一昨日(05/24)丸川五輪担当大臣は、東京都以外の開催自治体も一定の負担をする方向で合意したと、明らかにしました。
 これに対して神奈川、埼玉、千葉の各県知事は「聞いてないよ」「またか」「不愉快だ」と怒っています。
  

 とくに神奈川県・黒岩知事の怒りは大きい。
 というのも江の島がヨット競技の会場となっているので、これに関する費用が県の負担ではやってられない、という。
          
 もっとも県としては、江の島に渡る橋の3車線化やプレジャーボートの移動先である葉山港の整備費を約40億円負担している。これは県のレガシー(遺産)になるので仕方がない。
 しかし仮設会場の建築費用やボートの移動費用(1,000艇)、周辺海域の漁業補償に関しては、組織委か東京都が負担するもの、といいます。

江ノ島ヨットハーバー 

 私が気になるのは周辺の漁業関係者への補償。
 ヨット競技のコースによっては、漁ができなくなる。定置網など撤去するのか。
 それも五輪期間だけではなく、準備や後始末の期間も含めて数年間だ。それだけに補償は漁業関係者に手厚くしていただきたい。
 

 この補償などの諸経費を、組織委や東京都が出し渋ったり縮小してきたら、神奈川県は「それならヨット競技の会場は返上します」ぐらいいってもいいのではないか。
 黒岩知事には一歩も退かぬ決意を見せていただきたい。
  

 ちなみにここは美味い「しらす」の獲れるところ。
 漁業関係者が営業できなくなると、このしらすはどうなる。
 これも大いに気になります。

   

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 昨日は「関連力」に触れましたが、その具体例について述べてみます。
  

 4年前(2013)の夏、私はロフトから落ちて右上腕骨を剥離骨折し、それをつなぐため骨の内側に金属の支柱を入れる手術を受け、その際全身麻酔を施されました。
   

 気がついたら手術は終ったあと。傷口は縫われ、金属の棒が入っています。その間私は無意識状態だったわけです。
  

 これは睡眠とはまったく違う。
 肩の皮と肉をざっくり切られ、骨を出されてその内部に金属の支柱を入れ、数ヵ所ボルトで固定し、それを元にもどし、傷口を縫いつける……ふつうなら激痛のはず。
 しかしこれがまったく感じてない。
 無意識というのは痛みもなければ、何もない。

 このとき思ったのは、泉鏡花の「外科室」はうそっぱちである。
 これは、ある高貴な夫人が手術の際、麻酔をかけられたら、自分の秘密をうわごとで喋ることを恐れて麻酔拒否。主治医も(わけありで)麻酔なしで執刀。夫人は痛みのあまり絶命するという内容の小説ですが、そんなことはあり得ない。
 全身麻酔なら、意識がないので秘密など口走るわけがない。だいいち喉の筋肉が動かないのだから、うわごとなど喋れない。執刀医ならそれぐらいのことはわかっているから、夫人に説得するはず。

 さらにいうと、施術中の「〇〇京一郎」という生命体の心肺が動いていたとしても、無意識状態であれば、「私はそこにいない」ことになります。つまり「我思わざれば、我なし」
 ということで、デカルトの「我思う、故に我あり」は正しかった。
  

 これについて深夜のラジオ放送で某老作家が、
 「本当は『我あり、故に我思う』なんだけど、そこはデカルト一流のレトリック(修辞法)でわざとひっくり返してみせたんだよねえ」
 と得意げに語っていたけど、この作家、なにもわかっとらん。
 デカルトは詩人とは違って哲学者。レトリックなど弄するものか。
 ことば通り「我思う、故に我あり」だよ。

 では「私」とは何か。
 これは「認識する私」のことです。生命体のことではありません。
 生命体は親が産んだ。しかし認識までは産んでない。
     
 世間には、「何で私を産んだ」と親に問い詰める子どもがいるそうですが、その子はこの道理がわかってない。(答えられなくておろおろする親も情けない)
 親は「問い詰める私」を産んでない。赤ん坊(生命体)を産んだだけ。
 認識はその子のもの。つまり私を産んだのは私、ということになります。
  

 余談ですが、「なぜ私を産んだ」と子に問われたら、「だったらなぜ親を産んだのだ。祖父母に聞いてくれ」と答える手もあります。そうなると問いは先祖代々に遡ることになり、愚問であると思い知らされるでしょう。

 聖書のヨハネ伝福音書第一章に、
 「初めにことばありき。ことばは神とともにありき。ことばは神なりき」
 と記されています。キリスト教の基本中の基本です。
       
 これは「認識が先にある」といっています。つまり「我思う、故に我あり」です。
 ゲーテは「ファウスト」のなかで「初めに行為ありき」ではないか、と主張していますが、やはり認識が先なのです。

 このことは般若心経も同じです。
 「色即是空 空即是色」とありますが、これは実体には何もなく、何もないところから実体(生命ある肉体)が生まれると説いています。
 この「何もないところ」とは認識のことではないかと思うのです。
 

 維摩経の序章にも「生命の由来」が書かれ、それによると「行為」などは序の口で、そのエネルギーとなるも遡っていくと、触(=気配のようなもの)にたどり着きます。
 では蝕とは何か。これは「生まれようとする意志」ではないか。やはり認識が先なのだ。

 これらの解釈が正しいかどうかはわかりません。
     
 しかし無意識状態から生還したとき、泉鏡花「外科室」、デカルト「我思う、故に我あり」、某老作家の「レトリックなんだよね」、「なぜ私を産んだ」、聖書の「初めにことばありき」、般若心経「空即是色」、維摩経のことば……が次々と浮かんできたのは事実です。
 これは私にとっての関連力の一例です。
  

 我思ふ故に我あり春光

    

 川越の友は、「最近政治のニュースが面白い」といいます。
  

 「籠池なんて一切知らない」といっていた防衛大臣が実は10年前には籠池某の顧問弁護士をやっていた。その事実を突きつけられても、「記憶になかったから」と突っぱねた。
 そのくせ籠池某については「失礼なことをされた」とか、籠池夫人については「あの人らしい」とよく覚えている。幼稚なのか、図々しいのか。(恥知らず?)
 私の印象に残っているのは、公務で靖国参拝ができなかったことを(辻元議員に)指摘されて涙ぐんだ光景。泣くことはなにもない。「公務で行けなかった」と堂々といえばいいこと。こんなつまらんことでベーベー泣く大臣も珍しい。
  

 そのためなのか、「PKOの日誌は破棄した」と防衛省(と自衛隊)にトボけられている。なめられているといってもいい。
「こんな大臣で国が守れるのか」と友はいう。
  

 「籠池の証人喚問も面白い。アイツはなにをいうかわからん」と友はいいます。
 籠池某に関しては妄言が多いと思っているけど、「安倍晋三から寄付を受け取った」とすでにいっている。今さら引っ込みはつかない。
 それに、今まで隠されていたことがボロボロ出るのではないか。
  

 さらに、「愛国教育が浸透してきてるよ。教育勅語は小学館で発行され、じわじわ売れている」といいます。
 私は、恋愛と同じで、「国家の側が国民に愛国を強要したらもう終わり」と思っているので、行く末はかなり不安です。
  

 私の覚えている限りでは、愛国を強要していた代表は石原元都知事。
 あんなに偉そうにやっていたのに、いまのザマはなんだ。年取っただけでは済まされない。
 百条委員会では何をしゃべるか、興味を持たれているけど、「覚えてない」「知らなかった」でトボけ通すと思います。結局、偉そうにやっていた人間は責任を取らない。
 それは戦前・戦中の日本の指導者も同じ。
  

 さらにいうと、今のアメリカ大統領。
 このKKKの流れをくむ連中はこれまでアメリカ南部で臥薪嘗胆し、国力が弱まっているときに「今こそ!」と出てきたわけですが、かえって集中砲火を浴び、やがてはボシャるでしょう。
  

 同じことは日本の愛国教育にもいえるのではないか。
 地味にじわじわ浸透していればよかったものを、籠池某のようなオッチョコチョイが出現したことによって、集中砲火を浴び、廃れていくのではないか。そんな気がします。
  

 その籠池某の証人喚問は今月の23日(木)。
 「面白いことになったけど、この日は生憎WBCともぶつかるんだよねェ。さらにいとう選抜甲子園の早実vs.明徳もこの日だ。どれを観るかなァ」
  

 私はこの日は歯医者なので、リアルタイムでは観られない。いいけど。
     
 啓蟄や怪しい虫の這い出づる
  
  

 このところ豊洲問題、森友学園、自衛隊南スーダン撤退、天皇退位問題、北朝鮮毒殺&ミサイル、韓国大統領罷免……など、突っ込みどころはいっぱいあるけど、今回は視点を変えて、このたび来日したサウジアラビアの国王御一行について少し述べてみたい。
   

 この御一行の外遊はいつも豪勢で、今回も1,000人を超える王族や企業幹部らが同行したため都内の高級ホテルの客室は予約で埋まり、高級ハイヤーの確保に東京だけではなく名古屋まで抑えられ、さらに国王用のエスカレーター式のタラップまで用意されたといいます。
  

 今回国王来日の理由というのが、石油依存を脱して経済を多角化する改革を進めているので、日本からノウハウを学びたい、というから笑わせる。
 だったら王族たちの豪勢な金の遣い方はやめろよ。
 「隗より始めよ」(ものごとを始めるときは、自分の考えを部下に求めるよりも、自ら率先して着手せよ)というではないか。
  

 私から見れば漫画です。
 日本の政財界もマスコミもこのバカバカしい御一行を(内心では笑っていても)うやうやしく迎えるのは、ひとえに経済効果。中国の爆買いが下火になったから、サウジ御一行に期待しているだけ。さらにいえば、日本は石油の供給を安定させたい狙いもあります。
 (サウジは本当に石油依存から脱却できるのか?)
   

 日本だって幕末~明治初期に何度か欧米へ使節団を派遣したけど、明治4年(1872)の岩倉使節団でも107名、けっして豪遊ではなかった。金がなかったという事情もあります。
 でもハングリーだからこそ、使節団の連中は欧米諸国から近代経済の仕組みやインフラ設備などを貪欲に吸収し、明治日本の近代化に活かした。これが視察の役目です。
  

 このあとサウジ御一行は中国へも行き、日本と両天秤に掛けると思われるけど、したたかな習近平に取り込まれるのではないか。
 そうなると中国の労働者が大挙してサウジに押し寄せるようになり、現地と軋轢を起こす。そんな光景が目に見えます。
   

 お国事情や国民性の違いはあるかもしれないけど、サウジのような国がこのままで今後も繁栄するとはとても思えない。
 私のようなひねくれ者は、御一行の爆浪費には何の恩恵にもあずかってないので、遠慮なく笑わせてもらいます。
  

 タラップも国も地震で揺れ動く
  

 Webの季語別俳句によると、「地震」「津波」はこの時期の季語だそうです。
 もっともサウジあたりには地震はないのか。

 あの日のことは未だに覚えています。
 自宅でPCに向っていたら、いきなりグラグラ、グラグラッ!
  「おや、地震だな?」
        
  しかしその揺れは次第にユッサユッサと大きく、激しくなる。
 「大変だ!」
  食器棚の上に大きな電子レンジが乗っているので、それが落ちないように抑えに行きました。
  揺れはさらにグラグラグラッと激しくなり、しかも時間が長い。
 ドサドサッと音がしました。棚の上の資料の箱が落ちました。
       
 5分ぐらい揺れていたでしょうか。
 こんなに激しく、長い地震は初めて。
     
 ラジオを点けると、「震源地は宮城県沖、マグニチュード7.6、宮城県の震度7」
 その後マグニチュードは8.4に変わり、8.8と訂正されました。
 南関東でも震度5強。こちらでも最大級の地震でした。
      
 夜のTVニュースを観ると、東北地方の被害が甚大であることがわかりました。
 とくに津波が沢山の車を押し流し、河をさかのぼって人家や畑を飲み込んで行く様子にことばを失いました。
 これが「1911.3.11東日本大震災」の日でした。

  *

 翌日被災地の惨状をTVニュースで見て、胸がふさがりました。
 しかも津波による障害で救助隊の動きもままならないようでした。
        

 「あんた、無事だったか」
 朝霞市に住む年上の友人から電話がきました。
 彼はこちらの携帯に何度も電話したけど、繋がらなかったそうです。
 「こちらの被害はTVの裏に収納したビデオがバラバラ落ちた程度だよ」
    

 その後も続々と友人・知人から、「生きてたか」と命の確認電話。
 そして異口同音に「こんな大きな地震、初めてだ」 

 *

 その後は被災地の悲しい報道が多く、首都圏でも計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 そのため買いだめに走った人も続出し、その大半は我われ年配者。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに。
 我われ世代は、オイルショックのとき上の世代がトイレットペーパーを買い漁る姿を見て、「あんな年寄りにはなりたくない」と思ったはずなのに、その年齢になればそうなるのか。情けない。
    

 友人との会話も変わりました。
 「東北のニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙が出るよ」
 「みんな純朴でいい人たちばっかりじゃないか。なんでこんな目に遭うのか」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるよ」
 当時はニュースを見るたび自分の無力さを思い知らされました。
   

 そのときがきたらどうするか、ということを真面目に語り合いました。
 避難しているときに救助のヘリがきて、ひとりしか運べないという究極の選択です。
 「オレはもういいかな。子どもや若い人に譲るよ」
 「わからんぞ。そんなことをいうヤツに限って、われ先にロープにすがりつくんだから」
 「そうかなあ」
 「いや、キミかそうだということではないけど、そのときにならないとわからない」
    

 関西の友からも心配されました。「そっちは大丈夫か。心配したぞ」
 大丈夫もなにも、(東北に比べると)心配されるのが申しわけないぐらい。
 ときおり余震もあるけど、慣れてくると揺れ具合で「今のは震度2」とか「1かな」と判断できます。TVで表示を見ると大体当たっている。
 「震度3ぐらいではもうおどろかないよ。秋に会おう。生きていたらな、はははは」

 あれから6年。
 被災地東北の復興はまだまだです。
 その最大の理由は、日本が「東京五輪」に舵を切ったから。
 首相は「Under Control」と世界をだまし、「Tokyo」と決まってアスリートたちは大はしゃぎしました。
 これは世界に対する日本の国家ぐるみの犯罪であり、東北を見限った転換点でもあります。
 建設事業の大半は首都圏の会場建設にシフトされ、巨大な利権が生じました。
 これが被災地の復興を大幅に遅らせているのです。
         

 はしゃげども復興遅れ春寒し