八重洲北口から神田方向に進むと「しはくこちい」の親柱が見えます。これが日本橋川に架かる一石橋。
一石橋(橋を横切るのは首都高速)   
 橋そのものは新しく架け替えられた(平成12年=2000竣工)ものですが、古い親柱(大正11年=1922竣工)が渡ったところ(神田側)に残されています。
古い親柱   
 この界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようで、ここに「迷子しらせ石標」(告知板)がありました。これは湯島天神の境内にも見られます。
     
 一石橋を渡るとすぐ左に常盤橋があります。
 これは日本橋川がカーブしているため。
常盤橋 
 常盤橋から一石橋が見えます。
常盤橋から見る一石橋 
 その向かい側の西詰には渋沢栄一の銅像が立っています。
 渋沢 栄一(1840~1931)は元幕臣。明治になって様々な企業の設立・経営に携わり、「日本資本主義の父」ともいわれた人。青淵は雅号。
渋沢栄一像 
 渋沢は政財界で活躍したものの、財閥をつくらなかった。「私利を追わず公益を図る」との信念を貫き通しました。
        
 常盤橋はもともと江戸城防御のための橋でしたが、明治10 年(1877)に洋式2連の石造アーチ橋(通称 眼鏡橋)に架け替えられました。現存する東京最古の石橋です。
   
 とはいうもののこのすぐ近くで大掛かりな工事をやっています。
 説明書きを見ると常盤橋の復旧工事。あれッ、今の橋は常盤橋じゃないの?
工事中の常盤橋   
 このあたりは日本橋川の上を首都高速都心環状線が走っていて、歴史との位置関係がよくわからない。
 常盤橋の復旧工事は平成29年度完成予定というから、それを見れば少しは納得できるのかな。
  
 ちなみにこの向かいは日本銀行本店本館の裏側です。
日銀本店 
スポンサーサイト

 昨日(05/11)は所用で東京都内へ。
 まずは丸の内仲通り。

 日比谷通りに平行し、大手町~有楽町を結ぶ全長1.2kmの通りです。
 道幅は21mですが、歩道が広く(片側7m)、所どころにベンチが設置され、両側には街路樹が植えられ、あちこちに銅像やオブジェが。ここは道路というよりちょっとした公園。

丸の内仲通り① 

 さらに11~15時は「アーバンテラス」といって、車は通行禁止。
 「丸の内仲通りは、テラス空間に。自由にお過ごしください」
 とのことで完全に歩行者天国。
 2年前は12~13時だったのに大幅に増えた。けっこうなこと。

丸の内仲通り②   

 この日は、数人の係員が小さな舞台をつくったり、撮影や音声の機材を設置していたので、「なにかイベントでもやるのかな?」と思っていたところ、夕方のニュースを観るとラジオ体操でした。

ラジオ体操の準備?   

 この通りから少し有楽町寄りに「丸の内ブリックスクウェア」という広場があります。
 ここは明治27年(1894)に建てられた丸の内初のオフィスビル三菱一号館のあったところで、7年前(2010)に三菱一号館美術館としてリニューアルされた際にできた空間を利用した広場です。

丸の内ブリックスクウェア①   

 噴水と水のせせらぎ、芝生と花壇、それらをつなぐ遊歩道。これらが上手く融合して都会のオアシスになっています。

丸の内ブリックスクウェア②   

 都会のど真ん中、しかもオフィス街にこんな緑があったのか。
 ここへくるたび、「東京も捨てたものではない」と実感します。

丸の内ブリックスクウェア③   

 ハンバーガー食すベンチに若葉風
      
 ここで食べるハンバーガーはまた格別。
   

 聖路加国際大学より海岸側は聖路加国際病院ですが、立ち入るのは遠慮して、その先の聖路加ガーデンに入りました。

聖路加タワー   

 聖路加ガーデンは1994年に開業した複合施設で、2棟の超高層ビルで構成されています。
 「たしかここに展望台があったはずだが……」
 ホールにいたガードマンに聞いてみると、今は閉鎖され、レストランになっているとか。
 なるほど、そういうことか。

聖路加ガーデン(ホール)   

 展望室はなくてもオフィス棟とホテル・レジデンス棟を結ぶブリッジから展望できるとのことですが、どうしても見たいわけでもないので外のテラスに出ました。

聖路加ガーデンのテラス   

 目の前を隅田川が流れています。
  

 水上バスも。

隅田川の水上バス  

 ♪春のうららの 隅田川 
 のぼりくだりの 船人が
 櫂のしづくも 花と散る
 ながめを何に たとふべき
  

 上流側の橋は佃大橋。その向こうに建っている高層ビルは大川端リバーシティ21。
 その左に見える斜張橋は中央大橋です。

隅田川と佃大橋   

 ♪錦おりなす 長堤に
 暮るれば昇る おぼろ月
 げに一刻も 千金の
 ながめを何に たとふべき
 (歌詞と今の景色とは雲泥の差があります)
  

 冥府より我にこと問ふ初ざくら
  

 楽しみにしていた桜を観ずに逝った知人もいたなあ。

 明石小学校の南側は聖路加(ルカ)国際大学の敷地。

聖路加国際大学   

 ここは明治8年(1875)~23年(1890)の間アメリカ公使館が置かれたところで、その前まで元麻布の善福寺に置かれていたのを、この外国人居留地内に新築され、初めて公使館らしい形容が整えられました。
 公使館は明治23年(1890)赤坂の現在地に移転され、現在の大使館に至っていますが、その跡地であることを示すため、星、白頭鷲、星条旗の3個の石標が残されました。

星   

 白頭鷲はアメリカの国鳥。星条旗に彫られた13の星は米国初期の13州のことです。

白頭鷲 星条旗   

 その奥に山小屋風の洋館が建っていますが、これはトイスラー記念館。 
 トイスラーとは聖路加病院の創立者ルドルフ・ボリング・トイスラー(1876~1934)博士のこと。
 彼は明治33年(1900)25歳のとき、米国聖公会宣教医師として来日。
 翌年、日本初の近代型医療施設の聖路加病院 (聖路加国際病院の前身) を開設し、初代院長を務めました。
  
 また、明治37年(1904)には聖路加看護婦学校発足を発足させ、専門技術と知見を備えた看護職の育成に務め、日本の近代医療に大きく貢献しました。
 聖路加看護婦学校はのちに聖路加国際大学になり、今日に至っています。
 そのトイスラー院長は昭和9年(1934)聖路加国際病院で死去。享年58。

トイスラー記念館   

 この記念館は、昭和8年(1933)聖路加国際病院の宣教師館として建設されたものを解体し、平成10年(1998)に移築復元されたものです。非公開。
  

 トイスラー博士、初めて知りました。日本の近代医療発展の陰にこんな人がいたとは。
 もし長生きされていたら、後の太平洋戦争をどのように思われたでしょうか。

キャンパスの早咲き桜   

 キャンパスにまだ若木の早咲き桜が咲いていました。(03/24現在)
  

 医の道を託して彼岸桜かな

2017.03.25 明石町を歩く

 おッ、咲いてる、咲いてる。
 といってもソメイヨシノではありません。これは陽光桜。
 天城吉野と寒緋桜との交配で作出された品種だそうです。
 なるほど、だからピンクが鮮やかで、咲く時期が早いのか(03/24)。

陽光(築地川公園)    

 この場所は、なにを隠そう、築地川公園。昔は川だったところを公園にした。
 町名でいえば、東京都中央区明石町。ほとんど聖路加国際病院の敷地です。
 そしてこのあたりは「歴史の道」ということで、いろんな碑が立てられています。

聖路加病院   

 まず「芥川龍之介生誕地」の碑。(といっても解説の看板のみ)
 「えッ、こんなところで生まれたの?」と思われるかもしれませんが、この付近に牧場があって、その経営者・新原敏三の長男として生まれたのが龍之介。しかし家庭の事情で生後7ヶ月にして母方の親戚・芥川家に引き取られ、養子になりました。
 東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、「地獄変」「羅生門」「或阿呆の一生」など、多くの名作を残しました。横須賀・吉倉公園の「蜜柑」も。

芥川龍之介の生誕地   

 さらに行くと「浅野内匠頭邸跡」の石碑があります。
 ご存じ「忠臣蔵」の原因となった殿様ですが、江戸城中で刃傷沙汰を起こし、即日切腹。江戸屋敷、領地は取り上げられ、浅野家は断絶しました。

浅野内匠頭邸跡   

 またここは明治になって外国人居留地が設置されたところであり、明石小学校の角にはレンガ塀とガス灯の遺構が保存展示されています。

築地外国人居留地跡とガス灯   

 外国人居留地でも、商館が多かった横浜や神戸と異なり、公使館や領事館、宣教師・医師・教師などの知識人が多かったそうです。

居留地時代のレンガ塀遺構 

 文明開化の場所といっても、ここは横浜とはまた違った趣があります。
  

 新入りの宣教師も見し江戸彼岸