2012.10.31 ぼく、歩く
 昨日(10/30)は私の「益体もない健脚」のことを書いているうち、話が夫婦喧嘩のことに逸れてしまいました。
 不本意です。
 本当は、この無駄な健脚と息子との関わりを書きたかったのです。

 息子と奥多摩湖に行ったことがあります。
 奥多摩湖とは小河内貯水池のことで、東京都の水源。
 場所は東京都の西の端。青梅線の終点・奥多摩駅で降り、そこからバスで行きます。

 バス停を降りたところに、「小河内ダム郷土資料館」がありました。
 小河内貯水池とは山梨県のほうからくる多摩川の水をダム(小河内ダム)で堰き止めてできた湖。それによって谷あいの村が湖に沈みました。
 館内には「ダムによって消えた村」というテーマで、村の模型や写真が展示されていました。
 なんとなく物悲しい。
 この物悲しさは、当時小2の息子も感じていたと思います。
奥多摩湖・地図
 奥多摩湖には名物・ドラム缶の橋(参照)が2本あります。(YouTubeはこちら)
 同湖は東西に長く、湖岸は曲がりくねっていて、バスで行くしかありません。
 時間はかかりましたが、2本とも行き、橋を渡ることもできました。

 この日は休日だったので、行楽客もチラホラ見かけました。
 途中に原っぱのようなところもあり、そこで弁当を食べました。
 弁当というのは妻がつくってくれたおにぎりと、牛肉大和煮の缶詰。ところが私は迂闊にも缶切りを持ってくるのを忘れ、食べられないことになりました。
 「しょうがないねえ」
 息子は笑いました。

 何度も父子一緒に出かけると、楽しいことばかりではなく、気分が盛り上がらないときもあります。
 この日がそうでした。初っ端の「ダムに消えた村」の展示を観て、なんとなく侘しい気分になり、さらに缶切りを忘れるという失態。
 さすがに息子の顔から疲労の色が出て、珍しく「もう、歩けないよう」

 ふだんなら、「そんなことをいわずに歩け」というところですが、私には負い目がありました。
 缶切り? それだけではありません。
 実はドラム缶の橋を見たかったのは、学生時代に観たピンク映画にこの橋が出てきたから。
 そんなくだらない理由のために、この子をいたずらに疲れさせてしまった。
 ご免よ、しんどい目にあわせて。お父さんが悪かった。

 私は、有無をいわせず「じゃあ、お父さんがおんぶしてやる」と、わが子を背負いました。
 背負ってみると、全然重くない。
 これが「親の力」とでもいうのでしょうか、同じ重量の荷物なら重く感じるのでしょうが、わが子を背負ったまま、無限に歩けるような気がしました。

 しかし、5分ぐらい歩いたとき、「お父さん、もういい。ぼく、歩く」
 息子は私の背中から降りました。

 それいらい、息子は一度も「疲れた」といわなくなりました。
 もし「疲れた」といおうものなら、このオヤジのことだ、いつまでもオレを背負い続けるだろう、そんなことはまっぴらご免だ、そう思ったに違いありません。
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 先日、鎌倉散策のことを述べたところ、ある方から「健脚ですね」といわれました。
 そういわれれば、そうかもしれません。
 横浜や鎌倉などでは、15kmぐらい平気で歩きますから。
天園ハイキングコース
 しかし、この健脚はなんの益体もない。むしろ害悪。
 このため、私は友を失い(参照)、妻を怒らせました。

 夏の暑い日でした。
 妻と横浜駅東口から遊覧船に乗って山下公園に着き、そこから谷戸坂を上って港の見える丘公園、さらに外人墓地、山手通りのエリスマン邸へ行こうとしたとき、
山下公園。氷川丸からみたところ 山下公園。パーゴラ 山下公園。赤い靴をはいていた女の子の像より
 「いつまで歩かせんのよッ!」
 思いっきり怒鳴られました。
港の見える丘公園 港の見える丘公園
 コースはいいところばかりなんだけどなあ。
 私は妻をよろこばせたい一心で、次はここ、次はここ……と横浜の名所を案内したのですが。
山手通り。右は外人墓地
 妻は、ふだんは可愛い女ですが、いったんブチ切れると、手がつけられない。
 「喫茶店はないの! お茶ぐらい飲ませなさいよッ」とブチャむくれ。
 私は「この女とはもう二度ときたくない」と思いました。

 実はこのとき、息子も一緒でした。
 こんなとき、息子はいっさいノータッチ。
 息子は小さいときから私と一緒に歩いているので、これぐらいは平気です。
 「オレはいい。しかしオヤジ、お母さんを連れてきたからには、配慮すべきだろう」
 多分そう考えています。
 しかしそれもいいません。

 私も妻も、息子に(安易に)同意を求めることはしません。味方になってもらおうとも思いません。
 これは親としてのプライド。

 私たちの親の世代は、子どもの前で伴侶に対する愚痴をこぼし、同意を求めました。
 これは情けない。親としての屈服です。
 相手にも負けているし、子どもにも負けています。

 私と妻は、それだけはしなかった。
 お互い、激しいケンカをしたとしても。
 昨日は一日中冷たい雨が降っていたので、外出はせず、「第30回全日本大学女子駅伝対校選手権大会」(杜の都駅伝)を観ました。

 立命館大が2年連続7回目の優勝。2位は佛教大。
 杜の都仙台で、京都の大学がワン・ツーを占めるとは。
 同郷者としては、ちょっぴりうれしい。 
 TV実況より TV実況より TV実況より 
  それとは別に、私は最下位のチームに目がいってしまいます。
 この日も、トップと10分差がついたために、5チームが繰り上げスタート。
 タスキを受け取らないままスタートする走者、やっとの思いをして中継点に着いても、次の走者はスタートしたあとで、タスキを渡せない走者。
 選手にとっては酷ですが、交通遮断や警備の関係上、そういうルールもやむを得ない。
 その口惜しさをバネにして、努力するしかありません。

 繰上げスタートに関しては、以前「箱根駅伝」でも述べたように、複雑な思いがあります。
 私は高校生のとき、クラス対抗駅伝でアンカーに選ばれましたが、ぶっちぎり最下位だったからです。
 あのときは繰り上げなんてなかった。
 私は誰もいないところを、わけもわからず走りました。

 当時の思いは、すべてここ(↓)に書かれているので、お読みいただければ幸いです。以前読まれた方ももう一度。駅伝ランナーの孤独」(その前の項はこちら、

 また、この日は、北海道のばんえい競馬で「中高年の星」として人気を集めたゴールデンバージ号(牡15歳)の引退レースが帯広競馬場で行われました。
 ゴールデンバージ号は人間なら60歳だそうです。
 それだけに熱心に応援するファンも多かったのですが、最下位。
 ズルズルとずり落ちながらも懸命に坂を登る姿は痛々しく、身につまされました。
 天園ハイキングコース、瑞泉寺……ときたら建長寺を取り上げないわけにはいきません。なぜならここはハイキングコースの起点だから。
建長寺本堂 建長寺の鐘楼
 一昨日(10/26)も述べたように、ここから山に登るには、どうしても建長寺に入る必要があります。
 否が応でも拝観料を取られるので、ハイカーたちには「建長寺はセコイ」と悪評フンプンですが、私は最近「ハイキングのはじめに、お祓いの場を与えられた」と考えるようになりました。

 建長寺は北鎌倉に位置する禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山の第一位です。山号は巨福山(こふくさん)。
総門
 総門の写真はぜひ撮っておきたかった。
 というのも某ブロ友さんの記事に、「巨」の第3画目の下に余分な「点」が書き加えられているのは字に安定感を与えるため、とあったので、それを確認したかったからです。
 なるほど、「巨」でもなければ「臣」でもない、不思議な感じです。
山門 山門の下部。横から見たところ
 山門。上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置していますが、残念ながら非公開。
 それよりも私、こういう高床式(?)の建物を見ると、「こんな柱だけで、よく全重量を支えているものだ」と感心します。
 だって柱の1本でもポキッと折れれば、ガラガラガラーッ……と崩れるわけでしょう。
 まあ、太い柱だし、実際にはそんなことにはならないけど。配置も本数も、力学的に適っているのでしょうね。 先人の知恵はすごいと思いました。
唐門
 「はははは……」
 中学生の笑い声が聞こえました。「すげえ!」とも。
 彼らが指差したのは方丈入口の唐門。金(きん)がふんだんに使われていて、あきれるほど豪華です。当時、唐風といえばこれだったのか。
 私は笑わなかったけど、このようなものを唐突に見せられると、人は笑うしかないのか。
方丈と庭園 庭園
 そして方丈と庭園。庭園は夢窓疎石(国師)の作といわれています。
 この人は、昨日の瑞泉寺の岩盤庭をつくり、後に京都の苔寺の庭も手がけるのだから、造園家としてはかなりの力量があったようです。

 このようにありがたいものを拝観し、霊験あらたかな気持ち(?)になって、いざ天園へ(記事は2日前)。
 ひと粒で二度美味しい、とはこのことだあ。
 昨日の続きです。
 天園ハイキングコースから降りたところ、瑞泉寺ではなかった。
 「瑞泉寺はどう行けばいいんですか」とおじさんにたずねると、
 「降りるところを間違えましたね。突き当りを左に降りたでしょう。瑞泉寺は右です。だからもう一度登り直して……」
行き止まりの標識
 登り直す? 冗談じゃない。
 たしかに「行き止まり」の標識はあったけど、右へ降りる道なんてなかったぞ。
 こっちは木が伐採してあったところをほうほうの体で降りてきたんだから。あんなしんどい思いは二度とご免。
 「わかりました。瑞泉寺はもういいです」(少しムッとしていました)
 市街地に出る道を聞いて、そこを辞しました。
 おじさんにいわれたバス通りに出て、右(鎌倉駅方面)に歩きました。
 しばらく歩くと右側に人がぞろぞろ。急な石段です。杉本寺とあります。 
杉本寺 杉本寺のお堂
 ここは8世紀(奈良時代)に、奈良の大仏造営に貢献し、貧民救済にも身を尽くした行基によって建立された、鎌倉最古の寺。(同寺の説明書き)
 HPによると、ご本尊は734年・行基作、851年・慈覚大師円仁作、985年・恵心僧都源心作の三体の十一面観音であるとのこと。しかも火災が起こったとき、ご本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けたので、「杉の本の観音」と呼ばれた、と「吾妻鏡」に伝えられているそうです。
 無礼で、信心なき者がこの前を馬で通ると、必ず落馬するというので、建長寺開山の大覚禅師が祈願し、自らの袈裟で十一面観音覆ったところ落馬する者がなくなったといいます。これより御本尊は秘仏とされたとか。

 それかあらぬか、ここのお堂のなかはすべて撮禁。「勿体つけやがって」
 撮影は外からにして、早々に退散しました。
 さて、杉本寺から瑞泉寺までは、(V字型にもどる方向ですが)歩いて15分ほどの距離。

 私はあちこち散策していますが、最近とみに「ここへはもうこないかもしれない」と思います。
 そう思うと、どんなところもゆるがせにできない。
 「あのとき、寄っとけばよかった」という後悔だけは避けたい。そのため多少無理するようになりました。
 十二所でゴルフおじさんに説明されたときは、「瑞泉寺に蹴られた」という口惜しさから「もういい」と思いましたが、気を取り直して「やっぱり行こう」
 瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は錦屏山。本尊は釈迦如来。
 花の寺、紅葉の名所として、鎌倉で人気のある寺です。
 紅葉はまだでしたが、境内には小さな赤い萩の花が咲いていました。
瑞泉寺 庭園の萩の花
 また仏殿背後の庭園は、開山した夢窓国師の手によるもので、滝、池、中島など、日本庭園の約束事はすべて岩盤を削ってつくられています。
仏殿 岩の庭園 岩を削ってつくられた庭園
 これは一見の価値あり。

 さらに、同寺の名物は冬桜。
 20年ほど前、晩秋の季節に訪れたときは咲いていたけど、今回はどうか。
 期待と不安にドキドキしながら、そこに近づくと、咲いてました。ほんの2~3輪。これだけでもきた甲斐はあります。
冬桜
 瑞泉寺にきて正解だと思いました。
 分け入っても分け入っても、ケモノ道。
 なんの因果でこんな山道を歩いてるんだ? わざわざ鎌倉くんだりまできて。

 鎌倉をご存じの方は、もうおわかりでしょうね。
 「そこは天園ハイキングコースだろう」

 当たり。
 天園とは鎌倉市の北側の山地をつないだ山道。
 なんでこんなところを歩いているのかというと、これは某ブロ友さんの建長寺に関する記事に、「その寺はハイキングコースの入口で、ハイカーからも拝観料を取る。セコイではないか」とのコメントを入れたところ、その人も「建長寺はセコイのです」との答え。
建長寺の裏手から登る 険しい山道
 とはいえ、建長寺は立派なお寺。もう一度見ようかな、という気になりました。
 その延長で、ハイキングコースへ。

 実は私、過去において天園には二度行ってます。
 建長寺から登れば金を取られることはわかっていたので、逆の瑞泉寺から登りました。しかしこのときは道を間違えて、降りたところは鎌倉宮。苦労した割には瑞泉寺とは目と鼻の先。大失敗でした。
 二度目は建長寺から。むろん拝観料は払って。
 ハイキングとしてはふつう。なかなかよかったです。無事瑞泉寺に着いたし。

 しかし今回(10月某日)は……天園ってこんなキツかった?
 こちらの加齢もあります。あれから25年も経ってるものね。
 登りは険しく、アップダウンも激しい。道があやふやで、ときとしてケモノ道。
 誰のせいでもない、自分の意思で挑んだわけですが、難所続きで身も心もヘロヘロ状態。

 それでも楽しいことがありました。 
 すれ違った子どもたち こんなに取ったんだよ 
 小さな子どもたちとすれ違ったとき、「こんなに取ったんだよ」と手にしたドングリを見せてくれました。
 可愛いかった。
大平山・山頂 反対側の市街地 山頂の標識 山頂からの眺め
 大平山の山頂からは、鎌倉市はもちろん反対側の市街地も見えました。
いつもの茶屋 おでんうどん(500円)
 天園には茶屋が2軒あります。私はいつも下の茶屋。
 見晴らしはよくないのですが、安くて美味い。おばさんが親切です。
 ここで「おでんうどん」を食べ、至福のひとときを味わいました。

 しかし下りはまた急な坂。
 すでに瑞泉寺の敷地に入っているのですが、またしてもわけのわからない道。
またしてもケモノ道 
 あげく行き止まり。「この先は崖になっていて、進めません」
 以前そんなのなかったぞ。

 仕方なく道なき道を無理クリ降りたところ、瑞泉寺とは様子が違って、ふつうの住宅地。
 庭先でゴルフの練習をやっていたおじさんに「ここはどこですか?」
 すると「十二所です」
 ガーン!
 不親切だぞ、天園は。
  全行程2時間以上もかかったし。
 今日(25日)はプロ野球ドラフト(新人選択)会議の日。
 大リーグ挑戦を表明している岩手・花巻東高の大谷翔平投手を、日本ハムが1位で強行指名するそうです。

 「うちは毎年、一番力のある選手を指名してきた。その方針はぶれない。メジャー挑戦を妨害するわけではなく、リスクは承知している」とは日ハム山田GMの弁。

 なんとくだらないことをする。 
 「メジャー挑戦を妨害するわけではなく……」などといいながら、実際は日ハムが交渉権を得たら、メジャーの球団は来年の3月末まで手が出せないとのこと。
 これを妨害といわずして、なんという。
  大谷君はわざわざ「日本のプロ野球は、ぼくを指名しないでください」といっているのに。
 日本ハムには昨年も、巨人入りを希望していた東海大の菅野智之投手を1位指名し、抽選で交渉権を得たものの、結果的には断られた経緯があります。
 これは仕方がない。
 この場合は同じ日本のプロ野球のなかでの選択権獲得競争。巨人だってくじを引いたわけだし、ドラフト制度として問題はありません。
 これは拒否した菅野投手のほうが自分勝手ですが、去年書いた(参照ので、ここでは述べません。
 しかしメジャーとなると、話は別。
 日本のプロ野球とは埒外のところへ行こうというのだから、そんな選手を指名してどうする。

 私は基本的に「メジャーに行きたいヤツは行くがいい」と思っています。
 ダルビッシュも黒田も、イチローも青木も、有力な選手は海の向こうで活躍してこそ光り輝く。大谷君もぜひそのひとりになってもらいたい。
 だから、日本の野球関係者は彼をアメリカに行かせてやれ。
 ところが昨日、TVのニュースを見ていたら、栗山監督自ら記者会見で「我われチームの一員になってほしい」と大谷君に呼びかけていました。
 同監督に関しては、就任1年目でリーグ制覇、ダルビッシュが抜けたあとだけによくやったと、その人間力を高く評価しただけに、いささかガッカリ。
 地元東北「楽天」の星野監督でさえ、「本人の意思を尊重する」といっているのに、およそ栗山らしくない。
  「大谷君には申しわけないけど……」ということばが空々しく聞こえます。
 申しわけないのなら、指名するなよ。

 これには「裏がある」とのうがった見方(密約説?)もありますが、私はないと思う。
 それよりもメジャーの側は来年の3月を待たなくても交渉すればいい。
 そんな期限は日本のプロ野球に入る前提の選手に対して決められたもの。
 メジャーだと、埒外なんだから。
 今日の閉塞した日本において、もし阪本竜馬が生きていたら……とか、吉田茂ならどうするだろう、などという仮定の話がよくされます。
 また、「宮沢賢治ならどうしただろう」と考えて、その通り実践しているグループがあるとも聞きました。

 なにを信奉・実践しようと人の勝手ですが、過去の人を持ち出して「その人だったらどうしたか」などと考えるのは、あまり意味があるとは思えません。

 なぜなら、その人の生きていた時代と今は違うので、「その人が生きていたら……」という仮定そのものが成り立たないわけです。

 もし、阪本竜馬がタイムスリップして今の日本に降りてきたとしましょう。
 龍馬の信奉者なら「あの決断力でこの状況を打開してくれる」と期待するかもしれません。
 しかし龍馬はきっとこういうでしょう。
 「オレはオレの時代で(日本のことを)考えた。今の時代はわからん。君たちで考えてくれ」と。

 これは龍馬に限らず、吉田茂であろうと、釈迦であろうと、イエス・キリストであろうと同じです。
 過去の偉人ならどうしただろう、などと考えるより、今のお前がどうするか考えろ、ということです。
 司馬遼太郎「燃えよ剣」なんかを読むと、幕末の勤皇の志士や新撰組の隊士は四六時中刀を抜いて斬り合いをしていたわけですね。
 私はつくづく「ああ、あんな時代に生まれなくてよかった」と思います。
 しかし、その私は20世紀に生まれ、戦後の教育を受けた人間。
 幕末に生まれれば、それとは違う社会に生き、違う教育を受ける。今の「私」とはまったく違うわけです。

 もし土方歳三が今の日本を見たら、
 「ああ、こんな腑抜けた、緊張感のない時代に生まれなくてよかった」
 と思うかもしれません。
 彼らは敵との命のやり取りに、ある種「生きていることの充実感」を持って生きていたと思われます。

 どんな時代にも人々は生きる意味・充実感を持っていたのではないか。
 そう思うと、「あんな時代に生まれなくてよかった」というのは、その時代に生きていた人々に対する冒涜のような気もします。

 昨今、益体もない仮定話がよく出てくるので、こんなことを考えてみました。
 3ヵ月ほど前、血液検査を受けました。
 「血糖値、コレステロール値、中性脂肪などは問題ない。ただし赤血球の値が少ない」

 赤血球の値が少ないのは私の体質。
 血液がサラサラすぎて凝固しにくい。そのため出血すると止まりにくい。
 小2で、扁桃腺肥大の手術を受けたとき、術後出血がなかなか止まらなかったので、医師があわてました。 そのときに自分の体質を知りました。
 それでも成人になってからは、ギリギリながら標準値(427~570)の範囲内にはおさまっていました。
 2年前、こちらで診てもらったとき、「赤血球の値が少ない」
 400を切っている、というのです。
 そこで「念のため」と検便。
 結果「便潜血反応あり」とのことで、大きな病院で消化器官の検査を受けました。

 ここでは問診を受け、触診で「痔の兆候あり」と診断され、潜血の原因はこれだろう、と診断されたにも関わらず、「念のため」と胃カメラ、そして大腸の内視鏡検査。

 胃カメラも苦しかったけど、大腸はもっと苦しかった。
 内視鏡を何度も入れられました。無茶苦茶痛い。
 「おかしいな」と医師は首を捻る。
 私は「怪しいのなら、はっきりいってください」と気色ばんだほど。(参照)

 私の場合は「怪しい」というより、腸が長く、しかも曲がりくねっているので、スコープが奥まで入らなかった。
 そこで「こうなれば注腸バリウム検査をやります」
 結果は「異常なし」でしたが、これもひと苦労でした。(参照)
 ちょっとしたことで検査に持っていくのは、「検査で稼ごうとする病院側の策謀」ともいわれていますが、私は最近「小さなことでも病状を見逃さない予防医療の一環」と解釈して、一応医師には従っています。
 とはいえ、あんな検査は二度とやりたくない。
 3ヵ月前に「赤血球の値が少ない」といわれて、その1ヵ月半後、再検査。
 「やっぱり赤血球の値が少ない」

 そこで検便。
 これ、最近では取るのが非常に簡便になり、スティックで……いや、具体的にいうことでもない。
 「これでまた病院で検査はいやだなあ」と、憂鬱でした。
 ところが結果は「異常なし」
 潜血反応はなかったのです。痔も改善した?
 よかった。あの厄介な内視鏡検査、しないですみますから。
2012.10.22 川越まつり
 昨日(10/21)川越まつりを見に行ってきました。
 川越まつりとは、360年以上も続く由緒ある祭事で、29基の山車が市内を巡行する盛大な催し。2日間で80万以上の人出があるそうです。
 もともと川越氷川神社の神幸祭が発展したもので、関東三大祭り(他は常陸國總社宮大祭・佐原の大祭)のひとつといいます。

 川越は自転車で45分という近さだからね。地元といってもいいぐらい。
 しかしこの日はいつもと勝手が違い、市街地の入口(新宿町)から車、人、自転車の混雑。いつものように中央図書館の駐輪場に愛車を止めて、川越キリスト教会の前の県道に出ました。
 ところが……。
山車(県道にて) 山車(県道にて)
 そこには人、人、人の大混雑(車は通行禁止)。「山車だ!」
 大きな山車がゆっくり市役所方向に進んでいます。
 山車の前面には♪コンコンチキチ、コンチキチ、ピヒャラピーヒャラ……のお囃子に合わせて、おかめ、ひょっとこ、天狐、獅子などが踊っています。

 写真を撮りながら、山車と一緒に進みました。
 「しかし、これでは多くの山車は見られない」
 そう判断して、混雑するなかを掻き分け、掻き分け、蔵造りの町並みの仲町交差点に行きました。さらに混雑して立錐の余地もありません。
2基の山車 ひょっとこの踊り
 山車の巡行は各々バラバラなので、いろんなところで山車同士が接近します。
 接近すると、どうなるか。
 ガッシャーンと大激突! そんな剣呑なことにはなりません。
 お互い♪コンコンチキチ、コンチキチ、ピヒャラピーヒャラのお囃子に合わせて、おかめ、ひょっとこ、天狐、獅子が踊りを競います。
 これを「曳っかわせ」といいます。
 競うといっても勝ち負けはなく、いわばエールの交歓のようなもの。ジャズの演奏にも相通ずるものがあり、これが川越まつりの最大の見ものです。

 仲町交差点はいろんな山車が交差するところ。
 おかげで何度も「曳っかわせ」を見ることができました。しかも2基ではなく、3基の競演も。
 なんたるラッキー。
2基での曳っかわせ いっぱいの人(仲町付近)
 その意味ではここに位置取りして正解だったのですが、山車の移動とともに、見物人もドドッと流れてきます。前を塞ぐだけではなく、こちらも押されて、せっかく得た好位置から外されそうになりました。
 「押すなよ!」
 「しょうがないだろ!」
 見物人のなかから怒号が飛び交いました。みんな殺気立っています。
 まつりなのにケンカするなよなー(まつりにケンカはつきものですが)
3基の曳っかわせ 人が押し出されてくる 
 「まあ、いい。3基の曳っかわせは撮ったし」と、私は流れに逆らわず、連雀町方向に歩きました。
 しかしこれがかえってラッキーで、「撮影の方、どうぞ」といわれ、前を歩く手古舞の美少女たちを撮ることができました。 
手古舞の美少女たち 5基での曳っかわせ  
 しかも……。
 連雀町は中心部から外れますが、ここは交差点が広いため、数多くの山車が曳っかわせしました。
 「おッ、4基だ」とよろこんで写真を撮っていたら、背後にもう1基。つまり5基の曳っかわせでした。
 人は多く、移動が大変でしたが、まつり見物としては大満足でした。
 金沢シーサイドラインのところでも取り上げました(参照)が、電車内でものを食べる母子。最近このような光景がやたら目につきます。 
シーサイドラインにて シーサイドラインにて
 10年以上前のことです。
 私が真ん中の席に坐っていると、途中で3歳ぐらいの男児を抱いた母親が乗ってきました。
 すると、となりで本を読んでいた女子学生が母子に声をかけ、「どうぞ」
 「あらまあ、すみませんねえ」
 母親は頭を下げ、男児を抱いたままとなりに坐りました。
 ところが……。

 そのガキ、いや、子どもがソフトクリームをなめています。
 それもきれいになめ切れず、唇から頬っぺたまでクリームがダラーッと多量にはみ出し、それを母親が舌でベロベロなめ取っているのです。

 なんという汚らしい光景か。
 可愛いとか、微笑ましいというものではない。
 あまりにおぞましい! 見苦しい。恥を知れ、恥を。

 それにこちらとしては、クリームがシャツにくっつかないか、気が気ではない。
 くっついたら怒ります。幸い、くっつくことはなかったけど。
 このときは、この母子だけでなく、席を譲った女子学生にも腹が立ちました。
 

 これは山手線での光景。 山手線にて
 ガキがにぎり飯を食っています。その食い方がまったく可愛くない。
 あまり小面憎いので、デジカメでパチリ。
 母親は怪訝な顔をしましたが、こちらも「お前たちこそなんだ、みっともないぞ」という顔で睨み返しました。
 オールバックの人相の悪いオヤジに睨まれて、母親は危機を感じたか、子どもの手を引いて他の車輌に移りました。
                              *
 私の息子は小さいときから、電車内でものを食べたことは一度もありません。
 私自身与えなかったし、息子もほしがらなかった。
 電車内は公共の場。食べるところではない。
 口に出していわなくても、それが当たり前だと思っていました。

 電車内での食事など、よほどの長距離でない限り、本来不要なもの。
 要するに「口寂しい」わけでしょう。
 この口寂しさは、ある種の欲求不満。
 赤ん坊のときから親がじゅうぶんなコミュニケーションをとっていれば、子どもは口寂しさなど感じないものです。
 それができないから、食べ物で機嫌をとる。親の側の屈服です。
 親が屈服すると、子どもは味を占める。これが「口寂しさ」の悪循環。

 私は子どもに対しては甘い父親でしたが、この種の屈服はしてない。
 もっともこれに関しては、妻がきちんと躾けたので、屈服もヘチマもなかったのですが。
 久しぶりの川崎。
 しかも「LA CITTADELLA(ラ チッタデッラ)」なる商業エリア。
 オープンしてすでに10年経ちますが、私がここにきたのは初めて。 チッタデッラ入口 

 風俗取材をしていたころは川崎にもよくきました。
 ここには堀ノ内、南町というソープ街があり、月2ぐらいのペースできていましたが、ソープ以外のエリアは素通り。
 「どうせダサいところだろう」とバカにしていました。   
 メインストリート 噴水広場  
 ところが、あるブロ友さんの写真を見て、「これはバカにできない」
 イタリアの街並を思わせるような景観に惹かれました。
 「LA CITTADELLA」とはイタリア語で、「小さな街」という意味で、イタリアの丘陵につくられた街、ヒルタウンをモチーフにしているそうです。 レストラン街

 もともとここは映画街としての歴史は古く、昭和12年「川崎銀星座」が創業。
 第二次世界大戦では空襲で全焼しましたが、戦後はいち早く再建し、地域の娯楽文化を担ってきました。
 映画館は次第に増え、1987年、川崎に日本初のシネマコンプレックス「チネチッタ」(CINECITTA)が開業し、話題になりました。真実の口? 2階の渡り廊下 

 ローマ(イタリア)郊外にある「CINECITTA」のことは以前から知っていました。
 「翻訳すれば『映画の町』だけど、ローマのそれは撮影のための場所。意味が違うだろう」とバカにしていました。
 ※「CINECITTA」に関しては、フェデリコ・フェリーニ監督「インテルビスタ」(INTERVISTA=1987)に詳しく描かれています。 
階段状の広場 広場。上から見たところ
 そして2002年オーブンオープンの「ラ・チッタデッラ」
 シネマコンプレックスのチネチッタの他にライブハウスのクラブチッタ、さらにショップ、レストラン、結婚式場などが集まって複合商業エリアになりました。 

 「なるほど、イタリアの街並といえないこともない」
 街を歩くオッチャンもイタリア人?
 「ボンジョルノ」なんていったりして。 ボンジョルノ・ベッロ?  

 ライブ演奏もやる階段状の中央広場に腰を下ろす(疲れた?)オッチャンも絵になります。
 やるじゃん、チッタデッラ。これまでバカにして悪かったね。

 中央に高い塔の教会(結婚式場の施設にもなっている)がありますが、イタリアだからカトリックなのでしょうね。 
中央に聳える教会 
 夜は夜で風情がありそうです。

 一昨日(10/17)映画監督の若松孝二さんが他界されました。
 若松さんは今月の12日交通事故に遭われ、入院されてました。それが元になっての死なのか、詳しいことはわかりません。


 同監督は最近では寺島しのぶ主演の「キャタピラー」(2010年)が有名ですが、我われ世代の男にとってはピンク映画の巨匠です。


 学生時代は「映画狂」だった私ですが、娯楽ものはマカロニウエスタンとヤクザ映画が多く、ピンク映画にはそれほど興味なかった。
 それでも友人に連れられて何本か観ました。若松作品は「胎児が密猟する時」(1966)と「犯された白衣」(1967)です。


 そのとき受けた印象は「これはピンク映画ではない」
 とくに「犯された~」は、少年が看護婦の寮に押し入って、色っぽい看護婦をズドンと撃ち殺す。その殺し方もショッキングでした。


 この種のものに関しては、女の欲情が嫋嫋と描かれるものが私の好みですが、これだと暴力的で、あまりそそられなかったように思います。
 「この監督は、エロよりも権力に対する反逆心を主張したいのではないか」
 マカロニウエスタンやヤクザ映画との共通性を感じました。


 数年後、私は新宿の出版社に勤め、娯楽雑誌の編集に携わりました。
 当時我われの編集部は「これまでにない、文化的なエロ雑誌をつくるぞ」と燃えていました。その皮切りが若松孝二監督へのインタビュー。
 取材は原宿のセントラルアパートの若松事務所で行われました。


 最初は、問われるまま映画界に入った経緯などを語っていましたが、
 「若松さんはエロを描きたいんじゃないですよね。なんか、こう、反権力のようなものを……」と私が聞くと、
 「そうなんだよ。だから今、アラブに行ってるんだ」とパレスチナ解放戦線(PFLP)について滔々と語りました。
 そして「いやあ、アラブの人たちって、みんなやさしいんだよねえ。しかも情に篤い」
 私は懸命に書き留めました。編集長はソッポ向いてましたが。


 記事ではPFLPについては省略したものの、彼の主張はほぼ載せました。
 ゲラを見た営業からは文句が出ましたが、編集長は「これで行く」と私を支持してくれました。
 我われには「これが新雑誌の真骨頂」という意気込みもありました。


 しかし雑誌の売れ行きは散々。
 「だからいわんこっちゃない」という営業の発言力が強まり、その後はふつうのエロ雑誌をつくらされる破目に。


 若松孝二さんにはそんな想い出があります。
 ニュース報道ではまだまだ反権力に意気盛んな様子でした。
 それをもっと続けてほしかった。享年76。残念です。

 若松孝二さん、安らかに。

2012.10.18 十月の句会
 一昨日(10/16)は今月の句会日でした。
 今回の私の投句は、

 ①汽車道を歩くふたりの影長し
 ②夕日浴び夫婦無言で鯊を釣り
 ③新米や海苔と醤油で三膳も


鯊を釣る夫婦 
 ①は去年当ブログ「ハマの秋を詠む」(参照)で、「海岸を歩くふたりの影長し」の句の上五を変えました。
 海岸より汽車道のほうが具体的で、影が鮮明に映るのではないかと思ったからです。
 ②は平潟湾で老夫婦が夕日を浴びながら、黙々と釣りをしていた。「なにを釣っているんですか」と聞いたら、「鯊(はぜ)です」
 ③ははそのまんま。なんの工夫もひねりもありません。

 その得票数と先生の評価。
 ①汽車道を歩くふたりの影長し……(0)
 ②夕日浴び夫婦無言で鯊を釣り……(6)〇
 ③新米や海苔と醤油で三膳も……(1)△
 (出句15名)

 私としては①が気に入っているのですが、まったく票が入らず、大して期待してなかった②に票が集まりました。6票は今回の出句では最多得票です。予想してなかった句なので、うれしさも中ぐらい。
 ③はフザケ半分もあるので、こんなものか。 

 先生の評、「①は評価の対象外。季語がない」
 「季語は『影長し』です」と抗議したのですが、「『影長し』なんて季語はありません」と却下。
 エース格のK氏も「そう、これは季語にならない」
 「季語なんて、そんな硬直したことばに拘らなくてもいいじゃないですか」と食い下がると、
 「私も若いころは京一郎さんのような考えだった。しかしね、俳句というのは、季語を使うのが約束事なんですよ」
 まだ青いということでしょうか。

 その代わり②はベタ褒めされました。
 「これはいい。いかにも楽しそうです。ただ、最後は『釣り』ではなくて、『釣る』にしたほうがいい」
 K氏はこの句に一票入れてくれたのですが、それでも「『無言で』というのが気になる。先生は気になりませんか?」
 「『無言で』じゃなければ『黙って』かね。『無言で』でいいんじゃないか」
 私の句をめぐって、先輩方が熱心に論じてくれるとは……。

 「③はね、新米の季節だから、こういう句も出てくると思った。しかし『醤油』は余計だな。海苔に醤油はつき物だからね」
 これにもK氏が「厳密にいうと、海苔も季語なので季重なりです」
 これに対して先生は「それはそうだけど、この場合『新米や』というのが強い季語だから、まあいいでしょう。ただし『三膳も』という下五がよろしくない」
 するとK氏は「むしろ『てんこ盛り』にしたほうがよかった」
 K氏一流の毒舌ですが、『てんこ盛り』とはなあ。

 今回は期待していた句が論外、期待してなかった句が高評価とチグハグなことになりました。
 それにことごとくK氏の苦言(毒舌?)が入ったし。
 毒舌的に絡まれるの、きらいじゃないけど。

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