図らずも「天国の門」はアメリカの恥部ともいえる歴史事実をあぶりだしましたが、ではこの作品は映画としての価値があるのか。私ははなはだ疑問です。
   

 まず、上映時間。全篇3時間30分は長すぎる。
 冒頭の卒業式の場面、さらに闘鶏、ラブシーン、ローラースケート(野球もある)などの場面がだらだらと続きます。
 しかもこれらのシーンは、のちのストーリー展開の伏線になってもおらず、当時の社会風俗がわかるというだけで、長い割にはあまり意味があるとは思えない。
 銃撃戦も「これでもか」というほど長い。
 銃撃戦は西部劇の見どころではあるけど、こんなに長いとうんざりします。

天国の門⑨     

 これは私の推測ですが、「せっかく撮ったのだから切るのは惜しい」と考えたのではないか。
 実際この撮影のために、イギリスのオックスフォード大学へ行ったり(ハーバードには断られた)、町の建物を建てたり壊したり、土地の大規模な灌漑工事をしたり、機関車を遠くから運んできたり、エキストラを大量に動員したりして、制作費が4400万ドル(予算は1100万ドル)に膨れ上がったといいます。そのため意地でも切りたくなかったのでしょう。
   

 しかし見せられる側はいい迷惑。いくら金がかかったシーンか知らんけど、退屈極まりない。
 この制作費のおかげでユナイテッド・アーティスツは莫大な赤字を出して倒産しました。(Wikipedia)
    

 時間の長いのもさることながら、登場人物の設定も腑に落ちない。
 ジムとビリーはハーバード大出身の超エリートだけど、ボストンなどの都会で仕事するのではなく、なぜ学歴の必要がない西部にやってきたのか。
   

 とくにジムは卒業してから20年間、なにをやっていたのか。保安官をしていたのだろうか。
 保安官が悪いというのではないが、法律の知識だけではなく、射撃や格闘など武力を求められる。ジムの銃の腕前は大したもので、娼家を乗っ取って乱暴狼藉を働いていた数人の傭兵をあッという間に撃ち殺した。どこで腕を磨いた? まさかハーバードではあるまい。
 彼は移民殺戮には反対のようだが、態度が煮え切らない。保安官という立場からだろうか。
 それならもっと上の政治家に掛け合って、円満な解決法を提案できなかったのか。ハーバードでの経歴や知力がちっとも活かされてない。

天国の門⑩    

 ビリーも変だ。卒業生を代表してスピーチするほどだから、首席で卒業したのだろう。
 そんな彼がなぜ西部で一介の牧畜業者なのか。
 牧畜業が悪いわけではないが、彼のような知力の持ち主なら、畜産協会をもっといい方向に導くような指導力を発揮できなかったのか。あるいはそこから議員に立つとか。
 ビリーも内心では移民殺戮には反対のようだが、その意見を述べるわけでもなく、唯々諾々と従い、酒浸りの生活に明け暮れている。
 挙句の果ては銃撃戦では成り行きで傭兵たちの陣に入り、自らは銃をとらないのに、移民たちの銃弾に倒れる。これではハーバード大の知性が泣くというもの。
   

 マイケル・チミノは、「ハーバードの知力をもってしても、この問題は解決できなかった」といいたいのだろうか。それとも「ハーバードといっても大したことはない」ってか?
  

 畜産協会に雇われた殺し屋ネイト・チャンピオンも不可解。
 牛泥棒した移民を冷酷に殺戮し、移民に対して激しい憎悪を抱いているにも関わらず、「若い人間は殺したくない」とイキがってみせたり、移民に対して「母国へ帰れ」と見当はずれの悪態をつく。言動がチグハグである。
 恋敵のジムは敵対する立場なのに、激しい対決姿勢が感じられない。
 恋人のエラが粛正リストに入っていることに激怒し、畜産協会の上層部の男を射殺するのも変。そんな簡単に立場を変われるのか。相手は雇用主なのに。
  

 エラも解せない。
 同時にふたりの男を愛せるのか、しかも男同士もわかっていて。さらに客をも取っている。
 それは彼女の「娼婦性」として納得するとしても、揚げ代は現金だけではなく、盗んだ牛でもOKというのも首を傾げる。
 これでは最初から畜産協会にケンカを売っているだけでなく、犯罪を助長している。保安官のジムは注意しなかったのだろうか。
 また彼女は揚げ代として受け取った牛をどのように管理しているのか。管理するには人手と牧場が要るはずだが、そこはまったく描かれてない。仮に牛を売りさばくルートがあるとして、殺し屋まで雇っている畜産協会に目をつけられるようなことをするだろうか。
 映画ではなにも説明されてないので、わからないことばかりである。

天国の門⑪   

 最も不可解なのは最後のシーン。
 エラはカントン一味に襲われ銃弾を浴びて倒れますが、約10年後、船上の人となったジムの傍には女性がいます。
 「ああ、彼女は死ななかったのだ」
 ホッとしたのもつかの間、正面から見るとエラとは違う女性。なんじゃそれは!
  

 このように無暗にだらだらと長く、腑に落ちないことばかりで、観終わってもそれほどの感動は得られなかったのです。
    

 調べてみるとこの映画は史実を踏まえており(激しい銃撃戦はなかったものの)、「アメリカの恥部」ともいえる大作(?)で、本来なら「よくこんな映画をつくったな」と称えたいところですが、とてもそんな気になれなかった。
 映画として評価するなら、これは稀代の「駄作」でしょう。
    

 タイトルの「天国の門」(Heaven’s Gate)は移民たちの集会場となっていたローラースケート場のことで、それほど深い意味はないらしい。大して意味もないのに意味ありげに見せるところ(長たらしいシーンも)がマイケル・チミノの手法のようです。
  

 そのマイケル・チミノ監督は2016年7月2日に逝去しました。享年77。合掌。

     


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 「天国の門」を監督したのは「ディア・ハンター」(1978)を手がけたマイケル・チミノ(1939~2016)ですが、この映画を解釈するのに、当時のアメリカ社会について少し述べてみます。
   

 南北戦争終了後、アメリカ政府の最大の悩みは原住民(インディアン)の対処でした。
 彼らは狩猟民族のためあちこちに出没し、白人とトラブルを起こすので何としても狭いところに閉じ込めたい。
 それには広大な土地を農地として耕す必要があり、多くの人手が必要になる。
 しかし今いるアングロサクソン系(WASP=White Anglo Saxon Protestant)の人々はある程度生活が成り立っていて、今さら未開の土地を耕す必要はない。

 天国の門⑥    

 そこで北欧や東欧の国々に目をつけ、大規模な「移民政策」を打ち出しました。
 移民はぞくぞくやってきました。なにしろ広大な土地を安い値段で手に入れることができ、あとは耕し放題。母国で悲惨な生活を送っていた人々にとっては夢のような話だったでしょう。
 (英国人がその対象とならなかったのは、かつて独立戦争では敵対した相手だし、また英国人のプライドもある。それに同じWASP同士の新旧対立への懸念から避けたのでは?)
   

 移民たちは希望に燃えて土地を得たものの、アメリカ政府からの手当ては何もない。
 農作物はすぐにはできず、一家そろって餓死寸前に陥り、なかには食糧難から牛を略奪する者まで現れました。
 これが牧畜業者たちにとっては我慢ならない。殺し屋を雇って牛を略奪する移民を問答無用に殺戮しました。
 いうまでもなく、牛(馬も)を盗むのは犯罪です。
 この犯罪に対しては死をもって贖わせるというのが西部の掟でした。
  

 しかしこれでは法治国家とはいえない。
 牛を盗んだ移民を殺害した畜産協会の首脳陣に対して保安官のジムはこういいました。「これで正義を放棄したな」と。(もともと正義は牧畜業者にあったのに)

天国の門⑦  

 これに関してアメリカ政府はまったく無力でした。
 東欧や北欧の各国から移民を呼んでおいて、移民たちの窮状には何の対策もせず、牧畜業者とのトラブルにも「民事不介入」を決め込みました。結果的には牧畜業者の味方になっています。
 牧畜業者に雇われた殺し屋たち(傭兵)は州兵に守られ、(間接的には)大統領の「お墨付き」を得たのですから。
        

 もしこれがお節介な(?)政府なら、牧畜業者に対して「いずれは仲よくしなければならない連中だから、格安料金で牛を分けてやれ」といったかもしれません。
 格安で牛を分けるのは無理としても、廃棄するような牛でも与えていれば事態は好転したかもしれません。
 しかし実際は政府はなにいわず(移民のために牛を買い上げる財力もなかった?)、業者は自分たちの利益を死守しようとしました。
 当時の牧畜業者はけっこう儲かっていて、ぜいたくな暮らしをしていたというのに。
      

 ここにアメリカの本質が垣間見えます。
 これが自由主義経済の神髄とでもいうのか、せんじ詰めれば「弱肉強食」の論理です。
 これは絶対譲れない。
          

 そして貧富の差から生じるトラブル→犯罪に対しては断固武力をもって対処する。
 「アメリカ国民には銃でわが身を守る権利がある」とされていますが、これをいい換えれば「アメリカ国民は犯罪者を銃で退治する権利がある」ということではないか。
 だから西部の牧畜業著は正々堂々と殺し屋を雇って牛泥棒を退治したのです。

天国の門⑧  

 この精神は今日に至っても脈々と受け継がれています。
 犯罪に対しては、その原因から対処するのではなく、断固取り締まりを強化する。国際テロに対しても。
 それは先日、銃規制に関してトランプ大統領が「教職員が銃を携帯し、射撃訓練すれば学校での犯罪を防げる」といったことに表れています。
 むろんトランプの支持層のひとつが「全米ライフル協会(NRA)」なので、これは当然なのですが。
          

 またトランプの支持層に移民排斥論者が多いのも特徴。
 この映画「天国の門」を観ると、今の大統領を支える勢力、そして大統領が何を考えているかがよくわかります。

    

 今、アメリカのトランプ大統領が国の内外から激しい非難を浴びていますが、それでも30%強のコアな支持層に支えられています。
 では彼を支えるのはどのような勢力なのか。
 それはこの「天国の門」(1980)を観ると、そのヒントが得られます。
 映画の舞台は1890年代のワイオミング州なので一応は「西部劇」の範疇に入るのでしょうが、移民政策の矛盾を描いていて、これまでの西部劇とはまったく異なる「アメリカ史劇」です。

 1870年、東部の名門ハーバード大学を卒業したジム・エイブリル(クリス・クリストファーソン)とビル・アーバイン(ジョン・ハート)は20年後、西部のワイオミング州で再会しました。ジムはジョンソン郡の保安官、ビルは畜産協会の一員として。

天国の門①   

 当時アメリカは混乱期で、東欧からの移民が押し寄せ、定着いたアングロ・サクソン系の人々とのトラブルが生じていました。とくに畜産協会は移民が食糧難から牛を略奪することに神経をとがらせ、リーダーのフランク・カントン(サム・ウォーターストン)は移民の粛清リストまでつくっていました。

天国の門②   

 ジムは仕事の傍ら娼家によく通いました。そこの女主人エラ・ワトソン(イザベル・ユペール)と恋仲になったからです。
 しかし畜産協会に雇われた殺し屋ネイト・チャンピオン(クリストファー・ウォーケン)もここに通うようになり、やはりエラと愛し合うようになって、ここに奇妙な三角関係が成立します。
  

 ジムとネイトは立場上敵同士ですが、ネイトは畜産協会のやり方に疑問を持つようになり、粛正リストにエラが入っていると知らされて激怒、畜産協会の上層部の男を射殺し、敵対するようになります。

天国の門③    

 そうこうしているうちに移民粛正のための傭兵がぞくぞく集められ、移民殺害に動きはじめました。
 まず手はじめにネイトが襲われました。ネイトは殺害される前にジムに対して「エラを頼む」という手紙を残していました。

天国の門④    

 移民たちは集会所(天国の門)に集まり、「座して死を待つよりは立ち上がろう!」と男たちだけではなく、女性たちも銃を取り、殺し屋集団に立ち向かいます。
 激しい銃撃戦がはじまりました。
 数の上では移民たちが多いが、相手は殺しのプロ集団、女性も子どもも容赦なく殺されていきます。しかし畜産協会の側の犠牲も多く、ジムの同窓生だったビルはあえない最期を遂げます。
 一昼夜続いた銃撃戦は、駆けつけた州兵騎馬隊たちによって平定されました。両者痛み分けとなりましたが、あたりは累々たる死体の山。なかには家族を失って自決する女性もいました。

天国の門⑤   

 戦いが終わって、ジムとエラが新しい生活をはじめようとしたとき、生き残っていたカントン一味に襲われました。エラは銃弾を浴び、その場に倒れます。その身体を抱いてジムは泣き崩れました。
  

 約10年後。ジムは船上の人となっていました。
 今や初老の身となった彼の脳裏に去来するのは何だったのでしょうか。

   

 TVドラマ「逃亡者」には実在のモデルがあります。
 1954年7月4日、オハイオ州クリーブランド郊外のサム・シェパード医師の家で彼の妻マリリンが惨殺されました。

TVドラマ「逃亡者」より③ 

 サムは「もじゃもじゃした髪の侵入者に殴られ気絶した」と主張したのですが、容疑者として逮捕され、終身刑の判決を受けました。
 母親はショックのあまり拳銃自殺し、父親も気力を失い病死しました。
   

 この事件はマスコミに大きく取り上げられ、本にもなったためにアメリカでは有名になりました。そんななかで、事件をもとにしてつくられた「逃亡者」が1963年に放映されると全米で大ヒットしました。
        

 サムは刑に服しながらも粘り強く再審を請求し続け、とうとう1966年の再審で無罪を勝ち取り(有罪の証拠が否定されたため)釈放されました。
 そのこと自体朗報ではあったのですが、TVドラマ「逃亡者」に関してアメリカ国民は急速に興味を失い、視聴率も下降、打ち切りが決定しました。
   

 最終回(1967)ではキンブルの無実が証明されて逃亡の旅が終わり、めでたしめでたしというわけですが、昨日も述べたようになんともすっきりしないラストでした。無理に終わらせたとしか考えられません。
   

 実在のサム・シェパードには後日談があります。
 サムは社会復帰して再び開業しましたが、みんな気味悪がって患者がこなくなりました。
 そのためサムは酒とドラッグに溺れ、金に困ってプロレスラーに転身したものの、1970年に肝不全で死亡しました。享年46。
  

 数年後、別件で服役していた窓掃除夫リチャード・エバーリングが真犯人である疑いが浮上しました。当人も他の受刑者にそれを語っていたそうです。
 そこでサムのひとり息子サム・リースは父親の墓を掘り起こしてDNA鑑定にかけ、裁判を起こしました。結果、寝室から家の外に点在していた血痕が、かなりの確率でエバーリングのものである事実が判明しました。
 その直後、真犯人と思しきエバーリングは心臓発作で獄中死しました。
 残念ながら彼の供述は得られなかったのですが、科学的にもサムの無実が実証されたといえます。
   

 TVドラマ「逃亡者」でキンブル役を演じたデビッド・ジャンセン(1931年生まれ)はこれで一躍有名になり、数々のTVドラマの他にも映画「グリーンベレー」(1967)や「西部番外地」(1970)に出演して活躍しました。しかし1980年心臓発作で死亡。享年48。残念です。
   

 「逃亡者」はその後映画化され、ハリソン・フォードがキンブル役になりましたが、本家のデビッド・ジャンセンにはかなわなかったと思います。

    

 キンブルはジェラードに追われる身でありながら、妻殺しの現場から立ち去った片腕の男フレッド・ジョンソン(ビル・ライシェ)を追いかけます。
 この男は風貌怪異ですが、広いアメリカ合衆国、なかなか見つからない。
 ようやく見つけても、あと一歩のところで取り逃がします。キンブルを見るとおどおどして逃げるその姿は限りなく怪しい。
片腕の男①   
 キンブルが逃亡生活をはじめて4年ほど経ったある日、ロサンゼルスで片腕の男が強盗を犯して逮捕されたとのニュースが流れました。
 それを見てキンブルはロスへ向かいますが、片腕の男はすでに何者かの手によって保釈されていました。
 しかしこれは罠でもありました。キンブルは待ち構えていたジェラード警部に逮捕され、列車で護送されます。行き先は郷里のスタッフォード。
     
 キンブルはここで意外な事実を知らされます。
 片腕の男を保釈したのは近隣の男でした。
 「なにかある」。
 その疑問はジェラードも同じでした。
 キンブルはジェラードに24時間の猶予をもらい、男に会いに行きます。
 
 この男は事件の目撃者なのですが、ベトナム戦争の後遺症で精神を病み、証言に立ちたくないばかりに片腕の男を保釈したのです。キンブルの証言要請も断わります。
 しかし片腕の男の居所はわかりました。遊園地です。
片腕の男②     
 キンブル、ジェラード、目撃者の男はそこへ向かいます。
 そして片腕の男を鉄塔の上に追い詰め、妻殺しを自白させますが、男はなおも逃げようとして足を踏みはずし、転落して死亡します。
 これで犯人の自供は得られなくなりました。
         
 しかしこれまで証言を渋っていた目撃者の男がやっと証言する気になり、再審が行なわれて、キンブルは晴れて無実を勝ち取りました。
 最後にジェラード警部が差し出す手に、キンブルは複雑な表情でぎこちなく握手しました。
 彼の逃亡の旅は終わりました。
               
 忘れもしない1967年9月2日、私はふたりの友人と神田の古本屋街をぶらついたあと神保町の定食屋に入ったとき、ちょうど最終回が始まったところでした。店内の客は全員箸をとめて観ていました。
 最後にキンブルが晴れて無実の身になって「やれ、よかった」とみんな胸をなでおろしました。
 それほどこのドラマは当時の日本人にとっては大きな関心の的でした。最終回はアメリカでも視聴率は高かったそうです。
    
 とはいえ、この結末は不可解なことばかりです。
 まずおかしいのは目撃者の男。
 いくら戦争の後遺症で精神を病んでいるからといって、近所に住む人徳ある医師が無実の罪で死刑台に送られようとしているのに証言を拒否するどころか、容疑者を保釈までするとは。
      
 アメリカの法律はよくわからないけど、ロスから遠く離れたイリノイ州スタッフォードの人間が強盗容疑者の保釈を申請するには自ら身分を明かし、申請の理由を明らかにした上で身元引受人になることが必要。むろん多額の保釈金も要る。しかもその審査は相当厳しいはず。
 それをこのドラマではあっさりと流している。
         
 むろんドラマだからどのようなストーリーにしようと勝手だけど、突っ込みどころ満載ではせっかくの「名作」も半減です。