正月のTV番組は京都の特集も多かった。
 京都のお雑煮は丸餅であるとか、おせち料理は〇〇であるとか、そんなことはどうでもいい。
 お雑煮も、おせち料理も当方にはまったく興味ないから。(関東風であろうとも)
        
 私にとって興味があるのはお寺。
 京都市の出身でありながら、知らない寺院がいっぱいあります。
 その意味で中村芝翫がナビゲートする「京都ぶらり歴史探訪」は面白かった。
 なかでもある寺で保管されている「地獄極楽図」に興味を抱きました。

京都ぶらり歴史探訪①

 これに関連して強烈な印象があるのは、地獄草紙に出てくる「函量所」
 これは生前に計量をごまかして不当な利益を得た者が堕ちる地獄のことで、真っ赤に焼けた鉄の塊を素手で量らされる、これが永遠に続きます。
           

 なぜこの地獄に興味があるのかというと、京都時代、近所にこんな人間がいたからです。
 私より2歳ほど年上のお茶屋の息子でした。
 私はお使いで茶葉を買いにやらされましたが、彼が店に立つと必ず茶葉を定量から減らすのです。(当時は量り売りでした)
 母親は「相手が子どもだと思ってバカにして」と怒ってました。
    
 この店の名誉のためにいっておきますが、御主人(父親)はそんなことは絶対しなかった。(ただしそんな子に育てた親としての責任はあるかも)
 しかし息子はあまりにセコい。大嫌いでした。
 取手の友にいわせると、「そんな人間はキミだけではなく他の人間にもやってるから、みんなから嫌われているはず」とのことでした。
          

 3年前、ある会合でこの人物が亡くなっていたことを知りました。それも40過ぎの若さだったそうです。
 絶句しました。
 後にこの地獄草紙のことを思い出し、不謹慎にも「アイツはこの函量所に堕ちているに違いない」と思いました。

京都ぶらり歴史探訪③

 中学生のとき、体育の授業でサッカーをやったことがありました。
 高いボールが上がったので私はヘディングをしようと頭を突き出しましたが、その瞬間、誰かに「ガツン!」とアゴを蹴らました。
 目から火が出ました。
 「ひどいやないか」と抗議すると、蹴った人間は「オレが蹴ろうとしているところへ顔を突き出すヤツがあるか」
        

 そんなバカな。
 サッカーのルールでは、「キックは肩より高く足を上げてはならない」とされており、彼のように片足を高く上げて蹴る(空手の前蹴りのように)のは明らかにルール違反。
 ところが周囲はみんな「お前(私)が悪い」。それなのに体育の教師はまったく見てなかった。
 こちらとしては憤懣やるかたない。
 いらい私はサッカーが嫌いになりました。(今はそれほどでもありませんが)
                
 それはともかく、私のアゴを蹴った彼は10年ほど前、他界しました。
 「やっぱりなあ」とは取手の友。
 私はこの人物がどんな地獄に堕ちているのか気になります。
 彼がそこで一日中蹴らされるのは、真っ赤に焼けた鉄のサッカーボール……なのでは?

京都ぶらり歴探訪②

 当ブログに私が彦根のことを書くたびに「本当はM子が目当てなのだろう」「ご先祖様は怒っているぞ」とイヤミなコメントを寄こしてきた同窓生。
 この人物も4年前、他界しました。
 取手の友はいいます。「キミに害をなす人間はみんなあの世へ逝くんやな」
          
 あの同窓生は果たしてどんな地獄に堕ちているのか。
 彼の前に置かれているのは真っ赤に焼けた鉄のキーボードで、コメントを打つたびに指がジューッと……悪いぞ、いい気になって。(地獄に堕ちるのは当方です)

 中村芝翫さんのナビゲートする「京都ぶらり歴史探訪」の一場面からどんどん想像が逸脱して、番組の内容とはまったく関係のないものになってしまいました。
 とはいえ、みんな京都時代の人物の思い出ばかり。
 今となってはなんの恨みもありませんが、これが私の「京都歴史探訪」です。合掌。

      

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 京都駅前に大きくそびえ立つ京都タワー。
 といってもこのタワーはビルの屋上にローソクのように立っている。
     

 私は京都出身ですが、ここへは一度も上ったことはなかった。
 しかし今回、上ってみました。
 展望室は地上から100mの高さ。
 大して高くないけど、他に高い建物はないし、京都市自体がこじんまりしているので、市街地が見渡せます。

展望室  

 先ずは私の住んでいた北東方向。吉田山が見えます。

北東方面 

 反対の南西方向は大坂の方向。

南西方面 

 南東の足元にはJRの東海道線、新幹線のレールが見えます。

南東方面 

 このタワーの開業は昭和39年(1964年)
 当時は建設前から喧々囂々でした。
 「京都の景観を損なう」
 「観光の新しい目玉になる」
     

 高校生の私は傍観者でしたが、できたタワーを見て笑いました。
 「これが観光の目玉かよ」
 上るのもバカバカしい。同世代はみんなそうだったと思います。
       

 その後私は京都を離れ、「関東人」の立場から京都を見ていますが、それでもこのタワーに関しては冷淡でした。
 今回はなぜか「一度ぐらい上ってやろう」という気になりました。(冥途の土産?)
    

 そうこうしているうちに西の空には夕焼けが。

展望室から見る西の空 

 そして市街地に灯りが点りました。

夜景(北方向) 

 うーん、こういう観光もありかな。

京都駅から見る京都タワー 

 夜空にそびえるタワーもなかなかのもの。

 今回の関西旅行は、同窓会を絡めての大坂1泊・京都2泊の旅でした。
 そのうち京都の2泊は友人のケアハウスのゲストルームを利用。

ケアハウス 

 彼は数年前から持ち家をさっさと娘の家族に譲って市内伏見区のケアハウスに入り、そこからほとんど毎日碁会所に通って、ひとり暮らしを楽しんでいます。

屋上    

 駅で待ち合わせて、彼のケアハウスへ行ってびっくり。
 「建物はしゃれているけど、周囲は田んぼばっかりやないか。こんな田舎によう住んでるなあ」
 「はははは。みんなにそういわれるけど、田園生活もええもんやで」
 市街地に住んでたころは居酒屋によく行ったけど、ほとんど行かなくなったといいます。

中庭

 彼の部屋は6畳の和室にキッチン・トイレ付。
 ひとり暮らしにはじゅうぶんでしょう。同じ階に談話室があるし、親戚などが泊まるときはゲストルームがある。
 そのゲストルームは6畳の和室にトイレ付。1泊1600円+シーツ代500円。

西方向(第二京阪道路) 

 食事は3食賄付きで下の食堂で食べるそうですが、不要のときはあらかじめ報告しておくと、その分食費がもどってくるそうです。
 「最近は朝昼兼用で自炊してるから、かえって安上がりや」

北方向   

 二日目の朝、屋上を案内してくれました。
 伏見区の市街が見渡せます。
 「なかなかの見晴らしやろ。京都駅も見えるし」
 「なるほど。それにしても田んぼばっかりやな」
 「きた当時は寂しかったけど、慣れるとなかなかええもんや」

東方向   

 田んぼ以外なにもないけど、私鉄の駅から12分ぐらい。意外に便利。
 (もっとも彼の足は車とバイク)
 今後もお世話になると思います。2泊で3700円は安かったし。


 青龍殿は青蓮院(天台宗)が東山の山頂に新たに(平成28年=2014)建立したお堂。
 堂内には青不動(国宝)が祀られ、祈祷や受講の場にもなっています。

青龍殿   

 その近くにある将軍塚。
 ここは四条通の真上に位置し、桓武天皇がここから下界を見て都にすることを決め、将軍の像に甲冑を着せて埋め、都の安泰を祈ったと伝えられています。

将軍塚   

 近代では、東郷元帥、黒木大将、大隈重信などのお手植えの松と石柱があるそうです。

将軍塚と青龍殿 

 青龍殿の庭園は回遊式、枯山水の手法が用いられた味わいのある庭園です。

青龍殿庭園・枯山水 

 圧巻は、青龍殿の裏につくられた大舞台。
 総面積1046㎡は清水の舞台の4.6倍の広さとか。

大舞台 

 なるほど、京都の市街地が見渡せます。

大舞台から見る京都市街地 

 それにガラスの茶室。
 これも珍しい。

ガラスの茶室 

 昔からの寺院を保存して観光地とする京都ですが、こんな新しいものができているとは。
 ここへ車で連れてきてくれた友人に改めて感謝です。

 ♪京都 大原 三千院~
 京都の南からいきなり北に飛びました。
  

 私は京都市出身でありながら、ここへきた記憶がない。
 大原・三千院は中学のマラソン大会(適応遠足)でコースにはなっていたけど、なかに入ったことはないし、学校の遠足にも、個人としてもきた記憶がない。
 出版社に勤めていたころ、同僚と銀閣寺→詩仙堂→曼殊院を巡って、さらに市バスで北に行ったけど、あれは寂光院だった?
  

 今回は友の車に乗せてもらって、ここの参道を歩いたとき、「ここへきたのは初めてだ」と確信しました。

茶店の並ぶ参道   

 三千院は天台宗の寺院で、山号は魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、創建は最澄。

三千院・御殿門 

 なんといっても庭が素晴らしい。
 この客殿から見る庭は聚碧園(しゅうへきえん)といって、池泉観賞式庭園です。

聚碧園   

 そして宸殿前から往生極楽院にかけて広がる庭は有清園。池泉回遊式庭園です。

有清園(奥に見えるのは往生極楽院) 

 「回遊式はなんとなくわかるけど、観賞式とはなんや?」
 「ただ観賞しとったらええちゅうこっちゃ。それだけ景色がええのや」
 「なるほど」

   

 往生極楽院。
 寺伝では「往生要集」の著者・源信が寛和2年(986)が父母の菩提のため姉の安養尼とともに建立したとか。
 これを拝めば当方も極楽浄土へ行けるかな。

往生極楽院

 いずれにしても庭が素晴らしい。

紫陽花苑 

 こんないいところへ一度もこなかったというのは(京都出身者として)忸怩たる思いですが、それでも人生の晩年にこれたというのは本当によかった。

さつき