強制わいせつ容疑で書類送検され、起訴猶予処分となった山口達也氏。
 とうとうジャニーズ事務所との契約を解除され、TOKIOは彼抜きで活動することになりました。
 私としては何とも残念なのが、TV番組「鉄腕DASH」に彼が欠けることです。
        

 この番組は、従来ありがちなスタッフがお膳立てした筋書きにタレントが乗っかるのではなく、取材交渉や企画・立案など裏方の作業をタレントが自ら行うところに特徴があります。
 そのため現地へ向かったところ休業だったり、「いきなりくるな」と怒られたりするハプニングもあって、「予定調和」ではないところが面白い。
     

 なかでも自然との取り組みは興味深く、「DASH海岸」では工業地帯の河口に棲む海洋生物の生態調査をしたり、都市化によって失われた入り江の再生を試み、「DASH島」では廃墟(?)になった無人島を探索→開拓してここに住環境を整えようと試み、さらに「新宿DASH」では新宿区の生物の生態系を調べて人と自然との共存を目指しています。
 そのため私はバラエティというより科学番組として観ています。
   

 これには専門家の助言があり、またスタッフによる現場の管理、裏方の作業もあると思われますが、ここでのTOKIOの取り組みはけっして「予定調和」ではなく、本気で取り組んでいることが伝わってきます。
    

 なかでも山口達也氏は、生物のみならず科学的知識も豊富で、海や山の自然を熟知しており、潜水士の資格を持ち、大工作業にも長けていて舟屋や水路をつくる技量もあって、タレントとしては極めて稀有な存在です。
 私が注目したのは、福島原発の事故をきっかけにチェルノブイリ原発(ウクライナ)を訪れ、現地の科学者や農民からの話を聞いていること。原発に関する彼の思いは半端なものではない、と思いました。
 むろんタレントという立場なので、軽々には発言しなかったけど、原発に関しては一家言あるのではないか。
 そんなことから、この人は将来どんなタレントになっていくのだろうか、と密かに期待していたのに……。
    

 それらが何ともつまらん愚行ですべて水の泡になるとは。
 彼の不徳に対するペナルティーは当然としても、この損失はあまりに大きい。
 こうなればTOKIOの残された4人が全力で穴を埋めるしかないけど、知的な分野の大半は彼が担っていただけに、この穴は大きい。
    

 では山口氏はどうすればいいのか。
 今は(アルコール依存症の)療養中らしいけど、いずれは退院して社会復帰し、仕事をしなければならない。
 TOKIO仲間だった国分太一サンは「彼がふつうの社会にもどる姿を望んでいる」といいます。「ふつうの社会」とはタレント以外の職業なのか。
   

 これは山口氏が自分で決めることだけど、こうなれば執筆もひとつの手だと思います。
 自分独自の自然観、農業観もさることながら、福島やチェルノブイリで見聞きしたことを自分なりに分析して、独自の「原発観」を展開していただきたい。
 これこそタレント事務所を離れた「個人」としてできることなのだから。

    

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 2日、3日は「箱根駅伝」を観ていましたが、正月のTV番組は幕末と京都の特集が多かったように思います。
  

 幕末が多いのは明治150年とのことで、今年の大河ドラマは「西郷(せご)どん」、そのためもあってか、西郷さんがやたら出てきました。

幕末もの①     

 なかで印象に残っているのは、「池田屋事件では、なぜ4人の新撰組が20人の勤王の志士を征圧したのか」(番組名は失念)
 その理由として、①部屋の間口が狭く、斬り合いになっても4対4でしか戦えず、志士たちは少数の新撰組を包囲できなかった。②新撰組の剣術(天然理心流)が実戦向きだった。③新撰組は実戦(真剣を使っての命のやり取り)に慣れていた、ということが挙げられていました。
    

 私はこれに「防具の有無」を加えたい。
 新撰組の資料などを見ると、隊士は頭に鉢金を巻いていたというし、肌には着込み(鎖帷子)を着けていたのではないか。これなら多少斬られても軽傷で済む。
  

 また、「戊辰戦争では、幕府側は何度も勝つチャンスがあったのに、なぜ負けたのか」(これも番組名は失念)も印象に残りました。
 これもいろいろ理由が挙げられていました。
 ひと言でいうと、徳川慶喜の「ヘタレ」に尽きます。
 彼は、「ここ一番」という大事なときに、いつも逃げてしまう。そのために幕府側は戦力も財力も圧倒的に有利だったのに、敗走に敗走を重ねた。
 

 その主な理由は「慶喜の天皇に対する恭順の意」が挙げられていました。
 それはそうだろうと思いますが、他の理由として、イギリスやフランスなど列強の餌食になることを恐れたのではないか。

幕末もの②   

 当時、薩長を中心とする新政府軍は背後にイギリス、幕府軍はフランスがついていました。
 幕府軍が徹底的に抗戦すれば、新政府軍もかなり打撃を受ける。そうなると日本全体が疲弊し、そこを列強につけ入れられるのではないか、慶喜はそれを最も恐れた。
  

 明治以降、列強の支配も受けず、日本の近代化が急速に進んだのも、ある意味では慶喜の「功績」ではなかったか。
  

 そんなことを考えさせられました。

      

 一昨日(12/13)放映の「ガッテン!」は「あなたの朝が変わる! 目覚め解明SP」
 内容はどうすれば朝すっきりと目覚められるかというもので、これまでいわれてきたのは90分サイクル。
  
 睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があって、90分ごとに眠りの浅いレム睡眠がやってくるので、そのタイミングで起こせばいいというものですが、実験結果ではすっきり目覚めとはほど遠かった。

睡眠のサイクル    

 これに関してスタンフォード大学・睡眠生体リズム研究所の西野精治博士は目覚めにはベストタイミングがあるといいます。
 そして目覚ましのアラームは小鳥のさえずりのような非常に小さい音。これを基にしたスマホの「目覚ましアプリ」が普及しているそうです。

ゴールデンタイムに起きること  

 これには目からうろこ。
 私は高校生の頃から目覚めが悪く、そのため母親が私のために買ってきた目覚まし時計はいきなりジリリーン! と大きな音のするものでした。(店員に一番大きな音量の目覚まし時計を所望したらしい)
 そのためこれが鳴ると不快な思いで目を覚まし、いやいや起きたものでした。
        

 もっともこれは私だけではなく、当時ではこれが当たり前で、目覚ましの音がよく響くように金盥(かなだらい)の上に目覚まし時計を設置していた友人もいました。
 しかしこれはすっきり目覚めではないとのこと。
 ということは私の若いころの目覚め方法は間違っていたことになる。あの時間を返せ!
          

 それはいいけど、この番組が不可解だったのは、最後に「目覚ましを使わずに必ず午前3時に目が覚める」という人が現れたこと。
 それはアメリカのソルトレークシティに住むベッツイ・トーマスさん(89)

ベッツイ・トーマスさん    

 「この89年間、起きるのに苦労したことはない」といいます。
 これは娘(65)も孫娘(47)も同じで、この一家はみんなそうだというけど、出てきたのは女性ばかりで男はいなかった。

トーマスさん一家 

 しかも、何時に寝るのかは明らかにしてない。
 取材する側もそこまで突っ込んでない。
 おかしいではないか。最も知りたいのはそこなのに。
     

 私ごとでいえば、若いころは夜型だったけど、50代後半から次第に起きるのが早くなり、それに伴って夜は早く寝るようになりました。
 今は夜9時に寝て、起きるのは午前4時。自然に目が覚めます。
 とくに目覚めが悪いということはないから、目覚ましアプリの必要はありません。     



 先月(09/19)所沢の航空公園へ行く途中、市民武道館近くのバス停で徳光さん御一行のロケに遭遇しました。
 田中律子さんは遠くからでもすぐわかりました。色は黒いけどオーラがあります。
 もうひとりは派手な衣装の女。そして徳光氏。バス停で談笑していました。
      

 「あんな辺鄙なところをバスで乗り降りしても何もないのに」
 そんなことを思いながら一昨日(10/01)放映された番組を観ました。
      

 徳さんは所沢駅から一行(派手な衣装の女はモデルの藤田ニコルさん)を引き連れ、「ぶどう狩りをやりたいね」と市民武道館のバス停で下車。ぶどう館でぶどう狩り?
 そんなベタなしゃれは一切抜きで、この近くに(本物の)ぶどう園があって入園料200円でぶどう狩りが楽しめるというもの。(採ったぶどうは有料)
 ここでサンヴェルデなどを食べ、数種類のぶどうをゲット。

ぶどう狩り   

 それが終わって次の上富(いも街道)に向かうため、バス停でしばし談笑。
 (私が目撃したのはこの場面)
 「行った先では撮影交渉しなければならないよ」「面白そう、私やる」
 という会話が交わされていました。

バス停にて         

 3人を撮っているカメラクルーは2組ほどいたけど、あれだけぶどうを採ったのに身軽なのは随行車に乗せている模様。(バスを追いかける映像は随行車から)

  

 そして上富のいも農家でのいも掘り体験。
 実際はいも掘り体験などできないのですが、これはTV撮影なので特別。

いも掘り体験   

 この街道には約30件のさつまいも農家が並んでいるけど、ここは喫茶店などを経営してなかなか商売上手。私は別の農家を利用しています。

いも街道(筆者撮影) 

 次は(芸もなく)武道館にもどって花園行きへ。そこから本川越へ。
 ここらあたり西武バスの術中にハマってしまったようで、私としてはしっくりしない。
 もどらないで東武バスも利用しろ。
      

 もっともこのあたりは辺鄙なところだから、途中下車しても何もない。
 それに花園~本川越間は私鉄では5~6駅の距離。途中下車もしてないから、徳光さんはよく眠れたと思うよ。

恒例の居眠り   

 川越ではクレアモール商店街でプリクラを撮ったあと、老舗の料亭で松茸懐石。
 一人前6000円以上というので、ちょっと白けた。勝手に食え。

松茸懐石 

 ※次回は都立大学だから、やはり見なければ。

 このところ雨の日が続いて月曜日からずっと雨。
 こんなときは徘徊はせず、家でTVを観ているのがいちばんいい。
 ということで昨日(08/15)はNHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争・インパール作戦」を観ました。
   

 昭和19年(1944)3月、日本軍はインドにあったイギリス軍の拠点「インパール」を攻略するため、ビルマのメイミョーから山岳地帯(標高2000m、全長470km)を越えて進軍しました。
 この作戦については、当初から「無謀だ」「兵站(武器や食料の補給)ができない」と猛反対があったのを、牟田口廉也司令官が「臆病者!」「大和魂で乗り切れ!」と怒鳴り散らして強行しました。
  

 しかし輸送と食料用に調達した水牛は、川幅600mにも及ぶ大河を渡ったときに大半が流され、山道はトラックが使えず、トラックや大砲などすべて分解して、兵士が一人ひとり担いで行軍するという有様。
  

 司令部の目算では「3週間で行ける」ところを2ヵ月かかってインパールまで15kmという地点にたどり着いたものの、山の上から待ち構えていたイギリス軍の機関銃攻撃に遭い、日本兵はなすすべもなくバタバタと倒れていきました。
 あるイギリス兵はのちに「(オレひとりで)40人は殺したよ。これは大げさではなくて、彼らは格好の標的だったから」と告白しています。
  

 このように味方にたくさんの犠牲者が出ても、司令部の間では「5000人殺せば落とせる」とか「いやあそこは3000人殺せば落とせるだろう」という話が飛び交っていました。
 「落とす」とは敵の拠点を陥落させることですが、「殺す」とは敵の兵士ではなく、部下の兵士のこと。つまり上層部にとって自軍兵士の命などはどうでもよく、単なる捨て駒(消耗品)扱いでした。
 このことは牟田口司令官に仕えていた斎藤少尉がきちんと書き留めていました。
  

 イギリス軍の機関銃攻撃で多くの兵士を失い、日本軍は総退却。
 しかしそれも悲惨なもので、疲れ切った上に、食料もない、衛生状態も悪いので疫病にやられ、下痢状態のまま走る、そこをイギリス軍が背後から追ってくる、さらに雨期に入って大量の雨。
  

 日本兵は戦わずしてバタバタ倒れました。このときの死者は戦死よりも病死のほうが多かった。
 インパールからビルマにかけての山々、谷、そして街道にはおびただしい日本兵の死体が横たわり、兵士たちは「白骨街道」と呼んだといいます。
  

 食べ物がなく、味方同士が殺し合ってその肉を食うという惨状でした。
 それを書き留めていた斎藤少尉も自らの死を考え、「恥ずかしくない死に方をしたいものだ」と記しています。そして「思えば将校は死んでいない」とも。
  

 下級兵士はこのように地獄の苦しみを味わっていましたが、牟田口司令官などの軍上層部は早々と引き上げ、日本に帰っています。
 のちの聞き取り調査によると、この「インパール作戦」に賛成し、強行した将校たちは「これは自然発生的に行われたもの」とか「ことの成り行きでこうなった」と責任のなすり合い。
 司令官の牟田口廉也はのちにイギリス軍の司令官が社交辞令に「あのときは日本軍に苦しめられた」といったことに気をよくして、「軍人として冥利に尽きる」というノー天気なことをいっています。
  

 その無益な「インパール作戦」の惨状を逐一書き留めていた斎藤少尉はどうなったか。
 生きていました。御年96歳。
 書き留めていたノートを渡されると、「あったのですか」
 一瞬顔をほころばせましたが、おそらくこれまで家族にも誰にもいわなかったことに直面する表情になりました。
   
 あの戦争に対する思いは? と聞かれ、彼は泣きながらこう叫びました。
 「悔しいけれど、上層部の、兵隊に対する思いはそんなものです」