2016.11.12 野いちご

 「野いちご」(1957/スウェーデン)を最初に観たのは高2のときでした。
 高校は違いましたが、小学校から仲のよかったS君と観に行きました。白黒で、老人が主人公の地味な映画でした。

 老教授イサク(ヴィクトル・シェストレム)はある夜、不思議な夢を見ます。
  

 人気のない町を歩いていると目の前に針のない時計。振り返ると、通りにスーツを着た男が立っている。男の顔は歪んでおり、やがて溶けてしまう。馬車が猛スピードで走ってきたが、電柱に車輪が引っかかって横転する。馬車から転がり出たのは棺桶。その棺桶から手が伸びて、彼を捕えようとした……。

野いちご・冒頭シーン    

 彼は医学の研究で名誉学位を受けることになり、住まいのストックホルムから式場のルンドまで息子の嫁マリアンヌ(イングリッド・チューリン)と車で向かおうとします。
 

 半日ほどの小旅行でイサクの脳裏にいろんな人物がよぎります。
 青年時代、弟にとられた婚約者サラ、不貞を働いた妻、なさぬ仲の実の息子……なんと自分は彼らに冷淡だったことか。苦々しい思いばかりです。

野いちご①   

 そんな折、ヒッチハイクで乗り込んできたのは、女子学生サラとふたりの男子大学生。
 サラは天真爛漫な性格で、イサクの婚約者だったサラそっくり(二役)。男子大学生たちも気のいい青年で、ときには話が盛り上がり、イサクは若い世代から元気をもらいます。
  

 イサクは車に揺られながら、また夢を見ます。
  

 鳥の羽音がして目を開けると、昔の婚約者サラがいて手鏡を向ける。「鏡を見て!」
 映るのは今の老いぼれた自分の顔。「あなたにあるのは知識だけ」
 そういって彼女は去っていく。
 次にイサクは試験官から、森で妻と男が密会している現場を観察させられる。見たくない。不愉快な光景だ。
 しかし試験官はこういう。「全ての哀しみを手術で取り除きました」

  野いちご②

 夢か……。
 無事に授与式を終えた彼はその夜、息子(医師)と話し合いました。
 それまで息子とはあまり仲が良くなかったのですが、イサクのほうが腹を割って話しかけると、息子も素直になり、父子のわだかまりが氷解していきました。

   

 寝室の外では昼間に出会ったヒッチハイカーたちが彼の栄誉を心から祝福してくれました。イサクは満ち足りた気持ちで眠りにつきます。

 この映画はひとことでいうと、ある老人の過去との和解の旅です。
 監督イングマール・ベルイマンが入院中に書き上げたもので、当時女性問題や両親との確執など私生活のトラブルがあって、それが作品に反映されているそうです。
  

 最初に見たときは「うーん……」
 ふたりとも無言で帰途につきました。あまりにも感動が大きかったからです。
  

  その後、NHKの「名画劇場」でも観ましたが、やはりよかった。
  今観ても感動すると思いますが、身につまされて侘しくなるかもしれません。
  

 それにしても、高校生のときにこういう映画で感動したとは。
 自分の感性が当時から豊かだったのか、それとも名画というのは年齢に関係なく感動を与えるものなのか。
 おそらく後者でしょうね。

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2016.09.27 ライムライト

 「ライムライト」( 1952年/アメリカ)はチャップリン晩年の映画です。
    

 初老の道化師カルヴェロ(チャーリー・チャップリン)はある日、自殺を図ったテリー(クレア・ブルーム)というバレリーナを助け、彼女を励ましバレエ界に復帰させるが、自らは落ち目になり、彼女の元を離れて辻音楽師になっていく。

ライムライト①   

 テリーは次第にスターの階段に上り、若き音楽家(実は再会)にプロポーズされるが、カルヴェロのことが忘れられない。

ライムライト②    

 そんな折、偶然カルヴェロに再会し、もう一度彼を舞台に立たせるように手筈を調える。 再起の舞台でカルヴェロは熱演し、観客から大受けしたが、熱演のあまり舞台から転げ落ち、ドラムにはまり込んで脊髄を損傷し、致命傷になる。

ライムライト③   

 駆けつけたテリーに「私は大丈夫。さあ、キミの出番だ」
 促されて舞台で踊るテリー。その姿を見てカルヴェロは息を引取った。

ライムライト④    

 この映画を最初に観たのは小2のときです。
 冬休みの絵日記に、「ライムライトという映画をみました……チャップリンはたいこ(太鼓)にはまって死にました」と書いたところ、
 「むずかしかったでしょう。わかりましたか」という担任の赤ペンが入っていました。
 担任から見れば「いい映画だけど、子どもには難しい」と思ったのでしょう。

ライムライト⑤    

 たしかに映画の内容まで理解していたわけではないけど、彼女が踊るラストシーンはよく覚えています。
 このときのテリーの美しかったこと。いらい私の憧れの女性になりました。
 また「エタナリー」の曲も好きで、木箱に納められたオルゴールをしょっちゅう開いては聴き入っていました。

ライムライト⑥    

 リバイバルで観たとき(19歳)は、幼いころから恋焦がれていた女性に再会した気分でした。
 彼女が勤める文具店にいつも買いにくる若き音楽家に五線紙をおまけするシーンでは、「あった、あった」
 子どもながら、意外に細かいところまで覚えているものです。

 ライムライト⑦  

 30代後半でこの映画を観たときは、気持ちは老喜劇役者カルヴェロ(チャップリン)に沿っていました。そして一抹の侘しさを感じました。
 「もう、私の時代は終わった。これからは若い者同士でやりなさい」
 と若いふたり(テリーと音楽家)に譲ります。これがなんとも切ない。

ライムライト⑧     

 実際チャップリンはこの映画で「もう、私の時代は終わった」というメッセージを託したそうです。
 最後に老喜劇役者がドラムにはまって死ぬのはこれ以上ない終わり方でした。

ライムライト⑨   

 余談ですが、息子は小学生のときからチャップリンのファンでした。
 「モダンタイムズ」「街の灯」「独裁者」「黄金狂持代」「ライムライト」……NHKで放映された作品すべてをビデオに録画して、よく観ていました。
 「モダンタイムズ」「ライムライト」は私が小学生のときに観て印象に残った作品です。
 そんなこと話したことはなかったのに、いわなくても伝わるのか。不思議な気がします。

ライムライト⑩    

 ※この項は旧ブログに投稿したものを大幅に加筆してリメークしたものです。

2016.09.23 第三の男

 このところの長雨で徘徊は断念しておりますが、こんなときこそ映画のことを語りたい。
 といっても当欄は映画の紹介ではなく、その映画を観てどう思ったか、どんな影響を受けたかなど、個人的な関わりを述べるもので、とくに推奨はしません。結末も明かします。
    

 結末を明かすことを業界では「ネタバレ」といって避ける傾向にありますが、「結末は…(点点点)」とか「観てのお楽しみ…」では感想(評論)にならないし、表現として卑しい。
 昔の映画紹介は結末まで明かしてたけど、映画への期待が失せることは少しもなかった。

*     

 そんなことを踏まえて最初は「第三の男」(1949/イギリス)
 舞台は第二次世界大戦直後のウィーン。
 アメリカの作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は旧友ハリー・ライムを訪ねてきたものの、ハリーは自動車事故で死亡したと知らされる。墓場で知り合った英国のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)の情報をもとに宿の管理人を訪ねると、事故の目撃者が三人いると知らされた。二人は判明したけど、三番目の男とは誰か。
 一方ハリーの元恋人で女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)は旅券の問題で苦境に陥っていた。
 ホリーは何とか彼女の力になろうとするが、どうにもならない。途方に暮れたホリーが外に出ると、街角に怪しい人影が。車のライトに照らされたその顔を見てマーチンスはおどろく。「ハリー!」

ウィーンの夜の路地      

 しかしそのハリーは忽然と姿を消した。
 キャロウェイから、ハリーは粗悪ペニシリンを扱う闇商人で被害者は幼い子どもたちであることを知らされ、逮捕の協力を要請される。証拠を見せられ、病院を視察したマーチンスはハリーの罪状を目の当たりにし、旅券違反でソ連に捕まったアンナの釈放を取引に逮捕に協力した。
 地下の下水道を逃げるハリー。追いかけるキャロウェイ、警察、そしてマーチンス。
 追いつめられたハリーはついにマーチンスの銃弾に倒れた。
 そして今度こそ本当のハリー・ライムの埋葬が行われた日、マーチンスは「彼女の力になりたい」とアンナを墓地で待ったが、彼女は彼を無視して通り過ぎていった。

アンナ    

 あらすじを説明すると入り組んでいますが、これが短い時間に展開されていきます。
 すじだけではなく映像も鮮烈で、専門家にいわせると、光と影を効果的に使い、カメラアングルにも凝っているそうですが、私はハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の存在感とアントン・カラスのツィター演奏に負うところが大きいと思います。
   

 とくに暗闇からハリーの顔が浮かび上がる場面は最高で、あのはにかんだ、悪戯っぽい表情がたまりません。この映画の魅力はそこに尽きます。
 しかもハリーが登場するのは物語の半ばごろ。「いい役者はあとから出てくる」の典型です。

暗闇から現れたのは     

 この映画を初めて観たのは京都の浪人時代(リバイバル上映)でしたが、その後何度も観ました。息子が小6のとき、NHKの「名作劇場」で放映される前、「この映画がいかに素晴らしいか」を逐一解説したことがあります。息子はどのような思いで観ていたのか。

地下道   

 ハリーが観覧車でマーチンスに語る名セリフがあります。
 「眼下に小さな灯りがポツポツと見えるだろ。あれがひとつふたつ消えようと、金になるのなら、どうってことはない」
 「チェーザレ・ボルジアの圧政のおかげで、ルネッサンスの輝かしい文化が花開いた。一方スイスの同胞愛、平和運動はなにをもたらした? 鳩時計だよ」

観覧車にて    

 すごいセリフです。まさに悪の哲学。
 このセリフによってこの映画は単なるフィルム・ノアール(暗黒映画=日本ではギャング映画と訳されている)を超え、映画史上に残る名作になりました。
 このセリフは脚本にはなく、オーソン・ウェルズのアドリブだそうです。
 このことからしても、オーソン・ウェルズという役者はただ者ではない。
 (これも息子にいった覚えがあります)
    

 ハリーに比べるとマーチンスの何と間抜けで軽いことか。むろん彼は敢えて「狂言回し」を引き受けているのですが。

 ラストシーン    

 そして有名なラストシーン。
 並木道で待っているマーチンスをまったく無視して通り過ぎるアンナ。
 最後になってはじめてマーチンスの存在感が発揮されました。観終わっても長い間余韻の残る映画でした。
   

 ※この項は旧ブログに投稿したものを大幅に加筆してリメークしたものです。

2015.08.14 半沢直樹
 2年前の今ごろ(07/07~09/22)放映され、高聴視率を挙げたTVドラマです。
 なにかと話題になっていたので、「倍返しだ!」は知っていましたが、ドラマ自体は観たことはありません。
半沢直樹① 
 今回友人のDVDを借りて集中的に観ました。
 面白い。次どうなるのか……ハラハラドキドキ。しかもこれまで知らなかった銀行の業務、金融庁の査察などわかりやすく描かれて、金融界のことが少し理解できるようになります。
 東京中央銀行大阪西支店の融資課課長・半沢直樹(堺雅人)は、上司(支店長)から無担保・5億円融資の焦げ付きの責任を負わされ、融資先・西大坂スチールの社長・東田の消息を追跡しますが、愛人の妨害で取り逃がします。
半沢直樹②  
 また国税局も東田の隠し財産を押さえようと躍起になり、さらに支店長が裏で東田とグルになっていて、ことごとく半沢を妨害します。
 しかし同期の仲間や東田の愛人の協力もあって、国外に移した東田の隠し財産を押さえて5億円を回収し、支店長の不正を追及して、この問題を解決します。
半沢直樹③ 
 この件で半沢直樹は東京中央銀行本部・営業第二部次長に栄転し、頭取(北大路欣也)の命を受け伊勢島ホテル問題に取り組みます。
 同ホテルは株の運用失敗により120億円もの損失を出したことが判明。すでに融資した200億円を回収できなければ、1000億円以上もの引当金を保証金として金融庁収めなければならず、頭取は窮地に立たされます。次期頭取を狙う常務取締役・大和田の思うツボ。
半沢直樹④ 
 大和田は伊勢島ホテルの女性専務・羽根とつるみ、湯浅社長の追放を画策。
 しかも電気会社の経理に出向された同期の仲間が会社の迂回融資を発見。迂回先は東京中央銀行本部の常務取締役の大和田(香川照之)でした。
 この大和田こそ、半沢直樹の父親の工場の融資を引き上げ、自殺に追い込んだ張本人。
半沢直樹⑤ 
 ここでも金融庁に妨害され、また大和田の手下の妨害、仲間の裏切りにも遭いますが、伊勢島ホテルを海外の大手ホテルチェーンと合併させることで乗り切り、さらに頭取のいる役員会の席で大和田の不正を暴き、屈服させます。
 観ている間は「ハラハラ、ドキドキ」ですが、観終わってみると突っ込みどころ満載です。
 銀行の上層部がケチな会社とつるんで不正融資などするだろうか……などなど。
半沢直樹⑥ 
 むろんフィクションだからなにをやっても自由ですが、説得力がないとね。
半沢直樹⑦ 
 それに私から見ると不必要な場面も多い。
 とくに最後のほうで大和田を土下座させるシーン。政治家も含めて、私は土下座がきらい。
 このためにせっかくのドラマがぶち壊しになったと思います。
半沢直樹⑧ 
 ただし最後の頭取による半沢直樹への出向辞令には「なるほど」と思いました。
 これでもし半沢直樹が栄転して、より上のポストにつくなら、陳腐なドラマになります。
半沢直樹⑨
 頭取は「能力はあっても過激な人間は銀行には不要」と考えたか、それとも「期待するからこそ外の世界も見てきなさい」という親心からか。
 どちらでも解釈できることによって含みを残しています。
半沢直樹⑩ 
 ギリシャの財政破綻がヨーロッパでは大きな負担になっていますが、どうしてこんなことになったのか。それにはギリシャ人の国民性を知る必要があります。
 その意味では「その男ゾルバ」(Zorba the Greek=1964)は打ってつけではないでしょうか。
 英国人作家バジル(アラン・ベイツ)は、亡父が遺した炭鉱を再開するためにギリシャにやってきて、港で知り合った現地人のゾルバ(アンソニー・クイン)という男と気が合い、採掘場の現場監督にします。

 しかしギリシャ人のやることは何もかもハチャメチャ。
 ゾルバは仕事よりも女が好きという男で、宿屋の女主人と懇ろになります。
 バジルもある未亡人が好きになり、仲よくなりますが、彼女に恋いこがれていた青年が失意のあまり自殺。村人たちは「あの女のせいだ」と未亡人に石を投げ、青年の父親は彼女を殺してしまいます。

 ゾルバと懇ろになった宿屋の女主人は、もともと病弱だったのか(ゾルバの精力が強すぎたのか?)病に倒れ、臨終を迎えます。
 そして彼女が息を引き取ると、村人たちが寄ってたかって彼女の財産を持ち出しました。身寄りのない死者の財産は村人たちが奪い取っていいという風習です。



 ゾルバは森から切り出した木材を下ろすケーブル建設を発案し、工事に取り掛かりますが、(工事がずさんだったのか?)竣工式での試運転でワイヤーが切れ、支柱が倒れ、崩壊します。
 投じた資金をすべて失ったバジルはガックリと膝をつきますが、ゾルバはあっけらかんとしたもの。
 「よけいなものを失ってよかったじゃないか。こうなったらすべて忘れて踊るしかありませんぜ」

 バジルも半ばヤケクソになって、「その踊りを教えてくれ」
 こうしてふたりは明るい太陽の下で悠々とダンスを踊り興じました。
 息子が自殺したら、「お前のせいだ」と人のせいにしたり、身寄りのない人が死ぬとその財産を村人たちが強奪する。工事は手抜きして、経営者が破産しても「我関せず」とカラカラ笑う。

 この映画がすべてギリシャ人を描いているとは思いませんが、今のギリシャの現状を見ると、妙にナットクしてしまいます。(動画はラストの踊りの場面)

 人間は失意に暮れると踊るしかない――これがギリシャ人の真骨頂のようです。