昨日(11/06)はテレ朝「路線バスで寄り道の旅」を観ました。
 この番組は徳さん御一行(徳光和夫、田中律子、ゲスト)が首都圏を路線バスで「徘徊」するというもの。
 今回は「都立大(東横線)」に寄るというので興味を持ちました。都立大は青春時代に過ごしたところなので。

タイトル   

 この地については、2年前「柿の木坂」の項にUPしましたが、実際に訪れたのは4年前。
 それまでも何度か訪れていましたが、いつも思うのは「変わったなあ」

駅前  

 徳さん御一行は駅前の商店街をうろうろ。
 「ほう、ここは面白い商店街だねえ」
 なんていってるけど、当方の学生時代はそんな面白くなかったぞ。

大学があった当時の商店街    

 とくに高架下の商店街など、当時はそんなに賑わっていなかった。
 駅のすぐ近くにドブ川(呑川)があり、これが商店の発達を邪魔していた。
 それが証拠に暗渠になってからは、川沿いに小じゃれた店が建ち並ぶようになり、活況を呈するようになりました。養鶏所の直売店のバームクーヘン屋なんてなかった。

歌う徳さん    

 さらに高架下の飲食街のスナックで、徳さんが唄ったのは春日八郎「赤いランプの終列車」
 いかにも古い。
 我われの30代はカラオケの大ブームで、某デザイナーが思い入れたっぷりに「別れの一本杉」を唄ったときはぞっとしたよ。
 徳さんの場合はあれほどひどくなかったけど。

都立大学のキャンパス   

 都立大学の駅名は、1949~1991年までこの先(柿の木坂)に都立大学があったからですが、今はもうありません。それでも駅名を変えないのは、地元の人たちがこの駅名に愛着を持っているからだそうです。
   

 余談ですが、お隣りの学芸大学駅にも大学はなく、とっくの昔に小金井に移転しています。
 以前、学芸大出身のブロガーさん(女性)から、「学芸大出身というと、『ああ、東横線の……』といわれるのがイヤ、駅名を変えてほしい」との意見を寄せられたことがありますが、私は変えてほしくない。
 彼女の場合は小金井のキャンパスに通っていたので、東横線とは無縁だったからでしょうけど。

  *  

 徳さん御一行は他にも、桜新町、武蔵小山商店街、川崎コリアタウンにも寄っています。
 いずれも予約なしのぶっつけ本番。

定食屋にて   

 いきなりお店に入って「TVのカメラが入っていいですか」と徳さんや田中律子さんたちが交渉している。(川崎では一軒の店に拒否されている)

川崎コリアタウン   

 飲食した分についてはちゃんと支払う。店側が「いい」といっても、徳さんは「それは困ります」と押し問答の末支払っている。この姿勢には好感が持てます。

武蔵小山商店街    

 昔、週刊誌の取材で加賀温泉に行ったとき、一緒に行ったテレ東のプロデューサーの計らいですべてタイアップ。おかげで宿泊は只、往復の飛行機代までもらったけど、これだと完全な提灯番組(記事)になります。
 今だからいえることですが。

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 TVのドラマは大河、時代劇は観ますが、現代モノはほとんど観ません。
 話にリアリティーがなく、自分とは無縁なので、興味が持てないからです。
 しかし「明日、ママがいない」(NTV)は「子どもたちへの精神的な虐待、人権侵害にあたる」と問題になっているらしいので、一昨日(02/12)観ました。
明日、ママ①
 この回(第5話)はピアノの得意な女の子(ピア美)がピアノ教授に見出され、コンクールに出ることを薦められます。養護施設(コガモの家)にいるピア美にとっては、自分の才能を発揮するのと、父親が観にきてくれるかもしれないというチャンス。
 案の定父親はやってきました。仲間のポスト(芦田愛菜)は、ピア美から渡されていた写真でそれを見つけ、去ろうとする父親を引きとめようとします。
 「やめろ! そんな無力な父親が娘を幸せにできるわけはない」
 と怒鳴り、父親を行かせてやったのは施設長の佐々木でした。
 他にもまだありますが、これがザックリした筋です。

 これのどこが「子どもたちへの精神的な虐待、人権侵害にあたる」のか、この回を観た限りではわかりません。
明日、ママ②
 一説には施設長佐々木が粗暴かつ高圧的な性格で、「泣いた者から食べていい」「お前たちはペットショップの犬と同じだ」との言動があったとかで、養護施設の関係者が「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実とかけ離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」と子どもたちや職員への謝罪を求めたそうです。

 しかし私はこの回で、ピア美の父親を去らせた施設長の態度は正当であると思いました。
 「父子対面などいう見せかけの美談で娘を救えるのか。どうせ娘を育てられない無力な親なら、なまじ顔を出すんじゃない。それだったらこっちで引き取ったほうが(将来いいところへ里子に出すことも含めて)、よほど幸せというものだ」
 彼はそう考えているのではないか。

 これはおそらく作者の化身でしょう。
 施設長には、子を生んでも育てられない無責任な親に対する「喝!」の感情が託されています。
 同時に子どもに対する叱咤激励も。
 そんな情けない親にいつまでも未練を持つことはない。したたかに逞しく生きろ。オレがその術(すべ)を仕込んでやる。それが親に捨てられた子の生きる道だ。
 そういいたいのではないか。
明日、ママ③
 そして子どもたち。
 名前(あだ名)が凄い。ポストは赤ちゃんポストに預けられていたから。ドンキは母親が恋人を鈍器(灰皿)で殴り、傷害で逮捕されたため。ボンビは家庭が貧乏だから。
 他にもパチ(母親がパチンコ依存症)、施設の卒業生で調理士をしているロッカーはコインロッカーベイビーだったから……と、悲惨な過去を思わせる名前ですが、子どもたちは平気でその名で呼び合っています。なんたる逞しさ。
 現実には、そのようなあだ名でからかわれる子もいるそうですが、作者はおそらくそれも承知で、「逞しく生きろよ」とのメッセージが込められているのではないか。
明日、ママ④
 そうすると施設長の意図も見えてきます。
 「泣いた者から食べていい」「お前たちはペットショップの犬と同じだ」が適切な表現かどうかは別にして、妙に突っ張ったりしないで、いいところの里子になればお前たちは幸せになれるんだ、そういいたいのではないか。
 ということは、本当は子どもたちに対して並々ならぬ愛情を抱いている?

 この施設長は、子を生んでも育てられない無力な親を憤り、「だったらオレが子どもたちを幸せにしてやる」との意気に燃えているのではないか。あの粗暴な態度は施設長なりの愛情表現。
 施設の環境はとてもいいとはいえないけど、施設長は子どもたちと一緒に食事しているし、ここを一種のユートピアとしているようにも思えます。
 それはとりもなおさず、現実の児童養護施設へのエールです。

 私はそう感じましたが、受け取り方は様ざま、抗議する人も出てくるでしょう。
 私自身、基本的には「フィクションに目くじらを立てるな」との考えですが、「これで傷つく子もいる」といわれれば責任のとりようがありません。(逞しく育ってくれることを祈るだけ)
明日、ママ⑤
 ではこのドラマは観るに値するのか。
 私はもう観ません。図らずもドラマそのものには擁護(?)しましたが、子どもたちのこましゃくれた(逞しい?)セリフにはうんざりです。
 それに午後10~11時といえば、私にとっては寝入りっぱなの貴重な時間帯。しかも残り少ない時間をこんなドラマに割かれたくありませんから。
 先日(01/06)、NHKBSアーカイブ「和あるど・和の音」を観ました。
 日本古来の和楽器、琴や篳篥(ひちりき)、三味線などの独特の響きの秘密を女優・深田あきさんが探るドキュメンタリーです。

 まず和楽器とは風のざわめきや川のせせらぎなど、自然の音を表現した音ということです。
 これは私の妻が琴をたしなんでいたので、ある程度わかっているつもりでした。
 例えば風の音、花びらが散る音、泉が湧き出る音など、琴の音で表します。
詩仙堂①

 しかし今回新たに知ったのは「ひしぎ」と「さわり」
 「ひしぎ」とは、龍笛(りゅうてき)などの管楽器から出る「♪ピッ!」という甲高い音。
 目覚めの音というか、身を引き締める効果があるといわれています。
 これはジャズのハービー・マンの演奏(フルート)で聴いたことがあります。
 彼はメロディにとらわれず即興的に演奏し、ときどき「♪ピッ!」という高い音を奏でました。
詩仙堂②

 似たようなものに川越まつりの「曳っかわせ」があります。
 これは山車と山車が鉢合わせしたとき、双方の神楽が♪ピ~ヒャラ、ピ~ヒャラ、♪テンテケテンテケと演奏し合うことですが、これぞまさしくジャズのジャム・セッション(即興演奏)。
 ということは和楽はジャズに近いのか……。
詩仙堂③

 一方「さわり」とは。
 これは三味線の一の糸を振動させて響かせる音。
 ふつうはギターでもピアノでも弾くと♪ボーンと澄んだ音が響くのですが、三味線の場合は♪ベエエエ~ンと濁った音。西洋音楽ではノイズです。
 これは糸の巻き方に工夫があって、高い音と低い音が交互に響き合うのだそうです。
猪脅し

 これは管楽器にもあって、竜笛つくりの名人が完成品を吹くと♪ピロ~と二音が混じり合った音。
 幼少期からフランスで暮らし、自らもピアノをたしなんできた深田あきさんは「えッ!」
 信じられないという表情。

 彼女はさらに雅楽「越天楽」を聴きました。
 「最初は音が調和してないようで、違和感がありました。しかし聴いているうち、その音がひとつの流れとなって、こちらに迫ってくるのです。それに圧倒されました」
 音楽の要素であるハーモニーもメロディラインも突き抜けている、といいたげでした。
山下洋輔氏

 これについてゲストのマーティ・フリードマン氏(ギタリスト)は、
 「これぞまさにロックのヘビメタ。欧米の年配者はヘビメタを理解できないけど、日本の年配者のほうがヘビメタを理解できるのではないか」

 なるほどと思うけど、日本の年配者がヘビメタを理解できるというのはどうかな。

 NHK大河ドラマ「八重の桜」が終わりました。
 大河ドラマは当たり外れがあって、最初は観ても途中でつまらなくなり、やめてしまうことがよくありますが、「八重の桜」はけっこう面白かった。

  八重の桜①

 物語の舞台が会津→京都ということもあります。
 会津は学生時代の友人の故郷、そして京都は私の故郷。
 戊辰戦争ではどうしても負けた側に味方したくなります。そのため八重の心情に共感できることが多いのです。
 さらに八重は銃で敵と命のやり取りをするガンマン(ウーマン)。
 マカロニ・ウエスタン好きの当方にとっては興味津々の主人公です。

八重の桜② 八重の桜③

 そのガンウーマン八重が戊辰戦争後、京都で暮らしてからはキリスト教に帰依していきます。
 これは兄山本覚馬の影響もありますが、武士道と共通するものを見出したからではないか、そんな風に思いました。
 後に夫になる新島襄をはじめ、内村鑑三、新渡戸稲造……はみんな武家の息子。
 私も子どものころはカトリックの日曜学校に通っていたので、わかるような気がします。

 余談ですが、新島襄はわが家とは因縁浅からぬ関係(?)があります。
 わが家の墓は東山若王山(にゃくおうざん)にあります。父母をはじめ祖父母、父の異母姉たちが眠っています。

八重の桜④

 小さいころ父と墓参りに行ったとき、必ず新島襄のお墓にも参りました。
 父は同志社の出身で、「新島襄はわが恩師」といいました。
 しかし襄の没年と父の生年(明治41年)を照らし合わせてみると、かすってもいない。広い意味では「恩師」かもしれないけど、思わせぶりないい方で、父親としてどうかと思います。

 八重は従軍篤志看護婦として日清戦争の負傷兵(敵・味方の区別なく)を看護します。
 その功績がたたえられ、皇族以外の女性で初となる宝冠章を叙勲します。大変名誉なことですが、本心ではどうでもよかったと思います。

八重の桜⑤ 八重の桜⑥

 最後はガンウーマン八重の姿が出てきて、「これが私の原点」と象徴したかったのでしょうが、牽強付会な気がしないでもない。

八重の桜⑦ 八重の桜⑧

 むろんドラマのラストシーンとしては、なかなか効果的でしたが。

 日本のTVドラマは観ないのですが、時代劇は別。まして剣豪ものとなると観ないわけにはいきません。
 というわけで「塚原卜伝」(木曜日放映・NHK・20時~)は毎回観ています。 
NHK時代劇「塚原卜伝」より① NHK時代劇「塚原卜伝」より②
 戦国時代に剣の聖地・鹿島に生まれ、幼少より鹿島中古流の太刀を学び、17歳で武者修行の旅に出た塚原新右衛門(堺雅人)は、京の大内家に逗留し、剣術指南を勤めながら、名だたる剣豪相手に果し合いに臨みます。昨日は第五回「最強の敵」

 「京には強い相手はいなくなった。そろそろ潮どきかな」
 新右衛門がそう思ったとき、以前町で挨拶を交わした奥津源三郎(榎木孝明)が果し合いで負けたことのない剣豪だと知りました。
 「なんとかひと勝負、お手合わせ願いたい」と新右衛門は願い出ますが、奥津は「もう剣は捨てた」と取り合いません。 
NHK時代劇「塚原卜伝」より③ NHK時代劇「塚原卜伝」より④
 数日後、役人が斬殺されるという事件が立て続けに起こります。「犯人は奥津」と目撃者の証言。
 逗留先の大内家の家老・平賀丹後守(風間杜夫)から「ヤツを討ってくれ」と頼まれた新右衛門は、囮になって興津を誘い出します。 

 「剣に生きるものが、金で雇われて辻斬りをやるとは」
 「所詮剣なんてそんなものよ。いずれお前もわかる」 
NHK時代劇「塚原卜伝」より⑤ NHK時代劇「塚原卜伝」より⑥
 シャキーン! ふたりの剣が激しくぶつかります。
 二刀を駆使する興津は強い。ここと思えば、またあちら。いろんなところから刀が出てくる。
 さっと横から薙いできた興津の刀が、新右衛門の着物を掠りました。新右衛門苦戦。
 打ち下ろした刀を二刀でガッチリ抑え込まれた新右衛門ですが、離れ際に興津の左腕をひと突き。袖口から血が流れます。
 「おのれ!」
 残る右腕で激しく斬り込んでくる興津の剣を新右衛門はことごとくかわし、剣で受け、踏み込んできたところを、かわして胴にひと突き。興津はどさりと倒れます。
 近寄る新右衛門に、「人の血に染まった身は、無明の闇に沈む。お前も同じ」
 そういって息絶えます。 
NHK時代劇「塚原卜伝」より⑦ NHK時代劇「塚原卜伝」より⑧
 「自分は剣の道を究めようという目標に向かって邁進している。しかし、やっていることは単なる人斬りではないのか。実際、人を斬ったあとの気持ちの高ぶりは否定できない」
 新右衛門は悩みます。
 
 従来の剣豪ものは斬り合いに至るまでの経緯は描かれていますが、剣豪の内面まで描写することはあまりなかった。
 その意味では、このドラマは主人公の心の奥まで迫っています。
 一見やさ男の堺雅人が剣の達人を演じているところに、意外性があり、妙な深みを感じさせて、なかなか見ごたえがあります。