今回私が選んだ句は、
    

 ④ゆきあひの空に浮雲秋の蝉
 ⑤川制し碑の立つ村や稲の花
……○
 ⑥寝転びて時代小説秋暑し
 ⑦くちなはの惑うてゐたり村の寺
 ⑧かなかなや夕映え長く松並木
  

 の五句です(○は特選)。
   

 ⑤これは、治水事業に成功した村の功績とともに、秋の収穫が期待される晴れやかな姿が句から表れています。
 
⑥おそらく時代小説が好きなんだろうけど、こう暑くてはなかなか進まない。わかります。
    

 各句の結果と作者。
   

 ④(4)○……女性A
 ⑤(2)○……同郷のおじさん
 ⑥(3)……女性B
 ⑦(3)……宗匠
 ⑧(2)……女性A
   

 気になったけど採らなかった句がありました。
    

 ⑨きちかうや紙のやうなる人の縁(2)……助手の先生
   

 「紙のやうなる人の縁」が強引でいいなと思ったのですが、「きちかう」がわからなかったので採らなかった。「きちかう」とは桔梗の花のことだって。


 私としてまったく不可解だったのは、
      

 ⑩君が代は美しきうた稲の花(4)○○○
  

 私以外は全員入れている。しかも特選で。(宗匠は例によって並選←すべての句に)
   

 信じられない。あまりにベタな句。句というよりも、これは標語。それに「稲の花」をくっつけただけ。
 さらにいうと「美しい」ということば。
 文章表現では「この花は美しい」といっても美しさは伝わらない。俳句だって同じはず。
   

 そこでこう発言しました。
 「この『美しい』という以外に他の表現はなかったのでしょうか。これじゃ言葉での『美しい』という共通認識に乗っかっているだけで、本当の意味での美しさは伝わってこない。安易な表現だと思います」
   

 これに対して、みんな「はア?」
 このオジサン、なにいってるの? という表情。
 なかには「美しいと思います。素直に受け取ればいいんじゃないかしら」という人も。
   

 これには私も気色ばんで、
 「私はひねくれてるからね。それにこれは標語であって、句になってない。森某のような人が推奨するようなことをわざわざ俳句にすることはない」
  

 すると進行していた助手の先生が、
 「これ、実は私の作ですけど、私だってふだんは『君が代』なんて題材にしないけど、今はオリンピックの時期。日本の選手が活躍して、『君が代』が流れたことに感動してつくったんです……」
 滔々と述べたけど、最後まで「美しい」には触れずじまい。
 多分みんなと同様、わかってないだろうな。
   

 この句もさることながら、この人たちとの関わりを根底的に見直す必要がありそうです。

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 一昨日(08/15)八月の句会がありました。
 私の投句は、
   

 ①塾帰り二人乗りして稲の花
 ②小さき子の絵文字流すや土用浪
 ③マドロスの腕生白く夏終わる
   

 実は直前まで「①畦道を二人乗りして稲の花」で行くつもりだったのですが、川越の友からこんなメールがきました。
 「今朝のブログは、句が生まれる過程がよくわかって面白い……でも畦道での二人乗りは危険だから気を付けましょうね」
    

 「ははァ、これは彼一流のアドバイスだな」
 そう読み取った私は、「畦道」のほうを外しました。

田んぼ     

 句会での得票と評価は、
   

 ①塾帰り二人乗りして稲の花……(2)宗匠の並選、○←助手の先生の特選
 ②小さき子の絵文字流すや土用浪……(1)宗匠の並選
 ③マドロスの腕生白く夏終わる……(1)◎←宗匠の特選
 (数字は得票数。○は特選)

 ①に関して助手の先生が、「高校時代を思い出しました。しかも二人が見たのは稲の花。秋になって、この二人がどうなるのか、微笑ましくなるような一句です」
 宗匠は「塾帰り、というのがいい。しかし三段切れでぎくしゃくしてるのが難。ここは上五と下五をひっくり返してみたらどうか」と、修正句は、
   

 稲の花二人乗りして塾帰り
   

 ひっくり返しても三段切れは変わらんと思うけど。
 それよりも「季語が動くのではないか」という懸念はまったく問題にならなかった。さすが川越の友、達人だけのことはあります。

 ②に関して宗匠は、「これは人形(ひとがた)流しのことですか? えッ、パット・ブーンの歌? それだと<流すや>がどうかねえ。ここは<消しゆく>にしたほうがいい」ということで修正句は、
   

 小さき子の絵文字消しゆく土用浪
   

 「ほら、俄然よくなったでしょう」といわれては、もう笑うしかない。

 ③「マドロスというのはふつう真っ黒になるのに、このマドロスは甲板の仕事をさぼったのかな。それともこの夏の日差しが弱くて、生焼けのままで夏が終わったのか。目のつけどころが変わっていて面白い句です。えッ、美空ひばりの歌? なるほどねえ。今月は歌ばかりでまとめたのですか。うーん」(宗匠)
    

 宗匠のような解釈もありかな、と思ったけど、好意的に解釈してくれてるわけで、だからといってみんなの票が集まるわけじゃなし。
 それなら歌で遊ぶしかないじゃないか。

2016.08.16 八月の出句

 以前「振り向けば人影消えて土用浪」という句をつくったのですが、評価はよくなかった。気に入ってたのに。
    

 そこで、「振り向けばサーファーひとり土用浪」はどうだろう。
 ところが「サーファー」は夏の季語ではないか、という疑念が生じ、危ないのでやめました。
 考えてみれば、「振り向けば」にこだわることはない。

土用波    

 そこで頭をよぎったのはパット・ブーンの「砂に書いたラブレター」
 彼女あてに砂に書いたラブレター、それを波が流してしまい、青春は終わった、という意味です。そこで、
  

 青春の誓いを流す土用浪
         

 にしたけど、「青春」というのが今では歯が浮く。
 むしろ子どもにして、
   

 小さき子の絵文字流すや土用浪……②

 この時期、往く夏を惜しむ句をつくりたい。
 そこで浮かんだのが森山良子「さよならの夏」と、ワイルドワンズ「想い出の渚」
 しかし、
   

 さよならの汽笛残して夏終わる
 小麦肌もう帰らない夏の日よ
  

 ではあまりにベタだしなあ。(安易でもある)
 かといって、
  

 まだら焼け湘南ギャルの夏終わる
   

 これは「湘南ギャル」のところに何を持ってきてもパッとしなかったのですが、ふと港町の情景が浮かんできました。港町といえば、美空ひばり「港町十三番地」
 ということで、    

 マドロスのタトゥ半焼け夏終わる
  

 タトゥではイメージが悪いので腕に直し「生白く」にしました。
 マドロスといえば、「港港に女あり」ですが、この夏は女とのつき合いもままならず、海で遊べなかった無念さを「生白く」で表しました。
    

 マドロスの腕生白く夏終わる……③

 *

 他にも盆踊りと舟木一夫「高校三年生」(♪ぼくら フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ黒髪が)をかけて、
   

 輪に入らば黒髪匂ふ盆踊り……④
       
 
という句をつくりましたが、これはいかにもクサい。
 
したがって、今月の出句は①②③
  

 いつもは「身の丈」から出てきた句をつくっているのですが、今回は内外の歌をヒントに想像で詠んだ句ばかり。こんなのも、たまにはいいかな。

 今月の兼題は「稲の花」
 しかし稲の花なんて見たことない。
 8月の半ばごろに咲くということなので、今月の10日、富士見市にある田んぼを見たところ、「????」
 すでに実がなっている。遅かったか。
   
     

 調べてみると、稲の花は品種によって咲く時期が違い、早いもの(早稲)だと8月初旬、しかも開花時期は非常に短いとのこと。
 写真では白っぽい(黄色?)、小さな花であまり目立たない。(こんなのを兼題にするのか)

稲穂     

 現物を見るのは諦めて、例句を見ました。
   

 「豊かなる国土の日かな稲の花」(麦南)
 「稲の花大の男の隠れけり」(一茶) 
 「此上に年を積むべし稲の花」(梅室)
 「馬買ひてつなぐまがきや稲の花」(才麿)
     

 こうしてみると、稲の花というのは秋の収穫を予兆する「よろこばしき」ものらしい。
 そこで、
    
 畦道を歩き疲れて稲の花
 退院し娑婆の空気に稲の花
    

 いずれもつまらないけど、「畦道を二人乗りして稲の花」はどうだろう。なんとなく、スコットランド民謡の「♪誰かさんと誰かさんが麦畑……」を思わせる句ではないか。
 (自転車に)二人乗りするのは若い男女に決まっている。それも高校生。
    

 しかし、「畦道」-「稲の花」は意味が重複するのではないか。
 それよりも二人の立場を明らかにするほうがいいのではないか。
    

 放課後を二人乗りして稲の花
    

 しかし今は夏休み。放課後よりも「塾帰り」(夏期講習)にしたほうが、秋になって二人の成績向上が期待できるのではないか、
    

 塾帰り二人乗りして稲の花……①a
    

 しかし、ここで重大な誤謬に気づきました。
 これだと「稲の花」の季語が動くのではないか。「稲の花」でなくても、「梅の花」や「桃の花」など他の季節の花でも成立する。
 その点、上五が「畦道」だと、季語離れは避けられる。
 というわけで、
    

 畦道を二人乗りして稲の花……①b
   

 にもどしました。二人乗りするのは熟年カップルではないだろう、と。
 しかし①a「塾帰り……」も捨てがたい。うーん、どうするか。

 先週、川越の友から暑中見舞いのメールが届きました。
 「今日(08/04)は風天忌、渥美さんの亡くなった日(1996年没)です。彼は風天と号して俳句をたしなんでおり、つくった句が200句くらい残っているそうです。そのなかから私がまとめたものを送ります」
    

 送ってきたのは50句ほど。
 何気なく読んでみたのですが、「????」
    

 蟹悪さしたように生き

 ポトリと言ったような気がする毛虫かな
   

 これが俳句か。
 まったく他からの影響を受けてないし、句会での批評など寄せ付けないマイペース句。

寅さんの銅像 

 それでも、
   

 赤とんぼじっとしたまま明日どうする
   

 という句に接して、彼は動物の気持ちと同化しようとしていることがわかります。これまで俳人が踏み入れなかった分野です。

 それに、
    

 乱歩読む窓のガラスの蝸牛
   

 なんかは面白い。カタツムリが乱歩を読むなど、シュールな感覚。
 ロートレアモンの「ミシンとコウモリ傘との出会い」を思い出しました。
   

 動物の句と傾向は違うけど、私が好きなのは、
   

 村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
       

 4年前、天園ハイキングコース(鎌倉)で、地元(?)の子どもたちが「どんぐり獲ったんだよー」と泥だらけの手を通りすがりの私に差し出しました。
 それを彷彿させた句です。

どんぐりを差し出した子    

 天園での出来事はいつまでも心に残り、後の句会で
   

 どんぐりを挨拶代わりに差し出す子……(京一郎・作)
    

 という句を出したのですが、いい評価は得られなかった。
 説明的な句だったかな。
   

 川越の友の結びのことばとして、
 「渥美さんは自由律の俳人・尾崎放哉に憧れ、演じてみたかったらしく、句も影響を受けています。私はこれから放哉の作品を読み直してみます。熱中症に気をつけて下さい」
   

 私にとっては、なによりの暑中見舞い(お中元?)。
 涼しくなったら、彼の「放哉論」をぜひ拝聴したく思います。