TVドラマ「逃亡者」には実在のモデルがあります。
 1954年7月4日、オハイオ州クリーブランド郊外のサム・シェパード医師の家で彼の妻マリリンが惨殺されました。

TVドラマ「逃亡者」より③ 

 サムは「もじゃもじゃした髪の侵入者に殴られ気絶した」と主張したのですが、容疑者として逮捕され、終身刑の判決を受けました。
 母親はショックのあまり拳銃自殺し、父親も気力を失い病死しました。
   

 この事件はマスコミに大きく取り上げられ、本にもなったためにアメリカでは有名になりました。そんななかで、事件をもとにしてつくられた「逃亡者」が1963年に放映されると全米で大ヒットしました。
        

 サムは刑に服しながらも粘り強く再審を請求し続け、とうとう1966年の再審で無罪を勝ち取り(有罪の証拠が否定されたため)釈放されました。
 そのこと自体朗報ではあったのですが、TVドラマ「逃亡者」に関してアメリカ国民は急速に興味を失い、視聴率も下降、打ち切りが決定しました。
   

 最終回(1967)ではキンブルの無実が証明されて逃亡の旅が終わり、めでたしめでたしというわけですが、昨日も述べたようになんともすっきりしないラストでした。無理に終わらせたとしか考えられません。
   

 実在のサム・シェパードには後日談があります。
 サムは社会復帰して再び開業しましたが、みんな気味悪がって患者がこなくなりました。
 そのためサムは酒とドラッグに溺れ、金に困ってプロレスラーに転身したものの、1970年に肝不全で死亡しました。享年46。
  

 数年後、別件で服役していた窓掃除夫リチャード・エバーリングが真犯人である疑いが浮上しました。当人も他の受刑者にそれを語っていたそうです。
 そこでサムのひとり息子サム・リースは父親の墓を掘り起こしてDNA鑑定にかけ、裁判を起こしました。結果、寝室から家の外に点在していた血痕が、かなりの確率でエバーリングのものである事実が判明しました。
 その直後、真犯人と思しきエバーリングは心臓発作で獄中死しました。
 残念ながら彼の供述は得られなかったのですが、科学的にもサムの無実が実証されたといえます。
   

 TVドラマ「逃亡者」でキンブル役を演じたデビッド・ジャンセン(1931年生まれ)はこれで一躍有名になり、数々のTVドラマの他にも映画「グリーンベレー」(1967)や「西部番外地」(1970)に出演して活躍しました。しかし1980年心臓発作で死亡。享年48。残念です。
   

 「逃亡者」はその後映画化され、ハリソン・フォードがキンブル役になりましたが、本家のデビッド・ジャンセンにはかなわなかったと思います。

    

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 キンブルはジェラードに追われる身でありながら、妻殺しの現場から立ち去った片腕の男フレッド・ジョンソン(ビル・ライシェ)を追いかけます。
 この男は風貌怪異ですが、広いアメリカ合衆国、なかなか見つからない。
 ようやく見つけても、あと一歩のところで取り逃がします。キンブルを見るとおどおどして逃げるその姿は限りなく怪しい。
片腕の男①   
 キンブルが逃亡生活をはじめて4年ほど経ったある日、ロサンゼルスで片腕の男が強盗を犯して逮捕されたとのニュースが流れました。
 それを見てキンブルはロスへ向かいますが、片腕の男はすでに何者かの手によって保釈されていました。
 しかしこれは罠でもありました。キンブルは待ち構えていたジェラード警部に逮捕され、列車で護送されます。行き先は郷里のスタッフォード。
     
 キンブルはここで意外な事実を知らされます。
 片腕の男を保釈したのは近隣の男でした。
 「なにかある」。
 その疑問はジェラードも同じでした。
 キンブルはジェラードに24時間の猶予をもらい、男に会いに行きます。
 
 この男は事件の目撃者なのですが、ベトナム戦争の後遺症で精神を病み、証言に立ちたくないばかりに片腕の男を保釈したのです。キンブルの証言要請も断わります。
 しかし片腕の男の居所はわかりました。遊園地です。
片腕の男②     
 キンブル、ジェラード、目撃者の男はそこへ向かいます。
 そして片腕の男を鉄塔の上に追い詰め、妻殺しを自白させますが、男はなおも逃げようとして足を踏みはずし、転落して死亡します。
 これで犯人の自供は得られなくなりました。
         
 しかしこれまで証言を渋っていた目撃者の男がやっと証言する気になり、再審が行なわれて、キンブルは晴れて無実を勝ち取りました。
 最後にジェラード警部が差し出す手に、キンブルは複雑な表情でぎこちなく握手しました。
 彼の逃亡の旅は終わりました。
               
 忘れもしない1967年9月2日、私はふたりの友人と神田の古本屋街をぶらついたあと神保町の定食屋に入ったとき、ちょうど最終回が始まったところでした。店内の客は全員箸をとめて観ていました。
 最後にキンブルが晴れて無実の身になって「やれ、よかった」とみんな胸をなでおろしました。
 それほどこのドラマは当時の日本人にとっては大きな関心の的でした。最終回はアメリカでも視聴率は高かったそうです。
    
 とはいえ、この結末は不可解なことばかりです。
 まずおかしいのは目撃者の男。
 いくら戦争の後遺症で精神を病んでいるからといって、近所に住む人徳ある医師が無実の罪で死刑台に送られようとしているのに証言を拒否するどころか、容疑者を保釈までするとは。
      
 アメリカの法律はよくわからないけど、ロスから遠く離れたイリノイ州スタッフォードの人間が強盗容疑者の保釈を申請するには自ら身分を明かし、申請の理由を明らかにした上で身元引受人になることが必要。むろん多額の保釈金も要る。しかもその審査は相当厳しいはず。
 それをこのドラマではあっさりと流している。
         
 むろんドラマだからどのようなストーリーにしようと勝手だけど、突っ込みどころ満載ではせっかくの「名作」も半減です。

         

 逃げるリチャード・キンブルとそれを追うジェラード警部(バリー・モース)。
 この関係はヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンとジャベル刑事の関係にそっくりです。
 小説ではジャベルが革命軍に捕らえられ、「同志ジャンバルジャン先生に敵対するヤツだから殺してしまえ」という裁定がなされますが、ジャンバルジャンは彼を逃がしてやります。

ジェラード警部 

 これと同じようなことが「逃亡者」でもありました。
 キンブルは行きがかり上あるアウトロー集団と親しくなり、彼らの信頼を得ます。そんな矢先、ジェラードが彼らに捕まりました。
 警察は彼らの敵。まして(仲間の)キンブルを追い回している男となれば、「殺してしまえ」と色めき立つのですが、キンブルはそれをやめさせます。
 ジェラードさえいなくなれば、自分は楽になれるのに。
 「私にはお前という男がわからん」とジェラードはつぶやきます。
   

 小説「レ・ミゼラブル」のジャベルは「ジャンバルジャンは無実である」と遺書を残してセーヌ川に身を投じますが、「逃亡者」のジェラードは「それとこれとは別」とばかり再びキンブルを追いかけます。
   

 私たちがこれをリアルタイムで観ていたとき、妙なうわさが流れました。
 「最終回でキンブルは捕まり、処刑される。まさに神は盲しいたのだ。しかも真犯人はジェラード警部」というものです。
 これは現地で最終回を観た人の証言として、当時の週刊誌(新潮?)に掲載されていました。
  

 これには「キンブルが可哀相」と涙ぐむ人もいたそうですが、私は「アメリカ人の国民性として、それは絶対にない」と確信しました。
  

 私は西部劇をはじめとするアメリカ映画を数多く観ていましたが、その骨子は「フェアプレー」と「勧善懲悪」です。(むろん「アメリカファースト」の正当化ですが)
 キンブルがジェラードを助けたのも、助けられたジェラードが再びキンブルを追いかけるのも、すべてフェアプレーの精神。
 ところがジェラードが真犯人では「フェアプレー」も「勧善懲悪」も成り立たない。だから「それはあり得ない」と思いました。(ただしイタリア映画ならあるかも)

TVドラマ「逃亡者」より②    

 もっともアメリカ映画は二通りの結末をつくって関係者に観せ、「どちらがいいか」討議するという手法があるそうです。「逃亡者」にもキンブルが死ぬバージョンがあり、週刊誌で証言した人はそれを観たのかもしれません。
        

 また「キンブルは死ぬかもしれない」という不安を与えたほうが、ハラハラドキドキ感が増し、視聴率が上がると考えたのかもしれません。
 このようにいろんなことを想像させて物語は最終回に突き進みます。

          


 「逃亡者」というと若い人はハリソン・フォード主演の映画(1993年公開)を思い浮かべるでしょうが、私は俄然(1960年代の)TVドラマ「逃亡者」(The Fugitive)。
 「リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき神も、ときとして盲しいることがある。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され……」
 矢島正明のナレーションではじまるドラマに、我われは何度ドキドキハラハラしたことか。
          
 インディアナ州スタッフォードの小児科医リチャード・キンブル(デビット・ジャンセン)は妻ヘレンと口論し、家を飛び出しますが、帰ってみると彼女は殺されていました。
 その直前片腕の男が家から飛び出すのを目撃したのですが、妻殺しの犯人として逮捕され、裁判で有罪となり、死刑を宣告されます。

リチャード・キンブル      

 しかし死刑執行室に向かう列車が脱線事故を起こし、キンブルは逃走します。髪を黒く染め、名前を変え、さまざまな労働に就きながら、片腕の男を探します。
 そのキンブルをジェラード警部(バリー・モース)は執拗に追跡します。
   
 逃亡者の常として、すぐ働ける仕事とは単純な肉体労働です。
 周囲はがさつな荒くれ男ばかり。キンブルのようなインテリはどうしても浮き上がり、手荒いいじめを受けます。
 最初のころはケンカが弱く、すぐやられてしまいますが、次第に鍛えられ、多少の荒くれ男では負けないほど強くなります。
   
 追われている身なので、なるべく目立たないようにふるまうのですが、弱い人や困っている人がいると見捨てることができず、つい関わってしまいます。
 また病人や怪我人が出た場合、やむをえず医療行為に及び、そのために「指名手配中」であることがばれ、窮地に陥ります。
 けれども彼の人柄に惹かれた人々によって、危機一髪というピンチを救われます。

TVドラマ「逃亡者」より①    

 それに行く先々で女性にモテるのも見どころです。
 彼女たちは最初、キンブルの人柄に惹かれますが、次第に恋心に変わり、彼の正体がわかっても無実であることを信じ、逃がしてやります。
 恋の相手になるのは10代の少女から熟女までと広く、淡いプラトニックラブで終わることもあれば、濃厚な関係になることもあります。
 しかし逃亡者の立場ゆえ、いつも別れなければならないのが心残りです。
   
 彼を追うジェラード警部は執念深い男です。
 キンブルが逃げたときに同行していただけに、「自分のミスでヤツを逃がした」という自責の念もあって「なんとしてもヤツを捕まえ、死刑室に送り込んでやる」と燃えています。
    
 ジェラードはキンブルを犯罪者として追跡していましたが、次第にキンブルを理解するようになり、妻殺し以外の犯罪容疑は否定するようになりました。


       

 このところ寒いので徘徊は控え、自宅で録画した映画を観ています。
 そんななかで取り上げたいのがフランス映画「かくも長き不在」(1960)

 パリの場末でカフェを営むテレーズ(アリダ・ヴァリ)は男たちの人気の的でしたが、誰になびくこともなく孤閨を守ってきました。

かくも長き不在①   

 ところがある日、店の前に通りがかった浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)を見てびっくり。戦場に行ったまま行方不明になった夫アルベールそっくりだったからです。

かくも長き不在②   

 浮浪者は過去の記憶を失っていました。それでも彼女はなんとかして男の記憶を取りもどそうと試みます。
 男の寝泊りする掘っ立て小屋を訪ね、唯一の趣味(?)である雑誌の切り張りに協力して親しくなり、アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、なんとか記憶をもどそうと試みるも効果なし。

かくも長き不在③    

 ある夜、男を招いて二人だけで食事会を開きました。
 食後、幸福だった結婚時代の記憶を呼び起こそうとダンスをします。

かくも長き不在④ 

 踊りながらテレーズが男の背中から後頭部に手をやったとき、そこに深い傷跡を発見します。
 彼はゲシュタポに捕らえられ、外科的手術によって記憶を消されていました。

かくも長き不在⑤ 

 記憶がもどらぬまま暇乞いを告げ立ち去ろうとする男に、テレーズは思わず叫びます。
 「アルベール!」
   

 それまでの一部始終を伺っていた近所の人たちも、口々に呼びかけました。
 その瞬間、男は両手を挙げ立ち止まりました。
    

 そして脱兎の如く走りました。その行く手にトラックが立ちふさがり、あっという間に男は轢死しました。
 テレーズはつぶやきました。
 「寒くなったらもどってくるかもしれない。冬を待つわ」

 この映画を初めて観たのは学生時代です。
 日本公開は1964年ですが、観たのはその数年後、低料金の二流、三流館に回ってきてからのことで、映画館は新宿三丁目の「日活名画座」か「シネマ新宿」、どちらかです。
     

 その後TVで放映されたとき、ビデオで録画して何度も見ました。
 声高に反戦を謳ってはいませんが、戦争によって受けた心の傷を克明に描いており、何度観ても感動します。
 それらのビデオは埼玉に引っ越してきたときすべて廃棄しましたが、今こうしてCS放送で観られるのはなんともありがたい。
    

 余談になりますが、学生時代ジャズ喫茶で知り合った映画好きの友人がいました。その彼がぷっつり消息を絶ち、一年後に逢ったとき、彼の口から出たことばは、「おう、Such A Long Absence」。(「かくも長き不在」の英題)。
 自分から消息を絶っといてよくいうよ。
 いらい私も久しぶりに会った友人に対して「Such A Long Absenceやないか」というようになりました。