次に栗東の歴史研究家に案内されたのは大津市の北方、坂本にある西教寺(さいきょうじ)。
 天台真盛宗の総本山で、山号は戒光山、本尊は阿弥陀如来。
 創立者は聖徳太子とする説もあるが不明、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えたそうです。(Wikipedia)
境内 
 総門をくぐると、一本の長い参道(上り坂)。左右に六つの子院が並んでいます。広い。
参道 子院
 参道をまっすぐ進むと勅使門に突き当たります。
勅使門 

 その左に宗祖大師殿があり、可愛い少年像が。
 これは宝珠丸といって、宗祖真盛大師の少年時代の像。
 「これがワシの少年時代や」
 「それが今は翁の面被ってるんか」
 「そうや、なにをいわすねん」
宝珠丸(真盛上人の少年時代) 
 奥の小高くなった場所から琵琶湖が見渡せます。
 「今日は曇ってるけど、晴れると琵琶湖の景観がええのやで。この楼門から見る琵琶湖が一幅の絵や。春は桜も見事やし」
楼門から見る琵琶湖 琵琶湖
 さらに高くなったところに本堂。
 ときどき「カーン」と鐘の音が聞こえますが、これはテープではなく、本堂のなかで坊さんが読経の傍ら小さな鐘を叩いています。(見せてもらいました)
本堂 
 ここには明智光秀とその一族の墓があります。
 西教寺は織田信長による比叡山焼き討ちで焼失しました(1571)が、のちに坂本城主となった明智光秀の援助(推定)もあって関係が深く、光秀の死後(おそらく徳川時代になってから)、光秀とその一族の供養塔が建てられました。
明智一族の墓 
 光秀の辞世の句碑があります。
 「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」
光秀辞世の句 
 「これはな、修行の道には順縁と逆縁とあるが、実はひとつで、人間の心の源に達する大道である。わが五十五年の人生の夢もすべて一元に帰するものだ、という意味や」
 「おう、よう知っとるな。さすがや。……なんや、ここに説明書きがあるやんけ」
 「はははは。ばれたか」
 「せやろな。おかしいと思うたで」

 物知りの歴史研究家の鼻を明かしてやろうと思ったけど、すぐネタがばれました。
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 「近くに芭蕉の墓があるお寺があるで。案内したるわ」
 先月、栗東の歴史研究家に案内されて行ったのが滋賀県大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)。
 名の通り木曽義仲公を祀った天台宗系の寺院で、山号は朝日山。本尊は聖観音菩薩。
山門 
 入ってみると意外に境内は狭く、小さなお寺です。
 まずは義仲公のお墓にお参り。続いて巴御前のお墓にも。
義仲の墓 
 説明書きによると、
 「同寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、『われは名も無き女性』と日々供養したことにはじまると伝えられる」
 とのこと。
巴御前の墓
 巴御前は才色兼備の女性なれど武術にも優れた女傑で、粟津の戦い(1184)で義仲公とともに戦死したと思っていたけど、生きていたのか。
 本堂を朝日堂というのは義仲公が朝日将軍と呼ばれていたから。
朝日堂 
 同寺は俳人松尾芭蕉ゆかりの寺でもあり、お墓もあります。
 芭蕉はかねがね義仲の生涯に思いを寄せ、たびたびこの地に滞在し、無名庵で句会も盛んに行われたそうです。
境内 
 「芭蕉が亡くなったのは大坂ですが、この地が好きで、ここに埋めてほしいとの遺言でお墓が建てられたんですよ」
 と境内で知り合った老夫婦に教えてもらいました。
芭蕉の墓 
 境内には、弟子の又玄(ゆうげん)による「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句碑があります。

 見回すと境内の至るところに句碑が建てられています。
 有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」の句碑も。さすが芭蕉ゆかりの寺。
古池や…の歌碑 
 老夫婦によると、大阪御堂筋に「松尾芭蕉終焉の地」の記念碑があるそうです。
 今度行ってみようかな。