安倍改造内閣一週間後、なんとも妙ちきりんな大臣が現出しました。
 江崎鉄磨・沖縄北方大臣(73)です。
   

 先週の5日(土)、今後の国会答弁では間違いを避けるために「しっかりお役所の原稿を読ませていただく。立ち往生より、ちゃんと答弁書を朗読かな」と発言しました。
 これを聞いて私は「なんというつまらん大臣だ」と思いました。
 役人の原稿を読むだけなら大臣は要らん。
  

 しかもこの人、安倍首相からの入閣要請を一度は固辞。「齢も齢だし、今さら大臣など」
 ところが所属する会長の二階俊博氏から「なんで断るんだ。これは派閥の総意だ」と激怒され、やむなく引き受けたという経緯があります。

江崎鉄磨・沖縄北方大臣   

 野党からは、「こんなやる気のない人間は大臣に不適格。即刻辞任しろッ」との声が上がりました。
 ここまでなら私も野党のいう通りだと思いました。
  

 しかし8日(火)の記者とのやり取りで「靖国は行きますか」と聞かれて、
 「この10年ほど行ってません。そもそも靖国は(A級戦犯を)分祀すべきです」
 と答えたのにはびっくりしました。

 私の考えと同じだ。
 靖国神社に関しては、1978年、当時の宮司が(昭和)天皇の意向を無視して、A級戦犯を合祀したため、天皇は激怒。いらい天皇の靖国参拝はなくなりました。これは今の天皇も同じ。
 江崎大臣の考えは天皇や私と同じで、安倍首相やそのお友だち(チルドレン)とは明らかに違う。
  

 さらに沖縄について、「日米地位協定は少し見直さないと(いけない)」と述べたのも閣僚の発言としては異例。これは私だけではなく、国民の大半が思っていることで、失言ではない。
 ただしいった以上は、あんた自身(沖縄担当大臣)が実現化するよう尽力してくれ。
  

 思うに、この人は(自分でもいってるように)大臣どころか政治家としても素人?
 それが悪いというのではなく、ありようによっては面白い。

 ♪うそとお世辞のご時世にゃ いてもいいだろこんな奴 ああ 東京永田町……(違った?)
 

 野党やマスコミにとっては突っ込みどころ満載のキャラクターだけど、「謙虚、謙虚」で押し通し、のらりくらりと交わすのではないか。
 安倍首相のサプライズ人事とはこれだったのか。

   

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 昨日(07/24)は閉会中審査の実況中継を観ました。
 安倍サンは多少しおらしく、「李下に冠を正さず」などと持ち出して、国民のみなさまに疑われてもしょうがない、とはいいながら、「加計学園獣医学部新設を指示したことは一度もない」といい切りました。
         
 しかし首相官邸が文科省に圧力をかけているのは事実で、(「萩生田副長官ご発言」など)そのキーパーソンは和泉洋人首相補佐官。
 前川喜平前文科事務次官に「総理は自分の口からは言えないから、代わって私が言うんだ」と圧力をかけた(前川氏証言)とされています。
        

 その和泉補佐官は、「こんな極端な話をすれば記憶に残っております。そういった記憶がまったく残っておりません。したがって、言っておりません。言っておりません」と全面否定。
      

 この答弁、どこかで聞いたことがあるぞ、と思ったら、稲田防衛大臣が過去に籠池氏の弁護をしたことを頑強に否定しておいて、証拠が出てきたら、「記憶になかったので、ないと申し上げました」と弁明したこと。あまりの図々しさに国民は呆れました。
 この論法と同じじゃないか。
           

 「記憶にない」で通るなら、痴漢やっておいて「記憶にない。したがって私はやってない」と正当化できる。こんなご都合なことはない。
          

 これは私の考えですが、今回の和泉補佐官の妙な否定発言は、首相の足を思いっきりドロ沼に引きずり込みました。
 「総理は自分の口からは言えないから、代わって私が言うんだ」との前川発言に対して、「言ったかもしれない」といったほうがよかった。「ただし私の独断で」と付け加える。
 そして首相官邸の「忖度」を一手に引き受ける。「これが補佐官の仕事だ!」と。
 すべては「忖度」がひとり歩きしたとなれば、安倍サンは晴れて潔白の身になる。
 さらにいえばこれで和泉補佐官の株が上がる。「よくぞいってくれた」と。
         

 しかし残念ながらそうはならなかった。
 和泉補佐官という人、よほど肝が小さいのか、大所高所から見る頭脳がないのか。それとも首相を救う義侠心がないのか。
        

 こうなれば前川喜平前文科事務次官と和泉洋人首相補佐官を証人喚問すればいいと誰も思うでしょう。おそらく前川サンはOK。
       

 これに対して首相は「国会に任せる」と。(自分の一存で開くこともできるのに)
 国会に任せたら、自民・公明は多数を占めているので否定できる。明らかに逃げの姿勢。
        

 こうして安倍サンに対する疑念は少しも払拭されないまま、時間が過ぎていく。
 いいんだよ、別に。支持率はジリジリ下がっていくだろうから。
     

    

 一昨日(05/24)丸川五輪担当大臣は、東京都以外の開催自治体も一定の負担をする方向で合意したと、明らかにしました。
 これに対して神奈川、埼玉、千葉の各県知事は「聞いてないよ」「またか」「不愉快だ」と怒っています。
  

 とくに神奈川県・黒岩知事の怒りは大きい。
 というのも江の島がヨット競技の会場となっているので、これに関する費用が県の負担ではやってられない、という。
          
 もっとも県としては、江の島に渡る橋の3車線化やプレジャーボートの移動先である葉山港の整備費を約40億円負担している。これは県のレガシー(遺産)になるので仕方がない。
 しかし仮設会場の建築費用やボートの移動費用(1,000艇)、周辺海域の漁業補償に関しては、組織委か東京都が負担するもの、といいます。

江ノ島ヨットハーバー 

 私が気になるのは周辺の漁業関係者への補償。
 ヨット競技のコースによっては、漁ができなくなる。定置網など撤去するのか。
 それも五輪期間だけではなく、準備や後始末の期間も含めて数年間だ。それだけに補償は漁業関係者に手厚くしていただきたい。
 

 この補償などの諸経費を、組織委や東京都が出し渋ったり縮小してきたら、神奈川県は「それならヨット競技の会場は返上します」ぐらいいってもいいのではないか。
 黒岩知事には一歩も退かぬ決意を見せていただきたい。
  

 ちなみにここは美味い「しらす」の獲れるところ。
 漁業関係者が営業できなくなると、このしらすはどうなる。
 これも大いに気になります。

   

 昨日は「関連力」に触れましたが、その具体例について述べてみます。
  

 4年前(2013)の夏、私はロフトから落ちて右上腕骨を剥離骨折し、それをつなぐため骨の内側に金属の支柱を入れる手術を受け、その際全身麻酔を施されました。
   

 気がついたら手術は終ったあと。傷口は縫われ、金属の棒が入っています。その間私は無意識状態だったわけです。
  

 これは睡眠とはまったく違う。
 肩の皮と肉をざっくり切られ、骨を出されてその内部に金属の支柱を入れ、数ヵ所ボルトで固定し、それを元にもどし、傷口を縫いつける……ふつうなら激痛のはず。
 しかしこれがまったく感じてない。
 無意識というのは痛みもなければ、何もない。

 このとき思ったのは、泉鏡花の「外科室」はうそっぱちである。
 これは、ある高貴な夫人が手術の際、麻酔をかけられたら、自分の秘密をうわごとで喋ることを恐れて麻酔拒否。主治医も(わけありで)麻酔なしで執刀。夫人は痛みのあまり絶命するという内容の小説ですが、そんなことはあり得ない。
 全身麻酔なら、意識がないので秘密など口走るわけがない。だいいち喉の筋肉が動かないのだから、うわごとなど喋れない。執刀医ならそれぐらいのことはわかっているから、夫人に説得するはず。

 さらにいうと、施術中の「〇〇京一郎」という生命体の心肺が動いていたとしても、無意識状態であれば、「私はそこにいない」ことになります。つまり「我思わざれば、我なし」
 ということで、デカルトの「我思う、故に我あり」は正しかった。
  

 これについて深夜のラジオ放送で某老作家が、
 「本当は『我あり、故に我思う』なんだけど、そこはデカルト一流のレトリック(修辞法)でわざとひっくり返してみせたんだよねえ」
 と得意げに語っていたけど、この作家、なにもわかっとらん。
 デカルトは詩人とは違って哲学者。レトリックなど弄するものか。
 ことば通り「我思う、故に我あり」だよ。

 では「私」とは何か。
 これは「認識する私」のことです。生命体のことではありません。
 生命体は親が産んだ。しかし認識までは産んでない。
     
 世間には、「何で私を産んだ」と親に問い詰める子どもがいるそうですが、その子はこの道理がわかってない。(答えられなくておろおろする親も情けない)
 親は「問い詰める私」を産んでない。赤ん坊(生命体)を産んだだけ。
 認識はその子のもの。つまり私を産んだのは私、ということになります。
  

 余談ですが、「なぜ私を産んだ」と子に問われたら、「だったらなぜ親を産んだのだ。祖父母に聞いてくれ」と答える手もあります。そうなると問いは先祖代々に遡ることになり、愚問であると思い知らされるでしょう。

 聖書のヨハネ伝福音書第一章に、
 「初めにことばありき。ことばは神とともにありき。ことばは神なりき」
 と記されています。キリスト教の基本中の基本です。
       
 これは「認識が先にある」といっています。つまり「我思う、故に我あり」です。
 ゲーテは「ファウスト」のなかで「初めに行為ありき」ではないか、と主張していますが、やはり認識が先なのです。

 このことは般若心経も同じです。
 「色即是空 空即是色」とありますが、これは実体には何もなく、何もないところから実体(生命ある肉体)が生まれると説いています。
 この「何もないところ」とは認識のことではないかと思うのです。
 

 維摩経の序章にも「生命の由来」が書かれ、それによると「行為」などは序の口で、そのエネルギーとなるも遡っていくと、触(=気配のようなもの)にたどり着きます。
 では蝕とは何か。これは「生まれようとする意志」ではないか。やはり認識が先なのだ。

 これらの解釈が正しいかどうかはわかりません。
     
 しかし無意識状態から生還したとき、泉鏡花「外科室」、デカルト「我思う、故に我あり」、某老作家の「レトリックなんだよね」、「なぜ私を産んだ」、聖書の「初めにことばありき」、般若心経「空即是色」、維摩経のことば……が次々と浮かんできたのは事実です。
 これは私にとっての関連力の一例です。
  

 我思ふ故に我あり春光

    

 川越の友は、「最近政治のニュースが面白い」といいます。
  

 「籠池なんて一切知らない」といっていた防衛大臣が実は10年前には籠池某の顧問弁護士をやっていた。その事実を突きつけられても、「記憶になかったから」と突っぱねた。
 そのくせ籠池某については「失礼なことをされた」とか、籠池夫人については「あの人らしい」とよく覚えている。幼稚なのか、図々しいのか。(恥知らず?)
 私の印象に残っているのは、公務で靖国参拝ができなかったことを(辻元議員に)指摘されて涙ぐんだ光景。泣くことはなにもない。「公務で行けなかった」と堂々といえばいいこと。こんなつまらんことでベーベー泣く大臣も珍しい。
  

 そのためなのか、「PKOの日誌は破棄した」と防衛省(と自衛隊)にトボけられている。なめられているといってもいい。
「こんな大臣で国が守れるのか」と友はいう。
  

 「籠池の証人喚問も面白い。アイツはなにをいうかわからん」と友はいいます。
 籠池某に関しては妄言が多いと思っているけど、「安倍晋三から寄付を受け取った」とすでにいっている。今さら引っ込みはつかない。
 それに、今まで隠されていたことがボロボロ出るのではないか。
  

 さらに、「愛国教育が浸透してきてるよ。教育勅語は小学館で発行され、じわじわ売れている」といいます。
 私は、恋愛と同じで、「国家の側が国民に愛国を強要したらもう終わり」と思っているので、行く末はかなり不安です。
  

 私の覚えている限りでは、愛国を強要していた代表は石原元都知事。
 あんなに偉そうにやっていたのに、いまのザマはなんだ。年取っただけでは済まされない。
 百条委員会では何をしゃべるか、興味を持たれているけど、「覚えてない」「知らなかった」でトボけ通すと思います。結局、偉そうにやっていた人間は責任を取らない。
 それは戦前・戦中の日本の指導者も同じ。
  

 さらにいうと、今のアメリカ大統領。
 このKKKの流れをくむ連中はこれまでアメリカ南部で臥薪嘗胆し、国力が弱まっているときに「今こそ!」と出てきたわけですが、かえって集中砲火を浴び、やがてはボシャるでしょう。
  

 同じことは日本の愛国教育にもいえるのではないか。
 地味にじわじわ浸透していればよかったものを、籠池某のようなオッチョコチョイが出現したことによって、集中砲火を浴び、廃れていくのではないか。そんな気がします。
  

 その籠池某の証人喚問は今月の23日(木)。
 「面白いことになったけど、この日は生憎WBCともぶつかるんだよねェ。さらにいとう選抜甲子園の早実vs.明徳もこの日だ。どれを観るかなァ」
  

 私はこの日は歯医者なので、リアルタイムでは観られない。いいけど。
     
 啓蟄や怪しい虫の這い出づる