作り花壇 大作り花壇

④江戸菊花壇
江戸で発達した江戸菊を「篠作り」に仕立てる。
江戸菊花壇 江戸菊花壇

⑤路地花壇
文字通り路地に咲かせる。
路地花壇 路地花壇

⑥一文字菊・管物菊花壇
大輪咲きの一文字菊・管物菊を「手綱植え」で仕立てる。
一文字菊・管物菊花壇 一文字菊・管物菊花壇

⑦肥後菊花壇
九州で発達した肥後菊を秀島流の技法で仕立てる。
肥後菊花壇 肥後菊花壇

⑧大菊花壇
手まりのような大菊を「手綱植え」で仕立てる。
大菊花壇 越の白山 暁雲 葵の上

以上、楽しんでいただけましたでしょうか。
 六本木といえば、東京一ファッショナブルな繁華街。
 夕方ともなれば、六本木交差点「アマンド」前には大勢の人々がたむろ(待ち合わせ?)するのですが、3年ぶりに訪れた六本木は様子が違ってました。

 「アマンドが変わっている!」
 以前は窓にはピンクと白のテント屋根がかかったしゃれた店(参照)だったのに、今は総ガラス張りの、のっぺりした建物。
 2年前にリニューアルされたそうです。知らなかった。
アマンド前 アマンド前
 アマンドといえば、「六本木の顔」でした。
 我われはよく「じゃあ、アマンド前でな」と待ち合わせの場所にしてたもの。
 そのため夕方ともなると、大勢の人がたむろしていました。
六本木交差点
 しかし今はそんな人影などあまり見られません。
 無理もない。こんな味気ない建物の前で、誰が待ち合わせなどしたいものか。

 もっともこれはアマンドの思うツボ?
 当店はもともと洋菓子で定評のある店。
 「六本木の顔」かなんか知らんけど、客でもない連中に店の前にたむろされては商売あがったり。そんな連中がいなくなって、「ああよかった」って?

 そうかなあ。私としては今の店でコーヒー飲みたいとは思わないぞ。
 ここはひとつ、東京駅や山手十番館(横浜)を見習ってほしかった。
 六本木交差点をあとにして、旧防衛庁跡地へ。
 ここは5年前に「東京ミッドタウン」に変わったのは知っています。
 しかしきたのは初めて。
東京ミッドタウン 東京ミッドタウン
 もともとここは長州藩の屋敷があったところ。
 明治になって陸軍の駐屯地になり、戦後は米軍将校の宿舎、昭和35年(1960)に日本に返還され、防衛庁の本庁舎になりました。
 だからつい最近まで自衛隊員がここのゲートを守っていました。
東京ミッドタウンガーデン 東京ミッドタウンガーデン 東京ミッドタウンガーデン
 「東京ミッドタウンってこんなに広いのか」
 これが私の感想です。
 オフィス、住宅、商店や飲食店、美術館、ホテルなどの多目的施設が集合しているとのことですが、裏のミッドタウンガーデンに出て、そう思いました。
 この日は国際交流フェアとのことで、18カ国の民芸品や衣装、食品などが展示、販売され、けっこう賑わっていました。

 アマンドといい、ミッドタウンといい、こちらにすれば浦島太郎のような心境。
 これはこれで面白いのですが。
 秋といえばさんま(秋刀魚)、さんまといえば目黒。
 いささか強引な振りですが、落語の「目黒のさんま」の舞台になったのは、目黒不動の近くの茶屋(爺が茶屋)だったといわれています。

 というわけで、東京人なら一度は行きたい目黒不動尊。
 正式名は瀧泉寺(泰叡山)。天台宗の寺院です。
 不動明王を本尊とし、一般には目黒不動の通称で呼ばれています。

 同寺院の由縁は、大同3年(808)円仁が下野国から比叡山に赴く途中、この地に不動明王を安置して創建したとのことです。
山門
 その際、円仁が寺地を定めようとして独鈷(とっこ=古代インドの武器に由来する仏具の一種)を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出しました。
 これが独鈷の滝で、本堂へ上る石段の左にあります。二体の龍の口から水が吐き出されているのがそれです。なるほど、龍の泉だから龍泉寺。
独鈷の滝 不動明王
 この泉は今日まで枯れたことはなく、この水で病気が治ったともいわれ、江戸時代は参詣者が絶えなかったそうです。フランスの「ルルドの泉」信仰に似た話はここにもあるのですね。
 池の前には不動明王が立っています。だから目黒不動。
龍泉寺本堂
 本堂は傾斜地に建っていて、室生寺金堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっています。天井には日本画家、川端龍子の「波涛龍図」が描かれていますが、なかは撮禁。パスしました。

 本堂の左に微笑観世音菩薩の石像が建てられています。
 常に微笑みを絶やさぬ観音様。
 「仏教用語では、笑(え)布施、顔(がん)布施といって、人々に微笑みかけるのもお布施の一種」と五木寛之氏がいってたのを思い出しました。
微笑観世音菩薩 微笑観世音菩薩
 そうか、郷里の幼なじみのM子がそうだった。
 当時私は「愛想を振りまきやがって」と忌避していたのですが、勿体ないことをしました。

 かくいう私は人々に微笑みかけているか。
 否。
 こんなむさ苦しいオヤジが微笑んでも気持ち悪がられるだけだろう、と萎縮しているのです。
 先日、地下鉄に乗っていたとき、奇妙な光景を目にしました。
 乳母車に乗った赤ちゃん(?)が前のボードを指で押している。
 すると画像が目まぐるしく変わる。
 これ、PC……?
 電車のなかで、若者が指で画面をシュッシュッと動かしているのがスマートフォン。
 あれとはまた違うの?
電車内にて 
 スマートフォンは友人も持ってます。
 「自宅のPCにくる情報も見られるよ」というけど、PCなんて自宅で見ればじゅうぶん。

 話が逸れましたが、この赤ちゃんの姿、私にとっては珍しかったので、「ちょっといい?」と写真をパチリ。
 ついでに母親に「これ、なに?」と聞いたら、「i-padです」
 これが、そうか……。
 その仕組みを聞いてみたら、インターネットにつながっている。やっぱりPCじゃないか。
電車内にて 電車内にて
 この子は1歳3ヵ月。
 PCを駆使する天才赤ちゃん出現!
 といいたいところですが、私は違う心配をしました。
 こんなもので遊んでいたら、乳母車離れは遅くなるんじゃないの?

 親としてはこういうもの(i-pad)を与えておけば、ぐずったり泣いたりしないと思ったのでしょうか。だったら飲食と同じじゃないの。
 私の息子はおとなしかったよ。
 電車のなかでは、外の景色を見るか、車内を見るか、寝てました。
 むろん飲食などしません。

 まあ、よそのお子さんなので、どのような育て方しようと、知ったことではないのですが……。

 私は基本的に赤ちゃんのi-pad使用には反対です。
 先日、TVで報告していましたが、幼児に玩具の遊び方を教えるとき、①生身の先生が説明するのと、②ビデオ画像で説明するのとでは、断然①のほうが成績がよかったとの結果が出ました。
 やっぱり生身のコミュニケーションが大事なんです。

 妻は(半分は祖母と近所のお婆さん?)しょっちゅうわが子に話しかけていました。
 当時はi-padなんてなかったから。
 昨日(11/11)川越唐人揃いを見てきました。
 唐人揃いとは、唐人(外国人)のパレード(仮装行列)のこと。

 江戸時代、幕府は鎖国していましたが、朝鮮だけは別で両国間には篤い交流があり、将軍襲名などの折には、李氏朝鮮から使節団「朝鮮通信使」が派遣されました。
 そのコースは釜山→下関→大阪→京都→彦根→名古屋→静岡→箱根→小田原→江戸(さらに日光)というものですが、江戸でその行列を見た川越の豪商が感激し、地元に伝えたのが始まりとされています。

 当時は川越氷川神社祭礼で披露され、人気を博したそうです。
 この唐人揃い、友好親善の精神を継承するため2005年に復活しました。
 したがって今年で8回目というわけです。
唐人揃いの先頭 朝鮮通信使節御一行
 パレードの先頭は正使、副使以下、朝鮮通信使の御一行。
 「榎本弥左衛門」とは川越の豪商。明暦元年(1655)に江戸にきた第6回朝鮮通信使を見て、細かく記録し、川越に伝えた人物。その功を称えて先頭に立っているというわけです。
 さらにフィリピン、タイなどの民族衣装を身につけたチーム(20団体約400人)が続きます。
金順子韓舞楽芸術団 金順子韓舞楽芸術団 フィリピン結婚式の踊り
 パレードだけではなく、蔵造りの街並ではパフォーマンスで盛り上がりました。
 金順子(キム・スンジャ)韓舞楽芸術団による七面太鼓、フィリピンミンダナオの結婚式の踊り、タイの伝統舞踊はいずれも女性が魅力的。
フィッポファミリークラブ タイの伝統舞踊 タイの舞踊  
 圧巻は釜山市の韓国伝統打楽器演奏チーム「南山ノリマダン」の演奏と踊り。
南山ノリマダン IMG_5351-2.jpg
 今回初参加とのことですが、激しく、迫力ある踊りに圧倒されました。
仮装行列ということでダースベイダーも
 このところ日韓関係は領土問題でギクシャクしていますが、ここではどこ吹く風。
 パレード実行委員会は「こういう時期だからこそ民間での友好交流が大切」と力説します。
 こういうイベントは、横浜や川崎ではときどき見かけますが、川越で開催されるとは。
 改めて川越の底力を感じました。
 今から25~26年前のこと。
 同業のライター氏と情報交換していたら、「目黒に、寄生虫を標本にした博物館があるよ。ちょっと気持ち悪いけど面白いぞ。ネタになる」

 当時夕刊紙で首都圏の面白情報を執筆していた私は、「ネタになる」と聞いて、早速行ってみました。
 目黒駅から権之助坂を下り、目黒川を渡り、大鳥神社を越えたところに、みすぼらしい3階建ての建物がありました。これが目黒寄生虫博物館。

 同館は昭和28年(1953)、医学博士・亀谷了(かめがいさとる=1909~2002)先生が私財を投げ打って建てられたものです。
 印象的だったのは全長8.8mのサナダムシの標本。長いので幾重にも折られて展示されていました。

 たしかに珍しい。気持ち悪いけど、こわいもの見たさもあります。
 それでいて健康には大切なことだから、おろそかにはできない。
 「我われは、今一度回虫のことをマジメに考える必要がある」と述べ、「さすが東京、珍しい博物館があるよ」と結びました。
 先日のこと。
 目黒近辺に用事があったので、ついでに足を伸ばしました。
 「たしかこの辺に、寄生虫館があったはず」
目黒寄生虫館 目黒寄生虫館
 ところが、そこには6階建ての瀟洒なビル。これが目黒寄生虫博物館。「こんな立派になって!」
 今から20年前(1992)に建て替えられたとのことです。

 サナダムシの標本は健在でした。
 横には8.8mという長さを実感させるために、同じ長さの紐がぶら下げてありました。「こんなものが腹のなかにいたのか」と思うとゾッとします。
サナダムシの標本 回虫
 我われの子ども時代、回虫とはけっして無縁ではなく、検便でよく引っかかりました。そのたび虫下しを飲まされ、2日後ぐらいに排便したとき、一緒に白い回虫(約5cm)が出たものです。
 それらの回虫はホルマリン漬けされて展示されています。
アニサキス アニサキス
 最近では衛生状態がよくなり、回虫などはあまり見られなくなりましたが、牛や魚などに寄生しているというので一時騒がれたアニサキスの標本もあります。
 ここで寄生虫のことをしっかり勉強することも、意義深いと思います。

 同館の入場料は、当時も今も無料。
 運営の財源は、外部からの依頼による寄生虫の鑑定料や寄付金で賄われているそうですが、「それも世界唯一の博物館」だからこそ。立派です。
 さすが東京だと思いました。
 横浜・山下公園には、「赤い靴をはいてた女の子」のブロンズ像があります。

 「赤い靴をはいてた女の子」のタイトルの下には「A LITTLE GIRL WITH RED SHOES ON」と書かれています。
 「くれぐれもON(恩?)を忘れるなよ」と高校の英語教師がいってたのを思い出しました。 
山下公園

 赤いくつ はいてた 女の子
 異人さんに連れられて 行っちゃった

 横浜の 波止場から 船に乗って
 異人さんに連れられて 行っちゃった

 この歌は、知人の女性が家庭の事情で小さな娘をアメリカ人宣教師夫妻の養女に出し、その子が海を渡ったというのを聞いて、野口雨情が作詞したといわれています。
山下公園の銅像 山下公園の銅像 山下公園の銅像
 これについては異説があって、永六輔さんなどは、社会主義運動を手伝っていた若い女性が突如官憲に捕まって行方不明になったことを、当時社会主義者だった野口雨情が歌にしたといいます。
 「赤い靴というのは社会主義の象徴ですよ」

 ところが……。
 この女の子は、実際にはアメリカには渡らなかったというのです。
 実は麻布十番(東京都港区)に、もうひとつの「赤い靴をはいてた女の子」の銅像(大理石製)があります。
 説明書きによると、この女の子は「きみちゃん」といって、アメリカ人宣教師夫妻の養女になるはずでしたが、不治の病に冒され、明治44年9月、麻布永坂町(現・十番稲荷神社)の孤児院で亡くなりました。享年9つ。
 母親は「娘はアメリカに渡って幸せに暮らしている」と思い込んだまま他界したそうです。
麻布十番の像 麻布十番の像
 「横浜にもあるけどね。これが真実なんだよ」
 銅像の写真を撮っていると、地元(?)のオヤジがしたり顔に声をかけてきました。
 うるさいな、もう。

 野口雨情は後にこの真実を知りました。
 それを思うと4番の
 「赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢うたび 考える」
 の歌詞が妙に思想性を帯びて聞こえてきます。
 やっぱり永六輔説のほうが正しい?

 ともあれ、今となっては小さな女の子の命に手を合わせるしかありません。
 合掌。

 私は横浜を歩くのが好きで、一日10㎞ぐらいは平気ですが、それでも「ここだけは二度と歩きたくない」という道があります。
 今回はそれをランキング。

 ①新横浜道(戸部~野毛)……2㎞
 ②16号線(久木町~屏風ヶ浦)……2㎞
 ③中村川沿い(元町~浦舟町)……2.4㎞
 ④大岡川沿い(弘明寺~黄金町)……1.4㎞
 ⑤本牧通り(ベイシティ本牧~石川町トンネル)……2.5㎞

 番外に、長浜通り(能見台~長浜ホール…1㎞)、山下本牧磯子線(山下橋~本牧十二天…1.6㎞)などもありますが、あまり横浜を知らない人にとってはうんざりされると思うのでワースト5に。

 ⑤本牧通り。
 この道は地図を見るとU字状に曲がっているので、それだけで歩くのがバカバカしい。
右下のイオンあたりから本郷町→麦田町→石川町へ 本牧通り 石川町のトンネル
 ベイシティ本牧とは昔のマイカル本牧のこと。オープンした当初は大騒ぎでした。私も取材で行ったし。しかし今や100均ショップが入るなど、魅力に欠ける。
 商店街もただ長いだけで、これまた魅力なし。
 そして最後は長くて鬱陶しいトンネル。二度と歩きたくない。

 ④大岡川沿い。
左下の弘明寺町から→南区役所→花之木→黄金町へ 桜がなければなんの面白味もない道
 ここねえ、大岡川プロムナードといって、花見シーズンは有名だけど、屋台が出て賑わうのは黄金町~日の出町あたりだけ。弘明寺から歩くヤツなんていねえよ。(オレぐらい?)。同じような川の景色でつまらない。

 ③中村川沿い。
右端の元町中華街から浦舟町まで高速道路の下 中村川(三吉橋より)
 ファッションの街、元町から川沿いに遡り、吉浜橋、三吉橋、道場橋……など、由緒ありげな橋めぐりと思ったのですが、同じ川沿いの光景にうんざり。
 しかも上を高速道路で押さえられているし。最悪。

 ②16号線。別名産業道路。
久木町から屏風ヶ浦バイパスを越え、京急屏風ヶ浦に向かう 16号線 コンクリートで固められた崖
 本来車の道で、歩いて楽しい道ではない。それにダラダラと長い。
 内陸側は急峻な山。所どころ崖崩れ予防のコンクリートで固められているけど、それがかえって不気味。

 ①新横浜道。
 そもそも横浜は神奈川宿(今の東神奈川)あたりから南東に突き出た半島でした。
 そのため、幕末から明治初期は神奈川から市街地へ行くのに船で行ってました。
左上・西平沼から御所山→戸部郵便局→野毛坂へ 野毛坂あたり
 これではあまりに不便なので、半島の峰づたいに道を切り開きました。これが新横浜道。
 距離としては2㎞ぐらいだけど、アップダウンが激しくて、歩くのが大変。
 しかも主要幹線道路なので、車はビュンビュン走る。排気ガスは多い。もう、いやッ。

 もっとも①、②、⑤は車の道だから、歩く人なんかいません。物好きな私ぐらい。
 その私でもいやだというのだから、こんなとこ歩きたいヤツなんかいないよ。
 箱根は神奈川県にありながら、関西の人たちもよく知っているようです。
 箱根駅伝で?
 それもありますが、東京よりも近いから。

 京都に住む友人は、年に一度、仲間と箱根旅行するのが慣わしです。
 「御殿場から入れば近いんやけど、あの乙女峠はキツイ。どこが乙女やねん」
 同峠はヘアピンカープで、ドライバーにとっては難所中の難所といわれています。

 ある年の秋、男女数名で(車で)きたことがあり、ここで合流しました。
 強羅のホテルに泊まり、翌日みんなで「ガラスの森美術館」に行きました。
ヴエネチアングラス美術館 ガラスのツリー
 同美術館はヴェネチアングラスが展示されていますが、庭園も見事です。
 噴水や木々、ススキまでガラス製。なかなか手が込んでいます。
 この日は生憎の雨でしたが、それはそれで風情があります。
光の回廊(コッリドイヨ) 光の回廊(コッリドイヨ) 光の回廊(コッリドイヨ)
 「あんたは京都を捨てたんやなかったの」
 「そんなことはない。京都に関しては悲喜こもごもある。あいつと(つき合いが)中断してたから、そう見えただけや」
 「なんで中断してたん」
 「それは、あいつに聞いてくれ。あいつもいわんと思うけど」
 今では人妻になって、子どももいる(孫はまだ)女人と、このような会話を交しました。
小径 水車小屋(アチェロ)
 「あそこでカンツオーネやるんやて、聴く?」
 「うん。♪オ~ソレ、オソレミオ……あかん、声が出んようになった」
 「やめとき、もう年や」
カフェテラッツア
 喫茶店ではカンツォーネの生演奏も楽しめます。
 私としては、ニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネの音楽のほうが好きなのですが。

 そのとき撮ったのはプライベートなものばかりだったので、それらを取り除くと、こうなりました。
 なかなかきれいでしょう。
 JR根岸線・根岸駅の近くの丘の上に建った洒落た洋館。
 「根岸なつかし公園」といいます。 (安易なネーミングのような気もする)
根岸なつかし公園・入口 丘の上にそびえ立つ洋館
 明治期の有力商人であった柳下家の邸宅を横浜市が取得し、当時の姿に復元したものです。

 建物は東館、西館、洋館、蔵から構成され、大正~昭和初期の暮らしの雰囲気が体験できるとのこと。
 たしかに蔵に展示されたオルガンには年季を感じます。
 昔、親戚の家にあって、従姉が弾いていたような……。
 「日本楽器製造株式会社・横浜工場」と彫られていました。
オルガン お風呂
 ただし、こんなお風呂、入ったことはないぞ。
 五右衛門風呂?
 お湯が熱そうでいやだな。
 私、今でも40度(夏は38度)ですよ。
 これに20分ぐらい入ると、ジワーッと汗が出て、全身が温まります。 この五右衛門風呂だと、それがやりにくそうで。
日本間 中庭 中庭から見た外の風景
 さて、畳に座り、中庭を見ていると、世田谷(東京)の叔父さんの家を思い出しました。
 「おッ、京一郎、きてたのか」
 今にも丹前姿の叔父さんが現れてきそうです。
庭の景色 建物から見た外の景色
 「わが家の柿も赤く色づいたな」
 なんて、渋茶をすすりながら語り合う、まるで「東京物語」のような光景。
 そういえばあの叔父さん、雰囲気が俳優の笠智衆に似ていたな。

 「なつかしい」といっても、そんなに遠い昔ではなく、我われはついこの間までこんな生活してました。

 なつかしさも中ぐらいなり、なつかし公園。
2012.11.06 鎌倉文学館
 秋の夜長は読書ですね。
 となれば、鎌倉文学館へ行くのはいかが。

 ここへ行くには、江ノ電・由比ヶ浜が最寄り駅ですが、私はいつも長谷寺や大仏(高徳院)の流れで寄ることが多いのです。

 長谷寺の交差点を東に進み、そこから山のほうに上ります。
 入口の門を入り、さらに進むと小さなトンネル。このトンネルをくぐると、ちょっと開けた庭園に出て、その先にどっしりした洋風の建物。これが鎌倉文学館です。
鎌倉文学館入口 トンネルをくぐると……
 同館のしおりによると、最初は(加賀)前田家の鎌倉別邸。
 戦後は、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が別邸を借り、別荘として使用していたこともありますが、昭和58年、前田家が鎌倉市に寄贈し、昭和60年、鎌倉文学館としてオープンしました。
鎌倉文学館 同館から見た庭の光景 同館のテラス
 かつて鎌倉には多くの文学者が住んでいました。(現在も)
 ざっと挙げただけでも小林秀雄、志賀直哉、大岡昇平、佐佐木信綱、高見順、里見弴、大佛次郎……など。
 そこで彼らの資料が一堂に集められたというわけです。

 ただし私の好きな大佛次郎に関しては、(雪ノ下に元住居の喫茶店があるとしても)資料の大半は横浜・港の見える丘公園の大佛記念館にあるので、そちらをお勧めします。
 氏の作品は横浜と深いつながりがあるので、これは当然でしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、憂鬱なる党派邪宗門」の作者、高橋和巳氏も鎌倉文士です。
 氏は大阪市で生まれ、京大(文学部中文科)出身の生粋の関西人ですが、作家になってからは鎌倉に移り住みました。(京都大学の助教授勤務によって、京都に単身赴任することもありましたが)

 鎌倉については、奥さんの高橋和子(たかこ=京大文学部仏文科出身)氏が語っていますが、雰囲気が京都に似ていたため、ふたりとも即気に入ったそうです。
 さらに和子氏は次のように述べています。
 「関西の文学者の集まりでは、芸者さんがお酌をするのに対して、関東ではそんなものは一切なく、こちらのほうがいいと思った」

 たしかにここは円地文子、岡本かの子、吉屋信子など女流文学者も多い。
 女流文学者にとっても住み心地がよかったのでしょうか。
 今月2~4日、地元の公民館で、文化祭が開催されました。
 わが俳句会は毎年出展していますが、私が入会したのは昨年の文化祭が終ったあとだったので、私としては初めての参加。
 短冊に、前回最高得票の「夕日浴び夫婦無言で鯊を釣る」(参照)の句を書いて、飾り台(借り物)に取りつけました。
 私としては好きな句でもないので、目立たぬところへ。
俳句の展示 展示を見る人々
 他の人の作品は、飾り台が立派なのと、さらさらと達筆なため、様になります。
 句そのものは稚拙ですが。
 「京一郎さんの句には、私も(一票)入れたけど、けっして褒められたものではない。あのときは他の句がひどかったからなあ」
 と我らのエース格K氏。
 その通りなので、別に腹は立ちません。

 会場には他にどんなものが出品されているのか、見回りました。
 書道、絵画、写真はおろか、手芸、パン・菓子の工芸、パッチワークもありました。これに関しては、妻がやっていたので、ちょっと懐かしかった。
面打ちの展示 パン・菓子工芸 パッチワーク 将棋風景
 また、囲碁・将棋もあり、将棋はしばらく見ていました。
 「おじさん、王手かかってるよ」
 「あッ、そうか、そうか」
 とんだヘボ将棋だぞ。
 
 「写真撮ってるなら、オレのも撮ってくれ。いいものあげるから」
 ひとりの老人に呼び止められました。ピノキオのジュゼッペ爺さんそっくり。
 階段下にズラリと展示された大きな瓢箪。この人、瓢箪づくりの名人です。
 陳列されているのを片っ端から撮りました。
 瓢箪の展示 精巧な図柄 網目の瓢箪
 絵は半田ゴテを当てて、表面を焦がして描くそうです。
 さらに網目のものは竹細工ではなく、瓢箪を糸鋸で切り抜くという気の遠くなるような作業。恐れ入りました。
 「ありがとう」と、小さな瓢箪を手わたされました。

 「そういえばあの爺さん、プリントしてくれ、っていってたな」
 最初は漠然と「CDに焼けばいいのかな」と思ったけど、あの年代の爺さんなら紙焼き写真だろう。
 とはいえ、A4判の用紙ならあるけど、写真用の印画紙はない。
 「しょうがない、瓢箪の恩義だ」
 PCデポで2Lサイズの印画紙を買い、8枚ほどプリントしました。

 昨日(4日)は最終日、午後4時から後片付けなので、3時に集合とのこと。
 私は爺さんに写真をわたすために、それより早く行きました。

 「おうおう、なかなかよく撮れちょる。しかもこんな大きく。ありがと、ありがと」
 ジュゼッペ爺さんは感謝することしきり。
 また瓢箪をわたされました。
 今度は一輪挿し。もう、要らんっちゅうのに。

 その後、俳句会の仲間と集まり、後片付け。
 短冊などを取り外したあとは、パネルの片付け。しかしこれは他のグループの人たちと一緒にやったので、早いこと、早いこと。20分ほどで終りました。
もらった瓢箪
 「これ、京一郎さんがつくったの? お上手ねえ」
 「こんな才能もおありなのね」
 バッグからはみ出した瓢箪を、おネエさまたちに褒められました。
 もらったんだよ。
 それにこの小さい瓢箪、栓が取れないようになっている。
 これじゃ七味も入れられないし。
 昨日に続いて、蔵出し写真特集。今日は鎌倉・江ノ島編です。
 これまで当ブログをご存じの方は、昨日の写真を見て、縦横の比率が違うのに気づかれたと思います。
 「さてはトリミングしたな」

 その通り。
 写真の良し悪しは「トリミングの妙」にあるといってもいいぐらい。

 典型的な例が昨日の山下公園の若いカップルの写真。
 実はこれ、左端にも人が数人います。ところが邪魔者(?)を切り取ると、俄然ロマンチックな意味合いを帯びてきます。
 これが「トリミングの妙」です。

 さらにいうと、コンデジ写真の比率は3:4。
 横位置にすると、安定が悪く、どうしても天地(上下)に無駄な空間があきます。(典型的な例が東京駅)
 理想の比率は1:1.6といわれており、そのほうが画面が締まるのです。

 ただし、記事中のスナップ写真は、そこまでする必要はありません。
 写真として見せる場合は、それなりの細工が必要である、といいたかったのです。

 ご託はそのぐらいにして、鎌倉です。 
 鎌倉駅 人力車。この車夫さん、鎌倉では有名人 鶴岡八幡宮。大銀杏の切り株 小町通り 

  江ノ島です。
江ノ島大橋から見る江ノ島 江ノ島神社入口 神社参道 江ノ島神社
岩屋 岩屋洞窟 ヨットハーバー

 写真特集だと文章手抜きのように思われるかもしれませんが、写真のトリミング作業はけっこう手間がかかるのです。(舞台裏を明かしてどうする)
 今日は珍しく、写真がメインです。
 たまにはこういうのもいいでしょう。

 ご承知のように、先月18日、現ブログ(FC2)に引っ越してきました。
 理由は、
 ①前ブログ(忍者)のファイルが飽和状態に近づいたこと。
 ②ハングル文字や、商品売り込みの迷惑コメントが一日10本以上貼りついていたこと。
 ③他社のブログ形式も体験したくなったこと。
 この3点です。

 前ブログの容量が600MBに対して、今回は10GB。
 計算上ではあと50年持つことになりますが、50年もブログやれってか。
 ともあれ、せっかく写真がふんだんに使えるのだから、使わにゃソン、というわけで、ファイルから蔵出ししました。私にとっては珠玉の「作品」ばかり。
 まずは横浜編①。
 みなとみらい地区です。
臨港パーク・釣り風景 臨港パーク・錨のモニュメント 臨港パーク・右はヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル ドックヤードガーデンにて
 山下公園です。
氷川丸船尾の白灯台 氷川丸から見た山下公園 氷川丸 夕暮れどき
 海岸通りです。
ホテルニューグランド ホテルニューグランドの中庭 開港広場より 開港広場
 気に入っていただけたでしょうか。
 旧ブログについては、文章だけならまだ使えるので、閉鎖してはいません。
 今のところ、過去の記事に適宜リンクできるようにしています。
 妻には子育てに関して独特の能力がありました。

 これはわが子のことではなく、息子の同級生の4歳下の妹とのことです。
 近所で、母親同士親しかったのです。
 あるとき、妻はこの母親に2日間、娘の幼稚園の送り迎えを頼まれたました。

 「じゃあ、おばちゃん、ここでバイバイするよ。〇〇ちゃん、ひとりで行けるわね」
 幼稚園の門から教室までは、運動場を挟んで、30mほどあります。
 その子はいつも母親が教室までついてきたので、一瞬不安な顔をしましたが、にっこりして「うん、大丈夫」

 2日目は女の子のほうから、「おばちゃん、もうここでいいよ。バイバイ」
 門からひとりで歩き、にこにこして教室に入りました。

 ところが……。
 「辻さんのおかげで、娘が門のところで『もう、ママはこなくていい』というようになった」
 その子の母親があちこちでぼやいている、というのです。

 ふつうに考えれば、妻のおかげで娘はひとりで行けるようになったので、よろこぶべきこと。
 それを文句いうなんて、お門違いもいいところ。
 「つまらない人ね」
 今度は妻がぼやきました。

 妻は面倒臭くてこの子を突き放したわけではありません。
 愛情を持って、納得ずくで、ひとりで行かせたのです。その証拠に、この子はその後も妻になついていました。

 妻には、子どもを自立させる不思議な力がありました。
 わが子が医者に行くときも、「痛いけど、治るんだから、我慢しようね」
 このひとことで、子どもは泣かないのです。(参照)

 妻は元保育士です。
 ということは、これは仕事から得たスキルなのか、それとも妻の体質なのか。
 よくわかりません。
 いずれにしても、彼女がわが子の母親でつくづくよかった。変ないい方ですが……。


 これまでのイクメン回想記を読むと、私(父親)ばかりが息子と外出していた印象を受けますが、幼児のころはむしろ妻(母親)と一緒のほうが多かったのです。

 「この子は小さいときから、落ち着きのある子だった」
 と妻はいいます。

 妻が息子(当時3歳)を連れて、熱海に住む友だちの家に遊びに行った帰り、小田急のロマンスカーで帰ろうとして、少し時間があったので、駅構内の喫茶店で休んでいました。
 ところが予想外に時間が早くきて、発車時刻。
 「あッ、大変大変!」
 とあわてて列車に駆け込もうとしたら、背後から喫茶店のボーイさんの声。
 「お母さーん、忘れ物ですよ、坊ちゃんの」

 「あッ、そうだった」
 あわてて喫茶店にもどったら、息子はきょとんとしていたそうです。

 さて、そこからわが家にもどるには、ロマンスカーで新宿まで行き、京王線に乗り換えて府中で降りねばなりません。
 乗り換えのときは、ちゃんと歩いたものの、京王線に乗るとさすがに疲れたのか、席に坐るなりグー。時間は夜の11時近くでした。
 府中駅近くになっても、まだ眠っているので、
 「〇〇ちゃん、起きて。ママ、荷物持ってるから抱っこできないよ」
 といおうとしたら、むっくり起きて、「ぼく、歩く」

 「あんなに手のかからない子はいなかった」と妻はいいます。
 「なにも厳しいこと、いってないのに、不思議ね」

 本当に不思議です。
 私たちはなにも厳しい躾をしたわけではありません。
 心当たりがあるとすれば、それは妻の体質。
 おそらく妻には、子どもの自立を促すような天性の体質がある。
 そうとしか考えられません。