会は12時にはじまって午後3時に終わりましたが、20人近くがまだ別れ難く(?)下の喫茶ラウンジに集まりました。
 私の近くに坐ったのは京都からきた男(この人は長年幹事をやっていた)と横浜在住の男のふたり。
 「コーヒー500円は高いな」
 「税込みで500円だろ。東京ではそれほど高くないぞ」
 「鎌倉はもっと高い。小町通りの喫茶店なんか600~800円がふつうや。雰囲気は京都に似てるけど」
  

 しばらくはコーヒー談議になり、横浜男はDやⅤなど安いコーヒー店の味についての持論を展開。さらに「マックの100円コーヒー、最近は美味くなったよ。それにコンビニのコーヒー、あれも意外にイケる」
 安いコーヒーに精通していることがわかりました。美味いのはわかったけど、敢えて飲みたいとは思わないなァ。(悪いけど)
   

 「そうや、母校の近くに『しゃんくれーる』(ジャズ喫茶)があったなあ。行ったことあるか」
 「いや、高校時代は行かなかった。行ったのは社会人になってからや」
 これについては、以前「ジャズ喫茶・マイルス」で述べたことがありますが、私が新宿の出版社に勤めていたとき、マイルスで知り合った友人(上智→関学)と京都で会い、熊野神社近くの料理屋で食事したあと、荒神口まで歩いて「しゃんくれーる」に入りました。ジャズ喫茶は2階で、1階はクラシック。
 この友人はマイルスではFreddie Hubbardの「BACKLUSH」をよくリクエストしていましたが、音楽全般に精通しており、このとき入ったのは1階、しかもリクエストしたのはワーグナーの「マイスタージンガー」。いわく「音楽の神髄は同じだ!」
 そんなことを彼らに話しました。

集合写真   

 いろいろ話しているうち、京都の男と横浜の男がカントリー・ウエスタンに精通していることがわかりました。
 「昨日も名古屋でカントリー仲間の集まりに行ってきたところや」
 と横浜男がスマホで写真を見せてくれました。スクエアダンスの光景です。
 「これはジミー時田の世界だね」と私がいうと、「古いことをいうヤッちゃな」
 「でも関内に『ジミー時田の店』があったよ」
 「いや、あれはもうなくなった」
 「そうだったっけ」
  

 すると京都男が「京都にも宝ヶ池の近くに『ホンキートンク』というカントリーの店があるよ」
 「えッ、Honkytonk!」
 私は俄然色めき立って、この前観たクリント・イーストウッドの「センチメンタル・アドベンチャー」(原題「Honkytonk Man」)のことをしゃべりまくりました。

 Honkytonkとは調子はずれのカントリー(曲)のことで、カントリーを流す居酒屋をも指し、さらにHonkytonk Manとは流しのカントリー歌手のこと……など(むろん彼らは承知のことだろうけど)。そして話はマーティ・ロビンスにも及びました。
 「ああ、『ホワイト・スポーツ・コート』はよう聴いた」
 「あれもええけど、ぼくは『エル・パソ』が好きやった」
 そして、♪ラララリラ、ラララリラ……と口ずさみました。
 これには横浜男があきれたように、「よう知っとるなあ」
   

 私はすっかりうれしくなり「これで私もカントリー仲間に入れてもらえますか」
 「もちろんや、そこまで知ってたら大したもんや」
 つい先日映画で仕入れた知識がこんなところで役に立とうとは。
  

 彼らには「変なヤツ」と思われたかもしれないけど、私としては大満足。
 「オマケの人生も捨てたものではないわい」
 にんまりしながら帰途につきました。

     

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 スピーチでは癌の体験話の他には、車に轢かれて九死に一生を得、「今はオマケの人生やと思ってます」という女性と、高齢者雇用事業団の役員をしている人の「今、我われの世代は『あなたたちがバブルで浮かれ騒いだツケが我われに回っている』と若い世代から突き上げられています」とのことばが印象に残りました。
   

 人生の晩年になって、若い世代から突き上げを食らうとは。
 が、それもオマケの人生とあらば文句はいえまい、と結びつけて考えてしまいました。
 もっとも当方はなにひとつバブルの恩恵に授かったことはなかったのに。
   

 私の右隣りは(昨日述べた)膀胱癌の女性ですが、左隣はセーター姿の風貌怪異な人。
 最初はまったくわからなかったのですが、他の同窓生から「F君」と呼ばれているのを聞いて、「あッこの人か!」
 この人はギターの名人で、その才能を活かして音楽関係の会社に勤めたと人づてに聞いたことがあります。また友人の話では、「こいつは男前やったから、女にモテた」
    

 そこで手はじめに当時聴かせてもらったギターの演奏について話しかけました。
 「あの『禁じられた遊び』、よかったなあ。こんな上手い人がいるのかと思ったよ。本家のナルシソ・イエペスばりやった」
 「いやいや、そんなこと……」
 といいながらも満更ではなさそう。
 「本当だよ。あなたの演奏を聴いてギターを断念したヤツもいるぐらいや」
 「本当ですか」
  

 彼の話によると、ギターを始めたのは中学生のころからで、高校時代はギターに没頭し、卒業してからは桐朋学園大学・音楽部に進学し、さらにボストンのバークリー音楽大学に進んだとか。
 「桐朋もバークリーもレベルの高いところですね。そこでなにを勉強されたのですか」
 「主にギターと作曲です。さだまさしの『亭主関白』のプロデュースを手がけました」
 「えーッ、あの『亭主関白』を……」

同窓会の様子②    

 ギターについては私も思うところがあって、
 「ロス・インディオス・タバハラス、知っているでしょ。『マリア・エレーナ』で有名な。あの人たちの弾くショパンの『幻想即興曲』聴いたことありますか」
 「いや」
 「あれは凄い。そもそも『幻想即興曲』自体、ピアノでも難しい曲とされているのに、あれを一音も省くことなくギターで弾いているのだから」
 「へエー、それは凄いな。ぼくはそこまではできん」
 「いや、あなたなら弾けると思うよ。なにごともチャレンジや」
 「そやろか」
  

 しゃべっていて感じたのはこの人、音楽の話になると熱中するけど他のことにはあまり関心がなさそう。みんなの前でスピーチもしたけど、なにがいいたいのかさっぱりわからない。
 話し終わってから、隣の同窓生(付き添い?)に促されて「最近では映画『宮沢賢治・星めぐりの町』の音楽を担当しました」と付け加えました。
   

 朴訥ともいえるけど、どこか浮世離れした感じもする。
 服装にしてもセーターによれよれのチノパン、ズック靴というラフな格好で、「身なりに無頓着な芸術家」といえなくもないけど、この齢になっては何となくみすぼらしい。
 こんな彼が「女にモテた」とはとても信じられない。
 そもそも私はあまり親しくなかったので、当時の彼についてはよくわからなかったのですが。
      

 会はけっこう盛り上がって散会となりましたが、彼がコートを着て会場をあとにしようとしたとき、右隣りの席にいた女性が「それ、私のコートです」
 いわれても彼はきょとんとしている。
 見れば双方黒のカシミアのコートで似てるといえば似てるけど、女物と間違えるか。
   

 芸術家とはここまで浮世離れしたものか、と思ったのですが、当時の彼をよく知る友人にいわせると「若いころはあんなではなかった。あれはもうボケが入っとる」とのこと。
   

 思わぬハプニングですが、これがこの齢になっての同窓会の現実。
 楽しかるべき同窓会にも一抹の不安がよぎりました。明日はわが身?
 それともこれが「オマケの人生」というものなのか。
    


 先週の土曜日(02/17)御茶ノ水「ガーデンパレス」にて高校の同窓会が行われました。
 私は高校までは京都ですが、関東にも同窓生が数名いて、2~3年に1回ぐらい開催されます。
 今回の出席者は28名。インフルエンザでのドタキャン欠席者が数名あったとか。
 実は私も「この寒さでは(出欠を)どうするか」と迷ったぐらいですから。

同窓会・会場   

 受付で声をかけられました。
 「あんたはこっち(関東)へきてどれぐらいになる」
 「もう半世紀以上だよ。骨の髄まで関東人だなあ」
 「それでもイントネーションに関西訛りが残ってるね」
 「うん、とくに同郷者としゃべるとね。これが実に腹立たしい」
 「はははは」
     

 「よくTVなんかで京都の特集をやるやろ。『あれッ、こんなとこあったんか』と思うことがようあるわ」
 「わかるわかる、ワシかてそうや」
 「ほんま、早いうちからこっちくると、ほとんど京都のことなんかしらんのや」
 「そうやなあ。今ごろになって京都のよさがわかったりして」
 「それや。去年なんか〇〇さん(同窓生の女性)に『京都を捨てたらあかんえ』と怒られた」
 「はははは」
   

 会がはじまって一人ひとりのスピーチになると、ほとんどが病気の話。それも癌。
 なかには「3ヶ月前、胃癌の手術をしたばっかりです」と杖をついてやってきた人も。
 そこで司会者が癌体験者の挙手を求めると、半数近くが手を挙げました。

    

 「私なんか癌になったのは早いほうだったと思う。40代半ばだったから」
 とは右隣りの席の女性。
 「どこの癌?」
 「膀胱癌です」
 「えッ、それは大変や。それで手術したの」
 「一部ね。最初の病院では『全摘手術です』といわれて、いくら何でもそれはいややと病院替えて診てもらったら、部分的な手術で済んで、その後投与された抗癌剤が私に合ってたみたい」
 「今は何ともない?」
 「ええ、大丈夫です」
 「それはよかった。でも、どうして癌だとわかったの」
 「血尿が出たから。それでびっくりして」
 「なるほど」

同窓会の様子①  

 私の遠慮会釈のない問い(職業病?)に彼女はよく答えてくれました。
 排泄器官の病気ともなれば答えづらいし、しかも女性、そもそも排泄関係の障碍は人間の尊厳に関わることだけに、その悩みは深刻だったと思われます。人によっては生きる気力をなくすといいます。
 今はごくふつうにしゃべっているけど、当時は何度も地獄を見たのではないか。
 もっとも我われぐらいの齢になると、「病気についてはお互いさま」という共通認識があるので隠すことはなにもない。それに人に語ったほうが、病気に立ち向かえる気力が生まれ、快方に向かえるという面もあります。
   

 同じようなことは私も体験しています。
 もっとも私の場合は癌ではなくて骨折ですが。
 5年前ひどい骨折事故を起こして入院したとき、あまりの姿に「どうされましたか?」と多くの人に聞かれました。半分は好奇心もあったと思いますが、私はそれらの問いに正直に答えました。
 それによって自分を客観視することができ、傷害に立ち向かう気力が沸き起こってきました。
   

 そのことを私もスピーチで述べました。

      

 正月のTV番組は京都の特集も多かった。
 京都のお雑煮は丸餅であるとか、おせち料理は〇〇であるとか、そんなことはどうでもいい。
 お雑煮も、おせち料理も当方にはまったく興味ないから。(関東風であろうとも)
        
 私にとって興味があるのはお寺。
 京都市の出身でありながら、知らない寺院がいっぱいあります。
 その意味で中村芝翫がナビゲートする「京都ぶらり歴史探訪」は面白かった。
 なかでもある寺で保管されている「地獄極楽図」に興味を抱きました。

京都ぶらり歴史探訪①

 これに関連して強烈な印象があるのは、地獄草紙に出てくる「函量所」
 これは生前に計量をごまかして不当な利益を得た者が堕ちる地獄のことで、真っ赤に焼けた鉄の塊を素手で量らされる、これが永遠に続きます。
           

 なぜこの地獄に興味があるのかというと、京都時代、近所にこんな人間がいたからです。
 私より2歳ほど年上のお茶屋の息子でした。
 私はお使いで茶葉を買いにやらされましたが、彼が店に立つと必ず茶葉を定量から減らすのです。(当時は量り売りでした)
 母親は「相手が子どもだと思ってバカにして」と怒ってました。
    
 この店の名誉のためにいっておきますが、御主人(父親)はそんなことは絶対しなかった。(ただしそんな子に育てた親としての責任はあるかも)
 しかし息子はあまりにセコい。大嫌いでした。
 取手の友にいわせると、「そんな人間はキミだけではなく他の人間にもやってるから、みんなから嫌われているはず」とのことでした。
          

 3年前、ある会合でこの人物が亡くなっていたことを知りました。それも40過ぎの若さだったそうです。
 絶句しました。
 後にこの地獄草紙のことを思い出し、不謹慎にも「アイツはこの函量所に堕ちているに違いない」と思いました。

京都ぶらり歴史探訪③

 中学生のとき、体育の授業でサッカーをやったことがありました。
 高いボールが上がったので私はヘディングをしようと頭を突き出しましたが、その瞬間、誰かに「ガツン!」とアゴを蹴らました。
 目から火が出ました。
 「ひどいやないか」と抗議すると、蹴った人間は「オレが蹴ろうとしているところへ顔を突き出すヤツがあるか」
        

 そんなバカな。
 サッカーのルールでは、「キックは肩より高く足を上げてはならない」とされており、彼のように片足を高く上げて蹴る(空手の前蹴りのように)のは明らかにルール違反。
 ところが周囲はみんな「お前(私)が悪い」。それなのに体育の教師はまったく見てなかった。
 こちらとしては憤懣やるかたない。
 いらい私はサッカーが嫌いになりました。(今はそれほどでもありませんが)
                
 それはともかく、私のアゴを蹴った彼は10年ほど前、他界しました。
 「やっぱりなあ」とは取手の友。
 私はこの人物がどんな地獄に堕ちているのか気になります。
 彼がそこで一日中蹴らされるのは、真っ赤に焼けた鉄のサッカーボール……なのでは?

京都ぶらり歴探訪②

 当ブログに私が彦根のことを書くたびに「本当はM子が目当てなのだろう」「ご先祖様は怒っているぞ」とイヤミなコメントを寄こしてきた同窓生。
 この人物も4年前、他界しました。
 取手の友はいいます。「キミに害をなす人間はみんなあの世へ逝くんやな」
          
 あの同窓生は果たしてどんな地獄に堕ちているのか。
 彼の前に置かれているのは真っ赤に焼けた鉄のキーボードで、コメントを打つたびに指がジューッと……悪いぞ、いい気になって。(地獄に堕ちるのは当方です)

 中村芝翫さんのナビゲートする「京都ぶらり歴史探訪」の一場面からどんどん想像が逸脱して、番組の内容とはまったく関係のないものになってしまいました。
 とはいえ、みんな京都時代の人物の思い出ばかり。
 今となってはなんの恨みもありませんが、これが私の「京都歴史探訪」です。合掌。

      

 京都駅前に大きくそびえ立つ京都タワー。
 といってもこのタワーはビルの屋上にローソクのように立っている。
     

 私は京都出身ですが、ここへは一度も上ったことはなかった。
 しかし今回、上ってみました。
 展望室は地上から100mの高さ。
 大して高くないけど、他に高い建物はないし、京都市自体がこじんまりしているので、市街地が見渡せます。

展望室  

 先ずは私の住んでいた北東方向。吉田山が見えます。

北東方面 

 反対の南西方向は大坂の方向。

南西方面 

 南東の足元にはJRの東海道線、新幹線のレールが見えます。

南東方面 

 このタワーの開業は昭和39年(1964年)
 当時は建設前から喧々囂々でした。
 「京都の景観を損なう」
 「観光の新しい目玉になる」
     

 高校生の私は傍観者でしたが、できたタワーを見て笑いました。
 「これが観光の目玉かよ」
 上るのもバカバカしい。同世代はみんなそうだったと思います。
       

 その後私は京都を離れ、「関東人」の立場から京都を見ていますが、それでもこのタワーに関しては冷淡でした。
 今回はなぜか「一度ぐらい上ってやろう」という気になりました。(冥途の土産?)
    

 そうこうしているうちに西の空には夕焼けが。

展望室から見る西の空 

 そして市街地に灯りが点りました。

夜景(北方向) 

 うーん、こういう観光もありかな。

京都駅から見る京都タワー 

 夜空にそびえるタワーもなかなかのもの。