横須賀きっての繁華街、中央大通りに「三笠ビル商店街」というビルがあります。全長180m、4階建ての細長いビルで、1階部分に約70軒の店舗が並んでいます。

三笠ビル商店街・入口 

 原型は明治時代末期にできた「大滝町商店街」といわれ、昭和34年(1959)、今のビルが建設されました。当時、日本でも画期的な商店街として注目されたそうです。
 三笠ビルの名は、その様子が戦艦三笠に似ていることからつけられたとのこと。

三笠ビル商店街 

 雰囲気は六角橋商店街に似ていますが、六角橋より道幅は広く、人通りも多い。
 八百屋が3店も入っており、野菜が安いと感じました。以前、バナナを買って帰ったこともあります。

野菜が安い 

 通りのなかほどに「豊川稲荷 成田不動尊」の案内があります。
 そこを曲がりドアを開けると、眼前に赤い手すりの急な石段が迫ります。
 商店街とのギャップに面食らうのですが、上らなければしょうがない。半ばヤケクソで上りました。

上りの石段(右は豊川山の石碑) 

 何段上ったか(200段以上?)、ようやく山門に着きました。

徳寿院・山門 

 ここは寺社一体で「豊川山徳寿院」という曹洞宗のお寺でありながら、明治9年(1876)愛知県の豊川稲荷(円福山妙厳寺)から祭神を分祀したという稲荷神社。同時に成田不動尊の横須賀別院でもあります。

徳寿院・本堂 豊川稲荷・祠

 狭い境内ですが、緑は豊かです。商店街とは別世界。

徳寿院・境内 

 それに高いところに上ってきたので、横須賀の街並が見えます。ただし高い建物に遮られて、視界はそれほどでも。

境内から見る景色 

 ふーむ、よくわからないけど、商店街の商売の神様?
 そんなことを思いながら下山しました。

       

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 どぶ板通りの徘徊は手形のレリーフから(田舎者?)。
 汐入側から入ると、歩道の敷石に横須賀にゆかりのあるミュージシャンなど47人の手形のレリーフが埋め込まれています。

どぶ板通り(汐入側) 

 サックス奏者のMALTAさん。

手形のレリーフ 

 次は向かいの延命地蔵。
 もとは工事の災厄祓いの地蔵でしたが、健康長寿、家内安全、商売繁盛、学業成就に……とそれぞれのご利益地蔵が増え、さらに水子地蔵も加わって、お地蔵さんのデパートになりました。

地蔵のデパート 

 お堂の奥には100体ほどの石地蔵が祀られ、参拝する人の線香が絶えず焚かれています。
         

 この通りはまさに横須賀の原点ともいえるところで、明治以降、帝国海軍の軍港街として賑わいました。
 当時、道の中央にはどぶ川が流れていましたが、人や車の通行の邪魔になるので、海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、どぶ川に蓋をしたことから、「どぶ板通り」と呼ばれるようになりました。(「本町どぶ板通り商店街HP」より)
          

 戦後は米軍が駐留するようになり、米兵相手の飲食店や雑貨店、土産物店が軒を連ねました。
 現在はどぶ川も鉄板もなくなり、暗渠になりました。
      

 そのどぶ板通りを代表する店といえばこのスカジャンの衣料店。

スカジャンの店 

 スカジャンの発祥は、戦後まもなくひとりの米兵がジャンパーの修理を頼んだ際、和風の刺繍を入れてくれとオーダーし、龍の刺繍が施されました。これがスカジャン第一号とか。

ミリタリーファッションが多い 

 米兵相手の店といえば、昔は肖像画の店があちこちにありました。
 これは彼らの首に巻いたペンダントの(恋人の)写真をもとに肖像画を描くという商売で、どの店も繁盛していました。
 しかし、SNSの発達で米兵からの需要が激減し、バタバタと閉店する店が多くなり、残ったのは16号線沿いの「武谷肖像画店」のみ。
 「最近では米兵よりも日本人客のほうが多く、集合写真から肖像画を起こすような仕事が多い」と語られていたのですが……。
 今回通ったところ、もう店はなかった。
 どぶ板通りで似顔絵描きをしているおニイさんの話では、「店主が高齢で閉店になった」とのこと。ときの移ろいを感じます。
         

 スカジャンの店の他はハンバーカーの店が多い。
 それも高い。本格的なバーガーなのかもしれないけど、マックの3倍以上。
 なかには5段重ねというのもあって、価格は5000円以上というからおどろいた。食べる人いるのかね。(大人気! とのことですが)

ハンバーカーの店 

 スカジャンもハンバーカーも当方のような高齢者には関係ないなあ。
        

 それでも、どぶ板通りを感じさせてくれるのは舗道の側溝の蓋。トランペットの図柄が施されています。

側溝の蓋 

 これが妙に味わいがあります。

      

2018.05.17 海辺つり公園

 うみかぜ公園にきたついでに海辺つり公園にも足を延ばしました。
 この公園は海岸べりに500mものボードウォークがあり、まさに釣り人のための公園ですが、場所代は無料。(横浜「本牧海釣り施設」は大人900円)
 猿島が見えますが、ここからだとかなり離れています。

ボードウォーク 

 この日(05/11)はそれほど多くなかったけど、何人かが釣り糸を垂れていました。
 「ここんところ全然釣れねえんだよ」
 「場所が悪いんじゃないかい」
 「じゃ、もう少し奥へ行ってみるかな」
 そんな会話が聞かれました。(奥とはうみかぜ公園寄りのこと)

釣り糸を覗き込む人 

 彼らの話を聞いていて、ちょっぴり羨ましく思いました。
 私が横須賀市民だったら、埒もない(?)徘徊をするより日なが一日ここで釣り糸を垂れるかもしれません。釣れれば晩御飯のおかずにもなるし。

石のモニュメント 

 釣りは30代前半、少しやったことがあります。
 当時勤めていた出版社の営業のオッチャン(10歳年上)に誘われて、江の島や相模湖へ釣りに出かけました。
 釣果そのものは大したことはなかったのですが、釣りの面白さはわかったつもりです。
 その後は釣りをやる余裕がなくなったこともあって途絶えてしまい、せっかく買った道具も手放してしまいました。

展望台 

 そんなことを思い出しましたが、この公園は釣りだけではなく、海を眺めるのも興趣深いものがあります。

展望台から見るボードウォーク 

 展望台から見る景色もなかなかのもの。

釣り船の船着き場 

 余談ですが、昼食は途中の魚がし食堂でとりました。
 頼んだのはメバルの煮つけ定食。
 よく味が滲みて美味かったけど、小骨が多かったのが難点。次回は刺身にするかな。

メバルの煮つけ定食   

 ちなみにこの食堂ではお茶は自分で注ぐのですが、給湯器にはお茶1、お茶2の表示。両方飲んでみたけど、違いがよくわからない。
 給仕のおネエさんに「どう違うんですか?」と聞いたところ、「同じです」といわれ、思わずのけぞりました。

魚がし食堂「はま蔵」 

 食器を返しに行ったとき、リベンジとばかりおネエさんに「お茶2番が美味しかった」といったら、思いっきり笑われました。ちょっと大人げなかったか。

     

2018.05.16 うみかぜ公園

 猿島から三笠桟橋にもどってきたものの、まだ時間があるのでよこすか海岸通りを東に歩き、うみかぜ公園に着きました。
 階段状の親水護岸です。

親水護岸①   

 その先に石で築かれた防波堤があり、一部潮だまりになっています。
 これは水生物を観賞するためですが、採取は厳禁。
  

 こちらは魚釣りをする人。正面に猿島が見えます。

親水護岸②   

 ボードデッキもあって、のんびり海を眺められます。

ボードデッキ 

 芝生には、明治から大正にかけて東京湾防衛のための要塞(海堡)の遺構が保存されています。

大型兵舎の遺構 

 その先にあるレンガ造りの円形花壇は、どことなく古代ローマ風でなかなかの見ごたえです。

円形花壇① 

 よく見るとアーチの中央部分が削り取られています。
 アーチというのは全部塞がってこそ釣り合いが取れ、上からの力にも耐えられるのですが、これで湾曲部分を支えるのはかなりの工夫が要るのではないか。(勝手な思い込み?)

円形花壇② 

 そんなことを考えながら見ていると飽きません。
 またここにはスケボーやバスケットなどスポーツを楽しめるエリアもありますが、私のような年配者はお呼びでない。
  

 オマケは近くのノジマモール展望台から見る港の景色。

ノジマモール展望台  

 この景色もなかなかのものです。

展望台より見る港 


 三笠公園のモニュメントをしげしげと眺めた30分後、私は猿島に向かう船に乗っておりました。

船より見る猿島   

 私はこの猿島とは浅からぬ因縁があります。
 それは5年前(2013年)に遡りますが、猿島に渡るつもりで7月5日朝、三笠桟橋に行ったものの雨で欠航になり、急遽予定を変更して京急で馬堀海岸まで行き、そこから海岸線を走水→観音崎(灯台も)→鴨居漁港→浦賀まで歩きました。
 これはこれで面白かったのですが、その3日後(8日)骨折事故を起こし、手術とギプスで2ヵ月の入院生活を余儀なくされました。そのため猿島は断念。これが何とも口惜しい。
      
 医師からは「元のような生活はできないよ」といわれたのですが、「何としても猿島に渡りたい」一心でリハビリに励みました。
 リハビリは12月に打ち切られましたが、足はそのころから次第に回復し、ふつうに歩けるようになりました。(それでも1日3万歩以上歩くと古傷が痛みますが)

切り通し(兵舎など) 

 そして翌年(2014年)の6月19日、念願の猿島に上陸しました。
 まだ6月だったこともあって乗船客は7~8人(定員200人)。ちょっと拍子抜けしましたが、ひとりで島内を散策し、じゅうぶん楽しみました。
 極端にいえばリハビリの動機づけは猿島にあったわけで、いわば回復の恩人(島?)。上陸することで恩返しができたというわけです。

切り通し(弾薬庫など) 

 その後、猿島に関しては三笠公園やうみかぜ公園などから眺めるだけでしたが、この日(05/11)はなぜかもう一度行きたくなり、(衝動的に?)切符を買っていました。
 「この際、裏を返してやろう」(花柳界の用語です)

レンガ造りのトンネル

 以上、説明が長くなりましたが、その猿島。
 前回に比べると人が多い。総数100人ぐらい。
 なかに7~8人の老人グループもいて、ガイドの人もいます。
 「これは心強い」と思ったのですが、あまりにペースが遅いので、振り切りました。

トンネルの三叉路    

 ほとんど前回と同じコースを歩きました。
 ここは弘化4年(1847)に江戸幕府により国内初の台場が築かれ、明治になって陸軍省・海軍省の所管となり、猿島砲台が築かれ、兵舎や爆薬庫などの要塞施設跡がつくられました。

 それらが今、見学できるというわけです。(これらの軍事施設は実戦には使われなかったとか)

砲台跡 

 第二次世界大戦後はアメリカ軍に接収されましたが、昭和36年(1961)横須賀市に返還され、紆余曲折を経て、平成7年(1995)航路が再開され、翌年には海水浴場が再開されました。

オイモノ鼻広場から見る観音崎地区  

 「猿島」の由来は建長5年(1253)日蓮上人が房総から鎌倉へ渡る途中嵐に遭い、船の進む方向さえ危うくなったとき、どこからともなく一匹の白猿が現れ、船の舳先に立って島へ案内したという言い伝えから名づけられたそうです。(パンフレットより)
 その日蓮上人の洞窟も見られます。ただし、海に向かって急な階段を降ります。

日蓮洞窟  

 ここは縄文時代や弥生時代の土器・人骨が出土し、考古学上でも貴重な場所だそうですが、今は立ち入り禁止。4年前は入れたと記憶しているのですが。

猿島桟橋   

 この猿島、船の便は午後5時まで1時間に1本あるので、たっぷりいるのは可能ですが、1時間もいればじゅうぶん。次の船で猿島をあとにしました。