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 先週(03/07)ふじみ野市新駒林の梅林を取り上げましたが、この地域は河津桜の愛好家(?)が多いのか、県道東大久保大井線(272号)沿いのあちこちで見られます。(03/12現在)

 先ずは新駒林の梅林から272号沿いに東に進むと、右手の居酒屋の前に1本の河津桜が。
 しかし満開の時期は過ぎたらしく、葉桜も見られました。
          居酒屋前の河津桜
 その先の交差点の一角にも河津桜が見られます。
 民家の塀の向こうですが、角なのでよく目立ちます。
     交差点の河津桜(左の道が272号) 交差点の河津桜
 上の写真、左側の道が県道東大久保大井線(272号)です。
 この道をさらに東に進むと、右側の歩道に河津桜が見られます。
          道端の河津桜
 道端に無造作に植えられているので、あまり有難味は感じられないけど、これだってれっきとした河津桜。とはいえ所どころ葉桜も見られました。
 日当たりがいいと、それだけ早く(老化が?)進むのかな。
    
 この前の通りが県道東大久保大井線(272号)で、その向かい側、うなぎ屋のもっと奥に河津桜が見られました。
 近くにお釈迦様の石像が。ここはなんだ?
          近くに釈迦の石像が
 お寺の境内か、と周囲を見回したけど、それらしいものはなし。
 敷地の隅に石の塔頭などは見かけましたが。
          個人宅らしい
 その奥は駐車場になっており、手前には低い塀があって、個人の表札がありました。
 すると、ここは個人宅? 失礼しました。
       
 最後は鷺森陸橋の手前の民家の河津桜。
 ここは3年前も取り上げました。(2016/03/05投稿)
 このときは三浦海岸で河津桜を見てきた直後だったので感激も一入(ひとしお)、出てきた女性と河津桜談義をしたほどです。
          陸橋手前の民家
 今年も見られてよかった。
 ちなみにこの向こう側はエコパです。

   
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 大震災から8年、被災地では今なお5万人以上の方が避難を余儀なくされているといいます。

 これについては、昨年暮れ亡くなった取手の友が口を酸っぱくしてこういってました。
 「東北の復興が遅れているのは東京五輪のせいや。あれのために建設業者が東京に集中して、東北に回らんようになった。あんなものに国家予算を割くなら、東北にどれほど多くの家が建つか」(当欄「東日本なんじゃもんじゃ会談③」2017/03/14投稿)
     
 さらにこうもいってました。
 「そもそもはアベがいかん。五輪招致活動のプレゼンテーションでしれッとした顔で『アンダー・コントロール』といいよった。あれでIOCと世界をだましよったんや。原発の汚染水はどんどん出て、溜まる一方やいうのに臭いものにフタして、体裁のええことばっかりいうて。大体原発が100%安全なんて誰も思うとらへん」
    
 原発についてはこういってました。
 「もし原発が100%安全やったら、首都圏の発電所は東京近辺に置くやろ。福島みたいな離れたところに置くということは100%安全と信じとらんからや。東京近辺で事故が起こったら大ごとやから。福島がそれを受け入れたのは、いろんな施設を建ててもらったり、雇用も生まれたりでそれなりの恩恵を受けたからや」
   
 私もその通りだと思います。
 今年は年明けから、日本全体が来年の五輪に向けてあわただしく動いているようです。
    
 「アホな国やなあ」
 あの世から彼が呆れているような気がします。

       
 「あんた、無事だったか」
 震災の翌日、朝霞市に住む年上の友人から電話がきました。
 彼は頻繁に電話を入れたものの、繋がらなかったそうです。
 「こちらの被害はTVの裏に収納したビデオがバラバラ落ちた程度だよ」
    
 その後も続々と友人・知人から、「生きてたか」と命の確認(?)電話。
 そして異口同音に「こんな大きな地震、初めてだ」
   
 「ニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙が出るよ」
 「東北の人は我慢強いなあ。みんな純朴でいい人たちばかりじゃないか。それがなんでこんな目に遭うのか」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるよ」
 当時はニュースを見るたび自分の無力さを思い知らされました。
    
 また、そのときがきたらどうするか、ということを真剣に話し合いました。
 それも避難しているときに救助のヘリがきて、ひとりしか運べないという究極の選択です。
 「オレはもういいかな。子どもや若い人に譲るよ」
 「わからんぞ。そんなことをいうヤツに限って、いざそのときになって我先にロープにすがりついたりして」
 「そうかなあ」
 「いや、キミかそうだということではないけど、そのときにならないとわからない」
 「それはそうだけど、関東だってそんな危険がないとも限らんのだから、ある程度覚悟したほうがいいのではないか」
      
 そんなことを語り合った友ですが、今ではその大半と疎遠になりました。
 その原因はひとえに私の性格にあります。
 私は「この人物とは反りが合わないな」と思うと、何もいわずに離れるようにしています。
 これは相手もそう望んでいるはずで、むしろよろこんでいるのではないか。
      
 生と死を分ける究極の問題を真面目に話し合ったとしても、「一生の友」になるとは限らない。
 今、エコパなどで会話を交わす相手とはバカ話が多い。
 「喉もと過ぎれば熱さ忘るる」とはこのことでしょうか、当時のように真剣な話はしません。
 私の友情の在り方というのは、つくづくいい加減なものです。
     
 このように私のなかでは、東日本大震災のことは次第に風化しつつあります。
 そうならないようにせめてこの時期だけは、過去に書いたものを引っ張り出してきて、それをよすがに書き起こしているのですが……。

 さっき外に出たとき、梅がきれいだったな。こんなことならカメラ持って出るんだった。しまったなあ。
 とはいえ、また出るのも面倒くさい。明日の徘徊で撮ればいいか……。
 そんなことを考えながらPCに向っていたところ、
 グラグラ、グラグラッ!
   
 「…………?」
 地震だな、と思っていると、その揺れはユッサユッサと大きく、激しくなる。

 「大変だ!」
 食器棚の上に大きな電子レンジが乗っかっているので、それが落ちないように抑えに行きました。
 揺れはさらにグラグラグラッと激しくなり、しかも時間が長い。
 ドサドサッと音がしました。棚の上の資料の箱が落ちました。 「尋常の地震ではないッ」

 5分ぐらい揺れていたでしょうか。
 こんなに激しく、長い地震は初めて。
 
 ラジオを点けると、「震源地は宮城県沖、マグニチュード7.6、宮城県の震度7」
 その後マグニチュードは8.4に変わり、8.8と訂正されました。
 南関東でも震度5強。こちらでも最大級の地震でした。
                 *
 夜のTVニュースを観ると、東北地方の被害が甚大であることがわかりました。
 とくに津波が沢山の車を押し流し、河をさかのぼって人家や畑を飲み込んで行く様子にことばを失いました。
 これが「1911.3.11東日本大震災」の日でした。
 8年前のことですが、今でも鮮明に覚えています。
                 *
 翌日被災地の惨状をTVニュースで見て、胸がふさがりました。
 しかも津波による障害で救助隊の動きもままならないようでした。

 その後は被災地の悲しい報道が多く、首都圏では計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 そのため買いだめに走った人も続出し、その大半は我われ年配者。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに、首都圏の年配者は食料品や日用品を買い漁るだけか。
    
 我われ世代はオイル・ショックのとき、上の世代がトイレットペーパーを買い漁る姿を見て、「あんな年寄りにはなりたくない」と思ったはずなのに、その年齢になればそうなるのか。
 歴史は繰り返す、は本当だった。
     
 このときから私は「なるべく若い人たちの迷惑にならないように生きよう」と思いました。
 はたしてそれが守られているかどうか。
 今ではまったく自信がありません。

      

 自宅のカギを紛失した。
 それでも電車は鶴瀬に近づき、自分の身体は自宅に向かっている。
 どうすればいいのか、なかなかいい案が浮かばない。
   
 アパートの管理会社に電話して、マスターキーを持ってきてもらう……。
 しかしすぐにきてくれるか。会社はさいたま市にあるというから。
 妥当なのは鍵の業者に電話して合鍵をつくってもらうことか。
 しかし金がかかりそうだな。
 一瞬窓ガラスを割って入ることも考えたけど、自宅は道路に面した2階。どうやって上る。それに近所の人が見たら、もろ怪しい。ガラスも修理しなきゃならないし。
   
 いっそ駅前の交番で相談するか。
 そんなことを考えながら駅を出て、何気なくもう一度ポケットに手を突っ込んでみると、「…………?」
 ポケットの裏側に何やら金属片のようなものが当たる。
 もしや、と思ってズボンの裏を探ってみると、なんとループにつないだカギがぶら下がっていました。
 やれ、助かった。
 結果的には無事帰宅することができたけど、この間どんなにドキドキしたことか。

自宅のカギ     

 それにしてもズボンの裏側にぶら下がっていたということは、ポケットから飛び出しても落ちなかったわけで、「やはりこのやり方で正解だったのだ」と意を強くしました。

*    

 自宅のカギはなくさなかったけど、自転車のカギはなくしてしまった。
 エコパの駐輪場で自転車のカギをかけ、左のポケットに入れたつもりだったけど、おそらくそこで落としたか、あるいは館内のどこかでか。
 その後もフロントで、カギの落し物は届いてないか聞いてみても「届いてない」とのこと。
       
 「迂闊だったなあ、あのときに限って」
 こちらは後悔しきり。
 当方は意外にも尾を引く性格で、スペアキーを使いながらも鬱々とした日々を過ごしました。
 なるべく忘れようとしているのですが。
   
 そして、つい先日(02/04)のこと。
 出かけようと、いつものようにスキーウエアのズボンを穿いたところ、足元にかちゃりと音がする。
 見ると自転車のカギ、それも本カギ、昨年暮れ、エコパでなくして、どうしても見つからなかったものです。
 それがどうしてこんなところから出てきたのか。
 スキーウエアというのは生地が二重になっているので、そこに入り込んでいたと考えられます。

出てきたて自転車の本カギ    

 本カギを紛失したとき、このポケットも点検しました。
 そのときは内部の縫い目が少し綻んでいるのを発見し、「もしや」と思ってズボンも点検したのですが、見つからなかった。むろん破れ目は縫いました。
 しかしズボンの下から出てきたということは、やはり表地と裏地の間に入っていたとしか考えられない。
 それが今ごろになって出てくるとは。
 もう一度ズボンの裏側の裾を調べたけど、出所はよくわからない。
   
 それにしても約2ヶ月間、この姿であちこちで歩いていたのに、よく外で落ちなかったものだ。
 これは単に「運がよかった」としかいいようがない。
   
 これからはなくさないように気をつけないと。