2018.02.21 高校の同窓会

 先週の土曜日(02/17)御茶ノ水「ガーデンパレス」にて高校の同窓会が行われました。
 私は高校までは京都ですが、関東にも同窓生が数名いて、2~3年に1回ぐらい開催されます。
 今回の出席者は28名。インフルエンザでのドタキャン欠席者が数名あったとか。
 実は私も「この寒さでは(出欠を)どうするか」と迷ったぐらいですから。

同窓会・会場   

 受付で声をかけられました。
 「あんたはこっち(関東)へきてどれぐらいになる」
 「もう半世紀以上だよ。骨の髄まで関東人だなあ」
 「それでもイントネーションに関西訛りが残ってるね」
 「うん、とくに同郷者としゃべるとね。これが実に腹立たしい」
 「はははは」
     

 「よくTVなんかで京都の特集をやるやろ。『あれッ、こんなとこあったんか』と思うことがようあるわ」
 「わかるわかる、ワシかてそうや」
 「ほんま、早いうちからこっちくると、ほとんど京都のことなんかしらんのや」
 「そうやなあ。今ごろになって京都のよさがわかったりして」
 「それや。去年なんか〇〇さん(同窓生の女性)に『京都を捨てたらあかんえ』と怒られた」
 「はははは」
   

 会がはじまって一人ひとりのスピーチになると、ほとんどが病気の話。それも癌。
 なかには「3ヶ月前、胃癌の手術をしたばっかりです」と杖をついてやってきた人も。
 そこで司会者が癌体験者の挙手を求めると、半数近くが手を挙げました。

    

 「私なんか癌になったのは早いほうだったと思う。40代半ばだったから」
 とは右隣りの席の女性。
 「どこの癌?」
 「膀胱癌です」
 「えッ、それは大変や。それで手術したの」
 「一部ね。最初の病院では『全摘手術です』といわれて、いくら何でもそれはいややと病院替えて診てもらったら、部分的な手術で済んで、その後投与された抗癌剤が私に合ってたみたい」
 「今は何ともない?」
 「ええ、大丈夫です」
 「それはよかった。でも、どうして癌だとわかったの」
 「血尿が出たから。それでびっくりして」
 「なるほど」

同窓会の様子①  

 私の遠慮会釈のない問い(職業病?)に彼女はよく答えてくれました。
 排泄器官の病気ともなれば答えづらいし、しかも女性、そもそも排泄関係の障碍は人間の尊厳に関わることだけに、その悩みは深刻だったと思われます。人によっては生きる気力をなくすといいます。
 今はごくふつうにしゃべっているけど、当時は何度も地獄を見たのではないか。
 もっとも我われぐらいの齢になると、「病気についてはお互いさま」という共通認識があるので隠すことはなにもない。それに人に語ったほうが、病気に立ち向かえる気力が生まれ、快方に向かえるという面もあります。
   

 同じようなことは私も体験しています。
 もっとも私の場合は癌ではなくて骨折ですが。
 5年前ひどい骨折事故を起こして入院したとき、あまりの姿に「どうされましたか?」と多くの人に聞かれました。半分は好奇心もあったと思いますが、私はそれらの問いに正直に答えました。
 それによって自分を客観視することができ、傷害に立ち向かう気力が沸き起こってきました。
   

 そのことを私もスピーチで述べました。

      

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 何の脈絡もなく、御茶ノ水・湯島聖堂。
 ここは元禄3年(1690)、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟で、のちに幕府直轄の学問所となりました。
  

 大成殿です。孔子が祀られているので孔子廟とも呼ばれています。

大成殿   

 そこから下りたところにある楷樹(かいじゅ)。
 楷はうるし科の木で学名は「とねりばはぜのき」

楷樹    

 孔子の墓所に植えられていた木で、今日まで植え継がれてきたとか。枝や葉が整然としているので、書道の楷書の語源にもなったといわれています。
   

 そのすぐ近くにある孔子像。
 孔子像としては世界最大のもので。昭和50年(1975)台湾のライオンズクラブから寄贈されたもの。

孔子像   

 仰高門。
 この日(02/17)は土曜日ということもあって観光客が多かった。

仰高門    

 学問の殿堂だっただけに、受験シーズンは混むとか。
  

 湯島聖堂の東側は坂道になっていて、昌平坂と呼ばれています。
 幕府の学問所のことを「昌平坂学問所(昌平黌)」といい、この周辺には三つの坂があり、それらを等しく「昌平坂」と呼び、この坂もそのひとつ。

昌平坂  

 アカデミックな風情が感じられます。


 昨日(02/15)の昼前、川越の友から電話がきて、「今朝の記事はショックだよ」
 私が書いた「癌は不意にやってくる?」です。
 「友人がバタバタとあの世に行って心細くなっているところへあの記事だろ。こちらは身体のあちこちにガタがきて、『そろそろヤバいかな』と思っているから身につまされたよ」
 「いやあ、こちらはほんの警告のつもりだったんだけど」
        
 このところ寒い日が続いたので徘徊はめっきり少なくなり、風景写真に絡んだ記事は控えがちになりました。
 それでも書くことはあるので、健康についても述べてみたのですが、こんな「効果」があろうとは。
 「今年は梅の開花が遅いからなあ。外へ出ても面白くないんだよ」
 「でもちらほらと咲いているようですよ。凍傷も治ったようだし、そろそろ徘徊を再開されては。今日は暖かくなるっていいますよ」
        
 そういわれて、午後から外に出てみました。
 なるほど、暖かい。
 鎌倉街道を南下して、藤久保の田園地帯に。
 ここに数本の梅の木が植わっているのですが、果たして……。

田園地帯    

 行ってみると白梅が咲いていました。

白梅が数本   

 それでも咲き始めたばかり。ここは陽当りがいいので早いのですが、他はまだだろうな。
 そんなことを思いながら、ここをあとにしました。

咲いている!    

 この日は暖かかった(3月下旬の気温とか)けど、今日はまた寒くなりそう。


 川越にはしょっちゅう行っているのに、最近になって発見したというものがあります。
 先ず蓮馨寺の水舎(手水舎=手を洗うところ)。

蓮馨寺の水舎   

 欄間の彫刻が何とも立派です。
 とくに4本の柱の角には牡丹唐獅子や鶴亀、唐子遊びが精緻に彫られています。

柱の彫刻①   

 蓮馨寺は明治26年の大火で大部分が焼失しましたが、鐘撞堂とこの水舎は残ったそうです。

柱の彫刻②    


 蓮馨寺の斜め向かいにある熊野神社でも小さな発見がありました。
 神社の隅にある「元杢網(もとのもくあみ)」の歌碑。

元杢網の歌碑   

 「もとのもくあみ」というと、ふつうは戦国時代の武将・故筒井順昭の替え玉・木阿弥を思い浮かべますが、これは江戸時代の狂歌師・落栗庵元杢網のこと。
 この石碑には、
    

 山さくら咲けば白雲散れば雪 
 花見てくらす春そすくなき
    

 と刻まれています。

歌碑には「山さくら~」と刻まれている

 杢網は比企郡杉山村(現嵐山町)の出身で、本名は金子喜三郎。若きころから江戸に出て、狂歌界で名をあげました。この川越にも来遊し、蓮馨寺近くにも住んでいたそうです。(解説板)
 「山さくら……」の歌は蓮馨寺境内の桜を望見したものといわれています。

   

 元の木阿弥の話は司馬遼太郎の小説に出てきたけど、この「元杢網」についてはまったく知らなかった。
 やはり長生きはするもの?

    


 「あれッ? ない」
 一昨日(02/04)久しぶりに旧川越織物市場を見に行ったところ、建物がなくなっている。
 明治43年(1910)に建設された織物市場の建物で、当時の状態を維持したまま残っていたのに。

なくなった「旧川越織物市場」の建物   

 この建物は木造2階建ての長屋が向かい合ったもので、なにかとイベントに使用され、私も何度か入ったことがあります。

撤去される前の「旧川越織物市場」の建物   

 これは一昨年秋の「アートクラフト手づくり市」の模様。

アートクラフト市の模様①   

 手づくりの民芸品の市は、地味ながら興趣深いものでした。

アートクラフト市の模様②  

 ただしこの建物自体が古くて、建て替えられるらしい。
 告示を見ると、先月中旬に取り壊され、2020年には修復、再現されるらしい。

当時の川越織物市場   

 私としてはイベント会場として復活するのではなく、当時の資料とともに川越織物市場の様子がわかるような資料館にしていただくとありがたい。